はじめての方へ

私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。

P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。

p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。

P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)

P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)


2013年9月27日金曜日

言葉の世界について

ニカラグア手話というものがある。調べてみてもらったらいいと思うの
だけど、現代になって自然発生した言葉という意味でも面白いらしい。

この手話の発生にあたって主役を演じたのは子供たちらしい。
聾学校にあつめられた子供たちには共通のコミュニケーション手段が
なく、家でつかわれていた手振りの合図とかなんとかそれぞれのもの
を持ち寄りながら、自分たち自身で作り出し、練り上げられていったらしい。
私の説明は舌足らずなので、ぜひ気になる人は調べてみられたい。

ピジン言語とクレオール言語というものもある。例えばハワイの移民
たちが、中国、日本、そしてもろもろ地域からやってきた人たちが
当座の用をたすために作った言語だ。各地の港とかでそういう現象
は起こるらしい。横浜ピジンという言葉もある。もちろん幕末あたりの
話だと思うのだけど。

で、この話でも鍵を握っているのは子供たちだ。大人たちはそれぞれ
母語というものがあって、当座の用としてピジン言語を使っているのだ
けど、その子どもたちはその言葉の中で育つ。そして、自己をその言葉
で表現し、言葉は練り上げられ、文法も発達してくる。そういう形で
発達した言語のことをクレオール言語という。

ところで、今日の話はなまかじりの知識を披露するのが目的でない。
ここからが本題で、本題はもちろん空想の話だ。

太古、どういうところから言語が発生したか知る由もないけど、なんとなく
主役を演じているのは子供たちのような気がしてくるのだ。

せいぜい身振りとかギャーとかアーとかいった合図でサインを送っていた
に過ぎない大人たちの世界で、突然言葉というものが子供の世界の中に
発生し、拡がって行ったのではないかと。

言葉の世界自体が今でいうインターネットとか仮想世界みたいなもので
大人たちにはわからない、そういう世界もあったのではないだろうかと
思うのだった。

メディア上の革命は続いていく。たとえば歌の世界。
歌で世界ができるということを古代の人はどう捉えたのだろう。言葉や音
を使って美しいこの世ならぬ世界を作り上げることができるということを
あの時代の人はどう捉えたのだろうと想像する気持ちはやまない。

昔話の世界。「むかしむかしあるところに」というのが合図になって
この世界とは別の世界に入っていく。この世界とは違って昔話の世界
では何でも起こる。この世界とは違ってと書いたもののそれは現代人の
感覚であって、馴染みの身の回りの世界を越えた森も向こうの世界には
そんな世界が広がっていると古代や中世の人は考えたのかもしれない。

定型詩の世界。五言絶句でも短歌の形式でもいいのだけど、ある形式と
いう器ができるとその中に世界を盛り込むことができる。出来事を記録し
後世まで伝える力さえももつかもしれない。ちょうど今のひとがネットに
アップロードするような感覚で人々の間に詩を解き放ったこともあるだろう
し、惜しいような詩に出会ったときは自分なりの手直し、一工夫を加えた
のもあるかもしれない。コンピューターソースを手直しするような感じで
人々によっていろんな話はこうして練り上げられ面白さが増していく。

大人は分からない言葉の世界を子供たちが作り上げている、そういう
風な妄想は私をわくわくさせる。

最後に。ひとりひとり、その人の言葉の世界をもっている。見てきたもの
聞いたこと、そしてその感じ方、ひとりひとり違うのだ。当たり前だけど。
東西南北から運ばれてきた言葉がその人の中で、歴史上ただ一度きり
の出会いを起こしているのだ。探す気になれば、それぞれの人の中に
きっとそんなものがあるに違いない。

その人の世界の中でしか生み出せないもの。きっとそういうものだ。

2013年9月19日木曜日

久しぶりに友達が訪ねてくる

久しぶりに遠くから友達が訪ねてきます。
広島大学時代の友達です。

大学時代は発病前であって、発病を境にして、
たぶんちょっとした記憶障害みたいなのが出ているような
気がするので、ぼんやりとしか覚えていません。
なんだか前世のような感じ。(私は前世という用語はこういう
文脈でしか使いません)

大学のときは級が進むほどにばかになるというような
感じでした。勉強しないからばかになるというのではなく、
たぶん私なりにばかを研究したのでしょうね。
もともとが内向的な感じだったので、
ばかを通してでしか他人というものとつながる回路が
なかったのでしょう。

わたしがばかにならなかったら、大学大学院6年間
無事に進級、卒業修了できたのかどうかさえ、いま
考えてみるとわかりません。

大学というところは青春真っ盛りで、楽しい部分もあります
けど、ひとたび友人というセーフティネットみたいなもの
から落ちてしまうと、なかなか誰も助けてくれない
という恐ろしいところでもあるのです。

まあ、青年期は精神疾患の好発期でもありますし、
光の裏には影というものもあるのです。

私はどうにかこうにか大学6年間楽しく過ごす要素
が大きかったと思います。研究生活のほうに入った
後半3年間もつらかったといえばつらかったけど
充実していた要素も今思い返すと結構あるのです。

と書いてみても、今日の文章、具体的なことを書いて
いない文章なのであまり伝わらないかもしれませんね。

P.S ばかというのはこんなばかです。
当時は長髪だったので、ちょっと水ふくませたりして
七三にわけて、鼻のまえに海苔か黒い紙をひっつけて、
口をすぼめて、「ハイル・ヒットラー」と手を挙げながら
叫ぶとか。

裏で隠れて口の中にトイレットペーパーをいっぱい
いれて、それを口から下向いて出しながら
「えくとぷらずむー」とかですね。そういえば
エクトプラズムってもう死語ですよね。

そういうたわいもないことで笑っていた年代も
あったりします。すべてサークルの宴会芸です。

プロ野球の応援歌の替え歌をサークルの
飲み会のときにみんなで作って、
盛り上がっていました。うたいながらイッキのみ。
そんなサークルでした。今じゃとてもやりたく
ないような芸も私には実はあるのですが、
それについては勘弁してください。

2013年9月16日月曜日

異星人たちへのメッセージ

日本語圏に絞ってみても自分にどことなく似た存在というのは
いるらしい。

自閉症スペクトラムのどこかに位置し、
しかも精神病の発病歴がある。

現在、どういうところに生きるうえでの問題があってとか、
とくに仕事がらみでの問題とかそっくりだった。

でも、あえて今コンタクトを取ろうとは思わなかった。
遠くからの経過観察中。

ひっくりかえしてみて、遠くから望遠鏡で私のブログを
眺めている異星人たちもいるかもしれない。

宇宙の中ではあなたがたは孤独ではない。
メッセージを流し続けておけば、どこかで受信して
くれる人もいるかもしれない。

かといって、直接コンタクトするかどうかはわからない。
縁という繊細な要素があって、
時期が早すぎても、遅すぎてもうまくいかない。
それに適切な距離をとれるかどうかわからない。

だから、代わりに受信報告書を書いてみます。
領収の受取証みたいなものです。

あなたがなんらかの発信をしてくれたおかげで、
自分自身への理解が格段に進みました。
自分のような人間はこのネット宇宙の中に一人では
なく、少なくともよく似た存在はいて、
たぶん探し出す根気さえあれば、
結構数いるかもしれないこと。

それは私を孤独からかなり救ってくれました。
私はあなたにコンタクトする日がくるかどうか
わかりませんが、遠くからあなたの発信を
暖かい目で見守っていきます。

あなたの発信するコンテンツを何にもまして
大事な存在とする人が世の中に少なくとも一人は
いることを知ってください。

あなたの発信、ちゃんとここに届いていますよ。

P.S ちょっとこの発信、無責任すぎると思ったので
ちょっと訂正。誰に届くか、どう届くかみきわめないで
書いてしまいました。千里眼をもっているわけでもない
ので、「あなた」と書いたからと言って、読んでいるあなた
がそのあなたなのか私にもよくわかりません。

水を差しているのかもしれないし、
私なりに誰かの状況が悪くならないように
私なりに精一杯やれることをやっているのかも
しれないし。よけいこんがらがらせているのかも
しれません。

2013年9月15日日曜日

人間についての深い理解と自分についての深い理解

”人間についての深い理解”で検索すると多数の文章が引っかかる。
大学案内とか多い。でも、人間についての深い理解の以前に自分に
ついての深い理解がなければ、人間についての深い理解には至れ
ないのではないかという気がする。

そして、自分に対する深い理解の前提になるのは自己分析の文字化
されたものである。

でも、それは前提であって、果たして「深い」理解に至るのかはわから
ない。何回も書いたように、自分は自分を偽るものなので、そして、
自己言及でもあるので、はなはだ疑わしい。

しかし、何回も書いたように、これが他者に移ると知りうる情報量は
格段に落ちる。

私の父はもういないが具体的な言葉はほとんど残っていない。漠然と
いい人だったような気はするのだけど、くっきりとした輪郭はもうない。

むしろ本の文章としての遠くの人のほうが、本をめくるたびに
一字一句、同じ文章としてそこにいてくれる。そして、何度も読みかえ
していくうちに違う風にも読めてくる。

違う風にも読めてくるというのが味噌で、これはきっと自分が書いたもの
にも当てはまる。そして、書かれたものを何度も読み返すという作業を
省いては自己理解に至りそうな気がしてこない。

もちろん、自己理解はあくまで自己理解である。一般化できない。
ただの多くの人の中の一事例としての自分のケースである。

でも、その一事例について一定の理解をしてみるというのも意味は
あるのではないだろうか。

何回も書いたけど、ひとつのケースを押さえると、ほかのものと比較
ができる。断片的な資料さえも、比較の対象になる。

自分にとっての一番重要な基準は自分なので、まずこれを押さえないと
いけないと思う。

そして、近くのものから遠くのものへと比較していく。

そんなことして何になるのだろう?

「人間についての深い理解」というのはいろんな大学案内でうたわれている
項目なので何らかの価値があると思う。

おそらく、人間にまつわるすべてのものごとと関係しているといいたいの
だと思う。

少なくともその前提にはなる。

どんなにものを知らないひとでも少なくとも自分については
その人なりによく知っている。

カタログを作る感じで、それを文字化して、広げてみよう。

たぶん、私のやりたいことは何か創作物をつくることで、
それには素材というものが必要だから、一番身近な素材
である自分という材料を使って、素材カタログでもつくっている
のだと思う。

2013年9月13日金曜日

シロマダラ

なぜか知らないけど、小学校低学年、ヘビが好きだった。

低学年に限らず、昼休み、トカゲを探して殺すのが遊び
だった。

今ではその頃の罪悪感のためか、生き物は極力殺さない、
助けられる場合は助けるような感じだ。

桜島で働いていたときも、屋内に閉じ込められてた
ゲジという気持ち悪いムシ(昆虫ではない)もいちいち
外に逃がしていた。もちろん手づかみして。

そういう行いをしても、何らの功徳もあるわけでもなく、
ゲジに感謝するだけの魂があると信じていたわけでもない。

ただ、やっぱり、生命は人間では作れないということを思う
とそうしたくなるのだった。お題はヘビだった。ずれた。


小学校低学年、何かと縁があったのがヤマカガシという
蛇だった。無毒のヘビと信じ込んでいた。

捕まえてくるのはほとんど子供のヘビだったけど、
わざと指をかませてみるなどという暴挙もやったかも
しれない。

なぜ、それが暴挙なのか?
ヤマカガシは実は無毒のヘビではなかった。奥歯に
毒があり、人が死んでしまうくらいの毒があるのだった。
ただ、性格がおとなしいのと、奥歯であることで、
そんなに事故が起こらないだけだった。

そういうことは知らず、ヤマカガシは弱っちいヘビだと
思っていたから、もっと強い、毒蛇のマムシに憧れていた。
憧れてたけど、少年時代には自然状態では結局逢えずじまい
で、実際に山野でみたのは大学時代だった。

小学校時代の戦果はシロマダラというヘビだった。

城山でみつけたか、鶴丸城のお堀でみつけたのかもう
記憶があいまいになってしまった。もちろん殺したりは
せずに、しばらく遊んだあと逃がしてやった。

シロマダラは当時も珍しいヘビとされていたけど、
今、ネットで見てみるといよいよ珍しいヘビとなっていた。
少年時代に見たのは本当にシロマダラだったのか?
ちょっと疑わしい気もしてきたけど、まあ、子供の頃の
宝石箱の一つとしてそういうことにしておこう。

小学校一年のときに生まれて初めて、私のために
買ってもらった図鑑が学研の『爬虫類・両生類』という
図鑑だった。簡単な植物図鑑はものごころのついた
頃には姉か誰かのものが家にあって、始終眺めていた。

下町の庶民の家に育ったので、図鑑を一揃い買ってもらう
というようなことはありえなかった。せいぜい数冊、子供用
のものを買ってもらった位だった。

それが逆によかったのかもしれないと今は思っている。
食い入るように、ぼろぼろになるまで眺めた倒した。

同時期、縁日のカメすくいにご執心だった。
小学校一年のときの将来の夢は
二階の物干し場に温室を建てて、温室の中には
池を造ってミドリガメを育てるというのがユメだった。

物干し場に温室を建ててというのが子供らしいと
今では思っている。

P.S ヤマカガシといえば昔、鹿児島大学の学園祭
の生物研究会の恒例?の出し物としてヘビのやきとり
というのがあったような気がする。材料はヤマカガシだった。
一度だけ試してみた。味はまあまあだったが骨が多すぎて
閉口した。

P.S ヘビの話なのでついでに書くけど、
ショーなどで観客の首にニシキヘビを巻きつける出し物
があるけど、私も手を挙げて舞台の上で巻きつけて
もらったことがある。本当は怖くもなんともなかったけど、
ちょっとだけ怖いふりして、間違っても蛇とキスなんか
しなかったことだけを覚えている。

2013年9月12日木曜日

研究室にいたことの意味、精神病体験をしたことの意味

今の自分のことをつらつらと思うなかで、
もちろん、良くも悪くも精神病体験をしたことの影響は
重いものがあると思う。

学生時代はあまりまじめな学生ではなかったので、
本をそれほど読まなかった。

学生時代が終わると同時にむさぼるように本を
濫読するようになったのは精神病体験の影響である。

この世界はなんだか不思議である、という直感の
もとに、この世界の成り立ちを知りたいという思いが
つのるようになってしまった。

能力的、時間的に自分が知りうる範囲でいいから、
この世界の様々な側面を知っておきたいと思う
ようになった。

一方、生物学の研究室にいたりしたことの
意味は何だろう?

それは徹頭徹尾、生物というもの、細胞というもの
はメカニカルに成り立っているということを骨の髄
まで学ばされたことに尽きる。

私は心霊写真とか大好き少年だった。
80年代鹿児島に丹波哲郎が来るというので、
講演聴きにいこうとして母から止められたのが
なつかしい。

大学一年の物理学概論の授業の
「21世紀になって明らかになることは何だと
予測しますか?」みたいな設問で、

「霊の存在が証明される」と書いたおばかな
学生だった。

そういう一年生がどんどん級が進み、
進化学の授業で、創造論的な発想法が
懇切丁寧に講師から論駁否定される授業も
聞き入っていた。また細胞生物学の授業では
細胞分裂の様子のメカニカルな様子が、
電子顕微鏡の写真などを交えながら、
微に入り、細に入り説明されるのだった。
もちろん80年代の生物学ではあったのだけど、
当時なりの詳しさはあったのだった。

そういうわけで、思想教育でもされたように、
バリバリ、ゴリゴリの生物機械論者としての
人格が形成されつつあった。

とどめはワトソン、スキナー流の、
実験心理学の授業だったかもしれない。
ただしこっちはネズミの実験などで人間の
ことなんかわかってはたまらないという
教育系の心理の先生などもいて、学内
一枚岩というわけでもなかったような覚え
がある。

結果としてはそれらの教育は、
精神病体験の不合理な世界に引き込まれる
のを防ぐのに何の助けにもならなかった。

助けになっているとすれば、今、現在の
世界観上のバランスに対する関与だと思う。
自分の体験から距離をもち、「見たから事実、
体験したから事実」という風には取らないこと
だと思う。

2013年9月10日火曜日

患者から見た世界みたいな感じで始まった

自分がやりたかったこと。それは患者からみた患者の内面、そして
この世界自体。そういう感じでこのブログは始まっている。

そして、患者といっても、病気自体に焦点を当てているというよりは
病気になるようなたぐいの人間、人間のほうに視点を置いている。

もとより、そんな需要があるかどうかは関知しない。
冷静に考えてみる限り、かなり限られた需要だろうと思う。

たぶん売り物などを目指すようなたぐいのものではなく、
標本とか資料の一種だろう。といってもそちらのほうとしての
価値もはなはだ疑問なのであるが。

基本前提はいろいろある。

世の中にはいろんな属性をもった人間がいるということ。
そして、有名人でない限り、まとまった資料はそう多いわけでも
ないということの二点だ。

ところで読み手としての困難な点もある。

普通、コンテンツを読むときの枠か額縁になっているのは
その人が有名人である、評価を受けているという点である。

そういうお墨付きがないものはなかなかまじめに読む気に
なれないのだ。

いや、人によっては「自分が第一発見者になりたい。」とか
「埋もれたものの中から掘り起こしてみたい」という人もいる
かもしれない。

でも、残酷なことにそれはあくまでも理想であって、現実の自分は
やっぱり公平に見れない。そういうお墨付きがない場合、
よっぽどコンテンツ自体に訴える力がない限りなかなか
コンテンツの中に入っていけないものだ。

順序といえば、そういったコンテンツを救済する意味合いも
あって「賞」というものは存在するものかもしれない。

登竜門とはよく言ったものだと思う。

現実の「賞」はいろいろ純粋でない要素も入ってくる
かもしれないけれども、それはそれとして、もともとのコンセプト
はそういうものだと思う。

でも、そっちはそっちで、そういう競い合いの好きな人に任せよう。
自分のアイデンティティというものを失ってしまいやすいからと
言うにとどめよう。

こっちは細々と日のあたらない場所で
自分の花の進化を自分なりに模索しよう。

きっとそれが自分にはあっているのだ。

2013年9月7日土曜日

論理と情緒

私の文章は論理に欠けるように思う。
そして、どちらかというと論理よりも情緒のほうに軸足を
置いている。

私の中では論理は説得と関係し、情緒は発見と関係している。
宮元啓一の本で読んだことをちょっと思い出しながら書いてみる。

なんで人々は論理などに着目するようになったのか?

インド古代のバラモン教の話なのだけど、もともと宗教というのは
儀礼の束みたいなものだった。でも、あるとき、単に儀礼を行う
よりも、儀礼の由来とか背景とかがあったほうがよりよく儀礼を
行うことができるということがわかってきた。

そういうわけで儀礼の背景にあたる思想みたいなものが作り出され
た。

そういう流れが発展する中で、思想などに造詣の深い王様が現れた。
王様は思想家の話を好み、御前試合のような形式で思想家同士を
論戦させた。勝った人にはもちろん豪華な賞品。

そうなると論争術みたいなものが発達し、一方で哲学試合の勝ち負け
のルール決めなども行われるようになった。

そういった土壌の中から論争の筋道などが意識化され、論理というもの
を見出し、論理学というものとして体系化されるようになった。

自分のことばで言うと上のとおりなのですが、ネット上にはもっといい
書き方の文章があるかもしれません。気になる人は探してみてください。

情緒のほう。こっちは松本元という脳科学者の本を思い出しながら
書き出してみる。

山道を歩いているとき、草むらががさがさする。ヘビだととっさに思う。
恐怖心が沸き起こりさっと逃げ出す。

ここでは論理が出てくる暇がない。いちいちAゆえにB,BゆえにC,
などとやっておれない。そういうときは感情の出番だ。
感情機能は論理よりも古い形式の情報処理のやり方だ。
荒いやり方ではあるけれど、論理よりも早くものごとを決めてしまうこと
ができる。

古い話ではあるが「勘ピューター」などという言い方がある。
たとえばスーパーなどで買い物するとき、いちいち論理で選んでいない。
ものすごく短い時間の間に無意識の中のそれまでの経験を総動員しな
がら、歯ブラシなら歯ブラシを選んでいる。


日本語は論理性にかけるからだめだ、情緒的すぎる、といってしまうひと
がいる。でも、論理的であるはずの数学やら物理で日本人は割といい
仕事をしているらしい。

フェルマーの定理の証明までの道のりの中で要所要所で日本人がいい仕事を
していると読んだことがある。といっても雑学的な知識でしかないけどね。

第二次大戦の日米間の違いなどを引き合いにしながら、日本語は論理性に
欠けるといっている人は、ある種、物質主義的な考え方で、かつ計量的な考え
重視の人なのかもしれない。精神主義、こっちも堕落してしまうと、単なる
精神注入棒だったり、竹やりで抗戦みたいになってしまうけど、精神主義的な
考え方のいいところはいいところでそろそろ見直してもいいのではないかと
思ったりする。

P.S  検索してみると精神主義とか精神主義的という言葉に対する評判は
すこぶる悪い。でも、自分の中ではこの動画みてると、戦前の世界もそう
悪いばかりではないのではないかと思うのだった。もちろん、中国の人から
みるとそんなことはいえないのだろうけど。理屈でなく、見ていただきたい。
プロパガンダに動かされている私ではあるけれど。
https://www.youtube.com/watch?v=iIVtCrT29wc

2013年9月6日金曜日

ここよりよきどこかを目指して

私は向上心強いほうなのか弱いほうなのかよくわからない。
いろいろ手を出してみた語学も結局続かず、モノにならなかった。
目移りしてしまうのか?すぐ飽きてしまうのかよくわからない。

ただ目に見えること、目に見えないこといろいろあるけれど、
いまいるところになぜか満足できず、ここよりよきどこかがある
のではないかと模索してしまう。

必ずしもそれは物理的、社会的移動を伴わない。
もしかしたら、抽象的なイメージの世界での場所なのかもしれない。

多分、その目に見えない場所の探索を目に見える形にするのが
私にとっての仮想世界なのかもしれない。


しばらく前から気になる用語がある。
「境地」という用語だ。宗教、その他精神的位置取りを表すときに使われる。

気になるところは地という場所を表す文字が使われていることだ。
そのときの自分のたどり着いた精神的場所を表しているともいえる。
なんとかそれを目に見えるカタチにしたいと思う。自分のたどりついた世界
それを目に見える世界として表したい。

さて、そういう世界をカタチにしたらしたで、それは単なる現実逃避では
ないか?そういう見方をするかもしれない。所詮、非現実的なドールハウス
の世界で遊んでいるだけ。そういう見方をする人もいるかもしれない。

でもひとたびくっきりしたイメージとして固定したものは本人に対して、
何がしかの力をもつ。

それに、、、と思う。みんな過去の写真をため込んでいるかもしれないけど、
過去はメディア上にしか定着されない。その事実についてとても不思議に
思う。写真その他でしか事実の証拠が残らない。

なんだか私は仮想と現実を取り違えているのだろうか?そんなことまで考
え始めた人もいるかもしれないけど、不確かな記憶と、そして今ではあまり
あてにならなくなった記録の上にしか過去はない。そのことがとっても
不思議に思えるのだ。閑話休題。

話を現実の世界に戻す。
紙の上だったり、仮想の世界の上だったりで模索するのは地図みたい
なものを作っているつもりなのだろう。

シミュレーションの一種のような。子どものすきなおはなしの世界も
大人の世界のシミュレーションをしているという話もある。いろいろ
楽しみながら、想像の世界で何かの予行練習をしているのかもしれない。
でも、それは建前であって、どんどんイメージの源流に向かって不器用
な探検をしているつもりなのかもしれない。

また、今日も抽象的な言葉をこねくり回しただけのような文章になってしまった。
自分の限られた経験の中で精一杯の悪あがきをしているということなのかも
しれない。

P.S 「ここよりよきどこか」というよりも迷いの迷宮に入ってしまったような
文章になってしまった。それが今の「境地」というとこか。

P.S2 ちなみに私は旅行先でバシバシ証拠写真を撮るほうじゃない。
「記録よりも記憶をというほうです」という感想ももらったけど、そういう要素
は私にも多分にあります。

2013年9月5日木曜日

相手に負担のかからない心理的距離を守ってあげること

一昔前の私はこうこう感じだった。

「私は勇気がないから告白できない。」

「告白する勇気をもち、告白することができれば
勇気があったことになる。」

この二つの気持ちの間をぐるぐる廻りながら
結局行動に移ることができず、見送り三振になるか
もしくは、特攻隊のように突撃、そして「ごめんなさい。」
こういうパターンだった。

そこには順序というものも、戦略というものも、
そして決定的なことは相手の気持ちへの配慮というものも
抜けていた。

時は移り最近はこういう感じになった。

自分の心の道具箱には心理的、社会的距離メーター
というのが装備されていて、いつもそれとなく相手との距離を
計っている。

こちらからか、もしくは相手側から近づきすぎてしまったら、
それとなく距離を空ける。

相手と接触する頻度、それから言葉の長さ等々で調節する。

その結果孤独になる。でも、それは選んだことである。

私は基本、ニンゲンというものが好きである。
そして、恋愛感情というものは移り行くということも
学んだ。

内心においていろいろな複雑な感情を抱えながら、
それでも、一定の距離に抑えながら淡々と人間関係を積み上げて
いったら、成熟した関係になるのではないだろうか?ってそのうち
思うようになった。

もちろん、そこには感情を抑えられるだけのコントロールの力
というものが必要であり、体質として、そのコントロールがたやすい
人、それから体質的にコントロールがはなはだ困難な場合がある
ということ、それは知っている。

そんなことを思うようになったのは臨床心理とか興味をもった
ことが大きいかもしれない。

ときとして濃密でありながら、恋愛感情を建前としては持たない
関係、典型的なのはカウンセリングの関係である。

あくまでも、それは建前であって、それぞれの人の心の中は
どうなっているのか知らない。でも、心の中はともかくとして、
表現としては、感情は表には出さない。ときおり、ちらちらと
見え隠れするだけなのかもしれない。でも、それは人間だから
仕方のないことなので問わない。

思えば人の心の中ってどうなっているのかワイドショー的好奇心
を掻き立てられる。ポーカーフェイスがうまいひと、下手なひと
それぞれであって、人間くさいなあとつくづく思うのだけど、
心の中は世間的には密室ということになっているから、かなり
非倫理的であると思う。善悪で片付けられるものではない。

ペルソナという仮面をかぶることによって、ようやく社会という
のは成り立っていると思う。

重ねて書いてみる。恋愛感情というものは移り行く。
恋を成就し、家庭を持つか、いづれ終わりがくるかという
二者択一の運命に身を任せるのもいいけども、
いつまでも、遠くも近くもない距離のうちにいられるのも
いいのではないかと思ったりする。そういう距離にいられる
と楽観視するのも見方が甘いといえば、甘いのだけど、
そういう社会的関係があってもいいだろうと思う。

そう書きながら、結局最終的に孤独な存在になってしまう
ような気がする。

濃密な要素のない、表面的な、ただの世間的関係というのが
どういうわけか作れない哀れな人間だからだと思う。

2013年9月2日月曜日

生殺しというか、、、

今日は調子悪いです。
例のごとく些細なことがスイッチになって調子わるくなった
のかもしれません。症状はいつものごとく抑うつ気味で、
ちょっと頭が締め付けられるような感じがします。といって
もどう表現すればいいのかうまい言葉が出てこないのです。

仕事など、なんらかの負荷がかかると弱いのかもしれません。
普段は元気なのですが、元気だからもう大丈夫と思って
仕事の世界に入るとまた、出てくるのです。

仕事が合っていなかったからとかそういうわけでもなさそうです。
基本的に好きな種類の仕事なのです。人間関係も良好。

でも、なんだか私のどこか表面から見えにくいところに欠陥
があるのかもしれません。なんとなく、いろんなことが稚拙なの
です。

ちょっと脳の配線具合がずれていて、いい風に出てくると
個性的と思われるのですが、あくまでもそれは趣味向きで
あり、仕事用には向いていないのかもしれません。

しかし、そういうことをいい始めると世の中で居場所が
なくなってしまいます。

今日は主治医との面談日だったのですが、私のように
見えないところに欠陥が隠れていて、仕事などの負荷が
かかったりすると不具合が出てくる人が最近増えている
みたいですね。

これはヒトの体が脆弱になったということなのでしょうか。

表面からは見えにくい、根の深いところになんだか
問題がありそうです。