はじめての方へ

私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。

P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。

p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。

P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)

P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)


2011年12月31日土曜日

鹿児島在住のOさんへの手紙 このブログについて

お手紙ありがとう。

(ブログについて)
書くのはいいのだけど、書いたことには責任もたないといけないから、
だんだん身動きとれなくなっているところです。
自分の心の底で何を信じてるのだろう?なんて
考え出すとまったく身動きとれなくなるのです。
まったく相容れない立場の人たちに八方美人的に
接していたから、、、
自分の軸にはゆるぎがないなんて格好いいこと
いえる人が羨ましい。もっともこれはファッションの
問題ではなくて、自分の世界観の中心構造の話だから、
大問題です。

そういえば前、私の思想についてはなしてくださいって
おっしゃってましたよね。

私は心霊写真とかみて育ってますから、
高校時代までかなりオカルトの色合い濃いです。
でも、ムーとかトワイライトゾーンとか買ってよむほどでは
ありませんでした。立ち読みで済ましていました。
その一方で大学にはいったら植物学勉強したいと思ってました。

大学はいって物理学概論の楽勝科目があったのですが、
お話好きな先生の最後の授業のとき、21世紀になって
発見されると予想していることを書いてください、みたいな
ところで、「霊の実在が証明される」なんて書いたおばかな一年生でした。

さて、2年3年と生物学の授業が続きます。細胞生物学とか分子生物学の
授業で細胞のメカニズムがいやというほど学ばされます。
(といってもほとんど記憶に残っていません。)その過程の中で、
生命は機械なんだ。すべて仕掛けに沿っているのだということを
明確に学ばなくてはなりませんでした。

3年生くらいでしょうかねぇ。仏教系の怪しそうなサークルの勧誘に
ひっかかって、相手してしまって、実験室までずるずると
勧誘目的の学生がひっついてきました。
そこで「あなたは何か信じるものがあるのですか?」
みたいなことを聞いてくるのです。
「植物学が私にとっては宗教みたいなものでしょうか。」
ってそのとき答えたら
「それは具体的にどういうことですか?」みたいに聞いてきて、
自然の仕組みの精妙さから何かを学んでいるみたいなことが
いいたかったのかもしれませんが、うまく答えられませんでした。

さてと、その後、何年かたって発病するのですが、生物学の教えは
現実界に私を引き止めるための何の役にも立ちませんでした。

以来、私の脳の中はしばらく前のスーダンとかソマリア同様内戦状態です。
科学的世界観も、神秘主義もしっかりと陣地をもっていて一進一退を
繰り返しながら、戦況いまだに定まりません。

ただ、私の科学的世界観のほうも、神秘主義のほうも
「本当のことを知りたい」という
共通の目的をもっていて、「世界の根源について自分なりに理解したい」
という青臭い願いをいい歳してもっていて、「考えても仕方のないこと」と
思えず、時間だけが過ぎてしまった、みたいな感じです。

P.S この文章もったいないのでブログのねたとしてそのまま使います
あしからず

2011年12月30日金曜日

夢の出口

昔、変なこと考えたことがあった。

「願い」自身の願いって何だろう?とか
「祈り」自身の祈りって何だろう?とか

カミサマにはカミサマの夢があって
その夢の出口が
この薄汚れた、不完全なる
宇宙なのではないかと
思った。

青年のときよく思った。
なんでカミサマはこんなにも不完全な
強いものが弱いものを食ってしまうような
世界をこさえたのだろうって。

強いものはますます強くなり
弱いものはとりあげられちゃうような
不完全な世界をこさえたのだろうかって思ったものだった。

でも、人々の夢の出口が
さびたり、こわれたり、
自分の才能の関係上
これが精一杯のものだったりするように、
宇宙全体みても構図は同じなのではないか
と思った。

厳然たる熱力学の法則。
奇跡を起こすには
インチキな手品を使うしかない宇宙。

全知全能のカミサマをもってしても、
これが精一杯というところ
だったのかもしれない。

現実に存在してるものを
もうちょっとやさしい目でみてみよう。
自分に思い描くことすらできなかったものが
大部分なのだから。

消費者としては不満があったとしても
夢の出口にそれぞれのものが
出てこれたものなのだから。

P.S 夢の出口=現実というモチーフは自分で考え付いたものではありません。
http://shinri-care.com/blog/2010/09/15/437/
この文章読んで、刺激うけて、自分ならどう書くだろうと思って書いたのが上の文章です。

謎めいたメモ書き

エヴァンゲリオンと幻魔大戦の違いは何だろうか?




作り手の真剣さがぜんぜん違うのではないか?

エヴァはちりばめてるけど、背景には意味はない。

視聴者が勝手に意味をつくってる。



幻魔のほうは作り手側の人生そのもの。



あちら側の存在を信じているかどうかがまったくちがう。



信じてないと面白いものはつくれないのではないか?



何をどう信じてるかが問題になる。



作り物の世界観なのか?



世界観そのものを信じてるのか?



ファンタジーの世界が実在すると本気で信じてる。

にもかかわらず宗教臭い世界に落ち込んでいない。

このバランス感覚を保つにはどうすればいいのだろう。



宗教の世界もファンタジーの世界に含まれる。



もっとも基本的な要素は媒体だ。

宇宙というか存在は一枚の紙切れなのではないか?

時間を無為に過ごさないこと

私も現在ニートそのものなので、上から目線で
あまりえらそうなこといえないのだけど、
「職安にいく。」
「自分のやれそうなもの、やりたいものがない。」
「だから何もしない。」
というサイクルはあまりよくないと思う。

職に就けなかったとしてもそのことは縁もあるの
であまり自分を責めても仕方がない。

むしろ大事なのは時間を無為に過ごさないことだと
思う。

かといって別に資格試験を目指しましょうということ
でもない。
自分の単なる意見だけど、みんな同じ出口に殺到
している感じがする。裏に道ありってあるんじゃないか。

誰でもやれそうなことは図書館で過ごすこと。
堆肥づくりのように、長い目で見て自分を肥やしてくれそう
な本をじっくり腰落ち着けて読むのもいいと思う。

時間があって、ゆっくり本が読める。これもある種の贅沢
だと思う。そういう時間が必要なのにそういう時間がとれない
人は多い。

そこで尺度をおもいっきり長めにとってみたらどうだろう。
いま、仕事してないと思っている。
でも人生全体を尺度にして、全体として帳尻を合わせて
みたらどうだろう。

今、図書館でじっくり本を読んでいる。そして、それが
未来の自分にとってかけがえのない財産となるのなら
今、しっかり仕事していることになるのではないだろうか?

世間の人の目のことはとりあえず、忘れよう。
自分の未来のことを、遠い先にあるほのかな希望の光
だけを信じよう。

ひたすら北極星の方角に歩いていったら、いつかは
砂漠を抜け出すことだろう。そんな感じでひとつの方針
のもとに、同じことを繰り返していったら、つもりつもって
自分を支えてくれる力になるかもしれない。

人生そんなに甘くないのかもしれない。
努力が報いられるとは限らない。
でもそれは結果であって、
やれるだけのことはやったと思えれば、
自分が自分を救ってくれると思う。

2011年12月29日木曜日

あるがままの表現って何だろう?

「あるがまま」という言葉は日本人好みの言葉だとおもう。
「あるがままの表現」なんて意識すると遠くなってしまうの
かもしれない。でも意識してしまった以上仕方がない。
すべてを含めてあるがままなのだから。

孫悟空が結局のところお釈迦様の手の間から出られなかった
ように、意識しようがしまいが、それが結局のところ自分なの
だろう。

私はこのブログを通して人間を表現したかった。
ブログという窓の中に生を営んでいるある種の人間の姿を。
動物園のライオンが退屈そうに檻の中を歩いているように、
特になんていうことないのかもしれない。

保護室の中だけで十分なのに、世間に自分を晒して、
ブログという部屋の中で個人情報を垂れ流している。

何が面白いのだろうと思う。そんなに世間様に自分を
晒したいのか?そのあたりの心理状態は自分でも
よくわからない。

目立ちたいのだろうか?

人間だから確かにそんな欲望もないこともない。
カラオケで人前で歌うことも、宴会芸とかで
周囲に笑ってもらうことも嫌いではない。
むしろその方面の欲望はかなり強いと思う。

でもその一方で目立ちたくないという欲望もある。
目立ちすぎて、友達が増えたら
ひとりひとりとゆっくり時間つぶす楽しみは失われる。

しっかりと話せる人の数ってどんなものなのだろうか?
片手で足りるという人もいれば、両手で足りるという人
もいる。友達の席数はそんなものだ。

少数の友達とかけがえのない話をしながら
好きなものを作って暮らす。

なんと贅沢な暮らし方なのだろう。
もし、本当にそんな暮らし方が可能なのならば。

中和滴定といって酸や塩基の濃度を調べる操作
があるのだけど、調べる溶液を中和させるのが
難しい。酸性かアルカリ性になって中和してくれない。

ちょうどいい暮らし方ってたぶん、
中和したところでバランスを保つ難しさと相通じるもの
があるように思う。

貧乏か忙しいかでほどほどというものは世間は
許してくれないのかもしれない。

今の暮らしは夏目漱石の「それから」の大助みたいな
状態で高等遊民というか、あまり肩身は広くない。
働かざるもの食うべからずというけれども
私の場合は家族がセーフティネットになっている。

起承転転転でどんどん話がずれていく。
これも私のあるがままなのか。

頂上を目指さない山登り

屋久島の植物学実習の話が出たのでついでに書いておこうと
思う。80年代の終わり、広島大学の学部生時代、植物生態学の
実習で屋久島を訪れた。

屋久島の森の中では私の好きな野生蘭にたくさん出会えた。
ヒメトケンラン、トクサラン、ツルラン、ミヤマムギラン、
印象深かったのはルリシャクジョウだ。これは蘭の仲間
ではないのだけど、植物図鑑の中では蘭の近所だ。
http://kasugak.sakura.ne.jp/comment/rurishakujou.html
不思議な感じの植物でしょう?
腐生植物といって、キノコの仲間と共生しながら
栄養をもらって生活している植物です。

ルリシャクジョウでなんとなく私がイメージするのは
宮崎駿の映画「もののけ姫」の中に出てくるコダマ(木霊)
です。
http://khosanroad.blog35.fc2.com/blog-entry-437.html

もののけ姫のロケ地は屋久島だったので
私のイメージはビンゴなのかもしれません。
”もののけ姫” ”コダマ” ”ルリシャクジョウ”で検索して
ヒットしなかったので私が第一発見者かなあ(妄想かも)。
もしかしたら、そっとしておいたほうがよかったかもしれません。

生態学の先生について屋久島の山登ったので、
木の種類教えてくれるのです。それが贅沢でした。

そしてもうひとつ印象深かったのは頂上まで行かずに
下山したこと。目的は植物だったので頂上を目指さなくても
よかったのです。そんな山登りもあるのだと思いました。

そして、頂上を目指さないということは何か深い意味が
あるようにもそのとき思いました。大事なのは何が目的か
ということ。目的を達成することと、頂上を目指すことは
微妙に違うことなのでした。

鹿児島からは南十時が見える(らしい)

英語版のほうで薩摩のはなしになったので、こっちでも薩摩の話をしよう。
私は小学校3,4年生は天文少年だった。
私の小学校の横が科学館で、一番上の階にプラネタリウムがある。

もともと、科学館にいくお目当ては地下の階にあった巨大な鉄道模型の
パノラマだったのだけど、いつしかプラネタリウムに入り浸るようになった。

そのころはプラネタリウムは手動で動かしていて、説明も毎回人が
行っていた。

担当する人によって微妙に説明が違うのが楽しみで、繰り返し、
繰り返しプラネタリウムの番組を見ていた。

子供が同じお話を倦むことなく聞きたがるのとどこか似ているの
かもしれない。

番組の最後のほうに、ギリシャ神話のスライドショーがあり、
古風な絵柄のギリシャ神話の画と背景音楽の「禿山の一夜」(Night on Bald Mountain)
とか「フィンランディア」(Finlandia)こういったものが刷り込まれるような感じで幼いころのなつかしい思い出になっている。

幼いころになじんだギリシャ神話についての記憶は大人になって
ユング心理学の本読んだときにとても助かった。これは今の人が
ゲームを通して、三国志の武将の名前となじんでいくのと似ているのかもしれない。

プラネタリウムに話を戻すと、私は南の星座にあこがれた。
日本から完全に見えなくなる星座は88ある星座のうち
たった4つで、南半球の夜空の星座も端っこが日本でも見えるそうだ。

たとえば南十時星の上の二つの星は鹿児島からでも見えるらしい。
でも残念ながらみたことがない。南の海の水平線が見えるところの
場所はネットとかで調べたらわかるのかもしれないけど、
自動車もっていないので行くことができない。

なんとかがんばればいけないわけではないだけに悔しい。

嬉しいのは学生時代に屋久島に植物生態学の実習でいったのだけど
その折にりゅうこつ座のカノープスをみたこと。中国名、寿老人という
星でたいへんおめでたい星なのだ。そして、シリウスについで全天で
二番目に明るい星でもある。

最近また、天文が身近になっている。放送大学の鹿児島学習センター
の客員教授の一人が天文学の先生なのだ。宇宙の話をいろいろ
聞くのが好きだ。難しすぎてついていけないことも多々あるけれど、
自分の世界観広げるにはとてもいい機会だと思っている。

2011年12月28日水曜日

どういう物語の中で生きていくべきなのか?

世の中にはいろいろな物語がある。

個人の物語、家族の物語、、、、宇宙の物語。
自分はどういう物語の中で生きるべきなのか?

物語には筋書きがあって、その筋書きの中で
役者は役割をもらっている。
自分は結局のところ何と関わっているのだろう。
そのものとの関わりの中でどういう意味を
どういう価値を担っているのだろう?
って考えてみると、歴史の中での自分について
自覚されることになる。それがどんなささやかな
歴史であったとしても。

生きていく限り、痕跡を残し続ける。
時間を汚しながら、恥を重ねていくことでもある。
世の中そのものが媒体と化した世界の中で
あれこれ考えることは多い。

微化石のように、何かについての情報を担いながら
呼吸するように情報廃棄物を吐き出している。
時間の地層の中にそれらは埋もれていくのであろう。
有孔虫の微化石のように、周りに存在している
情報環境を反映しているものなら幸いだ。
周りに存在している何かを閉じ込めて、
表現として、痕跡を残していく。

近くにあるもの、遠くにあるもの
いろんなものを表現の中に閉じ込めて。
有孔虫がまわりにある砂粒を殻にくっつけて
我が家としていくように。
http://foraminifer.blogspot.com/2011/08/construction-material-of-foraminifera.html

データベース全体を遠心分離機にかける

データベース全体を遠心分離機にかける
そうすると何が残るのだろう?

ちなみにデータベースって自分の中の概念みたいな
ものでネットその他史料になりそうなもろもろのもの
だ。

今、ここで何かを表現しても、きっと埋もれてしまうだろう。
あるいは今、時代の表面で活躍されていらっしゃる方々
も歴史の中で忘れられてしまうかもしれない。

ありきたりな言い方だけど、さまざまな表現は篩にかけられて
残ったものだけが歴史の中で場所を与えられる。

ありきたりな言い方だけど、時間が遠心分離機にあたる
のだろう。

自分の中にも小型の遠心分離機をもちたいものだ。
時間に揉まれる中で、自分がごみの側に分別されるだろう
ことは悲しいことではあるが、せめて、おなじく、ごみのがわ
にひきよせられるもろもろのものの中から、何かを救いたい。
そんな力が自分にあるとはとても思えないけれど、清き一票
として正しい投票を行いたい。

自分が何かを選択すること、それは小さな投票行為だ。
自分の部屋の中に、あるいは頭の中に何かが残り、
次の人に伝えられていく。

何を伝え、何を伝えないか。それぞれの人がゲートキーパー
としての責任を担っている。

ある出来事なのかもしれないし、作品なのかもしれないし、
何かの名前なのかもしれない。

あなたの部屋、あなたのパソコン、そしてあなたの頭は
もしかしたらノアの箱舟みたいなものかもしれない。

2011年12月24日土曜日

確かに永遠の消費者ではなく、永遠の視聴者でもない。だけど、、、

私は常々、一庶民として、プロフェッショナルな人々が
時折見せる居丈高な態度をして、庶民を見下すような
まなざしに腹を立てていた。

庶民は永遠に消費者であってほしい、永遠に視聴者で
あってほしい。作り手側には入ってきてほしくないといわ
んばかりの態度に。

そういう怒りを腹の底に抱えながら、いろいろものを
つくってきて、夕べは逆に対談者として見せる側に
まわってみたのだけど、、、

結論から言うと、プロフェッショナルな方々ってそう
いう風に呼ばれうるだけの修練を積んでこられた
のだと思う。プロとしての誇りには誇るだけの歴史
があるのだということ痛いほどわかった。

私はようするに子供だったのだ。何も知らない
ある意味、無垢な子供。いい歳をしてるのだけども。

怖いものしらずで今までいろんなことしてきた。
その過程で虎の尾を何回踏んできたのやら
見当もつかない。

若さの特権だったのかもしれないし、
知らぬが花ということも私の場合あったかも
しれない。

何もしらないが故に、普通の人が怖れを感じる
場面で、怖れを感じず、分不相応ともしらず、
さまざまな人の時間を拝借してきた。

たぶん時間泥棒をした時間分の何かは
暗に陽に私が表現してるものに出てくる
ような感じがする。

ネームドロッピングするまでもなく、
私の背後に私以外の人の影を
感じる人は多い。

私は単に過去にあった人の
影に過ぎないのかもしれない。

過去にあった人や、その刺激
を受けて読んだもの。

パッチワークなのかも。

2011年12月23日金曜日

I bigin new blog

I begin new blog.
http://epikowbow.blogspot.com/

There text is scribed by English.
I will try to show my art over the sea.
I would like to continue to make contents in the second life.

性懲りもなく新しいブログはじめました。

今夜の対談のリハーサルを終えて、気をよくした私は
欲深いことに、英語のブログを作ることにしました。
http://epikowbow.blogspot.com/
And検索で英語での病名とセカンドライフの画像検索やって
みたのですが、ぜんぜん出てこなかったので、
もしかしたらやってみる意味あるかもと思ったのです。

しばらくはtwitpicにある昔とったスナップショットに
英語のタイトルと解説をつけてコンテンツとする予定です。

twitpicの画像は検索で出てこないので、もったいないこと
してしまったと思っていたところなので、、、

2011年12月22日木曜日

私の心の底にあるものって何なのだろう?

今、書き込みしてきたところ。
そして、そのことについて今考えているのだけど、
私の心の底にあるものって何なのだろう?

心の底には病気の世界があって、
完全にはこちら側の世界に戻っていない
のだろうか?

そもそも病気の世界って何だろう?

イメージたちの世界。
イメージたちが生々しく生きている世界。

イメージたちは脳が作り出したものか?
目に見えない超自然界の生き物なのか?
その辺はわからないし、最終的にはなんとも
いえないだろう。

三角形が目にみえないイデアの世界にある
という意見がある程度の支持を得るのなら、
そのほかのものはどうなのか?

アニメのキャラクターも三角形も似たような
ものなのではないのだろうか?

そういうわけで、ゆるキャラを含めて、
生み出されたキャラクター、
没にされたキャラクターたちが
生々しく生き物として、
私の心の底には徘徊してる。

日ごろはそんな化け物たちが
意識の表面のほうまでお出まし
になったら、日常生活やっておれない
のだけど、幸い出てこない。

でも、そういった無意識の世界が
表面に上がってきた事件は生々しく
覚えていて、暗黙の了解として
平常な日常意識の底のほうに
黒々とそういった世界が広がっている
ことは知っている。

みんな夢の世界だったら思い当たる
ではないか。実は昼間の世界も
画面の背景に、自分の意識のほうの
背景にも夜の黒々とした世界が
広がっている。

無意識の世界が表面のほうに
あがってくるとき、
何気ない他人の話や
ちょっとした身振りとかに
裏側の意味が立ち上ってくる。
意味そのものはわからないけど、
意味ありげな象徴か何かとして
目や耳に訴えかけてくる。

内側にある解釈か何かが変わったとき
この世界はこの世界そのままのままで
あちら側の世界になる。

でも、そういう刻が訪れるのも
最近はめっきり少なくなった。
ある意味、若いときの感性が
必要なのかもしれない。

感性が鈍くなり、
非日常的なほのめかしは
単なる抑うつに変わっていった。

よくも悪くも落ち着いてしまったようだ。

日本人の皆様へ

このブログ読んでいる人はとても少ないのですが、
なぜか知らないけど、海外からもアクセスがくるのです。
で、英文で何か書いてみたら、やっぱり読む人がいました。

なので、ときどき英語で書いてみます。
使う英語の方針として、難しい語彙や言い回しは
使わない。あくまでも、私の使える範囲の英語を
使う。

たぶん読みにくいと思うのですが、あまり論理的に
書かない。あくまでも、日本語で書くような感じの
書き方で書く。

身の丈にあった英語表現を目指してみます。
あくまでも私の英語表現です。

I have a lot of time. In this time, I think a lot of things.

I have no job. So every day are holidaies.
Almost Japanese, If every day are holidaies,
They must lost of meaning of life.
So I have to seek meaning of my life without job.

In this society, All persons are given a role,
 as if they are an actor and actress on the stage.
We are let alive by their role and stage.

I think about my lole.
I shuld be seek where context I can alive.
You may possibly give me the meaning for my life.

I don't know what you are.
But I feel something, the week line betweem the strangers.
What I feel? On the far away, there are eies that watch my poor texts.
I don't know that eye is cold or warm.

because I don't know anything, I am happy.
It is enogh, my this situation.

I have lot of fan, image invisible friends.
I can not image them, So the imagies are opend to a lot of directions.

Thanks for reading, such a non logical text.
The japanese make text as if wind makes his way.
Image to image, japanese logics are flowwing in whirls.

2011年12月21日水曜日

I know myself by my expressions.

I have an identity that is not clear.
I could not build an identity by the work for my mental disease.
In Japan the work is very important as an identity.
So I try to build an identity by my expressions.

I make sentese and 3D image.
I think these teach me what I am.
Or these teach me "You are nothing"
Answer is answer, I shuld be accept.

If you use simple word, you can make your world.

I like to see in my mind.
In my mind, there are many images.
These images want to become clear shapes.
Some times I make sentense, some times I make 3D image.
 Under the sun light, These images have their bodies.
If they want to go abroad, they can go to travel by the road of light.
I can not image their travel. because I am only small man.
I say "Sayonara" to my images. "Have a nice trip"

2011年12月20日火曜日

今週の金曜日VWBC市民放送局に出演します

今週の金曜日VWBCさんという仮想世界の放送局の番組
「市民放送局」の「今週の話題」というコーナーに出演します。
時間は21:00からです。
放送局はこちらです。http://vwbc.jp/
忘年会、クリスマスパーティとかで忙しい方も多いでしょうけど、
お暇な方はぜひご覧になってください。

ちなみに前回出演した「ジタクカフェ」のほうもどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=4wim-Q1Prw4&feature=results_main&playnext=1&list=PLED1AE8AA3DDCD0E2

2011年12月18日日曜日

人生の本質 何もいらない

私が奈良の天理市で、たぶんもう病気の世界に
入っていたのでしょうねぇ。
急性錯乱状態に陥っていくそのほんの前のことです。
ぽかぽかした春の日で桜も咲いていたと思うのですが、
小川の脇を通りながら、

「何もいらない」

と思ったのです。
ゆったりした気持ちで、
すべてのことを放り出して、
どこへともなく去っていく感じで、
みもしらない町を
歩いていたのです。

会社の研修もなにもかも
たぶん自分の人生そのものも
放り出して、
それでも不思議な幸福感に
つつまれながら。

人生の本質なんて昔も今もさっぱり
わからないけれど、

「何もいらない」はたぶんその答えのひとつ
なのでしょうね。

今は生活に巻き込まれて、
とてもそんな気持ちには
なれないけれど、
自分の背負っている人生という
重荷を放り出してみれば、
なんと背中の軽いこと軽いこと。

今も心の底にはあるのでしょうね。
「何もいらない」という気持ちが。

だから、精神病を得ても
関節リウマチを得ても
思うほど身に堪えませんでした。

あれが必要、これが必要
と言い出すと、背負っていく荷物が
どんどん増えていきます。

だから今もバックパッカー気分で
荷物ひとつで個人旅行としての人生を
私なりに楽しんでいるようにも思います。

自分の解釈で、与えられた譜面を
読みながら、自分なりの演奏を
楽しむキリギリスってところ
なのでしょうか。

2011年12月17日土曜日

「シナプスの笑い」原稿かき。

もう締め切りの迫っている「シナプスの笑い」に投稿することになった。
一応書いてみたのだけど、採用されるかどうかわからない。
読んだ人が、どう思うのかもまたわからない。
書き方が抽象的になってしまったのはマズいと思ってしまったのだけど
今回の投稿はそういう文体にしてみたから仕方がない。

一箇所、どうしてもマズい、読む当事者によっては傷ついてしまう
と思う箇所もあるのだけど、そのままにしてしまった。

自分はそうしたけど、その裏にはそうしなかった、あるいはできなかった
読み手もいるに違いない。あの雑誌にはそういった配慮が書くほうとしても
いると思う。

裏側の人生ってあると思う。相談室のこちら側に座るか、向こう側に座るか
も実のところ微妙に思えてならない。すべては何かのめぐり合わせである。

微妙なところで左右に分かれて、片方はこちらに、もう片方は向こうの扉を
くぐるのが人生だと思う。

自分でそれを選んだのだ。結局自己責任なんだとも思えない。
めぐり合わせだと思う。

責任とれるほど、人生についてあらゆることが見えてる人っていない
と思う。責任能力は思うほどないのではないだろうか。

運も実力のうちといってしまうほど、世間で言われてることは
あてにならない。

宇宙の外から人生を見守る、弁護士のような天使がいてほしい
とつくづく思う。仮に死んだあとに厳正なる裁きがあったとしても
それなら納得して死ぬことができる。変な話になってしまった。

裏側の人生の話だった。その人の人生の物語の裏側には
そうでなかった人生の物語があって、人それぞれ思いをめぐらした
ほうがいいと思う。今、現に生きているなんてまさにそうしたこと
なのではないだろうか。あるいは、「ここ」に生きていることなど。
地球の裏側に生きていたって別にかまわないはずだ。

裏側まで思いをめぐらせることによって、人生その他物語の
読み方は深まるはずだ。人生は一回こっきりしかないけれど、
実現した人生の脇には実現しなかった無数の人生もある。
背景の無数の人生を踏まえて、実現した人生の意味とか
浮かび上がってくると思う。

2011年12月16日金曜日

宝くじの代わりに本を買う

今はすっかりやめた習慣ですが、
宝くじ買うような感じで、古本とか買っていました。
別のやりかたの夢のかいかたです。

そのときは確かに夢は買えたのです。
売価は百円だけど、頭の中に知識として
入ったときの値段っていくらなのだろう?
って計算しました。

今は百円で買える本も、その昔は
屋敷ぐらいな値段がしたとか、
そんなこともイメージするのが楽しみ
でした。

この年になり、夢はやっぱり夢だったの
かもしれません。

でも、大型書店の棚を物色しながら、
不思議な幸福感に浸るのです。

たかだか文字を読むだけなのに、
なんでこんなに幸福になれるのでしょう。

その幸福は一億円分はもしかしたら
あるのかもしれませんし、ヨーロッパに
住む大富豪なら金には換算できない
ということでありましょう。

他人には結局のところ、
その人の不幸も
その人の幸福も
わかりません。

もちろん、自分にだって
自分の不幸も
自分の幸福も
見えてないことでしょう。

外からも内からも
結局わからないで、
わからないまま、
存在という謎が
森羅万象の中の一粒として
データベースの一角を占めてる
という感じなのでしょう。

このページ読んでも、
非定型精神病のことも
当事者の私も結局よくわからない
と思いますけども、
根本的にはどの項目、
どういう人もそっくり同じだと思います。

開き直っても仕方ないのですけどね。


隠れた椅子を探す

椅子とりゲームって社会の縮図のようにも見える。
椅子って自分を生かしてくれる居場所かもしれないし、
居場所の中には職場としての居場所を提供してくれる
ところもあるかもしれないし、小額のお金は提供しないと
いけないけれど、経験値ががっぽり稼げる場所かもしれない。

そういう椅子って、どちらかというと隠れたところにあるの
かもしれない。公開されてはいても、派手な宣伝がなかったり、
恵まれた場所のようには見えなかったり、その場所を場所
として生かすためには、こちらにもなんらかの技能が必要
だったりとかさまざまな理由で隠れている。

椅子ってもっと漠然とした、潜在的な需要みたいな形
で存在することもあるかもしれない。既成の椅子でなくて、
何か話しをしたり、アクションを起こしたりすると
そこに「ポコーン」と出現するような椅子。

そういう椅子って見る目さえあれば、社会のあちこちに
あるような感じがする。

ジャングルのような社会の中で、秘密の薬草を探すかの
ように、隠れた椅子を探す。

もちろん、どこにそんな椅子があるかは誰も言ってくれないし、
椅子の探し方もこれまた秘密。みんなが知ってしまえば
荒れちゃうからね。

でも、嗅覚をとぎすますと、なんとなく感じることってあるし、
そんな目でいろんな資料にあたると、隅っこのほうに
親切心でちょっとしたヒントがほのめかされてることもある。

と思わせぶりなこと書いたけど、私は何も知りません。
この文章読む人によっていろんな想像するかもしれないけども、
たぶん社会ってそんな感じなんだろうなって話。

2011年12月13日火曜日

サポートネットラグーナ 聴き方・話し方教室

今日のサポートネットラグーナは「聴き方・話し方教室」で講師は
KTSアナウンサーの山本慎一先生でした。

今日は最初は挨拶の話でしたが、挨拶も奥が深いものだなあ
と思いました。授業中いろいろ挨拶について教えていただき
ながら、ふと思いついたイメージがありました。

自己紹介もそうなのですが、挨拶はその日、その方との人間関係
に入っていく玄関口みたいなものではないだろうかと思ったのです。

みんな玄関口はきれいにします。家という、個人にとってのお城みたい
なものの門にあたる場所です。家の第一印象はそこに現れるのです。

そして、玄関から廊下を通って奥座敷にはいっていくように、
挨拶から、季節の話題があって、話の本題に入っていくという
共通する順序というか流れみたいなものがあるように思いました。

スクリプトというそうなのですが、芝居の台本のように、
さまざまな物事には流れがあるようですね。

お客様にとっては初めてでも、業者さんにとっては毎回同じことの
繰り返しなので、キレイに流れができています。

ちょうど個人レベルでも、社会上のやりとりみたいなものに
自分なりの台本をつくって、できれば繰り返し稽古して
心の中にスクリプトをつくっておけば、もっともっと社会の
中で生きていくのが楽になるだろうなと思いました。

たぶん、つまらないところで、つまづいてしまって、
スクリプト作るのに失敗したり、失敗が原因で
スクリプト作り続けるのをあきらめてしまったりしたり
で、社会の上でのやりとりが稚拙になってしまったのでは
ないだろうかって自分を反省して思うのです。

たぶん社会で普通に働いてらっしゃる方々は仕事の上での
日々のやりとりをとおして、常識という名の膨大なスクリプト
を積み上げてられるのだなあとなんとなく思ったのです。

安心して失敗できる場があればいいのになあと
思ってます。安心して失敗できる場で経験を重ねて、
周回遅れでも、自分なりのスクリプトをつくって
自分なりに社会に参加してみたいです。

書く環境によってネタが浮かんだり浮かばなかったりいろいろですね

今日はいつもの場所と違う場所でアクセスして
ブログ書いているのですが、環境が違うと書く
感覚もぜーんぜん違いますね。

今、気づいたのだけど、体全体の皮膚の感覚とか
そういうものも総動員して書いているようです。

書く環境に慣れないと、書いているからだ全体に
違和感があって、緊張したような、アガったような
感じになり、全然うまくいきません。あまり、筆進まない
ので今回はこのへんで。

2011年12月12日月曜日

ワークショップと躁転

”ワークショップ” ”躁転”で検索して、らしいページが
出てこなかったので私が書こうと思います。

たぶんこの二つは相性がいいのです。

たぶんワークショップを深ぶかと体験できるのは
躁転の素質をもった人だと思います。

さじ加減が難しい。

刺激を受けることは大好きなのです。

深い体験は人生の薬になります。
薬も分量間違えば毒になります。

危ないと本人が直感したときに、
さらなる刺激を遠ざけることができるか?

そもそも危ないと状況を直感できるか?

幸福感や楽しさも腹八分目までいかないところで
収められる人は治められるのかもしれません。

それは自然の本能には逆らう行為です。

とはいえ私も模範的な人間ではなく、
単に今まで運命に魅入られなかっただけ
だと思います。

ほどほどのところで、しっかりと愉しみながら
愉しみ過ぎなかっただけなのでしょう。

2011年12月10日土曜日

灰色の健康

想像力って不思議なものだと思う。
脳も体の一部であり、
頭と胴体は連動しているという
厳然なる事実もあって、
ぜんぜん文章が進まない。

脳になんだか悪い物質が蓄積している
ような体内の感覚があって、
さらに、リウマチの影響で微妙な痛みと
ともに、何かを作り出そうというパワーが
少しずつどこかに漏れ出しているような感覚
も若干ある。

それらを所与のものとして受け入れながら
生きていくしか仕方がない。
もしかしたら、単に気分が少し落ち気味
なだけで、やがて今の状態が嘘のように
またノリノリの時期がやってくるような
気もしないでもない。

まあ、それなりに書けるのだから、
深刻というほどではない。

ノリノリではない今はそう大きな
失敗もやらかさないだろうし、
充電中ということで
むしろ本当の健康なのかもしれない。

これが健康なのなら灰色の健康と
いうほかないのだけども。

2011年12月7日水曜日

書くエネルギーが足りない

ノリノリの時期は終わったのだろうか。書く力がわいてこない。
思いつかないというよりはエネルギー枯渇気味。
仕方ない休もう。

2011年12月6日火曜日

精神のかく乱と再編集のモデル

モデルというほどのものではなく、たんに
たとえ話くらいのものだと思うのですが、
南島のほうでは、病気(カンダーリ)の後、
シャマンになったりして、病気がかならずしも
否定的な体験ともいえなくなるのはなぜなのか
ということをちょっと考えてみたいと思います。

学習には臨界期があって、たとえば9才くらい
だとします。前頭前野のほうはもうすこし、
遅れて25才くらいだとします。このへんの知識は
読みかじりなのでヨタ話くらいに思ってください。

大人になるにしたがって、脳は成熟し、
大枠は臨界期くらいのときに定まり、
その枠の中で微調整がおこなわれる
という感じなのかもしれません。

精神病の発生はシステムに対する
どのくらいに相当するかはわかりませんが
かく乱だとします。

その後、社会的、あるいは文化的な環境が
よければ、システムは再編集されて、
かく乱が創造的に働くこともありうるのでは
ないでしょうか?

南島では発病後の本人の構えも本土とは
違って、病気自体をクリエイティブに捉えられる
文化的環境みたいなものが歴史の積み上げに
よって実現されているのではないか?と妄想したり
するのです。

コンピュータがフリーズしたときも再起動する
方法があるし、フリーズさせたことは恥には
なりません。むしろ、再起動する微妙な時間を
どのように保護的に過ごすかということが
再起動中の事故を減らして、システムに傷を
つけないこととして大事になります。

柔道では受身を、ヨットでは沈させたときの
手続きを習います。

脳に難しい作業を行わせることの多くなった
現在、脳がフリーズしたり、クラッシュしたり
したときの構えみたいなものをどこかで
学んでおくことも本当は必要なのかもしれません。

本土は南島と確かに文化的環境は違います。
でも、文脈は違っても、相同的なシナリオ、
病気になった人が別にシャマンになるわけでは
なくても、その後の人生をクリエイティブに送れる
ようなシナリオはありうると思います。

自分なりのシナリオづくり、未来に続く、
それぞれの地域における文化的環境上の
一人のアクターとして、道なき道の探索
に汗流してみるのはいかがでしょう。

自分が食べたいもの、お客さんが食べたいもの

ものづくりを料理でたとえる習慣があるのですが、
根本的な話、
自分が食べたいもの、
お客さんが食べたいもの、
どちらを作るべきなのでしょう?

仕事として、何かのサービスを成り立たせよう
と思ったときに、自分がほしいものと
お客さんがほしいものの間を調和させないと
いけないのかもしれません。

でも、本気でものをつくろうとしたときに、
根本的に自分が作りたいとおもっていない
ようなものにパワーって出るのでしょうか?

自分がやりたいことは趣味でやればいいの
でしょうか?

卑近な話、ブログづくりなのですが、
自分が書きたいことを書いています。
お客さんが読んでくれればよし、
読む人がいなくてもよし。

膨大な人がいれば、中には
こういう文章でも読んでみたいという
酔狂な人がいるかもしれません。

膨大な人というところに味噌があるの
かもしれないです。

自分に似た人は、膨大にひとがいれば
誰かいるはずです。

そのたった一人に届けられたら
目的は十分達せられると思います。

2011年12月5日月曜日

rlが要らないから、人間が要らないまで

現時点でリアルライフが要らない、バーチャルだけで
いいとする人は存在するかもしれないと思う。
生活するためには何らかのリアルライフを必要とする
のは常識だけど、こと人間関係については
リアルライフのかなりの部分を代替できてしまうと
する人がいても今やおかしくないような気もする。

人工知能の未来を考えたとき、リアルライフがいらない
を通り越して人間はいらないとする人が近未来
でてこないのだろうかという気がする。

レトルト食品や缶詰だけで生きていく不健康な
生活みたいなイメージになるのだけど、
経費節減のためそうした生活を選んだり、
選ばされたりという場面も出てくるのではないか
と思う。

今や手作りの品は貴重品になった。
そのうち手作りのほほえみや、
手作りのあいさつや、
いまなにげないことが貴重品になって
しまうのではないかとちょっと妄想している。

地域のつながりも薄くなってしまったので
貴重品どころかどんなにコストかけても
帰ってこない生態系みたいな感じで
過去存在した場面などを振り返ることがある。

2011年12月4日日曜日

隠された椅子

”椅子取りゲーム” 戦略 で検索したら63700件出てきたの
に対して、”隠された椅子”で検索したら16件だった。
そのうち私が期待してる椅子は一件もなかった。
このことは何かを物語っているのではなかろうか?

整備された登山道には人はうようよしているけど、
登山道から外れたところには誰もいない状態みたいな
ものかもしれない。

就職活動、進路志望その他人気が集中するところには
集中するけど、実態は「人の行く 裏に道あり 花の山」
みたいに見える。

自我にとっての内外

自我という言葉がいまいちよくわからない
のですが、宇宙船の司令室みたいなもの
だと仮にイメージしてみるとします。

で、環境に対するストレス応答とか、
適応戦略みたいなものを考えるとき、
どこまでを内とするか、どこからを外と
するかよくわからないのです。

環境という用語をみたとき、大体からだの
外をイメージすることが多いのですが、
気分の上下みたいなものを考えたとき、
自我の外側みたいな部分も十分環境の
ような感じがするのです。いわば内的環境
ですね。

脳を使う感じは私にとっては
不具合のあるポンコツ宇宙船をなんとか
乗りこなす感じです。

一方でその私=自我がだめなんだという場合も
あって、外と内の境界を体の表面でなく、
自我と無意識の境にもっていくというのも
あんまり、いいアイデアとはいえないかも
しれません。

そういえば、今操作している、パソコンの画面は
まさに私の比喩してる、「宇宙船の司令室」そっくり
にみえます。画面上に利用者のために
提供されている表示には馴染み深いものがありますが、
裏で動いているシステムや、ハード関係はまったくの
無痴です。

パソコンでいうところの環境に適応できた人は
生き易く、適応するのが難しいひとは生き辛いの
でしょう。

環境と個体という分け方もあるのでしょうけど、
環境と認識してるのも目や耳で見た感覚なの
でしょうから、たまねぎのように外から内に向かって
何層も殻みたいなものがあるととらえることも
できそうです。

「思い込みが激しい自分を自覚する。」などの
問題は面白いです。自分はそう思っている。
でも、それは思い込みかもしれない。
まったく、自分の体が牢獄か、迷路になった
ような感じが自覚されて、どうがんばっても
そこから出ることはできないのです。
ただ単に他人に意見もとめるだけで解決
する場合も多いですけどね。

2011年12月3日土曜日

憑き物が落ちたら書けなくなりました。

ここしばらく、半分ハイテンション気味で
毎日のように(内容はともかくとして)
2本づつ書いていたのですが、
ここに至り、気分は去ってしまって
今日は書き辛いです。

書いている感じがぜんぜん違いますね。
しばらく前は書いている最中ドーパミン
出っ放しみたいな感覚で書いていたの
ですが、それが切れちゃったみたい。

小休止なのか、大休止なのかは
まだわからないのですが、
今日はこのくらいにします。

2011年12月2日金曜日

はる



すばらしい明日に
本当に行ければいいのだけど
そんな夜は全力をかけて
ブレーキかけて
飛んで行かないように引きとめる

本当は飛んでいきたいの
だけど

どこまでも
どこまでも


2011年12月1日木曜日

内省的になる理由

外に意識が向かえばいいのに、
内省的になるのは、双極性障碍の
要素があるため、気分が高揚したときも
鬱屈したときも、その本能的な傾きと
戦って、外面的には正常に保たなければ
ならないからだと思う。

本能的傾きとの葛藤、ちゃんと手綱を
握っておかないと何をするのやらという
恐ろしさがある。理性の衰えたとき、
たとえば老年、どういう風に本能的な
部分が出てくるのか今から恐れている。

高揚した本能に動かされ、オレ様的な
文章を書いたのをあとでみると、嫌な
気持になる。でも、自分で書いたのは
事実だから、責任とるしかない。

憑き物が落ちた

夕べ夜中ハイテンションだったので、いつも
の薬倍量飲みました。
朝は頭がぼーっとして、今も少しそんな感じ
です。
憑き物は一応落ちました。でも、一時的かも
しれません。
ハイテンションの時書いた、オレ様的な文章
はみるのも嫌です。
見て、印象悪くして去っていく友達もいるかも
しれません。でも、ハイテンションの時はあんな
文章書くのだなと思ってくださるとありがたいです。

2011年11月30日水曜日

言語機能を上げる

相談員との面談の際にも、
自分で問題に対処する際にも
基礎的なこととして、言語機能を上げることは
大事なことだと思います。

ところが、問題は言語機能を上げるにはどうすれば
いいのかよくわからないことです。

話し方教室や国語学の先生との面談を通して知ったこと
は、ことばを使うということは相当複雑怪奇なことを
しているということです。

それも知らないうちに。

病気のことについてと同じく、
生物学的、心理学的、社会学的
それぞれの側面ありますし、

言語学に限っても音韻論、統語論、意味論
いろいろあります。

学問的にみっちりやってみても、
ある狭い角度から眺めた景色しかわからず、
群盲、象を撫でるといった感じになります。

言葉の上での細かいテクニックを教えてもらっても
あまりに膨大すぎて、とても覚える気にもなれず、
どのように言語機能をあげるかわからずじまいです。

読書、たとえば朗読。
英語学習に「只管朗読」という言葉もあり、
朗読は効果あるかもしれません。

演劇の練習でおなじみの
「あえいおえおうお、、」式の
発声練習もたぶんいいのでしょう。

私のおきにいりは
「言葉を意識する」ということですが
抽象的で何を意味しているのか
ぜんぜん伝わりませんよね。

普段の会話の場とかを大事に
するということなのですが、
どう大事にするのかわかりにくいでしょう。

自分の言葉の問題という露頭から
掘り進んで、それこそ先ほど書いた
生物学、心理学、社会学の迷路を
遍歴することなのですが、一生仕事
間違いなしです。

おまけに結果はついてくると思いますが
問題が解決するのではなくて、高級化、
あるいは問題や矛盾が深くなるといった
こともあるでしょう。

このあたり、ユングのいう個性化を目指して
錬金術的な紆余曲折の迷路を進むみたいな
感じです。手っ取り早く何かしたいという方には
お勧めではないでしょう。

さらには言葉の魔性に触れて、再発という可能性
もないわけではなく、私がよく陥る言葉に酔ってしまう
という症状も出てきて、気分調整にもあんまり
よろしくない部分もあるかと思います。

そのあたりは自己責任の元にと
注意書きするしかありません。

現在の心理的負荷の許容量を意識するのが再発まぬがれるコツかも

人それぞれ、現在の心理的負荷の許容量がどの位かは
外からは見て取れないと思うのですが、そこを意識して
がんばりすぎないことが病気再発をまぬがれるコツなの
かもしれないと思い当たりました。

職場環境ではよっぽどよくできた職場でないかぎり、
当事者の人が働くとなんらかの無理をすると思います。

まあ、一方で仕事で出てくるさまざまなハードルを
乗り越えることによって、社会生活していくうえでの
経験値を稼ぐことも可能になるわけです。

経験値稼ぎながら、一方で許容量オーバーさせない、
危険水位を越えそうになったら、退却する勇気も
もつ。そんな感じだと思います。

私の場合、自分で辞めたいと切り出す勇気をもてなかった
ので卑怯だとは思ったのですが、主治医に頼み込んで
主治医から職場の人にそのときの状態を説明してもら
ったこともあります。

「たとえていえば火山爆発寸前なので、どうか辞めさせて
あげてください」みたいな感じで電話いれてもらった
記憶があります。

人間の精神的成長という面ではずるいやり方だと思うの
ですが、再発させてしまえばもともこもありません。

とにかく、危険水位手前でやりすごせたら、
病気との付き合いという面で貴重な経験値獲得できた
ことになるのかもしれません。

社会ではうまい具合に立ち回って、困難をやりすごさ
なければならないのですが、自分ひとりの力で
すべてが乗り越えられるかわかりません。

自分ひとりの力で乗り越えたほうが、経験値獲得の
面からみてもよいに決まっているのですが、がんばり
すぎてしまうこともあり、そのバランスの兼ね合いに
悩むことになります。

そういったことも含めて、過去に起こったことなどを
事例にして、何かの折に話し合ってみて、
周囲の知恵を借りてみるのもよいと思います。

2011年11月28日月曜日

言葉の問題なのか?思考の問題なのか?

私は大体ものを書いているうちに
気分が高揚してきて、言葉自体に
酔っぱらってきて、そのうち自分に
しかわからないようなことを書つけ
はじめて、ほかの人には意味不明
な文章になってしまいます。

昔からこの問題で悩んでます。
ネット上の人間関係がうまくいか
なくたったり、そもそも意思疎通が
できなかったりなのです。

チャットでは問題はあまり生じない
のです、その都度その都度通じている
か通じていないのか確認しながら
やりとりしますから。

私は比喩で考えることが多く、
相手も当然その比喩表現は理解
できるだろうと思って会話中に使ったり
するのですが、当然相手には通じません。
いつもしまったと思うのです。

ネット上では、行き違いの原因になりやすい
です。

自分では自分のことがさっぱりわからず、
言語の問題なのか、思考の問題なのか
頭を抱えているところです。

相手に通じていない文章に限って
自分からみたら「傑作だぜ」になって
しまうところが悲劇的なところですね。

昔から同じところにいつもかえって
いきます。同じ問題につきあたって
しまうのです。

でもまあ、それが私なのだから、
私の文章だからとあきらめるしか
ないのかもしれないのでしょうね。

2011年11月27日日曜日

ギフテッドの出口

"ギフテッド 非定型精神病"
"ギフテッド 双極性障碍"
で検索してみたらそれらしい
サイトがいくつか出てきた。

幼稚園にて保母さんたちを期待
させるギフテッドの出口が日本
ではそういう方面ならほろ苦い
話だなあってつくづく思う。

スポーツ系の少年少女たちには
手厚い保護がかかるのに対し、
理科少年、図鑑少年には
その手の救済なし。

むしろ、授業がなりたたくなる
場合もあって理科教師に潰され
かねない。

「君の知識は豆知識」
「できぶりっこ」
と理科教師から言われたのは
忘れられない。

小学校4年の私は
学者に死ぬほど会いたかった。
そして今の私は
小学校のころの私みたいな
少年少女に死ぬほど会いたい。

どうやら神さまはそういう子に
二つのプレゼントをくれるらしい。
発達障碍とキラリと光るなにかを。
ある意味平等ということなのでしょう。

ギフテッドの光の面だけでなく、
影の面に多くの人が思いをはせ、
影の人生ではなく、
光の人生を送れるよう、
心の隅でもそんな子供の
ことを覚えておいてくださいませ。

光の当たらないギフテッドの
人生に幸おおからんことを。
薄幸な人生から救済してくれる
誰かに出会えますように。

自分が発達障碍だったとしたら謎がとける

<風の強い日が好き>というブログに
発達障碍ベースの非定型精神病についての
記事があった。
http://ameblo.jp/iris-japonica/entry-10934689319.html
http://ameblo.jp/iris-japonica/entry-10987207405.html
http://ameblo.jp/iris-japonica/entry-10935689417.html

今の苦しみは曖昧な苦しみであるので、
自分自身で詐病じゃないかと疑っていたが
苦しみの正当性みたいなのが確かめられた
感じがした。

ちなみに私は発達障碍についてほとんど
何もしらない。

でも生活史を反省してみるとうなづくところ
ばかりだ。

そして、自分のもっていた障碍に気づくことなく、
「生活史のかなり早い段階でボタンのかけちがい
みたいなのがあった」
とか
「欠陥住宅の身体に住んでいる」
とか自分なりの言葉で理解していたが、
自分がいい加減なためだと結論していた。

だから、苦しみながら生きてきて、
しかも、その苦しみは自分の努力が
足らないからだと思い込んでいた。

でもその対価として受けてきた恵みも
自分で意識してきた。

また人生を最初から
やり直せるのなら、自分の身体を選択しようと
思っていた。いつも。たとえ、どんなにもっと
恵まれた人生があったとしても。
宿命のようにして起こった、精神の破綻を
また繰り返すことをわかっていたとしても。

「いい映画をみた。」と人生最後のときにつぶやいて
みたい。もし、今からでもそんな人生が生きられるのなら。

"非定型精神病 才能" で検索された皆様へ -私からいえそうなこと

私に才能について語る資格ありかどうか、
かなり疑わしいのですが、仮に非定型精神病
になられたかたで、心の慰めを得たい人に向けて
何か考えてみようと思います。

内に才能秘めてるって自分についてあきらめの
つかない人なのですが、その才能が宝になり、
毒にならないためには気分の微妙なバランスを
とることに工夫しないといけないような気がします。

内に秘めたイメージは往々にして気分を高揚させ、
これをどう飼い慣らすか知恵を絞らないと
いけないことになります。

「それは幻だ」と自分に言い聞かせ、炎を弱めて
いくわけですが、それがいいことなのかどうか
も私にはわかりません。打ち消すことで、
せっかくの若い時期に何も作り出さないで、
もっぱら受け手としての人生を送ってしまう
のも何か自分に対してかわいそうな感じもします。

私は自分を信じることができなかったので
若い時期を無為にすごしたか、かなり回り道
したかどちらかだと思います。

背中を押してくれた少数の人はいないこと
もなかったのですが、現実感わかなかったので
若いときの炎をカタチに残さずじまいでした。

つくったものもありますけど、それに価値がある
とは思えなかったためにどこにいったのやら
といったところです。

まあ、思い込みだったかもしれないし、
そのへん実に曖昧なのですが、
宝くじみたいなものなのでしょう。
夢を買ったとおもえばいいわけです。

ただ、自分の今までの人生反省して、
才能ありと認められた人に対して、
話し相手として、それなりに貢献して
きたのではないかという妄想があります。

世の中みんなつながっていて、よくも
悪くも歯車みたいなものです。
運良く、私の歯車はいろんなほかの
歯車とリンクしていたので、私の
歯車の回転のエネルギーは無駄に
なったとも思えません。

たぶんそれが私にとっての慰めです。
だから、"非定型精神病 才能"で検索
された皆様なのですが、まずは社会ネットワーク
上の位置取りに工夫してみられるといいのでは
ないでしょうか?

ただ、老婆心からいわせてもらいますと、
まあ、ぼちぼちと自分の身の回りにいる
人を大事にして、準備の整わないうちに
「遠くのひと」とつながろうとあせらないこと
だと思います。準備の整わない間は
それは決していい出会いにはなりません。

人には出会うべき時期があるのだと
思います。自分から無理な動きをせずとも
運命の力は出会いを運んでくるような
気もするのです。偶然の力が運んできた
出会いにふさわしい器となれるように
普段の話し合いの場面とか、
余暇時間の活用とか今の境遇で
可能な準備を進めてみるといいでしょう。

未来のあるあなた様が充実した人生を
贈れるよう、インターネットの片隅から
私は祈っていますよ。

2011年11月26日土曜日

ゼロからの独創ー空白地を探す

ゼロからの独創ということばを聞くと、
適応放散とか、一斉放散という言葉が
すぐに思いつく。

空白地を探すことだ。

熱帯雨林のような現行の情報環境で、
やりつくされた感のある世界にも
空白地はあるのではないだろうか?と
仮定してみる。

意外と樹幹のほうはがら空きで、
その後ラン科植物とかが着生蘭として
樹幹という空白地で一大世界を築いた
みたいなことはないのだろうか?

ある側面からみたら、隙間なし、
ある側面からみたら、がら空き
みたいな見え方というのは
今の世の中でも成り立つの
かもしれないとも思うのだけども。

空白地にいけるための条件って
何なのだろう?

みえない空白地。
システム化され、やりつくされた
と思われているこの世界の盲点。

P.S 褐虫藻との共生によって、
サンゴ礁という一大世界をつくり
だしたサンゴの仲間も何かの
ヒントになるのかもしれない。

潜在的に恵まれた条件でありながら
何かの要素が欠けているために、
荒れた環境になっている、そういう
フィールドってないだろうか?

欠けている要素を探すのはきっと
難しいけれど、ない、と表現すると
見えなくても、0と表現したら、
見え方が全然変わってくるような
話。まとまらない話になってしまった
けれども、素朴なたとえ話程度の
ものでも、馬鹿にもできないような
気もするのだけども。。。


迷い道で出会った野生蘭

登山道から外れたところで、という言葉
で思い出しました。

学生時代の思い出です。

南アルプスで甲斐駒ヶ岳を先輩に連れられて
昇っていたとき、遭難碑を過ぎたところで、
私たちのパーティも多分、同じ迷い道に
入ってしまったのです。

先輩は立派で慌てたところ見せず、
地図を見ながら、正しい方向を見つけて、
本道に無事戻ることができました。

その迷い道の道すがらイチヨウランという
花をみつけました。こんな花。
http://nekoppana.exblog.jp/6115245/

他の折にも、登山道からそれて、
迷い道に入ってしまったときに
蘭の花みつけるという
ことはありました。

自分にとっては何か象徴的なエピソード
でした。迷い道だからこそ、まだ荒らされていない
もの、発見されていないものがあるような
感じですね。

整備された登山道は多くの人が登るため、
その中に一人心無い人がいるだけで、
採られた花は戻ってこないこと。
まあ、少年時代まで考えると私にも
余罪はありますけども。

遭難のススメみたいになってしまっては
困るし、遭難にもいろんな意味で遭難が
あって、取り返しのつかない遭難だと
ますます困るのですが、
そんな状況下でも、よく辺りを見渡せば、
その状況下だから見たり、手に入れたり
できる宝もあるかもしれませんよ、という
お話でした。

この話も全体としてたとえ話で、
登山中の遭難というよりは、
人生の旅すがら、道を見失う
みたいな局面でのお話です。

電車賃使って丘の向こうへ 人生漂流中の目標の探し方

人生漂流中何が困るかといって、適切な目標がみつからない
ことです。
仕事に入っているときは組織とかが目標を作ってくれて、
その目標に従って生活していけばいいからいいのです。
でも、仕事から離れて、自由なときは自分で目標を探すことに
なります。

仕事。見つからない。だから。何もしない。
では毎日が無為に過ぎていくばかり。
だから、間接的な目標を探すことになります。

ましてはいきなり究極目的探してしまうと、
本当に一生使い果たしてしまうかもしれません。

そういうわけで、いくら考えてもらちがあかないので、
漂流中の問題を旅の問題に変換して、旅の問題と
して考えることにしてます。

生活上の目的は地理上の目的地にかわります。
問題となるのは世間に疎いので、どんな目的地が
ありうるのかまだ知らないことです。

あと、財布の中の問題。人は境遇によって与えられたも
のは様々です。才能やら家庭環境とか文字道理お金とか
そういったものをリソース、財布の中に入っている
お金でたとえてみます。

で、自分の現時点での財布の中身で到達可能な
目的地はどこだろうと考えを練っていきます。

丘を越えてみるだけで、風景はガラリと変わる
かもしれません。丘を越えるだけで、考えの
範囲内に入ってくる新な目的地もみつかるかも。

そういったたぐいのことを、ワープロで自問自答
しながら、漂流ライフを送り続けています。

地球の歩き方みたいなのが人生にあればいい
だろうし、懇切丁寧な世の中だから探せば
すぐ見つかるのかもしれませんが、
登山道から外れたところに荒らされていない
お花畑はあるだろうし、とも思ったりします。

2011年11月25日金曜日

サポートネットラグーナ 心の力の育て方

サポートネットラグーナの金曜日のプログラム
心の力の育て方を受講した。

内容は守秘義務が絡むかもしれないので
かけないのだけど、この会に参加して
なんとなく自分でわかったことは、
今まで読んだ本とかによって
育てられたイメージとかことばの力に
よって、発病後いろいろあったかもしれない
問題のハードルを自分なりに越えてきた
かもしれないということだった。

学校でいろいろ習ったけど、最近まで
それが何の役にたっているのか
よくわからなかった。

死蔵しているみたいにずっと思ってきた。
好きで読んでいる本とかたしかに、
何かの肥やしにはなっているのだろう
とは思っていたけど、どういう意味での
肥やしなのかははっきりとはわかって
いなかった。

図書館で読んでいる本は読みたいから
読んでいる本ばかりで、資格試験の
ためのお勉強とか(やればよかったの
かもしれないけど)全然やらなかった
から壮大なる時間つぶしかもしれぬ
とうすうす思っていた。

それも、読んでも記憶に残らないし、
読んでも読まなくてもあんまり関係
ないのじゃなかろうかとも思った。

でも何だろう?結局、自分で何か
問題にぶち当たった時、自分なりに
考えて、自分なりに対処するなり、
心の持ちようを考えるなりしなければ
ならない。

そういったもろもろのことに使う道具は
自分の中の言葉やイメージの中
からしか出てこない。

それは見えない宝なのかもしれない
けど、見えない宝が目に見える形
で作用するのは問題にぶつかった
ときなんだと、「心の力の育て方」
受講して、自分でもあれこれ発言
する中は初めて意識化された。

今日は出版記念会もあって、
http://ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/ihara/translation/translation-1.htm
「朗読によるクリスマスキャロル」という本を
買ってきたのですが、
現実を乗り越えるための
心の糧、楽しい読書という
感じがしましたね。
大事に読むことにしましょう。

そういふ者に自分もなりたひ

私はライト兄弟よりもむしろ、その前活躍?された人たちに
シンパシー感じる。奇怪なアイデアで大空に挑戦し、墜落し
ていった人たち、大馬鹿野郎ども。
http://www.youtube.com/watch?v=3VKg5Wlw94w&feature=related

夜明け前の仮想世界、海のものとも山のものとも世間の人
からは思われず、でも、何か純粋さを感じる古き良き時代の
今。

ある人は野心をもって、ある人は遊び場として、
またある人は真白い紙のようなものとして、
この世界に入ってきた。

今の世の中何が贅沢といって、
考える時間があることが最高の贅沢
かもしれないと個人的には思っている。

考える時間、表向きには何も生み出すことなく
時間は過ぎていく。効率性を大事にする今の世の中
能力があればあるほどそんな時間が意外ととれない
ように思う。

セカンドライフの中であれこれすることによって
現実世界の見え方も少しずつ変わってくる。

素材の集積場に思えてきたり、
なんと贅沢な世界なのだろうとためいきついたり。

仮想に触れることを通して、仮想と現実、双方に
ついて考えることが増える。

自分の立ち位置はマッドサイエンティストみたいな
感じなのかも。

非定型精神病を通して、ただでさえ、日常世界に
ついての素朴な疑問が増えた。いちいちつっかかる
ようになってしまった。自明性の喪失などという
恰好いい言葉は私には似合わないけれど。

そんな私が仮想世界と出会った。
もう鏡の世界だ。仮想と現実の合わせ鏡の
中に入り込んでしまって帰ってこれない。

キャラクターの個人使用、確かにある意味
最先端だと思う。コンテンツ化した自己が
経験値を重ねながら、データベースの上で
進化していく。

90年代、今でいう合成生物学にあこがれていた
私は、いつしか、アバターという体を獲得して、
マトリクスならぬデータベース上で自分でも
よくわかっていない何かをやらかしている。

いつか翼をもって、新世界のかなたへ。
まだみんな本当の姿をしらない、
新世界へ。

2011年11月24日木曜日

ラン科トンボソウのモチーフで

平面構成してみました。
なんとなく始めたのですが、
途中からラン科トンボソウ属のように
見えてきました
ちなみにトンボソウはこんな感じの花です
http://kumagaisou.blog.so-net.ne.jp/2011-07-02-1

2011年11月23日水曜日

ゼロからの独創

今日現在で”ゼロからの独創”検索して出てきたのは10件。
それも、巨人の肩に乗るべきだという話が多い。

数学的厳密さでゼロというのはそれこそ非ユークリッド幾何学
みたいなものしかないのかもしれないが、もうちょっと条件ゆる
くして考え直してみよう。

それはきっと空白地を埋めるようなものだ、海洋島でニッチを
ありえない種が埋めていく感じ。

それを個人の創造行為の中で再現するにはどうすればいいの
だろう。

プリミティブさ、原始的なことに我慢するというのはひとつのポイント
かもしれない。

文明の利器はそこでは使えない。使わない。
その環境の中に身を置いて、ありあわせの材料で器用仕事をする。

すべてにわたってゼロというのはさすがにできないかもしれない。
無人島で裸で放り出されて、生活できないのは恥じゃない。

だから、ひとつの妥協として、無人島生活で足りないものを
自作するという問題に移してみてはどうだろう。

それなりに使えそうな道具はポケットの中やらかばんの中に
入っている、とりあえず今の手持ちの道具でやりくりして
無人島ライフを成り立たせてみるわけだ。

ところで、今書いているのはたとえ話で、ゼロからの独創という
問題について自分なりに考えている。

かばんの中にもナイフやら領収書の裏とかペンとか貴重なもの
が入っているかもしれないけど、アタマの中にはもっと貴重な
ものが入っている。

学校教育で得た知識だ。ラマヌジャンという事務員は高校数学
の知識から、時代の最先端、あるいは未来世界まで数学の世界
を旅することができたのだから、普通の人のアタマの中に
ある道具だけで、きっと原理的には遠くにいける。

豊かなモノの時代、望まれているのは「私の無人島」ではなかろうか?
プログラム言語でも、画像編集ソフトでもその人独特の内なる無人島
を開拓できる。誰でも知っている不等式だって、挟み撃ちという方法で
円周率の近似値の精度を上げることができるくらいなので(この方法は
ついに東洋では発見できなかった)、みんなきっとすごいものを死蔵
させているのだと思う。

仮にタイムマシンとかでウル王朝に飛ばされて、話を簡単にするため
シュメール語ができたとして、算数ができるということで財政管理みたい
な部署に今の世の中の普通の人が雇われたとしたら、そういう環境に
身を置いたとしたら、ほとんどの人はかなり凄いことをやってのけるの
ではないか。

妄想全開になってきたので、そろそろ今日の話はお開きにします。
私の頭の中にある死蔵された知識のありったけを使って、一席
でっちあげてみました。言葉に酔わされて、頭は弱いのに
ドーパミンどばどばです。しばらく、頭冷やします。

内なる生態系におもいをはせる

最近、このぶろぐが自分をみつめる場に
なってます。毎日十数人の観覧者がいる
のでそうなっているのかもしれません。

私は文章の訓練もデザインの訓練も
系統的には受けていません。
それでも、今までの生活史を通して
私の心に流れ着いた漂流物みたいな
要素が絡み合って、内なる生態系を
つくっているように思います。

ただし、周辺的な孤立した生態系なので、
大事な要素が抜けてたり、異質な
要素が入り込んでいたりします。

本屋さんにいくときも、美術関係の棚は
ちょっとだけお邪魔して長居はしない
ようにしてます。

心理学とか社会学とか立ち寄ることが
多いです。
最近はブーム?のためか
井筒俊彦の本をよく読んでます。
こういう分野にブームとかあるのでしょうか。

イメージの世界と関係大いにあり
なので、大事にしてます。

きっとそのとき体が要求する
栄養素なのでしょう。
体の要求に従って本を選んでいる
感じです。

ただ、外から入れた知識は
あくまで道具なので、その知識を
使ってものを考えないといけません。

原則はそうなのですが、多くの知識は
死蔵され、忘れてしまったか、無意識の
底に沈んでいる感じです。

文章を書いたりすることで、心の中が
攪拌されて、昔読んだ本の断片が
浮かび上がることが多いです。

ところで必要な知識が抜けることは
地図をもたずに旅をするのと似ているの
かもしれません。

そういえば、地球の歩き方片手の旅で
なく、成り行きの地図をもたない旅に
あこがれて、韓国の全羅北道の全州に
遊びにいったことがあります。

前泊地の福岡の親戚の家で、せめて
地図だけでももっていけと、押し付けられる
ように、全州の地図を渡されたのですが、
現地に行ってみれば、まったくの命づな
でした。地図がなければ、北も東も
わからなかったからです。

でも、一枚の地図だけの旅は素敵な
旅になりました。未知の場所、未知の宿、
未知の人間。すべてが意外な出会いに
なりました。日本人のたまり場からたまり
場に移動した旅とは大違い。

文化的な要素、たとえば知識が抜けたり
存在したりすることはいろいろな効果を
もたらすはずです。そのことを意識して
自分の内なる生態系を育てながら
いろんなもの作ったり、文章書いたり
したいと思っています。

2011年11月22日火曜日

ひとのためにいきている

「ふつうの人は自分のために生きるものだが、
あなたはひとのために生きているように見える」

記憶も朧なのですが、学生時代、指導教官から
このようなことを言われたことがあります。

けっしてほめ言葉ではないのがみそです。
そのために人生ずいぶん損しているのではないか
というニュアンスです。

自我という言葉の意味は西洋から輸入された
ほかの言葉、たとえば、社会とか個人とかみたいな、
それ同様分かりづらいです。

「我が強い」、これは直感的にわかります。
無我、ほめことばとして扱われるときも
悪い意味で「自分がない」ということを指すとき
も使われます。

統合失調症の人その他、精神病の患者は
「純粋」だとか「優しい」とか言われることが
よくあります。

でも、それは自我の弱さとどこかでつながっている
のではないでしょうか?

我が強い人は「あくが強い」といわれることも
あり、押し合いへし合いしながら育ってきた
みたいなイメージです。

自我の弱そうな人には苦手な話です。
押し合いへし合いするくらいなら、
誰もいないところで、のんびりしたいのです。

自分を守っている自我の強さには
遺伝的背景や環境による学習など
が絡み合いながら、人それぞれの
その時のパラメータがあるような
感じがします。

その時の自我の強さで対応できないような
ライフイベントが起きてしまうと、
適当な確率で堤防決壊です。
自分が壊れてしまうのです。

自分の都合ではなく、他者の都合を
優先するのは美徳にもなりうる場合も
あるでしょうけど、抱え込むこと多いです。

ひとのためにいきている人で出来上がっている
社会があれば、社会が市場みたいになって
世の中がさぞ繁盛するでしょうけど、
たぶんそうではないので、
今のような世の中になっています。
お人よしばかりで成り立っている
世の中だったら、その中からずる賢い
人も進化してくるでしょうし、まあ妥当な
ところだと思います。

でも、ずる賢い人ばかりで出来上がっている
社会ならば社会自体が成り立たないでしょうし、
そんな中でお人よしから成る小さな集団があれば
その集団はさぞかし繁盛するでしょう。
たとえば近江商人のように。

2011年11月21日月曜日

重要な選択、しかし、次の潮目もまたあるさ

今までの分岐点、反省すると完璧からは程遠い
です。むしろ、完璧じゃなかったから今ここで
書いています。発病した後の選択ミスも多々
あるでしょう。

見送ったチャンスもいろいろきっとあります。
でも、多分うまい具合に次の潮目もまたやって
くると思うのです。

潮目に気づいたり、後から考えたら潮目だったり
いろいろなのですが、波が何度も訪れるように
それっきりという話もないと思うのです。

それっきりだったとしても、また別の話になるの
だと思います。

残酷といえば、残酷なのかもしれないし、
うまくできてるといえば、うまくできてるのかも
しれません。

結局その選択がどんな意味をもっているの
かは人生最後まで生きてみないとわからない
と思います。

さまざまな境遇の中でその人なりの、その
時のテーマというか課題みたいなものがあって
自分なりに解答するものだと思います。

ひとの問題はひとの問題で、自分の問題は
自分の問題。さしあたり解決不能の問題
もいっぱいあるとは思うのですけど、
なんとかかんとか今日まで歩いてきた
歴史にも意味はあると思うのですよ。

演繹と経験と裏打ちのはなし

私には病気について偉そうに語る資格なんかないと思います。
手にすることのできたデータはせいぜい自分のものと、
近くにいる人のものくらいなもの。
とてもとても一般化できるようなものではありません。

しかしまた、再発するリスクみたいなものは頭から離れること
はありませんから、限られたデータをもとに自分なりに帰納して
仮説めいたものをつくり、判断基準にしたり、行動の指針に
したりするわけです。

利用できそうな資料は利用します。使えるものは何でも使うという
方針です。

それでも、能力もたかが知れてるし、自分なりゆえの罠にも
はまっていることでしょう。

いわば、数学の問題の計算用紙みたいなものです。
自分なりに自分の問題を解いている過程をつらつら
書いている感じです。

最終的に合っているかどうかなんてわからないので
部分点期待です。

出てくる結果はこうすれば助かったではなくて、
こうすれば遭難するという結果なのかもしれません。

相変わらず、人生漂流中なのですが、流されるばかり
では能がないので、潮目には注意して、自分なりの判断と
ささやかな行動を決断することにしてます。

大それた行動をする勇気もないし、それだけの器でも
ないとも思うので、あくまでも自分で可能な範囲の
もう一歩です。

ささやかな一歩でも、潮目に注意して時期を間違わなければ
違う流れの海流に乗ることができます。

たぶんこれだけでもどこに連れて行かれるかという
シナリオは大変更でしょう。

2011年11月20日日曜日

頭の中をイメージで満たす

今日も検索しながらいろいろ考えていたのだけど、
何かの上で大事なのは基本要素を見つけることと、
繰り返すということなのではないだろうか?

私も飽きっぽいほうで、小さいころから熱中する
ものは遍歴を繰り返してきたのだけど、
その中で一筋続いてきたものは

頭の中をイメージで満たすということだった
と思う。その時折の好きなこと。

繰り返しの中でその人なりの行動と表現の
文法が獲得され、その文法は発達していく。

結局、教育と訓練の中で叩き込まれるのは
その専門の規範文法なので、
自分なりに愚直に繰り返しを行い、
その反省を行うことで
自分なりの文法ができあがっていくのだと思う。

ポイントになるのは自分なりの
構成原理を確立することなのかもしれない。

見てはいけない世界を見てしまったために

私は未だに自分が何者なのかわからないのだけど、
ただ、自分の人生の問題点があるとすれば、
「見てはいけない世界」を見てしまったことに
あるのだと思う。

宗教に濃密にハマリまくるという道筋は取らなかった
ものの、「あたりまえ」が崩れてしまったわけです。

日常世界の日常たるところ、退屈な日常みたい
に感じさせる安定性というか慣れ親しんだ世界の
「真実」みたいなのが「ちらり」と見えたわけで、
脳の故障を通して、何かの封印が解けてしまった
のです。

「ちらり」と見えたものに「あちら側」を感じる
ならば、宗教にはまりまくる世界と何も変わらない
かもしれません。

デフォルトの日常世界の裏側というか、
むしろ脳がつくっている日常世界の
裏というべきなのかわかりませんけども、
そういうものを一遍みてしまうと、
以後、それまでは通り過ぎていった
さまざまなことに、いちいち躓き
疑問点を感じてしまうのです。

ちょうど語学の入門者が
文法事項のいちいちに疑問を
感じ、なぜ冠詞に性があるのですかとか
doとはそもそも何なのですか?
とか、実用上素通りしてもいいような
ところを飛ばせないで先生を困らせて
しまうような感じににています。

私みたいな者が、疑問をかんじたところで
何の生産的な結果も生まないだろうという
ことは重々承知なのですが、
それでも、せっかくこの世に生まれてきた
のだから、自分のできる範囲で、
自分なりのやり口で問題考えてみた
いです。

考えるといっても方法論習ったわけでもないので
素手で戦うしか能はないですけれども。

ランニングした後のような感じのする日常世界

ここ最近、心が内に向かって、ほんの少しだけ
世界の見え方が違った風に受け取られている
感覚がする。

といっても、なんのことはない、ランニングした
後に誰でも経験する朦朧とした世界にそれは
似ている。

歩いている速度をゆっくりしていくと、足の裏が
地面につく感覚やら、体の内部の感覚が
感じられるようになる。

地面の風に吹かれて飛んでいく落ち葉の感じや
上から木の葉が落下してくるさまやそういったもの
が小道具になって、非日常感がかもし出される。

ガラスの移りこみ、濡れた地面の照り返し、
樹木の影の木漏れ日のちらちらする感じ。

なんのことはないいつもの街のいつもの風景
なのだけど、映画監督が撮ったそれのようにも
見えてきて、ゆっくり生きていると
日常背景の密度が何倍増しかになってくるの
かなあって思う。

「信号が赤に変わりました」とか街に流れている
声が違ったニュアンスを帯びて聞こえてくるのも
もうちょっとなのだけど、最初は恐怖したそういった
時間もだんだん曖昧になり、距離をおきながら
観察し、楽しめるようになってずいぶん久しくなった。

P.S 「左に曲がります。ご注意ください。」
「足元に注意。」「関係者以外立ち入り禁止」
いろいろニュアンスをもって聞こえたり、見えたりする
文句はあります。最初のころは「あちら側」からの
メッセージに見えてきて、いちいち恐怖したけど
だんだん距離が取れるようになりました。
いつもそう聞こえるわけでなく、そういう時間がある
のですね。催眠暗示のトリガーになったり
いろいろなのですが、年の功で慣れもあるのでしょう。
馴れ合いさえも。

2011年11月18日金曜日

weblogは記録になる点と振り回される点

個人的には私のような人間がweblog書くのはよかったり
わるかったり、半々ですね。

いい点はまさに、weblogという感じで日々の記録になる点。
日記書くタイプではないから、記録つけなかったら消えてしまう
ことを残せます。

わるい点は振り回されやすいということ、病気の人が
いろいろ公開するとわるい点はこれでしょう。

いろいろ危険あるのに気付かずに、あるいはよく考えれば
わかるのに自分を晒しつづけています。

自分のことを知ってもらいたいという気持ちが働いて
いるのか自分では知りません。

お立ち台なのだったら、知ってもらいたいなのかも
しれませんが、晒し場なのであまり、知られたくない
という気持ちも微妙に働いています。

晴れの舞台とかは苦手で、どちらかというと静かな
雰囲気が居心地がいいです。あわただしい毎日とかは
生理上合いません。まあ、そういう環境でもなかった
ですけどね。

矛盾する要素はさまざまで、叶えられなった野心
もあるでしょうし、引っ込み事案で目立ちたくない部分
もあるでしょうし、逆に目立ちたい欲望もたくさんもっている
わけです。

たぶんそういったさまざまな要素が私にこのブログを
書かせて、一方振り回されてもいます。

心の底に修羅がいるとまでは恰好いいことは書けませんが
子鬼の一匹や二匹はそりゃいるでしょうよとだけ書いておきます。

2011年11月17日木曜日

生きられた病 ー個人症候群

中井久夫の書いている個人症候群という言葉の意味が
ぜんぜんわかっていないのかもしれないけど、あえてこ
の言葉を持ち出してみる。

片一方で生きられた家という本があって、多木浩二という
ひとが書いている。建築のほうなので門外漢だ。

生きられた家という表現が許されるのなら、生きられた病
というのもありそうだ。

約1993年に病気が再発して、心因反応というどちらかというと
一時的な精神病というニュアンスの病名が非定型精神病という
病名に変わった。といっても、主治医の都合でつけられる病名
という認識があるので実態はどうなのかわからない。

以来非定型精神病というラベルを背負って生きてきた。
主観的には病気の波があり、その波をやりすごしてなんとか
2回目以降の再発は免れて現在に至った。

しかし、あくまで主観的であって、そもそもその病気の波って
あったのか、幻だったのかなんともいえない。

確かに主観的に見た症状はあったけど、微妙なところで
症状を引き寄せていたのではないとはいえない。

現在も微妙に病気の前とは違うような感じがするけれども、
脳の中調べるわけにもいかず、また調べてみたところで
異常として観察できるかどうかは定かでない。

すべてが幻で幻の病気と闘っていたというのはまったく
ブラックな話だ。詐病を続けてきたようにも見える。

主観的な物語を信じれば、本人と主治医の努力で
病気の波をやりすごしてきたという話になる。

病気にならなかったと考えれば幸いなのだけど、
病気なんてそもそもなかったという世界観にたてば
幸福感もひっくりかえる。難しい。

それでも、現在を含めて苦しんでいるわけだし、
奇声をあげたくなる心理はよくわかるし、
リストカットの心理もよくわかる。
ただし、これもあくまで主観的な物語に過ぎない
けれど、なんとかかんとか心理的なバランスと
とるように努力して乗り切ってきたような気がする。

これも、精神病独特の話だと思うけど、
病気に感謝している部分もある。
病気になって失われた部分もあるけれど、
反対給付のように恵みをうけた部分も
あるように思う。

そこは精神病になった人が成巫する
ケースがある事情とどこかで重なる部分
もあるとは思う。単に取り去られる
病気ではないような感じがする。

鹿児島に住み、家庭の事情で家の
中は奄美そのものの環境にありながら
私の人生は成巫するシナリオには
ならなかった。

もともと生物学専攻だったし、
熱烈に信仰生活に入るというタイプ
では今も昔もありえなかったと思う。

むしろそちらは表に出さない
内面の生活であって、
心の奥のほうに秘密の祭壇でも
つくって、誰かを拝んでいたのだろう。

魂の叫びみたいな何かを聞いてくれる
誰かを求め続けていたのかもしれない。

外来ホスピタリズムその他

ここしばらくいまいち調子がよくない。
公開することでいろんなことが思われてくる。
私は自分で病気と思い込んでいるだけなの
ではないか?病名を付けられたのが災いして
病名にこだわり、なくて済んだはずの症状に
苦しめられているのではないか?

再発予防のためとはいえ、病名のラベルを
つけられ、一生薬を飲むことの不利益って
何なのだろう?

外来ホスピタリズムという表現も中井久夫の
本読むとでてくる。そして、ネットにも出てこない
そういうマイナーな用語みつけるまで、医学書
読むというのもあんましよくないにちがいない。

そうはいいながらも、リウマチの人がリウマチ
という病気に詳しくなるのとはまた違う「面白さ」
がこの病気にはあるのは確かだ。

ネガティブ思考で自分を苦しめ、神経損傷を
与えつつ、また別のときにはドーパミンが
ドバドバ出るような感覚に身を任せながら、
神経が修復されていくようなイメージに
浸るのだ。観察者と実験動物を兼ねている
感覚か。

でも、これも病理というより、普通の範囲内の
出来事かもしれない。そうはいいながらも、
リストカットする人の気持ちがわかるくらい
発作に苦しむ時期もあったような気がする。
それも過去のことで、記憶は霞がかかった
ように朧になってしまう。

本当に内側から見ただけのことで、それは
正当なことかどうかはわからない。
私は「自分のことがそれだけ言語化できますね。
説明できますね。」って主治医からも相談員から
もいわれるけども、それにもかかわらず、
自分で自分のことがわからないのです。

自分のことがわかるにもいろんな深さがあって
症状のこと、その他自分に起こっていることが
説明できるということと、自分が根本的に
どういう状態にあるのか、どういう存在なのか
わかるということ、いろいろあるとおもう。

「汝自身を知る」のは永遠の問題みたいなもの
で凡なるわれわれには無理なのかもしれない
けれど、もっと条件ゆるめたぐらいのところで
自分で自分を苦しめずに済むくらいのところで
わかりたいような気がする。というかそれを
心底望んでいる。

P.S 自分で読み直してみて支離滅裂だと
思いました。文章が下手なのか、思考パターン
に何か問題ありか?自分ではやっぱり
わかりません。

2011年11月16日水曜日

サポートネットラグーナほぼ初日

中身は守秘義務事項に触れるので書かないことに
します。ただし、昨日初日のお題目は話し方、聴き方教室。
まあ、このくらいは書いてもいいのでしょう。

最近、袋小路感に捉われていて、やはり日本人
どこかに所属したほうがいいだろうと思って加入
したわけですけども、最初私「ここに居ていいの
だろうか?」という思いが少しありました。

非定型精神病は知っているひとは知っての通り、
表面上完全寛解に限りなく近いところまでよく
なります。私の近くの人も「どこが病気なの?」って
思う人ばかりだと思います。

しかし、私の場合は表面上でして、微細な記憶障害
もありそうな感じですし、判断力も若干。そして些細
なことで気分が不安定になることがあります。

たとえて言えば背骨が2回ばかり折れて、その後
養生がよかったためか、外目には平常に見える
のだけど、あんまり無理は利かない状態みたいな
感じなのです。本人から見た感じですけども。

それで、本題に移って、話し方、聴き方教室なの
ですけども、教室受講した後の感想は
自分で気づかなかったけども、見えない努力を
続けてきたのだなあという感想を自分に対して
持ちました。

大学の一年時は内向的な感じの性格で、
大学6年かけて、自分なりに「性格改造」を
試みました。大学3年のときに台湾旅行とか
シルクロード旅行とか一人旅で行ってみて
自分独力でやりとげられるかどうかの課題
をつくり、また旅先で、その後の人間形成の
モデルになるような面白い人たちにも出会いました。

広島に帰ってきたあとは「かくし芸」を覚えて
芸の力で笑いをとることができるようになって
人とコミュニケーションとることができるように
なりました。失恋がきっかけでロジャーズの
カウンセリングの本を読みだして、ちょっとした
素人カウンセリングのみたいなことも
しました。

卒論、修論ではいろいろキツくて、生物学への
興味が若干薄れ、カウンセリング関係の本を
ぼりぼり読んでました。自分を自分で支えるために。
ただし、ロジャーズだけで、ユングのユの字も
知りませんでした。

そういった背景で急性状態を迎えました。
ある意味、幸せだったのかもしれません。
後から考えるとですね。当事者でしか体験
できない体験をよくもわるくも味わいました。
そして、そう考えることが可能だったのは
その前に心理学関連の本読んでたからですね。

鹿児島かえってから最初の活動はMBC学園の
話し方教室受講ですね。小澤先生という方が
講師でした。陰性状態も若干残る時期に通い
ました。2期受けたのですが、2期目に自己紹介と
他己紹介の課題をやっているうちにことばの
奥深さというよりも魔性の部分に触れてしまい
再発しました。

ことばは誰でも使えますけど、底深いもので
精神療法とかでお金とっている人もいるわけ
ですよね。そういう意味でどこまでいっても
きりがなく、最後は魔性の部分までいってしまう
わけです。といってもどういう意味で魔性なのか
はもう思い出せません。

心理学関連の知識がさしあたり役にたったのは
桜島ユースホステル時代の「ミーティング」です。
日替わりでさまざまな地域、さまざまな専門、
さまざまな職業の方とお相手しました。
場所的に桜島の存在、そして南西諸島方面
への交通上のハブにあたるために情報の
吹き溜まり状態になりました。
キャラバンサライの主みたいな気分でやって
ましたから。

そのあともいろんな話が続くのですが、
サポートネットラグーナ初日の
話し方聴き方教室(講師はKTSの先生)
受けているうちにもろもろのことが思い出されて
きてホロリときてしまいました。

言葉の仕組みとか自分なりに勉強して
いたのですが、私って結構見えない苦労と
見えない努力をしていたのだなあって
過去のことを思い出したのですね。

2011年11月15日火曜日

非定型精神病と創造の病

大した創造をやっているわけでもない、私ごとき
がこんなことを書くのは気が引けるのですが、
私の場所からみた創造の病という言葉について
今日は書いてみたいと思います。

病人が病気のさ中に感じた「ついに実在に達した」
みたいな感じは幻なのか、真実なのかは一生を
終えるまで分からずじまいだと思います。

私もあえて、それにこだわりません。
ただし、生理的に天下り式に「世界の中心点」
が与えられたとしたとすると後の学習はスムーズ
に進みます。

これはちょうど北極星を発見した古代人が
天にも地にも秩序があるということを直感して
易という形で森羅万象に秩序を与えたのに
似ています。

病気という形であれ、生理的に「世界の中心点」
がその共同体にもたらされたとしたら、何かと
生存上都合のいいことはあるだろうと思うのです。

特に、「冬を越えること」「飢饉を越えること」これが
できるかどうかの境界線上にあるとき、世界に
秩序があるという直感はなによりの支えだと思うの
です。

中心があれば、そして、それが観念上のもので
なく、実感を伴っていれば、雑多なさまざまな
知識は中心を通してつなげられたり、つなげら
れなくても、いづれはつながるだろうという予測を
立てられたりしそうなものです。

使えるものはなんでも使うという方針だったと
思います。関係なさそうなものでも喩の材料
に使ったり、あるいは喩として浮かんできた
経験から逆になんでも関係があることを
直感したりです。

特に遠く離れた話題を喩の材料として使うこと
は何よりの醍醐味だったと思います。
世界の事物の背後には比喩からなる見えない
ネットワークが張り巡らされているのです。

人生を旅に喩えたり、春夏秋冬に喩えたり
することは今でこそ陳腐で喩自体も擦り切れて
ますけど、まだことばそのものがみずみずしかった
ころ、これらの比喩を考え付いたひとはどんな
感想をもったことでしょうか。

P.S「ついに実在に達した」という表現は中井久夫
の文章の中に出てきます。「分裂病の陥穽」という
文章と「最終講義」の中に。私の言葉でいえば
「世界を解いた」という感じかな。

2011年11月14日月曜日

軽躁状態と自我肥大

軽躁状態と自我肥大、私は混同しているのかも
しれませんが、気分の高揚という点では重なって
います。

「自分は天才だ」とか「悟った」とかこういう内なる
声が聞こえてきたら要注意です。といっても幻聴
の場合はまた別の話です。

確かに脳はそのとき活性化しているのかもしれま
せん。アイデアも沸いてくるのでしょう。神秘的な
洞察も生まれてくるかもしれません。

それは否定はしませんが、うまく脳をなだめること
です。それをたとえば書き付けてみて一晩寝かして
みるとがっかりすることは多いですよ。

人はほめてくれるかもしれません。認めてくれる
こともあることでしょう。そういった社会的証拠は
悪い場合にもつながることがあるかもしれません。
忘れましょうとまではいいませんが、増長しないで
謙虚な構えをしてたほうがいいと思います。

宇宙的な自我肥大、これはもう軽躁状態を越えていて
措置入院の世界です。でも、自分で精神科の
扉たたくことができたら、万が一そういう芸当が
できたとしたら、私はその人尊敬します。

予備知識があったなら、そんなケースも
ありうると思います。私に知識あたえてくれる
人がいたならば、初回の発病はぎりぎり
免れ、違った人生あるいていたかもしれません。
前駆期間みたいなのは確かにあったし、
そのときであったら、少々の薬でことは
済んだかもしれません。ただ、その可能性も
そんなには広い可能性ではないでしょう。

P.S  ここ最近毎日二つぐらい書いています。
調子はいいのですが、自分を抑えるのに
苦労するあの感じはないので、まあ、少し
気分はいいくらいなのでしょう。

2011年11月13日日曜日

自我肥大には耐性がつくような気がする

あくまでも主観的な話だし、私個人の点情報にすぎないため、
自分のケースで検証してみてください。

自我肥大といっても気分のコントロールが可能な範囲のもの
についてなのですが、自我肥大の波を何回かやりすごす
うちに耐性がついてくる場合もあるような気がします。

反対のケースは多いだろうと思います。軽躁状態を繰り返す
うちに、なりやすい体質になってしまうパターン。

気分のコントロールは訓練できうるものかどうか私には
わかりません。症状の軽いうちなら、できるような感じが
します。あるラインを越えると難しくなるような気がします。

自分を抑える感じにもっていきます。我慢ができるかどうか
それも人それぞれだと思います。最初から自分には我慢が
できないと居直らないほうがいいように思います。

でも、あるライン越えると我慢も難しくなるかもしれない
のでそのときは自分を責めないほうがいいと思います。

今まで書いてきたもろもろのことに関係する遺伝的
要素とか神経回路とかあるのでしょう。ブレーキの
効き具合とか人によって違いそうです。

謙虚という言葉は気分の高揚と関係あるように
思います。心のうちでは気分が高揚して高い位置
に揚がっているのですが、オレ様みたいな姿は
嫌いなために、自分の姿を低めているのです。
抑え付けると謙虚を越えて卑屈になります。
でも心の底は高揚しているので自分に言い聞かせて
いるのだと思います。見た目だけ、そう見せかけ
ているのではなく、謙虚であろうとそれなりに
必死なのです。でも謙虚な前景の背後から鼻持ち
ならない姿がちらちらすることがあります。

それらはあくまでも主観的な気分の問題です。
客観的な事実に基づいているとは限りません。
もっとも客観的証拠に支えられたらますます
やっかいなことになりそうです。

結局、こころのうちは俗物なのですが、
人間の哀れさを感じるところです。
気分を制御している物質その他に
翻弄されているわけですから。

救いは、これもある程度までの範囲で収まった
ならばの話ですが、学習意欲が亢進したり、
文章書きたくなったり、ものがつくりたくなったり
生産的に働きます。努力の成果はあとにも
残るのでこれはいいですね。
原子力の平和利用みたいな感じで
制御システムが鍵を握っています。

あと気分が高揚したとき、それに自分で
気づくかどうかも大事だと思います。
自分で気がつけば、引き返すなり、
ブレーキかけるなり、油を注がない
なり対策を打てそうです。

ナルシスな気分に身を任せ
アクセルを吹かしていったら
最後は滝つぼに落ちてしまう
かもしれません。

痛い思いを何回か体験して
みないと学習できないのかも
しれません。できればその回数を
少なくしたいです。

努力したことを振り返ってみて

精神病者には能動型と受動型っているそうです。
能動型は努力するタイプ、受動型はしないタイプ。
能動型のほうが予後が悪いという話もあります。

努力といっても正しい努力かどうかわかりません。
そのため報われなかったり、かえって悪い結果を
結んだり、複雑になったり、矛盾を抱えたりして
予後が悪くなることもあるそうです。

自分の場合は医学書、心理学関係読んだり、
語学あれこれ手だしたり、話し方教室通ったり、
図書館通いしたりしました。

その努力って報われたといえば、報われたし
報われなかったといえば報われなかったです。
具体的な成果としてカタチになったわけではない
のです。

さあ、それをどう受け止めるか?
努力する過程で各方面の人と膨大な対話を
しました。

贅沢な時間過ごしたといえば、そのとおりです。
目に見えないものをどう考えるか?
何をもって幸福と考えるかという話とつながります。

青い鳥は自宅の鳥かごの中にいたという話もあります。

努力する過程が生き生きしていたとしたら、
それで御の字なのかもしれないです。

結果は現実との兼ね合いです。現実感覚はものすごく
足りないことは納得いくことでしょう。

夢の時間を文字に閉じ込めたり、あるいは表現という
カタチで取り出せることができれば、たとえそれが
道楽のレベルではあったとしても、残りますよね。

誰かに届く手紙のカタチで自分があれこれ考えたり
したことが役立てれば、まあ、ちょっとした暇つぶし
にでもなればまあ、十分なのでしょう。

P.S  大事なことですが、努力する過程で自我肥大みたいな感じの波を
何回かやり過ごしてきました。自我肥大といっても抑えることの可能な
くらいの波です。自我肥大という言葉を知っているかどうかが分かれ目
かもしれないです。ユングの著書に詳しく書いていますのでネットで調べて
気になるひとは読んでみてください。

生殺し状態を受け止めること

非定型精神病は予後はよいと書いているけれど、
脳はダメージを受けているような感じが本人的には
します。判断力が落ちてきたようであったり、
記憶力もとくにエピソード記憶とかが自信ないです。

日常生活を送る分にはいいのですけど、
職場環境に入ると問題が表面化します。

とはいっても、怒られながら、あるいは
馬鹿にされながら、辞めないでは済む程度です。
まあ職種にもよるのかもしれませんね。

大昔の職場で「馬鹿とはさみは使いよう」と言われたこと
もあり、悲哀感じたものです。

まだら痴呆みたいな感じのイメージで、病気の前より
亢進したように思える部分、そのままの部分、
微妙な障碍を受けているように思える部分ありそうなのですが
自分でもよくわかりません。

そんなわけで何だか蛇の生殺しのような感じを自分に
もっているのです。

繰り返し自分でイメージするのは
半分の飲みかけのジュースです。
失われた半分に意識するか
残された半分に意識するかです。
十分、生活楽しめているので
脳に自分でダメージくわえないことです。

緊張感を解いて
力を抜き加減にするとか、
楽しめていることに意識の重心をもって
くるとかです。

とはいいながらやっぱり自分の脳に
ダメージ加えがちです。

たぶんそれも許したほうがいいです。
許すといっても許してダメージ加え続ける
のではなく、ダメージを加えてしまった
ことに関してです。

人間完璧にはなれませんから。

どうしても、自分のことばかり考える
けれど、振り返ってみると、
そこまで至っていない人もたくさん
いるはずです。

自分なりに恵まれていて、たまたま
そこで収まっているのだと思います。

自分の場所で知恵を出せることは
何なのだろう?そこにいたために
自分が学べたことで、共有したほうが
いいことって何なのだろう?って考えて
みるといいのかもしれません。

生活のうえでの工夫を考えることによって
それなりに、自分の場所なりのよりよい
カタチってありうるのかもしれないと思います。

P.S 非定型精神病はひとりひとりあまりにも条件が
違うので他人の姿それぞれからちょっとだけ参考にして
自分のケースは自分で考えてみたほうがいいです。
文字化された資料はあくまでも、そのケースです。
あんまり当てはめて考えないほうがいいです。
個人症候群という言葉もあるくらい、そのひとそれぞれなので、
点情報ではあっても、その人の記録って意味あると思います。
言語化することによって、整理はされやすくなるでしょうしね。

2011年11月12日土曜日

読み手のこと考えていたのだろうか?

お気楽にいろんなこと書いていたけど、
読み手のこと考えていたのだろうかって
反省してます。

調子が悪くなるかもしれない微妙なときって
本当に些細なことで悪くなるものだから、
取り返しのつかない罪を犯していたの
かもしれません。

気づかないままに無慈悲なことを書き付けて
いたこともあるかもしれません。

急性状態が落ち着いて、しばらくの間
精神病者を指すいくつかの言葉
そのものが怖かった時期があります。

病気になったこと自体受け止められなかった
です。

私が入院二回で済んだのは運命のめぐり
あわせに過ぎなかったのかもしれません。

いろんな偶然が重なって、たまたまそのときの
私のキャパシティを超える出来事が起こるのが
回避されたということなのでしょう。

精神病と一口にいってもその内容はさまざま。
自分でできることって何だろうって
しばらく考えてみることにします。

難易度もいろいろ、与えられたものもいろいろ

皆それぞれ、見える景色の違う自分の道を
歩いているのだと思います。
難易度もいろいろ、与えられたものもいろいろ。

コウモリの世界はコウモリにしかわかりません。
だから、傍目には楽そうに見えて、そうでもなかったり、
キツそうだけど、本人的には楽しんでる部分もあったり
します。

感情のコントロール能力も訓練のほかに遺伝的背景も
あったりするので、そうたやすく他人を裁けるものでは
ありません。精神のバランスのとりかたの上手さ、
不味さ、これもきっといろいろでしょう。

若いころにカウンセリングの本とかにたまたま出会って、
本人にも資質があったりして、精神のバランスが崩れやすい
状況にありながら、なかなか上手く自分と折り合っている
人もいるかもしれません。

反対に、不幸にして、何か出来事に遭ってしまい、
神経回路のスイッチが悪いほうに入ってしまうと
いうこともあるかもしれません。

本当に人の人生って、境遇だったり、遺伝的背景だったり、
単なる偶然だったり、いろんな要素が絡み合って、
それぞれの迷宮の中をさまよっているような感じですね。

もろもろの結果が今であって、受け入れるしか
ありません。これは重いことでもあり、貴重なことでも
あります。そこでしか学べない何かがあるからです。

それが自分の人生の意味だと思います。

P.S この文章は他人のことというよりも、自分の境遇のこと考えて
書きました。私自身の人生を通してしか学べないような
ご大層な何かってあるのやらわかりません。
小説を読んで学ぶのではなく、当事者として
学んだわけですけど、団体旅行ではなく、
自由旅行としての人生の面白さと厳しさ両方
あっただろうし、良くも悪くも”お楽しみはこれから”
なのかもしれません。もちろんブラックな意味も
含めてなのですけどね。

内なる差別意識

変なこと書くと後味悪いです。書いたものを後から
反省して、修正していきます。発信前にやればいい
のだけど、血のめぐり悪いです。

前日の「板前さんにでもやってた」というところと、
「下町生まれ、下町育ち」というところに私の中の
差別意識みたいなの感じます。

結論から言うと、「人間は皆平等だ。」という命題と
「人間には上下がある。」という命題と両立しそうに
もないことが頭の中で整理つかないままあるのだ
と思います。

学校時代に平等だと教え込まれ、一方社会の
空気の中で差別意識を刷り込まれ、なんだか
よくわからなくなっているのです。

人によっては機会の平等という人もいます。
結果は努力や才能によって変わってくると
いいます。

結果は努力の成果なので報われて当然と
いうことです。

それと、見下すということはどういうつながり
があるのでしょう。

私の前日の文章みてると、私は今、働いていないし
見下せる立場じゃないのに見下しているような
書き方してます。きっと心の中で見下していたの
でしょう。そして今、「見下せる立場」って書いてます。
たった今。

「見下す」という単語をめぐって根深い問題が
あるような気がします。

見下したり、見下されるまなざし、そして関係。
話はまったく飛びますけど、
輪廻転生する世界観の中で
ウエに生まれたり、シタに生まれたり
するサル山の世界から離脱することを
大昔考え付いたインド人は偉いと思います。

見下し、見下される心の内で行われるドラマは
根深いものでそれを超越するのは常人には
なかなか難しいように思います。常人には
と書いたところで、私は今その資格から外れました。

人類平等を説いた昔の思想家の理想にあこがれつつ
この先も、内なる差別意識に心を痛めつつ
無神経な言動を時折続けていくことでしょう。

2011年11月11日金曜日

背伸びして、背骨が折れた

私って、順当にいったら、どこかの料理屋さんかで板前さんでも
やってたと思います。運命のいたずらのはじめは多分ですねぇ。

祖母が信仰していた教えにしたがったのでしょうか、
私が汽車が好きだとわかると、鹿児島駅に連れて行って
くれたり、竜ヶ水まで汽車に乗るのに付き合ってくれたり
しました。小学校以前の話ですね。

小学校の隣が当時鹿児島県文化センターという施設で
地下に科学館があり、科学館の真ん中に交通ジオラマが
あったのです。鉄道模型が動くのをみるためによく
通いました。

その建物の4階にはプラネタリウムとアロザウルス、
カンプトザウルスという2体の骨格標本をメインにした
化石の展示がありました。

当時は贅沢な時代で、化石の展示には専属の解説員
が、プラネタリウムはコンピュータではなく、人の手で
毎回解説をする時代でした。その最後の時期に私が
通っていたのです。

そんなわけで、下町生まれ、下町育ちの私だったのですが、
科学館という環境に育まれて、理科少年に育ちました。

一方、いろんな理由で体は華奢で性格は女々しく、
小学校上がると同時にいじめがはじまりました。

小学校より中学校が中学校より高校がきつかったです。

運動音痴で、野球に加われず、校庭の隅の
温室やら花壇があるところで昼休みは
トカゲ殺して遊んでました。

大学、鹿児島県内で進学したら高校までの
人間関係引きずりそうで嫌でした。

もういちど人間関係0からはじめたかった
ことと、親戚、姉妹の力を借りたくなくて
自分の独力で人間関係立ち上げたくて
広島という都市を選びました。

高校1年の成績は悪く、クラスでも下から
三番目だったかビリだったときもあるので
すが、家庭教師2人つけてもらって、
がんばりぬきました。

1966年、丙午生まれの利得があって、
入学時の1985年だけ大学受験の競争率が下がり、
私が受験した植物学専攻の受験者も
少なく、いろんな要素が効いて
ほとんど奇跡みたいな感じで大学に
進学できました。

自分の生まれ育った境遇とか考えますと、
自分に与えられた宿命に歯向かい、
背伸びしすぎたのだと思います。
背伸びしすぎて、背骨が折れたのでしょう。
青年期中頃、自分の生活史に隠された
矛盾が噴出したのです。時限爆弾みたいに。

木村敏「直接性と生命/イントラ・フェストゥム論」図書館でちら読み

県図書で昨日ちら読みしました。あらためて、いつか感想かこうと
思いますが、昨日読んだぶんだけで、気になったところをメモ的
に書こうと思います。

読んで初めて気づいたことは、1992年に発病して、その後
非現実的な努力を続けてきたなあということ。無理といいますか。

よくもわるくも、「夢」に片足突っ込みながら、毎日を暮して
きたのかもしれません。世俗的な夢、幻想的な夢いろいろです。

とはいえ、実践的な努力ではなく、図書館で本読むとかの類です。
「グローバルな展開」を夢みて、いくつかの言語かじったこともあり
ます。「グローバルな展開」っていったいどんな誇大な夢を追っていた
ことでしょう。

祭りで噴き上げた熱は心の底に余熱のようにたまり、
後夜祭を約20年間続けてきたのかもしれません。

ここしばらく息切れがしてきて、今日から「サポートネットラグーナ」
というところで精神障碍者向けの自立支援をうけることになりました。
祝祭の熱が冷めてきて、やっと現実と向き合い、現実と擦りあわせる
準備が整ってきたのかもしれません。

20年もの間、精神内界でともし続けてきた祝祭の火って何なのでしょう。
年を経るごとにあちら側とはよくも悪くも遠くなり、
30代の頃までは頻繁に起こっていた不思議な類の精神現象とも
最近はご無沙汰です。

熱の力で集められた知識の類だけはそれなりに豊かには
なったようです。まあ、それも患者なりの知識なのですけども。

P.S 精神病理学知らない人には何も伝わらない文章かもしれませんね。
非定型精神病などで起こる、急性錯乱状態みたいなのを
祝祭のさなか(イントラ・フェストゥム)と表現する話があります。
外側から見ると急性錯乱なのですが、内側からみると当事者なりの
秩序があることはこのブログのはじめを読むとわかります。
http://epimbi-madrigal.blogspot.com/search/label/%E6%80%A5%E6%80%A7%E6%9C%9F%E3%81%AE%E4%BD%93%E9%A8%93

人生観がガラッと変わるかどうかはともかく、祝祭の熱はその後
も私の心の底に秘められた形で残り続けたのでしょう。
一種の二重生活かもしれないです。そのことと距離もとれていた
ためにオカしな言動はそんなに見せなかったかもしれませんが、
どこかオカしな印象は与え続けていたのかもしれません。

2011年11月9日水曜日

悪意なこと書いたときの後味の悪さ

魔が刺して、悪意なこと書いてしまった翌日です。
記憶の底にでも眠らせておけばよかったのですが
日の光の元に呼び出してしまいました。

呼び出した以上は責任があって、
どう始末をつけたものか考えているところです。

人を描写すると書き手の人間観の浅さが露呈
します。そのことを学ばせていただきました。

この世のことをもうちょっとよくわかったひとが
前日の文章読んだとしたらどうなのでしょう。

書き手の悪意のこもった文章の背後に違う
リアリティを見つけ出すのでないでしょうか。

しばらく前に、華厳経と下町的世界という文章
かきましたが、前日のおじいさんの背後にも
やはり荘厳された光みたいなのはあって、
昔も今も私は表面に現れた姿しかみえなかった
わけです。

どこかの企業で専務としての役割をこなし、
リタイアした後、青年を教育しようと思った
理想と、青年たちに映った姿のずれ、
私はそれを嗤うことはできるのでしょうか。

妻を寝取られる光景をどんな思いで
私に語ったのでしょう。

そういえばこんなことも言っていました。
妻を私は満足させてあげることはできな
かったから、これでいいのだと思ったと。

私にもまだまだ分からないことだらけで、
目に映った表面しかみていないのです。
自分の語ったり、書いたりした言葉の
意味もわかっていないし、
そのわかりもしない言葉をふりまわして
いるのです。子供が刃物であそぶように。

2011年11月8日火曜日

そういう人がいた

学生時代の話。
広島の皆実町という学生街をあるいていたら、
不思議なかんじのおじいさんと出会いました。
どういういきさつか忘れたのだけど、
飲み屋にいったと思います。

「青少年健全育成の会」

なんかそんな感じの名刺をくれました。
それで、そのおじいさんが育成した
いろんな青少年の写真をみせてくれました。

竹原という町の中小企業の専務さんだった
とか。で、写真みてたら、私の大学の友達の
顔があったわけです。

「知ってる。」というとその子の家にこれから
いこうっていいだしました。

皆実町から広電の線路ぞいに歩いていって
その子の家へ。

山岳部の子だったのですが、おじいさんの顔
見たとたんシラケた迷惑そうな顔になりました。

これからはそのおじいさんのことを
ブキミジジイと呼ぶことにします。

ブキミジジイはあちこちで青少年にこえかけて、
「オトモダチ」になり下宿に押しかけるわけです。
すべてを気づいたのは住所教えたあとでした。

朝駆けを何回したことでしょう。おいしくなさそうな
弁当をおみやげにもってきて、鍵をかけていない
私の下宿の部屋のガラス戸あけて入ってくるのです。

内容は覚えてませんがエネルギーが吸い取られる
ような話題だったと思います。

唯一覚えてるのは雇った家庭教師に奥さんを寝取られる
話。戸の隙間から布団がゆらゆらゆれるのを見てたの
だとか。

ブキミジジイが私に期待してたのは
「自分史」を書いてくれることでした。
「そういう人がいた」という本を作ってほしかった
そうです。

前のブログの文章の終わりが
「そういう石」だったので
つい「そういう人がいた」という別の話を
思い出したのですが、
死者に鞭打つ話であることはほぼ確実です。
天国でこれ読んでたら本当にすみません。
でもちゃんと書きましたから、、、





永遠の少年と星のカケラ

私は今まで二回しか精神病院に入院したことがない。
もっとも両方とも措置入院だったのだけど。
でも自分の内情考えるとよく二回で済んだものだと
自分をほめたくなる。一回目の体験の一部は
このブログの一番初めの文章に書いてある。

神と出会ったと思って、その体験にこだわって
しまったら、ずいぶん違った人生となっただろう
と思う。そうはならなかったけど、多かれ少なかれ
今の私のありかたに強い影響を及ぼしつづけて
いるのは確かだ。

それ以来つねに幻想を胸に抱き続けるものと
なった。蜃気楼のように「夢」が胸の奥にゆら
めく。自分が自分でもよくわからず、万能感
と無能感をいったりきたりする。

あらゆる可能性をもちながら結局何にも
なれない永遠の少年。何か美しいものを
見てしまったのかもしれないし、
胸の奥にあるのは星のカケラみたいな
何かキラキラしたもの。

カケラはカケラ。この世にあちら側の
影のような、カタチをもった何かを生み出す
のは才能をもった大人でなくてはならない。

現実というコトバ、実現というコトバが
重くのしかかる。

キラキラした星のカケラは胸の奥で
妖しくまたたく。私に栄光などではなく、
幻想と滅びをもたらしかねない魔性の光。

そいえば宝石鑑定士と話したことが
あったっけ。

「惜しいな。もう少しで宝石になれたのに」
って石みて時々思うんだとか。

そっと原石のまま標本庫にでも入れてあげ
ればいいんだよね。そういう石。

エルデシュモデル

ある夜の天文館。
交差点でジャングリングする方がいらっしゃいました。
そう、あの方。ピーターフランクルさん。

ひとしきりパフォーマンスされたあと、私はつかつかと
寄って行きました。じゃらじゃらと小銭をあげたあと、
私の質問。

「エルデシュ先生はどんな方だったのですか?」

「なんでも知ってらっしゃる先生でした。こんなこと
どこで知られたのだろうという感じの方。」

私の記憶もあいまいなので全然違う受け答えだった
かもしれません。でも、このとき、私もエルデシュ先生と
微かなつながりができたような感じがしてうれしかったの
です。もちろんフランクルさんとの束の間の出会いも
ですけども。


話はがらりと変わります。
私の会話のやり口の背景です。
いつもの話のやり口をエルデシュの伝記から
学んだのです。

自分とは全然違う天才にどう学ぶのかって?
規模は違うけど、原理はどこかつながるような
気がしてるのです。

あなたの脳は営業中かって、
あたりかまわず知的対話を敢行するやり方。

数学が使えなくてもこのやり方は有効です。
話はどこかでつながってくることと、
遠く離れた話でも抽象的なレベルで
相似な話は多々あること。

ただし幹は押さえられているというか
関心の中心は根源的なところにあること。
根源的なものとの関連でさまざまな話題
は意味をもってくること。

直接その場でわからなくても、
あとあとつながってくる場合もあるでしょうし。

2011年11月7日月曜日

華厳経と下町的世界

なんのことはない。前に読んだ華厳経の解説書のパクリみたいな
ものなのです。それもうろ覚え、曖昧な理解。

世の中の取るに足らないようなものの中にも仏がいるみたいな
イメージ。私自身が取るに足らないものの代表みたいな感じ
なのですが、一日あれば、いろんなことを考えたりするものです。

粗末な姿の背後にイエスを見るみたいな感じのことはキリスト教
の世界にもあるのでこういう見方は東西問わずあるのでしょう。

フラクタルな万華鏡の世界は下町の生活の細部にも、郊外の
建売住宅の中にも張り巡らされていて、光と影に彩られた
それぞれの人の人生という迷宮を荘厳しています。

生きるということは不自然なことで、人が生きるにも組織を維持
するにも苦労が伴います。当事者として生きる波のたゆたう世界
から少し離れて、視点を仮想的なカミかホトケの世界まであえて
もっていったとき、さざなみは消え去り、苦楽や汚辱に満ちたこの
世界も楽園に映るのではないでしょうか?人間の目に熱帯雨林
が生き物の生きる楽園のように映り、それぞれのプレイヤーたちの
生存をかけた闘いが見えないように。

対話を通して、華厳経を編集した人たちがそういうビジョンをあの
時代に見えてたというのが不思議です。不易と変易、道具立ては
ことなっても社会を構成する基本は同じだったし、基本がよりくっきり
とかえってみえてたのかもしれません。

社会の中心と周辺で物事の規模は異なっても、縮尺を変えれば
構造は同じということはあるのかもしれません。採算があわなければ
規模は大きくても赤字になってしまうように。社会的地位が上がれば
それだけ責任も重くなってしまうように。ロスチャイルド家には
ロスチャイルド家の悩みが、ソマリアの農民にはソマリアの農民の
楽しみがきっとあることでしょう。光があれば、影があるし、
影があれば光もある。なんといっても一番楽なのは生まれてこない
ことなのだから。

P.S 何かわかったようなこと書いたけど、何もわかっていないと思います。
書きながら考えてます。読み手が不快になるようなことも書いているのかも
しれません。文章自体に光と影があるのですが、影を含みこみながらも
全体としては悪意ではなく、誠意に基づいて書いてます。といっても
私なりの誠意なのですけども。

2011年11月6日日曜日

フリンジ(周辺)からのご返事ーUSK(アーバン・ステーション・カゴシマを振り返って

結局三日間USKの展示に通った。最終日は友達も連れて。
偏った記録かもしれないけど、何か記録を残すのは大事だ
と思ったので受け手側の記録を残します。

まず、思ったのは小さな試みだけど、面白い試みだと思った
ことです。逆に表現すれば小さな試みの面白さかもしれません。
点としては弱かったのかもしれません。コスト的にも大掛かりな
というわけでもありません。でも、反応点に鍼を刺したような試み
という印象をもちました。適切な場所に適切な刺激を与えること
でシステムを活性化する、ないしはそのための準備をするような
イメージです。

布石としては小さくても適切な場所に適切な時期に石をおけば、
あとあとその石は効いてきます。石が生きるわけです。

都市の文脈ということに関心をもちました。鹿児島がなぜか
東京で熱いと受け取られているというのが鹿児島にいると
いまひとつピンとこないのですが、フリンジ(周辺)というのは
何かと中心にとっては逆に気にかかる存在なのでしょう。

そして入れ子的に鹿児島の領域の中には中のフリンジ
(周辺)が存在します。場所的にそして人的に。
光が当たる部分と、影になる部分。ある意味、都市の
無意識の領域で何かがカタチにならないまま蠢いていて
カタチになること、日の光の元に出ることを求めたり、
求めなかったりして、生成しつつある何かが揺らめいて
部分。

煤けた木造建築も違った目で、違った文脈で解釈した
とき意味に満ちたものになります。普通に生きる、それぞれ
の人だって、キチンと文脈を押さえていけば、百科事典に
載るだけの意味はあるのかもしれません。百科事典が
電話帳にならないのは単にそれだけの目を私たちが
もっていないだけで、本当はビッグバンから始まる
宇宙の神秘の網の目は巷の人々の家族史やら個人史
まで連なっているのかもしれません。

その時、そこにその植物があったという記録である
植物標本の本当の意味がなかなか読み取れないよう
に個人に起こる瑣末に見える出来事の意味も深い
次元ではわかりません。そこに意味がないのではなく、
読み取る力がないのだと思います。

選別の目を持つとき、本来意味に満ちた、木造建築も
巷の人も、ごちゃごちゃした一角や有象無象の存在
になります。たぶんそのとき光が当たっているのは
中心であり、社会の表層です。そしてその中心は
周辺によって支えられています。

神の視点というか、仮想的な全ての情報を開示できる
ような視点にたったとき、織物としての本当の美しさ
を世界に対して観ることができるのでしょう。

労力的に、あるいは能力的に私たちができるのは
せいぜいのところ断片としての資料をあつめ隅を照らす
ことぐらいなことなのでしょう。でも、照らされた隅の絵柄は
決してこれからも描かれることのないだろう全体の美しさ
を、そしてその一部分である私たち自身の美しい秩序を
想像させるものになるでしょう。

まさに描かれたものは美しいけれども、描かれなかった
ものはもっと美しいのだと思います。

アーバンステーションカゴシマのwebpage
http://ud.t.u-tokyo.ac.jp/project/Kagoshima/HOME.html

P.S また身の丈こえたこと書いてしまいました。文字を書き始めると
気分が高揚してあらぬこと書いてしまうのは私の宿業です。
それでも何かに一票投じるつもりで残しておきます。ほかの一票を
誘うつもりも兼ねて。

2011年10月30日日曜日

読書会「柄谷行人『隠喩としての建築』を読む。三回目(最終日) 主宰:井原慶一郎(鹿児島大学准教授)。

読書会の感想です。記憶力には自信がなくて、
読書会の後、お酒も少し入ったために、記憶も
あいまいです。記憶に微かに残ったものをたよりに、
それがきっかけになって引き出されたもの
を書いてみます。


私の建築 

みみっちい話かもしれませんが、読書会の感想を書
いたこの文章は私の文章です。
読書会の誠実な議事録みたいなものを書いたほうが、
(万が一検索してくれる人にとっては)よかったのかも
しれませんが、私が主体になって読書会を受けて引き
出されたものを書いています。でも、一方読書会で話題に
なったことも反映されています。
オリジナルのコンテンツに依存しているという意味では
ブログでよくある書評に似ています。

引用なども上手にもちいながら、書評を越えて、オリジナル
としての読みを表現するにはどうすればいいのだろうかと
いう疑問があります。オリジナルの読みの手本として、
たとえば井筒俊彦のデリダの読みみたいなものを考えると、
読むことができるのも天才の特権であって、われわれには
字面をなぞることしかできないのか?なぞるどころか眺める
だけしかできないのかといった絶望的な気分になります。

ただし、読者として天才だけがあるのなら出版なんて
意味ないし、読みにもヘッドに相当する部分と
ロングテールに相当する部分があるのだろうと考える
ことが冷静な態度だと思います。
そこで私は層の厚さの裾野の部分を主に担うこととします。

売ること教えること

私は今までの読書の結果、人物と商品と植物と言葉、
オブジェクトと表現してもいいのですが役者のように
捉えることを学びました。この考え方は主に清水博の
本を読むうちにみについたやり方です。

もともと植物学専攻なのですが、大学院終了後
精神病にかかって、帰郷し、自分の中では
鹿児島で植物学を生かす道はないだろうと早合点
して植物学の学習を中断してしまいました。
ただ、生物学は忘れがたく、生物学の学習の代替の
ような形でことばの学習をはじめました。
有機体としてのことばに関心があったのです。
植物に水をやるような感覚で語学のテープかけたり、
外国語会話を試みたりしました。

不思議な縁で鹿児島大学総合研究博物館の
植物標本室でデータベース入力することになり、
植物標本室という場所を知りました。
うまくいえないのですが、植物標本室が図書館のようにも
百科事典のようにも、百貨店のようにもみえたことがありました。
一点一点の植物標本は百貨店に並ぶ商品のようにも、
図書館の本のようにも見えました。

私のアタマの中では群落の中での植物、
市場の中での商品、アタマの中の知識こういったものが
ごちゃごちゃになって相互交流してました。
たぶんこれは複雑系関係の本を読んだ影響が大きい
です。

命がけの飛躍

複雑な世界はコントロールできないような気がします。
人が作ったものにもかかわらず、都市もインターネットも
コントロールを越えた生態系のようなものです。

ただし、プレイヤーとしての個人にも選択権があります。
選択を通して複雑な世界の未来に対して
わずかなりといえども意思を伝達することができます。
書き手なら、出版するという選択を通して。
読み手なら購買するという選択を通して。
購買することは一種の投票であり、票が集まることにより
商品が市場に残ることが可能になります。

複雑系の本の影響なのですが、インターネット上だったり、
街中だったり、雪崩がおきやすい場所というのがあるような
気がします。雪崩というのはアナロジーで、ちょとした刺激
で起こる周りへの影響を雪崩にたとえました。
個々人の行う選択は大部分はロングテールな
変化にかかわり、ローカルなものだったり、
一時期的なものだったりするだろうと思うのですが、
それにもかかわらず雪崩が起きそうな場所はあると思うのです。
鍼灸の用語を借りれば反応点です。単につぶやくと
いった個々人でもできそうな選択であるにもかかわらず、
システムに強い影響を与えるような領域です。
もっとも、システムに影響を与えることはいいか
どうかわかりません。大通りで通り魔殺人
やらかしたら確実に世の中全体が悪くなり、
お住まいのマンションにも不審者がどうたらといった
張り紙が張られるようになるのは知ってのとおりです。

最後に、
隠喩としての建築という表題で私が思い浮かべるのは
建築物の設計図と生き物の設計図のアナロジーです。
昔働いていた桜島ユースホステルでも設計家の人も
こられたので設計の話をしてもらったのですが、
私は片一方で生き物の設計のことをずっと考えていました。
電話交換システムをつくっている方もこられました。
話した内容はほとんど忘れているのですが、
私の肥やしにはなっているような気がします。
プログラマーの方からは「幹と枝葉」の関係に
ついて教えてもらいました。プログラムにおける
幹と枝葉のアナロジーは概念的なものですが、
私は植物標本を通した、種ごとのさまざまな幹と枝葉の
バリエーションに思いをはせました。ただし、
視覚的イメージみたいなものはあったとしても、
それから何かを概念化することまではいたらず、
いつも歯がゆい気分にさせられるのです。

幹と枝葉といえば、精神病が落ち着いたあと、
南島のユタにあこがれた時期があったのです。
精神科のもとに行ったので精神病者になったが、
もしユタのもとにいけて、それなりに修行でも
すればユタになれたのでは、、、と。今にしてみれば、
そういう環境でなくて、ユタという大変困難な職業
になる道を免れてほっとしているところなのですけども。
そういう環境になかったのですが、
理念的ユタみたいなのを模索した時期があるのです。
古代社会のシャマンがさまざまな職業の知識を
総合する中で世界の幹と枝葉にいたったような。
猟師の知識、旅人の知識、植物の知識、、、
古代社会とはいえ、雑多な知識の聞き手を
続けているうちに今と同じで分野横断的に知識は
つながっていったのではないか?
その中でも本質的なものとして幹と枝葉という構造に至ったの
ではないかという私なりの妄想です。
桜島のユースホステルでさまざまな情報を運んでくる
お客様の話を集積化しながら分野横断的に
話がつながっていくのを楽しんでいました。

くだらない話でした。

2011年10月27日木曜日

その人なりの世界

私、人それぞれその人なりの世界あると思うのです。
その人なりの持ち味。そしてそれをうまく表現に乗せ
られることができるとその人なりの表現ができてくる。
家への帰り道、はなうた即興でつくりながら、そう思う
ことが多いです。私のはなうたは、今風でなくて、
どちらかというと田舎くさく、のんびりしてます。
それでいいのだと思います。

ただ、その人だけでは足りないので、ほかの人の経験
にも学ばせてもらっています。
相手が許してくれる範囲で私は相手のライフストーリー
を聞かせてもらうことが多いです。
なぜかというと、私自身、社会経験が貧困で、
相手の話を聞くことによって、疑似体験
しないと経験が足らないような気がするからです。

その人それぞれ、通ってきた道があって、私とは当然
世代も違えば境遇も違います。
その人それぞれ、どこか学ばせてもらう貴重な
経験をしています。
皆、生きていく道すがら覚えてきた生活の知恵
みたいなのがあって、それは参考になるし、
また、自分にもそういう知恵があったんだなあって
再確認するときでもあります。

具体例書かないと抽象論になってしまうのですが、
ではヒントだけ。
ナンパの話です。といっても私べつにナンパしたい
わけではありません。
桜島ユースホステル時代、近くの運動場の工事に
きていたお兄さんと雑談中に話題がなぜかナンパの
話になったのですが、ナンパは数学に似ていると
いうのです。オンナの人に声をかけていって
当然断られるのですが、その場合どう出ればいい
のかみたいなのが数学の場合わけみたいな感じで、
ああ言ったらこういう、こう言ったら
ああゆうという具合に高度にアタマを使うのだそうです。
ナンパといっても窮めていくと奥が広いのでしょうね。
当然私にはそういう才能はありません。
外国語会話が目的の外人ハントはたまにしますけども。

2011年10月26日水曜日

イメージの堆積

たぶんなのですけど、普通にテレビみて、普通に音楽きいたり、
ときどき本を読んでいるだけで、十分イメージは堆積しているの
ではないかと思うのです。試しに鼻歌で、遊びの感じで作曲して
みると結構いけるじゃありませんか?ノートに落書きしてみても
いろんなのがすらすら描ける。それって当り前のことなのでしょうか?
つまらないことなのでしょうか?

必要に迫られて、アウトプットする環境になかったから急には
出てこないだけで、しばらく、アウトプットする努力を続けてみると、
多くの人はそれなりにいろんなものを表現できるのではない
でしょうか?日常いろんなものをインプットしてますから組み合わせ
次第できっと面白いのも出てくるのではないかと思うのです。

アタマの中に浮かんだ単なる記憶を再生して、本の断片でも、
マンガのキャラクターの下手な落書きでも、それを変形して
いったらオリジナルのできあがり。たとえ今すぐには凡庸なもの
しかできなくても、その延長上にはなにかその人なりの世界がある
と思うのです。

考えてみてください。同じ体験をして、同じ番組をみて、
同じ本を読んでみたいな人っていないでしょ。
ある範囲のバリエーションの外に出られないというのなら、
ちょっと毛色の変わったものをインプットしてみてください。
誰も読まない漢文とか、楔形文字のデザインとか、音楽としての
お経とか、、、

誰も読まないものが隠し味になることもあります。
出汁昆布のように。普段検索しないキーワード
を検索するだけで未知の世界が広がってきます。
異次元の出会いもあるかもしれません。

2011年10月25日火曜日

知識の大衆化

知識の入り口はインターネット検索です。とっかかりにあたる
知識を検索で仕入れてあらためて大学図書館とかでじっくり
調べます。本に対するアクセスは制限されてませんが、本はキチンと
読めているのでしょうか?とくに難しい本とかは一人で読むことには
限界があり、読書会とかであーでもないこーでもないといっているう
ちに読むいとぐちがほどけてきたりします。そういった読書会を何回
もこなす経験が背景になってやっと読めるようになってくる種類の本
もあります。

ひとつの言葉の背景にある意味も何層もあり、奥の奥までは窮める
ことができません。たとえば、ひとつのキーワードが本の背表紙にな
っていることも多いじゃありませんか。そういうものの堆積のうえに
文明は成り立っていて、いつの時代もその文明を知り尽くすには一生は
あまりにも短かったのではないでしょうか。

お米のこともなにもしらないし、というかお米こそなにもしらないのです。
しょうゆもパンもなにもかもです。とはいいながら今まで書いたことを
一般人である私が知っているような時代に生きています。とっても複雑な
時代。テレビみてる人ならけっこういろんなこと知っています。断片的な
知識というなかれ。たぶん大衆って蔑視的な表現で名指されているよりは
賢い存在だと思います。テレビに影響されすぎなところはちょっとあるので
すけどね。イメージは十分溜め込んでいるのだけど、うまくそれを表現にま
わす回路がまだできていないのだと思います。

2011年10月24日月曜日

peer pressureと世間 そして道化

peer pressureというのは社会的圧力のことで、日本人が信心深い
わけでもないのに、倫理を守っていることやら、いいたいことが
言えなかったりするのと関係があり、世間と呼ばれる日本人の
社会的小集団のもつ強い属性だと思う。

よけいなことを言ったために、世間から白い眼で見られること
をみんな恐れている。抑圧の時代が長かったために、
メディアという道具を与えられても、なかなか自己表現できない
し、また、そのための表現技術も育っていない。

そんな中で後先考えずに、何か表現してしまう人は変わっている
し、そういう猫に鈴をつけるような人は一種の道化に違いない。
討ち死にしてしまう宿命の突撃部隊なのかもしれず、
そういうおバカな人が失敗をし、恥をかき、白眼視され、
そういう時代を潜り抜けてやっといいたいことがいえる時代が
くるのかもしれない。

P.S 私の感覚は古いのかもしれない。ネットでは十分みな
いいたいこと言っているのではないかと。でも、ネットで発信
するのはマジョリティではない。マジョリティはいまだに
ものを言わない。発信ボタンを押した途端「取り返しの
つかないことをしてしまった。」と思うことは多いし、
rlでは私も結構びくびくしている。

物言えば 唇寒し 秋の風

昔から声を奪われているような気がするのです。
匿名になった途端言いたい放題になるのは
きっとその裏返しです。

方や声が出せない状態、方や声の抑制が効かない
状態。ウエから押さえつけられていて、世間は息苦しく、
圧をシタに解放するような感じで、立場の弱いものに
辛く当たる。

特に誰かを指しているわけではありません。私は小さい
頃から気が弱く、場所が変わっても、同じような役柄の
人にいつも出会ってきたのです。

マスコミから聞こえてくるのもタテマエばかりです。
ホンネとタテマエが矛盾してしまうのは、声が
抑圧されていて、ホンネが言えないからです。

どうしましょう?

勇気をもって、思ったこと、感じたことを
文字にするのも大事だと思います。
失敗はいっぱいあります。
結果として誰かを傷つけてしまうことも
起こるでしょう。

車をぶつけながら、交通規則を覚えている
ような感じです。

でも、文字化することはひとつの土壌になります。
いいたいことがいえる土壌。
きっと風通しはよくなるはずです。

民の声が集まって政治が行われるのが
民主化だとしたら、そのサイクルをつくりだす
ためにも、勇気をもって声を出すことが大事だと
思います。

2011年10月23日日曜日

出来事が消えてしまうことと、出来事が歪んでしまうこと

個人が発信した記録は、幕末に日本を訪れた
外国人の旅行記みたいなものです。
幕末の旅行記がそうであるように、歪んでいます。
ひとそれぞれ、歪んだめがねをかけてますから。
でも、今となっては外国人の書いた旅行記は
貴重な記録になってます。

そこ考えると私のめがねは歪みまくっているので、
世界の記録ではなく、私のような
人間から見た世界の記録なのかもしれないです。

私の目に映った世界にどんな意味があるというのでしょう?
私の目は曇っているとはあんまり自分では思っていないのですが、
正確にものを記述する仕事には向いているとは思いません。
研究者の道に進まなくて正解だったと思います。

正確にものが見えていないかわりに、人の見えてないところが
見えているとしたら、幸いです。まあ、それは幻かもしれないと
自分にいいきかせることも大事なのですけれども。

それに、田舎に住んでいる井の中の蛙であることは
免れ得ないので謙虚に身の程をしることも大切なの
でしょう。全国各地にある百葉箱のひとつみたいな
感じで淡々と心に映った事物を記録していくのが
いいのかもしれません。

むしろ星の数ほどの百葉箱のひとつとして
天の川の中に埋もれていくことを望んでいます。
責任も負わなくていいし、世の中を惑わす
心配もありません。

2011 鹿児島 青木野枝展「ふりそそぐもの」アートトーク&プレオープンパーティ観覧記

言葉とメディアを与えられたから表現することは権利だと思う一方、
表現につきまとう責任がのしかかるのを最近感じているところです。

さてと、青木野枝展「ふりそそくもの」アートトークとプレオープンバー
ティの観覧の感想なのですが、気になったことはが「誠実さ」という
キーワードです。「鉄に対する誠実さ」といってもいいのかもしれません。

鉄は自分を超えた存在で、鉄に誠実に向き合わないといけないとい
うようなことを言っておられました。展覧会の準備、作品の製作、etc、、、
現場はすごい熱だし、忙しいし、まあ大変なのだけど、その世界が好きだ。
その世界に戻りたくなるというようなことも言っておられました。

バーナーの炎と白熱した鉄によって、人間として誰でももっている邪念、
そういった不純なものが炎で飛ばされてしまい浄化される。
話し合いの中でみつけた言葉が私には印象的でした。
そして、そこにまた鉱脈の露頭があるのではないだろうかとも思いました。

野枝さんはアーティストとしてのお仕事で新潟に行かれたり、
瀬戸内に行かれたり、そして鹿児島にやってこられたりします。
単なる想像なのですが、日本列島その他北へいったり、南にいったりしなが
ら、各地で何か拾っていかれるのかもしれません。
少しおおげさな言い方をすると「神秘のかけら」みたいなものを。

太古の昔にこの列島を龍脈にみたててあっちこっち動いた風水師の姿と
少しだぶってみえるのです。地の力の満ちるところに、何か象徴的なもの
をおいていく、そんな感じです。

今の世の中、歴史によってせっかく積み上げてきたものを、
「カネにならないから」あるいは「カネがかかるから」と無残に壊してしまい、
土地の力を弱らせ、魅力のなくなった土地から人が流出していくのを押し
とどめることがなかなかできません。

計量できないものの典型は意味ですが、土地から意味が流出し、
土地に支えられた私たち人間からも意味が流出していく流れです。

今の世の中、自分の担っている意味、自分がこの世に出てこなければ
ならなかった理由をどれだけの人が言葉にできるのでしょう。
逆に神話がかったそういうことにかかずりあわないことが
ニヒルなこの世のトレンドです。

土地にとっての神話、神話という言葉が宗教臭いのなら物語、
自分を支えてくれるストーリーを求めているのかもしれません。
会社の成長物語という夢を共に追っかけていけた世代は幸せだったの
かもしれません。今の人は自前で物語をつくったり、
編集したりしなければならないのが、
苦しみでもあり、楽しみでもあるように見えます。

20世紀という舞台は終わり、21世紀という舞台が幕をあけ、ストーリーの
流れはつかめず、役者は舞台上で右往左往しています。21世紀人、
そういう単語もあるのでしょうが、意味の欄はまだ空白のように思えます。
感想からずいぶん脱線してしまいましたね。

ファスト風土のような、精神的に荒廃した景観に意味を取り戻すことが
アーティストに期待されていることのひとつのようにも思います。
個人レベルでは「自分はどこに向かっているのか」という目的地探しの
ひとつのヒントとしてアートが存在しているようにも見えます。
アートそのものというよりもアートが触媒になって、無意識の底から
引き出される何かです。アーティストにはアーティストの迷宮探索があり、
個々人には個々人の人生の旅があります。メッセージとしてのアートが
扉を開ける秘密の鍵になるのかもしれません。

2011年10月19日水曜日

個人がカフェをもつ時代

夕べの自宅カフェにはコリンさんがきてくれた。
rlでは自宅にカフェを開くとなると何百万かかるかどうかわからないが、
slでは月700円もしくは1500円で実現してしまう。

個人が気軽にブログやホームページでメディア発信するようにな
感覚で、slではカフェを開くことができる。カフェというよりももっと
正確に表現すると自己表現の媒体としての3D空間だ。

slでは建築のような構造物も個人を装う衣装のようなものの拡張
として捉えることができる。そして、衣装も選択して購入するという
やり方とは限らず、自己表現するキャンバスのようなものとして
捉えることも可能だ。

全体としては個人のコンテンツ化を軸に自己表現を中心とした
世の中がくるのではないか?100年前にユングが個性化と呼び、
太古の昔、釈迦が人格の完成と呼んだもの。

人生の究極目的を自分を発見することあるいは、自分が自分に
なることと捉まえると、ソーシャルメディアで展開していることはそ
の流れに沿っているのではないだろうか?

そこには自己愛とか自己中心性みたいな影の面もあったりする
だろう。みんな鏡をみながら自分にうっとりするなって気持ち悪い。
実のところ鏡にうつった自分みながらげんなりするのではないか?
自分、自分と自意識過剰になっていくのもそれはそれで問題である。

集団に埋没して、民衆が民草とよばれ、支配層にだけ光があたり、
支えるほうはたた、ただ忍従するもの。あるいは上にはものがいえ
なくて、下に辛く当たることでストレス発散するみたいな世界よりは
今の世の中はずいぶんと風通しはいいのではないか?

ただし、そういったルサンチマンみたいなものは昇華して、整理して、
ドロドロをサラサラに換えたいものだ。その掃出し口としてパーソナル
メディアが機能してるのかもしれない。ちょうど太古の昔に祭が庶民の
ガス抜きとして機能したみたいに。

2011年10月18日火曜日

鹿児島 前回(2008)の青木野枝展 復習

また、週末にはMizuhoOshiroギャラリーに青木野枝さんがやってくる。

前回の展覧会思い出しながら(といっても記憶はかなり曖昧ながら)
自分にとっての印象みたいなのをまとめてみる。

展覧会の前に、鉄の世界史みたいなのを図書館でおさらいしてみた記憶がある。
ヒッタイトに始まり、たたら製鉄、鉄砲、反射炉、とどちらかというと男による戦争のための媒体として歴史を動かしてきた鉄であるけど、女性からみたら鉄も違う顔をみせるのではないか?みたいな質問をしたような気がする。

鹿児島では古墳時代の墓から鉄ていとよばれる鉄の延べ板が出土している。当時鉄は日本では作ることができず、朝鮮から交易によって入手していて、金と同じように貴重なものだったと習った。鹿児島大学総合研究博物館の企画展の展示で鉄ていの展示をみていたりして、野枝さんの作品の素材である鉄と頭の中で連想がつながっていた。

ほかに当時連想がつながっていた素材にやはり博物館の展示品のストロマトライトの化石とオーストラリアの鉄鉱石がある。ストロマトライトは先カンブリア時代に栄えた藍藻類で、光合成により酸素を出すことで、地球の大気の酸素濃度をガラリと変えてしまった。と同時に海中で酸素を出すことで海水に溶け込んでいた鉄成分を酸化、沈殿させて鉄鉱床をつくった。当時作られた鉄鉱石はオーストラリアより日本に輸入され、私たちの使う鉄の原料となっている。

そんな風な話が自分のアタマの中では結びつきながら、野枝さんの作品眺めていたような気がする。ローカルで変な受け取り方だと思う。おのおのの場所の展示品がノードとなりながらアタマの中で結び合わされる。地域により、個人により受け取り方のコンテクストが違うのだけど、今回は言語化することを覚えた。書き付けたことは残るから、責任重大なのだけど、書き付けないと出来事として残らないという側面もある。同じものみてもひとそれぞれ受け取り方違うし、違ってもいいのだと思う。

パーソナルなメディアがあることで、能動的なみかたができる。批評ぶるつもりはないけれど、自分のことばで、どう受け取ったかを記録化、意識化してみたい。

2011年10月17日月曜日

読書会「柄谷行人『隠喩としての建築』を読む 主宰:井原慶一郎(鹿児島大学准教授)。

読書会の感想なのですが、実は少々強迫観念を抱きながら書いてます。せっかく読書会受けても、感想書かないと出来事自体がなくなってしまうような感じの強迫観念です。でも、一方感想書けば筆の災いをまねくかもしれません。

10月15日 「月の船」という最近できた文学サロンで行われたのですが、ノートとらなかったのですでに記憶もあいまいです。

読書会を通して「何を受け取ったのか」言語化しておきたいのです。

自然言語、自然数、自然都市、、、
人間が作ったものでありながら、out of controlでそれ自身の論理に従って自己生成していきます。
夜のフライトで眼下の都市を見下ろすとき、街路の光の連なりは生き物のようにも見えます。

「コトバ」の生き物性に目覚めるとき、実は逢魔が刻なのかもしれません。事実、私は1993年に「話し方教室」に通っていたのですが、「自己紹介」「他己紹介」の課題をきっかけにして精神病を再発させてしまいました。ふとした弾みに「コトバ」の魔性の部分をみてしまったのです。

メディアに刻印された文字列は単なるインクの塊にすぎないのかもしれませんが、アタマの中に入った文字列は何なのでしょう。身の回りにあるモノは単なる物質の塊ですが、モノを生み出すためのアイデアの生成自体は何なのでしょう。モノに媒介されたアタマの中にある何かが宇宙人みたいにみえてきてオカしくなったのです。「宇宙人は無意識の彼方から侵略してくる」こんな感じでした。

自己生成する複雑なシステムをある種の人工生命と考えれば、片はつくのかもしれません。私はそこに「言霊」のようなものを感じたのでしょう。

プログラミングをする人が、あるいは将棋の神様が思考停止し、引き返す場所です。バベルの図書館のように不可視の論理的宇宙がルールを設定することで生成する、あるいはもともとあるのかもしれません。しかしこの風景にも私たちは慣れ、その先に進もうとしています。

E=MC^2で頭を剃りあげる人もいれば、e^πi +1=0で頭を剃りあげる人もいます。でも、いちいち剃りあげてたらやっていられないので、その世界に慣れていくことをプロの人たちは学んでいくみたいです。

DNAという物質があることで脱神秘化できると信じる人もいれば、DNAという物質が存在することは神秘的なことに違いないと考える人もいます。要するにからくりの存在どっちにも解釈できるのです。以上のことは時計、テレビ、コンピュータで成り立ちます。機械が可能なことにこの世の神秘を感じるわけです。

たぶんそれは三角形の内角の和が二直角だったり、円周角が等しい事実を知ったときの驚きなのかもしれません。つじつまは合うもののどこか割り切れないものを感じるようなニュアンスです。

思えば森羅万象、そのような驚異に満ちてます。でもいちいち驚いていたら生活できないので、鉄が錆びていくように、感性は順応し、退屈な日常空間になっていくのです。新製品、あるいは新発見のつかの間の間、事物のアウラを感じ、そして錆びていきます。日常化し錆びてしまった事物が還元されるときが、成巫のときであり、かつ発病のときでもあるのでしょう。

ちょっとした鍵(ただし妄想あるいはこじつけ)

いつものように図書館で読書していた。 残雪「魂の城 カフカ解読」をめくっていたのだけど、なぜか私にとっては先日の例の「とおくてよくみえない」の入り口付近のビデオアート理解の糸口になりそうな文章に感じた。それは以下の文章。


では城はKに何をせよというのか?「死ね」というのだ。しかし、その死は決して肉体を消滅させる死ではない。肉体を消滅させてしまえば、Kは精神を生み出すことができない。それゆえ城が要求するのは生きながら死を体験せよということなのだ。生きながらということが前提であれば、恥をさらし、面目をつぶし、唾棄され、剥奪され、絶望的にもがき、恥ずべき惨敗を喫するといった一切が必要になる。このめちゃくちゃな世俗の肉体生活こそ、純粋な境地を生み出し、城式の新たなタイプの人格を形成する土壌なのである。城の上空からあのほの暗い白い光が射してきたからこそ世俗の汚辱にまったく新たな意味が与えられたのである。

9P  残雪「魂の城 カフカ解読」

たぶんビデオアートとの直接の関係性はないだろう。でも、上の文章を下敷きにすると、理解不能だったビデオアートに「まったく新たな意味が与えられる」。

受け手の都合でどう読むかはまったく自由である。

「ゴミになり得るアート」。ただし、受け手次第では「ゴミの身にやつしたアート」とも捉えることは可能だ。問題は残る。「ブランド」という枠がなかったらそこまで一生懸命受け取ろうとしただろうかという疑問。街中で「ゴミの身にやつしたアート」で出会っても、作品と出会えるだろうか?

そんなことを考えているうちに何年か前、田中泯の場踊りみた記憶が思い出された。
「ブランド」という枠がなくても、踊りが機能するかを見極めるために、種子島まで、あるいは海外へ行脚されるという話が印象的だった。

ブランディングの構造含めてアートなのか?アートからブランドという枠を分離してもアートとして成り立つのか?アートとは不換紙幣のように皆がアートだと信じているからアートなのか?不換紙幣を支えている構造のように作品の権威を支える構造含めてのアートなのか?わからないことは山ほどだ。

あるいはもしかしたら、一精神病者が成巫する過程と同じなのかもしれない。とりあえず、最初に信じてくれる誰かがいて、少しずつその輪が広がっていくような。最終的にはその循環が一人歩きするにせよ、最初のサイクルを作り出すためには、作品自体に力がなくてはならない。誰かに届くだけの力をもたなければならない。

2011年10月13日木曜日

鹿児島で受け取ること

ちょっとwebの中をお散歩して、「とおくでよくみえない」の紹介をさがしてみた。


たとえば、

高嶺格は、平面や立体、映像作品だけでなく、メディア横断的なインスタレーションやパフォーマンスなど多彩な表現形態で、常にインパクトある作品を発表し続けている作家だ。現代社会における不条理性を製作の糸口に、人間の行為に潜む矛盾や非合理な側面を批評的かつユーモアあふれる作品として提示している。http://www.cinra.net/news/2010/12/23/21412.php


引用ここまで。

たぶん、以上の紹介の文章みて、展覧会見に行ったら全然違う感想をもっただろう。そして、全然違う感想を書くことにあるいはなったかもしれない。

でも、それはよくありがちな読みのひとつのバリエーションかもしれない。鹿児島で読む、あるいは作品を受け取る意味について考えてみたい。たとえば首都圏ならば、身近に作家名や作品についてくわしい人がいて、いろんな集まりの中で自然に耳にはいってきて、受け取り方まで自然に耳に入ってくるに違いない。

評価のプロセス、読みの定型がどんなダイナミズムで出来上がっていくか知らない。ある集まりには力をもった人がいて、その人の読みが集団に模倣されて、あるいは偉い人の読みが歴史の連鎖を作っていって読みが定まっていくのかもしれない。

果たしてその読みは絶対的に正しいのだろうか?正当な評価なのだろうか?歴史の影に、歴史というデータベースの底のほうに世渡りが”拙”だったために埋もれてしまった魂というのも結構いるのではないか?

鹿児島は幸いというか、情報が隔離されている部分もあるので、先入観というのがないのかもしれない。もしかしたら、新しい読みができたり、新しい読みのことばをもつこともできるのかもしれない。

インフォメーションフリーで他者の読みに染まっていない処女地としての鹿児島。

私というかこの地に住む大部分の人は情報から隔離され、東京や京都の集まりに出ていたら当然入ってくる情報が入ってこなかったりして、あるいは集まりの中で交わされる対話に参加できなて、遅れていくことを短所と考えている。だからいつも目が東京や京都に向いていて、そことの繋がりが切れないことを心から望んでいる。そして、時にそことの繋がりを背中にちらつかせて在地の人を見下すことさえある。都落ちした人々に時々見られる型だ。

でも、鹿児島というか薩摩は人吉のある相良とともに日本でもっとも歴史が継続し、その結果、歴史的文献が残っている地域だ。いわばことばの根っこが日本の底の底まで根を下ろしている。そして、南には日本の原型の面影を残した南島が広がっている。そういう大地にささえられたことばは借り物ではない何かをもっているのではないだろうか?

昨日は鹿児島大学中央図書館で、東洋文庫のザビエルの書簡を読んでいた。「大書簡」と呼ばれる日本で最初に書かれた、日本を紹介した文章を読んでいた。たぶん同じ文章をゴッホもシーボルトも読んでいたのかもしれないと思うと胸が熱くなってくる。ここで絶賛されている日本人とはミヤコの人々ではなく、鹿児島の人々だ。庶民がボンズとよばれていた知識人よりも立派だと書かれている部分も興味深い。

こういったことばが歴史を超えて、この地に住む人々のことばを支えていく。自分の祖先は奄美、徳之島の犬田布という集落の出自で両親は戦後に鹿児島に渡ってきた。まあ、私は奄美2世ということになるだろう。鹿児島にある程度根っこは下ろしているけど、西南戦争を我が家の歴史としてはみることはできないような感じの薩摩との距離感はあるかもしれない。

そういった文脈でわたしは作品を読んでいる。作品の背後に作家がいて、作家は来歴を背負っている、受けてのほうも来歴を背負っている。そして作品と受け手は出会い。子供としてのテクストが生み出される。






















2011年10月11日火曜日

ほかの鹿児島人がどう受け止めたのか知りたい

「高嶺格」 「とおくてよくみえない」 「霧島」で検索してみた。
ほとんど感想がみえない。

ほかの鹿児島人はあの作品たちをどう受け止めたのだろう?

「鹿児島エスペラント」はともかくとして、とくに初期の作品について
言語化するのは難しい。

でも県内にも美術に関係した人は星の数ほどいるはずだから、
どう受け止めたのかをみてみたい。

ほんとうに「とおくてよくみえない」のは作り手から見た
受け手の姿かもしれない。

考えてみたら私もいままでいろんなものを受け取ってきたけど
受け取った結果を言語化するのはあまりなかった。

いまどきそこまで作品につきあう人も珍しいのかもしれない。

でもあのときどう受け止めたかというのは自分にとっても
貴重な記録である。そのとき言語化しなければ、印象は
忘却に消えてしまうだろう。

それにたとえ拙いことばであっても、言語化された言葉を
手がかりにして、理解していく他者という存在もいるだろう。
地域や時代それぞれの「読み」は集団的な作業なのかもしれない。

2011年10月8日土曜日

まとまらないメモ(つづき)

あたりまえの話かもしれないけども
映像作品について
こういう風に受け取ってほしいというメッセージは
一切なかった。
受け手主体でどう受け取ってもいいんだ。
どう受け取ると一番オモシロイのだろう。
今度はこっちにボールが受け渡される。
先回りして考えると
観客が受け取って返したボールを
表現者が受け取ってきた
その歴史の繰り返しなのだろう。
そして、そのゲームに気がついた人が、
郵便の受取人となる。
メッセージの解読。
映像表現ゲームとして考えると
どんなルールになっているのだろう。
表現とはある種の拷問であり、
自分とのタタカイである。
表現から逃げるか逃げないか。
何にしろ自分にはあんな
表現をする勇気がない。
表現とは自分をハダカにして自分と向き合うことだ
特に光ではなく、カゲになっている部分と、、、
言うは易し、行うは難し


文字、文化、コトバがキーワードになってた。
とおくてよくみえない、
「何が」かが書いていない。
だから受け手主体でうめてみよう。
鹿児島という文脈で見たときに思うのは
見えないのは表現であり、メッセージだ。
ブランドの影に隠れてよくみえない。
あこがれてはいても、そのものをよくみていない。
鹿児島のお茶の間からは
とにかく、画面の向こうはよくみえない。
ブランドの向こうでよくみえない。
でも、向こうからも受け手の姿は
よく見えないのではないか
手紙はちゃんと伝わっているのだろうか?
ブランドではなくメッセージを
ちゃんと受け止めているのだろうか?
自分の伝えたい何かを本当に受け取って
くれる誰かはいるのだろうか?



メディアは人と人を近づけているのだろうか?

2011年10月7日金曜日

鹿児島、霧島アートの森「高嶺格:とおくてよくみえない」初日、まとまらないメモ、まとまらないままに、、、

夕べよみさしの本の中でビデオアートという単語を知った。
うっすらと覚えているナムジュンパイクと いう人の名前も思い出した。
その昔、ビデオ機材をもっていたら、誰にもアーティストへの道が
開けているという時代があったらしい、今でいうセカンドライフに
相当する媒体がビデオだったのか。
ビデオアートの歴史という文脈を知らなかったら、
高嶺格の初期の頃の作品はやはり理解不能
だったろう。でも、情報が隔離されている鹿児島という文脈で
インフォメーションフリーの状態で
暗号解読するという楽しみもまたあるのかもしれない。以下夕べ考えたメモ。



ナザレに帰郷したイエス(のようだと本人がセレモニーで言っていた。)
美術館全体が現代アートだった。
どういう風に受け止めたか。
それぞれの人がアクター。
受け入れる。反発する。理解不能。腹の底では理解不能だけど、
ブランドもあるのだからと お茶を濁す態度。
横浜ではああいうのがインパクトあると面白がられるかもしれないけど、
なんとなく反発心が起こってくるのは保守的な鹿児島の風土に染まっているからなのか?
ああゆうのもありだよねと受け入れるまとまった層もいるのかもしれないけど、
どういうコンテクストで受け入れられているのかよくわからない。
(検索すれば、一瞬だけど、 まだ検索したくない。)
検索して一通りの予備知識仕入れたうえでさも解ったように
反応することだけはやめたい。
なんで鹿児島の土壌からああゆう表現が生まれたのか知りたい。
もしかして、鹿児島の保守的な土壌が、学校での制服強制、禿強制、
管理教育等々、 自由のなかった教育風土だったからこそ、
自由を求めて、表現する自由を求めて、
ああいう過激な表現をするようになったのではなかろうか?

「鹿児島エスペラント」について
リアルの世界とバーチャルの世界をどう統合するかと
考えたときにもっともリアルな表現の
素材として、土臭い土を選び、光の媒体でバーチャルを表現した。
リアルとバーチャルをどう統合するかという話の一つの
答えなのではないかと思った。
理想をはらみながら滅んでいく共通語と、ある種の人格のありかた
とともに滅んでいく地方語。
そして、地方語を担ってきた人たち、
地方語を忘れていく人たちが暗闇の中で佇んでいる。
(初日の会場にいないと意味不明かも。)

また初期の作品に戻って、
映像としてみたとき、確かにインパクトのある映像である。
しかし、そこまで表現するの? という気持ちになり、
そこがある意味の面白さなのかもと思ってしまう。

受け止める、受け止めない。 メッセージが伝わる、伝わらない。
世界的に有名なアーティストということで教育目的で
小学生が引率されてくる。 表現することの責任。

映像としてのインパクトがなければ、歴史の中で残らない。
でも、インパクトがあれば、歴史の中で残ってしまう。「郷土の宝」として存在し続ける。

自分が当事者だったとすると、やはり、影に隠れて、解説しそうだ。
針のむしろの上に座らされた表現者の気持ちが伝わってくる。
表現するという種をまいた結果を刈り取っているのだと思う。
ある意味郷土との対決だし、郷土との対決の向こうにしか
その先はないのだという気も伝わってくる。
郷土との対決としての表現という行為を通して、鹿児島の土壌に
何かを撒いた。その結果はどのように芽を出し、どのように育っていくのだろう。

2011年2月27日日曜日

Sela Boa監督「ぼくのおとうさん」感想文

何となくなじんだつもりになっているセカンドライフの風景が
また違って見える感じの映画だった。

画面に映っている場所とか要素とかはそれぞれをとってみると
広いセカンドライフのどこかにはありそうなものが映っている
のだけど、ストーリーにして、作品になってしまうとなんだか
現実世界ともセカンドライフとも違う別世界のようになってし
まう。

これって何だろう?て思ったときに、物語の存在がそうさせて
ることに気がついた。

確かにセカンドライフの中にも物語は存在して、イベントとか
チャットとかいう形で物語は存在するのかもしれないけど、劇
的な空間というよりももう一つの日常空間て感じがする。

一方作品の中の世界は、いつものセカンドライフの中の世界と
いうよりはセカンドライフと日常世界の中間のような質感が実
現されていて、物語が存在して、当然だけど劇的に展開する。

仮想と日常と劇的という言葉が入れ子状に重なって映像空間が
成り立っているように感じました。
たぶんこれは作品中の人物や世界が生き生きしている感じに仕
上がっていることから来ることでしょう。

いつも仮想世界にいると逆に現実世界のことを反省的に考えた
りするのですが、物語作品という要素が入ることによって、劇
的かどうかは分からない第二の人生について反省するのですね。
舞台と衣装と大道具小道具はそろっているけど、脚本と俳優は
あるとまでは言えない第二の人生についてですね。

本当は形式のことなんか忘れてストーリーの内容にどっぷり浸
りこむべきだったのだけど、映画で展開されてる映像世界とセ
カンドライフと現実世界が合わせ鏡の万華鏡のように乱反射さ
れていろんなイメージが浮かんでくる映画でした。

開けてびっくり玉手箱、玉手箱の中に入ってたのは世界を覗く
万華鏡でした。映画という道具も原初的にはそんな道具だった
のでしょう。

2011年2月3日木曜日

リウマチの痛みで発作はおきなかった

ここしばらくの問題はささいなこと、たとえば一瞬何かを
思い出すことなどで、トリガーがひかれて気分が不安定に
なるというものでしたけど、仕事の負担がなくなったことで
ここ半年、割合快調でした。

さて、節々がいたくなって、関節リウマチの診断も受けた
のだけど不思議なくらい「発作」はおきてません。

非定型精神病と関節リウマチ抱えても病気自慢にこそなれ
将来を悲観するとか今の段階ではなっていないようです。
ただし病気自慢といっても冗談なので真に受けないでくだ
さいね。

昔のフジカラーの宣伝の「それなりに、、、」というのが
あったけど、まさにあの言葉なのです。

それなりの幸福感なのです。まだ飲みかけの缶コーヒーが
残ってるとか、人生もう夕暮れ時なのかもしれないけど
あとしばらく遊べそうだとかそんな気持ちですね。

ささいなことで発作がおきて、頭がくらくらするかと思
えば、精神患者独特の構えみたいなのがあって、わりか
し急速に節々痛くなったのだけど、意外と心理的にがた
がたになっていないのです。しぶといです。

脆弱さとしぶとさの関係よくわかりません。もうすでに
ほころんでいるのでさらにほころんでも耐性があるのかも。

あと、要求水準高くして気に病むとさらにほころんでいく
と思っているかもしれないので力を抜いて自然のいとなみ
に任せているのかもしれません。

2011年1月23日日曜日

人生の上手な負け方

”人生の上手な負け方”って検索してみたのだけど、一件もなかった。
思えば、人生の勝ち方を教えてくれる参考書はたくさんあるけど、
負け方を説いてくれる本は案外すくない。せいぜい倒産本くらいなもの。

栄華をつくしても、最後はすってんてんになってあの世へいく。
負け方には負け方の作法というか苦しみをなるだけ少なくしたり、
負けて勝つような不思議な負け方があったり、工夫のし甲斐も
あるのではなかろうか?

なぜこんなこと今日は考えているかといえば、先日リウマチの診断
受けたからだ。非定型精神病の精神症状をやりすごしている過程の
中でリウマチにかかったと私は勝手に解釈してる。

その状況下なりのベターな生きる姿勢はきっとあるだろうというのが
今日の思索のテーマだった。

2011年1月17日月曜日

データベース上の戦い

データベースといっても個々のデータベースではなくて、
検索空間のことである。
検索空間とはある文字列を検索したときに展開する一次元
の順序空間のことを言っている。
私は気になる言い回しが浮かんだら検索してみて文例を見
ている。

同じようなやり方は「ウェブ進化論」とかネーミングの世
界でも頻繁にされるが、単語レベルではなくて句や文でやっ
てみるのも面白い。

新しい文字列が出てきても意味が十分育っていない場合が
ある。水や肥料をやって新しい文字列を育てる場合もあるけど、
私も忘れてしまうことも多い。

水面下で言語空間はカオス的な進化を遂げているのかもしれない。
「幼年期の終わり」のように私たちの孫世代は理解不能な宇宙人の
ような精神を獲得しているのかもしれない。多分私の世代で十分
上世代にとってはニュータイプかプロトタイプで理解不能に違いない。

P.S ”検索空間”で検索したら次の用例がでてきた。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~fullchin/aso/f+b/09/09.htm

”検索空間”と表記してもそこから立ち現れる意味は人それぞれみ
たいだ。言葉って誰のものなのだろうかとかデータベース上での意
味の争奪戦とかいろいろ考えてしまう。

P.S2 ”データベース上の戦い”って自分はどんなイメージを込め
ているか書き忘れてしまった。twitterをはじめとして自己コンテン
ツ化みたいなものが進行するなかで、マスメディアの業界関係者ばか
りでなく一般の生活者もメディア戦士としてデータベース上での陣地
争いに参戦することになるのでは
ないだろうか?

一般消費者が人生の消費者となりそれぞれの人生脚本を背負いながら
一種の俳優として切磋琢磨する。RLで出会いが起こったときに双方の
背後にスタンドのようにアバターもしくはキャラクターが立ち現れ、
心理戦、プロパガンダ戦が展開するそんな近未来をイメージしてる。

生活全面のエンタメ化といってもいいかもしれない。生きた証として
データベース上に足跡が残り、アニメのキャラクターや歴史上のキャ
ラクターと関係をもったり、戦いなどしながら、有象無象の一人とし
て検索されるその日を待つのであろう。