はじめての方へ

私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。

P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。

p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。

P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)

P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)


2012年9月30日日曜日

貧しい現実、何も出来事が起こらない

ニートなんだから、まあそういうものだと思うのだけど、
毎日出来事が起こらない。

こういうのは貧しい現実というものなのかもしれない。

でも、それはいいすぎかもしれない。
自立訓練に通っているからそれなりにいい体験をさせてもらっている。
それに半分くらいは自分でそういう生活を選択している部分もあるのだ。

日頃は図書館に籠っている。
興味は広いほうなので、いくらでも籠れる。時間はいくらあっても足りない
といつも思う。

そういうたぐいの生活も総計すれば結構あるかもしれない。
仕事していない時期が長いからだ。

仕事している時期は、あんまり本が読めないことに悩んでいた。
今はたっぷり読める、でも足りない。それに年々頭に残らなくなってくる。

図書館に籠り倒して初めて得られる世界観はあると思う。
図書館で時間つぶす中でだんだんそういう思いは強くなってきた。

でも単に本を読んでいて、何もアウトプットしなかったらいづれ
脳が灰になってしまうだけだ。

何かアウトプットすることを想定してみると、一体何がわかったの
だろう?っていう感じになってくる。

ある意味贅沢な時間を過ごしたのかもしれないけれど、
消尽してしまっただけのようにも感じられる。

先ほど書いた貧しい現実と贅沢な時間ということばは
一対になっている感じがする。コインの裏表。光の側からみるか
影の側からみるかで見え方が変わる。

たとえばプルーストを読む、そこには贅沢なフランスのサロンの世界が
描かれている。そんなものをスパイシーチキンさえ我慢しながら読むの
だ。

ある意味スパイシーチキンを我慢する境遇だから、あんな本もめくる時間も
捻出されるというものだ。でも、通読するにはこんな生活でも時間が足りない。
私は香りさえ、読んでいない。でも、香りだけなら数学の香りも心理臨床の世界
もなんでもござれだ。香りだけなら。

結局、香りだけをちらちら嗅ぎながら、図書館うろうろして時間潰して、まとまった
読書していないから何についても書くことができない。

私が深く学んだことはニートやっていても図書館で時間潰すには一生は短すぎる
ということなのかもしれない。

2012年9月28日金曜日

数式の読めない数学ファンによる数学書の不思議な読み方

数学には憧れは昔から感じるものの勉強は苦手だったから
高校数学の時点で穴あき状態だ。

でも、数学というものには憧れがあってその雰囲気だけでも
浸りたいので大学図書館にいったときは毎回数学書をめくっている。

問題はその読み方だ。

いろんな数学的対象を意味不明なまま一種の役者として読んでいく。
数式は全体が役者であるが、式を構成している要素もまた役者で
あり、入れ子状態のシステムとして成り立っているような感じで読んでいく。

コホモロジーだの多様体だの術語になっている概念のようなものも
役者として読んでいく。ありがたいお経のように、意味のわからない
仏教用語のようなものとして読んでいくのもいいのかもしれない。

そういう読み方をしていくと、意味がわからないまま、用語自体は
なじんでいく。一方数式のほうはなかなかなじめなくてお友達には
なれない。

そういう風な準備の上で、数学者同志の対談なんか読むと意味は
わかっていないくせにすらすらと読め、すらすらとなんとなく楽しめて
しまう。そこで登場する術語はなじみになった役者の名前みたいな
かんじであああれかとなってしまう。

数学書が受け付けない人はまず、スペイン語とかサンスクリット語とか
まったくなじみのない言語のテキストを眺める練習をするといいかも
しれない。そういうなじみのない言語のテキスト読んだ後で、数学書
めくると、地の文は日本語で書かれているので意味はわからないなり
に読めたりする。

読みなれてくるとところどころ意味がわかるような感じがするところも
出てくる。

そこまでして読みたくないという人でも、序言だけでも読むことは
お勧めだ。序言には難しいことは表面上は書いていないので
素人でも読める、そしてどんなことが書いてあるかについても
素人なりに理解はできたりするのだ。

別に専門家以外立ち入り禁止と縄が張られているわけではない
ので数学書めくってみるのもいいのかもしれない。

素人なのだから、以上のような”理解”で充分だろう。
読み物類をよんでいると意味のわからなかった役者(数学用語)
の意味をイメージ的に素人向けに書いてあったりするのでそう
いうときはトクをした気分になってくる。

素人が数学書読むという苦行の結果得られる功徳は構造論など
文系の難解とされるテクストが読むのがあまり苦にならなくなることだ。
むしろ日本語で書かれているから読めるという感覚になってくる。
わからない術語は役者ということにして括弧にいれて意味不明な
ままとりあえずザーッと読んでいけばいい。

たぶんそういう読み方はコンピュータ関係のジャルゴン(専門用語)
がとびかう本などでもできると思う。そういう方法でLinuxカーネル
の本などもちょっとずつなじんでいっている。

Epiさんおもいっきり背伸びしてるんじゃないの?
とニヤニヤしている人もいるかもしれない。

そうたしかに背伸びは背伸びなのだ。だから、そういう本読みは
読書時間の一定時間に収めて、背伸びしないでも理解できる
本もちゃんと読んでいったほうがいい。背伸びしないで読める
本の知識だけが蓄積されていくように思う。背伸びした本の
内容は雰囲気がわかるだけできちんとした知識として残らない
ので読める本を読んでいくということが基本だと思う。

空間軸、時間軸、そういったものは小説の中にもあるわけで、
小説のような人間臭い世界が少し距離が離れてくると役者も動物
やら植物になり、さらに遠くなっていくと、物理学的対象やら
数学的対象になったりする。数学書にMと書かれたり、Rと書かれたり
する対象の向こうに人間を見てしまう。数直線上の数値は刑務所に
いる人間の名前のように見えたり、関数の上に時間軸上に展開する
ドラマをみたりする。たぶんそういう妄想の幾分かは正しいような
予感がする。無味乾燥な記号の向こうにそうでもない風景が広がって
いるような気がするのだ。

基本に戻らなきゃ

最近、また自分が何がやりたいのかわからなくなってきた。

ここのブログも「自分の世界」みたいなものを表現したいと
思って書き続けている面もあるのだけど、そんなものはあるの
だろうかと何かが揺らぎ始めている。

たぶんそういう感じになっているのは脳の調子もあるのだろう
と思う。

いつもの平均が穏やかに気分が盛り上がった感じで、その
感覚がなくなると「飛べない」感じがしてくる。

「飛べない」といっても鬱気味まではいってなくて、単に
フラットなだけなのだけど、、、(ここで打ち込んでいる手が
止まってしまう)


沈黙


そういう未来は来ないと思っているのだけど、立場上
いつも「飛び続けていなければならない」立場に立たされたら
私は地獄だと思う。

ああ、「基本に戻らなきゃ」が表題だった。
こういう「いまここ」の自分がわからなくなったときは
基本に戻ることにしている。といっても大したことはしていなくて、
いつものように図書館にいたとしたら、鉄道写真眺めるように
している。

幼少の頃、汽車が好きだったから、なんとなくあの時代に
帰るような気持ちにひたるのだ。

広告の裏があれば、汽車を書き、マッチ棒があっても
汽車、地面があればもちろん汽車という世界だった。
なんとなく時代を感じさせる。

自分が好きなもののイメージをこころで満たすということを
対象は星、切手、蘭とか移り変わりながらいつも繰り返して
いた。そういう傾向は大人になってからも途切れないで
つい最近まで続いてきたのだけど、加齢のせいか最近
その種のエネルギーが少し落ち気味なのだ。

単に今、気分がフラット加減でそういう意識に蔽われている
だけなのかもしれないけれど、、、



2012年9月26日水曜日

老賢者と東洋

中年すぎてくるとだんだん能力に翳りがみえてくる。
その翳りを受け入れる知恵が東洋にはあるように
思うのだ。

春夏秋冬と季節が巡ってくるのは毎年繰り返される。
64年でひとめぐり。ふためぐりするには人生の持ち時間
は微妙に少ない。

時間の流れは入れ子のような構造になっていて、勘の
いい人なら一日の中にも一生の縮図みたいな感じを
日々噛みしめることができなくもないような仕組みに
なっている。

時間は過ぎ去って、すべてのものは移り変わっていく。
仕方がないことだ。

大きな自然のドラマの中の一コマとして、一つ一つの
出来事を淡々と受け入れていく。

時代はすっかり昔風ではなく、平成の風景が広がっている。
でも、普段意識には昇ることはなくても人々の心の底に
染みついた昔ながらのイメージはあるように思う。

確たる教え込まれた宗教心などないはずなのに、
それぞれの人は大して大騒ぎもせず、意外と淡々と
一生を終えていく。私の父もそうだった。

そして、意外と送り出すほうも淡々と送り出していく。

老賢者の知恵は滅んでいく存在としての自分を受け入れ、
しばしの猶予の時間をかけがえのない時間として、
愉しむ、そんなところにあるのではないだろうか。

感性を休ませる

相変わらず飛べない感じが続いております。
今、飛べない感がするのは、日ごろは飛べてる感覚
がするのだなあ、と逆に思うわけです。

そういえば、連日のように面白い感じがして、
それが普通の感覚になってしまっていたから、
逆にその感覚がないと、ないことが意識されるわけです。

たぶん感性が休憩を求めているのだろうなあと。
いいかげん歳もとってきたし、連日ドーパミンどばどば
だと脳も疲れるし、老化も早くやってくるのかも。

粗く思い起こせば、だんだんと穏やかになってきたな
と。その感じに慣れ、受け入れなければいけません。

秋も少しずつ進み、わが身の枯れ始めた感じに
わびさびめいたものを重ね合わせ、
少しずついろんなものを手放していく、
その寂しさみたいなものに、
移りゆく秋の景色をまた重ね合わせていく、、、

感性はもしかしたら、枯れ始めたのかもしれない
けれど、自分なりに積み上げられたものは
まだ残っているかもしれないし、
その残ったものを上手に使いながら、
中年以降の人生をやりくりしていく、
そんな感じにもっていけたらいいのになあ
と思っています。

2012年9月24日月曜日

よくも悪くも落ち着いている

よくも悪くも落ち着いている。でも何だか寂しい。
あまりにも意識の状態が平凡だ。
ぜんぜんひらめかない。

飛べない感じ。
飛べているときがよい状態なのではなく、
むしろ今みたいな平凡な感じをもって正常ということなのだけど、
なんだか物足りない。

ハイテンションで自我肥大みたいなのと自分なりに
闘っていて、高揚していく気分を抑えているときには
なんだか生きているっていう感じがする。

贅沢なひとことだけど、
今は灰色の健康。

でも、できることは沢山あるのでよしとしなければならない。
贅沢はいえない。

気分が高揚しては苦労し、
憂鬱のときにも苦労し、
平凡なときには退屈する。

苦労といっても大した苦労ではないのだけど、、、
あくまでも本人の中の世界で収まる程度の苦労。

今は本も読める。
ひととも話がはずむ。
こういう普通のことも
脳の中が平穏な状況にあるから可能なのだ
と悟っている分にはもうけものなのかもしれない。

海面下の世界をしばらく体験したので
普通でも十分に幸福なのだ。
と、自分に言い聞かせるのだけど、
やっぱり飛べないのは灰色だ。

2012年9月23日日曜日

自分の記憶だけで書く

自分の内側の世界を表現したいという欲望があるために、
自分の記憶だけで書くということを課している。

本の引用とかもたまにあるので例外もあるにはあるのだけど、
資料を使ってものを書くというよりは、いったん血肉化したもの
だけを使って書くということをしているような気がする。

そのために犠牲になっていることは多いと思うのだけど、反面
私に映った世界みたいなものも表現されているように思う。

この時代の人が内側にどれだけのものを溜め込んでいるのか
は興味がある。たまたま私が溜め込んだものを吐き出したとして
も何の証拠にもならないことは明らかなのだけど、それでも一例
としてそういうことをしてみたい。

意外とそういうものには時代の深層とか、現代の日本人の心の
底で起こりつつあるものなども映しこんでいるのではないだろうか
などと思うのだ。個を全体に拡大しても仕方がないのだけど、
アンケート調査とかでは出てこない部分とかもあるのではなかろう
かと思うのだ。

意識的に文字は書いているものの、大量に書くことによって、自分
の意図しないことなども表現されると何となく思っている。むしろ自分
の意識しない時代の無意識みたいなものが映りこまれるといいので
はないかなどと思っている。

自分の記憶の中をまさぐりながら、意識の深層であり、時代の深層で
もありえそなものを文字化しようと努力している。

富山の地下に蓄えられたカミオカンデの純水のタンクが銀河系外の
超新星爆発を記録するように、私に蓄えられたイメージタンクの中で
起こったこころの中の出来事を記録することで何かをつかまえること
はできないだろうかと思っている。何が捕まるのかはわからないけれど、
心の底を内省するタイプの人はそんなに多いわけでもないので、
文字としてひっかかった何かは私のこころの中の何かというよりも、
時代の深層に潜む何かをむしろあらわしているのではないかとも
思うのだ。そうでなければ、これだけ続けるエネルギーはどこからも
出てこない。ローカルな存在である私のことを知りたいというよりも、
ローカルな私を通して普遍を捉えたいという欲望がその底にあると
思う。

私の書いたり作ったりしたものを一種の標本として使い、何かほかの
資料と比較したりしながら何かをあきらかにしていく、そういう使い方
はできないだろうか。そんな目でネット上に散らばるいろんな文章その
他眺めていくことは楽しいことだ。本人は気づかないうちに何かを
表している。それは比較することで少しずつ明らかになっていく。

ひとりひとりの存在は本人が思っていたり、社会的に評価されたりする
以上の重い存在を担っているのだと思う。時空の上で唯一の点として
それぞれは存在している。日本という長い歴史をもった国の文化をそ
れぞれ担っているのだ。公的に評価されるかどうかにかかわらず、
それぞれの人の作った分厚い記述は世界遺産として成り立つと思っている。

文字化して初めて明らかになること、明るみに取り出すことができること
は意外と多い。単なるガラクタも誰かの目からみると宝の山だ。
恥ずかしがらずに内なるものを外側に取り出すこと、いや救い出すこと。
そのままでは消えてしまうものにカタチを与えること。
普通の人の存在が今以上に意味をもった時代は今までにないのだから、
その記録として淡々と日々の記録を続けたい。

普通の人の存在が今以上に価値をもつであろう未来の世代を信じつつ。

自分のカセットでもつくるように

ラジカセというものが世間でまだ一般的だったころ
友達はCDやラジオなどから編集した自分なりのカセット
をつくって楽しんでいた。

私がやりたがっているのも一種の編集で、自分の選び取った
テキストなどから編集された自分なりの世界像みたいなものを
粗雑なカタチでもいいから文字化したいということなのかも
しれない。

それは世界の像などではなく、2012年現在、日本の南の辺境
に住む、下町育ちの私の目というフィルターを通した世界像に
違いない。

私の目は当然歪んでいる。ピントも合っているかどうかはっきり
しないし、そのために映された像自体も輪郭が若干ぼやけている
ことだろう。

その輪郭のぼやけた像がまさに一般の人に届いた作品の束なの
かもしれない。

貧しい実体験と膨大な作品から各人の精神は成り立っている。
その中から掬い上げられたわずかな断片が文字化される。

コラージュで作品つくるような感じで文字を編み上げる。

作品づくりというよりは作品づくりを通した心理療法みたい
なもの、あくまで自分という人間を知るための道具なのかも
しれない。

そして、自分という存在はある時空の中に存在してる点みたい
なものだ。でも、その点を展開すると点の中に全宇宙が歪んだ
形ではあるけれど、また存在している。

卑小と偉大が二重写しになっている。すべてのヒトの細胞の中に
人間のゲノムが収められているように、それぞれの人の中に
編集された世界像が収められている。

青民草と表現された実情は今も昔も変わらないのかもしれない。
知識は大衆化されながらも同時に情報格差は中心と周辺で
広がっている。

青民草のある分子は大衆化された知識をため込んで私度僧と
なった。ネットの民は現代の私度僧だ。

二世紀のローマ帝国内で大衆化された知識を種にグノーシス
文書が筍のように生えてきたように、ネットの中には大衆化
された知識を編集した文書が乱立している。

野生化した表現者、今の時代を象徴しているのかもしれない
けれど、知識が大衆化する節目節目に繰り返されてきた
風景に違いない。

大いなるうねりとして個々の表現は忘れ去られながらも、
時代自体は強い印象を後々残していくに違いない。

そういう時代の空気の中で呼吸でもするような感じで日々
日記をつけている。

哲学者の住む世界 精神病者の住む世界

哲学者の住む世界も精神病者の住む世界もあまりわかっている
とはいえないのだけど、あえてせっかくだから書いてみる。

両方共通しているのは、ふつうの人がなんでもなく通り過ぎるところ
にいちいちつっかかってしまうのではないだろうか?

一介の人間に過ぎないのに、世界の根源などというものに興味をもつ
のも共通している。違うのはそこにたどりつくための方法をもっている
かどうかなのかもしれない。

丸木舟使っても対岸には渡れてしまう。縄文人は縄文人なりに大陸
まで渡ってしまったように素朴な乗り物でも対岸に渡れてしまう。

でもそんなものも時代遅れなのかもしれない。今は世界の根源なんて
一生を無為に終わらせかねないものには手を出さなくて、確実な事実
を発見しようとする。事実を土台にして何かに思いを巡らせるはずだと
個人的には思うのだけど、思いを巡らせるという方向はどうでもよくなって
スコアを残すのが目的になった。そうでない人もどこかにはいると思うの
だけど、、、。

検索で事実はすぐ手繰り寄せられるけれど、世界像自体は描きにくくなった。

世界像なんて遠いものはともかくとして、近くの対象のこともよくわからない。
対象は近くても遠くてもわからない。

一番身近な対象は自分自身だけど、それは自分から見えている自分にとって
の世界も含むから、いわばコスモロジーになってしまって、自分自身では把握
しえない。近すぎる。

少し距離があるところに両親や兄弟がいる。日常見ているはずだけど、わかっている
ようでわかっていない。

自分が好きな人なんてどうだろう。一つの典型的な対象だ。でも、あばたもえくぼ
という言葉のとおり、好きなゆえに目が曇ってしまう。

まわりのいろんな人について観察したり、考えたりしてみる。遠い人、近い人
いろいろいる。小説などを読むと文字化されているので繰り返し分析できたり
する。ドラマを見る。あるいはドラマそのものを物語論的に分析してみる。

日本人なるもの、ヒトなるもの、ヒトなるものは解剖できる。養老先生の世界だ。
自分からある程度距離をもった対象としてヒトを切り刻んで構造という観点から
対象に迫ろうという態度はなんとなく納得できるものに映る。

私が勉強した植物はヒトと深いつながりを持ちながらヒトから適切な距離を隔てた
ものである。栽培植物、野生植物、ヒトとの距離はさまざまだ。

私が特に興味をもった蘭は欲望の対象になりやすい。花は女の人の比喩としても
用いられる。典型的な対象なのかもしれない。

対象をオブジェクトと呼ぶとファイルや文字列、点や線といった数学的対象、
もちろん式や数学的概念などもオブジェクトになる。こういう存在もこの世界を
構成する役者の一つといえなくもない。

要素から組み立てられた構造、こういう枠組みでものごとを眺めるとすべて
がこの中に入ってしまう。すべてのものに同じものを見ることができるようにも
見えなくもない。でも、しばらくその世界にいるととても退屈になってくる。

カミサマの所有する万有図書館、この図書館の中には有名人だけでなく、
祖父母の人生の詳細についても詳細の詳細まで記載されている。
思考実験としては可能だけど、そういう入れ物考えただけで退屈になって
しまう。もちろん検索式一つでネットワーク的な構造でもなんでもかんでも
閲覧可能な世界だ。幸福なことにまだそんな世界には住んでいない。

今の世界は個人的に世界観という自分なりの地図が作成可能な世界に
住んでいる。行基図レベルにさえ達していない地図しか各自もっていない
と思うのだけど、各人なりの日本書紀やら風土記を書くことができる今を
楽しみたい。それは何より神話みたいなものなのだけど、自分なりの神話
を作り、文字化することで「わかった」と思えることもあるにはあるであろう。

2012年9月18日火曜日

ネットワーク社会でのヒトの選別について

ネットワーク社会で意識しているかしてないかはともかく、
多くの人は選別をかけている。

情報にしろ、モノにしろ、そしてヒトにしろ。

選び、捨てる人は捨てられる。

選別、区別、差別、親類同士の言葉だと思う。

平等に接したいと理想の上では思いながら、
無意識のうちで裏切られて実際には分け隔てしている。

人間って本当に罪深い。

ひとそれぞれ持ち味があって、、、なんて言葉の上では
言っている。でも、裏側ではやっぱり分けている。

快/不快を感じて、分類してしまうのは味覚をはじめ、
人間の生理の土台がある。

分別しないことはある意味、輝かしい理想みたいなもの。
そこにさえ、輝かしい/暗く淀んだ、という分別が入っている。

悩ましい。

まとまらなくなったので、またそのうち続き考えよう。

ブログはtwitterでフォローするかどうかの判断材料にしてる

自分のtwitterでフォローするかどうかの判断基準だけど、ブログはそのための
判断材料として使っているような気がする。

twitterのプロフィール欄でwebのアドレスがついていたら飛んで行って、
みてみると面白い人かどうか大体わかる。

逆を言えばこのブログも判断材料として使われているのだろうなあって(汗)。

人と相手するのも労力的、時間的コストがかかってしまうので、選別みたいな
のが入ってしまうのは仕方がない。あんまり、そういうのは好きではないのだけど。

大体、器を選ぶような感じで人を選ぶ人は好きではない。
いいモノに囲まれて生活して感性が磨かれるように、
いいヒトに囲まれて生活しているうちに感性は磨かれる
そういうことを信じている人は結構多いのではないだろうか?

むしろ、いいものを引き出すことに神経を使いたい。
いろんな人の中には、その人の気づいていない何かが
隠されているような気がするから。
そういうのを探す手間を惜しみたくない。

まあ、世の中のある種の人は忙しい人で、
くだらぬ人々に割いている時間はないし、
そんなことしても大したメリットはないと考えている
かもしれないこともよくわかる。

でも、私は多様性のほうに賭けてみる。

とすると、どんな感じでほかの人のブログを眺めるといい
のだろう?

また悩みが増えた。

2012年9月16日日曜日

異界から遠く離れて

何に憧れているのだろう?ってつくづく思う。
発病当時のことは20年くらい隔たっていても昨日のことの
ように思う。何度も何度も反芻するごとく思い出していたからだ。
そして、思い出すたびに変形、理想化が繰り返される。

醜悪で、恐ろしいイメージ体験ももちろんあったはずなのに、
超越的であの世的な要素ばかりが思い出されてしまう。

たぶん今記憶の底に残っているものは当時の忠実な記憶では
なく、儀式として繰り返されたようなものに違いない。
イエスの死と復活をキリスト教では儀式として繰り返すように。

憑かれるように何かに憧れて、自分なりに努力はしてきた。
努力は徒労であって、何も生み出すことはなかったとしても
あまり悔いはない。

たぶんそういう風にしか生きることは叶わなかったはずだから。

憧れても仕方のないものに憧れるということは幼少のころから
繰り返してきたパターンだ。

身の程というものをもともと知らないのだ。

地上で這いつくばるようにして生きていきながら、
なお天上的でこの世を超えた世界に憧れながら
これからもゆっくりと歳をとっていくのだろう。

日本の端っこにいて
ありあわせの道具で
幼稚なものを描きながら。

2012年9月15日土曜日

桜島ユースホステルの食堂の空間

大学で何か研究した経歴がある人に会うと根掘り葉掘り
聞き出すと前の記事で書きましたが、そういう生活を続けて
いたのは桜島ユースホステルでヘルパーしていた時期でした。

鹿児島は南西諸島への玄関口、そして、日本一周という
旅のテーマでも立ち寄るところです。歴史関連、そして桜島。

そんなわけで、桜島ユースホステルは外国人旅行者を含め
さまざまな人がやってくる宿でした。

「ミーティング」と称して、集まってきたお客さんから情報収集
してました。記録はつけてなかったのが間抜けといえば間抜け
なのですが、記録つけないという点では今も相変わらずです。

火山を研究していた人から聞き出したマルチニーク島の話、
楔形文字を勉強するためにドイツ語の教科書を読まなくては
ならなかったというオクスフォード大の人の話、ラマヌジャンの
公式をゴリゴリ計算しはじめたNASAの人、プログラミングの
初歩を教えてくれた西海岸の人、大正時代の日本人作家の
文章を精神分析してるというブルガリアの人、若い人はこらえ
性がないと嘆いていた老金型職人、本を読んだら視覚的イメージ
が立ち上がるといってたニューラルネットワークを研究してる
人、京都大の量子物理やめて屋久島で暮らすといってた人、
日本で暮らすうちに日本が好きになってしまったというスパイ
から日本語習ったというウクライナの人、、、

いろいろいらっしゃいましたねぇ。

たぶんアジア大会がらみの経験がなければ、これらの話を
聞き出すことはなかったでしょう。そして、これらの話が
元手となって、放送大学の相談室とか鹿児島大学総合
研究博物館などでやっぱり根掘り葉掘り聞くという世界が
展開することになります。

P.S いつの頃からかここは一種のキャラバンサライなの
ではないかと思うようになりました。ある種のシルクロード上
での情報集積点。次の段階に進むには十分な量と質の情報を
私に与えてくれた場でした。

数学と法学の境界線、マクロ経済とミクロ経済

その外国語サークルについてはいろいろ面白いことがあるので
ちょっとだけ補足です。

94年に広島のアジア大会にそのサークルで語学ボランティアとして参加
したことがあって、全国組織だったのでいろいろな人が集まって
いるのですね。

アジア大会の中のひと時、法律学を専攻していた友達と、数学を
専攻していたメンバーの人と三人で雑談してたのでした。

ほとんど忘れたのですが、だいたいこんな話。

さまざまな法律があるように、いろいろな数学体系がある。
別々の数学体系の交わるところにちょうど法律の穴みたいな
ものに相当するような領域があって、そこの話を書くと
論文が書ける。

昔の話なので、全然話の面白さが伝わらないのは残念です。
法律の人の話と数学の人の話の交わるところで何か面白い空間が
できたのですが、その雑談の中に今の私の原点の一つがあるような
感じがしました。

アジア大会から、九州に帰ってくる帰り道、熊本県八代市まで、
個人塾を運営している方の車で帰ってきたのですが、先の数学の話が
面白かったのでその方の専門の話を掘り出すことにしました。

たしかこんな話じゃなかったかな。

その方は大学のときに習っていたのは経済学で、経済学にはマクロ経済学と
ミクロ経済学があるのだけど、その間の中間的な範囲の経済学がないという
話。

マクロ経済学とかミクロ経済学という用語が当時は新鮮でした。

その二件の話以来、大学で何か研究した経歴がある人に会うとその話を
根掘り葉掘り聞きだすことが習い性になりました。

ああ、大学時代にそんな習い性のかけらでもあったら、、、、

ほんのちょっと悪くなったとき

どうやら病気が一時的なものではなくて、一生付き合わないと
いけないかも。と思ったときがありました。93年くらいでしょうね。

当時外国語のサークルに所属していて、その関係で、福岡とか
たまに行っていたのですが、そのサークルの主宰の方の講演会
聞きに福岡行って、当時福岡から鹿児島のサークルに応援に来て
おられた方の家(もちろん家族も同居です!!)で一泊したのです。

講演会の内容忘れたのですが、刺激的で、サークルの人らと
半ば、形而上めいた話を話し込み、少しクラクラしはじめた、
アタマで民泊先のその方の家に行ったのですね。

で、ハーブティというものを生れてはじめて飲んだのですが、
ウスベニアオイか何かが入っていて、不思議な感じがして、
たぶん、その時やや意識水準下がっていたのでしょう、
そして、用意してもらった部屋で眠ったのでした。

頭がぼんやりした中、明かりを消した天井に映ったのは
三国志か何かの武将たちがチャンバラやっているような
光景でした。でも、はっきりした幻覚かどうかは今はもう
思い出せません。

鹿児島に帰ってきて、その話を主治医にしたところ、
薬が増量でした。ロドピンという薬が増えました。

「薬はお守りにもなるんだ」とその時の主治医(竹内先生)
は言っておられました。

歴史のない町はないので、、、

90年代の最後の頃、一時的に調子が悪くなった頃が
ありまして、、、

調子が悪くなると、世間の看板の文句が別の意味に
見えてきたりですね。

「関係者以外立ち入り禁止」とか、、、
関係という言葉が関係妄想というキーワードと絡んで来たり、
結界を張られた感じがしたり、いろいろなニュアンスで受けとっとったり
しましたね。

「足元に注意」というエスカレーターのアナウンスとか、、、
足元という言葉が自分という存在の立っている足元というか
深い意味を帯びてきたりするのです。

鹿児島市は明治維新の舞台の一つだったりして、歴史的ないわれを
示す案内板や石碑みたいなのがあちこち建っているのですが、
その時はその案内の言葉の背後から霊的な何か生々しいイメージ
が浮かび上がってきたのです。文字の背後から人魂みたいなのが
ふわふわ浮いてくる感じかな。

それで、鹿児島には居られないとなぜか思ったのです。
「姉の住んでいる埼玉に行こう。」
家族には休養ということにして、埼玉行ったのですね。

ところが、、、
日本で歴史のない町なんてないのです。
埼玉は武蔵武士のいわれのある史跡みたいなのがあるし。
縄文時代の遺跡などもあるのですね。

やっぱり、不思議な感じがなんとなく小さな祠とかその他のもの
から漂ってきたのですが、もう開き直るしかありませんでした。

不思議な感じをたのしむようにしました。

埼玉県立博物館の中をうろうろしながら、縄文人のつくった
土偶とか縄文土器とか見て回ったのですが、精神の状態が
半分出来上がった状態でみると独特のものでした。

土器の文様が土の中から出てきたものというよりは、宇宙人が
描いたようなものに見えてきて、、、宇宙船とかそういうものに
見えたのですね。安直といえば安直かもしれないけれど、
なんだかいつもの縄文土器の見え方とどこか違ってきたのです。

土偶とかのマジカルな世界は無意識の底のほうをかき回される
ような感じがして何ともたまらないものでした。

以後も調子がちょっとだけ悪くなるとあの感じが体験したくなって
土から出てきたものを歴史系の博物館に見に行ったりするのですが、
たまにフラッとそんな感じが帰ってきたりするのですが、なかなか
現れませんね。

P.S  調子の悪いときは、街の環境音楽みたいに流されるなんでもない
曲の歌詞に何か深いものを感じて泣けてきたり、とかいろいろ変なこと
ありますねー。色合いというかニュアンスというか受け取り側の何かが
変わるのでしょうね。

2012年9月14日金曜日

「文章空間」という世界

昔、なんで文章の世界を苦手としていたかというと、
自分の世界にはまり込んでいたからなのです。

今ではネットの世界に住むというのは当たり前だけど、
当時はどうだったのでしょう。

私は仮想世界ならぬ「文章空間」みたいなものを
イメージして、書くことで「文章空間」の上に住むこと
ができるのではないかなんて思っていたのです。

そういう発想をもともとするようになったのは外国語の
勉強からだと思います。

外国語学習にはバーチャルな要素があります。

日本の中で日本人同士で外国語の空間をつくったり
するのはバーチャルな感じです。

私はお店屋さんごっことか大好きでした。

私が売り手になって、買い物に来た誰かを外国語
で相手するのでした。

そういう世界が発展して、紙の上の世界を日々
夢想するようになったのでした。たとえばこんな感じ。

Hello, I am a pencil. Here is on the paper.
I am walking on the paper. I watch the TV.
I enter in the TV screen. I go to another world.

日々、紙の上でいきる鉛筆くんの世界を夢想して
窓を開けて、外の出たり、本を開けて、本の世界の
中に入っていったり、なんでもありの世界。

私にとって外国語学習とは仮想世界で遊ぶこと
でした。


そういう背景があったので、文章を書くというのも
一種の仮想世界だったのかもしれません。
想像の世界で遊ぶのは友達の少なかった幼少
の頃からの流れです。地面という媒体や広告紙
の裏といった媒体で遊べたので、なんでも広場
のような自分を表現する場があればそれで
十分楽しめたのでしょう。

そして、今はそういった場がたっぷりと与えられている
のでそれなりに楽しんでいるのかもしれませんね。

P.S 文章に楽しんでいたのですが、
それでは文章に苦しんでいたのはなぜか?
という解答にはなりませんね。
はまり込んでいた自分の世界をそのまま人に伝え
やすい形で表現するという能力をもたなかったの
でしょうね。

前回の文章と合わせると、自分の世界をそのまま
出してしまったので、ほかの人からは理解に苦しい
ものだったのでしょう。それで、???みたいな
リアクションが返ってきて、私は苦しむみたいな
感じだったと思うのです。

書くこと自体への興味

最近書いたものを粗く眺めまわしてみると、出来事など何かについて
書いているというよりは、書くこと自体への興味が濃いことに気がつく。

自分なりに意識的にものを書いているのかもしれない。

でも、「意識的にものを書く」という意味がそれほど分かってる
わけではないので、あくまでも自分なりに、、、である。

書くことにそんなに興味ある人間では元々なかった。
いつの頃からか「話すこと」に興味を持ち始めたので、
そのことから「書くこと」に興味が移ってきたように思う。

人により、書くことより話すことのほうが難しかったり、
話すことよりも書くことのほうが難しかったりするけど、
私にとっては圧倒的に書くことのほうが難しい。

話すのは相手が前にいて、話すごとに相手からのフィードバックを
リアルタイムでもらえるので、それを参考にして次の言葉を繰り出す
ことができる。

一方書くときには仮想の相手を頭で考えないといけない。
もっとも、それやっていない場合も往々にしてあるのだけど、
それがとっても苦手だ。自分以外の相手の身になって考えるというのは、
相手と自分が違うということから、とても難しく思えてしまう。

それでも何とか相手に通じる文らしきものが書けるようになったのは
しばらくチャットしたからだと思う。

チャットでは文字ではあるけれども、リアルタイムで返事が返ってくる。
その即時性が私にはありがたかった。リアルタイムの文字でのやりとり
の中で、私の文章でも他人に通じることを確認できた。

掲示板ではそうはいかなかった。少し通じなくなるともう、どうすればいいか
分からなかった。修正しよう、修正しようとするたびに空回りになり、
文字の世界に対して半分トラウマまでもってしまっていた。

チャットの世界で救われ、ブログの世界もなんとか続けられた。



2012年9月13日木曜日

その時、その時の環境で精一杯考えたものだけど、、、

過去の文章読み直すと、痛い感じがする。
それは言葉のちょっとした表現だったり、内容そのものだったり
するのだけど、、、

その時の自分なりに、精一杯考えたものだけど、
人はそこに若さや幼さ、経験の足りなさを見て取るに
違いない。

そういう意味で私の書いた文章は私の能力というよりは
限界を色濃く表したものだと思う。

その限界を引き受けたうえで、それでも尚、可能なことって
何なのだろう?って考える。

傍目からはわからないにしろ、人それぞれ精一杯生きている
のだと思う。

自分の生きる場を耕しながら、生まれ出てくる何かをつかみ取ろう
と必死だ。

与えられた想像力も才能も知れたものだし、それは多かれ少なかれ
レベルの違いはあれども、誰もが抱える悩みの一つに過ぎない。

与えられたものうんぬん言っていること自体が贅沢なのかもしれない。
与えられたものを生かし切っていない。生かし切るということが果たして
可能なことなのかどうかは分からない。

与えられた命、そして、何かの幸運により、たっぷりと残されたいろいろな
能力。こうして書いているうちも時の流れは刻まれていて、残り時間が少し
ずつ近くなってくる。それがいつなのか知らないのは幸せといえば幸せ。
その日がやってきて初めて振り返ることができる。私には関係ないことだけど。

相変わらず不調です。

風邪のため相変わらず不調です。
でも、一日中家で寝ている退屈さに耐えきれず、
文章書きです。

何回か書いたかもしれませんが、私の体というより薬と風邪って
複雑な関係です。

風邪ひくとリウマチの薬を休みます。免疫下げる薬なので、
飲み続けると風邪が重くなるのです。
でも、リウマチの薬のまないとリウマチ少しずつ悪化するの
ではないかと不安です。まあ、ネットの情報によると1.2週間
リウマチの薬飲まなくても影響はないとのことなのですが、、、

精神科でもらっている薬と風邪薬の飲み合わせ悪いです。
何回か試したことがあるのですが、そのたびに幻覚がでて
困らせます。ベッドの上って退屈なので、暇つぶしに幻覚も
たまにはいいかなとも思うのですが、どんな幻覚がでるのやら
というところでパスです。

後から思い出す分や他人に話せるネタになる分は幻覚って
いいのかもしれませんが、体験自体はあまり心地よいもの
ではないし、脳にいい影響を与えているようにはどうしても
思えないので、やっぱりパスです。

2012年9月12日水曜日

風邪

不覚なことに風邪ひいてしまった。
せっかくしばらく文章かけていたのに、
コンディション変わってまた書けなくなるかも。

とはいっても、そんなに大した文章書いている
わけでもないけど、、、、
というわけで、今日はこの辺で失礼。

P.S やっぱりコンディション、バリバリ不良です。
ぜんぜんイメージがわいてこない。
ココロとカラダはつながっているってネットの
どこかで読んだけど、ホントにそうだ。

2012年9月10日月曜日

拠点としてのブログ

ブログにあれこれ書くことも何らかの活動のうちに
はいるのか?

呼吸すること、読んだりみたりしたものを単に吐き出す
こと、まあそういうものも活動に入れるのであれば、
それも可能な感じがしないでもない。

で、そんな問題意識をもって検索すると、
活動拠点としてのブログという位置づけみたいなことを
している人がちらほらいらっしゃるのに気付いた。

あるいは災害救援みたいな活動していらっしゃる方が
活動縮小していく中での拠点としてのブログなど。

満鉄が満州国に化けたりするので、拠点とか制度とか
施設というのは柔軟にものごとを考えたほうがいいよう
な気がする。

プレゼンテーションという意味合いではどこからでも検索
できるので最低限の拠点ということになりうるのではない
かと思ったりする。

動くことが活動になりうるというのは有難い話だ。書くことも
動くことなのだ。

低コストに運用できるのはブログの魅力だ。

ブログの可能性みたいなものに意識したい。

そのメディアにどんな意味と役割をもたせるか?

メディアは空っぽのコンテナに過ぎない。
問題はそれにどんなコンテンツを盛るかである。

どんなコンテンツを盛ってもいいのだけど、
人間の想像力はそんなに自由ではない。

たとえばブログ。

これも、いかようにも運用できるメディアだけど、
ふつう「日記」とか「航海日誌」とか補助線としての
型紙がないと中身を盛ることは困難だ。

でも、いつまでも「日記」のままであったら、
その他大勢の同じようなものに埋もれて、独自色を
打ち出せない。

一方とんがりすぎても理解不能でそのバランスの
とり加減も難しい。

最初から凝りすぎても長続きさせられないし、
だんだん溜まってくると溜まってきたもの自体が
何かの方向性を示してくれはじめるようでもある。

そんな感じで、secondlife,blog,twitter,facebook
などを運用してきた。

なんとなくそれぞれ自分の世界みたいなものが
醸し出されてきたみたいなのだけど、醸すという
ことばがキーワードのように思う。

酒を醸す感じなのである。とにかく続けていく
うちに我が家のワインなのかどぶろくなのか
よくわからないのだけど、なんだかできていく
感じ。

我が家の味噌麹みたいな感じで、人それぞれ
種麹をなんとなくもっているのではないだろうか。

日々の材料とともにあれこれ作っているうちに
だんだん発酵されてきて、その人の世界が
出来上がっていく感じ。歴史がその土地の風土
を作っていくように。

2012年9月9日日曜日

twitterがまた面白くなってきた

ものには消長というものがある。blogが面白いときもあれば、
twitterが過熱しはじめてくるときもある。

今、twitterがまた面白くなりつつある。といっても、私、個人の
話なのだけど、、、、

twitterは対話的環境にあるとき、面白い。なんでもそうだけど、
炎が燃えているときは、しばらくその状態が続く、そして、ひとたび
収まると、それをまた盛り上げるのは至難の業だ。

でも、過熱しすぎると、気分が高揚しすぎて、あまりよくない感じに
なる。反動もくるし、、、

かまどで火を制御できたように、心の中の火の要素も制御できない
ものか、、、、

火の要素は完全に抑え込んでしまうには惜しい要素だ。

火の暴走というのもなくはないので、その加減が難しい。

2012年9月8日土曜日

言葉の魔性 発病前の変曲点

前の記事で病気のことをちょっと書いたのでもう少し
続けてみよう。

私は大きな精神病エピソードは初回と再発時の計2回
しかない。健常者から見ると2回もあるの?ってなるの
かもしれないけど、当事者ベースでみたとき2回というの
は少ない部類に入る。

本格的な破たんに入る前、前駆期にあたるときに変曲点
みたいなところがあった、「あそこからオカしくなったな」という
時点だ。

初回のときは新入社員研修のときだった。会社の仕組みを
説明するビジネスゲームみたいなのが行われたのだけど、
その中のセッションの一つに、社長になって相手の会社に
営業に行き、商談をもちかけるというものがあった。

1992年だったのだけど、私は心理学が好きだったので、
ロールプレイというものがあることを知識としては知っていた。
今はSST(social skills training)などで普通に行われるけど
当時は心理学知っている人でもないと知らない事柄だった
と思う。

で、私は社長として営業にいく役になったのだけど、とっさ
に自己暗示かけるみたいにして、社長になりきった。
それで、商談をなんとか成り立たせてもう少しで商談を
まとめるというところまで持って行ってしまった。

一方、ほかのグループのひとは知識がなくて、おろおろ
するばかりで、いたたまれない状態に陥ったり、上がって
しまうばかりという人が多かった。会社のひとはむしろそう
いうパターンを想定していたみたいだった。

そのセッションの「成功」から私はオカしくなりはじめた。
次のセッションでは何かグループでアイデアを出す課題
だったけど、ブレーンストーミングという用語を知っていて
なんとかかんとかグループをまとめ上げていた、そして、
勘が冴えまくっていて、後で感想を書かされるはずだから、
おもいついた感想はメモしておきなさい、とグループのひと
達に伝えた。ビンゴだった。

最後のまとめで感想を書いているとき、自我肥大そのもので
(悲しいことに自我肥大という用語は知らなかった。それが
すべてを分けた)、大学時代に勉強した、生物学、心理学、
文化人類学、歴史学、、、、ずらずらとかじったに過ぎない
科目を並べ立てて、それがすべてこのプログラムで活かさ
れました、みたいなことを書いてしまった。

寮に帰ってからも自分なりに「研修」を続け、眠る時間も
勿体なくなり、、、、あとは大体わかりますよね。

約一年後、、、

再発時のときは、病気になる直前カルチャーセンターで
話し方教室に受講していた。陰性状態から少し活動性
が戻ってくるころで、講義が進むごとに状態はよくなって
きたように思う。一期目で満足したので二期目に入った。

授業の最初の頃の項目、自己紹介と他己紹介。この時
何やら凝った自己紹介をして、他己紹介のときも、他己
紹介に先立つインタビューのときに、相手のモットーみ
たいなおいしい話を聞きだし、他己紹介に反映させた
のですね。この他己紹介の相手が前回の記事に書いた
保険業のオバサンだったのです。

それで、自己紹介とか他己紹介ってことばの世界の入り口
みたいな感じだけど、奥が深いなあと思ったのです。
どこまでも工夫ができる世界なのではないかと思って、
日常使っていることばの世界の脇に日常とは別のことば
の世界があるのではないか?ことばはほとんどの人が
使えるけれど、その一方でことばを生計の糧にしている
人もいる、フロイトのような精神分析の世界まであると
感じ入ったのです。


言葉の魔性という仰々しい表題にはそぐわない素朴な
レベルの話だったかもしれませんけど、ことばの世界の
日常と非日常、そしてそこからパックリと裂けて入り込んで
しまう魔性の世界みたいな感じです。たぶん当時の状況
みたいなもっとディテールのある話があって初めて伝えられる
のかもしれないですけども、ことばの非日常的な使用の世界
があることに気付いたのですね。その感覚が新鮮すぎて、
深みに入り込んだ。そういうことなのでしょう。

「幸福になりたくない」で再発した

1992年に私は精神病にかかり、短期入院、陰性状態を経て、
約一年後に再発した。

再発の前の頃、カルチャーセンターに通っていた。で、そこの
教室で保険業のオバサンと知り合いになったのだけど、
「面白い所いってみない?」と紹介されたのはとある
自己開発プログラムの事務所だった。

で、何も知らない私は自己開発プログラムの勧誘説得を受ける
のだけど、その前に病気が出来上がりかけていた。

勧誘説得では「幸福になるために」みたいなテーマで説明を受けて
いて、イメージの世界は四次元だとか、私たちは四次元人、宇宙人だとか
その四次元の構造みたいな話が延々続いていたのだけど、
四次元の話で私の目からは鱗が落ちなかった。

自分なりに四次元フリークだと思い込んでいたから。一年前の病気の
体験の中でさんざんイメージの世界は体験していたと思い込んでいた
から、相談員の話す四次元の構造の話がディテールに欠く雑な話に
聞こえてしまっていた。

私は最終的にこんなこと言い出した。「幸福になりたくない。」
「私が幸福になるということは、裏では誰かが不幸であるということを
意味していて、誰かを踏み台にして幸福にはなりたくない。」

相談員にとっては「誰もが幸福になりたい」というのは話の前提だった
みたいで、そこを否定されると、そこから話を続けていくことは難しかった。

平行線みたいな感じで話し合いは終わり、数日後に再発した。

たぶん今の頭で考えると、相対的幸福と絶対的幸福みたいな話に
なると思う。絶対的幸福といっても抹香くさい意味での幸福ではなく、
単に他人と比較しないでも幸福というのはありうるという意味にすぎない。

P.S それにしても、病気が出来上がりかけていたときの四次元話は
キツかったのだろうなあ。

2012年9月7日金曜日

調子やや不安定

久しぶりに調子やや不安定です。といっても大したことない範囲です。
とある学習会にしばらくぶりに出席したのですが、「今、何してるの?」
と聞かれるのではないかというよくあるタイプの不安を感じました。

周囲の目とか世間体とか気にすることはないのですが、やっぱり気に
なってしまうのですよね。

それから気分がぐずつき出して、一晩寝てもやはり、ちょっと崩れた
感じになってます。

「サポートネット・ラグーナ」のおかげかもしれませんが、かなり長期間
気分は安定していました。でもやっぱり安定性の底は浅いのですね。

森は回復したものの、表土は浅く、ちょっとしたことで荒れてしまう、
そんな感じなのかもしれません。

何かのきっかけで、また回復してくれないか?そんなこと期待している
のですが、一時的な回復してもすぐまたもとに戻ってしまうことが多い
のですよね。

まだ、そんなに崩れていないので人と話して気分をそらしてしまおう
かな。

P.S かなり些細なことで気分が崩れるのですね。些細なことで
スイッチが入ってぐずついてしまうのです。

2012年9月6日木曜日

身の丈

私が「身の丈」と書くとどこかに卑屈さが匂う。
もしかしたら、無意識のうちに抑え込まれている
と思っているのかもしれない。

年齢位階やら地位による位階やらあって、
身の程は越えてはいけないのがこの国の
お約束だから。

PCにまつわるもろもろの道具は能力を
増幅させ、PCがなければ困難なことを普通の
人にも可能にしてくれる。

いわゆるフラット化。

でも、これは社会との摩擦を生んでしまう。

もしかしたら、PCという鉄砲をつかいながら、
下々のものたちの立場を主張するために、
メディアという場を使いながらゲリラ戦でも
挑んでいるのかもしれない。

テレビは抜きんでた人にスポットライトを当てて
憧れの対象に仕立てながら、一方でお茶の間
のキミたちは唯の人に過ぎないのだよ、我々は
特別な才能をもった人間で、一方キミたちは
平凡な能力しかもたない唯の大衆さみたいに
語っているように見える。

私の目は歪んでいるのだろうか?

「年貢さえ納めれば百姓ほど気楽なものはない」

と慶安のお触書には書かれているけど、
あれは現在でも当てはまるのか?百姓に相当
するのはお茶の間に座っている多くの人々だ。

知識も商品も行きわたり、人々の生活は豊かに
なったけど、すべてはなんだか飽和して今の社会
を建設するための仕組みもほころんできた。

今まで書いたもろもろのこともテレビをはじめ
社会が私に与えてくれたものだ、それらを自分の
ものにして何かに目覚め、何かを憎みはじめて
いるのかもしれない。

自分は奴隷なんだと気づき、気づくための知識を
与えてくれた主人を憎み始めたのと似ている。

奴隷というのならみんな奴隷じゃないか。
テレビでスポットライトを当てられる本人だって
ある意味奴隷に違いない。応援してくれるみんな
のために頑張っているのだから。

私は中途半端にものを知っているのかもしれない。
でも私が中途半端というのなら、ほかの人は一体
どういうことになってしまうのだろう?

いよいよ本格的に身の丈を越え始めた。
そろそろやめよう。

わかっていないことをわかるためにモノをつくっている

ことばで何かわかったようなことばかり書いている。
自分の身の丈越えたこと。

あとで見直したとき、あるいは発信したとたん嫌になる。

今、思い直してみると、たぶんわかる人にはわかるの
だろうなって思う。たぶん上ずったことばは見る目を
もった人から見るとだいたいわかる。

断片的なことばだけではわからないけど、長く書けば
書くほど、自分のことは誤魔化せなくなってしまう。

どこかに、タヌキかキツネのしっぽはポロリと出てくる
に違いない。

でも、なんだかことばって虚しいような気がして、
仮想のモノ制作に向かわせている。

仮想のモノも十分虚しいのかもしれないけれど、
ことばの虚しさよりはほんの少しだけでも救われている
のかもしれない。

変なもの書くと「おかしい」って思うように、
変なモノ作ると「おかしい」って思ってくれるはずだ。

でも、仮想のモノも往々にして、自分の身の丈がわからなく
なるような幻想を持たせてしまうなあって思うところ。

2012年9月5日水曜日

やっぱり私は怪しい人間なのではないか?

自分の胸の底に抱える欲望みたいなものを分析していくと、
私は十分怪しい人間に見えてくる。

誰かと繋がりたいとか、誰かとオトモダチになりたいとかいう
黒々とした欲望が心の底でとぐろをまいている。

作品を通して繋がるべきなんだ。これが正解なのだけど、
今の世の中、邪な思いに幻想を持たせる道具がそろっている。

大事なのは作品だ。作品を真摯に読むとき、本当の意味で
作家とではなく、作品と繋がっている。

作家とは無縁でも、作品とは深く繋がっているという繋がり方は
ありうる。作品は作家から独立しているのだから。

作品は作家から超越していると作家自身も言うではないか。
でも、作家から超越できるような作品はなかなか生み出せない。

作品は作家を超えているとせっかく作家自身から聞き出したの
だから、そのことを宝に自分に向き合おう。

もう他人にすり寄るのはいいじゃないか。十分なくらいことばは
いろんな人からもらったのだから。

PC卒業の模索

予定は未定なのですが、最近視力が悲しいくらい落ちて、
移行期間どれくらいかかるかわからないけれど、PCに
頼らない生活のパターンを築こうかなと思っています。

できれば、蔵書とかもほとんど処分して、目と耳に負担を
かけない生活形態を作り出そうと思っているのですが、
どんなものでしょう?

もともと複雑な機械を使うのはあまり好きではないのです。
使いこなせないのもあるのかもしれないけれど、ひとりひとり
の使用が積み重なると全体でどのくらいのレアメタルの浪費
になっているのだろう?とちょっと気になるのです。

複雑な機械を使わないで、それなりの精神的な豊かさ
みたいなものを追及したいなあと思っています。

自動車の消費がPCや携帯の消費にうつり、さらにそれも
あんまりいらなくなる。産業界の人にとってはたまらない
かもしれないけれど、長い目で地球のこと、人類史のこと
考えるとそういう流れが自然なんだろうなと思うのです。

直接はネットに繋がなくても、間接的にはネットと繋がっていて
ネットでお世話になった人にも消息が伝えられるみたいな
感じになるといいなあと思っているのですがどうなるのでしょう。

あくまでも予定は未定なので、ちょっとそんなこと考えてみた
だけの話です。

P.S そういうことを最初に考えたのは関節リウマチになった
頃です。いきなり終末期の寝たきりの姿みたいなものを想像して
ベッドの上でパソコンが使えなくても、ネットの人とは繋がりたい
なあと思ったのです。どうやればそんなことが可能なのかな、
ネットにアクセスできる身近な人に伝言頼もうか?などと
考えたのでした。

今は薬がよくなったのでよっぽど悪いケースでないと関節リウマチ
で寝たきりになるというのはないそうなのですが、私も不思議な
こと考えたものです。

繋がること、繋がらないこと、直接繋がること、間接的に繋がること
いろいろオプションありそうなので面白いです。

2012年9月4日火曜日

起承転結と複雑性

欧米人は起承転結という書き方を好まない。
論理的でないので何が言いたいのか伝わらない
らしい。

一方日本人にとってはリニアな論理的な書き方は
もしかしたら退屈に映るのかもしれない。

転という揺らぎをどうしても入れたがる。

転という揺らぎを入れることで、文章の複雑さは
上がる。

でも転、転となってしまうと飛びすぎてわけの
わからない文章になってしまう。

そのあたりのバランス感覚というのが東洋人に
とって大切にされるのかもしれない。

少しの揺らぎが複雑さをあげて、退屈さから
文章を救い、それが行き過ぎない程度に抑えられ
いる。

転は文章の中のトリックスターなのだ。

一歩手前の秩序

部屋の中も、PCも、そしてアタマの中も混沌として
ゴミ屋敷に近くなっている。

ゴミを宝に変えたり、ゴミの山から宝を生み出すすべ
はないのだろうか?

一つのキーポイントは「整理」で整理されることで
ゴミは宝に化ける。分別されればゴミも宝とはよく
言うではないか?

しかし、一方である程度の「混沌」もまた何か面白い
ものを生み出す要素であるような気がする。

関係あるかないかわからないけど、台湾旅行で
安宿のドミトリーに泊まっていた際に同室の香港
在住の白人の人らと一緒に夜の台北市街に出て
行った。

長期滞在中のその白人(白人なのに中国語ペラペラ
で漢字もスラスラというのは不思議に映った)は
綺麗な店には目もくれず、入ったところは老夫婦が営んでいる
小さな小汚い店だった。そこがとっても美味かった。

混沌の面白さというとき、なぜかそのエピソードが
浮かんでくる。

アタマの中の話にもカオスの縁というのはあるのでは
ないだろうか?完全なるカオスでもなく、きまりきった
秩序でもない領域が複雑といえば複雑なのかもしれない。

2012年9月1日土曜日

重大な意味をもつテキスト

ひとびとの欲望として、重大な意味をもつテキスト
を生み出したいというものがある。

テキストといっても文字とは限らずなんらかの
表現という広がりをもったものかもしれない。

今の時代、それは本を出版するという手続き
をとらないでもネット上で書き込みするだけで
十分達せられるような気がする。

本という単位ではなく、記事単位の中に
後あと効いてくる表現があるに違いない。

それらは検索によって呼び出される。
検索可能なことが大事なことなのかもしれない。

露天掘りのようにそれらは多くの人によって
掘り出される。意味のあるテキストであれば、
詳細なるテキストがあとに続くことになるのだ
けど、第一発見者や、そのことの大事さを世間に
先駆けて知った人は重要に違いない。


ところでしばらく前から私は何をやっているのだろう?

思いついた文字列や目にした気になる文字列を
検索してみて、検索にあまり引っかからなかったとき、
あるいはその文字列の大事さを世間の人があまり
気づいていないように私に映ったとき、私はごしごしと
ものを書き始める。

この行動の初期のころのものは以下である。
http://epimbi-madrigal.blogspot.jp/2010/04/blog-post.html

「考案した言葉の種に水をやって肥料をやって育ててみることにします」
とこの中で書いた。実際には一回水やってそれっきりということが多い。

文字列というものはしっかり育てていったらものによっては
一冊の本に仕上がるものなのかもしれない。

でも、即興で考えてみただけでも、想定される本の目次の
何項目かは埋まるだろう。

それはできそこないのショートショートという風情をもつ
ものであるような気がする。

作品をつくるに先立つ素描か短歌のようなもののようにも
見える。

何を考えるともなく、そういったものをごしごし作り投げ出してみる。

人知れず書庫の底に時限爆弾のように、あるいは埋蔵経のように
重大な意味をもつテキストは眠っているのだろうか?

ネットの片隅にもそんな断片はあるのだろうか?

私なりに情報の目利きでありたい。みすぼらしい姿をした
宝物たちを見つけ出したい。

アマチュアの表現の面白さ

アマチュアの表現の面白さ、あるいは
アマチュアとしての表現の成熟みたいな話なのだけど、
生活にねざしているという要素が深くかかわっている
と思う。

今の時代、それぞれの人の生きられた環境は違う。
ネットの使い方ひとつとっても個人化されている。

そういう複雑な環境の中に住んでいる。
そして、さらにそういう人々に囲まれて、社会的環境
が成り立っている。

熱帯雨林の不可思議な昆虫や蘭の花のようなものだ。

そういった社会環境に根差したものをうまく表現できる
とそれは面白いものになるに違いない。

いかにそれぞれが面白い世界をもっていてももはや
その一つ一つの種に対して深い考察をするのが難しい
ことに似ていて、ネットの海に生息しているそれぞれの
社会種についてスポットライトが当たることは難しいの
かもしれない。

むしろそれぞれの種はそういうことと超越して存在して
いるように思われる。

のっぺらぼうの大衆どころか一人ひとりの人について
小説中のキャラクターやら研究対象としての生物種
と似たような重みをもっているのではなかろうかと
思っている。

家財道具で一杯になった部屋の中はそのまま頭の
中を反映しているようにも思われる。それらの道具
をうまい具合に使いこなして情報が吐き出され、
酸素で一杯になった大気を太古の藻類が作り出したように
ネットの海の人々も大気のような情報環境をつくり
あげることだろう。

きっとその環境を前提として次の時代を担う「生き物」たちが
進化してくる。

プロのような表現を目指さなくていい

完璧でない表現、表現の中の欠点を愛したい。

商品としての表現って雑誌のモデルのような感じで
欠点のない完璧な表情をもった表現なのだろうか?

そういえば雑誌のモデルだって、一昔前の雑誌とは違って
完璧な美しさよりも、存在感とか個性とかを大事にするように
なってきた。

細部にこだわる日本文化の中ではいまだに粗のある表現は
キツイのかもしれない。

それは表現者のいい加減さが表に出てきているということなの
かもしれないし。

でもお隣、韓国など大陸系の人からは日本人的な細部まで手を
抜かない表現は気づまりに映るらしい。

昔、エアロビの国際大会の日本人グループの演技をテレビで
みたのだけど、目が笑っていないのに強い印象を受けたことがある、
対して米国人グループの演技は心から楽しんでいる様子が伝わって
きて対照的だった。

日本人はよくも悪くも緊張感を大事にする。凛と張りつめた感じが
好きなのだけど、悪く転ぶと国際試合で上がって場に飲まれてしまう。

それも、最近は少し変わってきているらしい。のびのびと実力を出し切る
選手が多くなってきたと聞く。

そういうことを踏まえつつ表現のありかたについて考えると、
プロのような表現を目指さなくていいのかもしれない。

アマチュアのアニメ作品の講評に立った手塚治虫はそれらの作品の
よさはマイナーの良さであって、カネ取ろうなどと思わないことです
と言っていた。

宮崎駿も似たようなことを言っていた。
作り手になればサラリーマンと違って自由になれると思ってたけど
見方が甘かった。今ではアニメーションの奴隷だと。

ネット上でも無料で表現することに飽き足らずプロを目指したい人は
たくさんいると思うけど、アマチュアとしての表現の成熟みたいなものも
あるのではないだろうか?

文字化される前の民話の世界、伝統芸能化する前の民謡の世界に
それは似ている。

マスメディア以前の人たちは地域の中で娯楽を自給自足していた。
マスメディアが飽和した今、少しずつ先祖返りが起こり始めている。

じゃあ、どうやって生きていけばいいのだろう?というのが唯一の悩みだ。
たぶんそこの問題がクリアーされれば多くの無料の作り手たちは成仏できる。

保護室、人生の勲章とやっと思えるようになってきた

保護室に入れられた経験、人によっては蓋をかぶせたい経験
だったり、心の中の開かずの扉の中に入っている経験だったり
するのかもしれない。

私も御多分にもれず、その一人だった。

初回の病気のとき、意識が少し戻ってきて何が悲しかった
かというと、まわりの窓に鉄格子があることが分かったことだ。

本人の意識の中での話なのだけど、病気とは本人がおかしく
なったという感じではなく、まわりの世界がおかしくなったという
感じになる。

断片的に知っている黙示録の世界だ。

現前した黙示録的な世界の中で、ウルトラマンでも何でもない
ただの男の私が、世界を救おうとして孤軍奮闘している感じ。

誰だってその状況に追い込まれたら似たり寄ったりの行動を
するに違いない。

奮闘努力の甲斐もなく、気が付けば鉄格子のある建物の中の
ベッドの上にいるという状況だ。

なんという屈辱、なんという哀しさ。
喜劇として感じることができるなら、神様の用意した
「どっきりカメラ」ということになるのかもしれないけど、そう
捉えられるだけの心の余裕なんてあるはずもなく。

閉鎖病棟の中でさえ屈辱なのだから、さらにその中の
保護室に入った経験はなんとしても忘れたい経験では
あるのかもしれない。

初回の病気の保護室の経験はぼんやりとしか覚えていない。
閉鎖病棟の中のナースステーションの中に入り込んで、
モニターつきの電話(もしかしたら偽記憶かもしれないけど)を
見て、未来の電話はパソコンと一体化されるんだと興奮して
ボタンを押しまくって取り押さえられた。急性期中の私なので
まあ、仕方がない。もちろん保護室に一泊ということに。
そのあとのこともよく覚えていない。1992年のことなので、
電話とパソコンが一体化するというのは画期的なことだった。

ちょっと脱線しちゃうのだけど、たぶんその一件でパソコンと
いうものに執着するようになったと思う。

退院したあと、マッキントッシュ、マッキントッシュとうわごと
のように頭に染みつき、なぜかしらないけどハイパーカード
というものに憧れて、街中の展示スペースみたいなところに
押しかけて、買えもしないのに説明聞いたことがある。それも
ろれつが回らない状況で。

で、外来の診察室でマッキントッシュ買いたいといったら
「秋まで待ちなさい。秋になったらアップルと任天堂が合弁
で新しいパソコンが出るから」と主治医はのたまった。
そういうセリフがとっさで出る主治医は今も尊敬するけど、
それでその時の私は納得して、収まり、しばらくすると
マッキントッシュのことは忘れてしまった。

保護室の話に戻る。保護室は再発時のときも最初は
そこで過ごした。保護室に入るくらいなので状態は
悪く、そういう時期があったこと自体を思い出したく
ない人は多いのかもしれない。

退院して何年も経ち、やっと最近になって保護室に
入ったのも「人生の勲章」と思えるようになってきた。
それだけ、病気のときの記憶が風化してきたのかも
しれないし、ある意味開き直るだけの心の余裕という
のも出てきたのかもしれない。

消しゴムで消せない過去というよりも、貴重な経験と
いう風に捉えられるようになってきた。それはもしか
したら書いて表現することを覚えてきたからなのかも
しれない。表現するという点では様々な経験は身の
肥やしになる。その経験を踏まえないと見えてこない
こと、表現できないこともあるにはあるからだ。

保護室という究極の不自由は今、自由なことを確認
する道具でもある。生活に不満が出たらいつもそこ
に帰る。自由ということは有難い。細かく言い出すと
精神の安定性の底の薄さ等々問題含みだけど、
今、維持しているなりの状態を大切にしたい。

悩まないで素直に書いたほうがいいのかな

子供が素直に描くようにみたいな感じでのびのび
書きたいとは思うものの、書くことを自覚しはじめる
と悩み始める。

イメージ的には書きたいように書いているうちに、
筆跡のようなものができてきて、自分の世界に
なる、、、みたいな。そんな感じで書きたかったの
かもしれない。

話は飛ぶけど、草間彌生さんの例の水玉の作品群
などを見ているとそんな感じがする。

単なる水玉が並んでいるだけだけど、草間さんの
筆跡みたいなものが背景に感じられてきて心が
揺さぶられる感じである。

思えば、その人その人の表現の周囲にはなんとなく
たたずまいというものが出てきて、受け取るほうは
なんとなく感じるものだと思う。

だから、無心に自分の心のうちにあるものを素直に
出していって、自分の内の世界が忠実に表現される
ように努力するのがいいのだと思う。

むしろ大事にすべきなのは内側の生態系かな。

これは谷崎潤一郎の書いた『文章読本』の中に
ある含蓄という言葉と相通じるところかなと思う。

その人の吐く言葉の中身にその人の人生の中
から得られた薬効成分が詰まっている感じの
言葉である。

裏を返せばいかめしい言葉が踊っていても、
薬の入っていない薬瓶のように中身はスカスカ
ということもある。

そんなこと書くと図書館で本ばかり読んでいて
もだめで、世間にちゃんと出て一通りの体験
経験をするべきだとも思うのだけど、その一方
で経験は貧しくても、本を読みながらものを
考えることは十分できて、そういう時間を贅沢
なものだと思っている自分もいる。難しい。

体験経験は貧しくても、ものは一杯考えている、
それしかできないのだから。私の「場所」って
そういう場所なのかな。それでも、別に保護室
にいるわけでもないので、世間を十分観察できる。
こういうところで「保護室」という言葉が出てくること
は世間の人ではまずないと思うのだけど、私は
私なりの道筋を歩いているわけで、そこから
見えてくる何かもきっとあるから、そういう視点が
偶然出て、書き出すことができたらそれでいいの
かもしれない。

P.S 保護室といっても何のことかわからぬ人も
いるので説明するけど、精神科の病棟の中で
病状がひどかったりする人が入る格子つきの
個室。広さは四畳半から六畳くらい。監視カメラ
と仕切りのない和式トイレがある。隣の部屋の
人と世間話できるような環境のところもある。