はじめての方へ

私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。

P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。

p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。

P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)

P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)


2013年8月30日金曜日

夕べの夢 ぜんりゃくとっぱ

夕べの夢

前半は失念。
氷雪した地球の中で一人のひとが
雪と氷に半ば埋もれている。

人類最後のひとだ。
手には書物が握られている。

「ワタシ」は時を超えてテレポートして
ここにやってきた。

最後のひとの手からその書物を取り、
読み始める。

「ぜんりゃくとっぱ(全略突破?)して読みあげるのだ。」
「そしてカミに問いかけるのだ。」

おわり。



ほとんど意味不明の夢だった。
起きてから、「ワタシ」はその人のなきがらを水と酸素と
快適な温度のある惑星に運び、そのひとの休眠中の
腸内細菌などがその星の生命の起源になるとか、もや
もやと空想したけど、そんな内容の話は手塚アニメか
なにかにもあったかもしれない。

もう話すひとのいない人類最後のひとの愛読書って
何なのだろう?

歴史か、宗教か、科学か、それとも文学か?
それとも漫画とかのもうちょっと読みやすい本なのか?
そもそも本なんか読むひとではないのか?
考えてみても仕方がない。

PCでなくて本を読んでいるという発想になるのは
感覚が古いのかもしれないし、宇宙時代にならない
と勝手に思っているのは私が悲観的だからかもしれない。

「ワタシ」はテレポートなんかしちゃったけど、
4次元だの5次元だのといった精神世界文明に
入っていないのはやはり、私の根にあるのは合理的
な発想法だからかもしれない。

夢というのは単なる夢なのだけど、荒唐無稽、
奇想天外、しかし、ある枠のようなものがあって、
それを越えたSFめいた夢とかアニメめいた夢とか
は見ないような気がする。

あくまでももともとの断片は昼間の体験の記憶
であって、それらが不思議な編集を受けてあんな
奇妙な物語がかったものになるのだと思っている。

そうはいいながらも、私の夢の系列で
「あちら系の夢」というのと「マカイ系の夢」というのが
存在する。

非常に象徴的であちらの世界からの通信のような
夢だったり、逆にどこかマカイめいた世界からの
通信のような夢だったりする。

マカイ系の夢の時は現実の世界では嗅いだことの
ない不思議なニオイがする。

昔のいじめっこにいじめられる夢をときどき見た
時期もある。一方、いじめっこと和解した夢も
みたことがある。

黒木瞳風の天使だか魔女だかよくわからない
人に夢の中で説教されたことも。

2013年8月29日木曜日

原風景

下町。生まれた家から100mほど離れた港のすぐ近くに
あった祖父母の家。家の隣の私道はまだ舗装されてい
なくて、水を含んで黒くなった桜島の火山灰と土の混じっ
たような地面だった。鹿児島駅もすぐ近くであり、海岸線と
呼ばれる貨物線が港沿いにあった時期で、結構遅くまで、
蒸気機関車に牽引された貨物列車が海岸線を通って
いた。70年代の頃かな。

黒い地面に時間があれば汽車の絵を描いて遊ぶ子供
だった。前も書いたけど、広告の裏の白紙があれば、
汽車。マッチの軸があっても汽車。そんな子だった。
以上、幼稚園上がるか上がらない頃の話。

幼稚園の頃、親族が選挙に出るという話で、家族そろって
徳之島に選挙応援に行った。でも、それは大人にとっての話。
子どもの私はまったく関係ないのだけど、徳之島の景色
は心のどこかに焼き付いている。

私たちの家族が泊まり込んだ家は「飼育場」と呼ばれて
いた家で昔、蚕を飼育していた家だったそうだ。もちろん
そんなことは大きくなってから聞いたことだった。

「飼育場」は古ぼけていたけど、今考えてみると雰囲気
ある家だった。茅葺でこそないけれど、昔風の木造平屋の家。
100才ばあさんと呼ばれるおばあさんが住んでいた。
おばあさんは素朴な絵を描くのが好きなひとだった。
クレヨンでソテツに鶴とかそんな画を描いていた。

家の前には大きなガジュマルの木があり、その木ほどは
大きくないけど、ガジュマルの木が防風林になっていて
屋敷全体を覆っていた。母からはガジュマルに近づき
すぎるとハブが出るよと脅されていた。

夜は星降る夜空。あんな夜空はもう見た事ない。もちろん
感受性のほうも純だったためだと思うけど。そして、島の
生活では9時にはみんな寝てしまう。

ハブは見なかった。でも、「毒蛇」はみた。どこかへ行った
帰り道。そのどこかというのもちょっと意味深で、白い
服を着た怖いおばあさんに、連れられて会いにいった
という朧な記憶がある。もしかしたらユタか?と大人に
なって思うのだけど、母は否定しているし、偽記憶かも
しれない。で、その帰り道、サトウキビ畑の間を走って
いる小道の真ん中に赤っぽい色をした綺麗な蛇が
いるのを見た。母に聞くとおしりの所にとげがあって
そこには毒があるというのだけど(そんな毒蛇いるわけ
がない)、何という蛇だったのだろう。コブラ科のハイ
という蛇、それから無毒のアカマタという蛇いろいろ
考えているのだけど、なにせ幼児のときの記憶で
朧な記憶なのでどうしようもない。

海。最高の海。潮だまりの釣り。
親戚の人に連れられ、家族のみんなで海に遊びに
いった。といっても外海は危険なので、サンゴ礁の
潮だまりに釣りにいった。
竿はそこらへんのササを切って。そして、エサは
サンゴ礁にうようよといるヤドカリの尾をちぎって。

大人になって知ったのだけど、「飼育場」の近く
の海はメランジェ海岸と呼ばれている特殊な
地形だった。

潮だまりは大きいのや小さいのがあって、
大きい潮だまりで釣った魚を小さい潮だまりに
逃がしてやって、あとでまた手づかみするのだ
った。

満潮の時には潮だまりは海面下になり、魚が
入ってきて、干潮になると、外海と切り離される。
天然のいけすになるのだった。
潮だまりの中にはチョウチョウウオの類、
スズメダイ、そしてメジナやクロダイの稚魚
などがいて、子供にとって手頃な大きさだった。
もちろんサンゴ礁なのでサンゴやガンガゼなどの
ウニ、クモヒトデ、イソギンチャクの類もいた。

母が小さなタコを採ってきた。そして、小さな
潮だまりにそれを放した。足をぷきゅん、ぷきゅん
と縮めたり伸びたりさせながら泳いでた。
それを私が手づかみすると、吸盤で指の間に
からみついた。その感触がまた面白かった。



2013年8月26日月曜日

もくもく会 アーカイブつくりについて

仮想世界のとあるカフェ。今日はもくもく会ということで黙々と各自何かつくる会
とのこと。小一時間でつくれるのは文章くらいなので、文章かきでもするか、、、


アーカイブつくりについて


EVERNOTE、私はほとんどこれには自分で文章とかメモとか書かず、主に
どこかのブログとかで見つけた文章とかをコピペしてスクラップブックにし
ています。で、5800件くらいたまったのですが、問題は溜め込んだデータの
利用法です。

理想を言えば頭の中の冷蔵庫の拡張版みたいな感じで、そこからぱっぱと
素材をいくつか取り上げて、調理して一品、料理をつくるような感じで、自分
のコンテンツとか文章をつくりあげるというような感じにしたいのですが、
実際はというとそういう感じにはなっていません。

どちらかというと溜め込んだお気に入りのコンテンツを牛が反芻するかのよう
に何回も何回も眺めます。すぐに結果を利用しようとはあまり考えないのです。

そのやり方は正しいとものの本には書いています。広告業界では有名な本、
『アイデアのつくり方』の中にあります。薄い本です。Bookoffとかにたまに出ている
かもしれません。

そのうち発作的に何か書きたくなります。facebookとかtwitter、そしてブログと
かに書き出します。メモ書きのような感じで。後先考えず書いてしまいます。
アイデアを盗まれるとかあんまり意識しません。なぜ意識しないかというと他人
はそんなにまじめに読んでくれないのを知っているからです。

自分のメモ書きの一番熱心な読み手はたいてい自分です。そして、おそらく
書いた背景も知っているので自分が一番、深読みもできるのです。

それが書き付けていく理由です。表面はパクることもできましょうけど、その深い
ところはパクれません。そして、書き付けた時点でもう過去のことであり、発想
はたぶん先をいっているはずなのです。備忘録みたいな感じでつけているのです。

そういった書き付けたものが地層のようにまた溜まってきます。たぶん、それは
とっかかりであって、そこを足場にして掘り下げることができます。そこは露頭の
ようなものであって、露頭の場所を忘れないためにそこに書き付けます。

みかけはとっても悪いです。ガラクタ置き場という風情です。でも、本人的には
ジャンク品、廃品置き場みたいな感じで、そんな風情になればいいと思って
います。

そのままでは使えないようなアイデアがごろごろしています。単なる妄想とか
夢想とか。それできっといいのです。少なくとも、私がどんなことに関心があり、
頭のどの引き出しにはどんなものが入っていて、今、どんなことについて妄想
を広げているのかということがリアルタイムでわかるからです。

単なるそのときの記録です。でも記録をつけないとその日が消えてしまうよう
な気がするので、時間に余裕があるときはなるだけ、記録して、頭の中にある
ものを外に出そうと思っています。まあ、大部分の人にとては関心もわかないし、
興味もわかないことでしょうけど、私にとっては周囲の人が今どんなことに関心
があるのか知りたいです。そして、あまり多くの人はそういうことを伝えては
くれません。


2013年8月18日日曜日

どくしょ会無事終了

どくしょ会2013無事終了しました。きてくださったかたありがとうございます。VWBCさんとShoさんのアーカイブでも後日見ることができますので、機会がありましたらご覧になってください。

今日はどくしょ会の当日です。

今日はどくしょ会の当日です。肩の力を抜いて、ちょっとゆるめな
感じでやっていきたいです。
会場の写真です。案内のほうはこちらです。
http://quest-and-ans.blogspot.jp/

2013年8月17日土曜日

去年のどくしょ会

去年のどくしょ会の風景です。VWBCさんに感謝。
http://www.youtube.com/watch?v=FGAuccn241c

2013年8月16日金曜日

具現化されることの意味

3Dプリンターが話題になっている。具現化というキーワードは
2010年代にとって大きなキーワードのひとつかもしれない。

あさっての日曜日、セカンドライフ上で読書会をひらく。手作り
の小規模なイベントである。ささやかな具現化といったところだ。
ささやかな具現化であっても意味はあると思う。
具現化とは世界が展開されることであり、展開されたものを
足場にして、さらなる具現化という目標も設定できるからだ。

思えば、会社であろうと任意団体であろうと家族みたいな
世界であろうと似たところがあるだろう。

具現化されると世界ができる。職場であれば、職場という
世界の中で生きることができる。こういうこともよく考えると
不思議なものである。

家族であってもそうだ。私は私の家族を作らなかった。
私の今所属している家族は、両親の作った家族である
けれども、それは両親の夢が叶ったものだ。その家族
の中で私は生まれ育った。日常の風景とはいえ、
それは明らかになかったはずのものが生み出された
結果である。

大きな世界であろうといつかは閉じられることになる。
昭和という世界は終わってしまった。でも記憶の中にある。
いずれは記録の中に存在するものとなる。

記録の中に存在するということの意味は何だろう。
別の言葉で言えば歴史というものの意味である。

これは大きな歴史を例にとったほうがわかりやすい。
ルネッサンスは古代という時代の復興だ。
隋唐時代というものも、秦漢時代のある意味復興
みたいなものかもしれない。

歴史の流れが途切れたときこそ、歴史のありがたみ
がわかるものなのかもしれない。織田信長がやり遂げた
ものも日本という国土の再統一である。再統一という
ものがひとつの大きな目標になっている。それはそういう
時代が前にあるからである。

ヨーロッパの統合が進んでいる。一方東アジアでは統合
は目標にもならない。それはそういう歴史を持たないからだ。

そういうわけで、ひとたび具現化されたものはたとえ紙の上
だけの存在に成り果てても後世に対して意味をもつ。

話をミクロな世界に戻す。自分史を振り返って、活気のあった
時代をもつかどうかということは現状がどうあれ大きなことでは
ないだろうか?活気のあった時代を取り戻したいという欲望にも
つながるし、それが叶わないまでも、違った形で実現できない
だろうかという模索する力とも関係してくる。

自分にとっての最大版図というか、それはあそこまでは自分を
広げた記憶があるというひとつのイメージである。

そういう経験を上手に踏んでいくことが大事なことと思われる。
メディア上の経験に過ぎないとはいえ、たとえ仮想上の出来事
であれ、そういう経験をもつことは重要だと思う。それが青写真、
雛形になりうるからである。

そういう風にして、自分の可能性、可動性を拡げていく。
現実上の制約が大きければ大きいほど、仮想なものが意味を
もつ。それは雛形としての意味であり、現実逃避とは違う意味をも
持つこともあるかもしれない。

心の中を本当に見せているのだろうか?

いつのまにか日々の内面の記録という風な感じの文章の集まり
になってしまった。そんな文章を見たがる人なんているのかどうか
分からないのだけど、それも一つの記録だしというところで続けている。

でも、よく考えてみるに本当に心の中の記録になっているのだろうか?
人それぞれ、胸に手を当ててわかるように、人の心の中はそれほど
キレイなものではい。

動物めいた欲望の巣だったり、そりゃ嫉妬その他ドロドロした感情が
渦巻いていたりとまあ、赤裸々に語るとしたら、そのへんのことも言語化
しなくてはならないのかもしれない。

でもねえ、そこまで書くとなると、書く作業が辛くなる。なるだけ継続して
いくこともまた一つの目的ではあるので、書く作業が辛くなるのは困る。

自分が考えるところの自分の光の面だけ出していこうとするのなら、
単なる自己宣伝だ。そういうのにも興味はない。それにただの普通の
人が自己宣伝してみて何の得があるというのだろう。

赤裸々というので思い出した。しばらく前に見た夢のことだ。
この夢を通して私の動物めいた欲望の傾向もわかるかもしれない。


夢『昔来た街』


コンビニから出た。何も買うものがなかった。夜の街。
桜島フェリーが出航していくのが見える。母と歩く。
二人で道をまっすぐ歩いているうちに母は父になっている。
病気の父。(父は肺がんで死んだ)父を自転車に乗せて
サイクリング。

アーケード。広島市の北のほうで、アーケードの中には
妖しい映画館もある。全体的に古ぼけた世界だ。
無視する。

周囲は妖しい街へと変貌する。でも、どことなく暗く、陰鬱だ。
路は狭くなり、妖しいオバサンたちが路にたむろする
ようになる。路はますます狭くなり、路地のようになり、
屋内のようになり、迷路のようになる。
「生きて帰れるだろうか?」と父に言う。
父はブタさんになっているが私は気づかない。
周囲のオバサンたちの顔には吹き出物がいっぱいで
ああいう生活特有の病気を患っているのかと思う。

周囲のオバサンの一人が昔の同級生の顔そっくりで
「送っていきましょうか?」と寄ってくる。

私は「またの機会に」て言ってすげなく断る。
「何かの縁がまたありましたら」と言って別れる。

昔、ユメの中で見た人、そしてここはユメの中で
来たことのある街であることを思い出した。
迷路から脱出し、そこにはオバサンたちの事務所
があり、やはり昔、ユメの中で見た顔の人が入っていた。

妖しい街を通り過ぎた。そして、次の街は半分
水没した街だった。この装備では渡れない。
父はいまやネズミに化けていた。

高速艇がやってきた。この街路では高速艇が
自動車の代わりらしい。さっきのオバサンだった。
のせて行ってくれるらしい。


夢から起きて。
前に見たのは何年も前の夢だと思うけど、
夢の続きを見ること自体が珍しく、
さっきのオバサンたちに恩を感じたので
記録に残すことにした。

P・S オバサンと書くか女の人と書くか迷ったけど、
夢を書いた記録の通りオバサンと書くことにした。
年齢的には私と同じくらいの年かやや年上っぽい人々。
みんな黒っぽい同じ服を着ていた。異様な雰囲気
なのだけど、意外にいい人々だった。

2013年8月12日月曜日

目にみえないインターネットジャングル

目にみえないインターネットジャングルというお題でお絵かきして
みました。


このいかにも幼稚な絵を描きながら妄想したあれこれ。

バーチャルな世界で自然はどうあればいいのだろうか?
特にコピペの扱い。

コピペというのはとても不自然に見えます。でも、一方で
コンピュータの環境の中では、コンピュータの中なりの
自然な存在でもあります。

自然を模倣すべきか?なるだけカンペキにやりとげるべきか。
それとも抽象化すべきか?

フラクタルやら人工生命のような路線がいいのか?
あれはあれで見慣れてくると飽きてしまうのでは。
選択するのは人間だけど、機械が計算で描いているだけだから。
そういう意味では上の絵も単に選択しただけなのだけど、
人間が描いたような感じがするのはなぜだろう?

いわゆるゆるきゃら的な不完全で幼稚な表現が暖かさを時として
表現できるのはどういう仕掛けなのだろう?


ほかの人からの感想として。
目にみえないインターネットジャングルというお題で地面があるのが
意外だった。題を聞いたとき、ニューロンやシナプスやネットワーク
でくるのかと思った。


それに対する私からのコメント。
もともとお題を思いついたのは”思考の迷宮” ”思考の樹海”
みたいなイメージで具体的には青木が原樹海のことを空想して
いたため。

普通の人は樹海では迷うけど、植物の同定ができる人にとっては
木々の植物種などがランドマークになりうるのではと思ったこと。
目印になりそうな木の下にあとから来る人のための目印を置いて
みた。

ランドマークになる木を分岐点にして左にいくか、右にいくかみたい
な感じ。

ちなみに実際の日本の山などはもっとごちゃごちゃしているような
気がします。現実の山で藪こぎした経験をもとにしているなどと
判断しないように。私は山の中での方向感覚はマズイです。

何人か学生時代に連れてハイキングして見事に道に迷った経験も
ありますから。

とりあえず、目にみえない自分のイメージの世界をひとつカタチに
したら、そこを根城にして、もっとイメージの世界の奥の世界も
探索できるような気がします。

絵を描く動機はいろいろあるけど、自分の場合はイメージ世界の
探索ということがあるかもしれません。

インターネットなのかインナーネットなのか両者混同しているような
書き方していますが、以上で終わります。

P.S 奥行きのある森の雰囲気を出すのに苦労しました。どうやっても
開けた感じのイメージになってしまったのです。でも、3時間という制限
時間を設けていたので、ごちゃごちゃと書き込むわけにもいきません
でした。

なるだけ、単純な手順、および出来上がりで森の雰囲気を出すには
というもの描いている中での課題でした。

2013年8月9日金曜日

道具箱としてのキーフレーズ

こだわりのキーワードとか
こだわりのキーフレーズとか意識していない
だけでそれぞれの人持っているものである。
昔風にいいかたなら口癖かな。

そういうものを意識化するために文章を
吐き出している。

自分というものを把握したり、
他人を把握したりするのに、
そういうものを見つけ出すのが一番だ。
たぶん心の骨格のどこかなのだろう。

店や会社の方向性を決めるために
キーワードの絞り込みというものを
やるらしいのだけど、
それは個人でも同じだ。

だから、まず財産目録としての
リストをつくり、評価し、絞り込む
そういうのが大事なのだろう。

2013年8月5日月曜日

イマージュとの出会い

人々の究極の欲望とは何でしょうか?
それはイマージュとの出会いであり、その出会ったイマージュ
を描写することではないだろうかと思うのです。?

例によって華厳経なのですが、華厳経の最後のほうにある
入法界品というのがあります。旅を通した成長物語という感じ
のものなのですが、主人公の善財童子は最後に普賢菩薩に
あいます。なんとなく、当時のインド人が考えた誰もが会い
たがる究極のキャラクターという風で、人が思いつくことので
きる究極のイマージュの形象化といった感じがするのです。

それと似たようなイメージが宮沢賢治の「ひかりの素足」
に出てくる「立派な大きな人」のように思いました。
ただその「立派な大きな人」が誰をモチーフにしている
のかは私は仏教はかじったぐらいしかわからないのと
賢治の世界についてもよく知っているわけではないの
でよくわかりません。

「ひかりの素足」は以下で原文が読めます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/458_19935.html

究極のイマージュとの出会いというのは
抹香臭いいいかたですれば、神仏との出会いという
書き方になります。

人によっては理想の恋人としてのイエスであり、
極楽浄土のイメージだったりするのかもしれません。

作り手にとっては自分という存在が生み出しうる
究極の作品ということになるのでしょう。

あるいは自分が生涯をかけて飛び越すことのできる
最高のハードルの高みだったり、もっとも最速の
タイムなのかもしれません。

人によっては事業という象徴に託された何か
であり、モノとしての象徴に託された何かなの
かもしれません。

私のような人間から見るとモノやらコトといった
ものは見えないものを見える形にする媒体のよう
にも見えます。もちろんそう見えるのは生活に揉まれて
いなくて、楽な立場であるから、余裕があるから
そう見えているだけなのでしょう。

つくづく、私は現実感覚が弱く、象徴というものを
軸にして物事を眺めているのだなと思います。

2013年8月2日金曜日

言葉は凶器、メスにもなればドスにもなること

「メスにもなればドスにもなる」といういいまわしは
森政弘というロボット工学の先生の書いた読みやすい
本の中に書かれていた表現だ。技術のことをそう
書いていた。

言葉は脳に一番密着した技術の一つだと思う。
技術というよりも身体の拡張みたいなものとさえ
いえるかもしれない。

言葉は生活の中で一番使う技術だと思う。
その割には全然使えない。というよりも、研げば
研ぐほど、どこかで人を傷つける。人を傷つければ
自分も傷つく。よかれと思って使った言葉も配慮に
欠ければ、人を傷つける。かといって人は配慮の
スーパーマンになれるわけでもない。

時に「しまった」と思う。言葉を使った後に後悔する。
あの言葉は大丈夫だったのかと。

その言葉で傷つくかどうかは相手次第だったり、
同じ相手でも状態だったり、状況によって違う。

私などは調子が悪いときは、微妙な表情を
勝手に読み込んで、何でもない言葉にニュアンス
を勝手につけて傷ついてしまう。そういう日の
私に遭遇した人はまったくの交通事故なのである。

自分が投げた言葉がどどめの一撃になったり、
などということは想像しただけで悪夢だ。

でも、そんなこと考え始めるとどんどん後ろ向きに
なってしまう。

上手な人は気持ちの切り替えが上手くて、何か
失敗したときも、きちんと反省したうえで、
人間には失敗はつきものだからと気持ちをす
っかり切り替えて前に進んでいける。

私は気持ちの切り替えは最悪なぐらい下手である。
ぐじぐじといつまでも引きずる。でも人間は忘れっぽい
から時間は薬でいつしか記憶も薄れていく。

私の言葉はときに胸に突き刺さるくらい痛いらしい。
ときに友人たちの悲鳴を聞くときもある。
笑い話ですめばいいのだけど、、、

P.S 一番の被害者の一人は自分自身だと思う。
自分で自分の胸に言葉のナイフをぷすぷす
突き刺しがちだ。痛みなのか快感なのか知らない
が悪い癖だと思う。