Setsuna Infinity: 皆さんも少しそうかもしれないと思うのだけど その場(RLの自室等、生活の一部)にいながらにして【
これについて自分なりに考えてみたいと思います。
前から仮想空間の意味についてわからないことがありました。
空間表現の意味です。単なる背景であり、演出の一つに過ぎないのかと。
雨が降らず、ものを食べることもできず、形と機能は一致しないことの多い仮想世界
での空間表現の意味です。
美的意味、構造の説明、、、まあいろいろあると思うのですが、
一つは場の状況を表現していると思います。
共有された場の性質、あるいは意味を限定する働きです。
典型的には結婚式場、テレビのスタジオ、舞台などですね。
そこは何をする場なのか、どんなことが話されるべきなのかを限定したり、
拡張したりする機能を空間表現はもっていると思います。
拡張という用語を使ったのでこれについて考えてみたいと思います。
典型的なのはラジオの現場ですよね。現実世界のラジオの現場は客席のお客さん
は無言で舞台の上のやりとりを視聴しているわけですね。
でも、セカンドライフ上のラジオの現場では、DJさんがものを言うのに対して、
客席ではリアクションとしてチャットで書き込んだりします。それがフィードバックに
なって現実のラジオでは起こらないかもしれない発信者と客席の一体感みたいな
ものが起こるのかもしれません。これもある意味、小さな場だから可能なことでは
あるかもしれませんが、実験的な試みがいろいろ起こりそうな楽しい現場です。
私は行動圏狭いのでよくわからないのですが、仮想世界上のCafeも拡張の現場
になりそうな感じがします。
ラジオにしてもCafeにしても現実世界から制度が移入したものだと思うのですが、
仮想世界という文脈の中で新たな機能がついたり、意味合いが少しずつずれて
きたり、意識的に現実空間での対応物と意味をずらしていったりとかあると思い
ます。
セカンドライフ内の空間表現は一種のアートであり、用途をもたない、
そういう解釈も可能だと思います。
でも、用途をもたないはずの表現もある文脈の中では機能をもってしまう
ことも確かなことで、そういうことについてきちんと意識化し、言語化して共有
することは大事だと思います。
表現って一般に表現者本人の中で完結するものではなく、社会に放たれた
途端に一人歩きしはじめ、だれかに受け取られます。
いわば領収証としてどう受け取ったかも言語化してみると面白いと思うの
ですね。
それは『メタバース概論』の授業一つにしてもそうであって、月日が経ってしまうと
それはどういうものであったのかということもだんだん曖昧になってきます。
一票、投票するような気分で感想を書くことに意味はあると思うのですが、
同時に記録として残ってしまうことに責任も感じてしまいます。
まあ、それは表現というものはひとたび発信されたら一人歩きしてしまう
ということにまつわる宿命みたいなもので、この文章すらも発信されてしまう
と同じ運命をたどります。お互い様なのです。
せいぜい皆さん発信者としての責任をもちましょうということなのかもしれません
けど、私にも意味のわかっていない言葉であって、これからその意味をかみしめ
なくてはいけない思いをたくさん味わうのかもしれません。
覚悟しないといけないのは私自身なのかも。
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