はじめての方へ

私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。

P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。

p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。

P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)

P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)


2012年4月30日月曜日

進化しすぎたアニメを支えるひとびと

そのうちの一人に私は入っているのかなあ。
つまらんバラエティ番組ばかりのテレビをほとんど
見なくなってもうかれこれ経つのだけど、最近また
テレビ見るようになった。BS11の難解な深夜アニメたち。

まあ、難解なアニメ作るほうも作るほうだけど、
そんなものを見るほうも見るほうだと思う。

批判は多いのだけど、少し枠を時間的にも空間的にも
広げてみると結構これは面白い現象なのではないかとも
思う。

文明の爛熟というかいきつくところまでいきついたという
ことなのかもしれない。

まさに文化のガラパゴス化。海外の人たちは珍妙な
印象をもちながら、日本の一般消費者たちを観察して
いるのかもしれないし、そうでもないのかもしれない。

江戸時代に今では古典園芸植物と呼ばれる、斑入りの
万年青やらマツバランやイワヒバが流行ったり、
投機の対象になったりして、あとの世から考えると
理解不能だったりするのだけど、
後世の人々は今の世の人がなぜこんなものを
消費しているのか理解不能かもしれない。
そういったものが流通する同時代に生まれて
幸せだ。

新古今和歌集の時代もそうだったけども、
日本人って歴史振り返ってもたまにこういうこと
するんだよね。新古今の本歌取りみたいな
マニアックなおたのしみ。

まあ、私は地方に在住しているから、
ぜんぜん濃いアニオタでもないし、
アニオタですらないと思うのだけど、
少し距離置いて眺めると面白いんだよね。
こういうの。

P.S 『ロマン主義 : あるドイツ的な事件』という本読んだの
ですが、かつて、文学の世界でちょうど今の日本のコンテンツ
の世界のような状況があったのですね。文学工場のように
コンテンツが吐き出されて、むさぼり読む時代。
ほとんどのものは埋もれていったけど、残った珠玉の
作品が古典として後世でも読まれている。そういうコンテンツを
生み出した状況と並行的な現場にちょうど今私たちはいる
わけです。ロマン主義時代の消費者のことなどもうわかりも
しないのだけど、今の状況から類推することは可能かも
しれないし、少し未来の状況はロマン主義時代の歴史を
ひもとくと予測できるのかもしれません。

P.S 『ユリシーズ』やら『フィネガンズ・ウェイク』を支えたひとびと
の気持ちわからないけど、わかるような気がする。当時も今も
批判はあるかもしれないけど、面白いと思ってくれた受け手
ってたぶんいたのだろうな。向こうは純芸術で、深夜アニメは
一応大衆文化のくくりだけど、そこが一番面白いところかも
しれない。大衆って一体誰のことだろう。

へたくそな文章の味

こんなことを考えはじめると逆に嫌らしくなるかも
しれないけれど、計算してわざと崩すよりはましかも
しれない。

背伸びしても仕方がない。

まあ、自堕落な文章もよくないのかもしれないけれど、
私は私なりに努力している部分もあるので
そこは免じてほしい。

基本、素朴な感じに仕上げたいとおもっているのだけど、
計算された素朴さみたいな味は出せない。

それはプロの仕事だ。それは家庭風料理の世界であって、
家庭料理の世界ではない。

郷土料理にはその地方の環境から育まれた
知恵がつまっていると称されることもあるけど
そんな表現を目指したい。

私は地方都市に住み、私なりの環境で私なりの
精一杯のことをしている。あくまで、私なりの精一杯
ではあるけれども。

精一杯と背伸びはちょっとだけ違うと思う。
努力はそれなりにするけど、自分を自分以上の
存在に見せようとは思わない。

ひとと比べてどうのこうのとか他人に勝ちたいとか
周りから抜きん出たいというよりも、
自分なりの満足を得たいと思うのだ。
私は勝負事は苦手で、スポーツはあえて言えば
登山が好きだ。もっとも見晴らしのいいところから
下界を見下ろして悦にひたる趣味はないけども。

勘違いできる幸せ

気分は上下し、よいときはいろいろ書く。
そして、誇大妄想にはいきつかないものの
蜃気楼みたいなものがめらめらとはるか遠くに
見えてくる。

でも、八割がた「勘違い」だと自分で自分の心に
言い聞かせている。そのために何とか人にも迷惑
かけず、自分も破滅せずになんとかかんとか
今の生活を続けている。

論理の飛躍も多いし、文章も推敲なしで書きなぐり
だったりして、商品価値があるなどとはどうしても
思われない。

基本、理性の人ではなく、感性の人だと思うのだけど、
その感性とやらも、今の世の中私よりも優れている
ひとぐらい、はいてすてるほどいることも自覚している。

だから、あくまで記録としてものを書いている。
21世紀の初頭のころの、日本の南の辺境の都市に
住んでいるちょっとだけ、へんなこと考えている
そこらへんにいる人の一人の文章。

化粧っ毛のないスッピンの文章なので、
逆に今の時代とか日本の地方都市の空気感とか
文化的土壌みたいなものを写し込んでいるような
気がする。

勘違いしがちなところを自分で軌道修正しつつ、
楽しみながら自己表現しているあたりって今っぽい
のじゃないのかなあ。

頭の中に知識ベースを構築する

頭の中に知識ベースを構築する方法。
まあ、私のあたまの中にそんなものがあるかどうかは
不明だけど、生活史をたどり直していくとこうなる。

幼稚園以前、汽車、とくに貨車に関心があった。
小学校上がって、ミドリガメ、ヘビに興味が移った。
地図当てみたいなことばかりやっていた。
地図当てという遊びは地図広げて、地名を読み上げて
その地名を探す遊びだ。さんざんやっているうちに
主な大都市とか首都とかの名前とおぼろげな場所
覚えてしまった。

飽きっぽい性格なので、興味の対象は移っていった。
天文、切手、恐竜、ラン、、、

数学は代数系はだめで、幾何の証明問題がすきだった。
微積分の最後に出てくる、微分方程式の辺りがなぜか
好きで特殊解、一般解という概念がたまらなかった。

幼稚園の頃の鉄道趣味がそのまま続いて、
大人になる頃は相当なマニアに育ってしまう
パターンもあるだろうし、そういう友達ももったこと
はあるのだけど、趣味が移っていくのはそれは
それでよかったのだと思う。

ひとつの趣味が関連領域を引き込んでどんどん
広がっていくパターンもあるだろうし、私のように
趣味が移りながら、後のほうで、おぼろげながら
それらがつながってくる場合もある。

精神病の影響で全部がつながったのか、
全部つながってしまったので精神病になったの
かは私の場合それぞれの側面がある。

精神病から立ち直るとき、数学で勉強した
特殊解、一般解という概念が役にたった。
子供の頃の知識なんて豆知識に過ぎないかも
しれないが、子供は子供なりに知識の井戸を
掘っていて、複数の井戸を掘ることで私なりに
特殊解、一般解のイメージをふくらませたこと
だろう。

読みたくもないのに、将来のご利益を期待して
百科事典を読破したり、読破させたりというのは
しんどいものだ。そういうやり方は有害無益に
違いない。そうではなく、自然な流れで興味が
広がっていくのがよいのだと思う。アイドルとか
ブランドグッズとか興味のある若い人たちに
そういう自分の興味と学校の勉強ともどこかで
つながっていることを伝えたかったこともあるけど
力量不足でできなかった。でも、ブランドグッズで
あれ、アイドルであれ、本人の意思で何かに
熱中していることは大事で、そこから無理のない
形でブランドグッズならブランド化の方法、ものづくり
の技術、アートとブランドの関係、等々学べるもの
はいくらでもありそうに思うものだ。

好きなことを利用しながら、その背景まで学べる
仕組みがあればいいのになあと思う。

P.S さすがに百科事典読破したことはない。
ノーバートウィーナーが百科事典読破したり、
南方熊楠が和漢三才図会を引き写したり、
アインシュタインが特許局で働いていて
無数の発明事例を審査したりしてたことには
つながりがあると思う。要素同士の目に見えない
つながりがすべて見えてたとは思わないのだけど、
すべてはつながっているような感じはしていた
のだろう。頭の中のおぼろげな知識の網が
少しずつ明らかになり、新たな知識を学ぶ
ときひっかかることが増えてきて、網の目も
細かくなっていくのであろう。

TRIZに対応するものは縄文人たちも意外と知っていたのではなかろうか

今日のお題はまったくのでたらめである。
しかし、TRIZを知る前から思っていたような
ことなので書いてみる。

「森の人」、縄文のムラの呪術者たちも、
ほかの業種の人の知識が意外なところで
使えることは知っていたのではなかろうか?

相対的に知識が足りていない時代のことだから、
使える知識は何でもつかっていたと思う。

話は全然かわるけど、私の尊敬する人に
霜山徳爾という臨床心理学者がいる。

この人の本、著作集に
『多愁多恨亦悠悠』という本(よめない)がある
のですが、中身もなかなか難解です。

草分けの臨床心理学者と本人も書いていらっしゃるので
心理学の理解のために、使えるものは何でも
使ったかのように古今東西の古典などから、
現場で使える知恵みたいなのを引き出している
ように見えるのです。

外国のいろいろな本が翻訳されたり、
また専門家がその分野の本を出されて
それが読める世代であれば、そういうものを
利用すればいいのですが、そうではなかった
世代は、専門分野の外に使える知識を見出した
と思うのです。

旧石器時代において、すでに分業的な
役割分担がなされていたと何かで読んだので、
縄文時代すでに、分担ごとの蓄積され、
継承された知識があったと思うのです、
それらをよろず相談係の縄文の呪術者は
植物に詳しいひと、ものづくり関係のひと、
狩りにいくひと、その中でもそれぞれの動物
ごとに詳しいひと、海に出るひと、遊ぶ子供たち
そういう人たちの話を聞き、幹と枝葉を理解し、
この世とはどういうものか、その法則性、
同じようなパターン、業種越えて共通する
パターンを追っかけていたと思うのです。

占星術とか、知識の整理棚に相当するものは
外国から新たに入ってきたとしても、基本となる
のはその社会で手に入る限りの知識ベース
だったように思うのです。

「ものしり」って、雑学屋のことですが、
南島のほうでは呪術者のことも指します。
ほかに南島では大工さんとかも家つくるばかりでなく、
よろずの知識や呪術的なことにも詳しかったみたいです。
あと易者さんとかもそうですねぇ。
まあ、島で手にはいるあり合わせの知識で
器用にいろんな問題をさばいていく感じなのでしょうか。

いろいろ疑問はあるのですが、
後継者はなぜパイオニアを越えられないことが
多いのかとか、知識が相対的に足りていないのに
なぜシュメール人たちは文明の基盤に相当する
重要な知識を発見できたのか?
シュメール人たちの創造性の源とは何なのか?
つらつらといろんなことが頭をよぎっていきます。

とりとめもなくなったのでこのへんで。

P.S ものしりという用語のことを知ったのは
広辞苑の記述からです。現在の南西諸島で
ものしりに相当する人がまだいらっしゃるのか
は不明です。ちなみに、小学校高学年のとき
私にランの知識、鉱石の知識などを授けてくれた
のは4才上の方でその人の親が宗教に詳しい
人だったみたいでした。その辺のこともそのうち
書こうと思います。

2012年4月27日金曜日

ぼんぼんなりの賢明な生き方

ぼんぼんなりの賢明な生き方って何なのだろう。

家は金持ちではないが、母は貧乏人なりに成功し、
私がニートでも今生きていられるほどには楽な暮らしと
いえるかもしれない。

ただし、私の耳の奥では滅びの調べがいつも鳴っていて、
消えることはめったにない。

多分、この滅びの調べこそ、
私をちょっとはマトモにさせているのだろう。

私の家族の歴史は物覚えした頃から右肩上がり
だった。

逆の家族の話もよく聞くことがある。

表と裏のようにそれらのストーリーは
つながっていることだろう。

その人生の哀しみを何かに託し、
ちゃんと残せるものを何かこの世に残すことが
許されたとすれば、私は私なりに
ちゃんと人生やりとげた
ということになるのではないかと
勝手に思っている。

その道ははるかに遠く
そこまで私の力でたどり着けるかどうかも
わからないけれども。

父の背中 母の背中

親として生きること、それ自体大変なんだなあと思う。
なんだかんだいいながら、子供は親の背中を見て育つ。

私は子供を持たなかった。
ある意味責任を回避したのだけど、
それはそれで正解だったのかもしれない。

親がしっかりしすぎて、私はひ弱に育ったけれども
親の生き方だけはしっかり頭に叩き込み
何回も反芻している。

典型的なぼんぼん育ちになってしまったけれど、
ぼんぼんなりの懸命な生き方ってきっとあると思う。

親のおかげで苦労はしないで済んだ分、
これから一杯苦労しなくてはならない宿命をもつのだけど、
親の生き方から多くのことを学び
この親の元で生きられた恩恵を生かし倒すほかは
ないと思う。

私の場合、私の両親も元で育てられた
心の財産って一体何なのだろう。

誰の背中を見て過ごすか

あてもない人生をさまようにはモデルが必要だ。
具体的なモデルがいると苦しい旅程もイメージしやすい。

ひとそれぞれ自分にふさわしいモデルがきっといる。

多分その人の背中をみながら同時代わたっていくのだろう。

自分の背中も誰かに見られているかもしれない。

そうやって人の世はなんとかかんとか続いてきたのだろう。

2012年4月26日木曜日

希望のともしびが揺らぐとき

前の文章で自分の今の境遇を嘆いているようにも
感じられたのでそのあたり、よく分析したい。

そもそも今の自分は不幸せなのだろうか?

どうなんだろ。

上を目指せばきりがないけど、
下をみてもきりがない。

という意味ではそれぞれの人には
それぞれなりの幸不幸があって、
江戸時代以来
今いるところをそれなりの幸福として
自分を納得させていたに違いない。

結局なにを夢みているのだろう?
たまに立ち昇る蜃気楼の正体って何なのだろう。

報われた自分、どこか別のところにいる自分?

希望って何だろう?

何かチンケな夢であり、チンケな希望のように
思えてならない。

マスコミに煽られ、憧れの対象として
描き出された金ぴかな夢の生活。

青い鳥は自宅の鳥かごの中にいる。
今、何かが書けて、ちゃんと読んでくれる人もいる。
遠くに立ち昇る蜃気楼のことよりも、
足元のことを考えたい。

書かれた手紙は必要な人の元にちゃんと
届いている。

胸の内には分不相応な欲がとぐろを巻いている
のかもしれないけど、80年代だったら与えられなかった
機会は与えられている。

両親の代には与えられなかった教育も
与えられているし、祖父母の代ならば
そういう欲さえも思い浮かばなかっただろう。

そのへんのことを考えると十分幸せといえるのに
これ以上いったい何を望むのだろう。

子供ってどうして天真爛漫になれるのだろう?

と、天真爛漫になれない私は思うわけです。
よけいな邪念が入ると、世界はだんだんくすんできて
考えることなどにも陰りがみえてきます。

そうするとなかなか面白いことは思いつかない。

楽しいことを思い描けないわけで
こういうのを心の貧乏人というの
かもしれないですね。

ほんとに子供ってどうして天真爛漫なのでしょう?

真っ白いキャンバスのように心も真っ白い。

大人になるにしたがって少しずつ世間を知って
くすんでくる。

本当は世界のことをほとんど何もしらないくせに
こんなものだと思ってしまう。

固定観念。

心の洗濯でもして、真っ白い自分を少しでも取り戻さねば
ということで必要になってくるのが誰かの作品なのでしょうね。

映画『ネバーエンディングストーリー』でファンタジーの王国が
やせ細り、どんどん崩壊していくさまが描かれたのは
本当に夢のあることを描き出すことの困難に
なった今の世の中を反映してのことなのかもしれない
と書きながら思っています。

空想を楽しむはずのファンタジーの世界も内なる戦いの
世界で、自分の境遇、そして今の世の中のありかたに
抗いながら、自分の望む夢の世界を思い描き
表現として取り出すという作業なのかもしれません。

2012年4月25日水曜日

すっぴんと化粧と才能と表現

粗製濫造のように今日は文章が思いつく。
粗製濫造なので質には問題あるかもしれない。

文章とかによくいえそうなことだけど、
すっぴんと化粧みたいなものがあることだ。
いわゆる推敲という作業である。

絵画であれば、小手先としての技術などが
そういうものかもしれない。

才能というものはどういうものかは
私はよくわからない。

ただ、生地としての表現の質ってあると思う。
生地としての表現が面白ければ、
荒削りなら荒削りなりに表現って
成り立つのだと思う。

逆に生地としての表現がつまらなければ
それにどういう化粧を施しても
つまらないものはつまらない。

残酷かもしれないけど
そういうものだと思う。

表現は何でもかんでもわかっているくらいで丁度よい

専門の表現者でもないくせに表現のことについて書く資格なんかないと
基本思うのだけど、まあ念のために書いておこう。

テレビ局関係の人を観察して思ったことなのだけど、言葉を
飯の種にしている人ってなんでもかんでもしっている。

みんな思うでしょう。ニュースの原稿読む人って、毎日毎日
まったくかけ離れた分野のニュースが入ってくるけど、よく
そんな文章読めるものだって。

自分がわかりもしないことを読むとすぐばれる。高校で世界史
とってないのに世界史の予備校講師を頼まれたことがあり、
イタリア問題とか領邦国家とか自分が知りもしない用語を話す
ときの不安さといったらあったものではなかった。

漫画描いている人なども、何でもかんでも知っているものだと
感心する。背景知識がなければ説得力のあるものは生まれて
きそうにない。

さて、美術、それも抽象表現はどうだろう。抽象的な図形とか
ものを知らなくても描けそうだ。どうだろう?

残念でした。抽象的な表現の背後に何かを見ることができな
かったら抽象的にはならないでしょう。抽象とは個別な具体的
なものを一般化したものだから、具体的なものの裏づけがなか
ったらまったくナンセンスなものに成り下がってしまいます。

おまけに、数学的なセンスも少し必要っぽい感じがするのです。

となるとごく限られた人だけに表現する資格って与えられる
ような感じになってしまうのですが、書きながら少し疑いはじめ
ました。多様性のほうが抜けちゃうのです。表現するにも
いろんな道があるという真っ当な考え方。

私はいろいろ矛盾することを書いています。要素が抜けること
とか学ぶことの表と裏といったテーマで知らないこと、わかって
いないことの効用を説いたりします。

たぶん正に対する反みたいなもので、基本は「知は力なり」
だと思います。だから、時間を無為に過ごさないで若いうち
に学べることは学んだほうがいいと思います。年齢が進んで
くると新しいことはだんだん覚えにくくなります。

若いうちに詰め込みすぎると伸びきったゴムのようになって
違う意味で中年以降苦労するかもしれませんが、またそれは
別の話です。

P.S 読み返してみて「張り紙禁止」とかいてある張り紙の
ような恥ずかしさを覚えた。多分突っ込みどころの多い
文章に違いない。いろいろ反論を考えてみて、何かの
ヒントにしてほしい。

P.S2 このサイト全体にいえることだけど、別に自分の考えを
広めようとして書いていない。その時考えたことの記録として
書いてある。あくまでも暫定的な結論で、書きながら考える
タイプだから、考え方は時とともに変わっていくと思う。
完成された思想がそこにあるのではなく、考える過程が
書かれてある。

体験に根ざしていること

心理学関連の書き込み読んで面白くないなあと思うときがある。
それはいかにも教科書的でお勉強しましたという感じで書いてある
ときだ。

だから、逆にここでは実体験に根ざしたこと書こうと思っている。
そうはいいながら単なる思弁的なことも多いけれど、空想内容
みたいなことも一次情報としての価値をもつ場合もあるかもしれない。

別にお勉強を否定しているわけではない。社会経験が少ない私は
その埋め合わせのために図書館を利用しているからだ。

図書館はどういう風にしたら現場になるのか。本を読むということは
どうやったら現場になるのかとよく思う。

外国語の本を読めば、それは体験になるのか、計算したり、
プログラミングしたり、3DCGつくったりといったことで
体験になるのか?職場体験をおいて人間の成長する道は
ないみたいな見方をする日本社会で職場の外で、もしかしたら
社会の外で成長する方法を模索していること自体も何かの
経験かもしれないと思う。

その点、コンピュータ上の環境といえばいいのかネット環境といえば
いいのか、そういった環境は実にありがたい。80年代であれば、
世界の最先端の研究所でしかありえなかった環境が民主化されて
多くの人が使えるものとなっている。

もっとも、実はそこには障壁があって、タッチタイピングとか何でも
ない人にとってはなんでもないけれども、そこが大きな壁となって
立ちはだかる人もいる。

そして最近常々思うようになったことは、新しいソフトのマニュアル
読むのが年々苦痛になっていくことだ。新しい語彙を覚えるのが
苦痛でたまらない。英語表記であれば、その苦痛は倍加する。

まあそれでも、わからないなりに数学書に挑戦したこともあり、
そういう場合の読み方は心得ている。とにかく何回も眺めとおす
ことであり、何回も読むことで新しい語彙も少しずつなじんでくる。

と考えていくと本を読むこと、読み方の戦略を練ることなども
体験のひとつに違いない。

心の中の小人たちとあいだの病

心の中の小人たちというのはミンスキーの『心の社会』に出てくる
エージェントたちのことで、あいだの病のほうは木村敏の本に書かれている
あいだの病のことである。

精神病の人はなんらかの意味で人と人の間に問題を抱える
パターンのあることがよく見られる。

話すときのちょっとしたタイミングとかちょっとした仕草とか。
何かの働きが弱くなって、やりとりが地味になってしまうこと
もあれば、逆に何かが過剰になってしまうこともあるかもしれない。

健常者の人は話すときにそう困難を感じることはないかも
しれないけれど、うまくいっているときはよくても、ひとたび
人間関係が崩れると修復が難しいことはよく経験すると思う。

普段は表面化しないだけで、コミュニケーションとはそもそも
難しく、何気ない形でかなり高度なことをやっているように
思われる。

そう。その何気ないことというのが実はくせものだ。

ミンスキーの『心の社会』を読むと、専門知識を満載した
人工知能を作ることは実は技術的にはそう難しくなく、
4才くらいの子供がなんなくやってしまうこと、たとえば
積み木を積み上げることはとんでもなく難しいと書いてある。

常識というのは普通思っていることよりはひどく奥深く、
記載されていない事実がたくさん詰まっているらしい。

へんなたとえ話だけど、脳というか心の中にたくさんの
小人のようなものが住んでいて、まあ、小さなソフトウエア
みたいなものと思ってもらえばいい。そういったものの
共同作業で何気ないことはなされているということだ。

その小人を成り立たせている基盤は遺伝子だ。ただし
遺伝子が小人の設計図というわけではなく、料理本の
レシピみたいに、そのつながりは少しファジーな部分
がある。

もともとの遺伝的背景によって、ある小人の働きが
弱かったり、強かったり、標準とずれていたりという
部分ももともとあるのだろう。そこに環境因子が加わり、
発病すると小人たちの生態系も大きなかく乱を受ける。

ある小人は働かなくなったり、働きが弱くなったり、
また別の小人が肩代わりしたり、肩代わりするけど
十分じゃなかったり、補欠の要員が少なくなって
普段はいいけれど、何かが起こると補欠が足りなくなって
問題が発生したりといろいろなドラマがおきるのだろう。

普段の会話とは実に卑近なものだけど、卑近なもの
を支えている舞台裏は実はとてつもなく複雑かつ
精妙にできていて、オリンピック級の集団競技の
連係プレーみたいなのが行われているに
違いない。

まあ、その一方でアリの集団よろしく、実に
おばかなこともやっているに違いない。たぶん
人間社会の組織原理とは違うやりかたで
精妙な機能を実現しているのだと思う。

そういったことで、当たり前のことができる
というのは実はとんでもないことである。

ま、私なりの当たり前でとんでもないことも
あるにはあるかもしれないけれど、それは
また別の話にしよう。

あといい忘れたことは世の中の構造は入れ子式
なので心の中の小人のようなソフトウエアがあるように
ニューロンとか遺伝子とか階層があって、
今度はニューロンの中に小人というか
遺伝子とか神経伝達物質とかまた
小人に相当するものがいて生態系をつくっている。

こうなってくると華厳経みたいな世界に
なってしまうのだけど、私の中に私みたいな
奴がいて、またその中に私みたいな奴もいるし、
私の外にまた家族とか国家とか宇宙とか
私みたいな奴がいるなんて考え始めると
頭がクラクラしてしまう。

まあ、マクロコスモスとかミクロコスモスとか
昔の人も言っていて、素朴な形では
本質をついていたのかもしれない。

日本での社会の心理学化 患者側からみるとどう映るか

まず、日本でのと表題にくっつけたのはこのブログどういうわけか外国からのアクセスもあるので、自分でも外国人に説明するようなスタイル
を利用して、当たり前になってしまっている環境を意識化してみようと
おもったからだ。(いきなり悪文ですみません。)

まず、心理療法とか相談の類を受けられる場が増えた。
保健所では精神保健相談といって精神科医が相談に乗ってくれるし、
放送大学の学習センターにも一時期は精神看護学の先生とか
臨床心理の先生とか来られる日もあって、ちょこちょこと相談して
もらったこともある。

もちろん精神科のクリニックの外来患者なので主治医の精神科医も
いる。もうかれこれ20年近くの付き合いで私の主治医は兄弟そろって
精神科医で兄→弟→兄とバトンタッチするようにリエゾンしてもらって
(最初に発病したのは奈良だったのでその紹介状で、兄のほうの受け持ち
になったことと、短期間ほかの先生2名受け持ちになったことがある。)
20年過ぎた。

ほかに鹿児島に珍しいことにユング派の心理療法の先生がいらっしゃって
こっちとも古いつきあいだ。夢分析を1年くらい続けて、いまもつかず離れず
ぐらいの距離で細々と関係は続いている。

精神障害者地域生活支援センターみたいなのがあって、
突発的に調子が悪くなったときは、そこに駆け込んで
相談員さんに相談に乗ってもらって状態を立て直すことが
多い。無料で、予約もいらないし、相談員さんも優秀なので
ものすごく便利だ。

今一番よく利用しているのは「サポートネットラグーナ」という
施設でどういう風に表現すればいいのだろう。自立訓練の
ための施設とでもいうことにしておこう。私はSST, プログラミング言語
の学習、話し方聞き方教室、「心の力の育て方」という心理教育の
プログラムを受けている。

ほかに喫茶店もよく利用する。別に心理の技術をもっているという
わけではないけど、話することは基本的にいいことである。
会話の学校として喫茶店を利用する。こういう施設は仮想世界にも
ある。

最後に宗教関係の施設。お坊さんとか神父さんとか話を聞いてもらえる。
場所を間違えなかったら、強引な勧誘とか受けることはない。

ああ、ひとつ忘れていた。患者会みたいなもの。場所も定まり、定期的
に開かれる会もあれば、患者の友人同士でなんとなく集まることもある。
あんがい一番リラックスして本音で話せるのはこういう会なのかもしれない。

すごく長かったけど、ここまでが前置きだ。

今まで述べてきた環境はたしかに治療環境としても機能している
かもしれないけど、同時に教育環境としても機能しているのかも
しれない。少なくとも心理関連の研修生であってもなかなか見せて
もらえない現場の体験が潤沢に与えられている。

精神科医と長年連れそうと飼い犬が飼い主の顔に似てくるように
両者の話し方、雰囲気が似てくると何かで読んだことがある。

人間は無意識に模倣してしまうらしい、体の何気ない動きとか
顔の筋肉の使い方、呼吸やあいづち、笑うタイミングの合わせ方
など、しらずしらずのうちに技術移転されているに違いない。

一方、友達と5時間近く連日で話し込んでた時期とかもあって、
頭の中の隅から隅までというのは大げさだけど、かなり広く
深く話した経験とかもある。面接室での出会いは断片的だし、
大勢の人を見るというのは必ずしもいい面ばかりとはいえない
だろう。

ピアカウンセラーを気取るつもりはあんまりない。その責任の重さと
何十年にもわたって積み上げられてきた人格とそれと対応した
個々人の問題がそう簡単に解決されるものかという思いとが
相まって、頼まれもしないのにカウンセラーまがいのことをしよう
という欲望はどんどん減ってきている。

自分が心理療法とか精神医学とかに興味をもったのは基本的には
そういうのを学ぶことによって、もっと生きやすくなるのではないか
と思ったからだ。昔は確かに治療家に対する淡い憧れとかも
あったけども。

SSTで私がそのセッションで提出する問題は「深い」といわれること
が多い。必ずしも人格的な深さみたいなものをほめられるような
感じではなく、より根源的で問題解決が難しそうだということだ。

心理療法とかの本をめくると心理療法によって、問題が解決する
のではなく、ひとつの問題が解決するとまた別の問題が浮上する
ということが書いてある。その辺のこと考えると一生治療家の顔
見て過ごすということになりかねないので、夢分析は自分にとって
大事な問題ひとつ解決したところでうちきった。

私、今思うことは今まで書いてきた心理学化した環境を生かして、
問題を解決して、表面的には問題が軽いか、安定しているかに
見える。しかし、実は発病三歩手前ということはないにしろ、
深淵すなわち発病の淵から程遠くないところに呪縛
されていて、あるいは魅惑されていて、発病の危険性は何歳に
なってもそれなりに残るのではないか思っている。

たとえていえば危険分散のためのリスクヘッジの仕組みを
投機につかってひどい目にあうような話とどこか似ている
かもしれない。やはり使い方どこか間違っているに違いない。

P.S 外国人にわかるようにと思って書き始めたけど
そういう文章にはならなかった。それは私の能力を
越えていたかもしれない。

2012年4月24日火曜日

コミュニケーションの自然さ 学ぶことの表と裏

今日の話はうまくまとまらないような気がする。

私は「サポートネットラグーナ」で
SSTと「心の力の育て方」と「聞き方、話し方教室」
の三つをコミュニケーション関連としては受けている。


で、コミュニケーションの自然さということが自分でも
何やらよくわからなくなってきた。

整形美人はお隣韓国では一般に受け入れられている。
基本的には整形することで幸せになれるのならそれで
いいと思う。意外とこのことは今日のいいたいことの
結論でもあるかもしれない。

日本人の私としては整形美人をどう思うかと思うと
自然さを失っていると思う。国中整形美人でお人形
さんのような人であふれかえったら違和感感じると
思う。実はセカンドライフはそういう側面もあるけど、
今日はセカンドライフの話ではないので、ちょっと
そちらは棚にあげておく。

何がいいたいかというと心に関する技術も顔をいじる
ように心をいじっているという側面もあると思うことだ。

いじるたびに標準化され区画整理された畑みたいに
なっていく。そこまで露骨にはいかないかもしれない
けれど、つくりものめいた感じは少しずつ漂ってくる
ようになるような感じがする。

いましゃべっている言葉はどうだろう。国語教育の結果
人工言語をしゃべっているのだろうか?

マンションのようないかにもつくりものめいた空間も
長年住み続けていくと生きられてそれぞれの家族の
空間になっていく。言葉や心についての技術もそんな
ものなのかもしれない。

最初は学ぶことの裏、つまり失ってしまう自然のことを
書くつもりだったけど、書いているうちにその先の話が
あることがわかってきたような気がする。

道路脇に雑草が生えてきたり、わずかにごみがあったり
することで私は風景はかえって人間味を帯びてくる
ように思うのだけど、人工物としての心や言葉の技術
にも学習者のそのあとの生きていく営みが絡み合って
きてその人なりの生きられた世界になっていくような
気がする。

そもそも、それまでの人生の背景があって、技術が
解釈され、とりこまれるわけなので洗脳っぽくなる
わけでもないのだろう。

書きたいことがどんどんぼやけてきたのでこのへんに
しよう。

P.S そもそもこういうことを書いたのは昔読んだ霜山徳爾の著作集に
心理療法の副作用についてちらりと書かれてあったことだ。
ネットで検索したら、もっと恐ろしいことが書かれてあった。
http://plaza.rakuten.co.jp/derkatze/diary/201006080000/

私は臨床心理を目指したことはないけども神経のどこかが
異常亢進してるような感じは常々する。それも生きられた
ことなのであきらめるしかなさそうだ。

P.S2 頻出する生きられたという表現は変な表現だけど、
『生きられた家』という本の中で出てくる表現だ。なんとなく、
好きなので建築の世界以外にも拡張して勝手に使っている。
言葉を正しく使うという立場でみればあんまりよくないこと
なのかもしれない。

P.S3 セカンドライフの中は整形美人であふれているという
意味ではなく、アバターという技術で仮想世界の中では
美男美女になれるという意味。さすがに言葉は整形できない
けど、文字化することで客観化され、現実の自分よりはわずかに
理想よりにずれているかもしれない。



2012年4月22日日曜日

できの悪そうなロボット

古い話だけど、小惑星探査機はやぶさが大気圏に突入し
燃え尽きた光景をみて大多数の日本人が涙した。

外国の人はこれをどう思うかわからないけれど、
自分なりにちょっと分析します。

まず、理屈ではないということ。自然に涙が出てくるのです。
不思議なことに。

表題の「できの悪そうなロボット」こういう文字列みても
なんだか日本人には思い浮かびそうなイメージがある
のです。

自分の思いがこめられた機械をそれを作った
技術者もモノとは単に思っていないような気がするのです。

船を女性のように扱ったりするので外国の人にも
そういう感覚はあるのかもしれないのですが、
細かくみていくとどんな感じなのでしょう。

そういう話題を詳しく外国の人と議論したことない
ので私にはわかりません。

戦後になって、戦前まで継承されていた日本人の
精神性は失われたという人もいて、そんな感じは
周りみていてもあてはまるように思います。

その一方で、意識の底のほうでなんとはなしに
保存され、伝わってしまったものもあるのでは
ないかと思います。

普段そういうものは意識の上には上がってこない
けれど、はやぶさが大気圏に帰ってくるような
状況の中であぶりだしのように上がってくるような
ものです。

私はセカンドライフで、できの悪そうなロボットとか、
愛嬌のある機械とか作ってみたいと
思ってます。機械的な印象を受ける
3DCGなのですが、日本人の感性を生かして
機械的なものの中にも人間臭さみたいな
ものを表現できるのではなどと
思っています。

機械表現のアイデンティティを認めながら
同時に人間味を表現させる方向の模索
ですね。

2012年4月21日土曜日

なるべく用語をつかわないこと

臭くなるのは用語の使いすぎだと思う。
坊さん臭さ、研究者臭さ、セラピスト臭さ、スピリチュアル臭さ。

良寛戒語というものがあり、
用語の使用を戒めている。

用語って臭うものだと思う。

しかも、いけないことに臭うなんて書くとますます
ぷーんと香ってくる。

私はしたことないけど、
友人知人に観察してもらい、
どの言葉が鼻を刺激するのか
指摘してもらうといいのかもしれない。

それを受け入れることは難しいかも
しれないけれど、
自分が思っているものと
外から感じるものは随分開きがあるのだと
思う。

とはいえ、これらは私の言う言葉ではない。
独特の香りがそこらへんに漂っていることは
薄々気づいている。

言葉の全てが臭いの発生源なら
もうあきらめるしかない。

周りの人に慣れてもらうしかない。

文章のカラオケ化 もっと欲を

文章のカラオケ化と検索するといろいろ出てくる。
で、思ったことなのだけど、
カラオケに過ぎないと思ってる節があるのではないか?

世間にあるカラオケなのだけど、
これはカラオケだと思っているうちは
カラオケの世界から抜けられない。

カラオケという機械を使い倒すことで
どこまでいけるのだろうか?
その限界を極めたいなどという
欲望をもったところで
はじめてどこかにいけると思う。

自動車だってそうではなかっただろうか?
安売りの世界だって。
限界に挑戦みたいな
あるいは限界を突破するという
熱情を帯びて初めて限界は突破される。

まあ、こう書いてしまうと精神論に
陥って技術や方法を無視してしまう
きらいはあるけれど、
今ある道具立てで十分
どこかへいける
可能性があるのでは
なかろうかとも思う。

もっと欲を!!!

まず、自分に対して
こう思う。

そして、気持ちが萎えかけている
ほかの人々に対しても。

有名と無名 そして隠者

検索によって出会い系のように新しい言葉と出会っていく。
そして、出会う言葉はすぐさまプラスチックと化していく。

せっかく世の中から隠れている言葉たちも検索によって
掘り出され、光を浴びて色あせていく。

有名無力、無名有力という言葉に出会い、
森信三という固有名詞に出会い、
新井奥邃という固有名詞に出会った。

言葉とは書庫の中から取り出した本の中で
出会いたいとつくづく思う。

検索にも縁はあるかもしれないけども、
検索には運命的な出会いを演出する力は
ないかもしれない。

どうもコンビニが真夜中の闇を浅くしたように、
検索というコンビニエントな存在が
世界の底を浅くしてるのかもしれない。

とはいえ、これもフラット化、民主化の恩恵であり、
我々庶民もかつては特別な繋がりを通してしか
知りえなかったような言葉と知り合うことができる
ようになった。表面的には、、、

さて、今日のお題は有名と無名 そして隠者と書いた。

テレビで有名人が持ち上げられ、
憧れの存在として描かれるため、
どうしても、欲望としてそうなりたい
と願う心から自由になれない。

ちょっと周りを観察してると
忙しい忙しいと本読む時間も
なさそうに見えて、
暇があることは有難いと
思うのだけど、
暇があるときはカネはない。

なんとかかんとか生活が回るくらいの
カネがあれば十分だし、
カネがなくても今の世の中
それなりに楽しく暮らせそうなもの
だけど、その生活が回るくらいの
という条件を達成するのが
なかなか難しい。

生きているうちは無名で
死後に高笑いする隠者の
ような暮らしに憧れたりするけども、
そういう書きかたする時点で
俗っ気たっぷりな感じがして
これもメディアに影響を受けた
欲望のひとつのバリエーションに
過ぎぬと思ったりするのだ。

まあ、この文章みてくれる人はどう
思うかわからないけど、カラオケの
普及が庶民を幸せにさせたように
知識の普及がやはり庶民を幸せ
にしてくれる。

水道から水が出るように、
いずれ当たり前に結構多くの人が
このくらいは書けるようになるに
違いない。

綴り方運動の文章読んでると
多くの人が面白い文章書いている
のに驚く、そんな時代もかつて
あったのだなと思う。
そんな時代にまた向かいつつあるのだと
思う。

思いつめたときには嘘はない

最近思いつめてるのではないかと「サポートネットラグーナ」の
森越先生からちょこっと指摘されたのです。

思いつめるという言葉は自分の中ではここしばらくの間は
思いつかなかったです。やはり、自分のことは自分が一番
わからない。


いつの頃からか、悩んでいるときが一番自分に対して
正直になれる。悩んでいるとき、思いつめたときに嘘は
ないのではないかと思っていた時期があります。

浄化という言葉は汚されてあんまり使いたくないのですが、
悩んでいることを通して心が清められる感じでしょうねぇ。

純粋な自分でありたいと願うことも、不純な世の中にあって
立派に欲望そのものだと思うのです。

キラキラした光もののひとつ、自分の身を飾る装身具の
ひとつなのかもしれません。ぼろを着ていても心は錦とは
いうものの、その錦というものも実はカネのかからない
装身具なのかもしれません。

でも、そんな目で心を分析していくとまたキツくなる。


ありきたりなことですが、不純な自分のこころを
自覚するのがやはりいいのかもしれないです。

汚れちまった自分でいいじゃないですか。
魂のエリートみたいに勘違いして、
こころの底でほかの人を見下すとか、
なんかそれって、単なる
別の道での敗者復活戦みたいにも
みえてくる。

結局どう転ぼうと今の世の中の空気の影響を
受けており、サル山のサルみたいに、
あるいは光を求める植物みたいに、
ウエへウエへと目指していく。

成長という言葉が何かを意味しているように、
向上心という言葉が何かを意味しているように、
欲に起動されて、何かが練り上げられていくのは、
自然に叶ったことだとも思います。

2012年4月19日木曜日

いつまでも等身大の自分でありたいです

ああゆう体験にも表と裏があって、世界の深層が知りたくなる
という意味ではいいのかもしれないけれど、
「自分は選ばれた人間だ」となってしまうといかがなものかと
思います。こういうのはああゆう体験の陥穽です。
このブログで極力神秘体験という用語を使わなかったのも
その陥穽にはまりたくなかったからです。

そして、あくまでも急性分裂病状態の体験談として書かれています。

しかし心の底では抑えがたいものがあります。病的神秘体験と
神秘体験の違いはその後の人生の営みが示しているようにも
思うのです。その人本人のために有意義にその体験が機能している
かむしろ害をなしているのかの違いです。それは私にはわかりません。
読む人の判断にお任せします。それにしてもあくまでも主観的な体験
であって、私本人にとってはかけがえのないものではあっても、
あくまでも本人の世界の中に留まるものだと思います。

この20年くらい振り返って、この世界の深層が知りたい、この世界の
さまざまな側面を知りたいと純粋に思い、自分の時間の許す限り、
そして能力の許す限り、まなぶことができたことは恵みだったと
思います。それと引き換えに傲慢な心持と常に対峙しなくてはならない
はめになりました。どんなに謙虚に、卑屈にさえ振舞っても、心の底の
傲慢さは表に出てきてしまいます。それに気づくとまた自己嫌悪です。
自己嫌悪しながらも、傲慢さは消えてくれません。

自分の望むことはいつまでも等身大の自分でありたいことです。
自分以上でも以下でもなく、等身大の自分を表現したいし、
人にもそう接したいです。

CGで絵の深みを表現できるのか?

結論から言えばCGでも絵の深みを表現できると思う。
CGで絵の深みが出せないという人は
ワープロでは言葉の深みがだせないと言っているのに
等しい。

確かにワープロでは毛筆のようにはできないことが多々ある。

むしろ私はこう考える。

どこに表現の重心をもってくるかというところが
変わる。

あるところに手間がかからなくなった分、
大量に経験値を積むことが可能になったり、
別のところに時間を割くことが可能になったり、
多様な背景の人を受け入れることが可能になったり、
ということになるのではないか?

P.S 理論的に考えることも時には大事なのではないだろうか?
こういうルートもあるはずと思ってやるのとそうではないのと
ではそこに至れる確率も変わってくる。経験がすべてになって
しまったら、誰も突破口を開こうとはしないだろう。

巫女になる代償行為としての表現

「医者のもとに駆け込んだから患者であって、
巫女のもとに駆け込んだら巫女になれたのでは
ないか?」と思った時期もあり、やたらと巫女やら
ユタに会いたがった時期があった。

前回こう書いてしまったので、そのあたりを今日は
分析してみよう。

結論からいうと巫女になるという選択をしてしまえる
ほど意思の強い人間ではなかった。

そういう勇気のある人間ではなかった。

しかし、淡い憧れはあったりして、
河合隼雄の本に紹介されてた
『ゲド戦記』を繰り返し読んでいる時期が
あった。巫女というより、魔法使いに
憧れてたのかもしれない。

自分なりに魔法使いというものを現代風に
置き換えてみると何かを表現する人の
ように思えた。俗ないいかたでは言葉の魔術師
みたいな感じ。

魔法というものを方法と読み替えて
素人にはまねのできない方法という風に
捉えると科学者とかプログラマーが相当
するかもしれないがその種の技能はもたない
ので感性による表現ということに自分はしてみた。

『ゲド戦記』よみながら、自分なりに修行してみた。
大魔法使いになるためには森羅万象についての
あらゆることを知らなければならない。そう考えて
あらゆる本に手を伸ばしたことがある。まず、図書館
いってみて、最後まで難航しそうなのは語学、数学、
コンピュータ、生物分類学などと考えてわかりもしない
本や憶えられそうにもないものを眺め回していた。
目がちかちかするだけであんまり得るものはなかった
かもしれない。

結局そんな考えにたどりついたので、器用貧乏な
人間になったと思う。そして一方扇の要的なもの
も欲しかったのだけど、システムとかネットワーク
とかメディアとかもっともらしい記号はすぐ出てくる
のだけど、それは単に昔の人が神と名付けていた
ものに別のラベルを貼っただけに過ぎない。
そんなこんなしながら、結局30代は過ぎ去っていった。

たぶん雑学のゴミ袋になってるのが現在の私だろう。
ゴミなりに発酵してるのかもしれないけれど、
適当に内に沸いたもやもやを画像なり文章なり
表現として取り出して、ネット上に公開している。

巫女になる淡い憧れが変形したのが現在の
私が表現したもののように思う。大それた気持ちは
ないけど、まあ、少なくとも社会や人にたいした
迷惑はかけていないのでまあよしとしよう。

真剣に巫女として生活していらっしゃる方々から
すればゆるいゆるい話だけど、これが私の
ありようなのだから仕方がない。


2012年4月18日水曜日

神のものは神に返すこと

前々回のエントリーで
「何しろ世界の中心みたいなものを体験
してしまったわけなので。」と書いてしまった
ことがひっかかってる。

人によってはそこに私の自我肥大をみてとり
不快に感じてる人もいるかもしれない。

自分の病気のときの体験をどう相対化する
かは発病後何年かの大きなテーマだった。

発病後しばらくは「きちがい」という言葉すら
怖かった。言葉狩りに動くひとたちの気持ちは
よくわかる。もちろん病気のことはほとんど他人
には話さなかったし話せもしなかった。

その後は聞いてもいないのに、病気のことを
カミングアウトしてしまう時期があった。

そして、心の底では自我肥大していく傾きがあり、
「医者のもとに駆け込んだから患者であって、
巫女のもとに駆け込んだら巫女になれたのでは
ないか?」と思った時期もあり、やたらと巫女やら
ユタに会いたがった時期があった。しかし、それも
心の底の話で、そういう気持ちは外にはひた隠し
にしていた。

病気の体験なども本にしたら有名になれるのでは
ないかとか、逆に聖なる体験なのだから秘密にして
おかないといけないのだなんて考えていた。

どちらにしても再発につながりかねない危なっかしい
心持だ。

あと、喫茶店で病気の体験は人生で経験するすべての
体験を切ることのできる切り札みたいなものなのではない
か?などといって呆れられたことがある。

とにかく、病気の体験は自分をもてあましかねない
やっかいな代物だった。

いつの頃からか「神のものは神に返すこと」という思いが
沸いてきた。「神のもの」と考えることで相変わらず囚われて
いるわけだけど、「自分のもの」からは切り離そうとしてたの
で少しは前進だったと思っている。

今でも時々『自我と無意識』を読んでいる。この本、自我肥大
のことが詳しく書かれているので、舞い上がったときには
ブレーキかけるように読んでいる。

「神のものは神に返すこと」という思いが沸いてきたのは
鹿児島大学の精神科で竹内先生と面接してた時期だった
ような気がします。

私の病気の体験について「今まで読んだ本が出てきた
ものだ」と竹内先生は言われました。その時は納得いき
ませんでした。まだ「脳現象」に過ぎないと言われたほうが
ましでした。

とにかく、病的神秘体験と神秘体験は違いがあるのだろうか
ないのだろうかみたいなことを真剣に考え、医学書を
立ち読みしまくっていた時期があります。

教祖になれる柄ではないと思うのですが、カルト宗教
入信ならもうひとつの人生としてありえたのでしょう。

今も「聖なるもの」への憧れはあるにはあると思うのですが、
穏やかなものになっています。そういう世界にどっぷり漬かる
には生物学とりわけ機械論的な考え方に親しみすぎました。

私はもし神様がいたとしても、仕掛けなしに物事が成るはずは
ないと思っています。恣意的に「光あれ」といえば光があるよう
にはこの世界はできていないし、自然界の外に超自然界が
あったとしてもやはり別の仕掛けの下にあるように思えるのです。

数の世界が構造をもつことは私には不思議です。数の世界や
非物質的に見える心の表象や媒体なしの裸の情報の世界が超自然界
のように私には思えます。まあ、唯物論の立場から眺めると
観念の世界なのでしょうねぇ。

ブログとライフストーリー

個人情報垂れ流し状態でブログに
ライフストーリーを書き込んでいる。
そんなことに意味はあるのだろうか?

最近気になっているのは生活綴り方とか生活記録だ。
掘り出そうと思えば、ざくざく掘り出される記録が
過去の地層の下に眠っている。

自分でいろいろ書くのも勝手だけど、まずは過去の記録の
読み手にもなってみたいと最近思う。

書庫の本をめくることはお経を上げるようなことだと
本で読んだけど、生活記録のほうも誰かに読まれることを
望んでいるのかもしれない。

そういえば、大学博物館でパートしてた頃
鹿児島高等農林時代の卒業研究の整理の
下働きをしたことがある。

仕事をしながら、それらをこっそり読んでいた。
具体的なことは頭に残っていないが、
よくここまで考えたものだと思った資料
のことが印象に残っている。

「何かを作れば、誰かがみてくれる。」
非定型精神病の当事者で
『風の歌を聴きながら』という本を
出された東瀬戸サダエさんが
おっしゃっていた言葉だ。

このブログ、読み手はそんなに多くない
けど、誰に届いているかは想像外だ。

ページビューは数字で表されるのだけど
その数字の裏にあるそれぞれのひとたちの
ライフストーリーってどんなものなのだろうと
想像したりする。

届くということはどういうものなのか?
届いた結果何かが起こるのか
起こらないのか?

インターネットの片隅で
小さな蝶がばたばたさせている。
別にどこかに嵐を起こそうなどという
野心があるわけではないけども、
自分が流した瓶詰めの手紙が
誰に届いているのかは
少し気になっている。

発病後もなぜ前向きに生きられたのか 要素としての丙午

人口統計をみるとランドマークのように丙午生まれは目立つ。
この年に生まれたことは環境要素としてなにかあるのだろうか
と、前から気になっていた。

受験が楽で受験を通して階級上昇が可能だった。
それは私の場合はほぼ当てはまる。

私が住んでいた家は鹿児島市内でもごちゃごちゃした地区で
近所に不良も結構住んでいた。しかし、市役所や旧県庁も
程近く、県立図書館や美術館や科学館など文教施設も多く、
子供の頃から文教施設を深く活用することができた。

家には蔵書という程のものはなかったけど、通信制の高校に
いっていた母の教科書や、6才上の兄の時代の学研の
科学雑誌(兄の時代の雑誌のほうが明らかに密度も濃く
面白かった)などがあった。そういうものをよく読んでいた。

家の仕事もうまくいっていて高校のときは家庭教師2人つけて
もらうことが可能だった。

そういうこともあって、通知表の上では2と5の多い私
(英数国は2で理科社会は5)でもなんとか高校卒業まで
には英数国の2が3になったりして広島大学にひっかかった。

もちろん丙午の恩恵のために受験倍率は低く2倍切ってた
わけで、それもあってなんとかひっかかったのだろう。

広島大学入学とともに周りにいる人たちの雰囲気ががらりと
変わった。不良などはいなくて、いじめの被害をうけることも
ほぼなくなった。

自分よりもレベルの高い人たちに揉まれながら、
その中でそのときは気づかなかったけど、それなりに
必死に生きていたようにも思う。

趣味のようでもあった植物学をそれなりに意欲的に勉強し、
単位にはならない心理学系統の授業もとったり、やはり
単位にはならない中国語やフランス語の授業もとってみた。

就職は電話一本できまった。濃密な新入社員研修をうけたが
薬が効きすぎたのか発病してしまった。

原爆が投下されて都市が壊滅したような感じだった。

それでも、自分が好きでやってた勉強だから基礎部分は
残ってたのかもしれない。

鹿児島帰ってきて植物学を生かす道はほぼあきらめていたが
生物系の図書はよく借りていた。心理学や語学の勉強のほうに
軸を移していた時期もあるかもしれない。

勉強だけは続けていたし、精神病というある意味で不思議な
世界をみてしまったのでむしろ学習意欲は大学のときよりも
広く深くなっていた。何しろ世界の中心みたいなものを体験
してしまったわけなので。個人的な体験に過ぎないとも思うの
だけど学習意欲を裏で支えていた主な要因だったと思う。

精神病を境にどうして生きる力が萎えなかったのだろうと
今思う。精神病になった事実を自分なりに読み替えて、
恵みとしても受け取ることがどうしてできたのだろうと思う。

同じ年の患者の一人が「人生踏んだり蹴ったりだ。」と言った
言葉が忘れられない。ひとそれぞれ歩いた道があるわけで、
ひとの通った道のことはわからない。自分は向日性のある道を
歩くことができたのなぜなのだろう。

時代背景もあったりして、発病までの人生はがんばれば報われた
人生であって、それをモデルとして発病後も何度となくその記憶を
反芻することができたことも大きいのではないかと思う。

2012年4月17日火曜日

内省のメディアとしてのIllustrator

映像で考えることはできるのだろうか?
何が作品で何が作品でないのか?
どこからが作品なのか?

デジタルの道具を使っていると
何かが解体しつつあるようにも
あるいは揺れているようにも
感じることがある。

デュシャンは何かに疑問を感じて
便器を展示してみた。

そういったことは紙面の彼方の話
であって、机で読んでる受け手に
はあんまり関係のないことだった。

でも現在デジタルの道具を手にして
日々そういうことに悩んでいる。

2012年4月16日月曜日

未来の風景でありながら郷愁を誘うもの

自分が表現したいものって何だろうってずっと考えていて、
うそ臭いCGではなく、CGとしての素材感を生かすような、
電子音楽としてのアイデンティティをもつことができたテクノ
音楽みたいなのが表現したいと思ったり、、、、

現代アートの盲点のひとつである人間味みたいな
ものをCGで表現してみたかったり、、、

患者の特性として難しいこと考えて、
自分の貧粗な頭で答えが出るわけが
ないようなことを、、、

そのために表現自体はほかの人からみて
意味不明だったり、舌足らずで説明も難しかったり
しながら、自分自身はエリートではありえないので
いろんな人に対して拒絶的でも、おたかくとまってる
ところや、きどってるところもなく、家庭料理的な
雰囲気で、、、、


んんー 自分が表現したいものって何なのだろー。

未来の風景でありながら郷愁を誘うもの。

名前が通った人たちが失ってしまった
遠い昔の懐かしい思い出のあるところ。

違う。もっと、もっと本当にほしかったもの。

名前が通った人たちが今いるところじゃなくて、
本当はいきたかったずっとずっと向こうの
マンガの主人公たちが生きて暮らしている
夕日の沈む丘のむこうがわ。

んんー 何か違う。

そんな”旅”を続けていても
別に砂漠越えてインドに向かった
お坊さんたちのように命かける
こともないけども、
一途すぎて破滅することは
多いにありうるまだ見ぬ”場所”への旅

2012年4月12日木曜日

情報発信と費用対効果

情報発信は報われるのだろうか?
報われる情報発信のカタチとはどういうもの
なのだろうと最近よく考える。

いろいろ調べてみるとかけたコストの
割には報われていないように思えるケースが
多い。

花でたとえるとたっぷり蜜にコストかけてる
割りには花としてはあまり成功していない感じ。

ラン科植物のある種類は蜜にかけるコストを
匂いとか花の美しさのほうに回して、
つまり情報化してしまうという戦略をとっている
みたいだ。

情報発信についてこのたとえを当てはめると
どうなるのだろう?

低コストで情報密度を上げる戦略をとることかも
しれない。

低コストで情報密度を上げるにはどうすれば
いいのだろう?

2012年4月11日水曜日

要素が抜けていること 屋久島の生態系をモチーフに

独学で学ぶかぎり、一通りのことを知ることがなかなか
できず、基本のどれかの要素が抜けることが多い。

知り合いの植物にくわしい先生に聞いたことだった。

話は屋久島の生態系にうつる、といっても単なる
耳学問のレベルの話だ。

宮崎駿の『もののけ姫』のモデル地としても
知られ、屋久杉などで有名で世界遺産にも
指定されている。

植物生態学の実習で私も訪れたことがあるけど、
植物の同定ができる先生と一緒にあるくと
楽しさはひとしおだ。

ヤクシマシャクナゲ、ヤクシマリンドウ、コケスミレ
など、固有種もあれば、九州本土にはなくて
なぜか屋久島にあるようなもの、外国にはある
けど、国内では屋久島でしか見つかっていない
ような隔離分布の植物。南限、北限いろんな
植物が生えている。

問題は抜けている要素だ。
たとえばイタドリという荒地によく生えている
どこにでもある植物だけど、屋久島では
例外的にしか生えていない。
道路工事のふきつけとかで持ち込まれたもの
が外来植物として生えているらしい。

要素が抜けているということにはどんな意味が
あるのだろう。ちなみに小笠原などの海洋島
では要素がぬけているために生まれる生態学上の
空白地は固有種をはぐくむ場所(ニッチ)になるのかもしれない。
島に存在するありあわせの種から空白地を
うめる新しい生き方が生じてくる。

ちなみに小笠原にはキク科の木本がある。
ワダンノキという植物だ。

新しい生き方は外部との競争には耐えられない
不器用な生き方かもしれない。でもその不器用な
生き方からなにか学ぶべきヒントも多いのでは
ないだろうか?

閉塞的な世の中を打ち破るためのモデルを
過去の歴史に求めるやりかたもあるけど、
人間の歴史だけではなく、生き物の歴史にも
何か参考になるヒントは散りばめられているに
違いない。読むほうの勝手なので個人レベルの
ようなローカルな問題の解決にも何か役立つ
ことはあるだろう。

ワダンノキ
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&sugexp=frgbld&gs_is=1&cp=5&gs_id=3eq&xhr=t&q=%E3%83%AF%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%8E%E3%82%AD&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.r_cp.r_qf.,cf.osb&biw=1211&bih=897&wrapid=tljp13341292464970124&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&ei=oTKFT9-NEuXUmAWTo7i0Bw


ゲームとしてのUnity まずは概念で遊ぶこと

Unityの攻略本ならぬ解説本ぱらぱらめくって遊んでいる。
いきなり、まじめにとりかからないし、しばらくはゲームエンジンという
概念で遊ぼうと思っている。

ゲーム系の人には畑違いかもしれないけど、アートの世界に
アウトサイダーアートというジャンルがあって、
常識を知らないこと、学んでいないことにも逆説的な
意味があるということになりつつある。

私はファミコン時代でゲームを卒業して、今はセカンドライフで
遊ぶほかはゲームに触れることがなくて、ゲームフリーな
状態だ。

せっかくだからその立ち位置を積極的に活用して、
ゆっくりと自分のペースでゲーム文化を取り入れていこうと
思っている。

話はかわるけど、80年代前半のある日、雑誌の中で
AppleⅡというパソコンとウィーザドリーというRPGゲーム
なるものが海の向こうで流行っているという記事を読んだ。

AppleⅡは私の家では買えるようなものではなく、
ついに今まで実物をみたことはない。

記事に書かれているRPGゲームはかなり魅力的
というよりも衝撃的で、想像上の存在だった。

まあ、しばらくして学級にも一人X1というパソコンを
買ってもらえた子が現れて、ハイドライドなどで
遊ばせてもらった。

今思えば、想像上の存在としてのみ楽しむその
タイムラグが楽しかった。

だから、今は結局使いこなせないかもしれない
Unityをがんがんいじるというよりも、しばらく
ゲームエンジンという概念に浸りたい。

何よりも、ゲームエンジンの存在で
セカンドライフを複眼的に眺めることが
可能になった、その余韻を楽しみたい。

PCについても、インターネットについても
想像の上だけで遊ぶことができた世代だ。
物心ついたころから身の回りにあった世代も
羨ましいといえば羨ましいけど、
概念についての想像力はなかった世代の
ほうが持っているのかもしれない。

21世紀という用語がそうだったように。

2012年4月10日火曜日

内装と骨組み

言葉は内装なのか骨組みなのかといつも思う。
自分を装うファッションなのか、軸のようなものなのかと。

でも、その軸という言葉自体がファッションのようにも見えてくる
ときは見えてくる。

自分はぶれない軸をもっているってきっぱり言うのは
恰好がいい。

でも本当はその軸にたどり着くのに苦労に苦労を
重ねるはずなのだ。

既成の軸を自分の軸として取り入れるのならまだしも、
自分にとっての軸は何なのだろうなんて帰納していこう
と思えば、小さいころからの生活史を数えきれないくらいの
回数反芻しなければ見えてこないだろうし、またそれでも
見えてくるとは限らないはずなのだ。

自分にとっての軸なんて恰好いい言葉は使わずに
普段自分が大切にしていることは何なのだろうって
反省してみる。

自分の姿は自分には見えにくくて、
たいてい変なところばかりにコンプレックスを抱いて
自分のいいところが見えてこない。

無意識のうちに自分がやってしまっているような
自分にとっての本質的な何かって何なのだろう?

2012年4月9日月曜日

ものの見方の違いを育てること

初心者にもいいところがある。

語学の学習で感じたところだけど、
熟練者が通り過ぎるところも
初心者はつっかかる。常識が抜けてる
というか基本的な前提をまだ共有していないので
そういうことになる。

学習の過程で失われがちなところだけど、
最初のころのつっかかり
というのも大事なことなのではないだろうか。

言葉を覚えたての幼児にとっては
すべてのことが新しくて
あれなーに
これなーにと
指差しをする。

成長とともに失われてしまう感性なの
だけど、新しいソフトの覚えたての
頃ってそういう体験をする。

できれば、メモっておく価値がある
と思う。そのときは新鮮でも
ソフトに慣れていくにしたがって
失われてしまう感性だから。

そこはほかの人と違う見方を育てられる
大事な時期なのかもしれぬとも思う。

型より入って、型より出る日本の文化では
我流は否定的に捉えられることが多いけど、
技術が大衆化してみなそこそこ上手になって
しまったときに、ほかの人と違う見方ができる
ということは大きな財産だ。

常識が抜けていることで技術が
プリミティブなものにとどまることも
あるかもしれないが、
大衆化してしまった技術の持ち主の
一人となってしまっても仕方ないこと
かもしれない。

手探りでけものみちあるいていくのは
孤独だし、学習を全否定するのも
愚かだと思う。

日本は中国とほどよい距離で
あったために、中国文化を学べ
同時に独自の文化も育てることが
できた。そういうことは個人レベル
でも起こるのかもしれない。

何もガラパゴス化を推進する必要は
ない。距離感を意識することによって
隔たりは逆手にとれるような気がする
のだけどどうだろう。情報の取り入れ口
を開いたり、絞ったりすることで、
あるいは自然にできあがった隔たりを
受け入れることで。

2012年4月7日土曜日

セカンドライフユーザーから眺めたUnity

わけもわからず、Unityをインストールしてみた。
今日は少し眺めてみただけ、そして少し検索
してみただけ。

単なる第一印象であり、妄想にしか過ぎないかも
しれないけど、考えたことを書いてみようと思う。

Unityはゲームエンジンである。でも、セカンドライフ
やってるとゲームエンジンとして以外の使い方も
試したくなってくる。

ゲームとは何なのだろう?私はファミコン時代
でゲームは卒業した人間なので昨今のゲームは
とんとわからない。

工作自体もゲームなのではないか?電気工作
のように何かのからくりをつくってみるような
一人遊びとしてのゲーム。

開発環境などはメタゲームみたいなもので
それを使ったものづくり全体が巨大なゲーム
のようにも思える。

仮想世界の中でチャットをベースとしながら、
ゲーム以外の何かをさせるとしたらどんなカタチ
があるというのだろう。

そもそも仮想世界といっても律儀に現実を映す
必要はなく、3Dで表現されたものは背景演出
以外の機能をもたせてもいいような気がするのだ。

五線譜を使って音階をあらわしたり、
記号を使って数式を表現したり、化学式を
つくったり、あるいはDNAの仕組みをあらわしたり
そういった類の何かをあらわす便利な使い方が
きっとあるはずだ。

とはいえ、そういうことを思いつくのはとてつもなく
難しそうだ。私の手にはとても負えない。

「ここ」を使ってまだつくってもいないゲームに
ついてあれこれ考える作業もゲームの一部
なのかもしれない。構想というか妄想を練る
というゲーム。

そうするとゲーム空間はどんどん外に漏れ出し
パソコンの前だけではなく、図書館で調べもの
してる時間やら、喫茶店でしゃべくっている時間
までもがゲーム空間の一部になってしまう。

そういった壮大なゲームがしてみたい。

2012年4月5日木曜日

地天泰と天地否

易経に地天泰と天地否という卦がある。
易経のことはほとんどしらないけど、
自分なりにイメージできることがある。

地天泰は下なるものと上なるものが和気藹々と
交わること。天地否はそむきあうこと。

古代の中国人は天下のあるべき姿として、
下なるものと上なるものが和気藹々と協同しながら
社会が運営されていくことをよしとしたのでは
ないだろうか。

これは善政を行う皇帝としての理想でもある。
お互いwin-winな関係で社会が運営されていくのが
いいに違いない。

でも、それは難しく、下層のものが搾取されるか
上層のものが搾取されるかに陥りやすそうだ。

上層のものが搾取されるってイメージしにくいけど、
寅さんのたこ社長のように走り回っているイメージ。

良心的であればあるほど、大変な仕事になってくるし、
逆方向にいけば、某国の独裁者みたいな感じで
人民が悲しい思いをする。

日本的なイメージはどら焼きみたいなイメージで
真ん中が黒くなってる感じなのかなあ。

「裸の王様」とか「王様の耳はロバの耳」的な
民衆の批判はあんまりなくて(抑圧されたのかも
しれないけど)、「水戸黄門」やら「暴れん坊将軍」
みたいになってしまう。トップが腐ったら暗黒の世の中
になってしまうというイメージなのかもしれない。

日本人は真っ黒にはなれない。歴史の中で暴虐の
限りを尽くした為政者ってほとんどいないし、
犯罪者でさえ、取調べの最後に
「ご迷惑かけました。」って自白してしまうお国柄だ。

異民族に国内蹂躪されたことのないことによる
人の良さかもしれないし、民衆に広く仏教の教えを
広めた昔のお坊さんたちの功績なのかもしれない。

その内実はともかくとして家族国家というコンセプト
が成り立っていた戦前の遺産は現代でも目立たない
形で残り続けているような気がする。

次々に波が押し寄せる

複雑系、セカンドライフ、Processing,アウトサイダーアート。
波がやってきて、波が消え去る。

複雑系の本にはどの時点で波に入り、どの時点で波から
出るかが大事だなんて書いていた。

重層的に文化の波が押し寄せる。結果として土壌は
どうなるのだろう?

ちなみにいまだに気功体操をたまにやってる。
当時習った手順は崩れ、即興的な崩れたものに
なっている。でも、自分の文化としては一応根付いている
のかもしれない。

さまざまな文化要素は入り混じり、交雑しはじめ、
土壌となっていく。

都築響一の書いた『賃貸宇宙』という本があったけど、
本当に面白いのは文化の上層部などではなく、
土壌の中のミクロな生態系なのではないだろうか?

考えてみれば、文化はそこからしか生ぜず、
上層に昇ったところで搾り出され、消費しつくされて
また土壌に還っていく。

ある高さまで昇ってしまうと個人としての人生は
剥奪され公共に奉仕する存在となっていく。
会社がある程度大きくなってしまうと経営者のもの
ではなく、共同体のものになっていくように。

セネカの『人生の短さについて』を読むと昔から
その構図は変わらないし、そこまでわかってしまうと
ショーペンハウエルの言うととおり人生は不条理
だということになってしまう。

とわかったようなこと書いたけど、何も経験していない
私は何もわかっていないと思う。単純に地球は丸い
ことを地球儀みてわかっただけで、世界旅行した
わけでもないように。

そんなことばかり考えながらも、自分でみんなのため
に何かできることはないかと探している自分がいる。
たぶん故人もすべてわかった上でみなのために
尽くしたのだろうと思う。そして、故人の作った遺産の
上で日々安穏と私たちは暮らし続けている。

知的障碍者の作品はどう写るか

前回、「それは特に精神病者のつくったものとかにいえそうなことだけど」と
書いてしまったのが自分の中で気になっていて、じゃあ知的障碍者のつくった
ものはどうなのかという疑問が起こった。

知的障碍者のほうはあんまり詳しくない。ただし、まったくなじみがない
わけでもないので自分なりに書いてみようと思う。

まず、前提のほうから。知的障碍者が障碍されてるのは知的な面であって
心の質は障碍されてないということを『妻を帽子とまちがえた男』
オリバー・サックス著で知った。

むしろ身近で接する人たちが知的障碍者に感じるものは「聖なるもの」と
いってもいいほどの心の純粋さみたいだ。

そうした感性でものを描いたらどんな感じになるのだろう。
そう思いながらインカーブの作品みて思うのは作品の存在感だ。

確かに美術の歴史の流れの中に位置づけられる歴史性というのは
ないのかもしれないけども、本人の中に流れている歴史性はどうな
のだろう。

個人史なんて意味がないと思っているのかもしれないけど、
個人史抜きに西洋美術の流れにあわせてそこに表現のなんらか
の必然性はあるのだろうか?とも思う。

それは遠く離れた文化上のゲームを単に移入して、表面的にしか
わかっていないルールのものでスポーツを演じていることにしか
ならない。

明治以来科学をはじめ切り花のように日本に移入した文化は
多い。ブームになっても根付かず、また新しいものが向こうから
やってくる。東京の人たちは確信犯のように制度の上で生き残る
ことしか興味がないのではないかと地方からは見えてしまう。

食うこと、生き残ること。大変なことだと思う。そういう環境にいない
からその大変さがわからない。でも、個々の生き残りうんぬんを
越えて持ち込んだことには責任がかかると思う。うぶな地方の
人間はまじめに読んだりついていったりすることもあるから。

話はずれた。

2012年4月3日火曜日

自分なりに考えるアウトサイダーアートというもの

アウトサイダーアートって何なのかよくわからないし、それっぽいものを
模倣したりしてつくろうとはあんまり思わないのだけど、自分でものづくり
してるうちに自分なりに浮かんできたことがある。

それは特に精神病者のつくったものとかにいえそうなことだけど、
前提として内的な観念の世界があって、それをカタチにしようと
いう欲望があってあり合わせの媒体をつかって表現するような
ものではないだろうか?

言語新作の例とか考えるとそんな感じがする。

心の中に雑多なイメージが浮遊していて
それをなんとか捕まえたい。

意味は成立してるかどうかは判然としないけど、
できかけの何かがこの世に生まれ出ようとしてる
そんな感じなのかもしれない。

それにそのイメージをもてあそんでいるうちに
愛着も湧いてくるものだ。マントラを繰り返し
唱えているうちに意味もないはずの記号列に
いろんな色合いのイメージが付着してくるような。

そんなわけで心の中で偶然生まれたイメージも
イメージとともに生きているうちにだんだん歴史性
を帯びてくる。生活史のなかで裏付けられた
リアリティが表現を支えてくれるのかもしれない。

その人にしかわからないゲーム

たとえば図書館ゲーム。図書館ゲームという名前は思いついたけど
それが何を意味しているかはわからない。図書館ゲームの謎を
解くのがこのゲームの目的。

そういうことを思いついたのは図書館の中をうろうろするのは経験
のうちに入るのだろうか?とか図書館の中でドラマは起きるのか?
文字列との出会いも人との出会いと同じようなものなのか?みたい
な疑問が起こったからだ。

私は社会経験に不足してるといつも感じる。そしてその埋め合わせの
ために図書館に足を運ぶ。

図書館。不思議な場所。暇人のたまり場に過ぎないのかもしれない
けど、一方で都市の文化上の中心にも見えてくる。そして、図書館の
本棚の本そのものは図書館の運営者の方もよくわかっていない
はずなのだ。

図書館の謎、なんだろう?
図書館の深層には何かとてつもない秘密があるかもしれず、
書物の迷宮の中をさまよう。迷宮って言葉、私使いすぎなの
だけど、2000年越して、インターネットが日常化したあたりから
生活の実態そのものになった。

それを空間的に見える形にしたのが図書館なのかもしれない。

2012年4月1日日曜日

仮想世界と集成館(自分用のメモ)

時代より早すぎた存在というのは鹿児島に典型があったということ
を思い出した。それは集成館だ。http://www.shuseikan.jp/heritage/index.html

面白ことにウィリアムギブスンの小説「ディファレンス・エンジン」で集成館事業の
こともちらりと書かれている。この小説の中には薩摩人留学生がでてくるけど、
彼らが求める蒸気コンピュータは紡績機械をモチーフにしている。たぶんこの
話が下敷きになっている。
http://www.kyuyama.jp/kyushuyamaguchi/ky_kagoshima_03.html

結論からいうと集成館事業は薩摩藩の財政には貢献しなかった
むしろ財政を傾けた。
しかし次の時代の礎になった。

そこで培われた技術の蓄積は日本全体でみると無駄にはならなかった。

人間は利己的な存在だから、自分にとっての帳尻も少しは考えない
といけないけども、もうちょっと大きな目で自分のいるところを眺めて
見ようと思う。