はじめての方へ

私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。

P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。

p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。

P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)

P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)


2010年3月25日木曜日

病気になった一因は突き詰めかも、、、

ものごと突き詰めすぎるとよくないと思いました。言葉が典型ですけど、日常使う分には十分用は足せるけど、あんまり突き詰めすぎると魔性の部分が出てくるような。この世界の矛盾とか、言葉やら自分の精神のもつ矛盾とか、、、「頭がよすぎる」とはよく言ったもので、朦朧とした頭で考えすぎるとパカッと何かが裂けてしまうような危うさって日常世界やら自分の心にはあるんじゃないかと。「頭がよすぎる」といっても本当の意味で頭がよかったりするのではなく、中古車に無理をさせて、エンジンがオーバーヒートしてしまうような感じかもしれません。

2010年3月24日水曜日

言葉の酔っ払い

さっき文章かいて、自分の悪しき傾向が少し見えてきた。言葉に酔ってしまうことだ。
大体、文章を書いているうちに酩酊してくる。酒がなくても言葉で十分酔える、意識ははっきりしているぶん、酒よりも酔える。そして、言葉の酔っ払いは酒に酔った奴よりも始末に悪い。

表現するという形で他人に絡んでくる。感想がききたくなる。相手は迷惑だ。酒に酔った奴の相手もめんどくさいが、言葉に酔ったやつは始末におえない。

自分の言葉に酔えない奴が他人を酔わせることができるのだろう。
自分に催眠術をかけるのではなくて、他人に催眠術はかけないといけない。

2010年3月23日火曜日

出汁食材

「下手」「文章」「味」というキーワードで検索していったら出汁食材という用語に出会いました。
文章の味なんか自分で求めちゃいけないのかもしれませんが、味を出すには出汁をとらないといけません。

昔、特に大学で習うお勉強とかが乾物に見えたことがあります。そのままでは食えない。そのかわり水に戻したりして食べやすくすると高級食材になります。

会話の話題としての高級食材ですね。私が勉強してた植物学とかはちょこっと下ごしらえすれば話題の種になりますが、数学とかはまさに乾物。でもほんの初歩のところでも、うまく水にもどしたりして食べられるようにすれば、会話の題材としてむちゃくちゃ面白いテーマになります。

水に戻して食べるという文化もそれほど普及していないので相場もそんなに高くないような気がします。
調理の方法を間違えると楽しみのための会話ではなく、ただのお勉強、苦い薬になります。
これはいだだけません。

言葉を研ぐのならご馳走するために言葉を研ぎたい

最近気になること。お笑い芸人の進化。気になるのは頭の芯が痛くなるような笑いであること。彼らは笑いをつくるために言葉をつきつめているように思える。笑わせるほうも、笑うほうもどうかしてると思う。といいながら私も笑ってるけどね。

次に気になること。鬼嫁番組。「奥さん」「怖い」とかで検索すると薄っすら見えてくるけど、鬼嫁的な人は増えているような気がする。でも番組と違うのは鬼嫁は鬼嫁で悩んでいるみたいなこと。言葉で傷つけちゃうことに鬼嫁は鬼嫁で心痛めてるみたい。

ここからはトンデモな説だけど、進化したお笑いを見ながら鬼嫁が言葉のつめとキバを研いでいるという説。
とはいいながらトンデモな説というよりも偏見かもしれぬとも思っている。鬼嫁という言葉は便利なので、ついつい相手のおでこに張ってしまう。モンスターペアレントしかり。たぶん実態はマスメディアが伝えるよりも複雑だろう。でも伝えるためには単純化しないと伝わらないのが悲しい。もろもろのステレオタイプが氾濫する裏には伝える対象のもつ複雑さと伝えるための単純化の必要性が絡み合った形で存在するという事情があるのだろう。言葉を使って考えるのがもどかしい。

タイトルから全然遠いところにきてしまった。まったく、私の言葉というよりも思考法は起承転転転だ。

2010年3月22日月曜日

全知全能とあらゆること

あることはあらゆることの中にすでに存在しているという言葉は自分でもヒットじゃなかろうかと思って、「ある」「あらゆる」「存在」で検索したら、やっぱりヒットでした。面白いことは全知全能という用語を釣り上げたことです。全知全能という概念はあらゆるという単語から引き出されたものではないでしょうか?
あらゆるという日常語を突き詰めて考えると、やはり古代人もそこに尋常ならざるものを感じて全知全能という概念に至った。トンデモな説ですけど、今日考えたことの記録として残しておきます。

考えてみれば全てとか絶対とか平気につかってますけど、すごい言葉ですよね。子供のような素朴な心で考えれば日常の言葉にもとんでもないことが結構みつかるかもしれません。化石化したり、手垢がついてしまった、飼いならされた猛獣のような言葉たち。

勝負師の狂気とバベルの図書館



いきなり孫引きです。


「将棋には怖いところがある。(中略)将棋だけの世界に入っていると、そこは狂気の世界なのだ。ギリギリまで自分を追いつめて、どんどん高い世界に登りつめていけばいくほど、心がついて行かなくて、いわゆる狂気の世界に近づいてしまう。一度そういう世界に行ってしまったらもう戻ってくることはできないと思う。入り口はあるけれど出口はないのだ。私自身、アクセルを踏み込むのを躊躇している部分がある。経験からも、一年なり二年なり、ずっと毎日将棋のことだけを考えていると、だんだん頭がおかしくなってくるのがわかる。入り口は見えるけれど、一応、入らないでおこうと思っている。」
「決断力」角川oneテーマ21 (新書) 羽生 善治 (著) 96-97p
http://japonism.weblogs.jp/japonism/2007/09/post_3ec2.html 孫引きのソース

勝負師にとっての狂気なのですが、その入り口は、宇宙のはじめから、あるいは宇宙にかかわりなく、将棋宇宙は存在したことなのかもしれません。将棋のルールが確定されれば、将棋宇宙の中に羽生の棋譜もすでに存在するのです。ルールが確定されればその先に戦略やら抜け穴やらの物語が展開するのはすべてに共通するのかもしれません。宇宙の背後に存在する、人には知りえない、真の物理法則やら、公理から展開していく数学の世界。スポーツの世界や、経済行為もそうでしょう。果てや卑近なる個人の習慣やら、二人の間だけに存在する暗黙のとりきめ。そのようなルールから派生するさまざまなことが宇宙のはじめから、あるいは宇宙にかかわりなく、存在したと言い立てることは確かに狂気の世界に属するかもしれません。

でも、私の創作というよりも、文学作品としてもうすでに語られています。
「バベルの図書館」という作品です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%99%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8


どんなとてつもないアイデアも飼いならしていけば狂気にはいたらないような気がします。大昔の人にとって
毛穴の中に入る無数の仏様など、むやみに小さなことや、むやみに大きなことは紙一重の世界だったのかもしれませんが、今は億とか兆なんて数はコンピュータがらみではたいしたことのない数字ですよね。

内角の和は180度になる、とか円周角は等しいとかいうこともある時代の人にとってはとてつもないことだったのかもしれないし、本当は感覚が麻痺しているだけで、今でもとてつもないことなのかもしれません。

直線は点の集合であるとか、概念上の点は大きさをもたないとか不思議なことは数学の世界にはいっぱいありますよ。

今日の文章、全体的に意味不明だったかもしれないし、人によってはまじめに私のことを心配している人も中にはいるかもしれません。頭の中で何を考えるかは自由なので変なことばかり考えているのが実は私の精神生活のような気がします。しかしねえ、頭で考えるのは自由だけど、表現するのはぜんぜん自由じゃありません。

P.S「バベルの図書館」なんですけども、一口で言えば、アルファベットで書かれた文書は、アルファベットで書かれた文書の集合の中に属しているというただそれだけのことなのですが、何も伝わりませんね。さっきの話はあることはあらゆることの中にすでに存在していると書けばいいのかもしれません。こっちもうまくつたわっているのかなあ。あらゆることが明確にイメージできる人は何も苦労がなくていいですね。ただ、そういう人は存在していること自体が苦労なのかもしれません。普段なにげなく使っている言葉の中にもまがまがしいものが含まれていそうで怖いです。

メモの書きつけ

ちょっとハイテンションになっているときに書いたメモを載せます。

>道いく草が草でなく
またたく星がただの星でない
周りのもので名前のついているものは多く
名前つかぬまでも
事物の背後には歴史と
歴史をこえた神秘的なつながりが
かすかにほのめかされる



多分誇大広告です。自己肥大の賜物です。
ここに載せたのは自己肥大なりのそのときの
心情を表していると思ったからです。

私、メルモちゃんのように自己イメージが変動するのです。
「大きくなるよ 小さくなるよ す・ご・いよ」なのです。
まったく困ったものです。

2010年3月21日日曜日

コラージュ作品久しぶりにつくりました。




久しぶりにコラージュ作品つくりました。手話で「がんばろう」というポーズをつくったのでそれを素材にしたのですが、腕が半分切れているみたいになってしまいました。

考えぬく、千本ノック

昨日はこんな変なことを考えてました。


>年から年中考えぬいていたら瞬間的に答えを「感じる」ようになるのではないか。問題を見たとたん数学的直観が働くような。

>それが臨済禅でいう悟りの意味なんじゃなかろうか?


何か危なっかしいというか、やっぱり「悟り」という言葉に心の底では憧れているのだろうなって。
昨日の文章続けましょう。


>対象を眺めているうちに適切な問題が浮かんできて、2時間くらい考え抜いて、自力で答えを出しちゃう。

抽象的に考えるばかりで、例えば?と聞かれると固まっちゃうのが私の悪いところです。




P.S 例えば、日々、植物標本を眺めるときや、何とはなしに路傍の帰化植物たちが織り成す生態系を眺めているときにそうした適切な問題が浮かんでくれば、万々歳なのですが、私はただ「どこがわからないかがわからない」とうわ言のようにぶつぶつと独り言を言うのみです。ハハコグサやホトケノザの咲く道端の草むらを見るとこの「どこがわからないかがわからない」という気持ちがこみ上げてくるのです。

昨日とちょっと気分が違う

ブログ書いているメリットはその日の気分のありようが記録されることです。
タイトルにも書いたように今日は昨日とちょっと気分が違います。
まったくいつものとおりなのです。ということは昨日は不思議な気分の日だったのかなあ。

日常空間の中に祝祭めいた雰囲気もなく、頭の中からアイデアを取り出すのに苦労しないというわけでもないです。憑き物が落ちたという感じですね。

鬱っぽいわけでは今のところぜんぜんありません。今日は休みなので今までの経験からいうと鬱はこないでしょう。昨日は意識というパレットの中にほんのちょっとの躁の絵の具とほんのちょっとの統合失調症的な要素の絵の具が混じっていたのかもしれません。ハイテンションがコントロールできないわけでなく、幻覚幻聴という世界からは今のところ隔たっているのでそういう感じなのかな。

確かに認知とか神経の失調という要素もあるだろうけど、躁の絵の具も、統合失調症的な要素の絵の具も日常生活を豊かにするための本来必要な要素かもしれません。絵の具の調整がうまくいかなくなったときに失調するということなのでしょう。

2010年3月20日土曜日

精神病者の人生にも意味がある

なんだかんだいって私の心の傷はずいぶん癒されていると思う。考え方も大雑把にいえば、前向きだ。
どうして癒されたのだろうかと思ったときに、ひとつ思い当たることがある。

精神病者の人生にも意味があるとゆるぎなく思っていることだ。中心軸ブレまくりの私の中で、この思いだけは最初から変わらない。多分精神病者が幸せに至ろうと思う個人的ないとなみはそこへ至りたい別の人のヒントになる。
別に意識的にそうした使命みたいなのを感じるわけではないけど、皆が共同作業のような感じでここではない別のどこかに抜ける扉の鍵を探している。人生という迷路の中で、毎日同じところをぐるぐる廻っているような感じもするのだけど、何か自分の生活の周辺にキラリと光る、小さな鍵が落ちていないかなあと目をこらしている。

それは誰かの助言だったり、小さな本の文章の切れ端だったりするけども、鍵を手に入れると見えてくる扉もあるかもしれない。勇気をもって、扉を開ける。扉をぬけたら、ちょっと違う世界が広がっている。昨日までとは違う世界。ぐるぐる廻りをまたはじめる。そんなことを繰り返しながら後を振り返ってみるとずいぶん遠くまで来たものだとも思う。

本も読めず、うどんも噛めず、受け答えもどうしたらできるのかわからなかったあの頃。
両親も家の外に私を出したがらず、散歩するときも監視つきのような感じだった退院したてのあの頃。

いつもと違う散歩道

先日に続いて、非日常な感じのする午前中だった。
路傍のプリムラの紅が女の人の口紅のように強く刺
激的だった。
城跡の石垣の地衣類のマットが、なんともいえぬわびさびをかもし出し、
その横をせわしく走る小型のアリにみとれていた。

トビが、スズメを喰い、くすのきはスズメに宿を提供し、
スズメはつつじの花壇にもぐってワラジムシをつつく、
そんな都会の生態系をあれこれ想像していた。

図書館に行った。本の世界ででも遊ぼうと思ったが、
やっぱり背表紙見ただけでおなかいっぱいだった。
図書館はこういう日には不向きだ。

歩く早さもゆっくりになる。ゆったりした歩み自体が
気功体操のようで、ドーパミンか何かドバドバでて
いる感じがする。

やっぱり、方向指示器の黄色のチカチカはトリガー
になっちゃう。トリガー、催眠術に入るための鍵刺激。
催眠状態かどうかわからないけど、心なしか意識水準
下がっているような気がする。

喫茶店でも行こうかと思ったのだけど、人に会いたいと
いう気持ちがしなくなる。自分との対話を続けたい。
意識が沈潜し、草花やものが友達になり、ぴよと鳴く
鳥の声もいつもと違う響きがする。

何か発見するかもしれない。

2010年3月18日木曜日

ひとに操縦されそうになって固まる

ひとに操縦されるといっても、させられ体験とか、そういう仰々しい話ではありません。もっと日常的な話です。世間の人のちょっとした、ずるさなのですが、ぜんぜん私には関係ないようなことでも、話をうまい具合にもっていって、ちょっとした仕事をさせたり、自分のために利用しようとしたりというのはけっこうあるでしょう。私もそういう場面がちょっとあって、体が固まってしまいました。以前なら、もしかしたらいいなりになって、他人のするべき仕事を人よくやってしまったのかもしれないですね。でも、病気の記事をあれこれネット上で読んでいるうちに、世間の人のもっている、ずるさをあまり身に着けないで大人になってしまったのだと悟りました。これは特質というより、病気の人のもっている気質なのかもしれません。

そういう記事を読んでしまったので、ああいう行為を仕掛けられたら体が固まってしまうようになってしまったのでしょう。これってバリアフリーという概念と関係あるのでしょうか?心のバリアフリー、自分の利益のために人を利用しないこと。当然の話のようでもありますが、当然が当然になっていないところが世の中の仕組みの悲しいところ。

悪人以外は精神障害者。この表現はおかしいですね。生存競争の世の中だから生き抜くためにそれぞれの人はそれなりに必死なのです。どうも、私は心の免疫不全症候群みたい。

らべる

患者というほかに、社会的肩書きがなかった時代が長いから
患者であるということに強いこだわりをもっている。
そういったことからもっと自由になれたらなあと思う。

もしかしたら、最初につけられた心因反応とか
二度目につけられた非定型精神病というラベルは
たいした意味はないのかもしれない。

今度はご丁寧なことに自分で自分のおでこに
僕は精神病ですってラベルを貼っている。

たったそれだけのことで世間は今後は私を
患者としてみるのかもしれない

ラベルって何だろう?
ラベルがあるとなんとなく落ち着く。
なによりもゆらゆらしないで安心できる。
単なる御守かもしれないし、私の場合は
厄病神の御守かもしれない。

今は毎日、仕事場で植物の標本をみて、
ラベルに書かれた標本情報を入力している。

標本によっては簡単にかたがついている標本もあるし、
べたべたと幾多の人によって違う名前のついたラベルが
張られている標本もある。

思えば因果なことだと思う。
大学の時は研究で植物を観察する側にいた。

立場は交代し、発病した私は観察室にいれられた。
後になっても、カルテ書かれながら、そんなに
当事者のことがわかるかいなと思ったことはたびたびだ。

晴れて就職し、研究者の立場などではなく、入力者の
立場で植物標本と接する毎日となった。
標本を観察するのではなく、眺める立場。

おでこに病名のラベルのついた私が
植物のラベルを黙々と写して行く。

植物のラベルにもおでこのラベルにも
どうのこうの言える立場ではないが
名前とはなんだろうと思いをめぐらす
自由くらいはあるだろう。

朦朧とした頭で「薔薇の名前」の謎について
あれこれ想像しながら、黙々と植物の名前
をパソコンに写していく。

2010年3月17日水曜日

夜の交差点にて

前の記事にも書いたけど、きょうはぽかぽかした春の日で、私の調子は不調でした。
職場を早退して、地域支援センターで患者仲間と息をついていました。
調子の悪い時、事情のわかった人と話すと状態を立て直せる場合があるのです。

そのとき冗談まじりに、今日はこんな日だから、病気が悪化して病院に担ぎ込まれる患者もいるんじゃないかなどといっていました。

それで夜のことなのですが、暗い夜道をあるいていたら、前方から大きな叫び声が聞こえてきました。
調子を悪くした患者の人の声みたいでした。
「弱い奴をいじめてそんなにたのしいんかーい。」と連呼しながら通りを彼は歩いていました。

信号のない小さな交差点で彼とすれ違いました。声は恐ろしげな声でしたが、悲しげな内容だったので、彼の悩みでも聞いてあげたいなあと一瞬思いましたが、私の限界ですね。

別に危険は感じませんでしたよ。声の内容を聞いてしまったからでしょうね。

春のぽかぽかした日

今日は、当地は春の陽気のぽかぽかした日でした。しかし、私にとって春の陽気はときに春の妖気になってしまいます。多分、神経ホルモンのバランスが変調して、世界がかすかに変容してしまうのです。変容といってもほぼ毎年のことなのである程度慣れてはいるのですが、なんとなく非日常感がして、全体的にけだるい感じになります。春だから健常者でも、非日常感とかけだるさとかあるのだろうと思うのですが、多分その濃度を多少濃くしたような感じになるのです。精神病の人の世界は健常者にはわかりにくいのかもしれませんがこんな感じかもしれません。春のぽかぼかした日のなんとはない華やいだ感じ、けだるい感じ、桜咲く非日常感、いいですね。でも何かの理由で感覚が鋭くなって、その濃度が濃くなっていくとその先にぼっかりと開いた異次元への裂け目があるような気がします。

ぽかぽかした日に、道いく他人の歩きながらの会話などの切れ端が妙に意味深に聞こえてきたりします。感覚が鋭くなっているので、クラクションの音、方向指示器のチカチカ、もののこすれるような街の雑音、普段はそういうものは背景のノイズとして、人生というドラマから捨てられているはずですが、調子の悪いときは意味ありげに聞こえてくるのです。自分の人生というドラマにそういった雑音が、自分たちも劇の内容に入れて、と入り込んでこようとする感じかもしれないですね。意味ありげで止まっているところが私の幸福といえば、幸福なのだろうと思います。

まだ、その感覚に慣れてくる前は、意味ありげではなく、背後に意味があると知覚されて、世界が芝居がかってくるような感じがしていたと思います。道いく人の本来、私とは無関係な会話が、私をただ一人の観客にしたドラマにみえてきて、あまりにもそれが芝居がかった臭い演技のように見えてきたものでした。世界はやはり仕組まれていると思うことになります。とても怖い体験です。

そういうときは、俗な、日常的な世界が、道行く他人の会話の切れ端からほころんできて、異次元の裂け目が開いていくような感じになるのですが、静かにして、なるだけ心落ち着けていると、ほころびはだんだん曖昧になって非日常感は単なる頭痛のようなものへとかわっていくようになりました。

本当に事情のわかった人との会話なども、俗ないつもの世界に戻してくれる触媒になります。でもいつもの世界にもどったからといってまた一人になると世界が再び変容してくるかもしれません。

まあ、これは私の体験で、非定型精神病などは患者それぞれの顔を持っているそうです。

2010年3月16日火曜日

アイデアプロセッサ

ねこいちごは最初からどらえもんのパロディで行こうなんて発想でつくったのではなく、
「ねこきのこ」のアイデアに触発され、「ねこいちご」というキーワードを思いついたんですね。
それでねこいちごという文字表現をどのような空間表現に変換しようかと考えたわけです。
で、そういえば、と思って出てきたのがネコ型ロボット。で、画像検索に直行ですね。

まったくの遊びでやっているのですが、これはテーマが商品開発でも科学研究でも同じやり方は可能なはずです。アイデア生成のトレーニングにもなるし、企業研修でも、能力検定でも使えそう。

パクリパクられというテーマで始まったことなので、まったくパクってもらってかまいません。セカンドライフはそのようなアイデア生成の場としては最高の媒体です。

あと空間表現から文字表現への変換も可能かもしれません。セカンドライフ俳句ですね。
夕べ「福岡空港」を散歩して、二句思いつきました。

ただひとり 夜の空港 かくれんぼ
ただひとり 夜の空港 おにごっこ

ねこいちご


立体オブジェを媒体にした、しりとりみたいなことやってます。
I先生「いちごきのこ」

私「いちごねずみ」
私「いちごうなぎ」
私「きのこいちご」

I先生「ねこきのこ」

私「ねこいちご」

そもそもパクリパクられというテーマでこんな感じになったのですが、
「ねこいちご」はまったくのパクリというかパロディですね。
2時間足らずでできました。

アイデアスケッチといえばいいのか、アイデアプロセッサといえばいいのか
楽しいです

本日は快晴です。

ブログをはじめて、一人悦に浸ってたり、自己嫌悪で不安いっぱいだったり、猫の目のようにここ数日の心の天気は変わってましたが、夕べ何日かぶりにぐっすり眠ることができて、今朝の気分は快晴でした。ただ、気分爽快までいっていないので、まあ、ハイテンションのほうにもいってはいないのでしょう。

ここまで、気分が快晴って久しぶりなのです。最近はプチうつが定着している感じなので、いつも微妙にぐずついているわけです。プチうつの背景の上でのちょっとした幸せとかそんな感じです。

でもまあ、書いている今はまた普段の感じにもどってきました。うつって感じではないけど、快晴というほどすっきりしているわけでもない。まあ、それが普通ですね。

せっかくなので、気分の話をします。

普通の人にとって「よい出来事」はよい出来事なのです。でも、双極性障碍の要素ももつ非定型精神病の当事者にとっては「よい出来事」は躁転のスイッチになりやすいです。躁転とは躁状態に転ずることをいいます。たとえば鬱の状態から。

私にもその気はあるのですが、私の場合、自分の心の中にいくつかの計器みたいなセンサーみたいなのがあるようです。

躁の計器、少しでも躁が入ると、とたんに警報がなります。多分、自分の言葉の速さ、言葉の強さ、文章の長さなどをモニターしているのだと思います。一滴でも躁の神経ホルモンの流れみたいなのを感じるとピーンとくるのです。で、なるだけ、油を注がないようにはします。それなりに気分爽快感を楽しむことはありますけど、グライダーのように、ハイテンションから空を滑空しながら気分が下がってくるのを待ちます。

世界の変容を計る計器、こっちはもっと大事なモニタリングです。世界の変容、世間の人の様子が芝居がかってくるとか、シンクロニシティの多発とか、なんとはない世界の非日常感とかです。最近はそれを自分の内部の変容だと思えるようになってます。それができなかったころは、文字通り超越的に恐ろしく、超越的にわくわくする出来事でした。

鬱の計器、日常的に使っているのはこれですね。私の不幸はささいなこと、過去の出来事を思い出すとか、そういうことで鬱のスイッチが入ってしまうことです。嫌なことを思って、一瞬顔をしかめて、しまったと思うのですがもう遅いのです。それから数時間、憂鬱な気分が続きます。そのとき大事なのはまずい方向に考えないことです。自分を虐待するとかですね、、、。神経ホルモンのバランス異常なので悩みの内容なしの純粋な憂鬱です。脳の中の変な薬の入ったアンプルを倒してしまったような感じです。憂鬱の火事は燃え広がりそのうちに収まります。

多分、再発が一度で済み、つつがない生活を送れているのは心をモニタリングする習慣のおかげですね。

2010年3月14日日曜日

子供の感性

子供が自由帳にのびのびと書く。
そんなふうにして、いろいろなものを表現してみたい。
まだ、石が下に落ちることも、
鉄棒がキンキンなることも
ものめずらしかったころの気持ちに帰りたい。
いつもと違う帰り道を通っただけで少し幸せになる、
そんな気持ちに帰りたい。

大人になってたくさん知恵はついたけど、
ずるいやり方もたくさん覚えてしまった。
ふと思うんだ。それでも、子供のころを思い出すことはできる。
けっして帰れはしないのだけど、、、

もういなくなってしまった、あのひと、このひと。
思い出のなかだけでほほえんでいる。

これから会うだろう、あのひと、このひと。
けっきょく、出会うことのできなかった、あのひと、このひと。

みんなの舞台、この世界。

ちょっとずらしてがらがらぽん



ちょっとずらしてがらがらぽんです。写真というより万華鏡をまわすような感覚ですね。

今日のスナップショット


がらがらぽんと今日はこんなの採れました

今の私

今の私には些細なことでプチうつの引き金を引いて数時間苦しむほか、さしたる目だった症状はありません。たぶん、、、。淡々と精神病の刻印を受けてしまった人にはどんな幸せがありうるのだろうかと模索しているとこです。精神病を発病させた、といっても私の場合、レアなくらい幸運なケースだったことを、ネットであれこれ読むうちに知りました。大学を修了して、よその土地の会社に就職し、そこでの人間関係が定着するまえに発病して、そのまま田舎に帰ってきました。そいうわけで、初発時の私を知っている人は大学のときの友人にも今、周りにいる友人にもいないのです、初発時のときの登場人物は記憶のかなたに去ってしまいました。再発時のときは家、で再発し、一晩両親に介護され、翌日病院に行きました。こっちもほとんど真空パック状態で周りの友人知人とは相互作用なしです。その後再発することはありません。そいうわけで、相互作用してしまった友人知人の冷たい目線にあうという苦しみは私は体験したことがないのです。

わざわざ自分から精神病のことを公開することなく、健常者にまぎれて、健常者として生きればよかったのかもしれません。たぶんそのような人も、全国に無数にいることでしょう。

多分、私は映画「精神」を機に世の中少しは変わるのではないかと甘いことを考えて、ひょっこりと世の中に出てきたお馬鹿な「患者」の一人です。自分でも患者と健常者の境はわかりません。たまに鬱の症状がでたり、かすかに世界が変容したときにやはり自分も患者なんだって確認するばかりです。

2010年3月13日土曜日

喋る万華鏡

何で頭の中がごみ屋敷になってるかって?それは自分なりに非定型精神病を克服しようと思ったからです。そこが原点。精神病を理解するには生物学、心理学、社会学すくなくともこの三つに親しんでいなければなりません。観察者側からみれば、そのどれかに所属しながら、その角度から光を当てていくわけです。
でも、当事者では一面的に理解すればことたりるのではなく、セーターを編むようにしながら、自分のペースでいいから、それぞれの内容をなるだけ自分の言葉で理解しなければなりません。また、当事者にとっては自分のことなので意外といい位置にいるんです。

ただ今の感想なのですが、非定型精神病を発病して20年近く間違った道を歩んできてしまったのかもしれません。中井先生は当事者に精神病山からの下山をすすめましたが、一番最初の記事で紹介ましたように、私はそこで美しい光景をみてしまい、魅せられてしまったんですね。じぶんが精神病山に初登頂できるなどと大それたことこそ考えはしませんでしたが、あまりに周囲が美しい風景だったので高山帯の地図でもつくろうかと思ってうろうろしすぎてしまったのでしょう。

所詮当事者の研究は当事者の研究なのでしょう。微妙に弛緩した頭で考えたことが世の中のために役立つとは最近になればなるほど思えなくなってきました。代わって頭にもたげてきたことはリターンのことを考えることもなく、あまりに多量の時間投資をしてしまったことです。それがすべて不良資産になってしまった感じなのです。むしろ私の思考パターンとか言葉とかに悪い影響を与えているかもしれません。

そいうわけで最近路線変更して「楽しみのためのアートづくり」に精を出すことにしました。とっても美術関係は図工の段階で止まってます。アウトサイダーアートをやるには病気が軽すぎるのかもしれません。

でも気分が乗っているときには、頭の中の雑学の切れ端が化学反応を起こして、がらがらぽんとなんとなく文章がでてきます。これが金にでもなれば造幣局気分でしょうけど、ま、ちり紙交換でしょう。

説得力に欠ける文章

起承転転転の文章のデメリットは何なのでしょう。多分それは説得力に欠けるということです。そもそも論旨がまとまらないし、相手には何がいいたいのかがわからない。

多分そのために人生上多大な損をこうむっているはずです。議論には負けるし、自分の意見は通らないし、、、

そもそも議論に勝ちたいという欲をあんまりもっていないのかもしれません。

親子喧嘩とかあまりない状況で育ってきたのかもしれません。平和すぎて、攻撃用の武器が何も発達しなかったのです。

まあ、幼稚園のころは、それなりにままごとでもして、女の子とでも遊んでいたらよかったのでしょうが、小学校に入ると早くも人生に暗雲がたちこめます。

肉食恐竜との邂逅です。草食恐竜には身を守るべきつめもきばもないのです。そして、小学校に入ってから肉食恐竜に進化するというわけにもいかないみたいです。

小さいころに素直だった子供やら、反抗期のなかった子供が青年期で精神病にやられやすいのはそういう背景もあるのかもしれません。反抗期に親の胸を借りることで厳しい社会で遭遇する敵との戦いに備えているのかもしれません。

最初に戻して、起承転転転の文章のメリットって何でしょう?それはどんなアイデアが飛び出すかわからないことです。多分統合失調症親和者の子供は、武器をもたぬための生存上の不利を技術革新によって乗り越えようとします。独創性は幼少時からの生存上の要求なのです。

のび太とドラえもんはそれぞれ作者の心的側面です。クラスの一番後ろののび太は生活上の困難をドラえもんの未来技術によって解決しようとします。

それにのび太にもプライドというのはあるのです。弱い自分というのは引き受けられないのです。そのため自己を証明しなければいけません。クラスの誰にもできないようなハードルを越えないと自分が自分であることを確認できないのです。そういうわけで早々と豆博士とかおたくな道に入っていきます。武力はもたぬ分、文化の方面に自分の活路を見出すのかもしれません。

自分が書きたいものを自分が書きたいように書く

あれこれ、書いているうちに自分の書くべきスタイルが見えてきました。
あまり他人様の目を気にすることなく、自分の書きたいものを自分の書きたいように書けばいいのだと。
結局、文章に限らず自分流アート表現もその精神で作っています。
あまり、他人の評価とか考えたくないのです。まあ、他人に伝わるかどうかはとっても気にします。
伝わらなくてはコミュニケーションとはいいがたいし、、、

でも表現を勝負の道具にはしたくないのです。もともと勝負事嫌いですし、、、
特に体育系のゲームでいままでいい気分を味わったことはありません。この病気の素因をもった人は運動神経に欠けるところがありそうです。口の筋肉も運動神経が支配しているので自然口げんかもからっきしだめです。相手の弱みを突くというのが苦手なのです。質問攻めをする人なのですが、問題点をしてきするような突っ込みはいれたことありません。質問の点は瑣末な方向にはいかず、素朴で根本的なことに向かいます。

こういう病気をしてしまうと、どうしても関心が世界の根源とか本質とかそんな方向に向かいます。多くは私なんぞが考えても仕方ないのですが、瑣末な方向には行かないのです。人生は短いですし、、、

フェルマーの定理に魅せられて、人生を棒に振った天才予備軍とか、やはり錬金術に熱中したあげく実のならない人生をすごした人らにあこがれます。世の中を真に豊かにしているのは歴史に名をとどめている人では実はなくて、そういうお馬鹿な人たちだと思います。両手に翼をつけて、奈落に転落して一生を終えた、そういうものの一人に私もなりたい。

起承転転転

前の文章書いているうちに何で私の文章が伝わらないのかわかってきました。
思考パターンが日本人流の起承転結でも欧米流の起承結でもなく、起承転転転で論理があらぬほうにいってしまうわけです。

自分を一種の道化だと思って、観客の一人になって楽しむほかないようですね。

そういえば昔からクラスの中では一種の道化として扱われていました。
悲劇だったのは母は実態がわかってないから「人気者だ」と思っていた点です。

笑わせていたのではなくて、笑われていたのですけど、、、(悲)

今でも、周りの人で私を道化を見るようなまなざしで見る人もよくいます。

どうもそういう人は誰かを見下すことで、優位である自分を味わいたいのだと思います。
日本人ってどうして、むやみに人にあこがれたり、見下したりするのでしょう。
多くの日本人はといったほうが厳密かもしれませんが、ここは雑談の場なので日本人はにします。

大きな要因としてメディアが人をもちあげたり、芸人が笑われたりするのと関係あるような気がするのです。
日本という土壌の中で、メディアの表現が生まれ、メディアの表現が日本の土壌を強化する。
そんな循環が生じているような気がします。

土壌を改良すれば日本ももっと住みやすくなると思います。そこで考えるべきは抽象的な土壌を
考えるのではなく、小さくてもいいから具体的な場をつくることです。

場はそこここにあります。掲示板かもしれませんし、生涯学習の教室かもしれません。
そして、そこはもしかしたら日本の土壌を改良する小さな戦場なのかもしれません。

小さな戦士たちよ、がんばれ。

いつも頭の中がゴタゴタしている

自分の心の特徴ってなんだろうか?と考えて、薄っすらとイメージできるのはいつも頭の中がゴタゴタしているということだろう。整理整頓されてなくて、ごみ屋敷状態の頭の中。悲劇なのは多分そのごみの中には高価な品々も混じっているだろうことである。でも、ごみの内容がお金だろうが宝石だろうがごたごたしてたらごみはごみなのだ。逆にいえば、ごみも分別したら資源になる。うまく、頭の中を整理できたら、金持ちになれるのではないかというよからぬ欲もないではない。

でも、金持ちになって、ヨットが乗りたいとか豪邸に住みたいとかいう欲望はどこからも沸いてこない。毎日贅沢なものばかり食べてたら、糖尿病は避けられないだろうし、第一生活レベルがいったん上がってしまったら、その後貧乏になってしまっても、生活レベルを下げられない。結果は借金経済で身内に迷惑をかけてしまう。

金持ちになりたいと思える理由は、錬金術的な過程にパズル的な面白さを感じことと、お金があれば誰かを助けることも可能になることだ。ここで、問題をひとつ。

「宝くじで前後賞あわせて3億あったら何に使いますか?」もしも、の話です。

一番つまらないのはマンションのローンを払うとかいう答えです。
私の正解は「3億円じゃ足りない。」です。

3億円、確かに個人で贅沢するには十分な金額です。でも世のため人のために使おうと思ったらはした金なのです。3億円じゃバングラディッシュは救えない。

お金は自分の欲望のために使おうと思うとたぶん汚くなります。
でも誰かを助けるために使おうと思うときれいなものです。

そんなことを考えているうちにに「偽善」というキーワードが沸いてきました。
「偽善」って何なのでしょう?

「人のために何かをしている間に、結果として社会的に評価されてしまい、偽善者のレッテルを貼られる」
「社会的評判をあげるための広告としてなにかよい行いをする」

本当の善って人生経験浅いのでさっぱりわかりませんが、
勉強とテストの話に置き換えて考えてみましょう。

「たとえば理科が好きで、理科の本を読むのがすきで、結果として理科のテストがクラスで一番になる」
「点取り虫タイプ。点数を上げるのが目的ですきでもない理科の本をぼりぼり読む」

点取り虫は何で、点を取りたがるのが私にはよくわかりません。
一番って、それ以上には上がれません。成長はだいたいそこで打ち止めです。
狭い世界に生きている分には幸せですが、広い世界の中では所詮井の中の蛙です。

そのことは学校の一番でいい気になって、ランクひとつ上の大学とかいくと痛感します。
スタートの時点で勝負がついているからです。そこで自分は所詮井の中の蛙だったと悟るのです。



以上、普段、私の頭の中がいかにごたごたしているかわかるでしょう。文章書いているとつぎからつぎに脈絡もなく新しいことが沸いてきます。まとまらないのです。



注)私は今まで学校で総合成績が一番になったことはありません。一番の人の気持ちがわかるのは高校で地理のテストだけは最初から最後まで一番で通したからです。一つランクの上の大学にいくというのは実体験です。サバイバルゲームって感じでした。今まで優等生だったことは一度もないのです。国語数学英語そして体育が2で理科と社会と美術が5そんな奴です。

2010年3月11日木曜日

後悔はしてないけど、不安はある

こんなもの出して無事で済むのか?
私も馬鹿だよなあ、というのが今の感想です。
平時の私をみて、精神病者だと気づく人は皆無だし、
雉も鳴かずば打たれまいというのが正解だったのかも
しれません。

まあ、それ以前にこの文章読む人がいるのかどうか
定かではありません。ぜんぜん上手に書けているとは
いいがたいし、、、

急性精神病状態を患者の視点から書いた文章もネット
上でわずかだし、恐怖の対象として見られる急性の
患者も状況によりけりですけど、患者なりの秩序を
もっていることが伝われば幸いだと思いました。

何をするかわからない、怖い精神病患者という世間の
イメージが少しでもかわればいいなあと思っています。

こんなの作ってます



昔、コラージュ療法をうけたことがあり、しばらく前にGimp2使ってコラージュ作品つくったので載せておきます。「作品」として成り立っているかは不明です。

前の文章の説明

前の文章はしばらく前に書いた自分用のメモがきみたいなものです。よってぜんぜんまとまっていません。
そもそも急性精神病当時のことは記憶がごちゃごちゃで前後関係がはっきりしないのです。

宗教的な色彩が強いのですが、別に当時信心深かったわけではありません。認知の輪郭がはっきりしなくなって世界の捉え方があいまいになり、表面的な意味の背後にある象徴的なイメージが浮き上がってくるような感じがしました。世界は比喩的なイメージに満たされ、「占いの言葉は本当だった。」と病気のまっただなかで思いました。

なぜかしらないけど、これは文字化しちゃいけないことなんだって長い間思ってました。少なくとも見世物にするつもりはありませんでした。今は別に見世物でもいいやと思っています。自分で抱え込まず、文字化して自分から離すことで少しは楽になれるのかもしれません。

1992年の精神病体験



1992年の精神病の体験はその後にどのような影響を残しているのかということを自分なりに考えるつもりで、長らく文字化しなかった、発病当時のことを書いてみました。
人生観が変わったのかどうか今も判然としないし、不幸なことに生物学を専攻していたせいか結局宗教に帰依することもなく過ぎてしまいました。しかし、わたしの人生は精神病の前と後で分かれます。それまでの人生の矛盾の行き着くところに発病があったような気がするのです。そして、その後の人生の起点は発病の時点にあるように思います。精神病の発病というのは小説であればエピローグです。でも現実生きる患者にとっては発病というのは第二の人生のプロローグなのです。


1991年秋すでに矛盾は行き着いていた。教育実習で教育学部の人に突っ込まれたとき、今に始まるのではなく、小さなときからボタンの掛け違いが始まっていて、自分の中の矛盾がつもりつもったのだといった。


修士論文を提出したとき指導教官がわたしの論文の文章を見て一言「Cymbi君の文章はわからん。」と言った。


大学を卒業するちょっとまえ、下宿の中でこんなことに気付いた。世の中のすべての物事の背後には宇宙がある。今いる下宿の中でさえそうだ。テレビにはテレビの宇宙がある。テレビを作っている会社があり、会社には歴史があり、会社を支えている人がいる。テレビの部品ブラウン管でもそうだ。ブラウン管のガラスでさえ、それで食っている人もいるし専門分野もある。水、空気なんでもかんでも、背後には宇宙が存在する。

40代の今なら、何をやるにしても奥が深いと簡単に済ますのだけど、頭の鈍いなりに当時のわたしは世界の神秘に触れたようなきがしたのだ。自分で何かを発見するというのはときとして恐ろしいものがある。


新入社員研修が始まると回りにいじめの空気が感じられた。大学時代から高校時代に戻ったみたいだ。同期のボスであるTはわたしにどんどん酒をついで来る。しかし、何かの話から「酒飲んで記憶を飛ばした時間全部合わせると24時間以上ある。」というと引っ込んだ。「こちらの想定した以上でした。」とのことだった。いじめというのはいじめても実害のない相手だけにされるのだと学んだ。
飲み会が終わり、皆で帰って、横になると、誰かが電話を掛けてわたしの手に持たせた。部長にかけたらしい。新入社員研修にてすでに陰謀は始まっているのだろうか。

「新入社員研修から帰ったわたしは、夜通し研修をのまねごとをしていた。眠る時間がもったいなかった。横になっても創造性開発のワークショップのようなものを自分なりにやっていたら、上達、上達でウエへウエヘ行っていたら創造性開発の世界を通り越し、雲の上、カミホトケの世界までいってしまった。わたしは「普通の人、普通の人、普通の人、、、」と言葉を唱えると少しずつ標高が下がりはじめ、普通の世界に体が下りてきた。そうしたら、今度は体が透明になって空気に融けこみ、後は呼吸をしている唇だけが残っている。唇の裏は葉緑体をもつようになってしまった。私は動物でもあり植物でもある。」

「わたしは会社の人から逃げ出すと天理の町を歩いていた。「卒業」という言葉が思い浮かんだ。大人になるってこういうことだ。と思った。世の中には「大人」という秘密結社があって、子供たちの世界からは隠されている。日本中に広がった組織を通じて、たとえば母の店にふと入った鋏とぎのおじさんのそぶりを通して、わたしが無事「卒業」したことが知らされるのであろう。ぽかぽかした日差し。桜の花がふぶき、道の横には小川が流れている。わたしは道をずっと歩いていた。わたしの「卒業」祝うようにポンポンと花火が上がった、飛行機雲も合図している。タクシーのドアが3つ同時に開き、黄色のウインカーがカチカチ鳴っている。自分の内側のリズムと外側のリズムが重なる。内側と外側の境が溶けていく。着いたのは小さなお宮だった。ヒタチのカミが祭っている。この世界をつくったのはヒタチのカミだ。わたしは社の横に座った。空気がおいしい。わたしは世界を解いたのだ。しばらく座っていた。何も起きなかった。わたしは席を立ってしまった。秩序は崩れてしまった。宮司がやってきた。宮司は遅れてやってきたので、先にわたしに世界を解かれてしまった。だからわたしをねたんでいた。宮司はわたしを殺そうと思っていた。わたしは怖かったから、宮司に「弟子にしてください。」といった。宮司は怒りはじめ、箒でわたしをばちばちたたきはじめた。警察がやってきた。「助かった。」わたしは交番へ連れて行かれた。交番でジャージのボケットから所持品を取り出して、会社に電話した。


わたしは窓の外を眺めた。世界の秘密を知ったために「世の中」に殺されると思った。「世の中」の攻撃の前には交番も無力だと悟った。隕石が降ってきて、交番ごと吹っ飛ばされるかもしれない。わたしは怖くて怖くてたまらなかった。会社の部長さんたちがやってきた。部長さんたち3人と車にのる。わたしは悟り始めた。わたしは選ばれたカミの側の人間だけど、部長さん3人は実権をわたしから奪おうとしている。車のサイドブレーキの上を見ると反対側からメッセージが入っている。反対側、つまり、アクマの側で選ばれたのはTだったのだ。そして、Tの部下たちもまた実権を奪おうとしているのが分ってきた。アクマの長であるTと談合をすることにした。お互いのファイルを交換するのだ。お互い握っている秘密を見せ合いながら「そういうことになっているのですか?」「そういうことになっているのですよ。」「こういうことになっているのですか?」「こういうことになっているのですよ。」とお互い納得した。


会社の寮についた。食事が出される。箸がだらりと茶碗をなぞる。わたしは暗示がかかってきたようだ。こっくりさんのように箸が勝手に動き出す。それを近くにいる社員が帳簿に記録する。その社員を見ている別の社員が帳簿に記録する。同じようにしてリレーのようにしながらわたしの神託がいずこへか伝えられる。」



「突然「世界」の操縦桿を渡された。私が考えたことは何でも実現してしまう。私は考えたよいことも実現してしまうが、悪いことも実現してしまう。そう意識してしまうと考えは悪いことに引き寄せられてしまう。例えば世界の破滅とか、、、いけない。世界をもてあました私は、考えにロックを入れるために、自分が考えたことと反対のことが実現すると考えた。よいのはつかの間だった。やはり考えは引き寄せられ、悪いことが起こってしまいそうだ。私は、私の考えたことはブラックジョークだと考えた。おそらく、会社の人が両側を羽交い絞めにして、夜の街をどこかに歩いていたようにも思うのだが、私は振りほどき、エロチックなおどりをはじめた。これもブラックジョークだ。「世界」はついに私の操縦を離れ、透き通ったガラスの毬のような世界は私の前を転がって、粉々にくだけた。「世界」を破壊してしまった。まっくらな中、絶望して悲鳴をあげた。そしたら声が聞こえた。「あなたは一人じゃない。わたしもいる。これから2人で、また「世界」を造ろう。」私は言葉を叫んだ。「シュミレイションゲイーム。シュミレイションゲイーム。」記憶が途切れた。」