はじめての方へ

私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。

P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。

p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。

P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)

P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)


2013年12月31日火曜日

時をまたぐ

除夜の鐘がなり、今年が来年になるとき、いつも心に浮かぶ
イメージがある。いろんな出来事や思いを載せて、今年という
列車が時のかなたに去っていく、というイメージだ。

私は来る年、よりも去っていく年に心をひかれるものがある。
これは年をとって、ノスタルジーにひたっているというよりも、
子供の頃からそうだった。

もちろん、列車のイメージは「銀河鉄道」のイメージの影響下
にある。


2013年12月26日木曜日

『失われた歴史 イスラームの科学思想芸術が近代文明をつくった』、県図書でちら読み

昨日、県図書でちら読みした、
という本。
の中で「学者のインクは殉教者の血よりも神聖なり。」という
ムハンマドの言葉を知った。ちょっと続けてみる。以下引用。


学者のインクは殉教者の血よりも神聖なり。
知を獲得せよ、なぜなら、神の道で知をえるものは敬虔なる行為を演じ、
知を語るものは神を称え、知を求めるものは神をあがめ、知を教えるものは
施しをあたえ、知にふさわしきひとびとに知を分けあたえるものは、神への献身の
行為を演ずるがゆえなり。
 知は、知の所有者に善悪の判断を可能にせしめ、天国への道を照らすなり。
知は砂漠にあるときは友にして、孤独なるときは仲間にして、友を奪われたるときは
道連れとなるなり。知は吾らを幸福へと導き、悲惨なるときは吾らを支えるなり。
知は友らのつどいには誉れとなり、敵に対峙するときは甲冑となるなり。

これらの言葉の広範囲にわたる文化的、歴史的衝撃は未来にやってくることになる。


引用ここまで

私は、学者ではないのはもちろんだけど、私のような文弱の徒には有難い言葉だ
と思う。知がないことにはどうしようもないことは世の中には多々ある。知だけあった
ところで仕方がないということも多々あるのではあるが、、、

あと思ったことは詩人(宗教家も広い意味では詩人なのかもしれない)の言葉の
重要性だと思う。たしかにそれは数式でもなんでもない、単なる詩的な言葉に過ぎない。
でも、その言葉が刺激と方向性を与え、引用文に書かれているとおり、広範囲にわたる
影響力を残した。

以前facebook上に「言葉を操って喜んでいるような人々にはなりたくない」みたいなこと
を書いた。ある種の文系の知識人と呼ばれている人がどうも私にはいけ好かない感じ
がしたからだ。それよりはなんらかの意味での手わざを持っている人を尊敬したりする。

最近になって、言葉を使うことにまつわる責任みたいなことを少しずつ感じはじめた。
遅すぎるのかもしれないが。小さなことでは、自分の書いた言葉によって誰かが傷つき、
その結果、友人を失ってしまうようなことである。それは小さなことかどうかわからないが、
ともかく、個人的という意味では小さなことという項目に入れておくことにする。

言葉の間違いはもう少し大きな問題を発生させるかもしれない。立場にもよるということ
になるのかもしれないが、それらのことは身をすくませる。でも、一方で、そこで身が
すくみ、保身に走るようであれば、もともと言葉で何かを表現する資格がなかったのである。
話がずれた。『図説 科学で読むイスラーム文化』で、もう一箇所、気になるところがあった
ので以下、また引用する。代数学で歴史上有名なアル・フワーリズミーについて書かれて
いるくだりだ。


魔術師という名は、そう名づけたひとびとの知を超えて、真実であることをのちに
証明することになる。痩せすぎと風雨にされされて皺のよった頬と、深い眼窩に
据わる射抜くような茶色の眼をもつこの黒髪の男は、他の道でもまた魔術師である。
信仰と魔術の伝統に浸された彼は、宇宙のさまざまな秘密を数のなかに見いだそうと
切望する。彼は数学の諸問題を書き、数を夢見、一日のあらゆる動きを数に還元する。
つまり浴場への歩数、地球に対する太陽の角度とそこに生ずる三角形、地球の半分を
横切るシルクロードの曲線などである。
 これらの系列から次々と紡ぎだされる数や方程式や計算に、彼は宇宙の隠された
諸コードや、神の創造の複雑な数的表象を感じとる。そして神が理性と知を通じて
啓示されうると信じられていた時代のムスリムとして彼は、処理速度と能力で電気計算機
が、人間の最高の思考をも凌駕する時代の最初の一瞥をあたえたひととして、偉大な
数学革命を主導することになろう。


二次方程式は学校数学で習う。ちなみにしばらく前、二次方程式の解の公式を自力
で導き出すことができるかやってみたのだけど、だめだった。ま、何を書いていても
私の今の数学の力はそんなものだ。手計算とか最近めっきりやらないので、すっかり
さび付いてしまっている。そんな私が書いたところでまったく説得力をもたないと思うけど、
中学数学で習う、二次方程式の話は何か魂が抜けたところがあるのではないかと
思ったのだった。たとえば、移項とか、最初に習ったとき、不思議な感じしなかっただろうか。
(3X+2(2X-1)など、文字式同士の掛け算ができることを最初に習ったとき、やっぱり
不思議な感じがしなかっただろうか。

その、不思議な感情に何か大事なものが含まれていたような気がするのだ。
たぶん、数学史の書物でも開いてみないと、その不思議なものの正体が自分でも
わからないような気がする。そして、上の引用はなにかしらその不思議とどこか関係して
いるような気がする。もちろん出典は啓蒙書であり、わかりやすく書かれたための嘘も
混じっているかもしれないが。

P.S 本の題名、やっぱり間違っていたので訂正しました。


2013年12月22日日曜日

最近のパターン

気がついてみると、「芝居がかった感じ」はめっきり見られなく
なった。「芝居がかった感じ」というのは私が芝居がかっている
のではなく、世間の人々のことだ。

一時期、時々ではあるけれど、世間の人々、街角とか、バス停
とか私とはまったく関係のない人同士の、立ち話みたいなのが
芝居がかってみえてきた時期があった。わざとらしいというか
臭い芝居というのか知らないけど、演技っぽく見えていた時期
があった。

そういう風に見えてくるとスイッチが入ってますますそう見えて
くるようになってしまうというカラクリだったのかもしれない。

最近はその種の現象はほとんどなくなった。

入眠時幻覚が起こる確率もかなり減った。こういうのも若さの
エネルギーが必要で年をとると落ち着いてくるのかもしれない。

最近のパターンは、例によって図書館に篭って、雑多な分野
の本を読んでいると、「もう少しでオカシくなりそう」と思うこと
だ。若い頃ももちろんそのパターンはあったけど、最近もまた
そのパターンにはまりつつある。

調子が本当に悪くなるかどうかはわからない。だったら、そんな
読書やめればいいだけなのだけど、(本人的には)危ないとこ
ろまで行かないと読書した気になれない。でも、もっと読んでいる
人からみたら幼稚なレベルかもしれないけれど。

P.S たぶん、私がそういうのんきなことを書けるのは私は急性
の病態とその後の陰性の病態の経験しかなく、長期に渡る
幻聴とか妄想とか体験していないからだろう。

いろいろ感情の起伏はあるし、記憶の問題とか認知、注意の
問題とかこまごましたものはなんとなくあると思っているけれど、
基本的には平穏期を楽しんでいる患者ということなのだろう。

2013年12月18日水曜日

あるモチーフを他人に先駆けて見つけ出すこと

モチーフは神出鬼没だ。おまけに変装の達人でもある。
バラエティだから、お笑い番組だからとバカにしてはい
けない。(もっとも、私はテレビはほとんど見ないのだけど)
もしかしたら、ひょっこりと超弦理論に関与するモチーフが
隠れてさえいるのかもしれない。何にしろ、リンゴが落ちたり、
卵を割ったりするのが大発見の糸口ということもあるのだから。

鹿児島では路傍の雑草に紛れて、絶滅危惧種がひょっこりと
意外なところに生えているケースもあるそうだ。残念ながら、
草刈り機で、ざっくり刈られてしまうケースも最近多いらしい。
そして、その後に生えてくるのは強豪の外来植物というやつ
である。路傍の雑草とはいえ、そこにはそこなりの長年の歴史
がかかって出来上がった、生き物たちの微妙で繊細なコミュニ
ティというものはあるのである。

へんな喩だけど、そんな感じでモチーフはそこらここらに潜んで
いる(と私は思う)。

発明をしたければ、デパートに行きなさいという教えもある。
デパートに陳列されているのは選抜されたあるアイデアの設計解
だ。博物館や美術館で作品を鑑賞するような感じで、デパートに
買い物目的以外で行ってみるのもいいのかもしれない。

大事なポイントは自分の専門分野にだけ、モチーフは隠れている
というわけではないこと。たとえば、アイデア出しの工夫については
お笑いだろうと核物理だろうと新規事業だろうと、料理だろうと、
文学、アートなんでもかんでも変わらないように思われる。

今はネット上に毎日大量のミームが吐き出されている。動植物の
遺伝子に新薬開発のヒントがあるように、大量に吐き出される
ミームのひとことかふたことの中に重要なカギにあたるキー
フレーズ的なものが存在すると思う。そして、そのキーフレーズには
拡張性があったり、応用範囲が広いもの、そして、容易推考とは
決して言えず、逆に専門家の世界の中では思いつくことも、
思い描くこともできないような何かでさえあるということもおおいに
ありうるというものだ。

逆に特殊な環境とかに特殊な機能をもった生物が潜んでいるように
あまり光が当たらないところに面白い何かが潜んでいるかもしれない。

「あるモチーフを他人に先駆けて見つけ出すこと」という句は
今まで書いたようなことよりもっと深い意味が隠れている。いろんな
切り口で考えてみると私には汲みつくせないような発見があるに
違いない。

微生物のライブラリーというものがあるらしい。ある、薬かもしれないし
染料かもしれないし、洗剤かもしれないのだけど、そういう化学物質
の開発でしらみつぶし的に微生物が利用されることがある。
私の説明では舌足らずなので”微生物” ”ライブラリー” ”開発”で
検索してみるといい。

それと同じような扱いで今では各言語で言葉の使用例のコーパスと
いうものが作られている。みなさんのブログとかも機械が閲覧していく
ケースも多いだろう。そういう機械の閲覧の中には言語の使用例を
集めているものもきっとあると思う。

そして、いろんな言葉の使用例が集められ、ライブラリーができあが
るのだけど、言語学の分野で使われる他に製品開発などに使われる
例もあると思う。さっきの微生物ライブラリーのしらみつぶしのミーム
版だ。あまり、知らないのだけど、ビックデータの利用というのがそう
いうものかもしれない。

そして、そういったやり方の超ミニ版というものは個人が使えるevernote
を使ったスクラップブックみたいなものでもやれるのではないかと思ったり
するのだけどどうだろう。

2013年12月16日月曜日

久しぶりに万華鏡的なもの

久々に万華鏡っぽい作品が採れた。

2013年12月9日月曜日

実在感のあるイメージ

見えない世界に相変わらずあこがれている。
でも、怖ろしくていく気がしない。目の前の時空が開け、
入り口が垣間見れたとしても、しり込みするだろう。

とはいいながら、仮想世界が可能にするのは主戦場が
目に見える世界から目に見えない世界に移ることだろう
となんとなく思う。

うまくいえないが見えないものを見える化するといっても
それは作り物ではなく、リアリティのあるモノ、実在感の
あるイメージだと思う。

作品の完成度というのは目に見えない世界において、
もっと進めば、もっとそのものがくっきりするということ
なのではないか?まだ山の頂に来ていない、もっとさが
せば、より標高の高い場所があるということなのでは
ないだろうか?

イラストレーターやセカンドライフのものづくりでつくづく
感じるのは適当に形を組み合わせても印象深い作品は
得られないということ。

そして、何かしら、作品といいたてることが叶うだけの
説得力をもったものはある種の実在感を感じるだろう
ということ。これは単に技術としての実在感というよりも、
作品自体の発している実在感だと思う。

とかなんとか、推敲をかけてない荒い文章で書いている
わけである。


P.S 山の譬えは適応度地形という複雑系用語と関連がある。
ボルヘスのバベルの図書館と組み合わせた表現は
『複雑系を超えて』の中に書いてある。

実在感という言葉は存在感といいかえてもいいのかもしれない。
存在感のある俳優はもともとリアルな存在だけど、
目に見えない世界においても、ある位置をもっているのだろう。
現実世界にいながら、背景には見えない世界が存在して、
その抽象的な世界で位置を変えながら、俳優としての完成度を
あげているのかもしれない。修行の道みたいなものである。

2013年12月7日土曜日

言語の側面から当事者特有の認知的困難さを追っかけることはできないか

一応、主観的には表面からは症状らしきものは消えている。
でも、それはあくまでも表面からであって、微細な認知障碍は
消えず、それは言語表現に影を落としているということは
ありえないのだろうか?

当事者がさまざまな状況で感じる生き辛さが、独特の思考、
ならびに言語表現のパターンからくるということはありえない
のだろうか?

当事者といってもさまざまである。素因をもち、なんらかの
潜在的困難さを抱えながらも発病には至らなかった人を
含め、多くの言語資料みたいなものが集められて、どこに
困っているのか、そういうことがわかるようになればいいと
思う。

一方で当事者の努力というものもある。それはもしかしたら
奮闘努力の甲斐もなく、かえって事態を複雑化させるという
点で悲劇的な側面もあるかもしれない。

けれど、なんらかの表現で、面白い効果を生み出すという
こともありうるかもしれない。障碍が回復する過程で、
神経回路のバイパスみたいなものができて、特殊な能力
が花開くということはまったくありえないこともないだろう。

私が特殊な能力をもっているというわけではないにしろ、
単に能力を失うだけではない側面もあるように思うのだ。

自分では自分のことは知りえない。人それぞれ言葉は
個人差というものを持っている。人それぞれ顔が違うよう
に。

でも、そこから一歩突っ込んで、それぞれの人の言葉と
しての特徴はどんなところにあるのだろうか、ということ
はあまり知ることができない。

自分のことなのに、ほぼすべての人が自分の言葉につ
いて多くのことを知らないまま生涯を終える、そんな気が
してならない。

自分のどこが魅力的なのか、平均的とか、平凡という
言葉に隠されて、なんとなく皆納得してしまう。でも、
人それぞれ顔が違うし、死んだら替えがいないという
面から見ても、何かがあるはずなのである。

それが一体何なのか?言い方を変えると、言葉という
面から見たときのその人の記載されるべき特徴。

記載されることもなく、日々絶滅していく熱帯雨林の
虫たちに似て、一人ひとり違うということは認識されて
いるのにも関わらず、何も記録を残さず消えていく
多くの人たち。

膨大な財産が途切れることもなく、失われつつあるの
ではないだろうか。そして、本当の意味において、
かけがえのない唯一無二の富の代わりにどうでもいい
大量生産品のようなものがこの世に残されていく。

カネも土地もそれ自体はのっぺらぼうである。

そんなこと考え始めると精神病の当事者に関わらず、
それぞれの特有の歪みと恵みをもったひとりひとりの
人の言葉、それらはある種の歴史の証拠として、
かけがえのない価値があるのではないだろうか?

少なくともそれらは乱数や人工生命めいたプログラム
では発生させることのできない、歴史という重みを背景
にもったものである。

それは今のところ、どんなにカネを積もうとも、国家権力
にモノを言わせようとも、その人自身にしか生み出せない、
それがその人のココロであり、その表現である言葉なの
だと思う。

2013年12月6日金曜日

組織培養と台所と錬金術

病気になって鹿児島に帰ってきて、しばらくした90年代の
とある頃、メディア論の自主ゼミに混ぜてもらっていた
時期がある。

その時、思ったこと。
大学の頃、文系の人といえば、遊んでるというイメージしか
なかったのだけど、実際、ゼミに混ぜてもらった時、外国語の世界
に入ったかのように、ほとんど話題についていけずめんくらった。

逆に理系の私が実験とかで手を動かしてお茶を濁しているとき
に文系の人らは文献を読んで着実に知識を積み上げているの
だなという怖れみたいなものを感じてしまった。

90年代、自主ゼミに通いつめて、私なりに読書会の雰囲気には
ついていけるようになった。あくまでも、ついていけるというだけ
でしかないのだが、、、

今はまたひっくり返って、大学時代、手を動かしてお茶を濁して
いた時間が代え難いぐらい貴重なものと思えるようになった。
今は実験室にいないけれど、手の感覚としては実験室の世界の
感覚はなんとなく残っているからだ。

さて、今日のお題は組織培養と台所と錬金術という話。
手を動かしてお茶を濁すという時間の内容は、無菌室で実体顕微鏡
を見ながらシンビジウムという蘭の芽の先にある成長点という部分を
切り出したり、前処理した培養細胞のかけらを液体窒素の中に入れ
たりとかいったことだった。

実験室にはオーブンのような乾熱滅菌器、圧力鍋を大型にしたよう
なもの。棚にはさまざまな試薬。化学天秤。フラスコやら試験管。
形を変えた台所ような感じもする空間だった。

そして、台所と錬金術の設備は重なり合う部分もあるという話を
読んだ。http://www.geocities.jp/choji_kashima/CookChem/index.html
また、海の向こうでは「キッチン・カルチャー」といって家庭で組織培養
をするという趣味もあるらしい。
http://desktopfarmer.blogspot.jp/2010/07/1.html

家に実験室作る代わりに仮想世界の自分の土地が私にとっては
実験室のようなものなのかもしれない。

そして、仮想世界の実験室でやっている内容も正統な科学というより
も異端の匂いがプンプンするものだ。イメージの錬金術といった風で
ガストン・バシュラールの世界をビジュアルでやりたいというような欲望
といったものに近いのかもしれない。

とはいっても、それは方向性であって、結果は全然できていないの
ではあるけれど。

話はまた全然飛んで、鹿児島の上野原遺跡の話になる。
縄文草創期の集落の跡。

集石機構という石焼き料理を作ったかもしれない施設や、
連穴土坑といって燻製を作っただろう施設が残っている。素人の私として
は勝手に考古学的事実を出発点にしながら、想像や妄想を広げたい。
考古学に関する説をでっち上げたいという欲望ではなく、アイデア出しの
イメージの源泉として使いたいという欲望だ。出力される結果は考古学の
領域内にあるのでは多分ないだろうから構わないように思う。

考古学の範囲では土器づくりの初期状態と料理づくりの初期状態を
結びつける発想は許されるかどうかわからない。でも、分野違いの世界
でのアイデア出しのためなら全然構わない。事実から何を発想するかは
全く読者の世界に属するものだからだ。そのあたり、錬金術的思考の
出番なのかもしれない。

海の向こうの「キッチン・カルチャー」の欲望も組織培養そのものではなく、
一種のホムンクルスみたいな感覚であり、その怪しい混沌の中から
気の利いたコンピュータ・コードのひとつでも生み出そうという魂胆なのかも
しれない。

ひとたび生み出された論理は自然言語、コンピュータ言語、数式などの
ジャンルを軽々と越境するのかもしれない。文学の歴史の古い日本には
まだまだ面白い論理が眠っているのかもしれない。

それにしても、私の文章中には「かもしれない」という書き方が多いなあ。

2013年12月4日水曜日

言葉の射程距離

「言葉の射程距離」というフレーズをその人の言葉が効力をもつ限界
という意味で使ってみよう。

と、さんざん自分の身の丈を超えた大きな言葉を振り回してきた私が
使うのも何かとは思うのだけど、少々反省も込めて。

人間離れした事柄を扱う人はいっぱいいる。天文学者、地質学者、
古代を扱う考古学者なども、常人のものさしを超えている。

でも、彼らの使う言葉がリアリティを失うことはあまりない。
何でなのだろう?すぐ浮かぶことが担保とするモノがあるからだと
いうこと。天体観察のデータに、鉱物標本、そして、土器のかけら。
これらは確かにリアリティの担保として使える。そして、どこかで
聞いた話なのだけど、そのリアリティの感覚を確かめるために
資料を舐めたりする人もいたらしい。(今はいるかどうかはわか
らない)

リアル、ではなくてリアリティ。ありありとイメージできること。

やっぱり、私は体験経験の世界に生きる人間ではなく、
イメージの世界に生きる人間なのかもしれない。

想像の世界で遊ぶこと。想像の世界で手にいれたガラクタに
過ぎないにしても、それが手にとって遊ぶに足るおもちゃで
あるには何が必要なのだろう?

可能性の世界の彼方。なかなかたどり着けない遠いところ。
自由に遊ぶように考えるとはいっても、時には身の危険を
感じる程のものだ。それは本人が思っている程、実は危険な
領域というわけではないのかもしれないが、でも主観的には
十分恐怖感を感じる世界ではある。

今日の言葉は醒めている、酔った言葉を発していない。
でも、時々、言葉の世界にはまり込む、イメージの世界に
はまり込む。それも、私の内なる自然なのだと思う。

自然は自然のままに。伝わるかどうかは分からないけれども、
そんな言葉がどこか隅っこにあってもいい。

自分の言葉はどうがんばってみても、自分の言葉でしか
ありえない。それまで、そういう風な言葉の使い方をして
積み上げた自分なりの言葉の使い方。浅かろうと深かろうと
そういう風にしか生きてこれなかったのだから仕方がない。

言葉をこねくり、イメージをもてあそぶことしか知らなかった私。
身体の中の言葉たちは確かに自分の好みによって集められた。
そして、それらをまた自分の好みで組み合わせ、外に撒き散らす。

それらはさしたる感銘を与えるものでも、人を動かす力をもつもの
でもないかもしれないけれど、ただ私自身がどういう人間であるか
ぐらいは本人が意識する以上に語ってくれる。

赤の他人の私のことを知らない誰かに届いたとしても、それが
どれ程のものか。

そういう人がいる。そしてそういう人を生み出した背景というもの
も存在する、ただそれだけのこと。

2013年12月3日火曜日

抑うつがまた始まった

ここしばらく、調子があまり良くなかったのだけど、
夕べからいよいよいい感じではなくなった。

といっても、調子のよいわるいも何を尺度にするかで
違う。急性精神病状態は約二回体験したのだけど、
その頃の尺度ではなく、ここ最近の中での尺度。
(約と書いたのは二回目の入院のときは一度回復
のちに一時状態が悪くなって保護室に戻ったことが
あるから)

前、大学の博物館で働いていた頃に悩まされた
症状に似ている。自分の言葉で書くと「抑うつ」という
感じになるのだけど、本当のところ違う書き方で
書いたほうがいいのかもしれない。問題は「抑うつ」
と書いた言葉の中身なのだから。

でも、うまくそれを表現することができない。なにせ
内部の症状だから。うまく、表現する言葉をもたな
いのだ。

「アタマがオカシクなりそう」とでも、言いたくなる程
辛いように思えるときもあるけど、基本、この症状
でそういう風にならないような気がするので、おお
げさな物言いかもしれない。でも、そういう風に
口走りたくなるような症状でもあるような気がする。

たぶん、日ごろもっとひどい症状を抱えているとか
症状に対する耐性とかで、その人にとっての辛さ
は変わってくるのだろう。

で、仕事に集中すると、そこに気が集中するのか
知らない間に調子は回復した。

前の仕事ではそうなったことはほとんどなかった。
前の仕事ではひとたび調子が悪くなると、アリジ
ゴクに落ちるかのように、あらゆる努力の甲斐も
なく苦しみの世界に入っていくものだった。

前と今と何が違うのか?まず、職場環境が違う。
前の仕事は5時間、一人っきりで作業していた。
孤立した部屋で、一人だけの作業。
内容はデータベースの入力作業。
月曜から金曜まで。今は、周囲に何人かいる
環境の中で仕事している。かといって修羅場み
たいな状況は現れない。

そういえば、前の仕事でも、数少ないけど、
症状が回復したことがあった。症状が出て、
苦しんでいるときに、突発的に荷物運びの
仕事があって、作業していたら治まったこと
があった。一種のショック療法みたいな感じ
がその時にはした。ちなみにショック療法は
受けたことがなく、その辛さはわからない。
だから、ここでもその言葉は本当は使いたく
ないけど、他にうまいたとえが見つからない。

ショック療法はいつも効くとは限らない。かえって
症状をひどくする場合もあるかもしれない。
あと、自分の体であり、ココロなのだけど、自分
で自分のことがよくわかっていない。

実は大したことでもないことで苦しんでいるの
かもしれないし、他の人、似たような症状を
抱えている人にも大問題なのかもしれない。
何せコンディションが不安定で、ここぞという時に
崩れるかもしれないということは、耐え難い人に
とっては耐え難いことなのかもしれない。

2013年11月28日木曜日

見えない世界 といっても神秘的かどうかは分からない

『イマココ――渡り鳥からグーグル・アースまで、空間認知の科学』

『ヴァーチャルという思想―力と惑わし』

この二つの本を平行してしばらく前から読んでいる。なんとなくなんだ
けど、見えない世界を探求するために読んでいる。

イマココのほうは空間認知の話でメンタルマップみたいな話は出て
は来るけど、基本的に目に見える世界のことについて書かれてある。

で、目に見える世界の応用問題として、目で見えない世界のことを
考えている。といっても神秘的だったり、宗教的だったりするのかは
分からない。単純に自分の中のイメージの世界の話だから。

イメージの世界であれば、物理学的イメージというように、科学の世界
でも欠かせない。脳の中の話とするならば、それで収まっている。
それはパソコンが情報の媒体であるのと同じく、まったく機械的な現象
として扱える。怪力乱神を持ち出さずとも済んでしまう。

脳という媒体に限らず、可能性の世界に元々それは存在していると
するならば、イデア論に近くなる。ボルヘスのバベルの図書館。
あるいはルールを構成して土俵をつくると、そこから戦略などがうまれる。
将棋であれ、野球であれ、そういうものだ。そこを深刻に考え始める
と眩暈がまたしてくる。

料理の世界、建築の世界、哲学の世界、文学の世界、、、
三千世界というのは本当にあるのかもしれない。人が住んでいる世界
だけでなく、分野、分野にまた独特の世界が存在していて、それら、
見えない世界はおそらく蜘蛛の巣のような形で結ばれている。

それぞれの世界や、その世界を構成している要素を一種の生き物
として、脳なのか可能性の世界なのかわからないがともかくも、
そこに住まう有機体として捉えることは可能だ。

そして、それらが写像される形で我々の住んでいる三次元空間が
成り立っている。そう考えると三次元空間自体も異界化してしまう。
そういうわけで、仮想世界に入るためにPCという道具は本当に必要
かどうかも不明瞭になり、意識を含め、なんらかの媒体があれば、
仮想世界は表現可能であり、生物圏も人間圏も情報圏も可能性の
世界が具現化され、実現された仮想世界なのではないか?という
考えがもたげてくる。そのあたりは単なる生涯学習の学びの世界
である。

で、やっぱり関心があるのは、自分の意識の中にどんな世界が
眠っているのか具現化したいという欲望だ。

そして、その前提として自分の住まう都市があり、都市の文化的
中心の一つとして、都市にある図書館が存在する。

で、それぞれの都市の図書館にある本の組み合わせは違い、
その違いの中から、図書館世界に潜ることによって、構成可能
なイメージの違いが出てくる。そして、それは自分の意識という
フィルターを通さずには出てはこないのだ。人力検索の世界。

出力されたものはありきたりでつまらないものかもしれない。
そうでないかもしれない。どちらにしてもいまここのわたしが
生み出したなんらかの結果である。

2013年11月26日火曜日

大衆化された知識を使いこなすこと

”大衆化された知識”、あまりいいニュアンスはない。
専門家集団から拡散された、使い方が少々間違っている専門用語たち。

でも、それを言うのなら、すでに漢語の段階でも、翻訳語の段階でも、
元の集団と使い方は微妙にずれているのではないだろうか?おそらく。

元々は専門用語だったものが今は普通の言葉になっている、イメージ
とか、システム、情報に記号、思想に哲学に本質。言葉の出所を探り
始めると咎を誰だって免れない。元々の意味からずれていない真正の
言葉をしゃべっていますなんていう人はいるのだろうか?

むしろ、罪深さを自覚している人々のほうが罪深さを自覚しているだけ
マシなのではないか?

私は家に辞書をいくつも置いていて、疑問が出るたびに引いてます
という作家みたいな人もいるかもしれない。その努力には頭が下がる。
でも、辞書的な意味は出発点に過ぎなくて、意味は多層的で、本当の
意味を知っている人などいない。私もそういう人に過ぎないのかも
しれないけれど、なんらかの意味で多くの人は言葉を振り回している
のかもしれない。自分が書いている(つもりの)言葉がどういう意味を
意味しているのかよくわかっていない。聞きかじりの知識を振り回して
いる、まさにその知識が「大衆化された知識」というわけなのだ。

でも、そういうことは道徳用語が大衆化された際にも繰り返された
ことなのではないか?別にインターネットの時代だからというわけもなく。

愛の本質はわからぬまま、愛という言葉はそれぞれの抱く愛のイメージ
とともに社会に流通している。東洋的な愛、西欧的な愛、日本古来から
あった対応するもの、それぞれ混じり合いながら、今の人は使っている。

家に使っている様々な家財道具、そして、今、パソコン上で使っている
道具類、ありきたりな使い方しているかもしれないし、かなり風変りな
使い方しているかもしれない。そして、アタマの中にかき集められたもの
どもも大同小異なのかもしれない。

それはそれぞれの人の事情というものだ。たとえ、使い方が間違って
いようとも、すこしズレていようとも、それはその人の状況の中での
ある種の自然なことなのかもしれない。それは日本という、知識のある
種のふきだまりでの状況と瓜二つに違いない。

紳士でもない人が紳士服を着ていても、ピザにイカが入っていても、
もはやとやかく言われる筋合いはないのと同じく、個人が使う知識や
言葉がもともとの意味とずれていたとしても、それもある種の自然な
営みに違いない。言葉や知識とは元々そういうものなのかもしれない。

どう転んでも、摩耗した言葉の織り成す生態系でしか、自分の心は
ありえない。元々の生息地から離れ、元々の生息地での振る舞いから
するとかけ離れたような奇怪な生態を帯び始めた外来生物の園なのだ。
自分の心はそういうものでしかありえないことを肯定するしかない。
日本という世界をエキゾチックの園と楽しむような外国人たちまなざし
のような感じで自分の心、自分の文章をとらえなおすしかない。

ある種の文化的るつぼには違いないから、店おりおりのカレーの
味を楽しむような感じで試食してもらうしかない。

慣用句というもの

慣用句というものを知った、というか知らなかった。あるいは意識しなかった。
意識はしていたけど、慣用句という言葉を忘れていた。

国語か英語かの授業で習ったっきり、心の棚の奥深くに眠り込んでいた
言葉。

慣用句という言葉は忘れていたけれど、慣用句的なものに意識しながら
文章は綴っていた。できうれば、自分独特のいいまわしを作り出そうと
悪戦苦闘しながら。

当然それは文化として共有されたものではなく、自分の内側から
出てきたものに過ぎないので、他者には読み取りにくい。自分さえも
どういうニュアンスで使ったのかは時間を経るごとに解読困難になって
しまう。

ラングとして共有されたものではなく、パロール、個人語のような世界に
こだわるのはなぜだろう。そんなことしても、コミュニケーションがしにくく
なるだけで、全然トクにはならないはずなのに。

自分独特の世界を生み出したところで、継承する人がいなければ、
一代限りのものになる。生体の遺伝子とて、文化遺伝子とて事情は
同じだ。そして、その独特とやらのモノに魅力や、優れた特性がなけ
れば、継承する人もいないだろう。

それでも、そういう独特のものを生み出そうと孤軍奮闘するのは、
「鹿児島で生み出されるものは、所詮、東京の二番煎じ、三番煎じ。」
と東京から来た人に言われたことがいまだに頭に残っているからかも
しれない。

そして、鹿児島から生み出されるモノはホンモノの文化ではなく、
ニセモノの文化に過ぎないと信じている人もいる。この言葉にはいろん
な意味が含まれていると思う。先の、模倣か亜流に過ぎないという
ニュアンスと、もし、何か変わったモノが出てきたところでそれは一種の
訛りみたいなものであり、普遍性はないから、影響を残さないという
意味合いもあろう。

そういう見方に対する一つのプロテストとして、何かゴシゴシ自分で
作り出そうともがいているような気がする。それは一種の郷土愛なのか、
古代から続く「まつろわぬ民」たちの記憶がそうさせているのか。
話がそれた。慣用句だった。

他人の文章の慣用句的な用法を注意してみていくと、文章の影響関係
がわかるときがある。慣用句的な用法といっても、自分で思いつけるか
どうか怪しい。たとえば「夢にさえ思い描くことができなかった」とか
「永遠的なもの」と書かれていたときに、文章の影響関係を見てしまう。

日本では西欧をはじめ、世界中の文学が翻訳されているので、知らず
知らずのうちに、各個人の言葉の中に世界中からの慣用表現がまぎれ
こんでいるのかもしれない。毎日の食卓の食材が世界中からやってくる
のにも似て、そのごった煮としての文章はある種、壮観である。

路傍の雑草が世界中からきた帰化植物から成り立ち、詳しく知ろうと
すれば、世界中の植物相のことを知らないといけないハメになるという
意味で専門家がしりごみしてしまうのとどこかしら平行する風景だ。

私も十分、路傍の植物みたいな、そこらへんにいる人間の一人かも
しれないけれど、考えたものごと、書いたものごとについては、
それ、どこから来たの?とやりだしたら、大変難しいことになって
しまうかもしれない。現代人の頭の中ってそんなものだ。

それをカラオケ文章と卑下していたけれど、ひっくり返してみれば凄い
ことなのでもあるかもしれない。

そして、私は悩む人間だ、何かしら問題を抱えているのかもしれない。
そして、その悩みに回答しようとして、回答できなくても、悩みのあり
かを記述しようとして、かき集められた知識を自分なりの文脈で使おう
とする。実存という言葉が使えるかどうかはわからないけれど、単なる
知的好奇心ではなく、自分の苦しみと何かしら関連する形で自分の
学びは成り立っているように思う。

自分の悩み、贅沢な悩み、娯楽とさえ言えるかもしれない、優雅な悩み、
だって、悩むことは生きがいとさえいえるかもしれないだけの魅惑さえ
もつようなものだから。もしかしたら、飼い慣らされた悩みにもう、なって
いるのかもしれない。教養は受け取り方を変える。逆説というものを知っ
ている。状況を楽しむ余裕を与えてくれる。もちろん、余裕が発生する
くらいの強度の状況なのだろうけど。

まったく個人的な文章だけど、類概念としては似たような状況にいる
人はいるだろう。もしかしたら、同類はウラジオストク市に住んでいるかも
しれないし、アンカレッジ市に住んでいるかもしれない。あるいは鹿児島の
裏側にある、ポルト・アレグレ市に彼/彼女は住んでいるのかもしれない。
あるいはちょっと時間軸がずれたところに同類は住んでいるのかもしれない。
また、話が別方向に飛んでしまった。

P.S 教養という言葉は自分で使うべき言葉じゃないのかもしれないけれど、
受け取り方の違いという意味で再発回数を減らすことに寄与したのでは
ないかと思ったことと、自我肥大という言葉を知っていたことで、気分の
高揚を収めることもできたのではないかと思ったこと。もちろん、そんな
簡単にはいかないだろうということは知っているけれど、でも、私のケース
ではたまたまうまくいったかもしれないこと。これも、単純に軽症だったに
過ぎないということにもなるかもしれないけれど。

2013年11月23日土曜日

画像 意味の多層性

今日、画塾で描いた絵。


意味の多層性みたいなものをモチーフにしてみた。井筒俊彦の本の影響が
強い。

白い線みたいなものは紙を表していて、青色の領域が現実、そして、茶色の
領域が意味の世界を表している。

意味の世界は地層のような構造をしていて、深層にいくほど無意識の領域
となり暗くなる。でも、また別世界からの光指す領域もところどころある。

みにくいのだけど、紙を貫いている構造物は文字であり、具体的には
「象は鼻が長がい。」(送り仮名の使い方を間違ってしまったのはご愛嬌。)
という言語学でたまに出てくる例文を使っている。

で、漢字の部分は四角く、助詞、助動詞など大和ことばの部分は丸をベース
にしている。長いというのは全部が本当は大和ことばなのだけど、長を漢字
と解釈してしまった。単なる訓読なのだけど。

やまとごとばと漢語は違う種族の生き物であって、生態が違うという風に
表現してみた。大体において、堂々巡りなどもしながら、意味は表層に
留まり、かすかに中層をかするみたいな感じにしてみた。

文末は助詞、助動詞を自在に変えられ、微妙なニュアンスを醸し出される
日本語の性質を重く見て、別世界の光の領域まで達することができるのでは
ないかと思って表現してみた。

以上、説明チックで、全然アートという感じじゃないかもしれないけれど、
基本的に自分の内側のもやもやを具現化してみたいというのが根底にあって、
それがアートと呼ばれるかどうかは他人の評価の問題だと思っている。

ちょっと説明しすぎで、黙っていたら、他人はいろいろ自分に引き付けて
解釈してくれるかもしれないけれど、一応、書かないと忘れてしまうので
自分の意図みたいなものもメモしてみた。

あと、画像による表現で最近、思っていること。

時間、空間に、枠を与えられたその時の自分の内面の記録をつけたい
というのがもともとのこのblogの趣旨である。

時間というのは1966年に生まれ、21世紀10年代を今、生きているということで、
空間というのは台湾と徳之島からやってきた両親の元で鹿児島市で生まれ
育ち、今も在住しているという空間的な枠である。

その足元を少し掘り下げ、その足元の意味するところを少し意識化したい
と思うようになった。

鹿児島といえば、鹿児島弁である。鹿児島弁の特徴の一つは言葉が全体的
に短くなること。行こうというのが行っが。ですよねがじゃっど。言葉が詰まる
感じだ。もっと正確な表現の仕方もあると思うけど、自分の言葉でいうとこんな
感じになる。

それと関係あるかどうかわからないけど、伝統的なものは簡素なものが多い
らしい。あるいは簡素化されている。これは火山灰土壌で歴史を通して貧乏
だったこととどこかで関係しているかもしれない。たとえば、示現流。練習は
束にした枝をたたくというやり方らしい。ほかにもカライモ(サツマイモ)を代用
食として食べていた時期が長いとか、簡素化の例はいくつかある。

その簡素化というのを簡素な表現としてCGでは自分の流儀にしている。
もともとの積み木的もしくは記号的な要素のある、CGの性質を生かす方向に
行こうと思った。もちろん私が技術力に貧しいこともある。

簡素だと、普通は引き算の美学となり、タイトな表現になるけれど、それは
合わないので、南国的な大らかさを旨としている。いい意味でのてげてげを
目指している。単なる堕落というよりも、「細かいことを言い出せばきりがない
けど考え方は大筋としては合っている」みたいな感じにしたいと思っている。

これは父親の性質の影響もあるかもしれない。父は台湾生まれで20ぐらいまで
台湾で育ち、技術を持っていたので戦後も何年か台湾に留め置かれた後、
引き揚げた。日本の土を踏んだとき、一種のカルチャーショックを感じたという
「なんてせせこましい人々なんだ」と。引き揚げ後も「大陸的」な感覚を大事に
していた。鷹揚に構え、細かいところにはこだわらないような感じだ。その感覚
は私も大事にしたい、引き継ぎたいと思うようになった。

アラが多い、突っ込みどころが多いことの単なるいいわけであり、そんな表現
は伝わらないと思う人は思うかもしれないけれどこれで通せるところまでは
通したいと思うのが素直な気持ちだ。

大らかな表現というのは朝鮮の民画の影響もある。私の表現が俗悪と思われて
もいいと思う。庶民である自分の生活感から生まれたものだから、背伸びせず、
気負わず、自分から出てくるものが素直に出てくればいいと思っている。

2013年11月21日木曜日

痛い文章が多い。どこかで嗤っている人もいるかもしれない。

過去の文章読み直すと、痛い文章が多い。
中二病的な匂いがプンプンする。
たぶんそういう人間なのだと思う。
自分の体臭だと思って受け入れるしかない。

そんな私の文章読んで、嗤っている人もどこかに
いるかもしれない。そういう目で読み始めたら
面白い文章の宝庫だ。

語るに落ちるといい方がある。養老先生の
『ヒトの見方』という本の最初のほうに書いてある。

内容の当否を考えず、とりあえず意見として受け入れる。
受け入れた上でその人の立場を考えるよすがとする、
みたいな話だ。

そういう意味で、ある種の「標本」として書き散らした
私の文章はそのまま「ヒトの博物学」だ。

ところで、今日は一人称研究というキーワードがある
ことをfacebook上のある先生の書き込みから知った。

当事者研究というキーワードにはかなり影響を受けている
ものの、私の営みが一人称研究であると言い立てるだけの
力があるかどうかわからない。

ただ、私の周囲には私の書き込みを「研究」とみなしている
人もいる。恵まれた環境にいる人だけでなく、市井の場に
いる人々の営みも大事だし、むしろそういうものから力を
与えられるとも。

これは私に責任というものを思い起こさせる。私が字面だけ
は知りながら、なかなか意味を実感することのできない、言葉
だ。でも、周囲を巻き込みながら、すこしずつその言葉の重さ
を私なりに感じつつあるところだと思う。

恥ずかしいことを書き続けている。でも、それが「恥を知る」
ことにつながればそれもいいかと思う。でも、ここでも言葉は
空回りしてしまう。一般論レベルでしかものを考えることのできない
私が精一杯のこととして、その言葉の意味を捉えようとする。

意味は多層的であり、物事には裏の見方がある。逆説。
状況をひっくり返す裏返した見方があればこそ、宗教みたいな
ものが成り立つのだと思う。裏返された言葉にすがることで、
なんとか苦しい人生をわたっていける、そんな時代も、そんな
人も世の中には多かろう。

「障碍を得て良かった。」という人もいる。精神障碍のみでなく、
障碍一般に適用できる言葉だろう。

でも、その言葉を受容できない人もいる。この言葉自体が一種の
逆説だからだ。宗教の言葉が、社会通念に反する逆説であり、
社会から異端視、迫害されることが多いように、
「障碍を得て良かった」という言葉も批判されうる。

生に相対する言葉は死。有に対する無。1に対する0に相当する。
それにまつわる常識をひっくり返すところから、宗教は始まったと
なんとなく思う。とはいえ、言葉で書くのは簡単だけど、その意味を
理解するのは難儀な話だ。

痛い文章。もちろん自分ひとりで思いつけるわけもなく、その日の
検索ツアーで得た考え方も散りばめられている。検索しながらの
思考の世界を加速世界とも以前書いた。
http://epimbi-madrigal.blogspot.jp/2012/05/blog-post_14.html

主治医から、私は睡眠の調節など、自分の症状をマネジメント
しているという言葉をもらった。マネジメントのための強力な道具
がネット上の記録であり、そして、自分のための記録にするだけ
でなく、共有することによって何がしかの生きた証としようという
野心さえもそこには含みこまれている。

もちろん、自分の生活の深い部分を見せてもいいと思えるだけ
の幸運なケースだからこそ実現していると思う。そして、私の記録
単独ではそんなに意味はなく、何人もの人の記録を比較検討し
ながら、ものを考える手がかりになればいい、と潔さも必要だと
思う。書かれたものを見て、どんな人が何を感じ、何を考えるか
人それぞれ。共通するものや、ヒントになるものを見つけるひと。
あるいは逆に混乱してしまう人。「どこが病気なの?」と思う人。

精神障碍は奥の深い障碍であり、どこに困っているかは本人に
しかわからない場合もあり、本人にもわからない場合もある。
私すら、長い間、自分を観察していて、どこに問題を抱えているの
かちょっとだけ見えてきたという塩梅だ。

それに対しても、「誰でもそんな部分はあるよ」という見方もあり、
事実、問題を抱えていない人はいないように思われる。でも、
精神科に通わざるをえない事情というのは厳然と存在し、その事情
があるために、おそらく長い間には深刻な副作用が発生するのを
薄々知りながら、精神薬を飲み続けているという選択をしてきた
という事情がある。そういう選択自体も時代の流れの中で変化しつつ
あるみたいだけど、いろいろな意味で変化しつつある、精神病周囲の
ことを記録する一つの生きた証言にはなりうるだろう。

P.S 一人称研究。たとえば、こんなもの。
https://kaigi.org/jsai/webprogram/2013/pdf/752.pdf
分野も手法もかけ離れているけど、案外根底にあるのは
似ているのかもしれない。

具体的なことが書かれていない。一般論のみ。

過去のログ読むと、具体的なことが書いていない。
一般論のみ。一般論が悪いわけではない。

これも単なる一般論だけど、自分の体験経験の中から
抽象してきた一般論ならそれでもいい。

でも、そんなはずがない。自分の体験経験なんて貧しい。
とすると、やっぱりどこか過去の偉い人の書いたことの受け
売りか、受け売りの受け売りか、さらにその受け売りかに
違いない。いわゆる劣化コピーというやつだ。

以上も、すべて一般論であり、受け売りの、、、というやつ。

結局、読書の世界にしか生きてこなかった私はそういう世界
から出れないということなのか?

最近の願いは、読書の世界の外というよりも、読書の世界の
奥にいってみたいという願いが頭の大部分を占めていた。

書かれているものの奥にはまだ書かれていない重要な事柄
が隠れているに違いないと思ったのだ。

最近時々読んでいるのはウォレスの『マレー諸島』という本の
ちくま学芸文庫版。

これはウォレスがマレー諸島を標本あつめに回った旅行記み
たいな本なのだけど、私はこの本をとても変な読み方してます。

ウォレスが探索したのはマレー諸島、リアルな世界なのですが、
私はこれを自分の中の世界、ヴァーチャルというよりも、端的
に見えないイメージの世界ですね、そういう世界を探索する
ときのモチーフに使いました。

自分の心の奥底をまさぐり、それをなんとか文字などの形
で書きとめ、見える形にするといういつもの作業なのですが、
それの、モチーフとして、地理的な探索の話を使いました。

自分の行ったことのない世界は驚異の世界でありまして、
19世紀に生きたウォレスの旅の記録を読むと、なんだか
今、現代流される”秘境”の映像では味わえないような
エキゾチックなものを感じます。

そして、そういうもののイメージを借りながら、自分の心の
奥地へと探検していくのであります。

自分の心の奥地への探検などと書くと仰々しいものですが、
ようするに、イメージしたものを手繰っていくというような作業
のことです。内にあるものを外に出す、ただそれだけの作業
なのです。

ヴァーチャルなもの、それも、誰かがつくったものを見る立場
なのか、つくる立場なのかで意味は変わってきます。

そして、つくったものを見る立場でも、どう見たのか、明らか
にしたい欲望を多くの人は抱えつつあるように思います。

社会的に承認される欲求から、己の奥にあるものをこの目
で見てみたいという欲求へのシフトといいますか。

それも含めての受け売りともいえないこともないと思いますが、、、
表題と全然違う話になってしまいました。

2013年11月13日水曜日

自分なりに淡々と

淡々と生きることは難しいらしい。成功に溺れず、逆境にめげず、
自分なりのバランスを取りつつなるだけ水平飛行。ああ、難しい。

気分の上下に翻弄される自分には所詮無理な話ではある。
でも、自立訓練の相談員さんの話によると、それなりにバランスを
取るのは上手なんだそうだ。自己評価ではあるけれど、まあ、
症状も軽かったというのもあるかもしれないけれど、時々おこる
自我肥大に足元をすくわれず、谷の時もなんとか自分を支えるだけ
の余裕が持てたし、またそういう状況でもあったということが今の
平穏に導いてきたのだろうと思う。まあ、単に運がよかっただけ
なのかもしれないけれど。

世間で出会う、様々なものごと、それは人だったり、出来事だったり、
作品等だったりする、それらは十分、自分への脅威となりうる。

別に人は人、自分は自分と比べたりしなければいいのだろうけど、
やはりそこはただのニンゲンである。私もサル山のサルというところ
から超越できないわけで、ココロの中で自惚れたり、がっくりきたり
するものだ。

でも、それは読んでいる皆様だって、そうなのではないだろうか。
そう簡単にヒトは仙人みたいな存在にはなれない。誰だってその人
なりの未熟さというものを持っている。

先ほどから何か分かったようなこと、悟りすましたようなことを
くどくど述べている。たぶん借り物の知識を試してみただけのこと
だろう。真に受けず、そう読み流していただきたい。

まあ、何か書き物を具体的にしてみると、批判するなり、評価する
なりできるわけだと思う。「カウンターテクスト」という表現を見つけた。

また、手作りの思想を作るためのヒントみたいなものも見つけた。

みなさん、それぞれ、身近なところにやっつけるべき未熟なテクスト
を見つけ、それを批判することを通して、自分の考えみたいなのを
構築していただけたら幸いだ。カンペキなテクストは単に信奉者に
なるしかないわけで、それは越えられない父親みたいなものだ。

そんな感じで、アラの多い、テクストというのも存在価値はあるの
ではないかと思う。切磋琢磨というか、どうか自分の考えを晒す
ことを恐れないで、批判したり、されたりを通して、自分の世界と
いうのをでっちあげて欲しいと願う。

どうあがいても、自分は自分。虚勢を張っても仕方がないことだ。
淡々と記録を続ければ、たまにはまぐれ当たりも期待できる。
バッターボックスに立って、とりあえずバットを振ってみる。
みごと空振り。それもいいではないか、なんてカッコいいことを
言ってみる。田舎のオジサンのナルチシズムに過ぎないかも
しれないけれど。

P・S ちなみに「カウンターテクストを生み出すために」は
英文は読んでいません。読める部分だけを読んでいます。
読めない部分はざっと読み流しています。部分的に読めない
テクストでも、どこか読める部分にヒントになる文章をみつけたら
それでよしとする立場です。どっちかというとざーっと読み流し
ながら、面白いと思うところを拾っていくような読み方です。

ちなみにこの文章、相手の作品を距離をもって批判的に
読み、評価すべきところはキチンと評価もし、その作業を
通して自分の立場をつくり、できれば作品として、結果を
残すという風に読みました。ものすごい粗雑な読みでは
ありますが、具体的に何かものを作ることを通して、
それを乗り越えてくれる誰かを期待するという風に読み
ました。我が屍体を越えて往けみたいな感覚です。

2013年11月10日日曜日

仮想世界観における自然主義

バーチャルな空間の特質を「本物そっくり」という側面から
入る立場はあると思う。それを仮想世界観における自然主義
と呼んでおく。

でも、私はこの取り方をとらず、「イメージの中に入る」という
側面に軸足を置いている。

イメージそのものは抽象化されている。リアリズムにこだわらない
(というか技術的にできない)のはどこか位相幾何学(トポロジー)
の発想をヒントにもしている。

イメージの中に入る、それも他人の作ったイメージの中に入る
のではなく、自分のイメージの中に入りたい、探検したいという
欲望を抱えている。

その前提となるのは自分の世界というのを知ることだと思う。
自分の考え方、内側にある記憶などを具体的に洗い出すため
に言語化という手順を踏んでいる。

とりあえずカタログのように並んだら、そこから面白いという
要素を抽出して、画像の世界を作る土台としたいという戦略だ。

自然主義とはずいぶん離れた考え方だと思う。

短歌の世界でたとえると「アタマの中で作った短歌」に相当
すると思う。短歌の世界における自然主義の立場に立つ人
には好まないやり方かもしれない。人間の想像力など、たかが
知れている、それよりは世界の豊かさを取り入れようという
立場かもしれない。

読者の中には私は外の世界に関心をもたず、ひたすら
精神世界(インナーワールド)に沈潜している、そんな印象
を受ける人もいるかもしれない。背を向けていると思う人も
中にはいるかもしれない。

でも、外の世界を構成している一つ一つのものは元々から
あったものではなく、人の想像の世界から生み出されたもの
もあるかもしれない。生物の盲目的な遺伝子レベルでの
試行錯誤の中から生まれ出たものもあるかもしれない。
物理法則のようなものでさえ、ほかの形式の宇宙もあった
かもしれず、たまたまこの宇宙のこの時代に暮らしている
そういうことかもしれない。そんな感じで、すべては可能性
の見えない世界から生まれ出たものが実現したものと
私はとらえている。

だから、とりあえず、どういう形でもいいから、(言語でも
画像でも)、可能性の世界から、目に見える世界に移す
ことを重視したいと思っている。人によってはパンドラの
蓋をあける結果になる人もいるかもしれないけれど、
それは運命のいたずらというべきものである。

P.S ここの話のベースになる話は阿部謹也の
『自分の中に歴史を読む』という本の影響もかなり受けて
いるかもしれない。自分の中から問題を見つけるという
価値観は私の中から出てきたものといえるかどうか
わからない。でも、その考え方を選択したということは
自分にはしっくりくる考え方でもあるということなのだろう。

まあ、時流と絡み合わないかもしれず、損な生き方でも
あるのだろう。一方、時流そのものかもしれず、そういう
のをよしとする生き方も流行しているのかもしれない。

2013年11月8日金曜日

アイデアは使いまわせること

記録をつけている理由というよりも、意味の一つは
ひとたびアイデア出ししたアイデアは使い回しが利くという
ことです。

今日の自立訓練の場でも、かつてアイデア出しした言葉
をかなり使いました。「ここ」がいわば情報倉庫みたいな
あるいはアイデア倉庫みたいな感じになっているのです。

で、ここがネタ帳だったとしたら、パクられるのは怖くない
のか?といった疑問が当然わくと思います。

でも、ここで表現されているのは記号であって、意味では
ありません。ひとそれぞれ読み取る意味は違うのです。
そして、そのアイデアが出てきた状況、経緯を知っている
本人の読みにはなかなか他者というのは叶わないもの
だと思います。

一方、本人には気づかない、外から観察したほうがよく
見えることもあるかと思います。そういうものもアイデアを
秘匿していたら活用されずじまいです。

料理でたとえると郷土料理は現地で食べるに越したこと
はないのです。そこにはその料理を生み出した環境なり
歴史的背景があります。

そして、料理を食べながらきっとそういう背景をも味わって
いるのだと思います。

だから、料理だけ取り出して他の地方に持って行っても
根付かせることは案外難しく、その土地で根付くにしても
移出先の歴史を必要とするわけです。

各地に郷土料理があり、それは各地で採れる食材、
そして、その食材を気候などを含め、各地の環境で生かす
ために練り上げられた知恵、そういったものが混然一体
となりながら、郷土料理は成り立っていると思うのです。

そして、それは各個人レベルに落とすこともできて、
個人もまた、いろんな状況下で毎日を過ごし、その状況
下から練りあがってきた、その人なりの知恵というものを
もっているのではないでしょうか。

P.S 郷土料理についての知識は安藤百福の本に学び
ました。それを、当事者の状況からくる生活の知恵み
たいな話に応用したわけです。まさに「使えるものは
何でも使う」というやり方をとっています。「使えるもの
は何でも使う」というモットーは主治医の言葉に学び
ました。

自立訓練のまとめ

自立訓練の文章書きの時間は今日が最後となった。
ブログ自体は終わらないけど、後ろで見てもらえて、
感想言ってもらったりするのは今日が最後だ。

自立訓練はいろいろなプログラムはあるのだけど、
心理とか言葉に関するプログラムを中心に受けた。

やっぱり、記憶に関する障碍があるのか、どんな
ことを言われたのか、曖昧になって思い出せない
のだけど、(だったらきちんとメモをとっていれば
いいのだが)全体としてみれば大事な時期だった
と思う。

昔、放送大学の学習センターに根を詰めて通って
いた時期があり、相談室で客員教授方と面談の
折にいろいろな話をうかがったのだけど、そのひと
つひとつも忘れてしまった。

そして、その昔、桜島ユースホステルで、毎晩の
ように様々な職業、専門、あるいは国籍をもった
人たちと話し込み、そこでもいろいろな話を伺った
のだけど、覚えているのも覚えていないものもある。

そういうわけで、残念ながら病気の後、記憶に自信
がなくて、具体的な一つ一つのことは記憶の中から
取り出しにくい。(でも取り出せるものもあるから、
言い立てるべきものかどうかわからない。)

でも、今までの傾向からいくと、前やったものを土台
にして次の場が積みあがるような感じで、人生送って
きたような気がする。ひとつひとつのことは忘れて
しまったとしても、そこで習ったことが次の場に行くため
の基礎になってきたように思えるのだ。

そして、覚えられなかったとしても、その場、その場では
わりと熱心に聞き入っていたり、突っ込んだ質問をして
いたりしていたので、記憶にアクセスしにくいだけで、
無意識下には残り、なんらかの機会があれば意識の
表面に浮かびあがってくるのかもしれない。

無意識をかき混ぜ、過去の記憶を蘇らせる
媒体としても文章を書くことは私にとって意味があった
のかもしれない。

あと、一日、明日の製本教室と、PC教室で自立訓練は
私は卒業だ。

2年間付き合ってくれたみなさん、ありがとうございました。

2013年11月7日木曜日

自立訓練もあと今週末まで。

自立訓練の個別支援の枠で、文章を書き、
それを相談員に読んでもらって、感想言ってもらえるのも
今日を入れて残り、二回となってしまった。

でも、不眠傾向が相変わらず続き、夕べも睡眠薬を飲み、
それでも眠れないので頓服の精神薬も飲んだ。想定どうり
今朝はドロドロだ。思考力がない。

それにしても、もう残り少ないので、何か書きたいところ。
できれば、二年間のまとめなり、PSW(精神保健福祉士)
さんへの感謝の気持ちなども伝えたいところだけど、それ
にしても、コンディションはよくなく、あまり気の利いたこと
は書けそうもない。

私はネットの散策中、自立訓練施設のホーム
ページを覗いたのがきっかけで、即断即決できめました。
節目、節目の決断は自分で決めてきたのが自分の中で
は誇りです。それが自立訓練施設との出会いです。

さて、この二年間の主な問題、自分の中での問題は
丁度、似たような体験談を『統合失調症のひろば創刊号』
の小林和彦さんの「告発される側の論理」という文章中に
載っていたので引用します。

「母は死んだ、仕事は辛い、人間関係はうまくいかない、
そういう世界、そういう現実を変えるにはどすればいいのか。
あの頃私は多分毎日悩んでいたと思う。そうしたら或る日
突然、光がパーッと差し込んだように、何もかもうまく行く
解決策が思いついた。現実を変えればいいんだ、と。
正に言葉通りのことだ。言葉が真実を示してくれていた。
その辺までは覚えているのだが、その後約一週間の間、
不眠不休で何を考えていたのかは一割くらいしか覚えて
いない。様は現実に対する考え方を変えたのだろう。
その結果、発狂した。」

最初の病気のとき、なんなく色合いの似たような体験を
しています。まあ、発病の背景そのものは人それぞれ
なのですが、そこに至るストーリーがパターン的に似て
いる部分があるのです。

そして、その後は一度は再発し、その次から、は不眠が
続く時点で危険を悟るようになり、頓服の薬飲んだりして
未然に抑えるようなことが幸運なことに出来ています。
でも、その方法で抑えきることができるかどうかもまた
ケースバイケースだとなんとなく思っています。

そして、いつのころからか文章を綴るようになり、
自立訓練施設の個別支援(私の文章では
主に木曜、金曜の文書の一部がそうです。)の時間
に文章も書き、後ろでPSWの感想をもらうような感じ
になっていました。文章療法とかのプログラムという
わけではないのですが、まあ、個別支援でやってもら
たいことは文章の感想を言ってもらうという感じだった
のでそういう感じになりました。

上で小林さんの文章見ることで、頭が冴えて、眠れ
なくなって、みたいな病気発生のパターンをほかの
人の記述から再確認できるようになって、やっぱり
文章書くことは他の人にとってなんらかの意味は
あるのではないかと思うようになりました。

そして、PSWの人に励まされて、書くことに若干の
意味を感じることができるようになりました。もちろん
ネット上の友達やリアルの友人のアドバイスもため
になりました。書き出し最初のころはあまり読んでくれる
人もいなくて、挫折しかけたことも何度かあります。

さて、先にも書きましたように、薬の影響で今日は
ドロドロなのでこれにてにさせていただきます。
うまくまとまったかどうかわかりませんが、ご容赦を。

2013年11月6日水曜日

内省能力 自分だけの世界

当事者のブログを読んでいて「自分だけの世界」という表現があるのを
知った。http://blogs.yahoo.co.jp/a_peace_of_pepper5555/25377714.html

一方、「自身の心的な活動に気づくことができる能力(内省能力)」という表現にも出くわした。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007505097

それは能力ととらえることもできるというのはあまり知らなかった。
外向的、内向的という用語は知っていたけど、内面を言語化することの個人差
についてはあまり考えることはなかった。

ただ、漠然と、内面を語る文書の少なさにはなんとなく気づいていた。そして、
周囲とは違うという意味で孤独感を感じることも多々あった。

一方で、「個人に目覚めた」のだと誇りを感じることもあった。

自分の心的な活動に気づくことができる、と確かに上の文章には書いてある。
でも、その正当性ははなはだ疑わしい。ゆえに内観的なものは従来、心理学では
重視されなかったことも知識として知っていた。

たとえ、それを知っていたとしても、記録がないよりはあったほうがマシという思い
が記録することを支えていた。

近年、ナラティブなものが重視されるようになっているという情報はもちろん、私の
もとにも届いている。そして、そういうものが後押しとなってブログを継続していること
は事実である。

でも、一方、そういった類のものに関する、訓練は受けていない。だから、よきにつけ
悪しきにつけ、アウトサイダーな立場に立つことになる。

アウトサイダーな立場、別の言葉でいえば野生の立場、野良猫的な立場である。
それは記録をゴミにするリスクも、戦略的に「アウトサイダー」ゆえに基礎が抜けている
ことを利用できる両義的な意味を持っていることも知っている。もちろん、そこには美術
の世界での「アウトサイダーアート」という用語やレヴィ・ストロースの「野生の思考」という
用語なども絡んでくる。

言い立てることが許されるのなら、百姓という言葉が指すように、当事者である自分という
存在を軸にして百般の分野に開かれているということになるのかもしれない。

それは別に当事者というのは誰でも当事者でいいのだ。何らかの意味における何らかの
当事者。自分の住んでいるローカルな場を中心にして世界座標をつくる作業に似ている。

むしろ、これまで、ローカルな位置に心理的に押し込まれてきたことがわかる。ある意味、
声を奪われてきたのだ。そして、今も、多くの人は自分で「声を与える価値がない」と思い
こんでいる人が多い。私は逆説的ではあるが、精神病の当事者という枠に気がつき、
私なりに世間に吠えはじめた。「弱い犬ほどよく吠える」とはよく言ったものである。

自己顕示欲みたいな欲望は隠すことはできないが、さりとて、誰でも時代の証言者として
発言する一票を与えられている。一票は一票。その影響力はないに等しい。でも、どこか
らでも検索できるということの潜在的意味合いは大きいと思う。そして、逆にそこから来る
リスクと責任はある、そして、そのために多くの人は沈黙している。

でも、テレビに出る人はさんざん恥をさらしてきたではないか。そして、フロー情報であるが
ゆえに、「とりかえしのつかないこと」では決してなかったではないか。もちろんメディア発信
も火遊びだ。山火事になるリスクはあり、山火事になってしまったら、個人の力では消火は
できず、自然沈火するのを待つしかないというのも一応は知っている。

「意識の流れ」のような感じで時一刻、いろんなものが心の河を流れている。そして、それは
時代の河でもある。流れ去っていって、あとには残らないものを惜しく思い、そのうちのいく
らかのものを拾い上げてみただけである。

壮大な歴史の流れの中で、いったいどれ程の「語るべき事柄」が闇の中に押し込まれてきた
のかとくと想像してもらいたい。そして、今もなおその歴史が継続中なことも。

私のいる場では何が問題になるか

人それぞれの人生というものがあり、それぞれの人生の中で
何が問題になるかは違う。

精神病といってもケースバイケースであり、それぞれのケース
で何が問題になるか違う。

私の場合はリウマチは初期の状態をずっと維持し、薬は朝夕
一錠飲むだけで済んでいる。まあ、痛みは全くないわけでは
ないけど、たぶんこういうのは痛みに入らないということも可能
なくらいの痛みだ。

精神病についても、似ている。数日不眠傾向だったけど、、
夕べ(2013.11.05)の夜のテレビで丸岡いずみさんのうつ病の
闘病生活の様子が番組で放送されていたけれど、動画として
うつ病の様子を見たのは初めてで、「本当に大変だなあ」と
思った。ときどき現れる私の抑うつの症状とは比べものに
ならないように感じた。

そういう意味では、急性精神病状態のときや、その後に続く
陰性状態のときは別として、平穏期のときは病気のうちに
入らないとさえ、いえるかもしれない。まあ、これは私の場合
であって、人それぞれケースバイケースである。

記録を採ることは気持ちを整理すること、気持ちのメンテナンス
の要素もある。でも、楽しめてやれるくらいの範囲内に落ち着いて
いて、人によっては、とてもではないけれど、そういうことは出来ない
という風な状態もまたありうる。

まあ、うまくいっているからこそ他人に見せることができるのである。
そこのところは自分で自分というものをわかっておかないといけない。
そして、「何も語りたくない」と現在思い、もしかしたら、私の文章を
読むだけで痛みを感じている人もどこかにいるかもしれないことも
心のどこかに留めておかなくてはいけないと思う。私は今のところ、
うまくいったケース、恵まれたケースに過ぎないのかもしれない。

何をもってうまくいったかどうかは書くのは難しいけれど、いろいろ
なものごとを左右するのは微妙なことかもしれないし、それは日々
の積み重ねかもしれないし、人生の分岐点における判断かもしれ
ない。この先、私の人生に何が待ち受けていたとしても、書き続ける
ことを選択できるかどうかもわからない。めぐり合わせの結果、
たまたま「ここ」にいるとしか言えない。

私より今恵まれた境遇にいる人、もしくは、なんらかの意味でより
難しい境遇に遇している人、でも、それはたまたま、であって、
何かちょっとしたことで、その立場は入れ替わっていたかもしれない。

でも、私はたまたま「ここ」にいて、自分のことを書いてみようという
気持ちを起こさせている。

話はちょっとだけ飛んで、植物採集の話をたとえとして使う。ちなみ
にリウマチの具合で山歩きはしない、ので植物採集会のお誘いは
月に一遍くるのだけど、行っていない。植物の世界にほとんど貢献
していない私があんまり植物の世界のことを書くことはよくないの
かもしれない。でも、私の中ではこのブログを書くにあたっての重要
な補助線になっているのである。

人それぞれ、遺伝的背景やら、境遇やらあって、それぞれのその時
の環境、もしくは世界というものを作っている。

ましては今は情報革命もしくはメディア革命と呼ばれる変動期にあっ
て、百年単位、千年単位(そういう時代がもしあったとしたら)でも重要
な時期だと思う。そんな中でそれぞれの人々は生き証人としての証言
の機会と手段を与えられているのだと思う。

わかりやすい過去の例でみれば、世界大戦時、もしくは大学紛争時、
それぞれの当事者の遇した世界は記録に残す意味はあるというのは
わかりやすい。今は同時代だから見えにくいけれど、この情報革命の
さなかの様子も記録するに足るし、記録しておかなければ、再構成と
いうのは無理なのだ。私、自身はバブル時代は体験したけど、もうそ
のころのことをどう再構成しようとも、厳密な意味では再構成できない。

そして、表面的な意味でのその時代というのは新聞、テレビその他
マスメディアというものがあるから潤沢に記録は残されるに違いない。
でも、深層であればあるほど、記録は少なくなると思う。大体、時代の
深層というか、各個人の心の底で何が起こっているか?起こりつつ
あるかというのは内省してみて言語化しないことにはわからない。
もちろん、内省なんてあてにならないというのも知ってはいるけれど、
記録が何にもないよりははるかにマシだと思う。何にしろ各時代時代
で一番記録に残りにくいのは心の中のことなのだから。

そういうわけで、フィールドを植物採集するがごとく、時々心の中に
潜って、そこにあるものを採集しているような感じなのだ。そして、
何を採り、何を採らないかは採集者に任されている。たぶん記録
しているということは何らかの意味で採集者にとってはそれが
価値あるものとおもっていたということの記録でもある。

その時の自分にとっては価値があるから採ってみた。でも他の人に
とってそれが価値あるものかどうかはわからない。でも、一般に
新種に相当するもの、ある種の発見であるものは価値あるものと
されるかもしれない。世界の中での発見、日本国内での発見、
地域での発見いろいろレベルはあるだろう。植物では南限、北限と
いうものもある。ある境界を表す指標。その境界を越えると現れなく
なる要素みたいなものだ。それから多様性。その他、隔離分布とい
ってかけ離れたところに同じ要素が見つかるようなこと。抽象的に
なってしまった。でも、以上のことを通して、植物採集のような感覚
でブログを書いていることがわかると思う。

そして、採集地に初めて入るというというような出来事もある。
西洋から派遣されて、日本というフィールドに初めて足を運び、
植物を採集して、報告するというようなことである。日本というのは
地理的な領域であるけれど、それは必ずしも地理的とは限らず、
もっと抽象的な領域かもしれない。これこれの条件下、状況下の
人々でもいいはずなのだ。

西洋では文書館として、過去の文書が保管されて、歴史を調べる
際の基礎となっている。西洋ほどではないけれど、日本でも神社
仏閣に文書は残されている。ちなみに鹿児島は歴史の継続性が
長く、戦乱などで荒らされていないので文書類は豊富で、
『入来文書』など、鹿児島の地域史ではなく、封建時代そのものを
調べる際の基礎史料になるものがある。他にも『島津家文書』と
いうものもあり、歴史を調べる際の土台になっている。

そういったことも私が記録を残す補助線となっている。メディアが
大衆化されたということで、これからは個人が記録を残す時代に
なるのではいかと思うのだ。歴史は決してえらい人、優れた人だ
けのものではなく、個人は観客としてではなく、役者としても、歴史
という舞台に立てるのだと学んだ。メディア革命は意識革命でも
あって、これからは個人も歴史意識というものを持つようになる
のだろう。

歴史意識に目覚めること

歴史意識という言葉を学んだのは主に阿部謹也と色川大吉の著作
からだった。両方に著作に書いていることは偉い人だけではなく、
普通の庶民にも歴史というのはありうる。歴史の当事者でありうる
という話だった。ネットであれこれ散策するうちに歴史学者としての
当事者という視点さえありうるということを知るに至った。

一方で普通の人などに歴史はない、極端に言い出すと普通の人は
経済の道具に過ぎないと思っている人もいるかもしれない。

そして、普通の人を歴史学者と持ち上げることで、またネット上に
ノイズやらゴミやらが溜まっていく、そう眉をひそめる人もいるかも
しれない。

ひところ流行った自分史も読み手はそんなにいるはずもなく、
図書館も献呈図書の扱いに困っているという話も聞く。
江戸時代に出版された有象無象の出版物ですら、その扱いに
困っているのだ。

やがては総量としての数の一つになっていくのだろうか。
それをいうなら現在、商業出版されている図書たちもやがて
書庫の底に沈み、図書館としてはお荷物同然のものになってしまう。

原理的に言えば万人の歴史意識というものがあっていいはずだ。
少なくともその記録のための道具はそろったのだから。

粘土板を蓄積することを思いついたこと、メディアってそういうもの
だと思う。それが現代の文脈で庶民の元に届いた。歴史上何度も
そういうことは繰り返されたはずだ。

2013年11月4日月曜日

何が売れるか 何を売りたいか

表現を発信するということは「売る」行為とどこか似ている
と思う。

読み手の時間と交換に表現を売る行為と意味づけること
が可能だ。

そこでキーフレーズになるのは「何が売れるか」ということ
と「何を売りたいか」ということだと思う。

「何が売れるか」、つまり読者が読みたいと思うもの、実は
これはよく知らない。私が発信するもので読者にとって
価値があるとされうるもの、さっぱりわからない。

でも、それはいいことでもある。読み手側の欲望に影響を
あまり受けていないということでもある。

読み手側の欲望におもねることがいいことなのか悪いこと
なのかわからない。短期的、長期的、両方の観点が必要
かもしれない。といっても、現代において発信される情報の
大部分は長期的な観点において意味を持ちえず、埋もれて
しまう宿命にある。どちらかというとフローとしての情報という
側面が大きい。

読み手側が読みたいものを知らないと、客観的な価値が
ないものを延々と垂れ流してしまうことになりかねない。
そういうものは迷惑でしかないだろう。でも、そこでいう
客観的価値とは誰にとってのどんな価値なのだろう。
さっぱりわからない。

私が発信するものは読み手にとって、どうでもいい、
街の環境音楽的あるいは、テレビにおける広告のよう
なノイズみたいなものなのだろうか?

それとも、何らかの有意味なものなのだろうか?
精神病者が日々何を考えながら生きているのだろうか?
という興味はきわめてせまいながら存在していると思う。

急性精神病体験を経た人がその後どう生き、その体験は
その人の人生においてどんな意味合いを持ち、その人の
現在にどのように影響しているのか?という問いは存在
すると思う。事実、私が長々と日々記録をつけている理由
の一つだと思う。

そして、そういうものが記録されている資料も私は見たこと
がない。だから、といって今までに記録したデータがそういう
資料ですと言い立てるだけの資格はあるのだろうか?

ある意味、人工的な資料だと思う。いい意味でも悪い意味
でも意識過剰である。もちろん、意識化しないことには浮かび
あがらないこともあるだろうから、全く価値がないとはいえない。

でも、その浮かび上がったとされるものは正当性はあるのだ
ろうか。極端な場合、でたらめ放題書けるのである。

読み手には批判的な目をもって、疑いつつ読んでもらわない
といけない。全面的な信頼を置けるかというと、私はそれなり
に誠実な気持ちで書いているつもりだけど、いろんな面で
不備はあるだろう。

長々と書いたので「何を売りたいか」に移る。何を売りたいか
つまり、書き手にとって価値あるもの、伝えたいものである。

それはまさに先ほど書いた、日々何を考えながら暮らしている
のだろう?ということだ。

表題というのはその日に思いついたテーマである。
いわば浜に上がったばかりの魚みたいなものだ。

その日の魚屋さんに並んだものが日々の文章なのである。
身辺雑記みたいなものではあるけれど、最近読んでいる本、
聞いた話、思ったことなどに強く影響されている。もろもろの
影響の結果、問題となって浮上したのがその日のお題だと
思う。

魚は無意識下にいろいろほかの魚もうろちょろしていたこと
であろうが、そちらは釣り上げず、出てきた魚が釣り上った。
これも何かの縁ではあろう。

そして、ひとたび「現実化」した文章はそれ以後、消去しない
かぎり存在しつづけ、私をある面、拘束してしまうことだろう。
文章は書けば書くほど、書かれたものによって規定され、
固められてしまうように思われる。

そして、それらが地層のように積みあがったものが発信された
ものの総体なのだ。

そこに今という時代を感じる。一昔前であれば、せいぜい文集
の数頁を飾るといった範囲でしか発信できなかっただろう。
一介の患者が、分厚い記述を生み出せる機会は与えられなか
ったはずだ。そして、ひとたび生み出せたとしたら、そこを足場
にして次なるものごともありえるかもしれない、そういうことだ。

もちろん、批判されるかもしれないし、無視されるかもしれない。
でも、批判が可能になるのもデータとしての存在が前提になる
だろう。沈黙している限り、批判もできないのだから。

何人かの患者が発信するのに刺激を受けて、自分の記録も
公開しようとしはじめた人々もネット上ではちらほら見かける。
それらを比較参照することで、お互い欠を補いながら、それ
ぞれの記録は生きてくるのだろうと思う。

まとまった資料があればこそ、断片的な資料も生きる。
少なくともないよりはあったほうがいいのではないかと思うのだった。

精神病の履歴の刻印

よくもわるくも、私の書いたり考えたりすることの中には精神病の履歴
の刻印が深く刻み込まれていると思う。

よくもというのを怪訝に読まれる方もいるかもしれないけれど、精神病
の体験にはもちろん恐怖体験もあるけれど、魅惑的な要素もあるから
だ。精神病を通して何かこの世界の深層にかかわるものが垣間見れた
という風な印象から離れることはできなかった。

脳の故障と割り切ることがついに出来なかったのだった。だから、世界
の成り立ちを少しでも理解するために読書生活が始まった。でも、以上
のような動機に基づいているので、必ずしも健康な読書とはいえなかった。

物事を深く掘り下げようという傾きはついに治らなかった。そして、その
ことは世間の人から関心ごとその他において異質性みたいなものを
育んでしまった。

異質性を個性と捉え、あるいは世間の人と差異化したいという欲望を
持っているのだろうか。ある種の知的エリートとして、あるいは知識人
として自分を規定しているのだろうか?

心の底の底までたどっていくとそういった鼻持ちならない要素はある
と思う。事実、検索するキーワードとか思い出してみるにつけ、その
感を強くする。でも、自分の心を裸にして、裸の自分と向き合ってみる
と多かれ少なかれ人の心には醜悪な部分があるのではないかと思う。
せめて、無理のない範囲で、その醜悪な部分とも向き合おうと思う。
でも、そう書きながら、そう書くことによって誠実さを担保しようとする
自分もいる。なかなか厄介だ。

精神病自体の症状らしきものは、特に非日常的な異常体験に類する
部分はまれにしか体験せず、日常的に体験するのは気分の高揚とか
抑うつなどに関することだ。

二次的に乱読の結果、おそらく、風変わりな人格が出来上がって
しまった。病気の前からある意味、風変わりなところはいつの時代でも
あったから、さらにそれを強調する結果となった。

他者とは時に濃密に語り合うことがあるし、少数の他者とはいつも
深い話題で話し込むことが多いのだけど、どことなく孤独感を感じている。
濃密に話し込んでも、相手にとってみれば、相変わらず謎の存在、
そんな感じなのだ。

長々とものを書いているのは少しでも自分のことを理解してもらいたい
という願望もどこかにはあると思うけれど、結果としてわからない部分を
増やしているような感じである。でも、それも読書したりとか自分で選んだ
結果だと思う。

わかりにくい私の文章ならびに画像などの表現につきあってみて、
読者としては何か得るものはあるだろうか?

一般化できない、点データとしての個人の記録である。おまけに、
典型的な患者かというとなんとなくそうでもないと思う。

でも、周囲には比較してみると面白い考察を得られそうな当事者は
何人もいるし、それはこれをお読みの読者の周囲にもそういう方は
いらっしゃるかもしれないし、そういう意味では労苦をもって資料化
してみていることにも何らかの意味はあるかもしれない。

たとえば、精神科医の思想性について考えることのできる資料は
図書館いけばすぐ見つかる。では患者のほうの思想性については?
患者の思想などに価値を認めない人のほうが多いと思う。

かえって患者の人生を複雑なものにしてしまう可能性のほうを読み
取るひとのほうが多かろう。

でも、思想性のある患者というのは方々を探せば一定数いるだろうし、
プリミティブではあろうけど、その実存性という意味では真摯な探究者
という側面は疑えないだろう。

哲学的訓練を受けたわけでもなんでもない、患者の思想など、ゴミ同然
とさえ言い渡すことも可能だ。でも、そこにさえ何らかの歴史的意味は
ありはしないだろうか。超ミクロかつローカルな歴史ではあっても、
患者の全エネルギーをかけた真正の思想をそこに読み取ることはでき
ないのだろうか。

2013年11月3日日曜日

スルメを観察して生命を読むー固定という概念

『スルメを見て、イカがわかるか!』という本がある。
養老孟司と茂木健一郎の対談集らしい。
まだ読んでない。

でも、「スルメを見て、イカがわかるか!」という発言の表面的な
ところだけはなんとなくわかる。

ところで私の場合は全くの逆発想だと思う。
大学の時、染色体の観察実習の折に固定という手順を習った。
ホルマリンを主体とした固定液に細胞を含んだ根の先端を
浸してしまうのだ。それによって、タンパク質が変性し、生命の
動きは停止してしまう。

以上のような操作と類似のことを生物の観察一般で広く行われている。
押し葉標本はぺしゃんこになった乾燥した植物の遺体だし、標本という
もの一般がそういうものだ。そして、そういう操作によってはじめて繰り
返し同じものを観察するということが可能になる。

話がまた難しくなったので、昨日のお絵かきを。



主題は「固定された染色体」だ。

書き方が悪くて、話が見えなくなってしまった人もいるかと思うのだけど、
大体において、私の表現したものは「自分の標本を採る」という発想で
今のところ組み立てられている。そんな難しい言葉を使わないで自分史
といってみたほうがわかりやすいかもしれない。

表現という形で内側のもやもやを固定し、外化する、そのことによって
繰り返しの観察が可能になる、という原理だ。

画にはいろいろ不満なところもある。染色体6本というのは学生のとき、
扱っていたクレピスという属のキク科植物の染色体が6本なのにちなんだ。
染色体6本というのは植物の中でも最も少ない部類にはいる。それは
いいのだけど、6本全部同じというのはおかしい。細かく言い出すと
きりがないのだけど、解剖学的に正しいことを目指したわけではないの
でご容赦を。

どっちかというとイメージメモという感じだ。メモというには作成に2時間
以上かかっているので、そう気軽にというわけではないけど、自分史の
ビジュアル版という感覚も入っている。

「誰でも画がかける」かどうかはわからないけれど、PCは技術を大衆化
し、多くの背景を持つ人がこういう世界に入っていくことを可能にしている
側面はあると思う。

その場所、その時で、考えたことの記録としては十分だと思う。

そして、極私的ではあるけど、それは世相の一部である。表現として
表面に浮かび上がったことを通して、その深層について考えることを
可能にする。こういう考え方は中野収『戦後の世相を読む』に学んだ。


微視の史学 アタマの中で起こった出来事をどう評価するか?

日本は世界の中でもブログ人口が最も多い国の一つらしいけれど、
歴史的にそうなる土壌があるんだなあというのが最近の感想。

月並みだけど、王朝日記文学から始まり、綴り方運動、
『ふだん記』などの自分史運動などを経て、ブログの時代へという
流れがある。

通時的に自分のブログを位置づけるという座標軸さえ持つことの
できる恵まれた環境といえる。

あれこれのいつもの検索散策の中で今日は「微視の史学」という
用語を拾った。同名のタイトルの本もあるそうだけど、県図書の
書庫に眠っているかどうか。

巨視の史学に対応する概念として微視の史学というものがある
らしい。鳥の目に対する虫の目。

類似の視点を植物生態学の本の中で習った。同じく、ものの見方
には微視的な視点と巨視的な視点があるということなのだけど。
一平方メートルの枠に生えている植物をプロットしていく、というも
のから九州全体の植物相を大まかに区分するようなものという
感じの縮尺によって何が主題になるかというのが変わってくると
いう話。ただし、価値的には巨視的、微視的どっちがどうだとは
いえない、と思う。

さて、フィールドを身近にもってきて、私のような感じの精神科に
通っているような当事者と設定した場合、わたし的には微視的
はさらにローカルになって、「アタマの中で起こった出来事」まで
及んでくると思う。まあ、もちろん、意識の流れみたいなものを
いちいち記録することに意味があるかどうかは不明だとおもう。

「アタマの中で起こった出来事」も表現することによって、取り出し、
発信してしまえば、アタマの中を越えてしまう。

まあ、私のブログとかと比べてみても仕方のないことだけど、
「色即是空」みたいな重要な概念がアタマの中で、あるいは対話の
中で生まれた瞬間みたいなのが記録されていたとしたら、十分重要
なことなのではないだろうか?

私のヤマカンなのだけど、『大般若経』の中には「色即是空」が生まれ
るまでの歴史的経緯が記録されているのではないだろうか?そうだから
こそとても読み切れるものではないとされる長大なテクストを玄奘三蔵は
生涯をかけて翻訳したのではないだろうか?それに至るプロセスを知り、
伝えたい一心で。まあ、あてずっぽうのヤマカンなのでそこのところ、
よろしく。

その人の中からしか生まれ出ないなんらかの言葉がある。あるいは
表現がある。有名無名に関わらず。そういう事実が私の書く意欲を
支えている。もしかしたら全くの徒労に等しいことかもしれないことを
長々と続けている理由である。

2013年11月1日金曜日

物質的にそれなりに豊かな生活と精神的に精一杯の豊かな生活を目指して

別に豊かな精神生活像を描きたいという野心があるわけ
ではない。でも、本音を書くとそうもいいきれない。

ネットを散策すると、縄文人は、あるいは古代人は
意外に豊かな精神生活を送っていたかもしれないとある。
精神文化を彩る遺物からそう映るのだろう。

物質的にはそれなりの豊かさが広く行き渡っている。
コカコーラは誰が飲んでもコカコーラであり、
コンビニに行けばおいしいお菓子を買うことができる。
時間軸をさかのぼっていくとそれらのことは決して
「あたりまえ」というわけでもなさそうだ。
月並みだけど、大量生産、大量消費の恩恵ということか。

衣食住がそれなりに維持されているとすれば、
あとは精神生活ということなのかもしれない。
精神生活という言葉が精神世界を連想させ、嫌だ
というのなら、文化生活とでも呼んでおこう。

唐突にだけど、話は19世紀のイギリスに飛ぶ。
この時代のイギリス、労働者階級も巻き込みながら
博物学が流行したそうだ。
博物学、もうちょっと易しく書くと標本集め。

カネをもっていなくても、野外を動き回れば標本が集まる。
標本は所有欲を満足させ、標本を通して学びの機会を得る
ことになる、というわけで、労働者階級対策みたいなのにも
都合のいい媒体だったことが分かる。

博物学は東洋では本草学と呼ばれ、日本でも時期を同じく
して流行した。

そういう現象と今の普通の人による情報発信みたいなもの
が異なる時代での相似現象みたいに見る人もいるらしい。

江戸時代、化政文化と呼ばれるくくりの元、本草学だけで
なく、寺子屋などを通じて読み書きは庶民レベルまで広がり、
それらの成果は写本や、地方(じかた)文書として現代に
残されている。

写本のほうは数が多すぎるので未だ調査の進んでいない
ものも多い。写本の一つの類型は読み書きを学んだ人々
が学んだ成果を生かし、周囲の風物、読んだものの抜き
書き、エッセイ等なども含まれる。自費出版に感覚として
は似ているのかもしれない。そういうものも面白ければ、
誰かの手によって書き写され、複製され、写本となった。

地方(じかた)文書というのは豪農の土倉などに残された
手書きの文書のこと。江戸時代の民衆の具体的な生活
像が分かるために研究者にとっては宝の山とされるそうだ。
その地方文書を通して、歴史の書き換えが進んでいる。
時代劇で描かれる類型的な庶民像、農民像を越えて、
具体的なその時代を生きた人々の顔(格好だけでなく、
日々何を感じ、何を考えてたまで)が描かれるように
そのうちなるかもしれない。

翻って、後世、この時代の人々はどう描かれるようになる
のだろう?日々、膨大に生み出されるネット上の情報も
貴重な史料には違いないだろう。でも、江戸時代の写本
と同じく、あまりにも数が多いために、ほとんど密林状態
で調査も進みにくいかもしれない。

むしろ、「精神福祉史」とか「精神医療史」その他細分化
された領域内で歴史が語られるのかもしれない。

昔、中国ではある層の人々は後世、歴史の史料になることを
意識しながら、文書を書き残した。もちろん、意識的に
自分(達)に都合のいいことを書き残すということもあった
だろう。後世、顕彰されることでも夢みながら。逆に後世の
人から攻撃されることを備えて、ある種の証拠として、
あるいは弁明として書き残した人もいるらしい。

歴史といってもそんなに大仰なことを考えなくてもいい
かもしれない。家族レベル、小範囲な地域レベルで過去
を振り返り、過去から学ぶ素材として成り立てばいいの
かもしれない。

遺されたものを読んで、何を学ぶかは人それぞれ。
反面教師であってもいいじゃないかと思う。何かを遺した
からこそ、そこから何かがくみ取れるわけであって、
遺さなかったら、何も考える材料は得られない。

太古、国のようなレベルで、情報を遺すということの
重要性が意識されるようになった。ある種の歴史意識
みたいなもの。

そういうものがきっと下々のレベルまで降りてきて、
今、自分の主題のひとつになっているのかもしれない
と思う。

過去の反省から何を学ぶか、何を生かすかは人
それぞれ。

P・S 前半はよかったけど、後半は???
難しかったという感想をもらった。まあ、書いている
うちにこうなってしまったという文章。興がのってくる
と何を書きだすかわからない。それも含めてまた一興。

2013年10月31日木曜日

本物の独創性への入り口

借り物競争的な言葉、カラオケ文章的な言葉、
そういうものから脱却するのは難しい。

自分の中から探すだの
自分の足元を掘るだの

その言葉自体はやっぱり借り物に過ぎない。
でも私自身にとっては大事な言葉で、
いわばホームセンターで購入したシャベルみたいなもの。

手に入れた既成品のシャベルで、
自分の足元を掘っていくのだ。
うまい掘り方などあるかもしれないけど、
あまりよく知らない。

埋蔵金探しの愚かさはあるかも
しれないけど、何か自分の心の底
に埋もれているという薄弱な
信念の元に土方仕事のように
言葉の山をつくっている。

「カツン」と何かにぶち当てる
のを密かに願いながら。

「カツン」とぶつかる何かが
自分の主題につながる手がかりであって、
本物?の独創性への入り口だと思ってる。

その泥臭さは
ノーベル賞をもらうような学者さんたちの
エレガントさには程遠く、
町工場のおやじさんたちの
ようにとにかく自分の土俵を
才能とも環境とも関係なく
運鈍根で
掘り進めていく土方仕事。

私には土方仕事続けられる
おじさんたちの筋力も
職人仕事続けられる
おじいさんたちの技術も
ないけれど、
自分の与えられた境遇なりの
工夫は続けようという
前向きな気持ちだけは幸運な
ことに持てている。

そして、自分では気づかないけれど、
そういう環境と対峙することから
出てきた生活上の知恵みたいなのも
きっとどこかにはあるのだ。

そういう自信を持つことができるように
なったのも、周囲の温かい目をもった
人々のおかげだ。

感謝感謝。

P.S 本物の独創性とか大仰な看板を飾っておいて
本文は陳腐で下らないことにすぎないと読まれると
思っている。でも、その平凡なことを愚直に続ける
ことなのだと思う。才能という神秘化された言葉な
どではなく。

不眠、薬で言葉を散らすこと

睡眠薬夕べのんで、しばらく前までドロドロだった。
facebookのほうでしばらく前まで、ハイテンションで
書き散らし、一応落ち着いたみたいなのだけど、
相変わらず不眠が続く。

その都度に、主治医からもらった睡眠薬の頓服を
飲み、落ち着かせる。

でも、そんなの繰り返すたびに、睡眠薬飲まないと
寝れない体質になってしまうのではないかと恐れ、
先日は我慢した。

明け方にようやくうとうとして、しばし睡眠らしきもの
を取り、その日は仕事。

夕べもまた、不眠っぽくて、4時くらいに睡眠薬飲んで
でも、8時ちょっとくらいに起きた。眠いような眠れない
ような中途半端な状態。

不眠は、大体考え事が回って、頭が冴えてくるという
傾向が多い。5分位で寝入ってしまうという人が羨ましく
て仕方がない。

世界の謎を考え込んでいるというのは大げさな話なの
だけど、大体考えることは浮世離れしたこと。そして、
だんだん考え事の内容の言葉はまとまってくる。

それはあんまりいい傾向ではないので、秩序がかって
きたら、精神薬の頓服飲むなり、睡眠薬飲むなりする。

すると、アタマは働かなくなり、言葉は散らされえる。
で、大体そういう考え事もしばらくの間は考えなくなる。

でも、消え去ったわけではなく、しばらくするとまた、
言葉が集まってくる。そして、頭が冴える。

私思うに、脳の故障の問題という見方もあるけど、
言葉の問題という面もある。

考え事にまつわる言葉が今では胸の内に結構溜まって
いて、ハイテンションになるとかき混ぜられ、意識の
表面に上がってくる。

不眠ののちに「発見」をして病気に突入みたいな目には
もう遭いたくない。されど、「根源の探究」もやめられない。

「根源の探究」なんて書いたのを読んで、嗤いたいひとは
嗤えばいい。トンデモな人だと思いたい人はそう思えば
いい。

でも、人間の深層、世界の深層について興味を持っている
のは心理士とか精神科医ばかりではないし、そういった
以外の人も自分なりに考える自由は持っている。

考えたところで仕方がないということもつくづく知っては
いるのだけど、、、

2013年10月30日水曜日

イレギュラーな出来事に弱いこと

普段、症状らしい症状は見えない(と本人は思う。)。

けども、イレギュラーな出来事には弱く、
イレギュラーな出来事が起こるとアタマがカクカクして
回らなくなることがある(ただしケースバイケース)。

仕事中、普段はサクサク進むことが多いのだけど、
仕事内容なので具体的なことは書けないのだけど、
ちょっとしたイレギュラーなことが起こり、固まって
しまった。

本当にパソコンがイレギュラーな出来事に弱いのと
瓜二つである。

なんとなく、こういうことについてこう思う。

健常者のアタマは堅牢に出来ている。何か小さな
イレギュラーな出来事が起こっても、神経の迂回
ルートみたいなのが作用して、問題は表面化しない
のではないだろうか?

でも、急性精神病状態などの、大きなトラブル、
PCでいえばクラッシュみたいなもの、が起こって
しまうと、神経の迂回ルートのいくつかが使えなく
なってしまい、堅牢性が低下するのではないか?
と思うのだ。

PCのOSにほころびが出てきて、だんだん不具合
が出てくるのとどこか似ている。ただアタマの場合
は神経修復機能も整っていると思う。

遺伝的素質などによって、神経の堅牢性の個体差
は大きいと思う。後天的なことによっても、堅牢性
が増して行ったり、低下していったりみたいな変化
はあると思う。

堅牢性の増加の伸びしろみたいなのにも遺伝的
素質は絡み、もともと素質の低い人が頑張って
みても、訓練しだいで粘土のようにいかようにも
なるという訳にはいかないような気がする。

まあ、私みたいなひとがこういうことを語っても
仕方がないのであるけれど、ある当事者の遺伝観
みたいな感じで読んでもらえればいい。

遺伝的素因には文化差、地域差みたいなのも
あるのではないだろうか?単純に厳冬期のストレス
に繰り返しさらされる地域と、温暖でそういう因子が
ない地域だと何かが条件が変わり、それに体のほう
も対応してしまうのではなかろうか。

まあ、そのへんのところももっと人間のことがよく
わかってこないとわからないのかもしれない。
調べれば何か資料は見つかるかもしれないけど、
私は読んだことがない。

2013年10月28日月曜日

精神病と疎外

精神病と疎外というのは深く関わっていると思う。
私自身に強い疎外感を感じているというわけではないが、
あからさまに疎外されている人、周囲は疎外している
つもりはなくても、本人は主観的には疎外されていると
思っているような人、そしてそのような状況。
そういう状況に遭遇するたびに、強く心は痛み、
なんとかならないのだろうかと思ってしまう。

周囲の全員でなくともいい、ほんの少数でいいから、
そういう状況に早めに気がつき、手を差し伸べること
ができればいいのにと思う。

そして、ささやかであれ、自分では何かできることは
ないか?未然に悪い結果を防ぐことはできないか?
と思ってしまう。

私はかつて疎外されたと思っていた時期があるから、
そういう痛みには敏感である。今は、保護的な環境
に救われ、私自身は落ち着いている。

ちょっとした想像力と、ちょっとした勇気。
そういうものが社会に、あるいは共同体ごとに
あれば、ならなくてもいい悲劇は未然に防がれる
と思われる。

2013年10月20日日曜日

珍しく、自分の文章の広告です。

おそい紹介なのですが、今期発売の『シナプスの笑いVol.21』に
病気になる前から、病気になった後の私の生活史についての体験談
を結構まとまった量書きました。以下のリンクに私による簡単な
解説文も載っています。どうぞ、リンクを押していただいて、
判断の上で、一人でも、二人でも買っていただける方は
買ってください。よろしくお願いいたします。

P.S 自分で書くのもなんですが、結構数奇な人生です。

そして、体験記なので、岩井雄次という本名のほうで
書いています。
http://www.lagunapublishing.co.jp/books/synapse21.html



2013年10月18日金曜日

鏡としての人物像

他人というのは自分というものの鏡みたいなものである
らしい。いわば、他人というものがスクリーンになり、自分
の像みたいなのが裏返しとして、他人の上に投影される
ようなものらしい。

私は長いこと、自分のことを、細かいことに至るまで、
書き過ぎる位書いてきた。

そして、読む人にとっては、相違点と共通点を通して、
裏返しとしての読み手自身というものを考える手がかり
になれば、とちょっとだけ思いながら書き続けてきた。

理想を言えば、ロールシャッハテストか、占い師の
使う水晶球のように、それを覗きこむことによって、
その中にいろんなものが見えてくることを望んでいた。

不定形であり、年齢によって、その時の気分によって
いろいろなものが見えてくるような感じのもの。
多分そこまでのものにはほど遠いとは思うけど。

文章を読むというのは他人との対話であり、一種のあわせ
鏡であり、しっかり読みさえすれば、読みの空間は結構な
拡がりをもつものだと思う。まあ、それだけの読むに値する
何かに恵まれればの話だけど。

そこを考えると、世間では沢山本は出ているけども、
一冊一冊はそこまで読み込まれていないのではないかと
危惧してしまう。本が多すぎるためかもしれないけれど、
本当はいろんなものが詰め込められ、ゆえに取り出せる
はずの本がそれほど精読されていない。単にひと時、楽しん
だり、情報を手に入れるために読まれているような気がして
ならない。脇道に入ったので戻ろう。

他人の文章を読むことによって、他人の人物像が浮かび
あがり、そして、他人の生きている世界も垣間見えてくる。
そして、それは裏返しとして、自分を見ることでもあり、
自分の住んでいる世界を見ることでもある。

そして、それは読み手にもまた、何らかの表現を勧める
文章になるのかもしれない。自分を書き、自分の世界を
書く。必ずしも、それは直接のものとは限らなくて、風景
を描いたり、自分ではない主人公の物語を描いたとして
も間接的には自分の世界を描いているのだと思う。何に
しろ、自分から出てくるものであるから。

自分を表現するということが原点であり、終着点でもある
ように思うこともある。家庭を作りながら、仕事を成しながら、
別の角度から見るとそれは自己表現であると思う。そういう
意識は当事者にはないかもしれないけど、そういう行いを
通して、この世界の中にその人の活躍する舞台を作っている
のだと思う。そして、その舞台は別に家庭でなくても、病院
のベッドの上でもいいのだと思う。とにかくその人が何らか
の意味でこの世界にいる限り、表現しているとも思う。

今日の文章も抽象的になってしまった。経験が足りていない
からどうしてもそうなってしまう。乏しい経験の中で、ものだけ
はあれこれ考えている、その大部分は受け売りだったとしても。
そんな感じが一筆書きで書いてみた自己像だと思う。

2013年10月17日木曜日

テレビの世界

私はテレビの世界が抜けている。
だから逆にテレビの世界を意識する。
テレビの世界って何?とおっしゃる方もいるかも
しれないけど、テレビ視聴者はテレビの世界みたい
なものを持っていらっしゃると思う。

私はテレビを見ない生活が長いので、頭の中から
テレビの番組表が抜けている。

せいぜいあるのは金曜土曜のBS11のアニメの時間と
日曜夕方の笑点以下三番組の時間帯くらいだ。
ちなみに笑点以下は別にみているわけでなく、脇で
映っていたりして、「ああ、もう週末も終わりだなあ。」
みたいな気分に浸る時間なのだ。それはいいとして、
テレビ見ないので、テレビに出てくる人物事典も
頭の中から抜けている。

私はテレビ見ないけど、隣の部屋は母が、そして
自分の部屋で兄がテレビを視聴している。ずーっと
見ている。大体毎週同じ番組を見ている。
だからなんとなく、その番組の雰囲気くらいは入って
くる。

それはそうとテレビの世界、だった。

前、働いていた職場の中に中卒の女の人がいた。
その人はテレビを集中して長時間みるタイプの人
だったらしい。私がいろいろ話をすると、
「それテレビで出てましたよ。」というのがパターン
だった。悔しいくらいに。大体どんな話題してみて
も、「テレビで出てましたよ。」だった。
それで思ったのだけど、どうやらテレビは今の世
の中で知るに値することは網羅されるように放送
されているらしい、ということだった。たとえ、それ
が分かりやすいように編集された、ある意味表面
的なものだったとしてもすごいことだと思った。

その人に限らず、今の人は大体において豊かな
情報を持っていると思う。「へーこんなことも知って
いるのか?」と内心驚くことが多い。

テレビの原体験。昔、何かで見たのだけど、
大昔、どこか山深い地方で、テレビが初めて
放映されるようになって、家族で、東京の音楽会を
視聴しているという映像があった。それまでは旅行
に出た人しか見ることのできなかった光景をお茶
の間でみることができる。それは原初的なテレビ
の意味みたいなものを感じさせて、印象に残った。

それは確かに直接的な体験経験ではないかも
しれないけれど、大部分の人が、一生行かないかも
しれない地域についての映像的なイメージや、
一生会えないかもしれない人の映像的なイメージを
思い浮かべられることはすごいことだと思う。
そして、そういうのが前提になって、結構いろんな
人がfacebookなどではそこそこの写真をupしている。
知らないうちにセンスを鍛えられているのかもしれない。

私がテレビの世界を一番感じるのは、友人、知人同士が
テレビの会話をしているときだ。私は全然ついていけない
けど、その時が一番テレビの世界というものがあるという
ことを感じる。テレビを通して、いろんな人を知り、その
人についての印象をもち、それらがまた、世間の人、
身近な人についての印象へ影響したりする。

奥行のあるテレビの世界。おまけにテレビの世界には
歴史があり、年長者は年少者に、生まれる前のテレビの
世界の風景を語ったりする。

一人ひとり微妙に違う、テレビの世界。ちょっと意識化
したりして、自分にとってのテレビ、あるいは自分だけの
テレビという視点で皆、何か書けばいいのにとつくづく
思う。

P・S えぴさん、アンタ自身はどうなんだ?特別なのか?
みたいな感想を持つ人もいるかもしれない。確かに読み直す
とちょっと鼻につくような部分もあるような気がする。意外と
本性みたいなのも出てるかもしれないとも思う。
お高く止まっていたとしても、せいぜい井の中の蛙に過ぎない
わけで、そういうところで許してもらいたい。

2013年10月12日土曜日

受け渡されること

見ることによって、ほかの人とか、昔の人が考えたり、
記録したりしたことが自分の中に入ってくる。

そして、なんらかのことを考えたりして、書き出し、
それがまた次の人に渡っていく。

そのことの意味は何なのだろう?
自分のものと思っていることの多くはほかの人が、
きっと昔の偉いひとが思いついたことで、
ある意味、自分の心の中には人類の壮大な歴史
が詰まっている。

それは特に本を読んだからとかそういうわけでも
なく、多くの人に言えると思う。

なぜ、いろんなことを考えることができるのか?
不思議に思ったことはないだろうか。

何世代か遡ってみたときに、それは思いつくの
だろうか?もちろん家族レベルの話だけど。

今の人はけっこう多くの人が、なんらかの意味で
情報を豊かに持っている。

私からみたら「テレビの世界」を持っていると思える
人もいる。

自分にとっての「テレビの世界」って何なのか?
自分固有のテレビの見方、テレビ観はないのか
みたいな形で掘り下げていったら、それぞれの
人は何か大事な記録を残せると私から見たら思う
のだけど、多くの人はそういうことをしていない。
なんだかもったいないような気がする。

それらは情報の海みたいなものである。
地域と時代によって枠付けられたその人によって
選び取られ、解釈された情報の海。

ソシュールの言語学にラングという概念とパロール
という概念がある。

ラングは社会で共有される総体としての言語であり、
パロールは個人によって分有される言語だ。

情報でもほぼ同じことがなりたつ。というか情報を
言語で代表させることもできると思う。

ラングに相当する情報宇宙の片隅に個人によって
切り取られた個人の情報宇宙が存在する。

情報の海とでもしておこう。

自分によって切り取られた情報の海の地誌でも
書いてみるのも有益のような気がする。

それらは書くことによって初めてこの世に存在
したことになる。まず、形を与えられるし、
何かに定着し、伝えることが可能になる。

形を与えられてこそ、その海の奥のほうまで
潜りこむことも可能になると思う。
私はその海の底にどんな魚が隠れているか
その魚を捕まえて魚拓を取りたい。

平素は情報は受け取られるだけで、曖昧模糊
とした状態で放置され、たぶん、表面ちかくを
うろうろすることしかできない。

文書化することによって、書き出したものの
その奥はどうなっているのだろう?といった
疑問がわくようになると思う。

自分が思いついたことでも、そのことの深い
意味、そのことの向こうに隠れている意味は
把握できない。単にその思いついたことを
組み立てたにすぎない。実に表面的にしか
把握していない。

そして、ことによると、組み立てることが、
その人にとっては精一杯なのかもしれない。
そういうわけで、言葉は次の人に託される。

自分が考えた言葉はほかの人によって
違った角度から光を当てられる。

組み立てた言葉は単なるインクの染みみたい
なもので、本人が思っているようには思いを
尽くすことはできない。でも、おかげで違う
ことを考える自由を保障しているのかもしれない。

その言葉からどういう印象を受けるかは
次の人に託されているから。

以上書いたことは別に何ということでもない、
たぶんどこかの本にはきっと書いているような
ことを書いたに過ぎない。特許では容易推考と
いって、前提を与えられていたら、誰でも思いつく
範囲のことをこういう風に言う。
もちろん新規性は認められない。

一応、私を知るという意味では以上書いたこと
も意味あるかもしれないので残しておこう。
私を知ったところでどうといったこともないが。

2013年10月11日金曜日

図書館との付き合いの始めの頃

話したことはないまでも、図書館の「住人」の顔を覚えている
くらいの意味では図書館の主かもしれない。でも、一昔前の
ほうが、より生活に図書館は密着していた。

図書館との出会いの始めはいつごろだろう?

鹿児島県立図書館は子どもの頃には今の鹿児島県立博物館
の建物にあった。

そして、子供たちは「自動的」に児童文化室に案内される仕組み
になっていた。

多分、小学校3年か4年くらいで、星の世界に熱中していた。
家にも1冊か2冊くらいの読み物はもっていたが、なんにせよ
そんなに沢山本が買ってもらえるという家でもなかったし、
また、時代でもなかった。

そういうことから多分、図書館に行き始めたのだろう。
でも、児童文化室の本は不満だった。

子ども臭かったのだった。背伸びしたかった。
そういうわけで、司書の人に頼み込んで、大人の方の
図書室を使わせてもらえるようにしてもらった。

初めて踏み入れた、大人の図書の世界、本の世界。
その日のことは漠然とではあるけど、今も覚えている。

何を読んだかとか詳細なことは覚えていないけれど、
多分、散開星雲とか渦巻星雲、そして球状星団など
が写った大人向けの写真集でも食い入るように眺めて
いたのだろう。

肉眼では写真集のようには星雲は見えず、せいぜい
たばこの煙のようにしか望遠鏡を覗いてみても見えない
というのをしったときが星の世界との縁の切れ目だった。
写真集の星雲の鮮やかな写真は露光時間をたくさん
使った一種の写真のマジックだったのだった。

その頃から、蘭の世界に興味が移り、多分図書館でも
植物図鑑を始め、蘭の図画を繰り返し、繰り返し眺めて
いただろう。主婦が通販のカタログでも眺めるように、
繰り返し、繰り返し。

P.S 大人の図書室で最初に何を読んだか?なんとなく
だけど外国の蝶の図鑑を眺めていたような記憶が微か
にある。モルフォチョウとかトリバネアゲハの類。

今の子供たちはデパートに行けば最初から
アトラスオオカブトである。それがいいのかどうか分から
ない。欲望、願望はすぐ叶ってしまう。見たいけど、
現物がない、だから想像するというステップがない。

2013年10月10日木曜日

注意深く読み、注意深く考え、注意深く書くこと

注意深く読み、注意深く考え、注意深く書くこと

今、一番できていないことだと思う。
できていないだけでなく、その意味すら分かっていない。

ブッダの考えに、正しく見て、正しく考えて、、、
とあるけど、ああゆうのは無理だと思う。
正しいってそもそもどういうことなのか考えれば考えるほど
わからなくなる。常識を効かせてという話なら分かるかも
しれないけれど。

あんまり考え詰めるとそれまで分かっていたと思っていた
ことさえゆらゆらしてくる。だから、考え詰めるのはやめよう。

ひとからものを突き詰めすぎるとよく言われる。
大体、あんまり調子のよくないときに、ものを突き詰める。
無意識がそうさせているのかもしれない。

その日の調子は書いてみないとわからない。
そして、書くことによって、また調子も変わってくる。

一応、お題にまた戻ることにします。

最近の私は、勢いで読み、勢いで考え、勢いで書くという
感じだったからその反省なのです。きっと。

だから、ちょっと立ち止まってみたかったのだと思います。
ちょっと立ち止まって、もう一度眺めてみようみたいな
感じです。

「注意深く読む」という言葉にはその方法を含め、もうちょっと
深い意味やらニュアンスが含まれると思うのですが、私には
せいぜい、立ち止まってもう一度眺めてみるくらいの意味し
か捕まえることができません。

だ、である調の言葉と、ですます調の言葉すら統一できて
いない文章をしばしば書く私です。本人なりには頑張っている
つもりかもしれないけど、まあ、その程度なのです。

もしかしたら、自分に課すハードルの高さ設定自体が間違って
いて、今の自分とはかけ離れた夢みたいな世界をひたすら
追いかけているのかもしれません。

子どもっぽい夢。なんかそういう感じに他人の目には
映るのかなあ、そんな気がします。

「夢」の世界から還ってきて、みなのいる日常の現実に戻る。
そういう時間なのかもしれません。

P・S ちょっと今日は調子もあんまりよくないのか、自分からみても
ひとに伝わらないなあという文章を書いてしまいました。
貴重な時間を奪ってしまってすみません。

「順序を踏んで」たまに、他人対して使う言葉なのですが、今、
自分に語りかける言葉かもしれません。順序を踏んで、今の
自分にふさわしい適切な課題を設定する、はしごは一段づつ
昇ること。そんな感じかな。

2013年10月6日日曜日

自分なりの世界像

いくら本を読んでも総体としての世界のイメージがさっぱりつかめない。
せいぜいなんらかのヒントになるのはgooglemapだったり、古代人の
マクロコスモス、ミクロコスモスという象徴的な世界像だったり、ある
いはフラクタル図形の動画だったりする。

要するになんらかの入れ子状態であって、縮尺は変わっても価値的
には一定というような世界観だ。まかり間違っても総理大臣や
事務次官の魂の重さのほうが一般庶民の魂の重さより重いとは考え
ない立場。たとえ、保険で支払われる金額に違いがあったとしてもね。
そして、それは細胞の仕組みが個体の仕組みより簡略なわけでもな
いし、水素原子を支配している力学が現代行われている政治の力学
よりも簡単だとはいえないのと同じこと。階層は違えど、神秘は神秘
という立場なのね。

それが集約されているのが、平凡な毎日の家庭における日常生活。
退屈な日常などと、作家さんたちは書いて、平凡な生活を軽蔑する
人もいるかもしれないけれど、日常を構成している一つ一つの要素
は一歩踏み込むとどんどん専門的になって、そのうち未知の世界に
つながるわけ。家政科の教科書をめくるとわかることなのだけど。

洗濯と関わる天気でも、洗剤の科学でも、料理における化学反応
でもなんでも。裁縫にも歴史があるし、歯磨きにも起源がある。

たぶん日常生活のほとんどは「利用者」として表面だけを知り、
わずかに「仕事の世界」を通してバックヤードをそれも部分的に
垣間見るだけ、そんな感じがします。

それで、病気した後、よくも悪くも社会から外れて、時間がありあ
る時期があったため、図書館に篭りました。所詮、お書物を通した
単なる情報だとしても、図書館に篭ることで全体像としての世界
みたいなのがイメージできるのではないか?と思って。

放送大学の学習センターでビデオ漬けになった一時期もあります。
記憶力がいいどころか病気の後、なんとなく記憶障害があるような
感じもして、ほとんど記憶に残っていないのですが、まあ無意識下
には痕跡が残っていることでしょう。

博識になって自慢がしたいの?知識を見せびらかしたいの?
と思われる方もいるのかもしれないのですが、あんまりそういう風
な欲はもちません。「アイツと私とではどっちが知識がウエ」かとか、
「アイツには負けたくない」というような情念はわいてこないのです。
どちらかというと一人遊びの世界で、「図書館ゲームの謎」とは
一体何だろう。自分が仮に図書館ゲームと名付けたこのゲーム
の実体とは一体何なのだろう?といったような、自分にとってだ
け意味のあるゲームを一人で設定して、一人で遊んでいるような
感覚です。だから、世間の人は何で私がそんなに一生懸命勉強
している目的がわかりません。勉強して身を立てようとかあんまり
考えないのです。(結果としてカネを生んで、生活がラクになったら
それに越したことはないのですが。)閑話休題。

今は、ぜんぜん実現できていないのですが、雑学的に諸分野のこと
を勉強して、それをあまり整理とか統合とかせずにアタマの中に
ぶち込んで、かけ離れた分野の事物の構成要素を組み替えて何か
創作物ができないかなあと思っています。

食べ物の分野であれ、風俗産業みたいな分野であれ、日本人とい
うのは職人的に一生懸命、仕事に励んでいる人は励んでいて、
いろんな分野で、他の分野に持っていっても役に立ちそうな金言
というものは見つかるものです。

「明日になれば、 今日の非常識は常識になっている」

これはカップラーメンの発明者、日清製粉の創業者
安藤百福という人の言葉なのですが、どの分野に持っていっても
通用する言葉でしょう?

自分なりの世界像というお題だったのですが、あまり説明
できずに終わってしまいました。

2013年10月4日金曜日

夕べの夢 ハコフグ

夕べも夢をみた。

隅田川。実際の隅田川はあまりキレイな川とは言えないかも
しれないが夢の中の隅田川は水質は悪くないようだった。
そして、周囲の景色もなぜだか下町風の風景だった。

隅田川に潜る。あれこれと人工のゴミもあちらこちらの
川底に散らかっているのだけど、水は澄んでいて、
なぜだか海の生き物が泳いでいる。

ハコフグ。プカプカ泳いでいる。茶色いハコフグ。
茶色の縁に白の鱗が自己主張している。
でも心なしか海の生き物のような感じではない。
なんとなく、空の生き物。夢の中だからか水の質感は
なく、川の中なのに空を泳いでいるような感じ。

イソギンチャクかサンゴのような大型の生き物もいる。
どうやら私はそれを見に来たみたいだ。
赤くて、漏斗のような体を幾つも重ねたような先に
黄色く光る触手を伸ばしている。そんなのがいくつも
群れをなして片隅に陣取っている。

川の支流に入る。なぜだか急階段のような下りで
滝のように激しい水流のはずなのだけど、空気の
ゆるやかな流れのような感じで圧迫したりはしない。

見晴しはよく眼下の景色が広がる。でも、私は引き返した。
帰りの途中で川底に防空頭巾と茶色い古ぼけた鞄をいっしょ
にみつけた。どうも時代も微妙に違うらしい。

次の夢に移った。



夢についてもメモ

ハコフグといえば、少年の頃、どうしても釣りたかった
魚だ。魚釣りといっても、昔の子供の遊びみたいな
釣りだった。道具は糸とおもりと針などを港の近くの釣り具
屋さんでお小遣いで買って、鹿児島港まで、徒歩で
そのまま歩いて行く、という形式が多かった。まったく
の素人の楽しみだった。

一人でいくことはあまりなく、近所の友達などと一緒に
いった。「釣り場での仲間」はいなかった。あくまでも
同じ小学校の子が仲間であり、それ以外の人々は
別の世界に属する人、みたいな感覚があった。
ちなみに小学校は一学年2クラスでだいたい顔は知っ
ていた。

魚はクラカケトラギス、ボラ、サヨリ、チヌやらメジナ
の稚魚の類がつれた。あと俗に「キンギョ」とみんな
呼んでいた魚もつれた。ハズレみたいな魚で、ネン
ブツダイの仲間。

稚魚の類を釣る子供の遊びみたいな世界だったけど、
港の浮桟橋の下のほうで悠々と泳いでいるのが
ハコフグだった。子どもの世界では大きな魚で、
釣ろう釣ろうとしてたけど、どうしても釣れなかった。
どうやったら釣れるのか子供の世界ではわからなか
った。

イソギンチャクはついに触手を伸ばしたものは水族館
の中でしか見ることはなかった。子供の頃のイソギンチャク
といえば、直径3cmくらいのもので、干潮のときに見る
ものだった。石垣状の階段みたいな水路のところ
にいる、緑とオレンジのシマシマの生き物だった。
種類は今もって不明。

2013年10月3日木曜日

どうやら充電モードに入ったのかなあ

しばらく前まで、facebookを舞台に書き過ぎていた。
制御不能のハイテンションというところまではいって
いなかったけれど、書きたいことが溢れてくるという
感じで書いていた。

そういうから騒ぎは終息した。今はそんなに着想が
浮かばない。といっても、ちょっとした一時休止かも
しれないが、、、

ああ、書けない。でも、これが正常なのだとも思う。
書く内容が浮かばない。

何度も何度も繰り返す、いつものパターン。
しばらく休息ののち、またまた元気になる。

・・・沈黙・・・

電池切れで、何もかもやる元気がないという
程ではない、日常生活も何不自由なくできるレベル。
ただ単に書く内容が浮かばないだけのこと。

好意的にみれば波の起伏が比較的なだらかな
のだと思う。現在の調子を維持できれば、まあまあ
生活は楽しめるし、年齢からいっても、だんだん年
を食ってきたので病気するエネルギーも落ちてきた
とは最近思っている。

ただ、アタマの中のおもちゃの問題。けっこう異質
な知識みたいなのがアタマの中で同居しているので
たまに化学反応みたいなのを起こして、オモシロイ??
というか奇妙な着想が浮かんでくる。

訂正不能というまでに頑強に信じ込んで問題を
起こすというよりは単に空想で楽しんでいるレベル
である。これもまあ問題はないと思う。

まあ、今日はこのへんで。

2013年9月27日金曜日

言葉の世界について

ニカラグア手話というものがある。調べてみてもらったらいいと思うの
だけど、現代になって自然発生した言葉という意味でも面白いらしい。

この手話の発生にあたって主役を演じたのは子供たちらしい。
聾学校にあつめられた子供たちには共通のコミュニケーション手段が
なく、家でつかわれていた手振りの合図とかなんとかそれぞれのもの
を持ち寄りながら、自分たち自身で作り出し、練り上げられていったらしい。
私の説明は舌足らずなので、ぜひ気になる人は調べてみられたい。

ピジン言語とクレオール言語というものもある。例えばハワイの移民
たちが、中国、日本、そしてもろもろ地域からやってきた人たちが
当座の用をたすために作った言語だ。各地の港とかでそういう現象
は起こるらしい。横浜ピジンという言葉もある。もちろん幕末あたりの
話だと思うのだけど。

で、この話でも鍵を握っているのは子供たちだ。大人たちはそれぞれ
母語というものがあって、当座の用としてピジン言語を使っているのだ
けど、その子どもたちはその言葉の中で育つ。そして、自己をその言葉
で表現し、言葉は練り上げられ、文法も発達してくる。そういう形で
発達した言語のことをクレオール言語という。

ところで、今日の話はなまかじりの知識を披露するのが目的でない。
ここからが本題で、本題はもちろん空想の話だ。

太古、どういうところから言語が発生したか知る由もないけど、なんとなく
主役を演じているのは子供たちのような気がしてくるのだ。

せいぜい身振りとかギャーとかアーとかいった合図でサインを送っていた
に過ぎない大人たちの世界で、突然言葉というものが子供の世界の中に
発生し、拡がって行ったのではないかと。

言葉の世界自体が今でいうインターネットとか仮想世界みたいなもので
大人たちにはわからない、そういう世界もあったのではないだろうかと
思うのだった。

メディア上の革命は続いていく。たとえば歌の世界。
歌で世界ができるということを古代の人はどう捉えたのだろう。言葉や音
を使って美しいこの世ならぬ世界を作り上げることができるということを
あの時代の人はどう捉えたのだろうと想像する気持ちはやまない。

昔話の世界。「むかしむかしあるところに」というのが合図になって
この世界とは別の世界に入っていく。この世界とは違って昔話の世界
では何でも起こる。この世界とは違ってと書いたもののそれは現代人の
感覚であって、馴染みの身の回りの世界を越えた森も向こうの世界には
そんな世界が広がっていると古代や中世の人は考えたのかもしれない。

定型詩の世界。五言絶句でも短歌の形式でもいいのだけど、ある形式と
いう器ができるとその中に世界を盛り込むことができる。出来事を記録し
後世まで伝える力さえももつかもしれない。ちょうど今のひとがネットに
アップロードするような感覚で人々の間に詩を解き放ったこともあるだろう
し、惜しいような詩に出会ったときは自分なりの手直し、一工夫を加えた
のもあるかもしれない。コンピューターソースを手直しするような感じで
人々によっていろんな話はこうして練り上げられ面白さが増していく。

大人は分からない言葉の世界を子供たちが作り上げている、そういう
風な妄想は私をわくわくさせる。

最後に。ひとりひとり、その人の言葉の世界をもっている。見てきたもの
聞いたこと、そしてその感じ方、ひとりひとり違うのだ。当たり前だけど。
東西南北から運ばれてきた言葉がその人の中で、歴史上ただ一度きり
の出会いを起こしているのだ。探す気になれば、それぞれの人の中に
きっとそんなものがあるに違いない。

その人の世界の中でしか生み出せないもの。きっとそういうものだ。

2013年9月19日木曜日

久しぶりに友達が訪ねてくる

久しぶりに遠くから友達が訪ねてきます。
広島大学時代の友達です。

大学時代は発病前であって、発病を境にして、
たぶんちょっとした記憶障害みたいなのが出ているような
気がするので、ぼんやりとしか覚えていません。
なんだか前世のような感じ。(私は前世という用語はこういう
文脈でしか使いません)

大学のときは級が進むほどにばかになるというような
感じでした。勉強しないからばかになるというのではなく、
たぶん私なりにばかを研究したのでしょうね。
もともとが内向的な感じだったので、
ばかを通してでしか他人というものとつながる回路が
なかったのでしょう。

わたしがばかにならなかったら、大学大学院6年間
無事に進級、卒業修了できたのかどうかさえ、いま
考えてみるとわかりません。

大学というところは青春真っ盛りで、楽しい部分もあります
けど、ひとたび友人というセーフティネットみたいなもの
から落ちてしまうと、なかなか誰も助けてくれない
という恐ろしいところでもあるのです。

まあ、青年期は精神疾患の好発期でもありますし、
光の裏には影というものもあるのです。

私はどうにかこうにか大学6年間楽しく過ごす要素
が大きかったと思います。研究生活のほうに入った
後半3年間もつらかったといえばつらかったけど
充実していた要素も今思い返すと結構あるのです。

と書いてみても、今日の文章、具体的なことを書いて
いない文章なのであまり伝わらないかもしれませんね。

P.S ばかというのはこんなばかです。
当時は長髪だったので、ちょっと水ふくませたりして
七三にわけて、鼻のまえに海苔か黒い紙をひっつけて、
口をすぼめて、「ハイル・ヒットラー」と手を挙げながら
叫ぶとか。

裏で隠れて口の中にトイレットペーパーをいっぱい
いれて、それを口から下向いて出しながら
「えくとぷらずむー」とかですね。そういえば
エクトプラズムってもう死語ですよね。

そういうたわいもないことで笑っていた年代も
あったりします。すべてサークルの宴会芸です。

プロ野球の応援歌の替え歌をサークルの
飲み会のときにみんなで作って、
盛り上がっていました。うたいながらイッキのみ。
そんなサークルでした。今じゃとてもやりたく
ないような芸も私には実はあるのですが、
それについては勘弁してください。

2013年9月16日月曜日

異星人たちへのメッセージ

日本語圏に絞ってみても自分にどことなく似た存在というのは
いるらしい。

自閉症スペクトラムのどこかに位置し、
しかも精神病の発病歴がある。

現在、どういうところに生きるうえでの問題があってとか、
とくに仕事がらみでの問題とかそっくりだった。

でも、あえて今コンタクトを取ろうとは思わなかった。
遠くからの経過観察中。

ひっくりかえしてみて、遠くから望遠鏡で私のブログを
眺めている異星人たちもいるかもしれない。

宇宙の中ではあなたがたは孤独ではない。
メッセージを流し続けておけば、どこかで受信して
くれる人もいるかもしれない。

かといって、直接コンタクトするかどうかはわからない。
縁という繊細な要素があって、
時期が早すぎても、遅すぎてもうまくいかない。
それに適切な距離をとれるかどうかわからない。

だから、代わりに受信報告書を書いてみます。
領収の受取証みたいなものです。

あなたがなんらかの発信をしてくれたおかげで、
自分自身への理解が格段に進みました。
自分のような人間はこのネット宇宙の中に一人では
なく、少なくともよく似た存在はいて、
たぶん探し出す根気さえあれば、
結構数いるかもしれないこと。

それは私を孤独からかなり救ってくれました。
私はあなたにコンタクトする日がくるかどうか
わかりませんが、遠くからあなたの発信を
暖かい目で見守っていきます。

あなたの発信するコンテンツを何にもまして
大事な存在とする人が世の中に少なくとも一人は
いることを知ってください。

あなたの発信、ちゃんとここに届いていますよ。

P.S ちょっとこの発信、無責任すぎると思ったので
ちょっと訂正。誰に届くか、どう届くかみきわめないで
書いてしまいました。千里眼をもっているわけでもない
ので、「あなた」と書いたからと言って、読んでいるあなた
がそのあなたなのか私にもよくわかりません。

水を差しているのかもしれないし、
私なりに誰かの状況が悪くならないように
私なりに精一杯やれることをやっているのかも
しれないし。よけいこんがらがらせているのかも
しれません。

2013年9月15日日曜日

人間についての深い理解と自分についての深い理解

”人間についての深い理解”で検索すると多数の文章が引っかかる。
大学案内とか多い。でも、人間についての深い理解の以前に自分に
ついての深い理解がなければ、人間についての深い理解には至れ
ないのではないかという気がする。

そして、自分に対する深い理解の前提になるのは自己分析の文字化
されたものである。

でも、それは前提であって、果たして「深い」理解に至るのかはわから
ない。何回も書いたように、自分は自分を偽るものなので、そして、
自己言及でもあるので、はなはだ疑わしい。

しかし、何回も書いたように、これが他者に移ると知りうる情報量は
格段に落ちる。

私の父はもういないが具体的な言葉はほとんど残っていない。漠然と
いい人だったような気はするのだけど、くっきりとした輪郭はもうない。

むしろ本の文章としての遠くの人のほうが、本をめくるたびに
一字一句、同じ文章としてそこにいてくれる。そして、何度も読みかえ
していくうちに違う風にも読めてくる。

違う風にも読めてくるというのが味噌で、これはきっと自分が書いたもの
にも当てはまる。そして、書かれたものを何度も読み返すという作業を
省いては自己理解に至りそうな気がしてこない。

もちろん、自己理解はあくまで自己理解である。一般化できない。
ただの多くの人の中の一事例としての自分のケースである。

でも、その一事例について一定の理解をしてみるというのも意味は
あるのではないだろうか。

何回も書いたけど、ひとつのケースを押さえると、ほかのものと比較
ができる。断片的な資料さえも、比較の対象になる。

自分にとっての一番重要な基準は自分なので、まずこれを押さえないと
いけないと思う。

そして、近くのものから遠くのものへと比較していく。

そんなことして何になるのだろう?

「人間についての深い理解」というのはいろんな大学案内でうたわれている
項目なので何らかの価値があると思う。

おそらく、人間にまつわるすべてのものごとと関係しているといいたいの
だと思う。

少なくともその前提にはなる。

どんなにものを知らないひとでも少なくとも自分については
その人なりによく知っている。

カタログを作る感じで、それを文字化して、広げてみよう。

たぶん、私のやりたいことは何か創作物をつくることで、
それには素材というものが必要だから、一番身近な素材
である自分という材料を使って、素材カタログでもつくっている
のだと思う。

2013年9月13日金曜日

シロマダラ

なぜか知らないけど、小学校低学年、ヘビが好きだった。

低学年に限らず、昼休み、トカゲを探して殺すのが遊び
だった。

今ではその頃の罪悪感のためか、生き物は極力殺さない、
助けられる場合は助けるような感じだ。

桜島で働いていたときも、屋内に閉じ込められてた
ゲジという気持ち悪いムシ(昆虫ではない)もいちいち
外に逃がしていた。もちろん手づかみして。

そういう行いをしても、何らの功徳もあるわけでもなく、
ゲジに感謝するだけの魂があると信じていたわけでもない。

ただ、やっぱり、生命は人間では作れないということを思う
とそうしたくなるのだった。お題はヘビだった。ずれた。


小学校低学年、何かと縁があったのがヤマカガシという
蛇だった。無毒のヘビと信じ込んでいた。

捕まえてくるのはほとんど子供のヘビだったけど、
わざと指をかませてみるなどという暴挙もやったかも
しれない。

なぜ、それが暴挙なのか?
ヤマカガシは実は無毒のヘビではなかった。奥歯に
毒があり、人が死んでしまうくらいの毒があるのだった。
ただ、性格がおとなしいのと、奥歯であることで、
そんなに事故が起こらないだけだった。

そういうことは知らず、ヤマカガシは弱っちいヘビだと
思っていたから、もっと強い、毒蛇のマムシに憧れていた。
憧れてたけど、少年時代には自然状態では結局逢えずじまい
で、実際に山野でみたのは大学時代だった。

小学校時代の戦果はシロマダラというヘビだった。

城山でみつけたか、鶴丸城のお堀でみつけたのかもう
記憶があいまいになってしまった。もちろん殺したりは
せずに、しばらく遊んだあと逃がしてやった。

シロマダラは当時も珍しいヘビとされていたけど、
今、ネットで見てみるといよいよ珍しいヘビとなっていた。
少年時代に見たのは本当にシロマダラだったのか?
ちょっと疑わしい気もしてきたけど、まあ、子供の頃の
宝石箱の一つとしてそういうことにしておこう。

小学校一年のときに生まれて初めて、私のために
買ってもらった図鑑が学研の『爬虫類・両生類』という
図鑑だった。簡単な植物図鑑はものごころのついた
頃には姉か誰かのものが家にあって、始終眺めていた。

下町の庶民の家に育ったので、図鑑を一揃い買ってもらう
というようなことはありえなかった。せいぜい数冊、子供用
のものを買ってもらった位だった。

それが逆によかったのかもしれないと今は思っている。
食い入るように、ぼろぼろになるまで眺めた倒した。

同時期、縁日のカメすくいにご執心だった。
小学校一年のときの将来の夢は
二階の物干し場に温室を建てて、温室の中には
池を造ってミドリガメを育てるというのがユメだった。

物干し場に温室を建ててというのが子供らしいと
今では思っている。

P.S ヤマカガシといえば昔、鹿児島大学の学園祭
の生物研究会の恒例?の出し物としてヘビのやきとり
というのがあったような気がする。材料はヤマカガシだった。
一度だけ試してみた。味はまあまあだったが骨が多すぎて
閉口した。

P.S ヘビの話なのでついでに書くけど、
ショーなどで観客の首にニシキヘビを巻きつける出し物
があるけど、私も手を挙げて舞台の上で巻きつけて
もらったことがある。本当は怖くもなんともなかったけど、
ちょっとだけ怖いふりして、間違っても蛇とキスなんか
しなかったことだけを覚えている。

2013年9月12日木曜日

研究室にいたことの意味、精神病体験をしたことの意味

今の自分のことをつらつらと思うなかで、
もちろん、良くも悪くも精神病体験をしたことの影響は
重いものがあると思う。

学生時代はあまりまじめな学生ではなかったので、
本をそれほど読まなかった。

学生時代が終わると同時にむさぼるように本を
濫読するようになったのは精神病体験の影響である。

この世界はなんだか不思議である、という直感の
もとに、この世界の成り立ちを知りたいという思いが
つのるようになってしまった。

能力的、時間的に自分が知りうる範囲でいいから、
この世界の様々な側面を知っておきたいと思う
ようになった。

一方、生物学の研究室にいたりしたことの
意味は何だろう?

それは徹頭徹尾、生物というもの、細胞というもの
はメカニカルに成り立っているということを骨の髄
まで学ばされたことに尽きる。

私は心霊写真とか大好き少年だった。
80年代鹿児島に丹波哲郎が来るというので、
講演聴きにいこうとして母から止められたのが
なつかしい。

大学一年の物理学概論の授業の
「21世紀になって明らかになることは何だと
予測しますか?」みたいな設問で、

「霊の存在が証明される」と書いたおばかな
学生だった。

そういう一年生がどんどん級が進み、
進化学の授業で、創造論的な発想法が
懇切丁寧に講師から論駁否定される授業も
聞き入っていた。また細胞生物学の授業では
細胞分裂の様子のメカニカルな様子が、
電子顕微鏡の写真などを交えながら、
微に入り、細に入り説明されるのだった。
もちろん80年代の生物学ではあったのだけど、
当時なりの詳しさはあったのだった。

そういうわけで、思想教育でもされたように、
バリバリ、ゴリゴリの生物機械論者としての
人格が形成されつつあった。

とどめはワトソン、スキナー流の、
実験心理学の授業だったかもしれない。
ただしこっちはネズミの実験などで人間の
ことなんかわかってはたまらないという
教育系の心理の先生などもいて、学内
一枚岩というわけでもなかったような覚え
がある。

結果としてはそれらの教育は、
精神病体験の不合理な世界に引き込まれる
のを防ぐのに何の助けにもならなかった。

助けになっているとすれば、今、現在の
世界観上のバランスに対する関与だと思う。
自分の体験から距離をもち、「見たから事実、
体験したから事実」という風には取らないこと
だと思う。

2013年9月10日火曜日

患者から見た世界みたいな感じで始まった

自分がやりたかったこと。それは患者からみた患者の内面、そして
この世界自体。そういう感じでこのブログは始まっている。

そして、患者といっても、病気自体に焦点を当てているというよりは
病気になるようなたぐいの人間、人間のほうに視点を置いている。

もとより、そんな需要があるかどうかは関知しない。
冷静に考えてみる限り、かなり限られた需要だろうと思う。

たぶん売り物などを目指すようなたぐいのものではなく、
標本とか資料の一種だろう。といってもそちらのほうとしての
価値もはなはだ疑問なのであるが。

基本前提はいろいろある。

世の中にはいろんな属性をもった人間がいるということ。
そして、有名人でない限り、まとまった資料はそう多いわけでも
ないということの二点だ。

ところで読み手としての困難な点もある。

普通、コンテンツを読むときの枠か額縁になっているのは
その人が有名人である、評価を受けているという点である。

そういうお墨付きがないものはなかなかまじめに読む気に
なれないのだ。

いや、人によっては「自分が第一発見者になりたい。」とか
「埋もれたものの中から掘り起こしてみたい」という人もいる
かもしれない。

でも、残酷なことにそれはあくまでも理想であって、現実の自分は
やっぱり公平に見れない。そういうお墨付きがない場合、
よっぽどコンテンツ自体に訴える力がない限りなかなか
コンテンツの中に入っていけないものだ。

順序といえば、そういったコンテンツを救済する意味合いも
あって「賞」というものは存在するものかもしれない。

登竜門とはよく言ったものだと思う。

現実の「賞」はいろいろ純粋でない要素も入ってくる
かもしれないけれども、それはそれとして、もともとのコンセプト
はそういうものだと思う。

でも、そっちはそっちで、そういう競い合いの好きな人に任せよう。
自分のアイデンティティというものを失ってしまいやすいからと
言うにとどめよう。

こっちは細々と日のあたらない場所で
自分の花の進化を自分なりに模索しよう。

きっとそれが自分にはあっているのだ。

2013年9月7日土曜日

論理と情緒

私の文章は論理に欠けるように思う。
そして、どちらかというと論理よりも情緒のほうに軸足を
置いている。

私の中では論理は説得と関係し、情緒は発見と関係している。
宮元啓一の本で読んだことをちょっと思い出しながら書いてみる。

なんで人々は論理などに着目するようになったのか?

インド古代のバラモン教の話なのだけど、もともと宗教というのは
儀礼の束みたいなものだった。でも、あるとき、単に儀礼を行う
よりも、儀礼の由来とか背景とかがあったほうがよりよく儀礼を
行うことができるということがわかってきた。

そういうわけで儀礼の背景にあたる思想みたいなものが作り出され
た。

そういう流れが発展する中で、思想などに造詣の深い王様が現れた。
王様は思想家の話を好み、御前試合のような形式で思想家同士を
論戦させた。勝った人にはもちろん豪華な賞品。

そうなると論争術みたいなものが発達し、一方で哲学試合の勝ち負け
のルール決めなども行われるようになった。

そういった土壌の中から論争の筋道などが意識化され、論理というもの
を見出し、論理学というものとして体系化されるようになった。

自分のことばで言うと上のとおりなのですが、ネット上にはもっといい
書き方の文章があるかもしれません。気になる人は探してみてください。

情緒のほう。こっちは松本元という脳科学者の本を思い出しながら
書き出してみる。

山道を歩いているとき、草むらががさがさする。ヘビだととっさに思う。
恐怖心が沸き起こりさっと逃げ出す。

ここでは論理が出てくる暇がない。いちいちAゆえにB,BゆえにC,
などとやっておれない。そういうときは感情の出番だ。
感情機能は論理よりも古い形式の情報処理のやり方だ。
荒いやり方ではあるけれど、論理よりも早くものごとを決めてしまうこと
ができる。

古い話ではあるが「勘ピューター」などという言い方がある。
たとえばスーパーなどで買い物するとき、いちいち論理で選んでいない。
ものすごく短い時間の間に無意識の中のそれまでの経験を総動員しな
がら、歯ブラシなら歯ブラシを選んでいる。


日本語は論理性にかけるからだめだ、情緒的すぎる、といってしまうひと
がいる。でも、論理的であるはずの数学やら物理で日本人は割といい
仕事をしているらしい。

フェルマーの定理の証明までの道のりの中で要所要所で日本人がいい仕事を
していると読んだことがある。といっても雑学的な知識でしかないけどね。

第二次大戦の日米間の違いなどを引き合いにしながら、日本語は論理性に
欠けるといっている人は、ある種、物質主義的な考え方で、かつ計量的な考え
重視の人なのかもしれない。精神主義、こっちも堕落してしまうと、単なる
精神注入棒だったり、竹やりで抗戦みたいになってしまうけど、精神主義的な
考え方のいいところはいいところでそろそろ見直してもいいのではないかと
思ったりする。

P.S  検索してみると精神主義とか精神主義的という言葉に対する評判は
すこぶる悪い。でも、自分の中ではこの動画みてると、戦前の世界もそう
悪いばかりではないのではないかと思うのだった。もちろん、中国の人から
みるとそんなことはいえないのだろうけど。理屈でなく、見ていただきたい。
プロパガンダに動かされている私ではあるけれど。
https://www.youtube.com/watch?v=iIVtCrT29wc

2013年9月6日金曜日

ここよりよきどこかを目指して

私は向上心強いほうなのか弱いほうなのかよくわからない。
いろいろ手を出してみた語学も結局続かず、モノにならなかった。
目移りしてしまうのか?すぐ飽きてしまうのかよくわからない。

ただ目に見えること、目に見えないこといろいろあるけれど、
いまいるところになぜか満足できず、ここよりよきどこかがある
のではないかと模索してしまう。

必ずしもそれは物理的、社会的移動を伴わない。
もしかしたら、抽象的なイメージの世界での場所なのかもしれない。

多分、その目に見えない場所の探索を目に見える形にするのが
私にとっての仮想世界なのかもしれない。


しばらく前から気になる用語がある。
「境地」という用語だ。宗教、その他精神的位置取りを表すときに使われる。

気になるところは地という場所を表す文字が使われていることだ。
そのときの自分のたどり着いた精神的場所を表しているともいえる。
なんとかそれを目に見えるカタチにしたいと思う。自分のたどりついた世界
それを目に見える世界として表したい。

さて、そういう世界をカタチにしたらしたで、それは単なる現実逃避では
ないか?そういう見方をするかもしれない。所詮、非現実的なドールハウス
の世界で遊んでいるだけ。そういう見方をする人もいるかもしれない。

でもひとたびくっきりしたイメージとして固定したものは本人に対して、
何がしかの力をもつ。

それに、、、と思う。みんな過去の写真をため込んでいるかもしれないけど、
過去はメディア上にしか定着されない。その事実についてとても不思議に
思う。写真その他でしか事実の証拠が残らない。

なんだか私は仮想と現実を取り違えているのだろうか?そんなことまで考
え始めた人もいるかもしれないけど、不確かな記憶と、そして今ではあまり
あてにならなくなった記録の上にしか過去はない。そのことがとっても
不思議に思えるのだ。閑話休題。

話を現実の世界に戻す。
紙の上だったり、仮想の世界の上だったりで模索するのは地図みたい
なものを作っているつもりなのだろう。

シミュレーションの一種のような。子どものすきなおはなしの世界も
大人の世界のシミュレーションをしているという話もある。いろいろ
楽しみながら、想像の世界で何かの予行練習をしているのかもしれない。
でも、それは建前であって、どんどんイメージの源流に向かって不器用
な探検をしているつもりなのかもしれない。

また、今日も抽象的な言葉をこねくり回しただけのような文章になってしまった。
自分の限られた経験の中で精一杯の悪あがきをしているということなのかも
しれない。

P.S 「ここよりよきどこか」というよりも迷いの迷宮に入ってしまったような
文章になってしまった。それが今の「境地」というとこか。

P.S2 ちなみに私は旅行先でバシバシ証拠写真を撮るほうじゃない。
「記録よりも記憶をというほうです」という感想ももらったけど、そういう要素
は私にも多分にあります。

2013年9月5日木曜日

相手に負担のかからない心理的距離を守ってあげること

一昔前の私はこうこう感じだった。

「私は勇気がないから告白できない。」

「告白する勇気をもち、告白することができれば
勇気があったことになる。」

この二つの気持ちの間をぐるぐる廻りながら
結局行動に移ることができず、見送り三振になるか
もしくは、特攻隊のように突撃、そして「ごめんなさい。」
こういうパターンだった。

そこには順序というものも、戦略というものも、
そして決定的なことは相手の気持ちへの配慮というものも
抜けていた。

時は移り最近はこういう感じになった。

自分の心の道具箱には心理的、社会的距離メーター
というのが装備されていて、いつもそれとなく相手との距離を
計っている。

こちらからか、もしくは相手側から近づきすぎてしまったら、
それとなく距離を空ける。

相手と接触する頻度、それから言葉の長さ等々で調節する。

その結果孤独になる。でも、それは選んだことである。

私は基本、ニンゲンというものが好きである。
そして、恋愛感情というものは移り行くということも
学んだ。

内心においていろいろな複雑な感情を抱えながら、
それでも、一定の距離に抑えながら淡々と人間関係を積み上げて
いったら、成熟した関係になるのではないだろうか?ってそのうち
思うようになった。

もちろん、そこには感情を抑えられるだけのコントロールの力
というものが必要であり、体質として、そのコントロールがたやすい
人、それから体質的にコントロールがはなはだ困難な場合がある
ということ、それは知っている。

そんなことを思うようになったのは臨床心理とか興味をもった
ことが大きいかもしれない。

ときとして濃密でありながら、恋愛感情を建前としては持たない
関係、典型的なのはカウンセリングの関係である。

あくまでも、それは建前であって、それぞれの人の心の中は
どうなっているのか知らない。でも、心の中はともかくとして、
表現としては、感情は表には出さない。ときおり、ちらちらと
見え隠れするだけなのかもしれない。でも、それは人間だから
仕方のないことなので問わない。

思えば人の心の中ってどうなっているのかワイドショー的好奇心
を掻き立てられる。ポーカーフェイスがうまいひと、下手なひと
それぞれであって、人間くさいなあとつくづく思うのだけど、
心の中は世間的には密室ということになっているから、かなり
非倫理的であると思う。善悪で片付けられるものではない。

ペルソナという仮面をかぶることによって、ようやく社会という
のは成り立っていると思う。

重ねて書いてみる。恋愛感情というものは移り行く。
恋を成就し、家庭を持つか、いづれ終わりがくるかという
二者択一の運命に身を任せるのもいいけども、
いつまでも、遠くも近くもない距離のうちにいられるのも
いいのではないかと思ったりする。そういう距離にいられる
と楽観視するのも見方が甘いといえば、甘いのだけど、
そういう社会的関係があってもいいだろうと思う。

そう書きながら、結局最終的に孤独な存在になってしまう
ような気がする。

濃密な要素のない、表面的な、ただの世間的関係というのが
どういうわけか作れない哀れな人間だからだと思う。

2013年9月2日月曜日

生殺しというか、、、

今日は調子悪いです。
例のごとく些細なことがスイッチになって調子わるくなった
のかもしれません。症状はいつものごとく抑うつ気味で、
ちょっと頭が締め付けられるような感じがします。といって
もどう表現すればいいのかうまい言葉が出てこないのです。

仕事など、なんらかの負荷がかかると弱いのかもしれません。
普段は元気なのですが、元気だからもう大丈夫と思って
仕事の世界に入るとまた、出てくるのです。

仕事が合っていなかったからとかそういうわけでもなさそうです。
基本的に好きな種類の仕事なのです。人間関係も良好。

でも、なんだか私のどこか表面から見えにくいところに欠陥
があるのかもしれません。なんとなく、いろんなことが稚拙なの
です。

ちょっと脳の配線具合がずれていて、いい風に出てくると
個性的と思われるのですが、あくまでもそれは趣味向きで
あり、仕事用には向いていないのかもしれません。

しかし、そういうことをいい始めると世の中で居場所が
なくなってしまいます。

今日は主治医との面談日だったのですが、私のように
見えないところに欠陥が隠れていて、仕事などの負荷が
かかったりすると不具合が出てくる人が最近増えている
みたいですね。

これはヒトの体が脆弱になったということなのでしょうか。

表面からは見えにくい、根の深いところになんだか
問題がありそうです。

2013年8月30日金曜日

夕べの夢 ぜんりゃくとっぱ

夕べの夢

前半は失念。
氷雪した地球の中で一人のひとが
雪と氷に半ば埋もれている。

人類最後のひとだ。
手には書物が握られている。

「ワタシ」は時を超えてテレポートして
ここにやってきた。

最後のひとの手からその書物を取り、
読み始める。

「ぜんりゃくとっぱ(全略突破?)して読みあげるのだ。」
「そしてカミに問いかけるのだ。」

おわり。



ほとんど意味不明の夢だった。
起きてから、「ワタシ」はその人のなきがらを水と酸素と
快適な温度のある惑星に運び、そのひとの休眠中の
腸内細菌などがその星の生命の起源になるとか、もや
もやと空想したけど、そんな内容の話は手塚アニメか
なにかにもあったかもしれない。

もう話すひとのいない人類最後のひとの愛読書って
何なのだろう?

歴史か、宗教か、科学か、それとも文学か?
それとも漫画とかのもうちょっと読みやすい本なのか?
そもそも本なんか読むひとではないのか?
考えてみても仕方がない。

PCでなくて本を読んでいるという発想になるのは
感覚が古いのかもしれないし、宇宙時代にならない
と勝手に思っているのは私が悲観的だからかもしれない。

「ワタシ」はテレポートなんかしちゃったけど、
4次元だの5次元だのといった精神世界文明に
入っていないのはやはり、私の根にあるのは合理的
な発想法だからかもしれない。

夢というのは単なる夢なのだけど、荒唐無稽、
奇想天外、しかし、ある枠のようなものがあって、
それを越えたSFめいた夢とかアニメめいた夢とか
は見ないような気がする。

あくまでももともとの断片は昼間の体験の記憶
であって、それらが不思議な編集を受けてあんな
奇妙な物語がかったものになるのだと思っている。

そうはいいながらも、私の夢の系列で
「あちら系の夢」というのと「マカイ系の夢」というのが
存在する。

非常に象徴的であちらの世界からの通信のような
夢だったり、逆にどこかマカイめいた世界からの
通信のような夢だったりする。

マカイ系の夢の時は現実の世界では嗅いだことの
ない不思議なニオイがする。

昔のいじめっこにいじめられる夢をときどき見た
時期もある。一方、いじめっこと和解した夢も
みたことがある。

黒木瞳風の天使だか魔女だかよくわからない
人に夢の中で説教されたことも。

2013年8月29日木曜日

原風景

下町。生まれた家から100mほど離れた港のすぐ近くに
あった祖父母の家。家の隣の私道はまだ舗装されてい
なくて、水を含んで黒くなった桜島の火山灰と土の混じっ
たような地面だった。鹿児島駅もすぐ近くであり、海岸線と
呼ばれる貨物線が港沿いにあった時期で、結構遅くまで、
蒸気機関車に牽引された貨物列車が海岸線を通って
いた。70年代の頃かな。

黒い地面に時間があれば汽車の絵を描いて遊ぶ子供
だった。前も書いたけど、広告の裏の白紙があれば、
汽車。マッチの軸があっても汽車。そんな子だった。
以上、幼稚園上がるか上がらない頃の話。

幼稚園の頃、親族が選挙に出るという話で、家族そろって
徳之島に選挙応援に行った。でも、それは大人にとっての話。
子どもの私はまったく関係ないのだけど、徳之島の景色
は心のどこかに焼き付いている。

私たちの家族が泊まり込んだ家は「飼育場」と呼ばれて
いた家で昔、蚕を飼育していた家だったそうだ。もちろん
そんなことは大きくなってから聞いたことだった。

「飼育場」は古ぼけていたけど、今考えてみると雰囲気
ある家だった。茅葺でこそないけれど、昔風の木造平屋の家。
100才ばあさんと呼ばれるおばあさんが住んでいた。
おばあさんは素朴な絵を描くのが好きなひとだった。
クレヨンでソテツに鶴とかそんな画を描いていた。

家の前には大きなガジュマルの木があり、その木ほどは
大きくないけど、ガジュマルの木が防風林になっていて
屋敷全体を覆っていた。母からはガジュマルに近づき
すぎるとハブが出るよと脅されていた。

夜は星降る夜空。あんな夜空はもう見た事ない。もちろん
感受性のほうも純だったためだと思うけど。そして、島の
生活では9時にはみんな寝てしまう。

ハブは見なかった。でも、「毒蛇」はみた。どこかへ行った
帰り道。そのどこかというのもちょっと意味深で、白い
服を着た怖いおばあさんに、連れられて会いにいった
という朧な記憶がある。もしかしたらユタか?と大人に
なって思うのだけど、母は否定しているし、偽記憶かも
しれない。で、その帰り道、サトウキビ畑の間を走って
いる小道の真ん中に赤っぽい色をした綺麗な蛇が
いるのを見た。母に聞くとおしりの所にとげがあって
そこには毒があるというのだけど(そんな毒蛇いるわけ
がない)、何という蛇だったのだろう。コブラ科のハイ
という蛇、それから無毒のアカマタという蛇いろいろ
考えているのだけど、なにせ幼児のときの記憶で
朧な記憶なのでどうしようもない。

海。最高の海。潮だまりの釣り。
親戚の人に連れられ、家族のみんなで海に遊びに
いった。といっても外海は危険なので、サンゴ礁の
潮だまりに釣りにいった。
竿はそこらへんのササを切って。そして、エサは
サンゴ礁にうようよといるヤドカリの尾をちぎって。

大人になって知ったのだけど、「飼育場」の近く
の海はメランジェ海岸と呼ばれている特殊な
地形だった。

潮だまりは大きいのや小さいのがあって、
大きい潮だまりで釣った魚を小さい潮だまりに
逃がしてやって、あとでまた手づかみするのだ
った。

満潮の時には潮だまりは海面下になり、魚が
入ってきて、干潮になると、外海と切り離される。
天然のいけすになるのだった。
潮だまりの中にはチョウチョウウオの類、
スズメダイ、そしてメジナやクロダイの稚魚
などがいて、子供にとって手頃な大きさだった。
もちろんサンゴ礁なのでサンゴやガンガゼなどの
ウニ、クモヒトデ、イソギンチャクの類もいた。

母が小さなタコを採ってきた。そして、小さな
潮だまりにそれを放した。足をぷきゅん、ぷきゅん
と縮めたり伸びたりさせながら泳いでた。
それを私が手づかみすると、吸盤で指の間に
からみついた。その感触がまた面白かった。



2013年8月26日月曜日

もくもく会 アーカイブつくりについて

仮想世界のとあるカフェ。今日はもくもく会ということで黙々と各自何かつくる会
とのこと。小一時間でつくれるのは文章くらいなので、文章かきでもするか、、、


アーカイブつくりについて


EVERNOTE、私はほとんどこれには自分で文章とかメモとか書かず、主に
どこかのブログとかで見つけた文章とかをコピペしてスクラップブックにし
ています。で、5800件くらいたまったのですが、問題は溜め込んだデータの
利用法です。

理想を言えば頭の中の冷蔵庫の拡張版みたいな感じで、そこからぱっぱと
素材をいくつか取り上げて、調理して一品、料理をつくるような感じで、自分
のコンテンツとか文章をつくりあげるというような感じにしたいのですが、
実際はというとそういう感じにはなっていません。

どちらかというと溜め込んだお気に入りのコンテンツを牛が反芻するかのよう
に何回も何回も眺めます。すぐに結果を利用しようとはあまり考えないのです。

そのやり方は正しいとものの本には書いています。広告業界では有名な本、
『アイデアのつくり方』の中にあります。薄い本です。Bookoffとかにたまに出ている
かもしれません。

そのうち発作的に何か書きたくなります。facebookとかtwitter、そしてブログと
かに書き出します。メモ書きのような感じで。後先考えず書いてしまいます。
アイデアを盗まれるとかあんまり意識しません。なぜ意識しないかというと他人
はそんなにまじめに読んでくれないのを知っているからです。

自分のメモ書きの一番熱心な読み手はたいてい自分です。そして、おそらく
書いた背景も知っているので自分が一番、深読みもできるのです。

それが書き付けていく理由です。表面はパクることもできましょうけど、その深い
ところはパクれません。そして、書き付けた時点でもう過去のことであり、発想
はたぶん先をいっているはずなのです。備忘録みたいな感じでつけているのです。

そういった書き付けたものが地層のようにまた溜まってきます。たぶん、それは
とっかかりであって、そこを足場にして掘り下げることができます。そこは露頭の
ようなものであって、露頭の場所を忘れないためにそこに書き付けます。

みかけはとっても悪いです。ガラクタ置き場という風情です。でも、本人的には
ジャンク品、廃品置き場みたいな感じで、そんな風情になればいいと思って
います。

そのままでは使えないようなアイデアがごろごろしています。単なる妄想とか
夢想とか。それできっといいのです。少なくとも、私がどんなことに関心があり、
頭のどの引き出しにはどんなものが入っていて、今、どんなことについて妄想
を広げているのかということがリアルタイムでわかるからです。

単なるそのときの記録です。でも記録をつけないとその日が消えてしまうよう
な気がするので、時間に余裕があるときはなるだけ、記録して、頭の中にある
ものを外に出そうと思っています。まあ、大部分の人にとては関心もわかないし、
興味もわかないことでしょうけど、私にとっては周囲の人が今どんなことに関心
があるのか知りたいです。そして、あまり多くの人はそういうことを伝えては
くれません。