はじめての方へ

私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。

P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。

p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。

P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)

P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)


2012年12月29日土曜日

枠を超える 枠を生かす

与えられた枠って何だろう?
江戸時代だったら身分制度みたいなものだ。
枠を受け入れて、枠の中で精進する生き方。
小さいといえば小さい生き方なのかもしれない
けれど、枠が外れて得たものばかりだったの
だろうか?

私の母は自分の決めた自分の器を越えた生き方
をしなかった。

洋裁店を経営し、自分の扱える金額の中でお金を
回し、店をやたらと大きくしようとしなかった。

むしろ、一時期は10人くらいいた縫い子さんを少し
ずつ減らし、長い間相棒の縫い子さんと二人で店
を回していた。

その一人にもやめてもらって、今は一人で店を
維持している。

大きな金額を動かしたからといって、大きなお金が
残るとは限らない。

むしろ、小さなお金をこつこつと貯めていったほうが
長くはかかるかもしれないけれど、堅実にお金はたまる
のかもしれない。

私は今働いていないヤクザなドラ息子だと思うのだけど、
私なりに母の生き方を観察している。

私に与えられた枠は精神病の履歴かもしれない。
その枠の中で小さく生きようとしている。

負けず嫌いだったので努力はそれなりにしたけども、
もともと学校時代もリーダーとしては育てられることも
なく、教室の隅のほうにいるようなタイプだった。

自分でそう認めることはできなかったけど、
もって生まれた気質的にも性格は弱かった。

そういうわけで、あまり無茶はせずに枠を生かす
ような感じで生きていこうと思う。

最初に書きかけた江戸時代のそれぞれの階層
の人々だけど、枠に縛られた人たちだったのだろうか。

商人層とか見ていると枠に縛られながらも
枠を超えてしまっている部分さえみえてくる。

米相場つくって、役人たちに対して実質的に
強い立場になってみたりなどである。

そういう皮肉な現象は金融業者になった
ユダヤ人たちにもみてとれる。

枠というものも見かけほど単純なものでもないような
気がしてくる。

結局、枠というのも道具なのだ。状況なりに上手に
使えばいいではないか。

枠を超えるも生かすもそれぞれ一つのあり方。
道具なのだから、自由に、できれば独創的に
使えばいい。

2012年12月28日金曜日

与えられた局面をクリアできるかどうかって

人それぞれ、それぞれの道を巡りながら、それぞれの今
に至っているのだと強く思った日だった。

今日、耳を傾けた話を思い出しながら、与えられた場面、
場面で、その場面をクリアできるかどうかってどうやって
決まるのだろうと思った。

私は高校の頃にいじめを受けていたと何回か書いた。

でも、大したいじめではなかったと思う。
少なくともクラス全員のシカトなど受けたことはなかったし、
徹底的につぶされるというものでもなかった。
昔のいじめには「このへんでやめておこう」などの暗黙の
ルールみたいなものがあったのかもしれない。

私は負けず嫌いだったので、強弱の秩序みたいなもの
が受け入れられなったから、クラスを仕切ってた連中に
嫌われていたのかもしれない。

そのころNHKテレビでは人形劇三国志というものをやって
いて、長坂波の戦いのくだりをやっていた。

曹操に追われて劉備たちの一群が戦いながら逃げ延びる
という風な筋だったと思うのだけど、わたしはずっとこの
シーンを思い浮かべながら、高校の後半を送っていたよう
な気がする。

一方で私なりに戦い、一方でやり過ごす。そんなにカッコいい
姿でもなかったと思うのだけど、なんとか欠席らしい欠席も
せずに高校を卒業し、広島大学へ進学した。

とはいえ、これは私側からみた当時の記憶であって、病気の
ずいぶん前のことだったこともあって当時の記憶は非常に
曖昧だ。クラスを仕切ってた連中の側から見るとまた違う
リアリティもあるのだろうけど、まあ、なんとかかんとか
やり過ごせたのだから、いい経験だったのかもしれない。

その人のその時の力量で、あるいは若干運も絡んでくるの
かもしれないけれど、なんとかその場面を乗り越えて、一つ
の経験として積みあがる場合もあれば、その時のその人に
とって難しすぎて切り抜けられないという場合もあるだろう。

その力量とやらも、気質その他の遺伝的な要素ももちろん
絡み合いながら、その前の場面までで積み上げた経験など
の織物状になった何かに違いない。

ともあれそういうのは全部過去の話だ。過去の話をどう
ほじくっても現在は変わらない。

時にやる心の持ち方なのだけど、戦略ゲームのシナリオ
みたいな仕組みで、ちょうど今の状況の私を、この文章
読んでいる人がいるのなら今の状況のあなたを選んで
ゲームがスタートしたというような心の持ち方をすること
がある。

1945年1月の状況の日本軍の何々連隊で戦ってみるみ
たいな感じだ。いろんな状況ありうると思うのだけど、
その状況なりにベストではないにしても、ベターな戦い方
ってあるのではないかといつも思うのだ。まあ、あくまで
理屈で考えただけのお話ではあるけれど。

イマージュの花が咲くとき

今はそうでもないのだけど、夕べくらいまで
「イマージュの世界」とかナントカそんなこと
ばっかり考えていて、心配はしなかったけど
大丈夫かなあと内心思っていました。

視覚的なイメージがどんどん湧いてくるとか
まあ、そういう風な感じではなくて、単にあれ
これ想像を膨らましていただけなのですが。

『Cymbiノ青キ心』というブログタイトルの
Cymbiってシンビジウムという洋蘭の名を
略したものなのですが、『青い花』といえば
ノヴァーリスですよね。

あの話私も読みました。なんとなく心の底
に求めるものって青い花なのですね。

青いシンビジウムといえば青寒蘭という
ものがあるのですが、これは緑色の花弁
をした普通の寒蘭という意味です。

私がイメージしてるのはラピスの群青み
たいなイメージだったり、深い空の色みた
いな色だったりします。

遺伝子導入みたいな感じで今の技術を
使えば「青いバラ」のような感じの青い
シンビジウムも作れるのかもしれません
けど、私は見たくないです。

ノヴァーリスの『青い花』は後半は未完
なのですが、ある意味未完だからこその
完成なのかもしれないような気もするの
です。どんな感じで完結するのだろうと
いつまでも思いを巡らせ続けられますからね。

寝入りにはいる前のひととき

ベッドに入って寝付くまでがかなり長いほうです。
中には5分くらいで眠りに落ちる方もいらっしゃるそうですが
そういう方がうらやましいです。

考えがどんどん浮かんでくるのです。
いわゆる雑念というやつでしょうか。

さすがに笑いだすほどのものはないのですが、
考えに引き込まれることは多く、
1時間2時間すぐ経ってしまうのです。

毎晩大体こんな感じです。

文章書くときもそうなのですが、日によって着想が
思いつきやすい日、ぜんぜん思いつかない日まちまち
であって、豊漁不漁の差が大きいのですが、
寝入り前もたぶんそんな感じだと思います。
無意識の活動が活発な日、不活発な日とでもいうので
しょうかねぇ。

たしか病気が発病したときは
「眠るのがもったいない」という感じでした。
怖いですね。

「ああ、これは徹夜モードだ」とわかる日もあります。
目をつぶっている意識の視野がなんとなく明るくて
昼間の意識そのもので、こういうときはどんなに
がんばっても眠れません。

何も考えないようにする、頭をからっぽにする、
ゆっくり呼吸をする、あらゆる努力は何の意味も
もちません。

努力すればするほど、さらに意識は昼間のそれ
に近づいていきます。

こういう日、最後のたよりになるのが明け方に
なってきて、なんとなく疲れてきたときです。

知らない間に眠っているときも、
知らない間に夢を見ているときもあります。

夢を見るとほっとします。
昼間の意識のごみが掃除されたような感じがして。
寝不足のときの夢は不思議な夢が多いです。

2012年12月27日木曜日

その人なりの人生の形をみつけること

ゲームという見方で人生というものを眺めたときにみえてくる、
ゲームとしての人生の目的ってなんだろうかと考えたとき、
出てきた答えは「人生とは何か?」ということをそれぞれの人に
考えてもらうということなのではないかと思った。

人生の目的なんて考え始めたのはセカンドライフのおかげだ。

セカンドライフにはゲームの目的がない。
それぞれの人が自分の目的をみつけるのだ。
でも、なかなか自分の目的とやらにたどりつけなくて、
脱落していく人も多い。

社会ではどうなのか?

自力で人生の目的なんてそうそう思いつかない。
そこで社会はというかマスメディアはてっとり早く
人生の目的、どういう生活が望ましい生活なのかと
いうことを教えてくれる。

立身出世ゲームなのかもしれないし、
億万長者ゲームなのかもしれない。

でも、情報化が進み、そういう目的の空しさみたい
なものも知れ渡るようになり、目的を失うひとも多く
なってきたような感じがする。

目的なんて悠長なことなど言っていられなくて、
サバイバルゲームになりつつあるような感じもしてくる。

でも、自分がこの世に別れを告げるときに時間の目盛を
進め、ちょっと考えてみるとやはり、人生の目的とか
人生とは何かという問いというのも大事なのではないか
と思うのだ。

その時に、ポイントとなるのは
その人なりの人生の形をみつけること
なのではないかと思う。

そこに着目することによって、生まれた地域やら世代やら
何やらのその人の状況にまつわる不平等というのが薄まる
のではないかと思う。

昔、あるゼミにまぎれこんでいたときに、そこの学生さんが
東南アジアに旅行してきたのだけど、現地の人々について
「自分と彼らと同じ人生を生きているのではない」と言っていた。
正確にどう言っていたのか失念したのだけど、
「自分たち日本人の人生の質と彼らの人生の質は決定的に
違っていて、自分たちの人生の質のほうが彼らの人生の質
よりもはるかに勝っていて、比較にならない」そういう風な
ニュアンスで私は受け取り、心の底に染みついた。

人生を出来レースと考えるのはつまらない。

それぞれの人にとって納得のつく形で
ゲームの設定の仕方などに思いを巡らしてみる
というのも有意義なことなのではないだろうか?

まあ、そういう風に考えられることも状況が生み出した
ある種の贅沢なことと考えることも正しいのではあるけども。

P.S まったくもって、空理空論、抽象的な話になってしまった。
具体的経験が少ないのだから仕方ないことなのかもしれない。

2012年12月26日水曜日

あちら側を思い起こさせるもの

あちら側を思い起させるものに惹かれるのはなぜだろう?

その一方で、あちら側の世界に飲み込まれることについて
これほどまで恐怖するのはなぜだろう?

誘蛾灯に引き込まれて、ついには身を焦がしてしまうような存在たち。

それは、どこか心の奥底で強く惹きつけられながらも、
同時に引き込まれることを生理的に恐怖する、カルトを遠巻きに見守る
人々とも重なる。

狂気やカルトの毒を清涼飲料水程度に薄めたものが娯楽としての
コンテンツに違いない。

アヘンとしてのお酒にどこかちょっと似ている。

単なる宴会もごく小規模なお祭りみたいなものだ。
儀式につきもののご馳走も演出するメディアの一つ
みたいなものだ。クリスマスケーキなんてまさにそう。

テレビの空間では毎日が正月みたいになっているから
もはやピンとこないけど、かつてはお笑いのようなもの
がたっぷり見られたのはお正月だけだった。

私はその時代を知らないけれど、鶏肉が食べられたのは
お正月だけだったと母は言っていた。

かつて強い光を放ちながら非日常の世界を演出していた
さまざまなものが光を失いながら、なんてことのない日常
の生活を彩るあれやこれやになっている。

たぶん今使っている言葉自体もそうなのだろう。
言葉の力が失われて久しいと聞くけど、
日常の隅々まで言葉がいきわたった結果
なのかもしれない。

今はどーでもよくなっているものすべて
かつては光輝く存在であったとイメージするのは愉しい。

可能性の世界、夢の世界から
それらはやってきたのかどうかは知らないけれど、
詩的な表現を使えば、カミサマからの手紙とでも
書くことができるのだろう。

そう考えると気にもとめないだけで、
結構贅沢な世界で暮らしていることになる。

ただ、この世の端っこに存在しているだけでも、、、

ヴァーチャルなものへのこだわりとあちら側への郷愁と

こんな文章みつけた。

http://www.bekkoame.ne.jp/~hmuroi/vol5.html

読んでなんとなく思ったことは私のヴァーチャルなものへの
こだわりとあちら側への郷愁とどこかつながりがあるのでは
ないかということだった。

なぜにあちら側、すなわち病気の世界なんかに郷愁を感じる
のだろうか?

それは怖い思いをさんざん味わいながらも、こちらの世界で
は味わうことのできない誘惑的な要素をもつからだと思う。

思ったことが本人の中では事実になる世界。
天上的なものも、地獄的なものも即座にインスタントに
本人の中では事実として体験してしまう世界。

思い描くことができさえすれば、インスタントに実現できてしまう、
そういう意味でヴァーチャルな世界と重なる部分がある。

現実って何なのだろう?実現って何なのだろう?
現実と実現の間にはどういう関係があるのだろう。

都市なんて、文明生活なんて、夢の世界が実現した
ものではないか。

テレビなんて、天上の世界のインチキな模型みたいな
ものじゃないか。

その証拠に、憧れているのは業界の中に生身として生計を
たててるアイドルじゃなくて、アイドルがさししめしている
もの、画面の彼方に像を結ぶ、虚像じゃないか。

憧れているもの大体においてみんなそうじゃないか。
誰もがみているのは表面であって、虚像であって、
それよりははるかにみすぼらしいリアルな生計の
世界じゃない。

実現されたものからなるこの世界はどこかインチキ臭い
ところがあって、実現された夢はどこかに苦味をもって
しまう。

リアルといいながら、どこか虚ろな、不完全さを併せ持った
世界に住んでいるから、純粋なイマージュからなる世界に
憧れてしまう。

本当は媒体抜きの純粋なイマージュが生き生きと活動
する世界に行ってみたい。

対象と一つになることを根源的な欲望とするように
媒介となるもののお世話になりたくない。

たぶん、恍惚の絶頂において我を失うことも
肉体が滅びて消滅してしまうことも、
一つの比喩なのだと思う。

精神の病を潜り抜けた人々は
この世は比喩から成り立っていると
どこか心の底で思っている。

ヴァーチャルなものというよりも
メディアそのものが何かの比喩に違いないと
思っている。

2012年12月25日火曜日

ネット上の小さな存在の声に耳を傾けること

私の「声」は大きな声なのか小さな声なのか自分ではよくわからない。
共時的にあるいは通時的にどこまで届きうる声なのかも知らない。

でも、何だろう?少なくとも私にとって気になるのは大きな存在という
よりは片隅にいる小さな存在であり、小さな声だ。

だから、影響力の強そうな人のブログなどを巡回するというようなこと
はほとんどしない。

むしろ、文字列検索機能を自分なりに使い込んで、クラウドの力を借りる
ことが多い。

たまたま、思いついた語句を使っている、気の利いた作文みたいなものが
そのときどきの獲物だったりする。

誰でもそれなりに気の利いた作文をつくることはできる。

でも、同じことは影響力の強そうな人にも思いつかないものであることは
ありえる。

その「場所」が生んだもの。その「場所」に立っているからこそ導き出せた
考えなのかもしれない。

「場所」と呼んでいいのか、むしろ状況とラベルつけしたほうが適当なのか
しらないけど、それぞれの人がそれぞれの人の生きられた世界に住んでいる。

それぞれの人の生きられた世界から自然に生じてくる生き物みたいなもの、
生きた言葉を大事にしたい。



そうはいうものの、自分よりも影響力の強そうな人に金魚のフンのごとく、
近づこうとしていた時期がないわけではないし、今もそういう側面はあるかも
しれない。

でも、少なくとも昔から、器を選ぶように人を選びたいと思ったことはないし、
優れた器のような人に囲まれて生きていきたいと思ったこともない。もっとも
そういう境遇など私には縁の薄そうな境遇でもあるけども。

むしろ、表面的には地味な感じのする人の隠れた光みたいな側面に出会えた
ほうが喜びは大きい。表面的に地味でみすぼらしく見えるからといって、中身に
光る要素がまったくないとはいえない。

たまたま、そういう側面を発見するまで、その人のそういう側面に出会えなかった
だけなのかもしれない。そして、手前勝手に地味な人とラベルづけしていた自分に
強く恥じ入るものだ。

運よく、そういう出会いを何回かすることができて、人を表面だけで判断しない態度
を身に着けることができたらなあと思うのだけど、まだまだ表面の華々しい側面に
目がいきやすい。まだまだそこまで人生を学んでいない。


さあ、それでは読書するときの本の選択でもそういう感じにしているかというと自信は
ない。「人生は短い」などともあまり言いたくない。できれば、いろんな文章につきあって
その文章のいいところをくみ取りたいという気持ちもするけども、そうはしていない。

気にいった文章を何度も読むことが多い。それは結局のところある種の有名人の文章
なのかもしれない。そして、今まで書いたエラそうなたわごと、もそういう文章から単に
学んだことの寄せ集めにすぎないのかもしれない。

P.S そういう風に思えるようになったのも結局のところ、教養なのかもしれない。
断じて自分で導き出した答えではない。昔の賢人のモノマネしているだけに過ぎない
のかもしれないけれど、そのへんのところが今のところの私という器の姿なのかもしれない。

P.S 誰かを小さく、みすぼらしく見てしまう目が修行がそもそも足りないのかもしれない。
でも、俗なる存在にすぎない私の目にはやっぱりそういう風に見えてしまう。カミサマホトケ
サマの目にはなかなかなれない。そこを目指す必要があるかどうかも分からないし、下手
にそういう目を獲得したらきっとある意味、傲慢な奴になってしまうに違いない。身の丈と
いうのはここでもきっとあるのだろう。

PS. ”隠れた光”で検索したらこんなものみつけました。
http://www.ted.com/talks/lang/ja/monika_bulaj_the_hidden_light_of_afghanistan.html

私は声を与えられた恩恵と責任をかみしめながら、これからも日々思うところのものを
淡々と書いていきたいです。文字を書けること、それは今の私には水や空気のような
ものですが、必要とされながら与えられていない人々、声を奪われている人々が地球
の上に無数にいます。その人々の代弁者になる資格は私はないけれど、与えられた
権利は精一杯行使したいです。単なる一票みたいなものですけども。


自分の言葉の習慣について何も知らない

ミクロなレベルでの日本語の違いについて気になる。
価値評価はともかくとして、各人の日本語は違うはずである。

それぞれの生活環境の中で練り上げられた言葉の習慣、けっこう
あるはずである。

両親から生理的に受け継いだ気質的なものから来る要素、
文化的に受け継いだ要素、それぞれあると思うのだけど、なかなか
それを意識化することができない。

その前の段階として、基礎資料になるものさえ集まらない。
基礎資料とはいうものの、どういう方針で集めるべきなのかも
はっきりしない。あんまり、意識しすぎてもアーティファクトな
影響が濃くなってしまうだろう。

空間軸、時間軸、いわゆる共時的、通時的な見方もできると
思う。ある本を読んだことがきっかけになって、その前後で言葉
が少し変わってくるなど。

話は脱線するけど、そんな風に考えてみると、個人が作曲した
下手な歌、下手な絵にも十分存在価値があることがわかるし、
それを調べることによって得るものがある場合もあるように
思う。

何も優れたものだけが調べるに値するものでもないのでは
ないかと思う。美学的な意味合いというよりも、ある種の人類学
的意味合いが発生するのではないかと思うのだ。

それぞれの人々、ひとりひとりは決して一銭五厘の価値のない
存在ではない。むしろ博物館や美術館に陳列してもおかしくない
ものである。ひとりひとりの秘める謎を読み解けないから、単に
平凡な存在とみなされるに過ぎない。

個人情報をワイドショー的興味で根掘り葉掘りするという意味で
はなく、むしろ一番身近な他人である自分自身によって、探究
されるべき謎だと思うのだけど、ひとりひとり、その人でなくては
考えることのできない問題みたいなものを抱えているのではない
かと思う。

そういった謎をはらみながら、それぞれの人のそれぞれの日本語
ってできているのだと思う。

意味ありげと、意味づけこじつけのあいだ

リアルタイムで、微かに意味ありげな空間に生きている。
たまにそうなることがある。

背後で起こる、自分とは直接関係のない人のちょっとした
動き、ほかの人同士の会話に直接の意味のほかに、
意味ありげなニュアンスが混じる。

そういう感じがすると、能動的にそういう受け取り方を
するようにいつの頃からかなっているのだろう。

怖いまで、そういう世界に浸りきるのは怖いと思うのだけど、
繰り返すうちに、少しは慣れることもあるのだろう。

意味ありげだけど、そういう風に認知しているのだろう
みたいなところから進めていないからだろう。

いわば、ブロッケン現象みたいなのが意識の上で起こっている
みたいなものだ。

ブロッケン現象を怪物だと認知するとパニックになってしまう
けど、そういう現象だと知っておくと、珍しい現象として
楽しめてしまうような。

でも、本当に微かに混じっている程度だから、平気でいられる
に違いない。歪みみたいなのが強くなったら、理屈でなく、
世界は怖く映るだろう。

そのあたりは寝入りに入るときの入眠時幻覚のときも同じで
ある。

何も知識がなければ、体の中に夢魔が入り込むあの感じ
はたまらないだろう。きっと世界観もおかしくなるだろう。

私の場合は幸いに症状が軽く、普段、病気の世界に
入り込みすぎていないか、戻れる範囲のことだろう。

2012年12月24日月曜日

幻想と現実の距離

私の場合、幻想と現実の距離ってどんな感じになっているのだろう?
魔法の存在する世界にでも住んでいるのだろうか?

そんなことはない。

でも、日々、イメージの世界の大きさが大きくなったり、小さくなったり
するのは感じる。

まれに幻覚が生じたときも、幻覚であると認識する、ごっちゃにしたり
はしない。

ほぼ完全にこちらの世界に住んでいる。世界に対して怖い思いをする
のは稀であり、例外的な精神現象を体験したとしても長くは続かない。

でも、そこでの世界の綻びはなんらかの意味で常識の地盤を揺るがせ
ているのではないか?脳内の現象として収まっているのだろうか?

人間的な匂いの濃密にこもった”ワタシが生きているワタシの世界”
そのものが胡散臭い匂いの濃密にこもった世界に見えてくる。

よくできた世界だけど、魔法の存在する世界とあんまし変わらない。

例外的な精神現象が起こる状況では、そういう胡散臭い匂いが世界
全面からやってくる感じになる。

2012年12月23日日曜日

汎メディア論的状況 あえて機械を身につけないこと

この状況、既視感がある。

皆が自動車を持っている状況では自動車をもつことが無意味化
する。

むしろ、皆が自動車をもってるような世界に住んでいることに意味
の重点が寄ってくる。

私、普段時計を含めて、複雑な機械を身につけないし、持ち歩かない
のだけど、逆にそういうことが意味を持ってくる状況ってありえないの
だろうか?

隣にスマホ持っている人がいれば、原理的にGmailにアクセスさせて
もらえばメールチェックができるのだ。いわば、自動車に同乗させて
もらうのに似ている。

複雑な機械を身につけたくないと思い始めたのはいつごろからなの
だろう?

ひとつはこれが私なりの環境負荷を軽くする実践なのかもしれないし、
私にかかる情報負荷を無意識のうちに軽くしようとしていることでも
あるのかもしれない。

今、濃密にメディア化された空気をもつ世界の中で暮らしている。

情報収集にあくせくしたり、個々の小道具を手に入れようと画策したり
するよりも案外大事なことってあるのではなかろうか?

コミュニケーションの方言化、暗号化

それで、ふと思いついた、コミュニケーション上のトレンド
なのですが、「コミュニケーションの方言化、暗号化」です。

今の世の中、特にネットが絡むとそういうことになってしまう
のですが、使っている道具やサービスの違いと組み合わせ
などによって、世界が個人化しています。

パソコンの環境がそれぞれの人違うかもしれないように、
その人の住んでいる世界も違うのです。いわばひとりひとり
文化を背負っているような状態。

そういう個人が出会い、コミュニケーションの通路が成立
していくのですが、そこではどんな言葉が使われるのでしょう。

日本に住んでいるので、まあ多くの場合は日本語なのでしょう
けど、コミュニケーションの通路にも歴史みたいなのが発生
するのかもしれません。

最初、ほとんどお互いのことをしらなくて、話があまり、通じない
状態から、相互の世界がずいぶんわかってくる状態へ。

でも、そうなるとそとからはその世界が見えなくなってしまうこと
でしょう。二人の間だけで成り立つ話題などの成立です。

各個人は磁場みたいなものを発生させ、その周囲にその人の
色を担った雰囲気みたいなものが出来上がっていきます。

重力圏みたいなもの、呪縛される感じや、反発する感じ、
場はいろんな性質をもつことでしょう。

blogみたいな場はよくも悪くもその人の世界みたいなものを
意図的に発信したり、あるいは無意識のうちに漏れ出してしまったり
という場なのでしょう

去年の暮から年明けにかけては変なこと考えてたみたい

去年の暮から年明けにかけては変なこと考えていたのでした。
たとえばこのあたりとか、、、
http://epimbi-madrigal.blogspot.jp/2012/01/blog-post_01.html

この文章書いたときには中井久夫著『最終講義』の中の「実在」と
いう言葉がどこから来ているのかわからなかったのですが、今は
もしかしたら、井筒俊彦のいう「神秘主義的実在体験」という用語
と響きあうのではないかと思うようになりました。でも、実態は謎で
すし、著者本人に聞いてみるわけにもいきません。

それで、今年の正月あたりは仮想世界と現実世界の融合みたい
な話題を知りまして、その時には複合された世界を指す言葉は私
は知らなかったのですが、最近は複合現実感(Mixed  Rearity)と
いう風に呼ばれているらしいですね。

ただ個人的に気になるのは技術よりに解釈されるような側面ですね。

解釈を変えれば思いっきり人間よりに解釈することもできるのでは
ないかと思うのです。特別な道具立てを必要としなくて、オフライン下
の裏仕事なども含めた空間を複合現実感と呼んでもいいのではない
かと思ったりするわけです。

紙のノートの上での作業自体が複合現実感の一部を成しているよう
な解釈です。

実は汎メディア論的な状況はしばらく前から継続していて、技術がらみ
の新しい小道具が節目節目で付加したに過ぎないという見方もできます。

複雑さが溢れかえっている状況であり、最初から、読み切れない蔵書数
を誇る図書館の中にいるという感じなのかもしれません。

早速、意味不明になりはじめたので、このへんで。
平静を装っていても、一皮めくればなんとやら、という感じもします。
ワタシが変なのか、ワタシのいる状況が変なのか?どうなのでしょう。

2012年12月22日土曜日

いわぬが花

けっこういわぬが花なことやらかしている
ような気がします。

裏をかえせば、こういう風にイメージを作ろう、
持たせようという戦略はおろか努力もしていない
ような気がします。

ようするに無頓着なのです。
見た目を気にするのなら、文字数きちんとそろえたり、
改善点は無数にあると思うのですが、、、



外国からのアクセスがひいちゃいました

やっぱり性がらみのことなんか書くものじゃなかったので
しょうねぇ。

こういう話題についてあけすけに書くの好きじゃないし、
色ボケなどは絶対していないつもりなのですが、
十分伝えきれなかったのかもしれません。

ニンゲンなのだから、だれでも多かれ少なかれもっている
たぐいのことを正直に書いただけなのに、、、

いわぬが花ってこういうことか、、、

2012年12月21日金曜日

今頃『孔雀王』読んでます(ちら読みですが、、)

さて、背伸びした次の話は堕落編です。
前々回、理趣経うんぬんと書いたのですが、一筋なわでは
いきそうもありません。

思うところあって『密教経典・他』中村元著 を読んでみたの
ですが、性の世界と密教との絡みを中村先生は苦々しい筆致
で書いておられました。

プロパーの修行者自体が一部ではありますが堕落してしまった
ようなのです。もちろん歴史上の話ではありますが、、、

粗雑な山勘なのですが、昨今の性の世界の進化?と理趣経の
世界が恣意的に結びついたとき、醜悪なカルトの世界が出現す
るのだろうと思いました。

そういうわけで理趣経の世界をお勉強するのはかなり後回しに
して、もうちょっと気楽なスタンスで『孔雀王』でも読んでみようかな
と行き先変更してみました。

相変わらず密教とエロの関係をさぐっているのですが、私は大学
時代に『孔雀王』はサークルの部室においてあったヤングジャンプ
で読みました。月日が経って、もうちょっと知恵がついてからまた
読み直すのもおつなものです。

作り手はいったい何を描きたいのだろうか?というところが観察の
ポイントです。

『注文の多い料理店』の感想

夕べ2(012.12.20)、鹿児島市内某所で「賢治の会」がありました。
『賢治の会』は宮沢賢治の作品を読みあうサロンのような読書会です。

そこで喋った感想と家に帰ってから思いついたことなどを書きます。
『注文の多い料理店』のテクストは
ここhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43754_17659.html
で読むことができます。

ぴかぴかする鉄砲を担いだ”紳士”たちは山の中の西洋料理店
「山猫亭」の玄関を入ると、いくつもの戸や扉を入って、そのたび
に下ごしらえさせられて、最後は山猫に食べられそうになるので
すが気になったのは戸や扉は何なのか?ということでした。

世の中の儲け話、宗教の勧誘等々いろんな解釈がありうると
思うのですが、私はこの話はヒトが道をはずれていくプロセスを
描いたものだと思いました。

戸や扉は節目、節目の人生の分岐点だと解釈しました。

山猫は世の中の悪い誰かというよりも”魔”そのものの象徴なの
ではないか?と思いました。

こういうことを思いついたのは前回の話
http://epimbi-madrigal.blogspot.jp/2012/12/blog-post_7508.html
を書き上げたあとのなんとはない後味の悪さでして、私自身が
道を外れていく過程にあるのではないかと思ったからでした。

さらにこんなことも思いました。ぴかぴかの鉄砲を担いだ
”紳士”たち、彼らを他者として考えることも可能だけど、
読み手自身と考えることも可能なのではないか?

ぴかぴかという言葉自体が金ピカな金メッキみたいな心象の
持ち主を想像させ、「こんなとこで、案外ぼくらは、貴族とちかづき
になるかも知れないよ。」という言葉に現われているように、
その人なりの光輝くものへの欲望をたぎらせているような
ものに私たち自身が見えてきました。

そして結局は私たちは”魔”の手に落ち、山猫の胃袋の
底のほうに最初から入っているのではないかと思ったりし
ました。まあ、相対的なものではありますけども。

そして、もうほとんどこじつけの域なのですが、こんなこと
も考えました。

この話は広い滅びの門をくぐりながら最後は”魔”に食べられて
しまう話なのだけど、書かれてはいない別の話として狭い命の
門をぐぐりながら、最後は”真実の出会い”に出会う話もありうる
のではなかろうかと。賢治とは無縁なキリスト教的な話とごちゃ
まぜにしているのですが、暇な人はもう少しお付き合いください。

広い誘惑の門には灯に蛾が集まるように人は集まるものですが、
狭い門は入りがたく、”真実の出会い”には出会い難いものだと
思います。

ものとの出会い、本との出合い、人との出会い、場所との出会い
出会いはさまざまですけども、私を含め多くの人は、出会った
つもりで大抵の出会いは終わるものなのではないでしょうか。

先ほどの”紳士”たちは私たちであり、最初から山猫の胃袋に
入ってしまっている存在である、と私が書いて、反発した人も、
ピンとこなかった人もいるとは思いますけど、良心的に胸に手
を当ててみるとそうなるのではないでしょうか。比較の問題であり、
また相対的な問題でもあるのですけども。

私が”出会い”には出会い難いとひらめいたのは華厳経の解説本
読んで、かなり長い時間たった夕べのことでした。華厳経には
入法界品と呼ばれる読み物みたいな文章があり、善財童子という
主人公が求法の旅の果てに普賢菩薩に出会うシーンがあるのです。

普賢菩薩は誰もが会いたがる究極のキャラクターという風な感じで
描かれています。でも私は思うのです。ここでの普賢菩薩は”出会い”
自体を形象化したものと読むことも可能なのではないかと。そして、
”真実の出会い”は実に出会い難きものなのではないかと。

出会う対象はそこかしこに存在します。いわば”真実の出会い”は
いつも目の前に存在するのです。多分気づくことができれば気づく
のですが、気づいたつもりで終わってしまうこともまた多いのでしょう。

へんてこりんな話にお付き合いさせてしまいました。

P.S 金ぴかな金メッキみたいな野郎がうつろな言葉を吐き出している
そんな感じで読んでくださいませ。話半分ということで。

P.S 「真実の出会い」といういかがわしい固有名詞もあるみたいですね。
本当に言葉と出会うのは出会い難い、というか言葉のむなしさをつくづく
思います。せいぜいこのブログにも心を許さず、最大限の警戒心と疑い
のこころをもっておつきあいくださいませ。

参照 『少年の日の思い出』の思い出
http://epimbi-madrigal.blogspot.jp/2012/08/blog-post_25.html

2012年12月20日木曜日

逆に近づいている棚はどこか

精神世界本の棚に近づいていない、じゃあどこの棚に
最近近づいていることが多いか?

というと顔をしかめる人も多いのでしょうけど、
AV女優とかアダルト関連だったりします。

ネットで検索しているうちに各世代の性意識が水面下
でがらがらと変わりつつあるのではないかと思うように
なりました。

変化の要因のひとつとしてはアダルトメディアの存在です。

で、調べだすと、すぐ印象に残るのが、業界やら作り手
のほうの真摯なものづくりの姿勢だったりします。

そして、そのことに良くも悪くも洗脳されているように
見受ける人も多いです。

メディアリテラシーの基本として、送り手側はどういう風に
伝えたいのか印象付けたいのかを意識するということが
ありますので、素直に洗脳されるわけにもいきません。

でも、説得力はあると思います。

私の場合、副作用としてAV女優を性欲解消の道具と
見れなくなってしまいました。当たり前の話かもしれま
せんけど、ひとりの人間として見るようになってしまい
ました。

AV監督は性の世界をどういう風に描きたいのか?
みたいな観点で、AVの最初のほうの女性が脱がない
シーンを何回もみて考え込むみたいな感じが多いです。

前回の文章との関連でいくと、最近、気になりながらも
決して自分から積極的に近づかず、その時がくるまで
待っておこうと思っているものがあります。

理趣経です。もちろん一部を易しく解説したようなもの
しか読めないのですが、その種のものもしばらく遠ざけ
ておこうと思っています。

常識的に考えればわかるように、性の世界なんて
典型的な煩悩の世界です。そのため譬えの道具として
の探索が最後まで手付かずで残った領域だとも思える
のです。もちろん宗教家がこの世界に近づくことは危険
だし、異端その他逸脱の誘惑はそこかしこにあったの
でしょう。

一方で「使えるものは何でも使う」貪欲さも彼らには
あったに違いないとも思うのです。方便という名目で
逸脱していくというのとはまた違う真摯さをもちながら
だと思います。

私は宗教家でもなんでもないし、またその資格がある
とも思えないのですが、私なりにイメージの世界への
興味は持ち続けています。

わからないなりに、植物原型やゲーテの思うところの
「永遠の女性」のイメージみたいなものを自分なりに
追っかけてみたいと思っています。

日本語では聖と性と生が同じ「せい」という音節です。
そのあたりに昔から不思議さを感じております。

セイレーンの歌声に耳をそばだてながら私もまた
魔界の渦に飲まれていくのでしょうか?

精神世界本の棚に近づかないワケ

「ここ」を読む人には意外なことかもしれないけど、
図書館や書店ではほとんど精神世界本の棚には近づかない。
立ち込める雰囲気もどちらかというと苦手だ。

「聖なるもの」に対する憧れは心の底にきっとあるような気がする
のだけど、なるだけ自分の道を進みたいような気がするのだ。
たとえ、それが獣道ではあってもね。

桜島ユースホステル時代の相棒が「自分はカレールーはほとんど
買わない。香辛料から調合していくのが好き。」と言ったことがある。
相棒は料理がとても好きだった。

なぜかこの言葉聞いたとき、精神世界本のことを思い出した。
書店で売られている精神世界本がスーパーで売られている
カレールーみたいにみえたのだった。

そして、自分の欲望としても、香辛料から調合したいと思うのだった。

またしても本で読んだ読みかじりの知識だけど、
大蔵経にはお経ができた当時のインドの百科事典的な知識が
ちりばめられているという風なことを読んだことがある。

大蔵経は縁遠いけど、新約聖書にも譬えはふんだんに使われている。

裏を返せば、そういった身の回りの事物から始まって、当時手に
入るかぎりの具体的な事例を使い倒しながら抽象的な宗教的真理
みたいなものを見出していったのではなかろうかと想像したりするのだ。

果たしてそんな離れ業的なことが私ごときにできるのかどうかは
さておくとして、「なるだけ自分なりにこの世界について思い巡らして
みたい」と思う人は中にはいるのではないかと思う。

かといってまったく宗教的な読みものは手にしないというほどでもなく、
図書館いったときに宗教書の棚に行ったり、井筒俊彦の本を手にした
りする。それもまあ自分なりにしか読めていないことは重々承知なのだ
けど。

あまりこてこての匂いが移るのも嫌なので読みすぎないように注意も
しながらですね。

「巨人の肩に乗る」というのももちろん大切なことですけど乗ったつもり
でずり落ちているということもまたよくありがちなことだと思うのです。

そんなこといいはじめると何も読めなくなるのかもしれませんが、
近況はそんなところです。なんだかんだいってそのときどき読んだ
本から影響されていますね、私って。

2012年12月14日金曜日

他人との間合いについて

昔は一目ぼれが多かった。

月日はたち、今は相手の魅力に引き込まれるのに
抗うことが多くなった。

他人と距離を狭めようと努力するのではなく、
他人との距離を隔て、淡い関係に抑えようと努力する
ようになってどのくらい経つのだろう。

その間、きっといろんな人との出会いが、そして学び
があった。出会うのが早すぎて失敗した関係、そして
淡い関係の心地よさを学ばせてくれる人、等々があった。

今は相手はどのくらいの距離をもつことを願い、
そして、自分はどのくらいの距離をもつことを願い、
その両方をどう折り合わせながら関係をもつことに
しようかとかなり意識的に考えながら、まわりの人と
やりとりすることが多くなった。

その結果、なんとなく孤影が少し濃くなってきた。
人間嫌いというよりも、むしろさびしがり屋なのだけど、
あまりにも意識的に人間関係を設定すると
ひとりひとりとどうしても遠くなる。

その場その場は濃密だけど、
糸は細く、切れてしまいがちで、
ときには残酷な人間にさえみえてしまう
のかもしれない。

人間を大切にする、このことが一番よく
わかっていない。というか錯綜する人間関係の
中で「人間を大切にする」というのはどういうこと
なのかしっくりわかるのは難しい。

日本人は間の文化を育ててきた。
その厚みを考えるとき自分の歳と経験くらいでは
そのことについてしっくりわかるというのが
そもそも難しいのかもしれない。

コミュニケーションは基本的であり、
日常の場面だけど、奥には奥がある
そんな感じがしてならない。

P.S 昔は性別関係なくこのヒト魅力的と感じると
「オチカヅキニナリタイ」という欲望が強くなって
距離を縮める画策をすることが多かったのですが、
準備の整わないうちに出会うのはいい出会いに
ならなかったり、逆に濃密な関係には濃密な関係
なりの難しさがあったりしたり、
いろいろ自分なりに学んだわけですね。

2012年12月13日木曜日

ラグーナ農園での収穫 たぶんはじめての畑体験

いつもお世話になっている自立訓練施設サポートネットラグーナ
がらみで、たぶんはじめての畑体験をしてきました。

私は鹿児島市内、鹿児島駅周辺に住む街の子で畑というものに
ほとんど縁のない暮らしをずっとしてきました。

ラグーナ農園と書いたのですが、実は鹿児島市郊外にある
橋口農園というところに小さな畑を借りているそうなのです。
http://hashiguchi.me/pineapple1/

鹿児島中央駅のほうから車で約30分ぐらいのところにあります。
本当にちょっと足を伸ばしさえすれば、自然の趣豊かなところが
あるのですね。

今日の午後行ってきたのですが、最初は半日、汗にまみれるの
かーなどと戦々恐々としていたのですが、さにあらず。

一時間もしないうちに収穫できてしまいました。

カブ、ダイコン、ニンジン、チンゲンサイ、ホウレンソウ、ナガネギ
などなど、、、

ほくほくした土の感じ、力をほとんどかけることなく、ダイコンが
地面から抜ける感じ、新鮮でした。癒されました。

話はまた80年代に飛びます。
そのころはバイオテクノロジーが喧伝されて、ニュースに組織培養
の三角フラスコなどがテレビで映されたりして、そういうイメージに
あこがれたりして、組織培養をしている研究室に進みました。

クリーンですがまったく土とは遠い世界。
回転培養機に巨大ランプという感じの世界でした。

そこでランの組織培養やら培養細胞の凍結保存の実験をする毎日
でした。

植物学については全体的に一通り学べたのですが、農学部ではなく、
理学部だったので畑仕事というのがほとんどありませんでした。

そんな感じで、植物学については一通り学んだはずなのですが、
なんとなく、実践に疎いというか農家の人が作物について経験の中で
学んでいく常識といったものにまったく無知でした。

そこがなんとなく自分の中でも足りないなと薄っすらとながら思い続けて
いたのです。

大学院終了して、病気が発病して鹿児島帰ってきて、かなりしばらくの
間、植物関係の縁は切れていました。

ここ最近もリウマチのためなどに山歩きもできない状態で別の意味で
植物とはまた縁が切れかけてはいるのですが、今日は久々に古い
友人に会ったような感じの日でした。

当たり前の話ですが、八百屋やスーパーで売られている野菜と違って
野良の野菜はいきいきしてますね。

そういう至極当然のことも新鮮なことでした。

植物と一口に言っても、草花などばかりでなく、樹木の世界あり、しだあり
こけあり、また別世界である海藻の世界あり、単細胞や原核生物まである
というわけで植物の世界はむちゃくちゃ広いのです。

植物知ってますといったところで名前すらすべて覚えられない状態で
その広い世界の隅のことをちょこちょこっと学生時代に齧った程度の
ことなのです。

そういう私なのですが、今日はちょっとだけ幸せな半日でした。

2012年12月12日水曜日

多様な背景の人を受け入れることが可能になったこと CGの効用について

昔書いた文章、

CGで絵の深みを表現できるのか?

http://epimbi-madrigal.blogspot.jp/2012/04/cg.html

という文章に読み手が現れたのでその中の文章を
補足したいです。

私は美術の授業は高校の正規の授業どまりで
特に美術部とかに所属していたわけではなかったの
でデッサンとかの基礎的な訓練はほとんど受けていないです。

ただ、高校のときの美術の先生は西健吉という先生で
先生の授業中に喋られた言葉、正確には思い出せない
のですが、、、

「余白の白をわざと残すこと」

「自分の中にある病理を大事にすること」

この二つは今も覚えています。

で「自分の中にある病理を大事にすること」という言葉の
意味は高校時代の私にはまったく謎で、謎の言葉として
残りました。今日は時間がないのでまたこの言葉の意味は
宿題に残させてもらいます。


年賀状などで自分なりの勝手な絵をかくことは好きでしたが、
油絵、その他大人になってから書くこともなく、美術の世界は
かなり遠かったです。

大学時代まで関心があったのは生物学で、そっち方面の道
が絶たれてしまったかのように思われた、大学院卒業後は
心理学に興味が移りました。

鹿児島のカフェギャラリーに友達に連れられていったのが
きっかけで美術への興味が少し戻りはじめました。

でも、セカンドライフという場がなかったら自分であれこれ
何か作り始めることはなかったと思います。

セカンドライフはblenderなどと比べると全然使いやすい
3DCG作成機能がついています。簡便なのです。

逆にその簡便さが物足りないという人も多かろうと思うの
ですが、私はネット上でかじったミニマリズムという概念と
相性がいいように思い、素朴さを生かしながら何かつくれ
ないものかと模索しはじめました。

積み木方式のプリムによるものづくりは記号的な感じが
します。いわば活字の背後に深さを感じられるような表現
はだせないのだろうかなどという野心がもたげてくるのです。

それ自体が活字ににている言語表現の深みは井筒俊彦
によると表現の重層性なのだといいます。

表現のレベルがいくつかの層に分かれているのだと。
表面に現れてるレベル、背景に隠されているレベルなど
などです。

そういったことはセカンドライフ上の簡素な表現の中にも
込められるはずなのですが、未だうまくいったことはなく
模索中です。

むしろ、何か無意識に動かされるかのようにして、つくり
たいものを無心につくるとき、そういったものは意図しない
形でこめられ、作品を見るときに作品から感じられる雰囲気
として立ち上がってくるのでしょう。

そういえば列車や機械の顔に興味をもったことがあります。
果たすべき機能とは別なのですが機械も愛されなくはなり
ません。愛着をもってもらわないことには長いこと世の中に
留まることはかなわないのです。そういう要請の中から自然
に機械も顔をもつようになったのではないかと思うのです。

今の人の感覚ではレトロな機械そのものに人間的な温かみ
を感じるみたいですね。もしかしたら日本人特有のアニミズム
的な優しさかもしれず、そういう感覚は大事にしたいところです。

そういうわけで機械にさえ、日本人は感情移入します。
だから今は冷たさを感じるかもしれないCGという媒体にもその
うち愛着を見出すのではないかとも思うのです。これは相対的
な問題です。

ターミネーターの一作目では恐怖の対象だったT800ですが、
流体金属性の新世代T1000が登場すると愛着の対象になりました
そうい目でみれば今のCGも時代が変われば人間性みたいなもの
を感じるのかもしれないと思います。


などと私は思ったりするわけですが、技術的には稚拙どまりかも
しれないけれど、いろんな人の思いを受け入れるCGは懐が深いとも
いえると思います。

数学にしろ、コンピュータ言語にしろ入門自体は優しく、その人の
器量に応じたその人なりの使い方をすればそれでいいのだと私は
思います。最先端を目指せばそれこそオリンピックみたいな世界に
なってしまうのでしょうけど、競技と考える立場もあるかもしれません
けど、自己表現の媒体と考える立場もあるかと思うのです。

英会話では中学英語が案外役に立つように、生活の中に生かすとい
う立場に立てば数学にしろ、コンピュータ言語にしろ、自分に苦痛を
与えない範囲で使うということもできると思うのです。

CGもそんな感じでつかっています。

表現の世界の多様性を私は信じます。ちょっとした手料理をつくる感覚
でやればいいのではないでしょうか。

ものを発信することの意味、責任

ものを発信することにまつわる責任という意味がいまだにわからない。

たとえて言うと出火原因としての私ということあり、ことによると火消し
をしないといけないということでもあり、山火事状態になったらもはや
消すことができないということなのかもしれない。

「それでも発信しますか?」

「覚悟はできていますか?」

と私自身が問われている。


個人にとっての発信手段の発見というのはいわば

「北京原人にとっての火の発見」

と相似のものかもしれない。


この譬でいうと私は火の意味がまだわかっていない段階に相当する。
火の恩恵も
火の恐怖も
未だ味わっていない。

低いレベルなりに火をあつかえる段階にあるので
火の面白さを自分なりにいろいろ試しているような
感じだと思う。

「メディア遊び」という便利が概念があるみたいだけど、
その意味は全然わからない。

メディア遊びという用語を頼りにしながら、
自分なりにその言葉の意味を探っていくことにしよう。

慈悲(恩恵)と恐怖といえばカミの二面性そのものだ。
私の居住する鹿児島でいえば上野原遺跡と関係のありそうな
ヒノカミみたいなものに相当する。

先日『上野原縄文の森』に行ってきて、体験学習で
「まいぎり」による火おこしで遊んできた。

縄文時代にはまいぎりはなかったそうだけど、
興味深い道具だった。

メディア遊びに関連させてみると
「まいぎり」はアマチュア無線ぐらいに相当するのかもしれない。

今はマッチで火を起こせる段階。子供でも使える。

でも、火の使いこなしという意味合いではどうだろう。

多くの人はメディア発信を怖がっている。

大きな流れでみれば火は使うべきだったように
メディアも使うべきだと思う。

大けがしない程度のリスクを背負いながらだけど。

火の譬でいうと、
メディアの場合は
まわりに「大人」がいないということなのだろう。

火の恩恵も恐怖もそれなりに経験の中で知っている大人。

いわば今、情報発信をしている個人は
火を使い始めた第一世代ということになるのかもしれない。

まわりの人の起こした失敗情報をかきあつめながら
自分なりの失敗学、ないし失敗哲学を構築しながら
火という新しい道具と向き合っている状態。

火は自分と向き合う鏡みたいな存在でもあるかも
しれない。メディア遊びを通して自分なりの
使いこなしを考えている。


案外、今が一番楽しい古き良き時代なのかもしれない。

状況を共有すること 『メタバース概論』(第二回)感想その2

先日の『メタバース概論』(第二回)の中の打ち込み、


Setsuna Infinity: 皆さんも少しそうかもしれないと思うのだけど その場(RLの自室等、生活の一部)にいながらにして【仮想空間】を【共有空間として認識できる】のはすごい技術ですよね。。


これについて自分なりに考えてみたいと思います。
前から仮想空間の意味についてわからないことがありました。
空間表現の意味です。単なる背景であり、演出の一つに過ぎないのかと。

雨が降らず、ものを食べることもできず、形と機能は一致しないことの多い仮想世界
での空間表現の意味です。

美的意味、構造の説明、、、まあいろいろあると思うのですが、
一つは場の状況を表現していると思います。

共有された場の性質、あるいは意味を限定する働きです。

典型的には結婚式場、テレビのスタジオ、舞台などですね。

そこは何をする場なのか、どんなことが話されるべきなのかを限定したり、
拡張したりする機能を空間表現はもっていると思います。


拡張という用語を使ったのでこれについて考えてみたいと思います。

典型的なのはラジオの現場ですよね。現実世界のラジオの現場は客席のお客さん
は無言で舞台の上のやりとりを視聴しているわけですね。

でも、セカンドライフ上のラジオの現場では、DJさんがものを言うのに対して、
客席ではリアクションとしてチャットで書き込んだりします。それがフィードバックに
なって現実のラジオでは起こらないかもしれない発信者と客席の一体感みたいな
ものが起こるのかもしれません。これもある意味、小さな場だから可能なことでは
あるかもしれませんが、実験的な試みがいろいろ起こりそうな楽しい現場です。

私は行動圏狭いのでよくわからないのですが、仮想世界上のCafeも拡張の現場
になりそうな感じがします。

ラジオにしてもCafeにしても現実世界から制度が移入したものだと思うのですが、
仮想世界という文脈の中で新たな機能がついたり、意味合いが少しずつずれて
きたり、意識的に現実空間での対応物と意味をずらしていったりとかあると思い
ます。

セカンドライフ内の空間表現は一種のアートであり、用途をもたない、
そういう解釈も可能だと思います。

でも、用途をもたないはずの表現もある文脈の中では機能をもってしまう
ことも確かなことで、そういうことについてきちんと意識化し、言語化して共有
することは大事だと思います。

表現って一般に表現者本人の中で完結するものではなく、社会に放たれた
途端に一人歩きしはじめ、だれかに受け取られます。

いわば領収証としてどう受け取ったかも言語化してみると面白いと思うの
ですね。

それは『メタバース概論』の授業一つにしてもそうであって、月日が経ってしまうと

それはどういうものであったのかということもだんだん曖昧になってきます。

一票、投票するような気分で感想を書くことに意味はあると思うのですが、
同時に記録として残ってしまうことに責任も感じてしまいます。

まあ、それは表現というものはひとたび発信されたら一人歩きしてしまう
ということにまつわる宿命みたいなもので、この文章すらも発信されてしまう
と同じ運命をたどります。お互い様なのです。

せいぜい皆さん発信者としての責任をもちましょうということなのかもしれません
けど、私にも意味のわかっていない言葉であって、これからその意味をかみしめ
なくてはいけない思いをたくさん味わうのかもしれません。

覚悟しないといけないのは私自身なのかも。

2012年12月10日月曜日

2012年 デジアカ メタバース概論(三淵啓自先生) 第二回 感想

だらだらとメモ風に思ったことを書いていきます。

まず、一つ悩むことはセカンドライフの中の人向けに書くか外の人
向けに書くかなのですが、両方の目を一応は意識しながら、でも
一から説明するのは私の能力を超えているので、雰囲気だけでも
伝わればいいくらいの感じで書いていこうと思います。

デジアカというのはセカンドライフの中の学校のような施設です。
http://digiaka.dhsl.jp/
詳しくはここをどうぞ。

夕べ(2012.12.09)の23:時-24時までセカンドライフ内のデジアカの講義室で
メタバース概論という講義がありました。二回目の授業だったのですが、
一回目は残念ながら欠席しました。

講義の形式はアバター名In Yanこと三淵先生が音声で生で講義しながら、
参加者はめいめいチャットでいいたいことを打ち込んでいって、面白いもの
は三淵先生が取り上げて答えながら対話的に授業を進めていくというやり
方でした。

興がのってくると流れるようにチャットが進んでいくので取り上げる三淵先生
のほうは苦労されていたのではないかと思いました。

私はその場では非常に興味深く傾聴していたのですが、何せ病気をもつ人間
の悲しさで、曖昧にしか記憶は残りません。でも確かに無意識の中には残って
いて肥やしにはなっているだろうと思います。そうなのでチャットのログ読みながら
引っかかった書き込みや自分の書いた書き込みなどを参考に感想のようなもの
を書いていこうと思います。


>メディアが進化しても人間関係は変わらずある種の古さを引きづっていくのか、
新しいメディアを土台にしながら人間関係自体が変わっていくのか個人的には気に
なります。

と私は授業の最初のほうに打ち込んだのですが、ちょっと補足します。
阿部謹也というもう亡くなられた社会史の研究者がいるのですが、その方は世間論に
ついていろいろ書かれています。日本は西欧から民主主義制度、会社制度、教育制度
など明治時代に移入したのだけど、人間関係は近代化されず、江戸時代以来の古い
やり方が残ったというのです。その結果、資本主義、社会、その他西欧と同じ用語を
使いながら内実が違い日本的な要素を色濃くもつものが生まれたというのです。

セカンドライフという新しい道具を使いながら、周りの人の話やSNSなどの書き込みみ
ていてもそのことを思い出すのです。印象に残るのはひそひそ話など世間的な色合い
の濃いじめじめした人間関係です。出る杭は打たれる、ウチとソト、上下関係等々日本
ではお決まりの型です。

facebook上で三淵先生とやりとりした中で印象に残る言葉の一つとして
「道具の進化に人間が追い付いていない」という言葉があります。感情的な誹謗中傷
そのあたりのことと関連したお話の中だったのかもしれません。


一方、道具の進化が土台になって人間関係も変わっていく場面も確かにあります。
実名も知らない人とのネット上での共同作業によってデジタル表現を作り上げていく
というような場面です。

私は手話のジェスチャーをアニメーションで作り上げて、当事者の方にセカンドライフ
上で見てもらって、調整を続けながら、より正しい動きをつくっていくという共同作業を
したことがあります。こういった仮想上の協業は未来社会の就業形態の足場になるの
ではないかという予感をもちました。

お金がまったく動かないか、動いたとしても少額のお金なのかどちらかなのですが、
ある種の実験であり、さまざまな人々の実験的な試みの上に何か実際的に機能する
ものができあがっていくのではないかと思いました。まあ、こういったことはセカンドライフ
上ではよくあることで、セカンドライフの中の人にとっては珍しくもなんともないことなの
でしょうけど、外の人には未知のことなのかもしれないので書いてみました。


セカンドライフとは関係ないのですが、人間関係の進化に関わる要素として心理学の
知識の大衆化があげられます。転移-逆転移をはじめとして臨床心理学の用語は人間
関係を整理分析する概念にあふれています。

メタバース概論でもペルソナというユング心理学由来の用語が出てきましたけど、
臨床心理学のある学派に属するかしないかに関わらず、用語自体は便利なので学派
の外でも使われる傾向にあると思います。

その傾向はこれからも広がり、対人距離の間合いの取り方などと関係をもつようになる
と思います。「スープの冷めない距離」「冷え冷えとした温かさ」臨床心理の世界には
ほどよい距離を保つための便利な言葉が結構あります。

セカンドライフ内でも人間関係はそれなりに成熟しているように思うので、間合いの進化
というのはこれからも注目したいところです。

ちょっとつかれたのでいったん切ります。また何か書きたくなったら書いてみます。

P.S 日本的なじめじめした人間関係というのはセカンドライフ全体から匂ってくる
ものではありません。成熟した人間関係を感じることがむしろ多いです。でも時々
そういう匂いが漂ってくる場面もあるようなのです。

P.S2 心理学の世界も人間関係の進化に寄与するばかりといえず、じめじめした
感じはまとわりつくのかもしれません。西欧文化と日本文化のアマルガムという
実態はどこまでもぬぐえないのかもしれず、むしろその中に生きる宿命に私たち
はあるのかもしれません。

2012年12月9日日曜日

ネット上でみつけたいきもの会の部室の写真 (市村さんありがと!)

広島時代85年ー92年3月まで
広島大学 いきもの会というサークルに所属していた。
(でもここではえぴさんと呼んでね)

部室の写真ネット上でみつけました。

http://4travel.jp/domestic/area/chugoku/hiroshima/hiroshima/heiwakinenkoen/travelogue/10222067/

市村さんという当時正体不明の存在感のとても濃いセンパイがいらっしゃって
その方のとられた写真みたいです。

あの時代とても懐かしいですが、病気の前で悲しいことにイマイチ記憶も淡くなり
一人ひとりの名前もあんまり想起できないかもしれません。今の私からすれば
前世のような時代です。

病気で自我が崩壊して、それまでのキャリアみたいなものもすべてオジャンになり、
またゼロから出発しなおさないといけないわけですが、基本的に好きなことばかり
やっていたので都市で譬えれば基礎部分は残っていたのかもしれません。

今の私も経済的に自立さえしていないので、大したことは何も言えませんが、
ただ一つ、あの頃とは違った感じの人間として復興はしているのかもしれません。

ホント原爆で都市が壊滅したほどの実感だったですけど、
時の流れはそれなりに癒しをもたらしてくれるものでもあります。

良くも悪くもそれぞれのひとがそれぞれの人生を巡っていったようにも思います。

隠岐の島ユースホステルのみんなで麻耶観光ホテルにとまった夜

第一次湾岸戦争の前後の頃のこと、私は何年かだけど毎年
原爆の日の頃は隠岐の島ユースホステルで過ごすことが習わし
となっていた。

といっても、常連ではない。そんなにキャラの立った客という
わけでもなかった。

ここのユースは『色即ぜねれいしょん』という映画のモデル地らしい
けども、私にとっては現実の隠岐の島ユースホステルの存在のほう
が大きい。

当時”ギュウニュウ”と呼ばれているヘルパーと”ウニ”と呼ばれている
ヘルパーがいて、なんだろう当時の自分の生活圏の中にはどうにも
いそうもないキャラの立った人たちだった。

その頃私が所属していた広島大学のいきもの会の面々自体がキャラ
の立つ強豪たちが多かったのでなんともすごい人たちだったと思う。

残念ながら病気の前の出来事であって、もはやぼんやりとしか覚えていない。

ギュウニュウとウニは私の生涯の中でも強く印象に残った人の一人で、
ああいう風になりたいと密かに思ったような気がする。

まあ、その後は森重久弥の出演していたらしい大昔の
『太陽の丘』というドラマとどこか微かながらつながっているかもしれない
桜島ユースホステルで数年ヘルパーしてみた。たぶん、ギュウニュウら
にあわなかったらそういう人生は廻らなかっただろう。

もっとも、私の存在感はそんなに大きくなかったので彼らの記憶の中に
私は残っていなかったろうと思う。

心にいつまでも灯をともしづづけるみんなで歌ったシャロムの歌、
美しい浄土ヶ浦の海の自然、お見送りで服のまま海に飛び込んだ思い出、
バカになって大声あげた”叫び”の余興、思い出深いことは多い。

あるとき召集がかかって、神戸の麻耶山にある麻耶観光ホテルに
隠岐の島ユースのみんなで泊まった。当時使われていない
半分廃墟化した場所だったけど、独特の雰囲気があり印象的な夜だった。

いつものようにかくし芸で小泉今日子の学園天国を歌ってふるまった。

いかりや長介のマネのうまかった子や”チバちゃん”とか今どうしている
ことだろう。

私は桜島ユースホステルでギュウニュウやウニとは違ったタイプのヘルパー
になった。

今はセカンドライフ上でEpimbiというキャラクターとして生きている。
別に演じてるつもりはないけど、構築されたものではあるかもしれない。

P.S シャロムの歌
https://www.youtube.com/watch?v=FL66P57NZY0

麻耶観光ホテル
http://www.geocities.jp/kashii_gannyuu/index.maya.htm.htm
私が「マヤカン」に泊まったのは合宿所として営業していた
最後の頃なのか、、、

隠岐の島ユースの旅
http://shikisoku.jp/podcast/

社会の中で活かされることを願っているのだろうか?

前の文章かきながら、私個人については社会の中で活かされる
ことを願っているのだろうか?となんとなく考えた。

やせ我慢かもしれないけれど、社会で認められることについての
欲望は希薄だった。それは俗っぽいし、そもそも私は認められる
に値することを何らしているわけでもないので。
でも、ニンゲンは動物だ。自分の内なる欲望に素直になっていくと
認められたいという欲望はきっとあるし、むしろそれを今まで抑圧
してきたのだという気がしないでもない。

そもそも、何か大きな業績をあげた人はメディアでとりあげられ、
社会から喝采を受ける。そうやって人々を社会の中に動員している
のかもしれないけれど、大きな喝采は人々の中の欲望として、
繰り返し刻み込まれている。

やせ我慢する人は大きな喝采をカルト的なものと感じ、背を向け、
”自分の人生”を生きようとする。

”自分の人生”の価値は極私的なものであり、ときに私秘的な匂い
を感じるものでさえあるので他人には理解されないかもしれない。
世俗的な価値とは真逆の方向、いわば心の奥底にある自分用の
祭壇みたいなものとどこかつながる何かかもしれない。

この方向をつきつめていくと自分カルトになりかねない。いわば
カルトに見立てた社会と背中あわせになっているひきこもった
自分カルトの世界。まあ、他人を引き込もうと思っていないだけ
マシなのではあるにしても。

そういった極私的な世界が背景にありながら、社会的なペルソナ
としていろいろものを書いてみたり、なにやら画像的なものを作って
みたりする。

自分用の祭壇というのは要は図書館とかで部品をあつめながら、
自分用のOSをつくりたいという欲望かもしれない。神なき時代を
生きる人間にとっても心の拠り所は必要みたいだ。多くの人がも
っているかもしれない心のスキマを埋めようとして多くはシステム化
されていそうな匂いのするさまざまなパッケージは開発されている。

でも、自分の欲望はそういうものを自作したいということかもしれない。
小乗仏教的に自分ひとりしか乗れないし使えないこの世界を渡るた
めの乗り物。ゼロから自作するわけにもいかないので図書館いって
あれこれ部品を調達する感じなのかもしれない。

乗り物のようなものかもしれないし、衣服のようなものを編んでいるの
かもしれないし、このblogがそうであるように自分の巣を構築している
のかもしれない。多様体という用語を使うのは不適当だと思うのだけど
イメージか言語の束をなにやらこしらえているのかもしれない。

図書館行って、そういう怪しげな、イメージや言葉の錬金術めいた何か
を密かにやり続けているのかもしれない。

私がちっぽけな存在で留まっているかぎり、社会にとっては無害だし、
単にちょっと変わった人の一人ということなのだろう。それでいいのだ
と思う。まあ、能力的にも知れてるし、歳もとったし、半減期すぎた
放射性廃棄物のように複雑なものを発散させながら、少しずつより
平凡で、安全性の高いなにかに置き換わりながら歳を重ねていく
のだろう。

森羅万象、全体と関わりたいけど自分の能力など知れている

別に知識自体、知識を所有していること自体に意味はないと思う。
これはテレビ近くの棚の中に百科事典があるのか、それとも
アタマの中にそれぞれの人なりの百科事典があるのかの違いに
すぎないと思う。

知識は利用してナンボのもの。ただし、調理法がわからないもの
が多い。

個人で使用でき、公開できるメディアが豊富なので、客にふるまう
場は確保されている。いわば各個人が屋台のブースをもらったよ
うな感じだと思う。

東南アジアの屋台って面白い。本で見ただけなのだけど。実際
行ってみたのは台湾の屋台。88年の春のこと。

屋台がずらっと軒を重ね、物価も安かったのでちょっとした
おこづかいくらいの金額で食べ歩きができた。

何年も経って思うのだけど、情報屋台ってないのかなと思う。
占いブースみたいな外観なのかもしれないけれど、それなりの
おこづかいくらいの金額でいろいろ情報遊びができるような屋台。

間取りは狭苦しいのだけど、コンビニの情報端末みたいな感じも
して高機能。そういうところにそれぞれの人によって編集された
百科事典的な知識が裏付けとしてあっていろいろ楽しませてくれる。

ちょっと怪しいし、危うい感じもするのだけど、占いとか心理療法とか
自己開発セミナーとかその手のものが大衆化してまぜこぜになって
それぞれの人の趣向によって情報屋台で怪しい芸が楽しめる、
たぶんある程度の安全性とある程度の危険な匂いが絡み合う感じ
がたまらない魅力になるのかもしれない。

大学発の知識が流れ流れて、零落していって場末に集積しはじめる
そんな予感がある。「ニューロマンサー」の登場人物のフィンの店の
ような佇まいの。

いろんなところで退職したオジサンがボランティアの解説員になって
蓄積した知識をあれこれ披露してくれたり、とかなんとなく情報屋台
の先触れだと思う。

各地の起業支援のインキュベーションブースも情報屋台の先触れ
だと思う。ただし、交流性に欠けている。気軽にぶらっと訪れる感覚
にはなかなか至らない。

一か八かのリスクを背負って起業する勇気はなかなかもてないから
もうちょっとゆるい環境の踊り場的な場、潮溜まり的な場があると
助かる。あまりお金にはならなかったり、むしろそれなりのお金を
投入しなくてはならなかったりする場になるかもしれないけれど、
それなりの情報と経験値が稼げる場、そういう場は重宝だ。

表題とはかなりずれたので話題を戻したい。

森羅万象の知識、それはその所有自体を誇るべきものではなく、
ましては見せつけたり、力比べをしたりするものではなく、一種の
食材としてアタマの中の冷蔵庫の中に入っているものだと考える。

むしろ大事なのは料理をつくること。お客さんが喜ぶこと。感心さ
せることでは決してなく、、、

どういう風に調理をすれば食べやすくなるのか、乾物のような無味
乾燥な知識はどう水に戻せばいいのか、そんなことに知恵を砕き
ノウハウを蓄える。

あと、個人の能力の問題。南方熊楠でもなんでもない一個人なので
アタマの容量など知れている。歳とともに覚えられなくなるし。まさに
たかが、なのであるけれど、されどの部分もある。たまに実際その
知識はなんらかの意味で自分以外の誰かにとって意味をもつから
だ。なんらかの意味で役立ててもらって初めて自分の知識は活きる。

そもそも知識は個人でもつものではないと思う。人と人の間にある
のではないかと思うことが多い。十分でなく、それなりの知識では
あっても吐き出し口の一つ、受け入れ口の一つにはなりうると思う。
下手の横好きがたたって私の植物に関する知識など非常に薄いの
だけど、聞き手の一人にはなっていると思う。主役だけでは劇は
なりたたない。脇役の一人になるのもいいのではないかと思う。

インターネットの時代、モノシリになっても仕方がない。検索すれば
いいんだし、と思う人も多かろうと思う。でも検索するにも知識は必要
だ。”検索するにも知識は必要”という風な、単語による検索ではなく、
文字列による検索を効果的にするには豊かな知識は必須だと思う。ただ、
私個人についてはモノシリという程でもないし、豊かな知識をもっている
とも必ずしも思わない。ただ、世の中いろんな種類の人間が必要とされ
ていることだけは心に留めてほしい。

何かを検索するというよりも、文章を書く段階ではある程度血肉になった
知識でしか表現することができない。そうでないと”洋服”が歩いている感じ
と似たことが起こる。借り物の知識は借り物の知識でしかないし、第一本人
が心細いものだと思う。

2012年12月7日金曜日

伝えること 伝わること

いまだにblog書いていて、書いたことが何になっているのかわからない。
そもそもblog今書いている動機、意識にあがっているもの、意識にあが
っていない隠れた動機、いろいろわからない。

半ば妄想化(あくまでも軽い意味で考えてね)しているような非現実的
な欲望その他なにかあるのかもしれない。

広告も含めて、世間で行われている情報発信行為、発信の結果なに
が効果として起こっているのか測定したり、理解したりすることは難しい
らしい。

文章なども発信しても、読み手によってどこを読むか、どの点が印象に
のこるかも各自それぞれらしい。発信されたものは宿命として独り歩き
してしまう。子供が親から切り離されるように、作ったものは作り手から
切り離される。

何人のひとに届いたのかわかりもしない、ネットの海に流された瓶入り
の手紙たぶんそんな感じなのだ。

流しびなのように、いろんな思いを込めながら、一つ一つ文章作って
流していく、どこに漂着するのやら知る由もない。

伝えたいことは、私のような感じのニンゲンが日々何を感じ、何を思っ
ているのか伝えたい、そういう単純なことだ。

私のようなと書いてみても、いろんな意味でマージナルな存在のよう
な感じがしてうまく言葉がみつからない。時代の過渡期にあたるので
多かれ少なかれ誰もがマージナルな影をもっているのかもしれない。


文章書くとあまりにも多くのことが伝わってしまうので怖いので書きたく
ないという人も多いらしい。私はバカなのでそのへんのリスクに鈍感
なのかもしれない。たぶんあとで後悔したりするかもしれない。
幸より禍を運んできそうな感じはなんとなくする。それでも書きたい
気持ちがある。今日の文章、全体的にあいまいで何がいいたいの
かあまり伝わっていないことだろう。なんとなく、自分の中でわいて
くるイメージをそのまま言葉にしているのでそうなのかもしれない。

blog全体としてはある程度まとまった量になりつつある。これだけの
文章、全部計算して、こういう風に見えるようにしよう、写るようにし
ようとするのはできないし、そういうつもりもない。つたわってしまった
ものが自分なのだと思う。そうはいっても赤裸々にすべてを裸にして
見せているというものでもない。あくまで社会に見せているペルソナ
として書き出している。それでも本人の意図を越えていろんなものが
きっと漏れ出していることだろう。

たぶん漏れ出した部分をまとめて、提示されたらそれこそ逃げ出したく
なると思う。そういう部分もあって、ひっそりとしたblogという形態に
安心を見出している。

作品というよりは資料としてのblogを目指している。なんらかの資料
といっても目的がないので何にもなりえぬかもしれないけど、私という
窓からみたこの世界という感じなのかもしれない。

外の世界というよりも、内なる世界のように目は向いているのかも
しれないけれど、、、、

2012年12月5日水曜日

荒唐無稽な空想に耽溺すること

長らくblog書いていると本人の事情とは関係なく、書かれたものが
積みあがってくる。全体としてどんな匂いを発散させているのか
ちょっとだけ気になる。

支離滅裂で荒唐無稽、客観的にみるとそんなところだろう。
そういうガラクタを書き連ねて何か得るところはあったのだろうか?

ガラクタなりに日々ものを考えている。下手な考え休むに似たりという
格言は一応知っているけど、もうかれこれ長い間そういう生き方してた
ので今更変えられない。

心身ともにガラクタに日々なっていくのを感じる。リウマチのほうも、
朝なんとなく指にこわばりを感じるようになりはじめた。

たかがワタシごときなのだ。されどの部分もあるのかもしれないけれど、
今日はそっちはどうでもいい。

いい感じで歳を重ねていきたいなどと、昨日は書いていたけど、
早くも一日でいろが褪せてくる。みすぼらしさはいかんともしがたい。

たぶん空想にふけることはそういうみすぼらしさをひとときでも忘れる
ためなのかもしれない。

今日は来年の干支の絵を画塾で描いていた。技術はないけど、
手づくりっぽいのができた。そのあたりが身の丈なのだろう。

今日はだらだらなりそうなのでこのへんで。

P.S 荒唐無稽、論理的ではなくても、それなりに新奇なアイデアが
ちりばめられているのならそれでもよかろう。でも、想像力がそんな
に自由ではないのはよく知っている。歳をとり、幻想の霧が晴れ、
みすぼらしい自分の姿が自分にうつる。夢から覚めたというのは
いいのだけど、夢さえも取られたら何もあとには残らない。

2012年12月4日火曜日

極小と極大は響きあっている、かといって短絡ではなく

精神病者ってセカイ系なのだろうか?
むしろセカイ系は精神病者の心象をモデルにしている
のではないだろうか?

戦隊ものって世界征服を企む悪の組織がなぜかしらない
けど、幼稚園に乱入する、そういうイメージがある。

といっても私、ゴレンジャーで卒業した原初的で平凡な
タイプなのでマニアックな世界はわかりません。

セカイ系のばかばかしさってまったく相似なものだと
思う。短絡した感じの。

でも、強弁かもしれないけれど、極小と極大は響きあっている
と思う。中間項を飛ばしていいというわけではないけれど、
極小なものは極大なものと関係ない、無縁な存在だともいえない。

こじつけかもしれないけれど、なぜか三角形と円との関係を
思い出してしまう。中学校の幾何で習ったような感じの。

内接円とか外接円とかいうやつ。円周角その他。

三角形という角の少ない存在と円という角の多い存在と
の不思議な結びつき。

対極的な存在であるはずのものが美しい関係で結びついている。

まあ、こういうこと書いても詭弁にすぎないし、何の説得にも
ならないのだけど、塵の中の仏という比喩を自分なりにイメージ
するとそんな感じなのだ。華厳経の中の比喩だけど。

実際のところはていよく下々の民草を国家システムに動員する
ための方便なのかもしれないけれど。

家族国家論とかフラクタルとかそういう目でみると響きあってくる。

グローバルなものの中に自分を位置づけるといっても単に
北朝鮮やら創価学会でよくやるマスゲームの中のどのへんに
自分がいるという位置確認をしているだけなのかもしれない。

あれは人間の集団でつくった地図、彼らなりの社会というものの
模型なのかもしれない。ある意味、彼らなりに考えた人間という
ものの根源的な欲望、あるいは幸福のカタチというか。

家族国家論、ハチの巣としての人間集団の一員の中に自分を
溶解させる快楽、すべてのものと溶け合いたいという根源的欲望。

一人の羊飼いにすべてのものが引き連れられて湖に突入する。
なんだか恐ろしいイメージだ。そういう業が多分ひとりひとりの中に
封印されたまま眠っている。だからこそ宗教があるいは洗脳が
恐ろしい。

一人のひとに惹きつけられる、魅惑される、それはローカルな
小さな恋の物語のひとこまなのかもしれない。でも、どこかで
すべてのものの救済あるいは破滅という神話的な話とも地続き
なのかもしれない。

一人ひとりの存在はモナドのような極性をもった砂粒。それは
砂鉄でつくった磁力線のもう一つのペルソナに違いない。

とまあ、とりとめもなくわけのわからないことをまた書いてしまった。
自分でも書いたことの意味がよくわかっているわけではない。

P.S 華厳経といっても解説の一部を読んだにすぎません。
図書館で大蔵経借り出して読んだこともあるけど、冗長でよめた
ものではありません。国家システムなど個人と宇宙をつなぐ中間項
と関係深そうなお経のように思います。個人にとっては国家自体が
想像の彼方にあるロマンチックな存在なのかもしれませんが。

10人に一人くらいは素因をもっているらしい

どこかできいた曖昧な話にすぎないけど、10人にひとりくらい
は精神病の素因をもっているらしい。

そのうちの一人が何かの出来事などがトリガーになって精神病
が発現する。荒いモデルだけど、なんとなくそういう風な感じで
とらえている。

がんにかかわる遺伝子が生命に深く食い込んでいて排除できな
いのと同様、精神病にかかわる遺伝子も神経というものの成り立ち
に深く食い込んでいるのかもしれない。

気分の上下、直観、ひらめくこと、創造性、その他なんとなく関係あり
そうなテーマは多い。毒と薬は紙一重ともいうし。

S親和者という用語がある。統合失調症の親和者と言い換えても
いいのかもしれない。時代先取り的などと本には書かれている。

そこに現在では検索が絡む。

先取り的なキーワードを思いつき検索にかけてみると、少数ながら
モヤモヤを言語化したテクストが得られることが多い。

自然とそうやって寄せ集められたテクスト群はデータベース状態に
なって手元で束ねられる。

その結果現実がわからないくなる。まあ、前の世代の「現実」といった
ってメディア体験の束なのかもしれないけれど、歪みかたはますます
大きくなる傾向にはあるのだろう。

精神病は軽症化したとは言うけれど、同時に複雑化、迷宮化も進んで
いるだろう。

迷宮化した人が出会い、合わせ鏡のように関係の迷宮を形作る。
本人も相手もましては第三者もわかりようのない心の迷宮。

ポーカーのようにすべての札は相手には開示していない。そういう
もの同士の関係なので人間関係というのは根本的に謎めいている。

仮面舞踏会のようにそういうものたちがそういう関係を形作るのが
社会というものだと思う。

心の闇は自分は少なくとも知っている。暗い部分が謎めいて映り
外目には魅力の一つにさえなっているのかもしれない。

謎は明かされないからこその花。

OZだってみすぼらしい手品師のオジサンだったように。
この世界全体が能面のようにも見えて、時に神秘的に、
時に唯物的に映っている、けど、種も仕掛けもあるインチキ
なものの束のように最近は思うことが多い。

全知全能と下の世界からは仰々しくみえるけど、
しがないおじさんのようにも見える。

千石イエスだっけ、そんなおじさんいたよね。

ちょっとした実験室でしがないおじさんが試験管ふってる。
外からみると宇宙ってそんなものかもしれない。

単なるファンタジーだけどね。

オジサン オジサマ オバサン オバサマ

46歳の誕生日。
40代も後半に入り、名残惜しくはあるけど、いい感じで歳を重ねて
いければいいなあと思う。

自分の周りにはオジサマに相当する人も、オバサマに相当する人も
いたので、そんな感じに歳をとっていけたらいいなあと憧れるのだけ
ど、どうも、オジサンどまりだと思う。それでいいのだと思う。

自分は後の世代にとってのモデルになりたいと思うほどの野心はも
っていない。最初からその資格に欠けていると思う。

モデルにはなりえぬけれど、踏み跡にはなりたい。それがより古い
時代を知っているものの矜持だと思う。

自分の姿は答えではない。答えまでたどりついていないから。
でもヒントくらいにはなりたい。一つの生き方の可能性として。
それも一つの生き方ともしいえるのなら。

正しい道から逸脱させる誘惑者にはなりたくない。でも、その正しい道
ってなんなの?という感じがいつもする。伝統的なルートはほころび、
老朽化し、その道を進むのが正しい選択なのかどうか、もはやわからない。

一方で新しいルートは整備されていない。手さぐりのまま、獣道をあるいて
いる感じの人も多いのかもしれない。

私は具体的なことが書けない。モデルになりうるような現代の英雄じゃない
から。むしろ、私の文章なんか読んでいてホントにいいの?と読者にたいし
て心配する。客観的にみて私は漂流者だと思う。時代の漂流者。

思いっきり未熟な存在であり、オジサンと呼ばれるまでにも至っていないの
かもしれない。大きなコドモ状態。でも、それが真実の鏡に映る自分の姿な
ら引き受けるしかない。そこと向き合うことから始めなくては、、、

Cymbiの青キ心というブログの題にふさわしく、いつまでたってもオトナになれ
ず、青キ心をひきづっていくのかもしれない。遺伝からくる、病気の発生と関係
する素因によるものなのか、病気によって普通の大人なら一通り味わえる経
験から疎外された結果なのか知らない。

そういうものを全部ひっくるめた存在としてワタシが成り立っている。そして、
不思議なことにそういう自分を嫌うのではなく、ナルシステックに魅力すら感
じているアキレたヒトである。

言い訳をいえば、自分にだけでなく、いろんなヒト、いろんな存在に興味が
ある。ちょうど分類学者がその他大勢というゴミ箱をつくらずに植物を残さず
に整理していくように。まあ、掃除はぜんぜんダメなのでそういうカッコイイ言
葉を吐く資格もないだろう。むしろ近所から拾ってきたガラクタを捨てられず、
テレビの上などに飾っていた明治生まれのばあちゃんに似ている。今の人に
は通じないかもしれないけれど。

虫にも5分の魂があるというけれど、ばあちゃんは手のとれたキューピーとか
のガラクタにも魂があると思ったのか捨てられなかった。テレビの上にささや
かだけど、舞台を用意したかった。これも一種のアニミズムといえるのかもし
れないけれど、そういうありかたは継承したいと思う。

塵の中の仏、とるに足らないものの中にも大宇宙は潜んでいると華厳経は説く。
私もこのひとときもとるに足らない存在かもしれない。でも、されど、という側面も
あるかもしれない。そこにすべてを賭けている。

2012年12月2日日曜日

カルト化と健全化

濃密な人間関係の場というものは潜在的に腐りやすいと思います。
いわば潜在的にカルト化への危険をもっているのだと思います。

この世界の悲しい宿命として場を運営していくためにもリソースが必要
なことがあります。なんらかの資源を投入しないことには場は維持でき
ないのです。

家庭ですらそうでしょう。

そうしたときに、カルト化という問題が出てきます。
そして、それと反対の力として健全化というものも出てきます。

いわばよくできた場というのはいつでもカルト化の危険を背負い、それ
を自覚しながら健全化への努力を続けている場だと思います。

場というものは場を取り巻く環境によってカルト化への力がつよくなったり、
健全化への力がつよくなったりするものと考えられます。

場の管理者や構成メンバーの存在も大きいと思います。

カルト化への傾向を計測したり、監視したりする人はいたほうがいい
と思います。

よくできた場というのは場を支えてくれる人への負荷が考え抜かれた場
だと思うのです。負荷が考え抜かれているので搾取的な関係から遠ざかって
いるような場です。そういう場はメンバーをかごの鳥にしなくても人は集まって
くるのだと思います。なにせ安心できる場だからです。

P.S 特定の場をモデルにしながら今回の文章は考えたものではありません。
いわば過去出会った経験をベースにしながら取り入れた情報も入れて考えて
みました。

心理学は個人のモンスター化を後押ししているのではないか?

”カルト化” ”カルト的傾向” ”カルト化の前兆” ”カルト的関係”
今日あれこれ検索した「キーワード」。

先日はずーっとAV業界方面のキーワードを検索していて、性の最前線の
奥深さに感心していました。

それが一段落して、心理戦の場になりかねないカウンセリングの場について
気になりだして、今日はその最前線であるキリスト教会方面のブログをたくさん
見ました。

その二つをみながらおおざっぱに感じたのは個人のモンスター化です。
そして個人のモンスター化を心理学は後押ししているのではないかという疑惑。

別の側面からみていくと、言葉を磨きすぎたことによる逆説。

言葉を磨くことはたぶん一生仕事になる長いプロセスです。

その道のりの中で、個人としての魅力が増したり、他人に働きかける力が大きく
なったりします。

でも、そこには逆説があります。その力が強くなりすぎるということは潜在的に
他人を支配する力をもつことでもあります。

そして、だれでも自分に対しては甘いので自己正当化というものも絡んできます。
能力が高い人って独善的になりやすいですよね。

最終的には人間関係も性愛関係も合気道化していくような感じが見えてくるのです。

2012年11月25日日曜日

宇宙史上初めてといっても拍子ぬけする位簡単なのかも

世界史上の自分、宇宙史上の自分などという大仰な文字列を
みてあきれている人もいるかもしれない。

でも実際は拍子抜けするくらいなんでもないことなのかもしれない。

世界史上初なら、宇宙人がもしいないとすれば宇宙初かもしれない。
ここはすぐわかる。

日本史上初なら世界史上初というのも案外多いのかもしれない。
それだけ日本文化は固有性が高そうだ。固有性が高いだけで
なく、それなりに文明も発達しているし、知識は大衆化している。

うまくいけば、地域史上初なら日本史上初ということも狙えるかも
しれない。うまく、トポロジカルな感覚を利かせて、地域の特徴や
もっとローカルな自分のまわりの施設などの特徴を読んでみよう。

そこから拾い上げられる要素を掛け算していくと、オリジナルな
何かは見つかるのかもしれない。

もっと手軽く、自分の今まで書いた文章の一部を”  ”でくくって
検索にかけてみよう。だれも考えたことのない概念のひとつや
二つはきっとあるにちがいない。そこをもっと掘り下げてみると
何かみつかるのかもしれない。

たぶんネット草創期の今が終わり、どのくらい文明は続くか
知る由もないけど、しばらく文明が進むと新しい概念を発見する
のは難しくなるだろう。新しい概念といっても”XXのZZのDDのNN"
というような長ったらしいものになってしまい、だれも気にかけてくれない
ものになるかもしれない。

素数の見つけ方でエラトステネスのふるいというものがあるけど
ああゆうものにどこか似てくるのかもしれない。今はまだ二けた
くらいの素数を探している段階なのかもしれない。ちょっと手間を
かけると誰でもみつけられて、なおかつその素数はなんとなく意味
のありそうな感じの素数であるような。

アイデアは出尽くしたなどと多くの人はいうけど、100年単位、
1000年単位の未来を考えてみると、21世紀人はとても幸せに
違いない。ふつうの人によるアイデア発見の機会には長期的
な尺度でみる限り歴史上で一番恵まれている時代なの
かもしれない。

今から過去にさかのぼっても、未来に向いて行ってもアイデア
発見はより特殊な人々による仕事という色合いが強くなるような
気がする。例外はもちろんあるとも思うけど、、、


外側から取り込んだもの 内側から出てきたもの

何も内側から出てきたものを大事にするあまり外側から取り込む
ことを制限することはないと思う。

むしろ外側から取り込まないといつしか貧困化する。

からといって取り込んだものをそのまま利用するのは消化不良だ。
まだ、それは自分のものになりきっていない。


たぶん比喩的には落ち葉が腐葉土になる過程みたいなものではな
いかと思うのだ。

上からどんどん落ち葉が降り積もる。層になった落ち葉は微生物や
小動物など土に住み込んでいる小さなものたちの力を借りて腐葉土
になっていく。

そういう感じで日々目や耳に入っているものは心の中に住む小さな
ものたちの力を借りて自分なりのイメージになっていくのではないか
と思うのだ。


同じような比喩で食べ物の消化みたいなものをイメージしてもいい
かもしれない。

食べたものは消化の過程で分解される。かたまりのものも小さく
砕かれ、酵素の力によって栄養素まで分解される。そして素材と
なったものが体中に運ばれて代謝されて体の一部になっていく。

アイデアを思いつくには土づくりが必要だ。
落ち葉といっても、既成のコンテンツも多く、だれかが考えたことの
パッチワークという気がしないでもない。

でも、取り込むコンテンツには自分の選択が入っていて、その選択
の背景には個人史がかかわっている。それらは家族史とも地域史
ともつながっていくことだろう。

自分の思い出を棚卸してみるといいのかもしれない。自分の足元を
掘れと人はいう。

世代による時間軸、そして地域性を含んだ空間軸という二つの軸を
基礎にしてグローバルな視点での位置取りを意識してみるものいい
のかもしれない。

ローカルに過ぎないと思っている自分周辺のこともどこかでグローバル
なものごととつながっている。こじつけでもいいからつなげてみて、
世界史上の自分、宇宙史上の自分をでっちあげてみるのも面白い
と思う。

井戸の中の蛙がネットの海を散策してみると、、、

私って、典型的な井戸の中の蛙タイプでしたが、ネットの海を散策
してみると、私よりも若くて、才能もありそうで、なのに孤独でといった
風情の人をちらほら見かけます。

私よりもアタマよさそうなので、もはや先輩づらするわけもいきません。
まあ、私にできそうなことは遠くなら眺めていて、たまに声をかける機会
があれば声をかけるくらいのこと。

先輩づらはできないけど、年の功というのももしかしたらあるやもしれぬ
となんとなく思っています。

若いことは未来があっていいことなのですけど、青年期は精神が不安定
になりやすいこともまた確かだと思います。

若いだけ、悩んだり考え込んだりするときの馬力ももっていて、身をさいなむ
のです。

そのために妙な精神現象も起きやすいです。

たぶん妙な精神現象が落ち着いてくるのは30代の後半以降だと思います。
そして、妙な精神現象が落ち着く一方で、頭の冴えにも陰りがみえてくるの
だと思います。

まあ、これは個人差もあるでしょうし、私は自分の経験を言っているだけな
ので一般化できないとも思うのですが、多少の参照情報にはなるでしょう。

私の場合は頭の冴えからくる高揚感と戦うことが一つのテーマでした。
ちょっとした誇大妄想めいた気分にも陥ることがあって、そういう自分を
なだめていくのでした。

睡眠がとれているかとれていないかを把握することは常識みたいな感じ
で、二日単位で帳尻があっていればいいとするものでした。

ある日、考えが盛り上がって、どうしても目が冴えてしまって、徹夜したら
その次の日は早めに寝るとかです。

ひらめきが続いて、面白すぎると思ったら、主治医のもとに駆け込みます。
”面白すぎる”という表現は抽象的かもしれませんが、その呼吸ができるか
できないかが再発への分岐点になるのではないかと思います。

自分から主治医のところの扉を叩くことができる状態であれば、あんまり
入院とかないのです。私の場合はそうでした。

神秘的な体験については極力相対化しました。しがみつかないようにしました。
いわば神のものは神に返すといった感じにしました。かといって割り切るという
風情でもありません。どちらかというとニュートラルな立場です。

入眠時幻覚、夢魔、その他妖怪めいた存在については生理的に解釈して
極力霊的には扱わないようにしました。それでも首のへんから体の中に
なにものかが侵入してくる感じに慣れろとまではいいません。

シンクロニシティその他、偶然がからむ神秘的な印象をもつ体験、これも
割り切れとはあえていいませんけど、捉われすぎるとよくないのではない
かと思います。気功などでも超能力体験については捉われないことと
指導しているところもあるそうです。



とまあ、やっぱり先輩づらして説教くさくなるのもいやなのでこのへんに
しておきます。自分の病気との付き合いの中で学んだ生活の知恵みた
いなものを共有してみたくなったみたいに受け取ってもらえればありがたい
です。

2012年11月24日土曜日

空白地を探せ

バイオミメーシス、生体模倣とかよばれます。
啓蒙書の無責任なおはなしの世界と思っていた
のですが、実際、日本の企業などでも成果をあげつつある
らしいです。
http://kaden.watch.impress.co.jp/docs/column/newtech/20120223_513674.html

素朴なレベルでは鳥にヒントを得て飛行機ができたり、
クビナガリュウがパワーショベルに化けたりといったもの
です。

でも、昔から私は思うのですが、個人レベルでも生き物に
学ぶということはできるような気がするのです。

古くは中国の気功です。五禽戯といってクマなど動物のポーズ
をまねたものがあります。

気功は特殊な例ですが、生き物のやり方の中に個人レベルで
応用できるヒントが隠されているような気がします。

そこで今日のお題、「空白地を探せ」です。

テーマはラン科植物の進化をヒントにすることです。

昨今はモノも情報もすっかり過剰になってしまって、市場は
飽和状態です。「ほしいものがほしい」というコピーがあったのは
80年代。もうその頃から飽和状態でした。

私はモノを生産する立場にはありませんが、インターネットの片隅で
せっせと情報生産に励んでいます。まあ「これ」を情報とみるならば
なのですが、、、、

なんとなくネットの世界は熱帯雨林に似ています。そこで思い出す
のはなぜかラン科植物なのです。

ラン科植物はキク科とともにもっとも進化した植物のグループといわれ
ます。そして同時に一番あとから地球上に出現したグループでもあり
ます。

おいしい場所は先住の植物で占められていて、なおかつ種数の多い
激戦地の熱帯雨林です。

でも、そういう場にも空白地はあるものです。樹上です。樹上に生える
シダやコケの類もあるので厳密には空白地とはいえないかもしれま
せんがラン科植物は競争の少ない樹上の環境に適応して、大繁栄
しました。カトレアも胡蝶蘭もそういうランの一つです。

激戦地状態で一見隙間がないように見える場にも盲点になっている
場があるような気がするのです。具体的にはわからないのですが。

ちなみにラン科植物の場合は樹上に適応するために貯水組織を
発達させるとか種子を微細にして風で運ばれやすくするなどの企業
努力というか進化をさせました。

激戦地状態のフィールドでもいくつかの条件をクリアすることによって
開けてくる空白地があるのかもしれません。

ただ残念なことに生物に学ぶといってもある種のたとえでしかない
ために具体的な答えにはならないことです。

でも、たとえにすぎないことでもいくつかのたとえをもやもやと
漂わせていたら具体的なアイデアとなって降りてくることはあるか
と思います。私は読書するときにいつもそういう欲をもちながら
読んでいます。

生活記録としての「ここ」

「ここ」は結局どういう「場」なのか?と考えてみたときに思いつくのは
非定型精神病と診断された人が日々何を思って暮らしているのか?
ということを書く場として設定しています。

「診断された」というビミョーな表現を使うのは状態は比較的良好で
生活上あまり困らないからです。でも、思い出したように状態は崩れて
「やっぱり」病人なのかと再確認します。そのあたりのビミョーさ加減が
生殺し状態のようでもあり、サボッっているようにもみえるのです。

まあ、積極的に捉えるとできること、楽しめることが多いです。その分
欲も出てきます。本人の力も試されているわけですけど、その先に
また越すに越されぬ峠があるようで、自分の力の及ばなさを感じるの
です。

いろいろ書くことに意味を感じていることの一つは患者像ってたぶん
時代により、地域により違うらしいことを知ったことです。

時代によりというのは、発病してから、病院に担ぎ込まれるまでの期間
が年々短くなって、早期治療が可能になって、状態の良好な患者が増
えていることです。

地域によりというのはかつては都市部と農村部では患者像が違ったら
しいことです。大都市と地方都市、県庁所在地と周辺小都市ではどん
なだかまでは私は知りません。そして、都会化、郊外化の進む現在
どういう風になっているか?これもよく知りません。

患者が目にすることのできる情報も時代、地域により違いがあること
でしょう。こういうのも患者像に違いを与えるかもしれません。

ネットの時代になって、患者の抱く欲望、こういうのも何かしら影響を
与えることでしょう。自己表現そのものの欲、そしてあわよくばといった
欲、人それぞれでしょう。

私などは欲望の塊といった風情でしょう。気分の盛り上がりのなせる
技かもしれません。誇大妄想とまではいかないにしても、みっともない
カンチガイをそこここで起こしていることを意識せずにはいられません。

そういうみっともない部分も正直に映していくことでしょう。欲望を抱くこと
も人間臭いことなのかもしれないし、幸せな部類なのかもしれません。

いづれはやはり苦海に沈んでいくさだめのキリギリスなのかもしれません。
まあ、何かしら新しい記録が続くうちは、とりあえずは記録かけるような
状態にあるということだけは確かなことだと思います。

会うは別れの始めといいます。どういう形でみなさんの前から去るのかは
知る由もないのですが、袖振り合うも他生の縁とも言いますし、同行二人
ともいいます。とくに遠くの人へのメッセージとしておきます。

2012年11月16日金曜日

大陸的

そういえば、いい意味でのアバウトさは父もそうだった。
父は「大陸的」と表現していた。

父方の曽祖父はもちろん徳之島の伊仙町に住んでいた
のだけど畑では米が獲れなくて、麦をつくっていたらしい。
貧乏で、体も弱く、祖父が小さいときに亡くなったらしい。
正直一本な人で、魚を釣ってタバコと交換して楽しむ
そんな感じだったらしい。貨幣経済の一方で物々交換
の比重も大きかったのかもしれない。

祖父は曾祖母がカイコの飼育などを正業にして育てた
みたいだった。祖父は船乗りになり、父のいうには日本
国中の港は回ったかもしれないということだった。
1900年代くらいに祖父母とも生まれて、二人は徳之島
で結婚ののちに祖父は台湾で警察官になったらしい。

父が生まれたのは台湾の苗栗県の大湖というところだ。
今はイチゴの産地として台湾では有名らしい。
父が生まれたのは大正15年で同じ年に昭和に代わる
1926年のことだ。太湖は急峻な脊梁山脈にやや近い
ところにあり、近くに蕃社と呼ばれる、少数民族の集落
があった。父は当時蕃人と呼ばれていた少数民族も小学校
で同級生だったりして友達であり、蕃社にもいったことが
あると話していた。

祖父はそういう地区で警察官をしていた。蕃人は素朴
であり、漢人と交易をするときによくだまされていて、
そういうトラブルのときの面倒も祖父はみたりして、尊敬
されていたと父は話していた。

台湾、戦前、警察官、蕃人とキーワードを並べれば
霧社事件という大事件があるのだけど、祖父はどう
いう思いで警察官を当時していたかは私は聞かず
じまいだった。ききそびれてしまった。

父からはは大変気をつかってたようだと話はきいた
けど、それ以上の話はこっちも聞かずじまいだった。

お題の「大陸的」という言葉は台湾人のもついい
意味でのおおらかさみたいなニュアンスのような
気がする。台湾も島なので「大陸的」というのは
変なのだけど、父の中では漢民族というのは
おおらかで「大陸的」なのかもしれない。漢民族は
悠久の歴史を背景にして日本人よりも長期的な視点で
ものを考える。内地の日本人は父のことばでいうと
「せかせか」していて「みみっちい」らしい。

父のモットーはじたばたしないということだったかも
しれない。「ユタっと」しなさいと言われたことが何度
となくある。父の最終学歴は台北工業という高校だった。

何もしらない私は高卒なのかとなんとなく思っていた。
検索してみると当時の台北工業は今は国立台北科技大学
となっていた。台湾の東工大にあたる大学。
父は終戦後もしばらく台湾に留め置かれて、引き上げる
のが遅かった。終戦当時20才、祖父母もそうだけど、
終戦前後で人生が変わり、時代の波に翻弄されたの
だろうかと私は大人になってなんとなく思った。

正確に認識し正確に表現することができない

民族誌とか書いている人はスゴイと思う。
ひきかえ、私が観察日記つけても質的データとしては使えない。

書いていてわかることは正確に認識し、正確に表現することが
むずかしいということ。

大体ノートの取り方さえ下手だ。たぶん基本からなっていない。
どっちかというとノートはあんまりとらないほうでさえある。
本の抜書きならよくやっている。

だから、ものを書くときは記憶に頼って書いている。
そして、またその記憶というものが曖昧なのだ。いつも書いている
ように霞がかかった感じがしている。

ほかの人の記憶というものはどういうものなのだろうか?
ほかの人と私の共通の思い出を聞くとき、相手の記憶の正確さに
驚くことが多い、裏を返せば私の記憶は不正確である。

何か認知の問題を抱えているのだろうか?統合失調症圏の人は
ワーキングメモリーに問題を抱えていると聞いたことがある。
ワーキングメモリーというのは作業記憶みたいなものだ。いわば
脳の中の作業台。

その一方で過集中というものがある。ADDとかの人に見られる
現象で、興味のあるものにサーチライトが当たるように集中する。
おおざっぱにいえば加齢とともにものごとへの情熱みたいなもの
はゆるやかに減少しているのをときどき感じるのだけど、相変わらず
過集中することもある。

ワーキングメモリーの不備と過集中が合わさると周りにも本人にも
理解しにくい状態になる。アタマがいいようにも悪いようにもみえる
こと。

また、お題に戻るけど、正確に認識し、正確に表現することができない
ような気がする。必要に迫られれば、しなければ、と思い詰め、そういう
ことの連続が、一面としてのくそまじめな印象を形づくるのかもしれない。

一方で、生理的な制約として、そういうことができないことがいいかげん
な奴という印象も形作る。

第一印象は良すぎて、だんだん落ちていくというパターンが多い。
そういう感じで社会関係が悪くなりがちだ。自分史ふりかえっても
背景としての社会的不適応がありそうな感じがする。その時々で
強弱はあったとしても。


正確に認識し、正確に表現できないとすれば、妄想的になったり、
社会関係がうまくいかなかったりすると思うのだけどどうだろう?

たぶん今のところはゆらぎの範囲で収まっているのではないだろう
か?

桜島ユースホステル時代も雑用でヘマばかりしていて、
「アタマはいいけど、知恵がない」とか
「バカとはさみは使いよう」とかいろいろ言われたけど、
くってかかるほうでないので使いやすいと言われた。

一方、流れ着くようにしてそこで働きはじめた人が二人くらい
いたのだけど、それぞれココロになんらかの問題を抱えていて
不適応だった。私とそれらの人の間に働きつづけられるか、
辞めなくてはならないはめになるのかの境界線があったような
印象だった。

「自分は正しい」と思えたことがあまりない、そういう独善的な
立場に立てる人がうらやましく感じることさえある。

口げんかも一般に弱い。どこか論理に不備が出てしまう。
簡単に突っ込まれる。

ある意味今まで書いてきた面がバランス感覚によい影響を
与えているような気がする。ゆるぎない自分がいるというよりも
ヤジロベエのようにいつもバランスとりながら、ゆらゆら揺れながら
存在しているのかもしれない。

2012年11月15日木曜日

唯物論と神秘主義の狭間

私は唯物論と神秘主義の狭間にいる感じがよくします。
唯物論と神秘主義を統合しようなどと思い上がったことを
考えているわけではいません。むしろ、たえず感じる揺れ動き
です。

こういうのはキリスト教の方々から見ればようするに魂が迷って
いるということなのかもしれません。迷える子羊だと。

信仰の道を選ぶ人はなんらかの体験があって、そういう道を
選ばれたのかもしれません。

でも私は自分の体験を相対化しちゃったのです。
生物学的に考えてみてもある意味「自然の恵み」だったの
かもしれません。すべての悩みを大いなるものに任せることが
できれば、人生の重荷のいくばくかは楽になるでしょう。というよりも
重すぎる重荷はそういう風にしてしか背負いきれないのかもしれません。

相対化することによって、神秘的な体験、神秘的な世界は
能面のようにうつろなものになりました。世界の問題ではなく、
受け手の問題に。妄想物語も受け手の反応になりました。

桜島ユースホステル時代に霊感体質をもった相棒としばらく仕事
してました。心霊現象の話は面白かったけど、心霊現象の背景に
霊界みたいな世界を想像するのは難しい話でした。むしろイメージ
体験としての霊界体験なら信用できました。そういう見方で
スェーデンボルグの霊界体験談を読むのは有益です。
コレスポンデンス(万物照応)とか面白い概念が出てきます。

桜島の相棒の話を聞いていくと、暗闇などが一種のスクリーンに
なって無意識の水位が上がってきたために立ち現れる幻覚のように
幽霊というものが感じられました。ニャーっと笑う幽霊に人格というもの
を感じることができず、たとえ感じられても夢の登場人物のもっている
程度の人格だと思いました。

決定的だったのは相棒の話では幽霊が出てくる一瞬前に「来る」と
直観するのだそうです。私はそこに意識水準の低下を見て取りました。

相棒の話では心霊現象もキツくなると幽霊と話ができるようになるとの
ことでした。相棒の友達がそういう感じになり、霊能者の人に相談に
いったのだそうです。霊能者はいろいろ処置してくれるのですが、
そのたびに幽霊のほうも強力になっていったのだそうです。いたちごっこ
のように。私も入眠時幻覚には悩まされるたちなのですが、私は「生理学
的」に解釈して簡単に解決です。入眠時幻覚に出てくる「妖怪」と本物の
幽霊は違うという友人もいます。こうなると霊感体質でない私はどうにも
答えられません。

では、私はすべてを割り切っているのか?という質問にもなるのですけど、
世界の豊かさというものを見たときにそこに積み木細工以上の何かをどう
しても見てしまうのです。とはいっても量子力学の不思議っぽさからいきなり
神秘主義的世界観に短絡しているのではありません。われわれの住む日常
の世界からかけ離れているというだけで、超ミクロの世界も慣れてしまえば
そういうものだと受け止められるのだと思います。

人間原理とか自然界の秩序とか科学は「なぜ」に対して答えてくれないとか
よく考えれば不思議なことがいろいろあります。でも、そういう不思議さは
ふつうは生物の世界止まりで人間臭い世界に入ってくると無秩序な俗っぽ
さが目立ちはじめます。でも病気の世界を体験すると親、兄弟、友達、
日常の身辺のごたごたした世界にまで人間原理やら自然界の秩序のよう
な整序された世界が及んできてそういうものを直観すると「この世界は
仕組まれているのだ」と恐怖したりするのです。

非日常的なひとときの小さな病的世界(トレマ期とでもいうのかな)、
それで一瞬怖い感じがして、でも、一応体験とは距離がとれていて
能面と普段は解釈しているわけです。能面のように受け手のこころ
の状態によって見え方が変わってくるというニュアンスです。

ながながととりとめもなく書きましたけど、そういうのが私の世界観です。
微妙なところでバランスが取れているといえば取れているのかもしれません。

鹿大 博物館 特別展 学習会 小濱先生

今日はボランティアではなく、純粋にお客さんとして鹿児島大学総合研究博物館
の特別展「錦江湾奥の自然と人とのかかわり」の学習会に参加しました。

今日のお題は『 麑海魚譜』(げいかいぎょふ) についてという話で小濱亜由美先生
によるお話でした。ちなみに麑って鹿児島のことなのだそうです。
午前はサポートネットラグーナでブータンの精神科医の先生のお話で、午後は
『 麑海魚譜』。なんとも贅沢な一日です。

全然関係ありませんが、私、催しものにはたまに参加するのですが記録に残すべき
かそういうことは余計なお世話で有難迷惑なのかいつも判断に迷うのです。
ちなみにしばらく前には紫原のMizuho Ohshiro ギャラリーで榮水亜樹展の
プレオープンパーティがあり、いつもの調子で作家さんにいろんな質問なげて、
答えてもらいました。そういうのを記録すべきか、そんなことはしないほうがいいのか
とても悩むところです。貴重な記録ともいえるし、不正確かつ有害な情報にもなりかね
ないしそのあたりの兼ね合いです。また、記録に残されるとなると余計な緊張をあたえ
かねません。リラックスした感じでカジュアルなやりとりというせっかくの雰囲気が壊れ
るのかもしれません。でも、私が質問して引き出したことはことによると作家さんを理解
するために重要な情報にもなるかもしれなくて、、、いつも悩むのです。

先日はやはり特別展の学習会で塚原潤三先生の 「若尊カルデラの
サツマハオリムシについて」という話でサツマハオリムシについての知らない話が一杯
聞けました。私は昔、かごしま水族館で解説ボランティアをやっていて、サツマハオリム
シのコーナーに立ってもっともらしい解説をしていたこともあるのですが、まだまだ知らな
いことだらけでした。雄雌あるとか、サツマハオリムシは鹿児島湾で進化したというよりは、
母体になる集団がどこかにいて鹿児島湾で馴化されたと解釈したほうがよさそうだとか気
になる話満載でした。サツマハオリムシってよその県ではどの位知名度あるのでしょうね。
そのへんも気になるので話はこのへんにします。

『 麑海魚譜』のほうもごく一部の人しか知らないかもしれませんね。暇な人はぐぐってみて
ください。鹿児島県って考えてみれば不思議な県ですね。日本の周縁ですけど、自然関係、
歴史関係、文化関係マニアックなもの満載です。別の意味で情報に恵まれているのかも。
それで昔、私が桜島ユースホステルでヘルパーやってたころに東京から来られた人から
こういわれたのです。「鹿児島は自分の県の産物で研究が成り立つからいいですね。
東京はたしかに日本での文化の中心の一つかもしれませんがたいていのものはよそから
持ってきたものです。」その話は桜島ユース時代に旅人から聞いた話の中でもっとも印象
に残った話の一つです。

ながながと違う話して、やっと本題の『 麑海魚譜』に移ります。私は鹿大博物館の植物標
本室でデータ入力のパート何年もやっていて鹿児島の植物の本草学のほうにも『質問本草』
というものがあった関係などで博物学や『 麑海魚譜』もちょっとだけ気になるのでした。最近
は日本人の自然観の源が気になって鹿児島大学の図書館で中国の六朝時代についての研
究書とかちらちら読んでいます。山水画や江戸時代の池大雅とかも興味あります。まあ、いつ
もの雑学的な興味ですけどね。単なる素人のディレッタンティズムです。

博物画で関心があることの一つは格物窮理との関係です。実用的、あるいは美的な関心で
細密画を書いたのか、それとも裏側に思想的なものがあって、正確に表現することによって
ものがわかること、把握すること、突き詰めていえば物事の真理を究めること、そういうこと
と関係あるのだろうか?という疑問です。格物窮理についてはいろいろ参考書はあるの
でしょうけど、井筒俊彦の『意識と本質』という本の中に書いている説明が
現代人としてはいちばんしっくりきました。井筒俊彦の考え方は東洋思想を古びたものとして
ではなく、現代的な読み方で生き返らせようという発想だと思います。清水博の本などにも影
響を与えていて、将来に天才が現れればなのですけど、生命論の新しいパラダイムを生むか
もしれないという期待があります。話がずれてきそうなのでこの話はこのへんで。

例によって私は『 麑海魚譜』の話をされた小濵先生にも質問投げて、当時の魚譜など、
博物学の細密画に現れている自然主義は当時の日本画の世界で流通していた自然主義
の手法が博物画に影響を与えていたのか逆に、博物画を作成する際の自然観察の手法
が当時の日本画の花鳥画などに影響を与えたのか?そういう風な話でした。

難しい内容の質問だったらしく、若冲など当時の日本画の世界にも自然主義的な画風の
人はいて、一方博物学のほうでも自然観察の手法があったので相互浸透的な様相だった
のではないかという話でした。

私がそういう質問をしたのは西欧の博物学と自然主義の間にも似たような影響関係が
あったからでした。西欧では博物学による自然観察の手法はラファエル前派の細密手法
に影響を与えたほか、文学の自然主義などにも影響を与えたと何かで読みました。
そして、西欧の博物学、自然愛好とシノワズリと呼ばれる中国趣味は関係があって、中国
の山水趣味なども西欧の自然愛好のルーツの一つかもしれないと何かで読みました。

相変わらず舌たらずな文章ですね。結局、この文章は何についての記録になりえるので
しょうか?この時期の地方都市における大衆への知識の普及ならびに、普及した知識を
利用して社会の周縁に存在する人がどこまでものを考えられうるかという記録なのでしょう
ね。




サポートネットラグーナ 心の力の育て方 ブータンの先生

今日のサポートネットラグーナのプログラム 「心の力の育て方」
はブータン王国の精神科医Dr.Chencho Dorji 先生ご夫妻がお客様
でした。ご主人は人柄は軽いジョークを飛ばす感じのきさくな方で
した。いろいろ話されましたが、私は例によって質問しました。
いきなりディープな質問です。

「患者さんの中には神秘的な体験を病気の体験の中でされた方
もいらっしゃると思うのですが、実は私もそういう体験をしている
のですが、そのような体験と折り合いをつけてもらうためにどんな
風に治療というか指導されているのですか?ちなみに日本では
症状のほうはお医者さんが直してくれるのですが、そういう体験
そのものはお医者さんはあまり取り合ってくれなくて自分で折り合い
つけるしかないのです。」

そうではないお医者さんも中にはいらっしゃると思うので気を悪く
された方はすみません。

そうすると「具体的にどういう体験をされたのですか?」という質問
があり、「花火がぽんぽんぽんと上がり、自分の内部の何かとひび
きあって中と外が、、、」この調子でしゃべりだすと20分ぐらいかか
ってしまうので、話を短くしようとしたら不正確になって「宇宙と
合一してしまったのです」となってしまいました。本当は以下の体験
です。いつもの話なので何度も読んだ人はスルーしてくださいね。
http://epimbi-madrigal.blogspot.jp/2010/03/1992.html

するとブータンではその手の話はよくある話みたいでした。
一つ例を挙げて話されました。

一人の少年が精神病にかかり、その病的体験の中でシバ神と合一
したそうなのです。そして、村の人々はその少年を拝み始めたそう
です。ところが、シバ神だけでなく、アクマも降りてきて、その
少年の体の中で戦いはじめたわけです。少年は在地の
シャーマンその他、お坊さんなどに処置されたのですが、うまく
治らず、Dorji 先生のところに連れてこられたという話でした。

そういう宗教色のある事例はダイレクトに精神科医のところにくる
ことはなく、シャーマン、占い師、お坊さんのところにまず行くそうです。
それでうまくいかないときに精神科医のところに回されてくるそうなので
す。そういう全体の流れの中で割と重要な要になっているのはお坊さん
で、お坊さんが判断して、西洋医学的な治療に回すか、伝統医療や
お坊さんによる癒しをほどこすか割り振っているそうです。

ちなみにブータンではブータン人の精神科医はDorji 先生ともう一人
いて、あと何人か外国人の精神科医がいて、伝統医療のお医者さん
がたくさんいらっしゃるのだそうです。

それで、特に宗教色のある病的体験に限らず、伝統医療のお医者さん
やお坊さんと共同作業のような感じで精神病者を治療していくのだそう
です。魂の問題のような精神的な問題についてもちゃんとケアのできる
お坊さんのような人たちも必要だと言っていました。そのあたり連携が
とれているように私は印象を受けました。

「医者半分、ユタ半分」という言葉が南島の患者の世界にはあるみたい
ですけど、そんな感じなのでしょうね。

ところで、サポートネッラグーナのコンピュータ関連のスタッフのY先生
とあとで立ち話しました。「神秘的な体験」を巡ってです。

Y先生は精神病者の中で起こる神秘的な体験はシャーマンやお坊さん
などが体験する神秘体験と同質のものではないかとおっしゃいました。
私は次のように答えました。ただ、患者のほうは体験に先立つ準備なしに、
偶然向こうからそういう体験が降りかかってくるわけで、受け止めきれなくて、
パニックになってしまって、病的なイメージや妄想物語が患者の内から引き
出されるのではないのでしょうかと。

Y先生はそういう体験があったときに医学的に処理するか、宗教にいくか
という選択はあったとしてもその間のようなものがないのが問題だと言って
おられました。結局、その手の体験をしても、患者さんは封印したり、誰にも
言えなかったり、話すことを止められたりするということでした。

やはり私の場合も現代に生きるという前提の中でどう折り合いをつけるかと
いうところが積み残しの問題かもしれません。あれは脳の機能不全による
生理的な現象に過ぎないと自分に言い聞かせたとしても、またそう思い込もう
としたとしても本音のレベルで思っていない以上、何かまた精神現象がおきた
ら昔の妄想物語が噴出してくるのでしょう。もっとも私の場合は十分に年をとって
いるので病気のエネルギーというのも低くなって、再発の恐れというのはあまり
日常感じてはいないのですけども。

プログラムが終わり、帰りしなにDorji 先生の奥様が私のほうに駆け寄ってきて
ブータンのお札をくれました。ブータンの風習で「元気でいてくださいね。」みたい
な感じでお札をあげる風習があるようです。おやさしい方だと思いました。

P.S  今日の話、通訳の人もおられて、よく通訳していただいたのですが、私の
ほうが記憶が曖昧だったりして、記録した話は不正確です。そのへんをご理解
して読んでいただけるとありがたいです。つたない文ですみません。

2012年11月14日水曜日

自分が書いていることがどの程度正しいのかサッパリわかりません

長々とブログ書いているのですが、一つ不安なことがあるのです。
それは病気について自分が書いていることがどの程度正しいのかなということ
です。
不審の要になっていることはところどころ書いている
「構え」という言葉と関係しています。

知らないうちにある種の「構え」ができてしまい、不自然な
状態になり、無意識の詐欺師になってしまっている可能性です。

ある種の「ミュンヒハウゼン症候群」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%BC%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

医学用語の雑学があること自体がクサいのです。

それと元来学生のころからカウンセリングなど心理学の雑学をため込んでいた
ことも気になります。

とくに大学院の2年間はカウンセリング関係の本を本職以上にぼりぼり読む
毎日でした。神経消耗気味だったのです。
「ボーダーライン」という用語に私はご執心で、意味もわからず、
自分は「ボーダーライン」に違いないと解釈していたのです。精神病と神経症の
境界くらいの意味で知っていて、「ボーダーライン」が対他的にも厄介な病気で
あることなど知らなかったのです。おまけに精神医学のほうの知識はさっぱり
でした。まあ、学生時にしってたのはロジャーズ関連の読みやすい本と
「ボーダーライン」関連の読みやすい本ですね。

制度としての精神医学のことはよくわからないのですが、
もしかしたら、精神病が再発したら操作的に一生「精神病」
というラベルがつくのかもしれません。体の状態とは無関係に。

薬のおかげで正常をたもっているのか、単に予防のために
飲んでいるのか未だにわかりません。

薬は飲み続けていると体の代謝系に組み込まれてしまい、
薬が切れると調子が悪くなりやすいです。たいてい鬱っぽくなります。

症状は消えても病気の根は残っているという説明を受けることも
あります。そのあたりが実にファジーな感じで生殺しのような状態
でもあります。患者です、と言い立てるには元気で、障碍もってます
というにはおこがましいのです。

そういうわけで健康体とも病人ともいえず、なんだかその狭間にいる
周縁的な状態がもう何年ともなく続いています。

で、つけられた病名というラベルがなんだか不自然な「構え」を
作っているのではないかという疑いが晴れないのです。

そういうわけで、このブログに書かれている多くのことはほかの情報
と相互比較しながら裏をとっていかないと使えないと思います。
ただ非定型精神病自体の情報が少ないのが問題なのですよね。



ちょうどいい感じ 関係調和

30才前後のいつ頃は忘れたけど、偶然の一致が頻発するように
感じられた一時期がありました。

図書館で偶然開いた本に最近考え込んでいたことについて
の答えにあたる文句が書いてあったり、というようなことが
典型的です。答えじゃなくてヒントのことも多かったけど、、、
そのあたりが今日の話の伏線です。

そういう文句と本の中で出会ったとき、その文句は私のこと
を知っていたのではないかとか待っていたのではないかとか
つい思うものでした。

連鎖的にそういう出来事がおこれば、何やら本たちの世界と
自分と神秘的な関係があるような気がしてくるものです。

考え込んでいることの答えは本ばかりでなく、テレビでも
新聞でも映画でもありました。

何しろ朝刊にそのものズバリの写真がでかでかと載って
いるのです。近くにある見出しもなにやら意味深です。

関係妄想という用語はもちろんその頃には知っていたの
ですが、出来事ともある程度は距離は取れていたので、
そういう世界を自然に受け入れるようになっていました。

私は関係妄想と呼ぶかわりに関係調和とココロの中で
呼んでいました。そして、ぴったり一致した出来事は
「ちょうどいい」とこれまたココロの中で呼んでいました。

でも、外側にはとり立てて何も変わった様子は見せません
でした。とくに家族には。なんとなく二重生活を送っていた
のです。

その頃は、あちら側とこちら側の境目をうろうろするような
感じのひとときが何度もありました。

世界=ココロがあちら側になったとき、世間のものごととか
世間にあふれている広告などの図像、文字なのが意味深
にときには裏の意味がありありと立ち上ってくるのです。

最初の一回か二回は世界がお祭り状態でした。ただし、
その頃には祝祭という精神病用語は知っていたので、
少し構えができていたのかもしれません。

恐怖感8割、わくわく感2割くらいでした。深々と体験して
しまうとあちら側に引き込まれてしまうのではないかという
恐怖感があって、そういう症状が出たときには外にはあまり
出歩かないで家に引っ込んでました。

でも、慣れというものも出てくるのです。新鮮さと引き換えに
です。印象は弱くなるのですが恐怖感は減り、わくわく感が
大きくなり、あちら側とこちら側の境界(その頃、成層圏と
そこを呼んでいました。)を観察してやろうと思い始めるのです。

観察の記録などしていないし、記憶のほうもどんどんぼんやり
していく一方ですけど、世間の事物をロールシャッハの染みで
も見ているような感じで無意識の水位があがってくるとその上
にいろんなイメージが立ち昇ってくる感じですね。

そこでは偶然の一致なども重要な演出になるのですけど、
いつのころからかこんな解釈をしはじめました。

外側のもやもやしたイメージと内側のもやもやしたイメージの
間に橋がかかるのだと。厳密な一致というより、外側の事物の
イメージも曖昧で、内側にで考え込んでいるもののイメージも
曖昧、内側で考え込んでいることの答えではなくてヒントまで
含めてしまうとずいぶん甘くなって橋はかかりやすくなるのでは
ないかと。しまいには「構え」までできてしまって簡単に関係づけ
してしまうのではないかと。

30代も半ばすぎてしまうとだんだんそのような現象もめっきり
少なくなり、40代に入るとめったに起こらなくなりました。
時を同じくして、夢魔その他、入眠時幻覚のときの妖怪たち、
明晰夢などとも縁遠くなりました。

精神病によるゆらぎとアタマの鈍さについて

漢字の書き取り、書き順、計算プリント、、、小学一年次の
その手の作業はさぼっていた。机につくという習慣はあん
まりなかった。虫取りならぬトカゲとりやおたまじゃくし掬い
ばかりしていた。

中学へあがってもまじめに机につくタイプではなかった。
落着きがなく、忘れ物ばかりする、そんなタイプだった。
英語はあっという間に落ちこぼれてしまった。数学も
そんな感じだった。

そういうわけなので勉学については基礎がなっていない。
これは大人になって取り返しのつくものではなく、言葉の
切れなさ、論理の弱さとして私に染みついたものだ。

精神病になった。ちょうど大学が終わって、社会人になる
境目のところで。真理を悟ったというのは大げさすぎるの
だけど、カケラみたいなものみた感じがした。

それでも、それはカケラというよりもガラクタ程度のもの
であるということはしばらく前のエントリーをみてもらうと
よくわかると思う。このあたりの話です。

たぶん、発見した内容というよりも、この世界には何かしら秘密
があるというのを直観したことに意味があったのだと思う。

それ以来、本を学生のときよりも読むようになった。
読む本はわりと広い分野かもしれない。

でも、私は書いているようにデキるほうの人間ではない。
「アタマがよくなった」という主観的な感覚とは裏腹に客観的には
能力障碍がおそらくあり、適性検査では適性が合う仕事がほと
んど見つからなかった。

あとになって気づいたことだけど、本を読んでも記憶にはあまり
残らず、霞がかかったように曖昧になり、知識として取り出せない
ことが多かった。

それでもめげず、というか本を読む喜びまでは奪われなかったの
で相変わらず本は読み続けている。再認(読んだときに、これ前
読んだことがあるとわかるようなこと)はできるのでそれなりに
読むのは楽しいのだった。

記憶障碍とっても生活に困るほどのものではなく、気にすれば
気になるというくらい。仕事になると困りそうだけど、今さしあたり
困っていない。


「精神病者のアタマの中」というとショッキングな内容だったり、
意味不明だったり想像されそうなのだけどどうなのだろう?

逆に地味なことが多いような気がする。とはいえ、体験によって
はオカルト趣味に走ったり、宗教関係の路を巡ったりする。
私もまったくその気がないとはいえないけれど。

新世紀に入ってなのか、自分の体験を相対化できる人が増えている
のではないかとなんとなく思う。内側でおこった体験なのか外側の
現象なのか峻別というよりは留保できるような。

私も留保組だと思う。でも、割り切るところまではいってなくて、
不確定な状態を愉しむというか。一種のロマンチシズム、
唯物論的な考え方では荒涼としすぎるというか。でも、その影響
は深々と受けている。いちいちの偶然をカミサマの摂理と受け取る
という感じにはいきそうにない。さりとてカミサマの正体はサイコロだ
と受け取るのも寂しすぎ。

書いたばかりのことを裏切るようだけど、いちいちの偶然の出来事の
タイミングが内的な何かとぴったりあってしまう感じがするひとときが
たまにある。能面のほほえみのように世間が不気味化する。不気味
ではあっても魅惑的でもあり、天上的な何かでさえある。それも一応
は留保する。世間と能面とサイコロとカミサマが交差する。

感覚としては座標空間上を普段うろうろしている感じで普段は座標が
きりのいい数字ではないので、座標を意識しない(357.89、 47.43)
みたいな感じかな。キリのいい座標上に止まったら座標というものを
意識するのではないだろうか。空間上の秩序というか。
(120.00, 240.00)みたいなとき。空間上に秩序があることを直観する
わけ。そんな感じで普段、無関係な出来事はランダムに動いていて
そこに何も感じることはないけど、きりのいい座標にとまると、空間、
時間軸上の秩序を感じて、恐怖する、そんな感じかな。たぶん多く
の人には意味不明だと思うし、同じような体験した人でも違う説明
を好むかもしれないので、単なる参考まで。


2012年11月13日火曜日

真実の鏡にうつるおぞましい自分

具体的なことは書きたくない。
でも、誠実に自分のこころを覗き込むとそんなにいいものは
見えてこない。

たとえば誰にでもある性欲関係、こういうのを意識化するのは
やめにしておいたほうがいいのかもしれない。どんな魔物が
隠れているかわかったものではない。かといって抑圧しても
いいのかどうかわからない。ただ個人的にはあけすけに語る
ほうではないので、このへんで勘弁を。

どろどろした怨念関連、イジメを受けていたので過去に関する
怨念は心の底に澱のように溜まっている。深酒して、記憶が
とぶと「ばっかやろー」とか言いながら暴れだすらしい。といって
も喧嘩弱いのでまわりからぼこぼこにされてしまいなのだけど。
で、朝目覚めてみると「スッキリ」して起き上がる。まわりの人
はシラけている。「夕べ何やったか、覚えてる?」とくる。
ちなみに最近はお酒は飲みません。先の話は学生の頃の話。

カトリックには告解という制度があるらしい。罪の告白という
ものである。私はイジメを受けていたばかりでなく、かつて
加害者でもあった。本当に当時の人には悪いことをしたと思う。
許してほしいなどと虫のいいことはいえないけど、せめてもの
こととして極力忘れないようにしたいと思う。水に流すという
いいかたは好きではない。たぶん受けたほうは忘れられない
だろうし、事実そのものは消えはしないのだから。ほかにも
忘れてはいけないことはいろいろあると思うのだけど、
具体的なことは勘弁してほしい。

最後に正直に自分の暗部を書くと(書いてはいないのだけど)
一部の人には誠実そうにみえるのじゃないかという計算は
どこかで働いていると思う。そういう心の汚さも暴露したい。
そしてそういう風に書きながら心の汚れなさ、純粋さにうっとり
している自分もいる。やはり自分の中に一匹の魔物を飼って
いるのだと思う。まあ、多くの人はそういうものかもしれないけれど。

P.S 『ネバーエンディングストーリー』に出てくる「真実の鏡」とは
自分を凝視するもう一人の自分ということかもしれない。
裁判でもするように厳しくやればやるほど、ほとんど拷問のよう
な世界になってくる。私もそこまでは自分に向き合えない。
他者に上手に利用されるとマインドコントロールの道具と
されかねない。

2012年11月12日月曜日

静かなる演劇 日本の現在に活きるアニミズム

場における構成要素みたいなもの、たとえば舞台の上の大道具
小道具など、そういうものも役者として捉えてみる。俳優同志が存在感
を競い合いながら舞台上で演じているように、人間以外の舞台上の
構成要素も一種の役者として、ほかの構成要素と存在感を競っている
そういう見方は成り立つのだろうか。いわば背景も静かなる演劇を
しているみたいな見方。

そういう見方で世間を見渡すとものの見え方がずいぶん変わる。
人によってはバス停や信号機、踏切の遮断機にまで人間性みたいな
ものを感情移入できるような人もいるけど、そういった見方を全方位に
拡張してみる。するとどういう風景がみえてくるのだろう。

各家庭のテーブルの上には醤油だのコショウだの新聞などが乗っかっている
テーブルも舞台であり、その上で日々演劇が上演されている。

雑誌の中でも、新聞の中でも、記事たちが、あるいは記事の中で文字列が
単語が劇を演じている。

写真や絵の中はもちろんだ。音楽のモチーフも役者。究極的には点や線、
その他、数学的対象も役者、そういう見方でまわりの景色をみることは
できないのだろうか?

たとえば売り場を舞台とみたときにそういう見方をする人はいるのか検索
してみた。ほどなく見つかった。もちろん商品が役者なのだ。
http://blog.goo.ne.jp/magokoroshoho/e/c2e3a3cd2b99ca5edbbdd64f28d97125

こうした見方は単なるたとえなのかもしれない。
でも詩的なレベルでは今もアニミズムは活きているような気がする。
活き魚のように「殺されて」活かされる微妙さみたいなものはあるけれど。

京都人の料理における始末の思想その他、日本では生きるという言葉と
活きるという言葉がおなじ音だ。建築の世界でも「活きる」という言葉は
大活躍する。言葉が「活躍」するのである。そのあたりの感覚を取り戻して
世界をいきいきさせたい。

メディアシステム全体にとっての重要度

コンテンツの寿命が短くなっているそうだ。
今はストック型のコンテンツ消費からフロー型のコンテンツ消費への
過渡期らしい。http://www.coprosystem.co.jp/marketingblog/2012/03/02.html

発想は飛躍するけど、なんだかミームとジーンが似通ってくるのを感じる。
コンテンツ=テクストも文化遺伝子と読めるのだけど、
遺伝子のほうはあってもなくても困らない、控えの遺伝子があるものから、
よりシステムに深く組み込まれているものまでいろいろあるみたいだ。

学生のころに習ったのは染色体を構成しているヒストンと呼ばれるタンパクで
細胞にとって死活的に重要なもので、このタンパクをコードしているDNAも
同じく死活的に重要なものだ。要するにシステムに深く組み込まれている。

そんな感じでコンテンツにもメディアシステム全体に深く組み込まれていて
死活的に重要な意味をもつものから周縁的なコンテンツまで様々だろう。

コンテンツの練り上げとはメディアシステムの周縁部から中心部に至る
情報生態系の上流のほうに移動していくことなのかもしれない。

メディアシステム全体を超巨大な舞台と考えるとそれぞれのコンテンツは
舞台の上の役者みたいなもので、まあ舞台というよりは舞台としての世界
というふうな感じだと思う。

そこで今度は世界と舞台がダブってくるわけだけど、その片隅でおのおの
のコンテンツはおのおののお客さんに対して何か芸を披露してるわけだ。

「時間かえせー」とヤジが飛んできそうだけど、もうちょっと続けてみる。
ミームとジーンの混同、世界と舞台の混同はある話だけど、4つキーワード
という役者を並べてみると何かあたらしい景色が開けてきそうな感じが
するからだ。

コンテンツの意味、すなわち役柄が変わってきたり、コンテンツの生息地、
ジャンルみたいなものなのかなあ、そこにスポットライトが当たったり、、、、

イメージの世界だったり、とかアナロジー思考全開で読む人がつまらないだろうから
このへんで。あってもなくても困らない大根役者みたいなコンテンツでした。

P.S 見えない話で申し訳ないのですが、コンテンツって階層があるじゃないですか。
全体としての本、章レベル、パラグラフレベル、文字列レベル、単語レベル。
各階層それぞれが役者みたいな感じに見えてきて、上位の階層が舞台となって
演技をしているような感じに見えてくるのです。ちょうどこういうものがやはり各階層
の存在者を役者としてみたときの世界と対応して見えてきたりですね。原子、分子、
細胞、組織、個体、個体群、、、、宇宙、存在ってあるじゃないですか。

初歩の存在論レベルの話がまだ私の中では新しくて、その世界で目からうろこが
まだ落ちているのかもしれません。

対立と調和

前回のエントリーの「ちゅんちゅん ぱんぱん わんわんわん」
実にくだらない呪文ですが、すこし記憶がほどけて当時のことを
思い出しました。軽い記憶障碍があってエピソード記憶とか
病気の前のことも後のことも自信がないのですが、病気がらみ
のことはよっぽどインパクトあったのか覚えている部分もあるの
ですね。でも、前後記憶がつながらなかったり、混乱してしまって
覚えていないことも多量にあります。

2が対立で3が調和、安手の数秘術みたいな感じですが、演繹
して自分で考え付いたのだと思います。それも大したことでもない
と思うのですけども。

1992年まで学生してましたけど、本当に本を読んでいませんでした。
時代も時代でしたから、居酒屋にいったり、先輩の下宿で飲んだり、
カラオケボックスという毎日でした。宴会芸とかオバカなことをしな
がら大学入学して進級するごとにバカなことばかりするようになって
いました。

勉強以外の本なら読んだのです。筒井康隆の小説とか銀河英雄
伝説とか、その中で後から考えてみると病気の世界に影響を与えた
のではないかという本もありました。

谷恒生という人の小説群です。私、大学3年の時にアジアを周遊した
のですが、バンコク経由で帰ることは最初から予定でした。

それでふとしたことから『バンコク楽宮ホテル』というこの人の小説読んだ
のです。それで、バンコクでは落宮旅社というモデルになった安宿にも
とまり、そういう縁でこの人の小説を読むようになったのです。

この人、作家生活の前半のほうではハードボイルド調ものを書くのですが
後半、オカルト色が濃くなります。それも、大学生の私が読んでも意味が
さっぱりわからないのです。でも、無意識レベルで影響をうけて「こういう
世界もあるのだろうか?」などとわからないなりに惹きつけられるのですね。
具体的には『魍魎伝説』というシリーズです。こういう影響の受け方ってどう
なのでしょうかね。その頃の私が感受性強かったのでしょうね。

後から考えるとそのあたりが病気の世界に入る導火線のはじまりのようです。
で、さきに2が対立で3が調和などと書きましたよね。あと、善と悪の超越とか
なんとか下宿の暗い天井みながら夜中なんとなく考えていたことを思い出しま
す。哲学というには幼稚すぎなのですけど、哲学のての字もしらず、理系で
実験のため手ばかり動かしてお茶濁していた私はその位が関の山だったの
です。そして卒修論の実験とは蘭の培養細胞の凍結保存で、実験結果は
細胞レベル、組織レベルでの生死判定というのをしないといけないのです。
生命の凍結とか生とは何か?死とは何か?とか変なこと考えはじめるのです。

で、いろんなとりとめのないこと考えていって、具体的なことをつきつめると
最後は数になるなど原始人レベルのことを考えたり、物事の根源は物理で
あるとか思ったりしました。(数とは具体的なものを抽象したものと自分なりに
考えたわけですね。)とにかく後から考えると素朴なのです。素朴な発見。
でも、本を読めば自明なことも自力で考えるとなかなか手ごわいものであって、
その分発見の喜びも大きくなるものです。で、目の前から霧が晴れてきて、
いろんなことがわかるような感じがしてくるのです。目の前にあるのは袋小路
とも知らず、すばらしい明日がくるような感じがして、蜃気楼のほうにとぼとぼと
歩いていくわけです。ゆっくりゆっくりの速さだと思うのですが、修了前後に病気
の下準備が少しずつできていて、新入社員研修のときに病気の花がわっと開く
のです。ただ、前後関係の記憶は今も混乱していて、大学のときに考えてたこと
と会社に入って、会社の寮とかで考えてた内容がどれがどっちだったかまでは
今は思い出せません。後から反省するとそうなるのですね。当時は精神病につい
ては無知なので何も自分でも気づかず、周りも気づかないわけですよ。

「ちゅんちゅん ぱんぱん わんわんわん」という文句は2拍と3拍からなっています。
それが対立と調和と結びついてなにやら深淵なニュアンスを帯びていたのかも
しれません。

話は飛ぶのですが、、、、
すっかり状態が悪くなったとき、会社の人が出前でとったお寿司を私に食べさせよう
とする場面があるのですが、なぜか思い出せないのですが、手をつかわずに食べよう
として、会社の人は両手を握った場面があるのです。そのとき、2は対立で3が調和と
いう公式が効いてきて、私は振り切って、もう一人のひとを加えて、3人で輪になって
手をつないでぐるぐるダンスでもするように廻ったのです。オカしな人とダンスした
会社の人の気分はいかがだったのでしょう?でも、私にとっては世界劇みたいなもの
で3人で手をつなぐことによってはじめて世界は調和したのでした。

わかんない わかんない わかんない

「我思うゆえに我あり」、意味は知っていなくても、言葉ぐらいは誰でも知っていて
私もその一人だった。

まくらそっちのけで、いきなり病気の時の話にいってしまうのだけど、
ほとんどこの世界の人間ではありえなくなっている状態の中、
なぜか神社にいた。

ちなみにその時の神社での模様は以下の文の半分ぐらいのところに書いてます。
http://epimbi-madrigal.blogspot.jp/2010/03/1992.html

ひとときの間、サトった、ような感じがして、そのあとその状態が崩れてきて、
何やら不安な感じになったのですが、状態を立て直すつもりで
「わかんない わかんない わかんない」って連呼してたのです。
呪文みたいな感じなのだけど、病気になった当時、呪文めいた
文句はほかにもありました「ちゅんちゅん ぱんぱん わんわんわん」とか。

意味不明だけど、当時は意味はあったのです。意味にまでなっていなくて、
意味になる手前のイメージみたいなものだったのかもしれません。

それがこの世界の深淵な意味を担っているみたいで、、、、
ばかばかしいでしょ。でも当時は大真面目だったのです。
ぱんぱんは売春婦で、わんわんわんはおまわりさん。
それが何かのアナロジーでワタシの中ではこの世の真実をあらわす
深いメッセージだったのですが、まったく笑っちゃいますよね。
笑えさえもできない?、、、スルーしてください。

「わかんない わかんない わかんない」のほうは要するにすべてを
疑うというような意味だったと思います。

意識が変容した中で、そういう言葉を続けて連呼していきますと、
「我思うゆえに我あり」を通り越して、自分が何かわからなくなるのですね。
本当に特殊な精神状態。

神社の境内のアジサイに近づいたら、自分はアジサイかなあと思ったり、
アジサイの花に群れているチョウチョをみていたら、自分はチョウチョなの
かなあと思ったりですね。

それでもアジサイだと思っている我はいるわけですからデカルトも
すごいことを考えたものです。でも、当時はそういうことまで考えなくて、
「自分はアジサイなのかなあ?」でますます、自我というものが
揺らいでしまって病気の体験は深くなっていくわけです。
当然アタマはクラクラしてきて、何が何だかわからなくなるわけです。
哲学催眠みたいなもの?

別に当時、宗教的なものにハマッていたわけではなく、
哲学にも凝っていたわけでもないのです。本当にふつうの
学生が知らぬ間に蓄えている世間で流通している知識の断片
ですね、そういうものが病気の体験の中で重要な役者を演じるわけですね。

P.S 「ちゅんちゅん ぱんぱん わんわんわん」のほうは当時テレビで
「やめましょう、迷惑駐車と猿芝居」というコピーを流す面白い宣伝があって、
その中で大阪府警が出てくるのですね。その印象が強くて、何か変形された
カタチで病気のエピソードの中で出てきたのかもしれません。といっても
意味不明は意味不明なのですけども。

だから、病気の人が「この世界の秘密を知った」と思っても、
第三者的に意味のあるメッセージというよりも、本人のイメージ世界の
中で複雑にアナロジー的に絡み合いながら、その時の本人にとって
意味深長なニュアンスを獲得していくのかもしれません。
メッセージ自体に意味があるというよりも、
「この世界には秘密がある」と生理的に直観することが意味があるの
かもしれません。

2012年11月11日日曜日

患者の日々の内面の記録 意味はあるのだろうか?

患者といっても、現在は症状はすっかり落ち着いていて、たまに抑うつが
あるくらいで危なげな場面はそれほどない。

それでも日々内面は動いていて、それを書き綴っていったら患者の内面
の生活史ができあがるのだろう。

そういうものに意味はあるのだろうか?

病気のほうに焦点をさだめるともっと生々しい段階の記録のほうが面白い。
でも、自分をいたずらに見世物にしてしまうのがこのブログの目的ではない。

記録することであぶり出しにされてくる、この病気に関する疑問点や謎もある
のではないかと思うのだった。病気というよりも、この病気に罹る類型の人間
みたいなものについての興味かもしれない。

性格特性はあるらしい。熱中しやすいとか真面目すぎとか。
もしかしたら、ふつうの人の性格のどこかを強調したものが患者像なのかも
しれない。

チューリッヒの精神病院がチューリッヒ市の縮図であるというような文章を読んだ
ことがある。

動物園のように患者たちを観察してまわる趣味はどうかと思うのだけど、患者を
通して人間というものを理解するというアプローチはアリだと思う。

病気を通して学べることもあると思う。少なくとも病気との付き合い方がうまく
いっていたから自分をコントロールすることも可能になって、それほどひどい状態
を巡らなかったのかもしれない。

内省ばかりするというのもどうかと思うのだけど(たしかにそっちばかりいくのも
よくないことは分かっている)。精神医学に貢献などということも大げさすぎる。

そういう誇大なものがたりではなく、もっと小さなものがたりを考えている。
何年も先の自分に対するささやかなプレゼントとして。

この非定型精神病、基本的なところがわからない。症状は急性で苛烈、
でも予後はよいとされている。それはなぜなのだろう?現象としては記載
されていても一歩突っ込めばわからないことだらけ。

予後はよいとされている。でも苛烈な症状はあとの人生に何の影響も
残さないのか?

神秘体験の報告もある。それとシャーマニズムって何か関係あるのだろうか。
伝統的な社会ではなくなった現代、それらは単純にスピリチュアリズムの
言葉に回収されるのだろうか。もっと現代的な折り合いのつけ方はないのだろう
か。ファンタジックな詩的な世界で自分の内的な世界を表現するといっても
かならずしもそれらは出来合えのスピリチュアリズムの言葉に依存しなくても
いいのではないだろうか?

疑問はどんどんふきだしてくる。そして、答らしきものは世間にはなかったりする。
自分ごときにその答を練り上げられるだけの力量はないと思うけど、
何かを「みてしまった」以上、答にかかわるかけらくらいは内なる世界に存在
するのではないかとみている。もっともそういうことを探求するのは生物学的には
意味がないし、健康上も問題あるのかもしれないけれど、魂の問題というのは
人間性にとっての根源である。こういう問題で悩むのは仕方がない。

骨組みと肉付け 抽象的な文章はおいしくないらしい

抽象的な文章ばかり書いている。実体験がまずしく、日々図書館通いなのだから、
肉付けするための材料が手にはいらない。
アタマでっかちな状態はさっさと卒業して街あるきでもして人間観察するのがいいの
だろうか。

その気になれば自分の家の中の家財道具ながめているだけでも発見がありそう
なものだ。目の前に広がる画面の構成要素なども違う目で見られるかもしれない。

具体的には、、、?

知らないうちに自然なものとして、目の前のアイコンとかメニューとか馴染んでいる。
言葉でコマンドを打たなければならなかったとしたら、苦労するというよりも、私みたい
なものは永久にパソコンを使えなかったに違いない。

翻って、ココロというコンピュータはどうだろう?自然な感じで日本語になれ親しんでいる。
日本語をみると自動変換され、嫌でも意味がうかんでくる。この感じは考えようによっては
不気味だ。日本語で書かれたものは読める世界、脳はそれを解釈し、脳が意味を立ち上げる。

抽象的な文章を書いても自分の文章なら楽々と読めるのはなぜだろう?
そして、それが他人様による文章だったらえてして意味不明になってしまいがちなのは
なぜだろう?

それは使い始めのソフトの画面がさっぱりわからないように、他人様のものの考え方、
そしてそれが表現された文章というものがわからないためだ。

風変りなものの考え方をする人であればあるほど、その表現された世界は
なかなか読み込みにくいものになってしまう。

でも、逆に風変りと本人は思っていてもそうでもないかもしれない。同時代読んでいる
ものとか流通している考え方はある程度にかよっているのかもしれない。

また、抽象的になっちゃった。具体例といっても、できることは本を読むくらいのこと
だから、何かの劣化コピーにすぎない。

実体験は今の私の境遇ではひどく制限されている。ある種の数学科の学生が発散
する匂いに貧困さを感じるように、なんだか今の私が発散させているのも貧乏くさい
のかも。本や観念の世界が世界のすべてだとそうなってしまうのだろうか。

うまいものを食べ、旅行もたまにはしないとイメージは豊かにならないのかもしれない。
うまいものといってもうまいものの具体的な表現が出てこない。勉強のために前は
たまにグルメして、スッポンたべたりしたのだけど、舌が育っていなくて、猫に小判だ
ったような気がしてならない。質素な家庭に育ったので、たとえお金があったとしても
毎日の食事を贅沢にする気にはなれない。同じ生きるのならおいしいものを食べた
ほうがいいとか、餌のような食事をするべきではないというのはよくわかっているの
だけど。まあ、中食ばかりたべているという状態ではないし、質素なりにおいしい食事
食べているのでよしとしよう。

骨組みと書いておきながら、きちんとした骨組みの文章をかけたわけではなかった。
骨組みとあえて書くのなら、全体の構造がしっかりした文章を書きたいものだ。
構成しながら書くというやり方には慣れていない。やればできると思うのだけど、
今は流れ出るまま、つらつらと思い浮かぶことを書いている。長椅子の自由連想みたい
だ。自由連想と構成して書くという書き方は対象的だ。談話文が支離滅裂なように
読みにくい支離滅裂な文章に違いない。そういう意味ではやはり自分用の素材のような
文章のあつまりなのかもしれない。書き溜めたものから使えそうな要素を抜き出して
あらためて何か書くための準備としての文章のような。

自己分析の裏返しとしての対象分析

自己分析が一般に信用がおけず、意味がないとされている理由は
どうしても盲点が出てくること、自分には甘いことなどがあげられる。
その一方で自分のことを知りたいとか自分のことをカタチとして残したい
といった欲望、願望は多くの人に潜在的にはあるのかもしれない。

そこで使われるのは対象を設定して、対象を分析することだと思う。
そこには裏返しとして自分が出てくる。客観的に分析しようとも、表現する
言葉を選んだのは自分である。

あぶり出しのように自分が出てくるのだと思う。
そういうことは数学や物理のような普遍的な対象でも同じなのだろうか?

別に運動方程式を発見したのはニュートンでなくても後世の人は困らない。
その結果を利用するという立場なら。

そして、時代が新しくなればなるほど、業績主義になってオリンピックにおける
新記録みたいなものになるのだろう。個人というものを越えて、国威形容にな
ったり、地域を背負ったりする。

それでも、なぜその対象を選んだのか?というのは自分が出てくると思う。
単に今、流行だからというものも入れて。

抽象的なものに惹かれる人もいれば、文学のように具体性を帯びないとやる気
が起きない人もいる。単純なものに美しさを感じる人もいれば、複雑な対象に
面白さを感じる人もいる。

そのあたりの好みは生まれつきのものもあるに違いない。生得的な遺伝子の違い、
神経細胞を構成する遺伝子の違いなど。ブラックボックスであり、さっぱりわからない
ものの、親子の似ているところなどから類推してぼんやりとながら把握できる部分も
あるだろう。

世間にはいろんな対象がある。パチンコが好きな人も軟派が好きな人もいる。
ドーパミンの放出という意味においては高尚だの低俗だのといった区別はない。

それぞれの人が自分史上の行きがかりやら、単なる偶然、生理的な背景その他
にしたがって好きなものを選んでいく。熱中の具合も人それぞれだし、その結果を
どう表現するか、しないかも人それぞれ。

合わせ鏡のように自己と対象がある。男と女のように。

対象を覗き込んでいるようで実はスクリーンに映し出された自分の姿をみているの
かもしれない。対象のように映っているのは単なる媒体なのかもしれない。