はじめての方へ

私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。

P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。

p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。

P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)

P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)


2012年11月25日日曜日

宇宙史上初めてといっても拍子ぬけする位簡単なのかも

世界史上の自分、宇宙史上の自分などという大仰な文字列を
みてあきれている人もいるかもしれない。

でも実際は拍子抜けするくらいなんでもないことなのかもしれない。

世界史上初なら、宇宙人がもしいないとすれば宇宙初かもしれない。
ここはすぐわかる。

日本史上初なら世界史上初というのも案外多いのかもしれない。
それだけ日本文化は固有性が高そうだ。固有性が高いだけで
なく、それなりに文明も発達しているし、知識は大衆化している。

うまくいけば、地域史上初なら日本史上初ということも狙えるかも
しれない。うまく、トポロジカルな感覚を利かせて、地域の特徴や
もっとローカルな自分のまわりの施設などの特徴を読んでみよう。

そこから拾い上げられる要素を掛け算していくと、オリジナルな
何かは見つかるのかもしれない。

もっと手軽く、自分の今まで書いた文章の一部を”  ”でくくって
検索にかけてみよう。だれも考えたことのない概念のひとつや
二つはきっとあるにちがいない。そこをもっと掘り下げてみると
何かみつかるのかもしれない。

たぶんネット草創期の今が終わり、どのくらい文明は続くか
知る由もないけど、しばらく文明が進むと新しい概念を発見する
のは難しくなるだろう。新しい概念といっても”XXのZZのDDのNN"
というような長ったらしいものになってしまい、だれも気にかけてくれない
ものになるかもしれない。

素数の見つけ方でエラトステネスのふるいというものがあるけど
ああゆうものにどこか似てくるのかもしれない。今はまだ二けた
くらいの素数を探している段階なのかもしれない。ちょっと手間を
かけると誰でもみつけられて、なおかつその素数はなんとなく意味
のありそうな感じの素数であるような。

アイデアは出尽くしたなどと多くの人はいうけど、100年単位、
1000年単位の未来を考えてみると、21世紀人はとても幸せに
違いない。ふつうの人によるアイデア発見の機会には長期的
な尺度でみる限り歴史上で一番恵まれている時代なの
かもしれない。

今から過去にさかのぼっても、未来に向いて行ってもアイデア
発見はより特殊な人々による仕事という色合いが強くなるような
気がする。例外はもちろんあるとも思うけど、、、


外側から取り込んだもの 内側から出てきたもの

何も内側から出てきたものを大事にするあまり外側から取り込む
ことを制限することはないと思う。

むしろ外側から取り込まないといつしか貧困化する。

からといって取り込んだものをそのまま利用するのは消化不良だ。
まだ、それは自分のものになりきっていない。


たぶん比喩的には落ち葉が腐葉土になる過程みたいなものではな
いかと思うのだ。

上からどんどん落ち葉が降り積もる。層になった落ち葉は微生物や
小動物など土に住み込んでいる小さなものたちの力を借りて腐葉土
になっていく。

そういう感じで日々目や耳に入っているものは心の中に住む小さな
ものたちの力を借りて自分なりのイメージになっていくのではないか
と思うのだ。


同じような比喩で食べ物の消化みたいなものをイメージしてもいい
かもしれない。

食べたものは消化の過程で分解される。かたまりのものも小さく
砕かれ、酵素の力によって栄養素まで分解される。そして素材と
なったものが体中に運ばれて代謝されて体の一部になっていく。

アイデアを思いつくには土づくりが必要だ。
落ち葉といっても、既成のコンテンツも多く、だれかが考えたことの
パッチワークという気がしないでもない。

でも、取り込むコンテンツには自分の選択が入っていて、その選択
の背景には個人史がかかわっている。それらは家族史とも地域史
ともつながっていくことだろう。

自分の思い出を棚卸してみるといいのかもしれない。自分の足元を
掘れと人はいう。

世代による時間軸、そして地域性を含んだ空間軸という二つの軸を
基礎にしてグローバルな視点での位置取りを意識してみるものいい
のかもしれない。

ローカルに過ぎないと思っている自分周辺のこともどこかでグローバル
なものごととつながっている。こじつけでもいいからつなげてみて、
世界史上の自分、宇宙史上の自分をでっちあげてみるのも面白い
と思う。

井戸の中の蛙がネットの海を散策してみると、、、

私って、典型的な井戸の中の蛙タイプでしたが、ネットの海を散策
してみると、私よりも若くて、才能もありそうで、なのに孤独でといった
風情の人をちらほら見かけます。

私よりもアタマよさそうなので、もはや先輩づらするわけもいきません。
まあ、私にできそうなことは遠くなら眺めていて、たまに声をかける機会
があれば声をかけるくらいのこと。

先輩づらはできないけど、年の功というのももしかしたらあるやもしれぬ
となんとなく思っています。

若いことは未来があっていいことなのですけど、青年期は精神が不安定
になりやすいこともまた確かだと思います。

若いだけ、悩んだり考え込んだりするときの馬力ももっていて、身をさいなむ
のです。

そのために妙な精神現象も起きやすいです。

たぶん妙な精神現象が落ち着いてくるのは30代の後半以降だと思います。
そして、妙な精神現象が落ち着く一方で、頭の冴えにも陰りがみえてくるの
だと思います。

まあ、これは個人差もあるでしょうし、私は自分の経験を言っているだけな
ので一般化できないとも思うのですが、多少の参照情報にはなるでしょう。

私の場合は頭の冴えからくる高揚感と戦うことが一つのテーマでした。
ちょっとした誇大妄想めいた気分にも陥ることがあって、そういう自分を
なだめていくのでした。

睡眠がとれているかとれていないかを把握することは常識みたいな感じ
で、二日単位で帳尻があっていればいいとするものでした。

ある日、考えが盛り上がって、どうしても目が冴えてしまって、徹夜したら
その次の日は早めに寝るとかです。

ひらめきが続いて、面白すぎると思ったら、主治医のもとに駆け込みます。
”面白すぎる”という表現は抽象的かもしれませんが、その呼吸ができるか
できないかが再発への分岐点になるのではないかと思います。

自分から主治医のところの扉を叩くことができる状態であれば、あんまり
入院とかないのです。私の場合はそうでした。

神秘的な体験については極力相対化しました。しがみつかないようにしました。
いわば神のものは神に返すといった感じにしました。かといって割り切るという
風情でもありません。どちらかというとニュートラルな立場です。

入眠時幻覚、夢魔、その他妖怪めいた存在については生理的に解釈して
極力霊的には扱わないようにしました。それでも首のへんから体の中に
なにものかが侵入してくる感じに慣れろとまではいいません。

シンクロニシティその他、偶然がからむ神秘的な印象をもつ体験、これも
割り切れとはあえていいませんけど、捉われすぎるとよくないのではない
かと思います。気功などでも超能力体験については捉われないことと
指導しているところもあるそうです。



とまあ、やっぱり先輩づらして説教くさくなるのもいやなのでこのへんに
しておきます。自分の病気との付き合いの中で学んだ生活の知恵みた
いなものを共有してみたくなったみたいに受け取ってもらえればありがたい
です。

2012年11月24日土曜日

空白地を探せ

バイオミメーシス、生体模倣とかよばれます。
啓蒙書の無責任なおはなしの世界と思っていた
のですが、実際、日本の企業などでも成果をあげつつある
らしいです。
http://kaden.watch.impress.co.jp/docs/column/newtech/20120223_513674.html

素朴なレベルでは鳥にヒントを得て飛行機ができたり、
クビナガリュウがパワーショベルに化けたりといったもの
です。

でも、昔から私は思うのですが、個人レベルでも生き物に
学ぶということはできるような気がするのです。

古くは中国の気功です。五禽戯といってクマなど動物のポーズ
をまねたものがあります。

気功は特殊な例ですが、生き物のやり方の中に個人レベルで
応用できるヒントが隠されているような気がします。

そこで今日のお題、「空白地を探せ」です。

テーマはラン科植物の進化をヒントにすることです。

昨今はモノも情報もすっかり過剰になってしまって、市場は
飽和状態です。「ほしいものがほしい」というコピーがあったのは
80年代。もうその頃から飽和状態でした。

私はモノを生産する立場にはありませんが、インターネットの片隅で
せっせと情報生産に励んでいます。まあ「これ」を情報とみるならば
なのですが、、、、

なんとなくネットの世界は熱帯雨林に似ています。そこで思い出す
のはなぜかラン科植物なのです。

ラン科植物はキク科とともにもっとも進化した植物のグループといわれ
ます。そして同時に一番あとから地球上に出現したグループでもあり
ます。

おいしい場所は先住の植物で占められていて、なおかつ種数の多い
激戦地の熱帯雨林です。

でも、そういう場にも空白地はあるものです。樹上です。樹上に生える
シダやコケの類もあるので厳密には空白地とはいえないかもしれま
せんがラン科植物は競争の少ない樹上の環境に適応して、大繁栄
しました。カトレアも胡蝶蘭もそういうランの一つです。

激戦地状態で一見隙間がないように見える場にも盲点になっている
場があるような気がするのです。具体的にはわからないのですが。

ちなみにラン科植物の場合は樹上に適応するために貯水組織を
発達させるとか種子を微細にして風で運ばれやすくするなどの企業
努力というか進化をさせました。

激戦地状態のフィールドでもいくつかの条件をクリアすることによって
開けてくる空白地があるのかもしれません。

ただ残念なことに生物に学ぶといってもある種のたとえでしかない
ために具体的な答えにはならないことです。

でも、たとえにすぎないことでもいくつかのたとえをもやもやと
漂わせていたら具体的なアイデアとなって降りてくることはあるか
と思います。私は読書するときにいつもそういう欲をもちながら
読んでいます。

生活記録としての「ここ」

「ここ」は結局どういう「場」なのか?と考えてみたときに思いつくのは
非定型精神病と診断された人が日々何を思って暮らしているのか?
ということを書く場として設定しています。

「診断された」というビミョーな表現を使うのは状態は比較的良好で
生活上あまり困らないからです。でも、思い出したように状態は崩れて
「やっぱり」病人なのかと再確認します。そのあたりのビミョーさ加減が
生殺し状態のようでもあり、サボッっているようにもみえるのです。

まあ、積極的に捉えるとできること、楽しめることが多いです。その分
欲も出てきます。本人の力も試されているわけですけど、その先に
また越すに越されぬ峠があるようで、自分の力の及ばなさを感じるの
です。

いろいろ書くことに意味を感じていることの一つは患者像ってたぶん
時代により、地域により違うらしいことを知ったことです。

時代によりというのは、発病してから、病院に担ぎ込まれるまでの期間
が年々短くなって、早期治療が可能になって、状態の良好な患者が増
えていることです。

地域によりというのはかつては都市部と農村部では患者像が違ったら
しいことです。大都市と地方都市、県庁所在地と周辺小都市ではどん
なだかまでは私は知りません。そして、都会化、郊外化の進む現在
どういう風になっているか?これもよく知りません。

患者が目にすることのできる情報も時代、地域により違いがあること
でしょう。こういうのも患者像に違いを与えるかもしれません。

ネットの時代になって、患者の抱く欲望、こういうのも何かしら影響を
与えることでしょう。自己表現そのものの欲、そしてあわよくばといった
欲、人それぞれでしょう。

私などは欲望の塊といった風情でしょう。気分の盛り上がりのなせる
技かもしれません。誇大妄想とまではいかないにしても、みっともない
カンチガイをそこここで起こしていることを意識せずにはいられません。

そういうみっともない部分も正直に映していくことでしょう。欲望を抱くこと
も人間臭いことなのかもしれないし、幸せな部類なのかもしれません。

いづれはやはり苦海に沈んでいくさだめのキリギリスなのかもしれません。
まあ、何かしら新しい記録が続くうちは、とりあえずは記録かけるような
状態にあるということだけは確かなことだと思います。

会うは別れの始めといいます。どういう形でみなさんの前から去るのかは
知る由もないのですが、袖振り合うも他生の縁とも言いますし、同行二人
ともいいます。とくに遠くの人へのメッセージとしておきます。

2012年11月16日金曜日

大陸的

そういえば、いい意味でのアバウトさは父もそうだった。
父は「大陸的」と表現していた。

父方の曽祖父はもちろん徳之島の伊仙町に住んでいた
のだけど畑では米が獲れなくて、麦をつくっていたらしい。
貧乏で、体も弱く、祖父が小さいときに亡くなったらしい。
正直一本な人で、魚を釣ってタバコと交換して楽しむ
そんな感じだったらしい。貨幣経済の一方で物々交換
の比重も大きかったのかもしれない。

祖父は曾祖母がカイコの飼育などを正業にして育てた
みたいだった。祖父は船乗りになり、父のいうには日本
国中の港は回ったかもしれないということだった。
1900年代くらいに祖父母とも生まれて、二人は徳之島
で結婚ののちに祖父は台湾で警察官になったらしい。

父が生まれたのは台湾の苗栗県の大湖というところだ。
今はイチゴの産地として台湾では有名らしい。
父が生まれたのは大正15年で同じ年に昭和に代わる
1926年のことだ。太湖は急峻な脊梁山脈にやや近い
ところにあり、近くに蕃社と呼ばれる、少数民族の集落
があった。父は当時蕃人と呼ばれていた少数民族も小学校
で同級生だったりして友達であり、蕃社にもいったことが
あると話していた。

祖父はそういう地区で警察官をしていた。蕃人は素朴
であり、漢人と交易をするときによくだまされていて、
そういうトラブルのときの面倒も祖父はみたりして、尊敬
されていたと父は話していた。

台湾、戦前、警察官、蕃人とキーワードを並べれば
霧社事件という大事件があるのだけど、祖父はどう
いう思いで警察官を当時していたかは私は聞かず
じまいだった。ききそびれてしまった。

父からはは大変気をつかってたようだと話はきいた
けど、それ以上の話はこっちも聞かずじまいだった。

お題の「大陸的」という言葉は台湾人のもついい
意味でのおおらかさみたいなニュアンスのような
気がする。台湾も島なので「大陸的」というのは
変なのだけど、父の中では漢民族というのは
おおらかで「大陸的」なのかもしれない。漢民族は
悠久の歴史を背景にして日本人よりも長期的な視点で
ものを考える。内地の日本人は父のことばでいうと
「せかせか」していて「みみっちい」らしい。

父のモットーはじたばたしないということだったかも
しれない。「ユタっと」しなさいと言われたことが何度
となくある。父の最終学歴は台北工業という高校だった。

何もしらない私は高卒なのかとなんとなく思っていた。
検索してみると当時の台北工業は今は国立台北科技大学
となっていた。台湾の東工大にあたる大学。
父は終戦後もしばらく台湾に留め置かれて、引き上げる
のが遅かった。終戦当時20才、祖父母もそうだけど、
終戦前後で人生が変わり、時代の波に翻弄されたの
だろうかと私は大人になってなんとなく思った。

正確に認識し正確に表現することができない

民族誌とか書いている人はスゴイと思う。
ひきかえ、私が観察日記つけても質的データとしては使えない。

書いていてわかることは正確に認識し、正確に表現することが
むずかしいということ。

大体ノートの取り方さえ下手だ。たぶん基本からなっていない。
どっちかというとノートはあんまりとらないほうでさえある。
本の抜書きならよくやっている。

だから、ものを書くときは記憶に頼って書いている。
そして、またその記憶というものが曖昧なのだ。いつも書いている
ように霞がかかった感じがしている。

ほかの人の記憶というものはどういうものなのだろうか?
ほかの人と私の共通の思い出を聞くとき、相手の記憶の正確さに
驚くことが多い、裏を返せば私の記憶は不正確である。

何か認知の問題を抱えているのだろうか?統合失調症圏の人は
ワーキングメモリーに問題を抱えていると聞いたことがある。
ワーキングメモリーというのは作業記憶みたいなものだ。いわば
脳の中の作業台。

その一方で過集中というものがある。ADDとかの人に見られる
現象で、興味のあるものにサーチライトが当たるように集中する。
おおざっぱにいえば加齢とともにものごとへの情熱みたいなもの
はゆるやかに減少しているのをときどき感じるのだけど、相変わらず
過集中することもある。

ワーキングメモリーの不備と過集中が合わさると周りにも本人にも
理解しにくい状態になる。アタマがいいようにも悪いようにもみえる
こと。

また、お題に戻るけど、正確に認識し、正確に表現することができない
ような気がする。必要に迫られれば、しなければ、と思い詰め、そういう
ことの連続が、一面としてのくそまじめな印象を形づくるのかもしれない。

一方で、生理的な制約として、そういうことができないことがいいかげん
な奴という印象も形作る。

第一印象は良すぎて、だんだん落ちていくというパターンが多い。
そういう感じで社会関係が悪くなりがちだ。自分史ふりかえっても
背景としての社会的不適応がありそうな感じがする。その時々で
強弱はあったとしても。


正確に認識し、正確に表現できないとすれば、妄想的になったり、
社会関係がうまくいかなかったりすると思うのだけどどうだろう?

たぶん今のところはゆらぎの範囲で収まっているのではないだろう
か?

桜島ユースホステル時代も雑用でヘマばかりしていて、
「アタマはいいけど、知恵がない」とか
「バカとはさみは使いよう」とかいろいろ言われたけど、
くってかかるほうでないので使いやすいと言われた。

一方、流れ着くようにしてそこで働きはじめた人が二人くらい
いたのだけど、それぞれココロになんらかの問題を抱えていて
不適応だった。私とそれらの人の間に働きつづけられるか、
辞めなくてはならないはめになるのかの境界線があったような
印象だった。

「自分は正しい」と思えたことがあまりない、そういう独善的な
立場に立てる人がうらやましく感じることさえある。

口げんかも一般に弱い。どこか論理に不備が出てしまう。
簡単に突っ込まれる。

ある意味今まで書いてきた面がバランス感覚によい影響を
与えているような気がする。ゆるぎない自分がいるというよりも
ヤジロベエのようにいつもバランスとりながら、ゆらゆら揺れながら
存在しているのかもしれない。

2012年11月15日木曜日

唯物論と神秘主義の狭間

私は唯物論と神秘主義の狭間にいる感じがよくします。
唯物論と神秘主義を統合しようなどと思い上がったことを
考えているわけではいません。むしろ、たえず感じる揺れ動き
です。

こういうのはキリスト教の方々から見ればようするに魂が迷って
いるということなのかもしれません。迷える子羊だと。

信仰の道を選ぶ人はなんらかの体験があって、そういう道を
選ばれたのかもしれません。

でも私は自分の体験を相対化しちゃったのです。
生物学的に考えてみてもある意味「自然の恵み」だったの
かもしれません。すべての悩みを大いなるものに任せることが
できれば、人生の重荷のいくばくかは楽になるでしょう。というよりも
重すぎる重荷はそういう風にしてしか背負いきれないのかもしれません。

相対化することによって、神秘的な体験、神秘的な世界は
能面のようにうつろなものになりました。世界の問題ではなく、
受け手の問題に。妄想物語も受け手の反応になりました。

桜島ユースホステル時代に霊感体質をもった相棒としばらく仕事
してました。心霊現象の話は面白かったけど、心霊現象の背景に
霊界みたいな世界を想像するのは難しい話でした。むしろイメージ
体験としての霊界体験なら信用できました。そういう見方で
スェーデンボルグの霊界体験談を読むのは有益です。
コレスポンデンス(万物照応)とか面白い概念が出てきます。

桜島の相棒の話を聞いていくと、暗闇などが一種のスクリーンに
なって無意識の水位が上がってきたために立ち現れる幻覚のように
幽霊というものが感じられました。ニャーっと笑う幽霊に人格というもの
を感じることができず、たとえ感じられても夢の登場人物のもっている
程度の人格だと思いました。

決定的だったのは相棒の話では幽霊が出てくる一瞬前に「来る」と
直観するのだそうです。私はそこに意識水準の低下を見て取りました。

相棒の話では心霊現象もキツくなると幽霊と話ができるようになるとの
ことでした。相棒の友達がそういう感じになり、霊能者の人に相談に
いったのだそうです。霊能者はいろいろ処置してくれるのですが、
そのたびに幽霊のほうも強力になっていったのだそうです。いたちごっこ
のように。私も入眠時幻覚には悩まされるたちなのですが、私は「生理学
的」に解釈して簡単に解決です。入眠時幻覚に出てくる「妖怪」と本物の
幽霊は違うという友人もいます。こうなると霊感体質でない私はどうにも
答えられません。

では、私はすべてを割り切っているのか?という質問にもなるのですけど、
世界の豊かさというものを見たときにそこに積み木細工以上の何かをどう
しても見てしまうのです。とはいっても量子力学の不思議っぽさからいきなり
神秘主義的世界観に短絡しているのではありません。われわれの住む日常
の世界からかけ離れているというだけで、超ミクロの世界も慣れてしまえば
そういうものだと受け止められるのだと思います。

人間原理とか自然界の秩序とか科学は「なぜ」に対して答えてくれないとか
よく考えれば不思議なことがいろいろあります。でも、そういう不思議さは
ふつうは生物の世界止まりで人間臭い世界に入ってくると無秩序な俗っぽ
さが目立ちはじめます。でも病気の世界を体験すると親、兄弟、友達、
日常の身辺のごたごたした世界にまで人間原理やら自然界の秩序のよう
な整序された世界が及んできてそういうものを直観すると「この世界は
仕組まれているのだ」と恐怖したりするのです。

非日常的なひとときの小さな病的世界(トレマ期とでもいうのかな)、
それで一瞬怖い感じがして、でも、一応体験とは距離がとれていて
能面と普段は解釈しているわけです。能面のように受け手のこころ
の状態によって見え方が変わってくるというニュアンスです。

ながながととりとめもなく書きましたけど、そういうのが私の世界観です。
微妙なところでバランスが取れているといえば取れているのかもしれません。

鹿大 博物館 特別展 学習会 小濱先生

今日はボランティアではなく、純粋にお客さんとして鹿児島大学総合研究博物館
の特別展「錦江湾奥の自然と人とのかかわり」の学習会に参加しました。

今日のお題は『 麑海魚譜』(げいかいぎょふ) についてという話で小濱亜由美先生
によるお話でした。ちなみに麑って鹿児島のことなのだそうです。
午前はサポートネットラグーナでブータンの精神科医の先生のお話で、午後は
『 麑海魚譜』。なんとも贅沢な一日です。

全然関係ありませんが、私、催しものにはたまに参加するのですが記録に残すべき
かそういうことは余計なお世話で有難迷惑なのかいつも判断に迷うのです。
ちなみにしばらく前には紫原のMizuho Ohshiro ギャラリーで榮水亜樹展の
プレオープンパーティがあり、いつもの調子で作家さんにいろんな質問なげて、
答えてもらいました。そういうのを記録すべきか、そんなことはしないほうがいいのか
とても悩むところです。貴重な記録ともいえるし、不正確かつ有害な情報にもなりかね
ないしそのあたりの兼ね合いです。また、記録に残されるとなると余計な緊張をあたえ
かねません。リラックスした感じでカジュアルなやりとりというせっかくの雰囲気が壊れ
るのかもしれません。でも、私が質問して引き出したことはことによると作家さんを理解
するために重要な情報にもなるかもしれなくて、、、いつも悩むのです。

先日はやはり特別展の学習会で塚原潤三先生の 「若尊カルデラの
サツマハオリムシについて」という話でサツマハオリムシについての知らない話が一杯
聞けました。私は昔、かごしま水族館で解説ボランティアをやっていて、サツマハオリム
シのコーナーに立ってもっともらしい解説をしていたこともあるのですが、まだまだ知らな
いことだらけでした。雄雌あるとか、サツマハオリムシは鹿児島湾で進化したというよりは、
母体になる集団がどこかにいて鹿児島湾で馴化されたと解釈したほうがよさそうだとか気
になる話満載でした。サツマハオリムシってよその県ではどの位知名度あるのでしょうね。
そのへんも気になるので話はこのへんにします。

『 麑海魚譜』のほうもごく一部の人しか知らないかもしれませんね。暇な人はぐぐってみて
ください。鹿児島県って考えてみれば不思議な県ですね。日本の周縁ですけど、自然関係、
歴史関係、文化関係マニアックなもの満載です。別の意味で情報に恵まれているのかも。
それで昔、私が桜島ユースホステルでヘルパーやってたころに東京から来られた人から
こういわれたのです。「鹿児島は自分の県の産物で研究が成り立つからいいですね。
東京はたしかに日本での文化の中心の一つかもしれませんがたいていのものはよそから
持ってきたものです。」その話は桜島ユース時代に旅人から聞いた話の中でもっとも印象
に残った話の一つです。

ながながと違う話して、やっと本題の『 麑海魚譜』に移ります。私は鹿大博物館の植物標
本室でデータ入力のパート何年もやっていて鹿児島の植物の本草学のほうにも『質問本草』
というものがあった関係などで博物学や『 麑海魚譜』もちょっとだけ気になるのでした。最近
は日本人の自然観の源が気になって鹿児島大学の図書館で中国の六朝時代についての研
究書とかちらちら読んでいます。山水画や江戸時代の池大雅とかも興味あります。まあ、いつ
もの雑学的な興味ですけどね。単なる素人のディレッタンティズムです。

博物画で関心があることの一つは格物窮理との関係です。実用的、あるいは美的な関心で
細密画を書いたのか、それとも裏側に思想的なものがあって、正確に表現することによって
ものがわかること、把握すること、突き詰めていえば物事の真理を究めること、そういうこと
と関係あるのだろうか?という疑問です。格物窮理についてはいろいろ参考書はあるの
でしょうけど、井筒俊彦の『意識と本質』という本の中に書いている説明が
現代人としてはいちばんしっくりきました。井筒俊彦の考え方は東洋思想を古びたものとして
ではなく、現代的な読み方で生き返らせようという発想だと思います。清水博の本などにも影
響を与えていて、将来に天才が現れればなのですけど、生命論の新しいパラダイムを生むか
もしれないという期待があります。話がずれてきそうなのでこの話はこのへんで。

例によって私は『 麑海魚譜』の話をされた小濵先生にも質問投げて、当時の魚譜など、
博物学の細密画に現れている自然主義は当時の日本画の世界で流通していた自然主義
の手法が博物画に影響を与えていたのか逆に、博物画を作成する際の自然観察の手法
が当時の日本画の花鳥画などに影響を与えたのか?そういう風な話でした。

難しい内容の質問だったらしく、若冲など当時の日本画の世界にも自然主義的な画風の
人はいて、一方博物学のほうでも自然観察の手法があったので相互浸透的な様相だった
のではないかという話でした。

私がそういう質問をしたのは西欧の博物学と自然主義の間にも似たような影響関係が
あったからでした。西欧では博物学による自然観察の手法はラファエル前派の細密手法
に影響を与えたほか、文学の自然主義などにも影響を与えたと何かで読みました。
そして、西欧の博物学、自然愛好とシノワズリと呼ばれる中国趣味は関係があって、中国
の山水趣味なども西欧の自然愛好のルーツの一つかもしれないと何かで読みました。

相変わらず舌たらずな文章ですね。結局、この文章は何についての記録になりえるので
しょうか?この時期の地方都市における大衆への知識の普及ならびに、普及した知識を
利用して社会の周縁に存在する人がどこまでものを考えられうるかという記録なのでしょう
ね。




サポートネットラグーナ 心の力の育て方 ブータンの先生

今日のサポートネットラグーナのプログラム 「心の力の育て方」
はブータン王国の精神科医Dr.Chencho Dorji 先生ご夫妻がお客様
でした。ご主人は人柄は軽いジョークを飛ばす感じのきさくな方で
した。いろいろ話されましたが、私は例によって質問しました。
いきなりディープな質問です。

「患者さんの中には神秘的な体験を病気の体験の中でされた方
もいらっしゃると思うのですが、実は私もそういう体験をしている
のですが、そのような体験と折り合いをつけてもらうためにどんな
風に治療というか指導されているのですか?ちなみに日本では
症状のほうはお医者さんが直してくれるのですが、そういう体験
そのものはお医者さんはあまり取り合ってくれなくて自分で折り合い
つけるしかないのです。」

そうではないお医者さんも中にはいらっしゃると思うので気を悪く
された方はすみません。

そうすると「具体的にどういう体験をされたのですか?」という質問
があり、「花火がぽんぽんぽんと上がり、自分の内部の何かとひび
きあって中と外が、、、」この調子でしゃべりだすと20分ぐらいかか
ってしまうので、話を短くしようとしたら不正確になって「宇宙と
合一してしまったのです」となってしまいました。本当は以下の体験
です。いつもの話なので何度も読んだ人はスルーしてくださいね。
http://epimbi-madrigal.blogspot.jp/2010/03/1992.html

するとブータンではその手の話はよくある話みたいでした。
一つ例を挙げて話されました。

一人の少年が精神病にかかり、その病的体験の中でシバ神と合一
したそうなのです。そして、村の人々はその少年を拝み始めたそう
です。ところが、シバ神だけでなく、アクマも降りてきて、その
少年の体の中で戦いはじめたわけです。少年は在地の
シャーマンその他、お坊さんなどに処置されたのですが、うまく
治らず、Dorji 先生のところに連れてこられたという話でした。

そういう宗教色のある事例はダイレクトに精神科医のところにくる
ことはなく、シャーマン、占い師、お坊さんのところにまず行くそうです。
それでうまくいかないときに精神科医のところに回されてくるそうなので
す。そういう全体の流れの中で割と重要な要になっているのはお坊さん
で、お坊さんが判断して、西洋医学的な治療に回すか、伝統医療や
お坊さんによる癒しをほどこすか割り振っているそうです。

ちなみにブータンではブータン人の精神科医はDorji 先生ともう一人
いて、あと何人か外国人の精神科医がいて、伝統医療のお医者さん
がたくさんいらっしゃるのだそうです。

それで、特に宗教色のある病的体験に限らず、伝統医療のお医者さん
やお坊さんと共同作業のような感じで精神病者を治療していくのだそう
です。魂の問題のような精神的な問題についてもちゃんとケアのできる
お坊さんのような人たちも必要だと言っていました。そのあたり連携が
とれているように私は印象を受けました。

「医者半分、ユタ半分」という言葉が南島の患者の世界にはあるみたい
ですけど、そんな感じなのでしょうね。

ところで、サポートネッラグーナのコンピュータ関連のスタッフのY先生
とあとで立ち話しました。「神秘的な体験」を巡ってです。

Y先生は精神病者の中で起こる神秘的な体験はシャーマンやお坊さん
などが体験する神秘体験と同質のものではないかとおっしゃいました。
私は次のように答えました。ただ、患者のほうは体験に先立つ準備なしに、
偶然向こうからそういう体験が降りかかってくるわけで、受け止めきれなくて、
パニックになってしまって、病的なイメージや妄想物語が患者の内から引き
出されるのではないのでしょうかと。

Y先生はそういう体験があったときに医学的に処理するか、宗教にいくか
という選択はあったとしてもその間のようなものがないのが問題だと言って
おられました。結局、その手の体験をしても、患者さんは封印したり、誰にも
言えなかったり、話すことを止められたりするということでした。

やはり私の場合も現代に生きるという前提の中でどう折り合いをつけるかと
いうところが積み残しの問題かもしれません。あれは脳の機能不全による
生理的な現象に過ぎないと自分に言い聞かせたとしても、またそう思い込もう
としたとしても本音のレベルで思っていない以上、何かまた精神現象がおきた
ら昔の妄想物語が噴出してくるのでしょう。もっとも私の場合は十分に年をとって
いるので病気のエネルギーというのも低くなって、再発の恐れというのはあまり
日常感じてはいないのですけども。

プログラムが終わり、帰りしなにDorji 先生の奥様が私のほうに駆け寄ってきて
ブータンのお札をくれました。ブータンの風習で「元気でいてくださいね。」みたい
な感じでお札をあげる風習があるようです。おやさしい方だと思いました。

P.S  今日の話、通訳の人もおられて、よく通訳していただいたのですが、私の
ほうが記憶が曖昧だったりして、記録した話は不正確です。そのへんをご理解
して読んでいただけるとありがたいです。つたない文ですみません。

2012年11月14日水曜日

自分が書いていることがどの程度正しいのかサッパリわかりません

長々とブログ書いているのですが、一つ不安なことがあるのです。
それは病気について自分が書いていることがどの程度正しいのかなということ
です。
不審の要になっていることはところどころ書いている
「構え」という言葉と関係しています。

知らないうちにある種の「構え」ができてしまい、不自然な
状態になり、無意識の詐欺師になってしまっている可能性です。

ある種の「ミュンヒハウゼン症候群」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%BC%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

医学用語の雑学があること自体がクサいのです。

それと元来学生のころからカウンセリングなど心理学の雑学をため込んでいた
ことも気になります。

とくに大学院の2年間はカウンセリング関係の本を本職以上にぼりぼり読む
毎日でした。神経消耗気味だったのです。
「ボーダーライン」という用語に私はご執心で、意味もわからず、
自分は「ボーダーライン」に違いないと解釈していたのです。精神病と神経症の
境界くらいの意味で知っていて、「ボーダーライン」が対他的にも厄介な病気で
あることなど知らなかったのです。おまけに精神医学のほうの知識はさっぱり
でした。まあ、学生時にしってたのはロジャーズ関連の読みやすい本と
「ボーダーライン」関連の読みやすい本ですね。

制度としての精神医学のことはよくわからないのですが、
もしかしたら、精神病が再発したら操作的に一生「精神病」
というラベルがつくのかもしれません。体の状態とは無関係に。

薬のおかげで正常をたもっているのか、単に予防のために
飲んでいるのか未だにわかりません。

薬は飲み続けていると体の代謝系に組み込まれてしまい、
薬が切れると調子が悪くなりやすいです。たいてい鬱っぽくなります。

症状は消えても病気の根は残っているという説明を受けることも
あります。そのあたりが実にファジーな感じで生殺しのような状態
でもあります。患者です、と言い立てるには元気で、障碍もってます
というにはおこがましいのです。

そういうわけで健康体とも病人ともいえず、なんだかその狭間にいる
周縁的な状態がもう何年ともなく続いています。

で、つけられた病名というラベルがなんだか不自然な「構え」を
作っているのではないかという疑いが晴れないのです。

そういうわけで、このブログに書かれている多くのことはほかの情報
と相互比較しながら裏をとっていかないと使えないと思います。
ただ非定型精神病自体の情報が少ないのが問題なのですよね。



ちょうどいい感じ 関係調和

30才前後のいつ頃は忘れたけど、偶然の一致が頻発するように
感じられた一時期がありました。

図書館で偶然開いた本に最近考え込んでいたことについて
の答えにあたる文句が書いてあったり、というようなことが
典型的です。答えじゃなくてヒントのことも多かったけど、、、
そのあたりが今日の話の伏線です。

そういう文句と本の中で出会ったとき、その文句は私のこと
を知っていたのではないかとか待っていたのではないかとか
つい思うものでした。

連鎖的にそういう出来事がおこれば、何やら本たちの世界と
自分と神秘的な関係があるような気がしてくるものです。

考え込んでいることの答えは本ばかりでなく、テレビでも
新聞でも映画でもありました。

何しろ朝刊にそのものズバリの写真がでかでかと載って
いるのです。近くにある見出しもなにやら意味深です。

関係妄想という用語はもちろんその頃には知っていたの
ですが、出来事ともある程度は距離は取れていたので、
そういう世界を自然に受け入れるようになっていました。

私は関係妄想と呼ぶかわりに関係調和とココロの中で
呼んでいました。そして、ぴったり一致した出来事は
「ちょうどいい」とこれまたココロの中で呼んでいました。

でも、外側にはとり立てて何も変わった様子は見せません
でした。とくに家族には。なんとなく二重生活を送っていた
のです。

その頃は、あちら側とこちら側の境目をうろうろするような
感じのひとときが何度もありました。

世界=ココロがあちら側になったとき、世間のものごととか
世間にあふれている広告などの図像、文字なのが意味深
にときには裏の意味がありありと立ち上ってくるのです。

最初の一回か二回は世界がお祭り状態でした。ただし、
その頃には祝祭という精神病用語は知っていたので、
少し構えができていたのかもしれません。

恐怖感8割、わくわく感2割くらいでした。深々と体験して
しまうとあちら側に引き込まれてしまうのではないかという
恐怖感があって、そういう症状が出たときには外にはあまり
出歩かないで家に引っ込んでました。

でも、慣れというものも出てくるのです。新鮮さと引き換えに
です。印象は弱くなるのですが恐怖感は減り、わくわく感が
大きくなり、あちら側とこちら側の境界(その頃、成層圏と
そこを呼んでいました。)を観察してやろうと思い始めるのです。

観察の記録などしていないし、記憶のほうもどんどんぼんやり
していく一方ですけど、世間の事物をロールシャッハの染みで
も見ているような感じで無意識の水位があがってくるとその上
にいろんなイメージが立ち昇ってくる感じですね。

そこでは偶然の一致なども重要な演出になるのですけど、
いつのころからかこんな解釈をしはじめました。

外側のもやもやしたイメージと内側のもやもやしたイメージの
間に橋がかかるのだと。厳密な一致というより、外側の事物の
イメージも曖昧で、内側にで考え込んでいるもののイメージも
曖昧、内側で考え込んでいることの答えではなくてヒントまで
含めてしまうとずいぶん甘くなって橋はかかりやすくなるのでは
ないかと。しまいには「構え」までできてしまって簡単に関係づけ
してしまうのではないかと。

30代も半ばすぎてしまうとだんだんそのような現象もめっきり
少なくなり、40代に入るとめったに起こらなくなりました。
時を同じくして、夢魔その他、入眠時幻覚のときの妖怪たち、
明晰夢などとも縁遠くなりました。

精神病によるゆらぎとアタマの鈍さについて

漢字の書き取り、書き順、計算プリント、、、小学一年次の
その手の作業はさぼっていた。机につくという習慣はあん
まりなかった。虫取りならぬトカゲとりやおたまじゃくし掬い
ばかりしていた。

中学へあがってもまじめに机につくタイプではなかった。
落着きがなく、忘れ物ばかりする、そんなタイプだった。
英語はあっという間に落ちこぼれてしまった。数学も
そんな感じだった。

そういうわけなので勉学については基礎がなっていない。
これは大人になって取り返しのつくものではなく、言葉の
切れなさ、論理の弱さとして私に染みついたものだ。

精神病になった。ちょうど大学が終わって、社会人になる
境目のところで。真理を悟ったというのは大げさすぎるの
だけど、カケラみたいなものみた感じがした。

それでも、それはカケラというよりもガラクタ程度のもの
であるということはしばらく前のエントリーをみてもらうと
よくわかると思う。このあたりの話です。

たぶん、発見した内容というよりも、この世界には何かしら秘密
があるというのを直観したことに意味があったのだと思う。

それ以来、本を学生のときよりも読むようになった。
読む本はわりと広い分野かもしれない。

でも、私は書いているようにデキるほうの人間ではない。
「アタマがよくなった」という主観的な感覚とは裏腹に客観的には
能力障碍がおそらくあり、適性検査では適性が合う仕事がほと
んど見つからなかった。

あとになって気づいたことだけど、本を読んでも記憶にはあまり
残らず、霞がかかったように曖昧になり、知識として取り出せない
ことが多かった。

それでもめげず、というか本を読む喜びまでは奪われなかったの
で相変わらず本は読み続けている。再認(読んだときに、これ前
読んだことがあるとわかるようなこと)はできるのでそれなりに
読むのは楽しいのだった。

記憶障碍とっても生活に困るほどのものではなく、気にすれば
気になるというくらい。仕事になると困りそうだけど、今さしあたり
困っていない。


「精神病者のアタマの中」というとショッキングな内容だったり、
意味不明だったり想像されそうなのだけどどうなのだろう?

逆に地味なことが多いような気がする。とはいえ、体験によって
はオカルト趣味に走ったり、宗教関係の路を巡ったりする。
私もまったくその気がないとはいえないけれど。

新世紀に入ってなのか、自分の体験を相対化できる人が増えている
のではないかとなんとなく思う。内側でおこった体験なのか外側の
現象なのか峻別というよりは留保できるような。

私も留保組だと思う。でも、割り切るところまではいってなくて、
不確定な状態を愉しむというか。一種のロマンチシズム、
唯物論的な考え方では荒涼としすぎるというか。でも、その影響
は深々と受けている。いちいちの偶然をカミサマの摂理と受け取る
という感じにはいきそうにない。さりとてカミサマの正体はサイコロだ
と受け取るのも寂しすぎ。

書いたばかりのことを裏切るようだけど、いちいちの偶然の出来事の
タイミングが内的な何かとぴったりあってしまう感じがするひとときが
たまにある。能面のほほえみのように世間が不気味化する。不気味
ではあっても魅惑的でもあり、天上的な何かでさえある。それも一応
は留保する。世間と能面とサイコロとカミサマが交差する。

感覚としては座標空間上を普段うろうろしている感じで普段は座標が
きりのいい数字ではないので、座標を意識しない(357.89、 47.43)
みたいな感じかな。キリのいい座標上に止まったら座標というものを
意識するのではないだろうか。空間上の秩序というか。
(120.00, 240.00)みたいなとき。空間上に秩序があることを直観する
わけ。そんな感じで普段、無関係な出来事はランダムに動いていて
そこに何も感じることはないけど、きりのいい座標にとまると、空間、
時間軸上の秩序を感じて、恐怖する、そんな感じかな。たぶん多く
の人には意味不明だと思うし、同じような体験した人でも違う説明
を好むかもしれないので、単なる参考まで。


2012年11月13日火曜日

真実の鏡にうつるおぞましい自分

具体的なことは書きたくない。
でも、誠実に自分のこころを覗き込むとそんなにいいものは
見えてこない。

たとえば誰にでもある性欲関係、こういうのを意識化するのは
やめにしておいたほうがいいのかもしれない。どんな魔物が
隠れているかわかったものではない。かといって抑圧しても
いいのかどうかわからない。ただ個人的にはあけすけに語る
ほうではないので、このへんで勘弁を。

どろどろした怨念関連、イジメを受けていたので過去に関する
怨念は心の底に澱のように溜まっている。深酒して、記憶が
とぶと「ばっかやろー」とか言いながら暴れだすらしい。といって
も喧嘩弱いのでまわりからぼこぼこにされてしまいなのだけど。
で、朝目覚めてみると「スッキリ」して起き上がる。まわりの人
はシラけている。「夕べ何やったか、覚えてる?」とくる。
ちなみに最近はお酒は飲みません。先の話は学生の頃の話。

カトリックには告解という制度があるらしい。罪の告白という
ものである。私はイジメを受けていたばかりでなく、かつて
加害者でもあった。本当に当時の人には悪いことをしたと思う。
許してほしいなどと虫のいいことはいえないけど、せめてもの
こととして極力忘れないようにしたいと思う。水に流すという
いいかたは好きではない。たぶん受けたほうは忘れられない
だろうし、事実そのものは消えはしないのだから。ほかにも
忘れてはいけないことはいろいろあると思うのだけど、
具体的なことは勘弁してほしい。

最後に正直に自分の暗部を書くと(書いてはいないのだけど)
一部の人には誠実そうにみえるのじゃないかという計算は
どこかで働いていると思う。そういう心の汚さも暴露したい。
そしてそういう風に書きながら心の汚れなさ、純粋さにうっとり
している自分もいる。やはり自分の中に一匹の魔物を飼って
いるのだと思う。まあ、多くの人はそういうものかもしれないけれど。

P.S 『ネバーエンディングストーリー』に出てくる「真実の鏡」とは
自分を凝視するもう一人の自分ということかもしれない。
裁判でもするように厳しくやればやるほど、ほとんど拷問のよう
な世界になってくる。私もそこまでは自分に向き合えない。
他者に上手に利用されるとマインドコントロールの道具と
されかねない。

2012年11月12日月曜日

静かなる演劇 日本の現在に活きるアニミズム

場における構成要素みたいなもの、たとえば舞台の上の大道具
小道具など、そういうものも役者として捉えてみる。俳優同志が存在感
を競い合いながら舞台上で演じているように、人間以外の舞台上の
構成要素も一種の役者として、ほかの構成要素と存在感を競っている
そういう見方は成り立つのだろうか。いわば背景も静かなる演劇を
しているみたいな見方。

そういう見方で世間を見渡すとものの見え方がずいぶん変わる。
人によってはバス停や信号機、踏切の遮断機にまで人間性みたいな
ものを感情移入できるような人もいるけど、そういった見方を全方位に
拡張してみる。するとどういう風景がみえてくるのだろう。

各家庭のテーブルの上には醤油だのコショウだの新聞などが乗っかっている
テーブルも舞台であり、その上で日々演劇が上演されている。

雑誌の中でも、新聞の中でも、記事たちが、あるいは記事の中で文字列が
単語が劇を演じている。

写真や絵の中はもちろんだ。音楽のモチーフも役者。究極的には点や線、
その他、数学的対象も役者、そういう見方でまわりの景色をみることは
できないのだろうか?

たとえば売り場を舞台とみたときにそういう見方をする人はいるのか検索
してみた。ほどなく見つかった。もちろん商品が役者なのだ。
http://blog.goo.ne.jp/magokoroshoho/e/c2e3a3cd2b99ca5edbbdd64f28d97125

こうした見方は単なるたとえなのかもしれない。
でも詩的なレベルでは今もアニミズムは活きているような気がする。
活き魚のように「殺されて」活かされる微妙さみたいなものはあるけれど。

京都人の料理における始末の思想その他、日本では生きるという言葉と
活きるという言葉がおなじ音だ。建築の世界でも「活きる」という言葉は
大活躍する。言葉が「活躍」するのである。そのあたりの感覚を取り戻して
世界をいきいきさせたい。

メディアシステム全体にとっての重要度

コンテンツの寿命が短くなっているそうだ。
今はストック型のコンテンツ消費からフロー型のコンテンツ消費への
過渡期らしい。http://www.coprosystem.co.jp/marketingblog/2012/03/02.html

発想は飛躍するけど、なんだかミームとジーンが似通ってくるのを感じる。
コンテンツ=テクストも文化遺伝子と読めるのだけど、
遺伝子のほうはあってもなくても困らない、控えの遺伝子があるものから、
よりシステムに深く組み込まれているものまでいろいろあるみたいだ。

学生のころに習ったのは染色体を構成しているヒストンと呼ばれるタンパクで
細胞にとって死活的に重要なもので、このタンパクをコードしているDNAも
同じく死活的に重要なものだ。要するにシステムに深く組み込まれている。

そんな感じでコンテンツにもメディアシステム全体に深く組み込まれていて
死活的に重要な意味をもつものから周縁的なコンテンツまで様々だろう。

コンテンツの練り上げとはメディアシステムの周縁部から中心部に至る
情報生態系の上流のほうに移動していくことなのかもしれない。

メディアシステム全体を超巨大な舞台と考えるとそれぞれのコンテンツは
舞台の上の役者みたいなもので、まあ舞台というよりは舞台としての世界
というふうな感じだと思う。

そこで今度は世界と舞台がダブってくるわけだけど、その片隅でおのおの
のコンテンツはおのおののお客さんに対して何か芸を披露してるわけだ。

「時間かえせー」とヤジが飛んできそうだけど、もうちょっと続けてみる。
ミームとジーンの混同、世界と舞台の混同はある話だけど、4つキーワード
という役者を並べてみると何かあたらしい景色が開けてきそうな感じが
するからだ。

コンテンツの意味、すなわち役柄が変わってきたり、コンテンツの生息地、
ジャンルみたいなものなのかなあ、そこにスポットライトが当たったり、、、、

イメージの世界だったり、とかアナロジー思考全開で読む人がつまらないだろうから
このへんで。あってもなくても困らない大根役者みたいなコンテンツでした。

P.S 見えない話で申し訳ないのですが、コンテンツって階層があるじゃないですか。
全体としての本、章レベル、パラグラフレベル、文字列レベル、単語レベル。
各階層それぞれが役者みたいな感じに見えてきて、上位の階層が舞台となって
演技をしているような感じに見えてくるのです。ちょうどこういうものがやはり各階層
の存在者を役者としてみたときの世界と対応して見えてきたりですね。原子、分子、
細胞、組織、個体、個体群、、、、宇宙、存在ってあるじゃないですか。

初歩の存在論レベルの話がまだ私の中では新しくて、その世界で目からうろこが
まだ落ちているのかもしれません。

対立と調和

前回のエントリーの「ちゅんちゅん ぱんぱん わんわんわん」
実にくだらない呪文ですが、すこし記憶がほどけて当時のことを
思い出しました。軽い記憶障碍があってエピソード記憶とか
病気の前のことも後のことも自信がないのですが、病気がらみ
のことはよっぽどインパクトあったのか覚えている部分もあるの
ですね。でも、前後記憶がつながらなかったり、混乱してしまって
覚えていないことも多量にあります。

2が対立で3が調和、安手の数秘術みたいな感じですが、演繹
して自分で考え付いたのだと思います。それも大したことでもない
と思うのですけども。

1992年まで学生してましたけど、本当に本を読んでいませんでした。
時代も時代でしたから、居酒屋にいったり、先輩の下宿で飲んだり、
カラオケボックスという毎日でした。宴会芸とかオバカなことをしな
がら大学入学して進級するごとにバカなことばかりするようになって
いました。

勉強以外の本なら読んだのです。筒井康隆の小説とか銀河英雄
伝説とか、その中で後から考えてみると病気の世界に影響を与えた
のではないかという本もありました。

谷恒生という人の小説群です。私、大学3年の時にアジアを周遊した
のですが、バンコク経由で帰ることは最初から予定でした。

それでふとしたことから『バンコク楽宮ホテル』というこの人の小説読んだ
のです。それで、バンコクでは落宮旅社というモデルになった安宿にも
とまり、そういう縁でこの人の小説を読むようになったのです。

この人、作家生活の前半のほうではハードボイルド調ものを書くのですが
後半、オカルト色が濃くなります。それも、大学生の私が読んでも意味が
さっぱりわからないのです。でも、無意識レベルで影響をうけて「こういう
世界もあるのだろうか?」などとわからないなりに惹きつけられるのですね。
具体的には『魍魎伝説』というシリーズです。こういう影響の受け方ってどう
なのでしょうかね。その頃の私が感受性強かったのでしょうね。

後から考えるとそのあたりが病気の世界に入る導火線のはじまりのようです。
で、さきに2が対立で3が調和などと書きましたよね。あと、善と悪の超越とか
なんとか下宿の暗い天井みながら夜中なんとなく考えていたことを思い出しま
す。哲学というには幼稚すぎなのですけど、哲学のての字もしらず、理系で
実験のため手ばかり動かしてお茶濁していた私はその位が関の山だったの
です。そして卒修論の実験とは蘭の培養細胞の凍結保存で、実験結果は
細胞レベル、組織レベルでの生死判定というのをしないといけないのです。
生命の凍結とか生とは何か?死とは何か?とか変なこと考えはじめるのです。

で、いろんなとりとめのないこと考えていって、具体的なことをつきつめると
最後は数になるなど原始人レベルのことを考えたり、物事の根源は物理で
あるとか思ったりしました。(数とは具体的なものを抽象したものと自分なりに
考えたわけですね。)とにかく後から考えると素朴なのです。素朴な発見。
でも、本を読めば自明なことも自力で考えるとなかなか手ごわいものであって、
その分発見の喜びも大きくなるものです。で、目の前から霧が晴れてきて、
いろんなことがわかるような感じがしてくるのです。目の前にあるのは袋小路
とも知らず、すばらしい明日がくるような感じがして、蜃気楼のほうにとぼとぼと
歩いていくわけです。ゆっくりゆっくりの速さだと思うのですが、修了前後に病気
の下準備が少しずつできていて、新入社員研修のときに病気の花がわっと開く
のです。ただ、前後関係の記憶は今も混乱していて、大学のときに考えてたこと
と会社に入って、会社の寮とかで考えてた内容がどれがどっちだったかまでは
今は思い出せません。後から反省するとそうなるのですね。当時は精神病につい
ては無知なので何も自分でも気づかず、周りも気づかないわけですよ。

「ちゅんちゅん ぱんぱん わんわんわん」という文句は2拍と3拍からなっています。
それが対立と調和と結びついてなにやら深淵なニュアンスを帯びていたのかも
しれません。

話は飛ぶのですが、、、、
すっかり状態が悪くなったとき、会社の人が出前でとったお寿司を私に食べさせよう
とする場面があるのですが、なぜか思い出せないのですが、手をつかわずに食べよう
として、会社の人は両手を握った場面があるのです。そのとき、2は対立で3が調和と
いう公式が効いてきて、私は振り切って、もう一人のひとを加えて、3人で輪になって
手をつないでぐるぐるダンスでもするように廻ったのです。オカしな人とダンスした
会社の人の気分はいかがだったのでしょう?でも、私にとっては世界劇みたいなもの
で3人で手をつなぐことによってはじめて世界は調和したのでした。

わかんない わかんない わかんない

「我思うゆえに我あり」、意味は知っていなくても、言葉ぐらいは誰でも知っていて
私もその一人だった。

まくらそっちのけで、いきなり病気の時の話にいってしまうのだけど、
ほとんどこの世界の人間ではありえなくなっている状態の中、
なぜか神社にいた。

ちなみにその時の神社での模様は以下の文の半分ぐらいのところに書いてます。
http://epimbi-madrigal.blogspot.jp/2010/03/1992.html

ひとときの間、サトった、ような感じがして、そのあとその状態が崩れてきて、
何やら不安な感じになったのですが、状態を立て直すつもりで
「わかんない わかんない わかんない」って連呼してたのです。
呪文みたいな感じなのだけど、病気になった当時、呪文めいた
文句はほかにもありました「ちゅんちゅん ぱんぱん わんわんわん」とか。

意味不明だけど、当時は意味はあったのです。意味にまでなっていなくて、
意味になる手前のイメージみたいなものだったのかもしれません。

それがこの世界の深淵な意味を担っているみたいで、、、、
ばかばかしいでしょ。でも当時は大真面目だったのです。
ぱんぱんは売春婦で、わんわんわんはおまわりさん。
それが何かのアナロジーでワタシの中ではこの世の真実をあらわす
深いメッセージだったのですが、まったく笑っちゃいますよね。
笑えさえもできない?、、、スルーしてください。

「わかんない わかんない わかんない」のほうは要するにすべてを
疑うというような意味だったと思います。

意識が変容した中で、そういう言葉を続けて連呼していきますと、
「我思うゆえに我あり」を通り越して、自分が何かわからなくなるのですね。
本当に特殊な精神状態。

神社の境内のアジサイに近づいたら、自分はアジサイかなあと思ったり、
アジサイの花に群れているチョウチョをみていたら、自分はチョウチョなの
かなあと思ったりですね。

それでもアジサイだと思っている我はいるわけですからデカルトも
すごいことを考えたものです。でも、当時はそういうことまで考えなくて、
「自分はアジサイなのかなあ?」でますます、自我というものが
揺らいでしまって病気の体験は深くなっていくわけです。
当然アタマはクラクラしてきて、何が何だかわからなくなるわけです。
哲学催眠みたいなもの?

別に当時、宗教的なものにハマッていたわけではなく、
哲学にも凝っていたわけでもないのです。本当にふつうの
学生が知らぬ間に蓄えている世間で流通している知識の断片
ですね、そういうものが病気の体験の中で重要な役者を演じるわけですね。

P.S 「ちゅんちゅん ぱんぱん わんわんわん」のほうは当時テレビで
「やめましょう、迷惑駐車と猿芝居」というコピーを流す面白い宣伝があって、
その中で大阪府警が出てくるのですね。その印象が強くて、何か変形された
カタチで病気のエピソードの中で出てきたのかもしれません。といっても
意味不明は意味不明なのですけども。

だから、病気の人が「この世界の秘密を知った」と思っても、
第三者的に意味のあるメッセージというよりも、本人のイメージ世界の
中で複雑にアナロジー的に絡み合いながら、その時の本人にとって
意味深長なニュアンスを獲得していくのかもしれません。
メッセージ自体に意味があるというよりも、
「この世界には秘密がある」と生理的に直観することが意味があるの
かもしれません。

2012年11月11日日曜日

患者の日々の内面の記録 意味はあるのだろうか?

患者といっても、現在は症状はすっかり落ち着いていて、たまに抑うつが
あるくらいで危なげな場面はそれほどない。

それでも日々内面は動いていて、それを書き綴っていったら患者の内面
の生活史ができあがるのだろう。

そういうものに意味はあるのだろうか?

病気のほうに焦点をさだめるともっと生々しい段階の記録のほうが面白い。
でも、自分をいたずらに見世物にしてしまうのがこのブログの目的ではない。

記録することであぶり出しにされてくる、この病気に関する疑問点や謎もある
のではないかと思うのだった。病気というよりも、この病気に罹る類型の人間
みたいなものについての興味かもしれない。

性格特性はあるらしい。熱中しやすいとか真面目すぎとか。
もしかしたら、ふつうの人の性格のどこかを強調したものが患者像なのかも
しれない。

チューリッヒの精神病院がチューリッヒ市の縮図であるというような文章を読んだ
ことがある。

動物園のように患者たちを観察してまわる趣味はどうかと思うのだけど、患者を
通して人間というものを理解するというアプローチはアリだと思う。

病気を通して学べることもあると思う。少なくとも病気との付き合い方がうまく
いっていたから自分をコントロールすることも可能になって、それほどひどい状態
を巡らなかったのかもしれない。

内省ばかりするというのもどうかと思うのだけど(たしかにそっちばかりいくのも
よくないことは分かっている)。精神医学に貢献などということも大げさすぎる。

そういう誇大なものがたりではなく、もっと小さなものがたりを考えている。
何年も先の自分に対するささやかなプレゼントとして。

この非定型精神病、基本的なところがわからない。症状は急性で苛烈、
でも予後はよいとされている。それはなぜなのだろう?現象としては記載
されていても一歩突っ込めばわからないことだらけ。

予後はよいとされている。でも苛烈な症状はあとの人生に何の影響も
残さないのか?

神秘体験の報告もある。それとシャーマニズムって何か関係あるのだろうか。
伝統的な社会ではなくなった現代、それらは単純にスピリチュアリズムの
言葉に回収されるのだろうか。もっと現代的な折り合いのつけ方はないのだろう
か。ファンタジックな詩的な世界で自分の内的な世界を表現するといっても
かならずしもそれらは出来合えのスピリチュアリズムの言葉に依存しなくても
いいのではないだろうか?

疑問はどんどんふきだしてくる。そして、答らしきものは世間にはなかったりする。
自分ごときにその答を練り上げられるだけの力量はないと思うけど、
何かを「みてしまった」以上、答にかかわるかけらくらいは内なる世界に存在
するのではないかとみている。もっともそういうことを探求するのは生物学的には
意味がないし、健康上も問題あるのかもしれないけれど、魂の問題というのは
人間性にとっての根源である。こういう問題で悩むのは仕方がない。

骨組みと肉付け 抽象的な文章はおいしくないらしい

抽象的な文章ばかり書いている。実体験がまずしく、日々図書館通いなのだから、
肉付けするための材料が手にはいらない。
アタマでっかちな状態はさっさと卒業して街あるきでもして人間観察するのがいいの
だろうか。

その気になれば自分の家の中の家財道具ながめているだけでも発見がありそう
なものだ。目の前に広がる画面の構成要素なども違う目で見られるかもしれない。

具体的には、、、?

知らないうちに自然なものとして、目の前のアイコンとかメニューとか馴染んでいる。
言葉でコマンドを打たなければならなかったとしたら、苦労するというよりも、私みたい
なものは永久にパソコンを使えなかったに違いない。

翻って、ココロというコンピュータはどうだろう?自然な感じで日本語になれ親しんでいる。
日本語をみると自動変換され、嫌でも意味がうかんでくる。この感じは考えようによっては
不気味だ。日本語で書かれたものは読める世界、脳はそれを解釈し、脳が意味を立ち上げる。

抽象的な文章を書いても自分の文章なら楽々と読めるのはなぜだろう?
そして、それが他人様による文章だったらえてして意味不明になってしまいがちなのは
なぜだろう?

それは使い始めのソフトの画面がさっぱりわからないように、他人様のものの考え方、
そしてそれが表現された文章というものがわからないためだ。

風変りなものの考え方をする人であればあるほど、その表現された世界は
なかなか読み込みにくいものになってしまう。

でも、逆に風変りと本人は思っていてもそうでもないかもしれない。同時代読んでいる
ものとか流通している考え方はある程度にかよっているのかもしれない。

また、抽象的になっちゃった。具体例といっても、できることは本を読むくらいのこと
だから、何かの劣化コピーにすぎない。

実体験は今の私の境遇ではひどく制限されている。ある種の数学科の学生が発散
する匂いに貧困さを感じるように、なんだか今の私が発散させているのも貧乏くさい
のかも。本や観念の世界が世界のすべてだとそうなってしまうのだろうか。

うまいものを食べ、旅行もたまにはしないとイメージは豊かにならないのかもしれない。
うまいものといってもうまいものの具体的な表現が出てこない。勉強のために前は
たまにグルメして、スッポンたべたりしたのだけど、舌が育っていなくて、猫に小判だ
ったような気がしてならない。質素な家庭に育ったので、たとえお金があったとしても
毎日の食事を贅沢にする気にはなれない。同じ生きるのならおいしいものを食べた
ほうがいいとか、餌のような食事をするべきではないというのはよくわかっているの
だけど。まあ、中食ばかりたべているという状態ではないし、質素なりにおいしい食事
食べているのでよしとしよう。

骨組みと書いておきながら、きちんとした骨組みの文章をかけたわけではなかった。
骨組みとあえて書くのなら、全体の構造がしっかりした文章を書きたいものだ。
構成しながら書くというやり方には慣れていない。やればできると思うのだけど、
今は流れ出るまま、つらつらと思い浮かぶことを書いている。長椅子の自由連想みたい
だ。自由連想と構成して書くという書き方は対象的だ。談話文が支離滅裂なように
読みにくい支離滅裂な文章に違いない。そういう意味ではやはり自分用の素材のような
文章のあつまりなのかもしれない。書き溜めたものから使えそうな要素を抜き出して
あらためて何か書くための準備としての文章のような。

自己分析の裏返しとしての対象分析

自己分析が一般に信用がおけず、意味がないとされている理由は
どうしても盲点が出てくること、自分には甘いことなどがあげられる。
その一方で自分のことを知りたいとか自分のことをカタチとして残したい
といった欲望、願望は多くの人に潜在的にはあるのかもしれない。

そこで使われるのは対象を設定して、対象を分析することだと思う。
そこには裏返しとして自分が出てくる。客観的に分析しようとも、表現する
言葉を選んだのは自分である。

あぶり出しのように自分が出てくるのだと思う。
そういうことは数学や物理のような普遍的な対象でも同じなのだろうか?

別に運動方程式を発見したのはニュートンでなくても後世の人は困らない。
その結果を利用するという立場なら。

そして、時代が新しくなればなるほど、業績主義になってオリンピックにおける
新記録みたいなものになるのだろう。個人というものを越えて、国威形容にな
ったり、地域を背負ったりする。

それでも、なぜその対象を選んだのか?というのは自分が出てくると思う。
単に今、流行だからというものも入れて。

抽象的なものに惹かれる人もいれば、文学のように具体性を帯びないとやる気
が起きない人もいる。単純なものに美しさを感じる人もいれば、複雑な対象に
面白さを感じる人もいる。

そのあたりの好みは生まれつきのものもあるに違いない。生得的な遺伝子の違い、
神経細胞を構成する遺伝子の違いなど。ブラックボックスであり、さっぱりわからない
ものの、親子の似ているところなどから類推してぼんやりとながら把握できる部分も
あるだろう。

世間にはいろんな対象がある。パチンコが好きな人も軟派が好きな人もいる。
ドーパミンの放出という意味においては高尚だの低俗だのといった区別はない。

それぞれの人が自分史上の行きがかりやら、単なる偶然、生理的な背景その他
にしたがって好きなものを選んでいく。熱中の具合も人それぞれだし、その結果を
どう表現するか、しないかも人それぞれ。

合わせ鏡のように自己と対象がある。男と女のように。

対象を覗き込んでいるようで実はスクリーンに映し出された自分の姿をみているの
かもしれない。対象のように映っているのは単なる媒体なのかもしれない。

ペルソナとしてのブログ アニマとしてのブログ

ブログ上に表現されたものって一体何なのだろうか?
一種の社会的な仮面であって、ペルソナに近いものかもしれない。

前提として視線としての社会みたいなものがあって、視線みたいな
ものが集中すればするほど社会的な要素が大きくなって、どういう
風に見せるかという神経を使うものになる。

これは都会の人のブログと田舎の人のブログとでも若干違うかも
しれないし、男の人のブログ、女の人のブログでも違うかもしれない。

同じ女の人でも、容姿などの影響も帯びてくるかもしれない。他人にどう
見えるかということに気を配る人であればあるほど、他人を意識したもの
となり、いわば二重底状態になるかもしれない。

そのあたりは女の人が電話に出ると声のトーンが変わったりすることと
似ているのかもしれない。いわば「営業用の表現」なのだ。

一方、アニマとしてのブログはどうなのだろう。匿名ということで真実の自分を
わかってもらおうとするブログ。でもこちらにも「真実」というかかっこをつけた
ほうがいいような気がする。役者にでもなった感じで「演技」をしてしまうのだろう。
若干の誇張、変形は避けられないような感じがする。

他人の目というものはどうしても自然さを失わせてしまうのだろう。舞台上で何か
する感じで重要な因子として影響を与えてしまう。

でも舞台としては変な舞台だ。机の上が舞台になったような。のび太の机の引き出し
がタイムマシンになっているのにどこか似ていて、机の上がどこか別世界に通じて
しまう。日常世界に非日常が浸透してくる。

お客が少なければ、よりはからわないブログになるということもあるかもしれない。
どうせ誰もみていないのだからと好き勝手なことが書けるのだ。

後々の不利益などあまり考えないようにして、そのとき書きたいと思ったことを
自然体で書いていくブログ。多少の変形は避けられないとしても、なるだけ
正直にありのままと思うことを書いていく。
その動機は何なのだろう?庶民の人が受け取った出来事など、外側に関する
ものごとを書いていくのも必要だと思うけど、一方。心の奥で起こっている出来事
を書いていく作業も必要なのではないだろうかと思ったりするのだ。

心の奥で起こっていることなど、各個人あまりにも違うことは自明なので、
個々の心の奥の出来事などあまり個別過ぎて意味ないかもしれないとも思う。

でも、周りの人とか観察してみると、あまり内面を表出させている人は少ない。
人によっては内面が希薄な感じの人もいる。日本人は内面的だといわれている
けど、内面を表現する言葉に恵まれていなかったり、内面深いところにアクセス
できる能力が低かったりするのではないだろうか。日頃そもそも内面を語る場
などほとんどなかったりする。

その癖、表面に出てきた些細なしるしを手掛かりに勝手に相手のことを想像したり
勝手にイメージを作り上げたり、手前勝手に作り上げた人物像をゴシップとして
交換したりする人は多い。日本人同士の世間話なんて表面に現れた断片を手掛かり
にして人物像を詮索する共同作業だ。その場にいない共通の知人などを対象にする。

相手に直に質問すればより正しい手掛かりが入るのにそれをしないで、表面だけ
見て勝手に解釈する。私はそういうゴシップの交換が大嫌いだ。

ここでいろいろ書いたらゴシップのネタを提供するだけだろう。それが日本人が匿名
で表現することを好む理由かもしれない。

70年代でも80年代でもいいのだけど、その頃、ふつうの人は心の奥で何を日々思っていた
のだろう?という問いを立ててみたときにその答えを簡単に知ることができないことも
私がブログ書き続ける理由だと思う。

私のブログに資料的価値があるかどうかしる由もないけど、少なくとも自分にとって
10年なり20年くらい経た後になって、その頃、心の奥で何を日々考えていたかという
のはありがたい情報だ。その情報の価値を減らさないためにもなるだけ誠実に
ありのままと思うことだけを書きたい。未来の自分を裏切らないために。

P.S より正確で公平に考えると日本人は内面をもっていないのではなく、内面を語る
場をもっていないということに違いない。上手に引き出すことさえできれば、各個人
それぞれの内面をもっている。でも、みんな自分の中にあるものの価値をよくわかって
いないから表現すべきものがないなどと誤解をしてしまう。内面を表現することに慣れていな
いから流暢にいかないかもしれないけど、本当は語るべきものをそれぞれもっているはずな
のだから上手に育てていけばいいのになーと思う。商品を選ぶというそのセンスを絵筆につ
かいながら自分の心の奥にある本当にほしいものを描いてく、そういうものだと思う。

記憶障碍の効果

前からうすうす気づいていたことだけど、記憶障碍があるらしい。
エピソード記憶に自信がない。

知人と思い出話するときにこっちは全然思い出せない。
そういうことが多々ある。

ぼんやりと想起はできるのだけど、知人が思い出話を詳細に
話すようには思い起こせない。

出来事の痕跡みたいな記憶はあるのだけど、全体に霞がかかった
ようではっきりと形になっていない。

そう、全体に霞がかかるというのが昔から気になるところなのだ。
特に事務的な出来事などあっという間に記憶に霞がかかってしまう。

このブログ書いているのももしかしたら、エピソード記憶に自信がない
ことと何かかかわりがあるかもしれない。

私の場合、その日に何か作ったり書いたりしないとその日が消えてしまう
ような気がしてならない。ある程度エピソード記憶に自信があれば、そこまで
強迫観念持たなくていいのかもしれない。

そういう脳の環境なのに、読書ばかりは毎日してしまう。きっと記憶には
あんまり残らないのに。読書の場合も再認(同じ本読んで、前回読んだとかいう
記憶)は結構できるけど、想起は難しい。

生活上は今のところは困っていない。でも、職業生活に入ると致命的に効いてきそう
な感じがする。イラストレーター触っていても、さっぱり操作が覚えられないので
その予兆は出ている。

さて、そのような憂きことをなんとかひっくりかえせないだろうか?
逆手にとるというか。

一つ期待しているのは何か表現しようとしたときに一種の演出として効いてこない
だろうか?ということだ。

確かに記憶障碍みたいなものがあることによって、制限もかかってくるだろう。
何しろ勉強したところで忘れてしまうわけだから。詳細な記憶として学んだことを
取り出すことを困難にしているのだから。

でも、なにもかも忘れてしまうというところまではいっていないようだ。
今も最近読んだ本の中身を書きながら思い出しているのだけど、
断片的には覚えている。そういったものを材料にしながらでも表現はできる。

何回も書いているように、私にまつわる制限を受け止めて、
そこから与えられる私の器を前提にしてものを書いている。

能力はもっともっと欲しいというのが本音ではあるけれど、発病してしまったという
条件下なら、私はまだマシなほうなのだ。

病気のエネルギーみたいなものの力で優等生でも何でもなかった私は、
大学を終わってから本を読み始めた。世界の根源を知りたいなどという非現実的な
目的に従って。望み通り「世界の根源」には近づけたのだろうか?40代半ばの今
ほろ苦い青春の味みたいなものを感じないこともない。病気のエネルギーは最近は
さっぱり感じない。どんどん「ただの人」に近づいている。病気のエネルギーがあった
ころの「普通でない感じ」も主観的な幻影にすぎなかったような感じもしてくる。
ひと時の夢だったのだって。

まだら痴呆のような感じがあって、機能が落ちた部分と、逆に亢進した部分がないまぜ
になっているような感じは昔からしていた。加齢とともに亢進した部分から感じる光の面
が感じられなくなって、機能が落ちた部分と向き合わなくてはならなくなった。

といってもこれは極端な書き方であって、表面上は障碍は目立たず、見つけ出さない
限り障碍は表面には現れてこない。このへんの事情は一部の認知症の患者とか
脳の外科的な障碍の人とかと似ている部分かもしれない。

2012年11月9日金曜日

おもしろくない日

面白い日には文章が4つ位出てくるのですが、(内容はともかくとして)、
おもしろくない日はさっぱりです。

今日はそのおもしろくない日なのです。
でも、あんまり文章書かないと言葉に錆びがついてくるので書かないと
いけません。でも、読者を巻き込むことはないから、公開はあえてしなくても
いいかもしれませんけど、、、

さっきから書いてみては消しての繰り返し。
こういう日、文章書くって本当にキツイですねぇ。

日々脳の馬力というかコンディションがこんなにも変わるというのは私にとって
不思議なことです。

気分の上下、集中度などには当然、背景として関与してくるいくつもの遺伝子
などもあるでしょうし、カラダの神秘まで感じるわけです。

と、書いていたらちょっと気分がほぐれてきました。自分が書いた字句などに反応
してまた状態も変わってきますしね。

読んだ字句、書いた字句などによって、催眠術にでもかかるように脳の状態が
変わっていく。まあ、自分が催眠術にかかっても、ひとりよがりになるだけで
ちっともよくない話なのではありますが。

多分、文章のうまい人は、気分の上昇、文章上の盛り上がりみたいなのを
巧みに調整して、読者を引き込んだり、巻き込んだりするのでしょうね。

そのあたりはデパートの実演販売のオジサンだったり、テレビの通販の
やたらテンションの高い人などもそうだったりするのでしょう。

まあ、あそこまで露骨になってしまうと受け手の警戒装置が入るというか
人によっては拒否反応の構えができてしまいます。

ことば巧みに、、、、これは私の場合は、今日くらいの面白くない日に使える
かもしれません。文章書いていて、ことば巧みに自分を盛り上がらせていく
ことは難しいのですが、今日みたいに偶然の力も借りながら、潮を捕まえて
その流れに乗ってよりよい状態にもっていくのです。

とても、状態の悪い日には使えませんけど、やや状態が悪いくらいで済んで
いる日なら使えるということになります。やや状態が悪い感じからさらに悪く
なるか回復するかは大きな違いなのです。

2012年11月4日日曜日

個人に興味をもってもらうこと

ふつうの人の文章などに興味をもつ人などいるわけない
と考える人は多いけど、案外そうでないかもしれない。

いろんな文章書けば検索にそのうちひっかかる。

その中で、個人に興味をもってくれる人もいるような気がする。

テレビタレントなどという職業が成り立つのはなせだろう?

たぶんなんらかの意味でその人に引き付ける要素があるから
だと思う。

文章書き溜めていく中で、文章中のどの要素を伸ばしていけば
いいのだろうかと反省しながら、いわばマネージャーか演出家
にでもなってみるのもいいのかもしれない。

書かれたものを客観的に眺めることで、
自分にはどんな世界があるのかを知ることができる。

何に興味があるのか?

どんなことを知っているのか?

何を想っているのか。

いわば、見知らぬ人と世間話するような感じだ。
パーティの席などで相手を退屈させないように、
趣味の話でもするような感じで。

書くことを通して、頭の中の在庫管理ができる。
旅の話、
買い物の話、
食べ物の話、
なんでも転がっている。

パーティの席とは違って、
下調べすることも、
書き直すこともできる。

それでも書くことに困ったら、
仲のいい友人に
自分の持ち味は何なのか?
一度尋ねてみるといいかもしれない。

自分のいいところは意外と自分では
わかっていない。

それでも解決しなかったらどうしよう?
一般的に言われているアドバイスは
新聞のスクラップをしばらく続けてみること。

自分の興味のもてた記事をスクラップしてみる。
それをしばらく続けると傾向がみえてくる。

見えてきた傾向を掘り下げる形で
図書館にいってその系統の本を読んでみるのも
いいのかもしれない。

めんどくさいって?
その位の努力はしてみる価値もあるし、
若ければ若いほどその努力は報われるような
気がするのだけど、あとはお任せします。

即興演奏 その2

モーツアルトも宮沢賢治も「意識の流れ」を使ったんだ
と勝手になっとく。

流暢に意識が流れるさまを妨げないで、
上手に網で捕まえて、
メディアの上に定着させていく。

意識の流れの中で自由に泳ぎ回る
渓流の魚たちのダンスを
そのまま素直に写し取っていく。

そんな感じで無意識の底の自然を
幻燈映画のようにフィルムにひたすら
収めていったに違いない。

自分ごとき、平凡な人間がそんな真似してみても
仕方のないことだけど、
素人は素人なりの自然がある。
里山みたいなものだけど、
誰の心にもそれなりの自然はあるというものだ。

だから、素直に虫取りの仲間にはいって、
自分の中のカブトムシを追いかけよう。

捕まえられるかもしれないし、
捕まえられないかもしれないけど、
無意識の中に漂う獲物たちを追いかけよう。

そんなこと考えていると自然にイメージは流れてくれる
ちょうど、イメージ療法のような、
催眠療法のような妖しさもただよわせながら、
自分ででっちあげたインチキなイメージたちが
それなりに漂ってくる。

正直じいさんでも
いじわるじいさんでもないけれど、
宝探しにいこう。

支離滅裂なイメージの点滅。

自動書記をインチキでやってみた
ような感じで、それなりにイメージは
浮かんでくるもので
あまり苦労はしないもの。

才能が、、、とか難しいこといわないで
鉄面皮な自分に納得しながら、
どんどん引っ張り出してごらん。

何がでてくるかわからないけれど、
飛び出てきた何かを素直に捕まえて
反省することもなく、推敲することもなく、
単純に、ただ単純に並べていく。

そんなことをしばらく繰り返していくと
それなりに、
私のようなものでも
それなりに
無意識は何かを送り出してくれるような
感じ。


まあ、それなりに。
期待しすぎても本人以上のものは出てこないけど、
それは仕方がない。

と、止まってしまったのでこのへんで。
退屈はしなかった。

まあ、自分というものが何よりも
正直に出てくると思う。

偽りようのない自分の限界。
正確な身の丈の自分。

即興演奏の緊張感

文章が走り出す。もう止められない。

しばらく考えるのは自由。

原則として、後戻りは許さない。

でもあくまでも、原則としてであって、例外もたまには許す。
そんな厳しい縛りではないのだから。

そんな感じで文章を打ち込んでいくと、どんな風景が走り出すのだろう。

即興演奏のように、文章が続いていく。

車窓から見える景色のように、イメージが走り出し、
走り出すイメージを捕まえて、形に直す。

そういう、いわばお筆書きめいた文章ってどんな感じ?

自分で文章を書いているというよりは文章自身の論理で、
文章が勝手に動いていく。

支離滅裂なものに違いない。

でも心地よい。

どこに連れて行かれるかわからないけれど、
どこか面白いところに連れて行ってくれるのではないかと
いう予感。

予定調和なものでないのだから。

止まったところで、休憩して、来た道を眺めなおす。
どこに行こうかしらなどと考え、また動き出す。

呼吸のように、自然な感じで、しばらく快調に続いてみたり、
息が切れたり。

それも、自分の自然であって、そういうものも
なんとなく、記録できるのは面白い。

ピアノを演奏するように文章が続いていく。

ピアノを演奏するように文章が続いていく。

どこまでも

どこまでも。

2012年11月2日金曜日

草書体の文体

確信犯的に続けている書き殴りの文章なのだけど、
もしかしたら、それも続けていくうちに草書体みたいな
文体が確立されてくるのではないかと思ったりする。

書き癖というか、味とまでは言い立てるつもりはない
のだけど、その人らしさみたいなのは出てくるのでは
ないだろうか?

そして、書き殴りも我慢して続けていくと、
続ければ続けるほど職人的な練り上げみたいなものも
それなりに出てくるのではないかと思うのだった。

薩摩焼の窯元の美山でボランティアで韓国からこられた
焼き物の先生の通訳をしたことがあるのですが、
その先生はさも簡単そうに濡れた陶土の上に絵付けを
されていました。なぜかその風景を思い出します。

さも、簡単そうにやられているようでも、たぶんマネの
できないような職人仕事にちがいありません。

でも、それも繰り返しの中で生まれたものなのかもしれません。

強引ではありますが、書き殴りの世界も繰り返しを行うことで
それなりの滑らかさとか出てくるのかもしれません。

一回勝負の潔さみたいなものも、いい意味での緊張感を
与えてくれるかもしれません。

考えたことをリアルタイムで出していく、臨場感みたいなもの
を記録できるのかもしれません。

かならずしも、悪いことばかりではないと思うのです。

繰り返しの効果が出てくるまでには粗雑な文章を掃出し
つづけないといけないことはそれなりに、恥ずかしいもの
ではあるのですが、それも実験としてはOKなのかも
しれません。

ゲノムとしてのブログ

長々と蓄積されたブログは個人にとってのゲノムみたい
なものなのだろうか?

粗雑なアナロジーとしては成り立つかもしれない。

ブログを解析することでかなりの程度、個人のある側面に
ついては明らかになるだろうから。

そこから何か意味のあることが引き出せるのだろうか?

個人のものの考え方、パターン、何か傾向があるかもしれない。

日本人は画一的だといわれている。本当なのだろうか?

世代を経るごとにより個性的になっているのか、考えていることも
標準化され類型化されているのか?

多様ではあっても、それらは外来、既存のもので、個人独自のオリジナリティ
みたいなものはあまりないのであろうか?

そういった疑問も、証拠に基づいて考えられるべきである。

さまざまに寄せ集められた既存のイメージも個人のアタマの中で化学反応を
起こし、本人には意識化できないだけでけっこう面白い現象が個々人の
アタマの中で日々起こっているのかもしれない。

個人のアタマ、もしくは見える形でのブログが一種の試験管となって、
そこでは興味深い現象が起こっているのかもしれない。

本人が気づいていないだけで。

世界初というのはエリートの世界だけに縁があって、巷の人間には関係ない、
素人には関係ない思う人も多いけど、言葉を使うということは、言葉が長く
なればなるほど、世界で初めての表現であって、まったく同じ言葉を吐くという
ことは逆に難しい。長い言葉は指紋みたいなものだと思う。

その中にはたやすく誰もが思いつくことができないような文字列も当然含まれている。
そして、ある文字列があることで、その先のことを考えることのできるような、
考え事のとっかかりに相当する文字列もあろうと思うことだ。

実証するだけの設備もお金もない個人としてはただ突拍子もないことを想像する
ことができることくらいだ。

でも、仮想世界について考えるにあたり、ウィリアムギブスンの小説などが大きな
役割を果たしていることなどから考えてみても、想像力というのはそう馬鹿にも
できないものだと思う。

マスメディアで流される情報は時流に沿ったものだけだと思う。時流に沿わないもの
は受け入れられないので流さない。その結果、時流が強化されてしまう。

でも、そんなものは見せかけだ、地下水脈のように時流とは違う流れが細々と
ではあっても常に流れ続けている。

世の中にはヘソマガリな人もちゃんといて裏に道ありと狭い道を探索している。

ネットの時代になって、探す気があれば、そういう情報も釣り上げることが
個人レベルでも可能になった。

そういった様々な流れが流れ込む先として個人のブログがあって、そこから
また別の方面に本人にもわからない形で情報は流れている。

この時代を百年後ぐらいからでも眺めてみたらどう映るのだろう?熱帯雨林の
生物相が皆目わからず、せめてもの形で名前を付けてカタログをつくるという
のとどこか似ている風景かもしれない。鬱蒼とした見通しの効かない森の中
であちこちスポット状には光があたり、そのへんの世界がわかる。そんな
感じなのかもしれない。

どこか狭い範囲のニューロン群の活動がわかるというのともどこか重なるかも
しれない。あまりにも大規模すぎて、もはや正確な全体像はつかめない。
グーグルアースの画像のように、情報的には把握されても、そして、縮尺を
つかえば各階層レベルではなんらかのことが分かったとしても、実態としては
わかったことにならない、そんな感じかもしれない。

ミクロなレベルではゲノムとしてのブログもやはりそういうものなのかもしれない。
それぞれのニューロンがユニークなバイオコンピュータであって、調べれば調べる
ほどわからないことが増えていく、そういう宿命は、私ごときのブログにも言える
ことであって、本人にも気づいていない謎は実はたくさんあるに違いない。

平凡なる凡人こういう言葉はニンゲンに対する無知に基づいた、旧世紀的なリアリティである
と思う。醜悪な部分はあったとしても、そしてそれも含めてひとりひとりのヒトは
素晴らしいものだと21世紀後半の人は思ってくれるに違いない。

欲をもつニンゲンは醜悪な部分を持たざるをえない存在だけど、ひとりひとりの
人の中に光もある。実に非人間的なもったいない使われ方をされてきたものだ
と今の時代のニンゲンを振り返って思うに違いない。ひとりひとりの可能性が
開花したとき、そしてそういう人から成る社会の姿ってどういうものなのだろうか
と想像力を巡らせたいことは未来には多い。

ある側面でいろんなことが実現し、ある側面で幻滅することも免れないかも
しれないけれど、現代の多くの日本人が文字を読めることと等価の何かが
未来では実現されているに違いない。未来を知らないことこそが幸福なこと
そういう見方もあるかもしれないけれど、ニンゲンの可能性のほうに賭けたい。

二次的に「奄美」を学ぶこと

私は鹿児島で生まれ、鹿児島で育った。
そのためにかなりの程度、同化されていると思う。
それをなんらかの意味で寂しく思い、奄美の文化を
本などによって学んだら奄美の文化を習得したことに
なるのだろうか?

奄美の文化について学ぶ機会は図書館にいきさえすれば
ある。

おもに本土の人によって書かれた本が多いのかもしれない。
そういったものは本土の人の目線で書かれている。
それを二次的に取り込んで、学ぶことは文化を学ぶことなのか。

生物の世界で遺伝子汚染というものがある。二次的に放流された
メダカなどの遺伝子が在来のものと交わり、人為的な影響をうける
ことだ。

文化の世界でも、文化遺伝子の汚染というものもあるかもしれない。

ただ、そういったときに逆に「純粋」とは一体何なのだろう?という
疑問が起こる。

潔癖になればなるほど、隔離しなくてはいけなくなるし、
実際ニューギニアなどは外からの入域の制限がかかっているらしい。

でも、奄美などは歴史を通して、本土と交流してきたわけで、
奄美の文化そのものの中に交流というカテゴリーがはいっている
わけだと思う。

だから、交流とともに文化が変容し、交流の密度、速度が大きくなる
現在、どんどん変容していくこともむしろ自然なことだと思う。

それは私たちの周りの風景が変容していくことがある意味仕方が
ないこととまったく同じである。奄美が世界遺産という以上に日本列島
全体がある意味、世界遺産であり、外からみる限り変容してほしくない
という要素もきっとあるだろうから。

私は自分の身体のうちに「変わりたい」という目線と、
「変わってほしくない」という目線を二重に忍ばせている。

何を捨て、何を残し、何を育てるか?そういったものの選択権が
自分の中にあって意識化しなければいけないのだと思う。

いわば「バリ」の人が観光化の下にあってしたたかに生き抜くような
戦略的な賢さが必要なのだと思う。

「奄美2世」とか「非定型精神病の患者」とか「鹿児島の下町育ち」とか
使えるカードはいくつか持っている。

それらのカードを「したたか」に使っていくことは非難されるべきもの
なのだろうか?純粋さを失ってしまって、興が覚め、俗化し、もはや
どうでもいいものになってしまう。そういう感じなのだろうか?

話の前提として考えていかないといけないことは「生きることが難しい」
こと。戦略的と書いたけど、本当は戦略的などになりきれなくて、
むしろ実態としては不器用に生きているにちがいないこと。

そもそも、ブログでこうやって個人情報を垂れ流すことは戦略的と
いえるのだろうか?計算できないリスクも多々あって、というより、
計算など最初から考えていなくて、単なるオッチョコチョイ的な発想
でやり始めたと思う。だから、労多くて、益なしというか特に報われる
ということもないし、どういう形で読まれているのか?そもそも誰かに
読まれているのかすらもよくわからない。

それでも書き続ける動機というかエネルギーって何なのだろう?
自己顕示欲なのか?誇らしい自己を顕示するというよりは恥をさらす
という要素のほうが濃厚な感じがする。自分たちのことを世間にもっと
知ってほしいという心の叫びなのか?これもよくわからない。私などより
ももっとふさわしい人がいるかもしれない。つたないけれど、私はこの
程度ではあるけど、言葉を文字にする能力と、発信するだけの勇気という
よりも無鉄砲さを持ち合わせている。

いろんな人が発信し、その中の一つとして読まれることを望んでいる。
受け手によってどんな意味が発生するかはわかりようもない。
なんらかの意味で情報を含んでいると信じているからこそ発信し続けている
と思うのだけど、どんな情報なのかは自分の力では読み解けない。

私は植物遺伝子の凍結保存を学生のとき研究し、植物標本室のデータの
入力の仕事を手伝ってきた、両方とも情報の保管、ないし情報バンクみた
いなものと関係するかもしれない。

ここで情報を蓄積しているのも、ある種の文化遺伝子の蓄積などとかかわ
っていて、さまざまな人の文章を蓄積する中で意外な利用法などもみつかる
のかもしれない。ちょうど、細菌の遺伝子の中から薬の成分が取り出される
みたいな感じで。

でも、それらは熱帯雨林の植物遺伝子のデータが現地の人にはあまり還元
されないのと似ている感じで私自身が報われることとも無縁に違いない。
そもそもデータ自体は海のものとも山のものとも知れず、料理の仕方によって
活かされるかどうかも不確定なのだから。

外界に対する興味

内省ばかりするので、ココロの内側にばかり興味がある
人間なのか?という疑問もあるかもしれない。

外界、いろんなものに興味がある。
まずは食べ物とか、、、
別にグルメという訳でもないし、日々の食材にこだわる
タイプではないのだけど、料理の文化とか興味がある。

家の中の日用品とかも謎めいて見える。テーブルの上の
醤油とか、七味とか、、そして、洗面台回り、キッチン付近
興味はつきない。たぶん一つ一つ詮索していったら、
知らないことだらけなのだろう。

そこらへんの花壇の周囲に生えている雑草の生態系も
気になる。オオイヌノフグリ、ニワゼキショウ、美しい花も
けっこうある。そして、こっちのほうも一つ一つ詮索して
いったらわからないことだらけなのだろう。そして、
おのおのの植物とそれを食べている昆虫、昆虫を
食べている小動物やら、鳥の仲間、それから、生態系
の頂点としてはるか上空を悠々と飛んでいるトビ
などもいるのかもしれないけど、都会の生態系の
全体像も皆目知らない。

道路を走っている車の世界はまったく何も知らない。
でも、まったく興味がないかというとそうでもない。
観察してみると、あれだけの車種あって、おのおの
のバックミラーとかアルミホール(タイヤを留めている
丸い部品)のカタチが一つ一つ違う。そして、夜、
一台一台のエンジン音聴いてみると、これも、
一台一台違う。大学の自動車部の人など、車好き
な人は整備に凝るとかもいうし、やりだせば面白い
のだろうなあと思う。

そうした日常的世界への興味から、外国への興味
そして、宇宙への興味と気になるものは尽きない
のだけど、そういったさまざまなものへの興味を
支えている一つにアニミズム的発想があるのかも
しれないと思う。

いろんな対象を観察してイメージとして取り込むと
それらの対象はココロの中で活きはじめる。
人を含めた生き物はそれ自体に生命があるけど、
それを模したココロの中の像も活きている。
目の前に広がっている外界の光景、すべて
本当はそういうなまなましいものなのだけど、
普段それを意識することはない。

色とか声とかとてもなまなましい。
客観的世界にみえて、この世界が人間臭いもの
であることをいつも感じるところ。
意味付けされた人間臭い世界の中に住んでいる
ことにいつも単純に驚き、感動している。

外界をみても裏返された内界をみているようでも
あり、もっともらしい言葉を内側から取り出して
みても外界から取り込んだものでもあるし、
もちろん今、書いた言葉もそうであるし、
外と内の絶え間ないやりとりみたいなものが
ワタシであり、ワタシにとっての世界でもある
ということなのかもしれない。

すっかりへんてこりんな文章になってしまって、
読む人心配させかねないのでこのへんで。