はじめての方へ

私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。

P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。

p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。

P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)

P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)


2013年3月31日日曜日

知恵ある弱者として一つのことを考え抜く

考え抜くってとても難しいことのように思う。
たとえば数学の問題を一週間考え続けるような
こと。話としては聞いたことはあるけど、実際に
そういうことをやったことはない。

一つのことをパズル的に考え続けるってどれくらい
の間やったことだろう?あまり自信はない。

ただ、繰り返し頭に上る問いはある。

何がやりたいのか?目的地はどこなのか?
そもそも、今の段階から到達可能な目的地は
どういうものがありうるのか?

それを知るためにはどうしたらいいのか?
地図みたいなものはないのか、、、などなど。

働いている間は見かけの目的地は組織が作ってくれる。
でも、それは見かけであって、本当の自分の目的地は
また自分で考えないといけない。そうでないと組織から
離れた後、困ってしまう。

自分で目的地を選択できる人は案外少ない。
だから、世間のほうが何かとお膳立てしてくれる。
むしろ自分本来の目的地などと考え出すと得てして
逸脱した人生を送ってしまう。

自然自身もお膳立てしてくれる。好きな人ができて
子供が生まれというカタチで。プログラムの企みに
抗わないほうが幸せな人生ともいえそうだ。

人生というRPGには裏ワザはないのか裏のシナリオは
ないのだろうか?などという疑問がもたげると、少しずつ
ストーリーは狂い始め逸脱してしまう。

人間自体が自然のプログラムから逸脱したように
個人というものも社会のプログラムから逸脱してしまう
のもある種の必然かもしれない。

そういった経路をとってしまった場合の軟着陸の
方法って何だろう?おとしどころってどこだろう?

「滅び」というものが自然が用意した落とし前だと思う。
詰将棋を楽しむような感じなのかもしれない。
「滅び」は必然だとしても意外としぶといのである。

人類に滅びが訪れるような感じで私も滅んでいく。
といっても、明日あさってにその日がやってくるといった
切迫感はない。

昨日までできたことが今日はできなくなり、
今日できることが明日はできないという感じで
やってくるのだろう。

今は世間は去年できなかったことが今年できるようになり、
今年できなかったことが来年はできるようになるといった
感じで時間は流れているように見える。

文化的中心地ではたしかにそのように。でも、周縁や
限界域ではそうでもなく、そうでもなくなった地域では
いつしか地図上に地名だけが残る。多くの人は人名だけが
残るように。

どこの地方都市でも滅びの詩は聴こえてくるのではない
だろうか?新聞の片隅の小さな記事のなかなどに。

滅びを悟った植物は花を咲かそうとするのかもしれない。
同じような気持ちでせっせとものを書いたり作ったりする
のかもしれない。花を咲かせ、実を結ぶと寿命が尽きてしまう
植物は多い。滅びゆく箱舟から遺伝子を取りあえず外に
出してしまおうとする戦略だ。遺伝子に生き抜く力があるか
どうかは考えの外。とりあえず精一杯の力を尽くして次の
世代に命を託していく。

滅びと対峙したときにイエというものをどうやって残すか?
みたいな戦略もまた生まれたのだろう。

人類が滅んでも生命の歴史がそこで枯れないのなら
人類が生み出した遺産を生かしていく存在も悠久の生命の
歴史の中から生まれ出てくるだろう。

なんだかわけのわからないことをくだくだ書いてしまった。

P.S 暗い話みたいに見えるけど、滅びというものと対峙
して初めて、ではどうやって残すかという発想やら戦略やら
生まれてくるのではないかということがいいたかったこと
かもしれない。

P.S またしても羊頭狗肉な文章書いてしまった。
即席で書く文章なんてそんなものである。
表題のテーマ自体は有意味でありそうなので、
我と思わん方は続きを考えてほしい。

何気なく独創的なのがカッコいい

自分が「何気なく独創的だ」などと言い立てるつもりはない。
そうではなくて、なんだかそういうものに憧れちゃうって話。

私は憧れからいろんな世界を目指す人をどちらかというと
軽蔑したりする傾向もないではないのだけど、そういう私も
なんだかんだと憧れていると思う。

「憧れ」って象徴的な言葉だと思う。

大空への憧れ
深海への憧れ
未来への憧れ

憧れから一生を棒に振ってしまう人もいれば、
才能と努力と幸運のおかげで憧れの一端を掴んで
しまう人もいる。

愚にもつかぬ話はさておきとお題に戻る。
「何気なく独創的なのがカッコいい」と書いた。要するに
これはファッションの話なのだろうか?

スタイル、これもファッション用語でもあるけど、
ファッション以外の世界でもよく使われる言葉だ。

ファッション、服飾、見た目、、、、
独創的に見える、見せるという話。
生き物でいえば表面の模様の話、
蝶の羽や鳥の羽毛のようなディスプレイ。

トリニトロンだのジンクピリチオンだの広告に
散りばめられるわけのわからないキーワード。
最近テレビみていないから古いものしか思い
浮かばない。

「選ばれる」というキーワードが浮上してくる。
独創的という用語がつかわれるとき、だいたい
それは選別のときに目立つという意味である。

話をランの世界に移してみる。
ランがたくさんたくさん映った写真集とか図鑑みた
人は読み手の中にはいるのだろうか?

図書館に一冊ぐらいそういう本があるから手を
伸ばしてほしい。

植物の多様性の見本みたいな世界だと思う。
風景の画一化が進む一方ではあるけど、
その裏面として水面下で進みつつある別の動き
をイメージするのにちょうどいいのではないかと
思ったりもするのだ。

私はなかでも「ミニチュアオーキッド」と呼ばれる
一群のものに惹かれる。ビッグな存在に対する
アンチテーゼみたいな世界。ミニチュアだけど
巨大な切手サイズのCPUみたいな感動を覚える。

https://www.google.com/search?hl=ja&q=miniature+orchids&bav=on.2,or.r_cp.r_qf.&bvm=bv.44442042,d.dGI&biw=1208&bih=1054&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&ei=6e9XUeKpIMqOlQXAo4CQBw

フラット化の行く先を象徴してるかに勝手に思っている
のだ。

P.S 今日の文章は支離滅裂だったかもしれない。
本人の中での連想ゲームのような感じだったかも
しれない。熱帯雨林の魅力的な生物相みたいに
ネットが育てばいいなあと今でも思っているのだけど、
そういうところから出てきた発想だ。

私にとってはファンタジーと化した熱帯雨林だけど、
リアルなところは進化しては滅びといったサイクルが
早くて、泡沫のようにそれぞれの生物種は消え去る
のではないかとも思っているのだ。

うたかたの存在として才能と幸運に恵まれたものは
ひと時の間、世の中の表面に現れるといった傾向は
これからも加速し続けるのではないかとなんとなく思う。




「自分の中から出てきたもの」という言葉の陳腐化について

ネットの時代はすぐに言葉が古くなるなあと思う。
「自分の中から出てきたもの」という言い回しは気にはいってる
のだけど、自分の中から出てきたものではない。
どこかで取り入れたものだと思う。

検索してみるとボロボロ出てきて、今の時代多くの人が
自分の中から「かけがえのないオリジナルなもの」を取り出そうと
して四苦八苦しているのがわかる。

できないことはないけど、オリジナルっぽさという点で
似たような色合いになりそうなことが避けられない。

多くの人が考えるところのオリジナルっぽさというのも
どこかに手本があって、しらずしらずのうちに手本のほうへ
引き寄せられてしまう。

だからそのうちまた風向きが変わると思う。

昔の人はどうしてたかというと、権威ある古人の影に隠れよう
として、自分なるものを消していたみたいだ。

自分によるものではなくて、古人による権威あるものだ
という風が具合に。要するに自分ごときものの生み出したもの
などに普遍性はないのである。

その方向に世間はまた振れるのだろうか?

言葉が古くなるのなら、いっそのこと枯れた言葉を使う
という手がある。化石化した当たり前の当たり前の常識みたい
な話に光を当ててみる。

「はじめ言葉ありき」なんかどうだろうか?

世間はどうあれ、「自分は自分の道をゆく」というのもいいけど、
検索ばかりしている私は気づかないうちに土台のところで潮流に
流されているのだろう。地球が動いていることにも、太陽系が動いて
いることにも全く気がつかないように。

逆にテレビ、雑誌あまり目を通さないことで、世間の感覚とずれて
しまっていることに微かな後悔を感じている。


今まで書道の世界にちょっとした偏見を感じていた。
とくに習い事の世界だけど、模倣ばかりで個性がないじゃないかと。
個性は我流として退けられる世界があまり好きではなかった。
こういう世界では伝わったものは先人の試行錯誤と知恵の結晶みたい
なものだと受け取られる。科学でいうところの巨人の肩に乗るという
世界だ。でも、どういう風な意味合いでの先人の試行錯誤と知恵の結晶
なのか?そこをきちんと解説してもらえると有難いし、抽象化したりして
他の世界にでも移出可能なものになるかもしれないとも思うのだけど、
そのへんは秘伝なのかなあ。

武道の世界では秘伝に現代の光をあてるみたいなことはよく
やられているみたいだ。

情報の時代なのでミームの交配親としてのアイデアみたいなものは
すぐに見つかる。それらを使って何がやりたいのか目的をはっきり
させる必要はあるし、目的自体は自分の中からしか出てくるはずが
ないものでもある。よくある比喩はホームセンターで売られているもの
を組み合わせて、発明品をつくるみたいなことだけど、世の中全般
が似たようなものなのかもしれない。

「自分の中から出てきたもの」などと脅迫観念的に考えないで、
今夜の料理なにを作ろうかとスーパーマーケットをうろうろするみたい
な軽さでものごと考える態度がいいのかもしれない。

またわけのわからない比喩的な文章になってしまった。

2013年3月30日土曜日

描いた後に残る嫌な感じ

また、イラストレーターで何かつくってみたのだけど、
今日は描いた後に気分が悪くなった。

30代のころに寝入りばな目をつむるとあらわれる
マンダラ模様みたいなものがあって、それをモチーフに
して何かつくってみようと思った。

描いているうちになんとなく鳥居のキャラクターが
描きたくなり、鳥居が円みたいにも見えてきたので
描き足し、天使の輪みたいなものまでつけたしたく
なってきた。


春めいた日なのかそういう象徴的なモチーフを描きたく
なったのだけど、描いた後で気分が悪くなってきた。
体全体になんだか変なイメージが染みついたような
感覚が出てきた。それは否定的なイメージの自分みたい
な感じもした。うさん臭いような、いかがわしい下心を
ちらつかせたようなそんな感じだった。鼻水かなにか
青汚い粘液が固まりかけたようなイメージでもあった。

「真面目なんだな」と自分で思った。意外と信心深い
ようなところもあるんだ、と思った。

自分の中から自分のイメージを取り出すみたいな
感じのことを続けてきたのだけど、出てきたものは
正視できないような醜いものだった。

忘れてもいいのだけど、一応カタチにして対象化
してみようと思ってこうやって書き出している。

目をそむけず対峙しなければならないような気も
した。それが否定的な自己イメージであり、自分の
影なのだからと。「やっぱり真面目なんだ」と苦笑い。

象徴的なモチーフはすごく臭う。憧れと下心と微かに
私自身の青汚いものまで。象徴的モチーフ自体は
清らかなものであると思っているけど、ある欲望を
背景にして描かれるとこうなってしまうのだ。

ここ数日嫌なイメージがちらちらしたのだけど、
いよいよハッキリと輪郭を帯びるようになってしまった。

どう対決したものか。

P.S 今日の文章は自分用のメモみたいな文章です。
読んでみても何も伝わらないかもしれません。

2013年3月29日金曜日

症状を育てること

何となくだけど、脳の症状は独特だと思う。
私の場合は悩んでいるときの頭の痛さみたいな
感じのものがでてきたとき。

「まただ。またやってきた。」
とばかり、それを味わってしまう。

こうやって書くことは吐き出していることになるのか
固定させていることになるのか、きっと両方なのだろう。

イメージすることによって、そしてイメージが繰り返されること
により、痛みのイメージの輪郭はよりくっきりしていく。

痛みに関係する神経細胞も育って?いくのだろう。

「発作」と勝手にラベルをつけている憂鬱みたいな症状は
しゃっくりにも似ている。

しゃっくりがおきると気にしてしまい、さらなるしゃっくりを
誘発させてしまうような。

それでも、それもどこかで底をうち、いつしかしゃっくりを
忘れ、しゃっくりが止まってしまう感じとも似ている。

しゃっくりと違うのは日単位で症状がおきることだ。
以前書いたことかもしれないけど、最初の頃は3時間我慢すれば
あるいは、一眠りして意識を落としてしまえば収まるのだった。
でもあるときから、次の日も、また次の日もというように続くように
なった。

書くことによって、表現することによって吐き出しているとも
固定させ、水路を作っているともいえる。

あまり説明しすぎる患者は危ないとも書かれている。
多くを与えすぎる患者は危ないとも。

引き出すことは眠りから起こすことでもある。
そういう意味ではハラハラ感もたまに感じるときもあるのだけど、
まあ、軽い患者に属しているから安心しながら書けるのだろう。

心の安定の層の薄さについて

久しぶりに調子が悪くなって目下苦しんでます。
といっても苦しみの程度はそう大したこともないのです。

状態は頭が微かに混乱するような感じの頭痛というか
憂鬱症というかそんな感じです。

きっかけはメール一本でした。なんでもないような話だった
のですが、それで悪くなりました。

嫌なことは歳のせいかひとたび調子が崩れると次の日も
崩れることです。案の定、今日も崩れこんな感じです。
昨日の午後とかなんでもなかったのですけどね。

いつも思うことは心の安定の層の薄さです。
比較的平穏な時期がずっと続き、症状は消えたのでは
ないかと内心喜び、また若干ある種の寂しさも感じるわけ
ですけど、安定の層は薄いのです。

寂しさもまた感じるのは病気とともに生きていたという
感じも強く、アイデンティティの一部となり、病気であること
さえ取り外されたら何も残らないのではないかという不安
かもしれません。

安定の層、心の安定を地層みたいな感じのイメージで
とらえてます。毎日、時間という布団とでも毛布とでも
イメージできるようなものが降りてきて時間の層をつくって
いきます。

安定な日が続けばつづくほど層も厚くなって不安定には
なりにくくなるような感じです。不安定化のスイッチがどこ
にあるのか分かりにくくなるようなイメージでもあるのですが。

それでも全体として安定の層が薄いと思うのは些細なこと
で崩れて、不安定な日が続いてしまうからです。でも、完璧
に病気の相が変わり不安定な時期がやってくるようでも、
今回はないような気がします。

病気の相が変わってしまうような不安定さを水面下に抱え
ながら、日々表面上は安定しているような感じということ
なのでしょうね。それはみなそれぞれ大なり小なりそういう
ことなのでしょうけども。

P.S 非定型精神病は予後がいいと書かれるだけあって、
調子のいいときは病気のことを忘れられる場合もあるの
かもしれません。診断名があるから病気、薬を飲んでいる
から病気という発想もあって、医療から離れる人々もいる
らしいです。かなりの確率でそういう人は再発する
といわれていたので私も薬飲み続けていたのですが、
長い間、診断名がついた状態にいて、薬を飲み続ける
というのも何か別の意味で病気を固定させてしまうような
気が最近になってします。それでも、今の私はそんなに
悪い状態でもないので、まあそれでよしということなのかも
しれません。

2013年3月26日火曜日

文章から漂ってくる影の部分

たぶんこのブログお読みになっている人には分かるかも
しれないけど、いろいろ嫌な要素も漂っているように思う。

それは人の中にある欲望、よく思われたいとか、他人を
癒す存在でありたいなどといった
どうしようもない醜悪さだと思う。

みんなそれぞれ、人間だからそういった醜悪な部分は
隠し持っているように思う。

病識があること、これは病気の回復、服薬の継続、
再発の防止と関係している。

同じような意味で自分もまた動物的欲望臭を漂わせている
ということを自覚していることでよしとしなければいけない。

それ以上追及すると、今度は自虐に陥ってしまう。
自分が好きで好きでたまらない、他人はどうでもいいという
のも病理だが、自分が嫌いだというのも病理だ。

極端にならない程度に自分が好きというのは健康人と
いえるだろう。

人間が業が深い存在であることは、別に坊さんでなくても
ちょっと考えてみたらわかることだし、坊さんだって袈裟の
下には業を背負った普通の身体があるらしいことも
ちょっと想像力を使うとわかるものだ。

同じことは精神科医であれ、心理療法家であれいえると
思う。

言わぬが花ということでそういうみっともない部分は社会的
仮面(ペルソナ)の下にそっと隠し、家族だけが外向きでない
顔を知っているのだ。

私も同じくだと思う。でも、理想みたいなものはきっと持っている
し、こうありたい自分みたいなものは持っているのかもしれない。

どちらかというと表現している部分はこうありたい自分のほうに
むしろ近いだろう。だから、近くに寄れば寄るほど、同じ時間を
過ごせば過ごすほど、そうでない部分が見えてきて幻滅させて
しまう。それも自然な営みなのだろう。

嘘で塗り固めるわけにもいかず、長い間には大体どういう人間
であるのか薄らとながら察してしまう。

それでも多分その人間の表面しかみていないとも反面思うのだ
けど、少しずついろいろなことが漏れ出してしまうのだ。

逆にそこらへんに人間の面白さを感じてしまう。人間は神様や
天使にはきっとなれないと思うけど、何か光輝くものに憧れ
それに近づきたいと虚しい努力を続ける存在だと思う。

だからこそ物語を楽しみ、アニメやドラマに夢中になるのだと
思う。そこにモデルとしてのキャラクターがいるから。そして、
ものすごい粗雑な近似だけど、メディア自体がモデルとしての
夢の世界だ。

メディアはどんどん身近なものになり、一人ひとりが
メディアをもつ時代になった。紳士服をサラリーマンが着ている
ようなものだ。

今は大ざっぱに言うと紳士服を着始めた世代に当たるのだと思う。
まだ、紳士服に下駄といったちぐはぐな感じでなんとなく私を含め
世間の人は「着こなしている」段階だと思う。

だから外からどういうふうに見えているのかよく自覚できない。
考えようによっては面白いともいえる。どんなにとりつくろっていても
本当の自分がちらちら外套の下にちらつく。

観念して恥をかき続けるしかない。

P.S 文章は生の身体表現よりもより社会的仮面としての要素が
大きい。でも完璧に制御することもまたできないから、本人が思っている
よりも多くのことが伝わってしまう。究極的には内側を浄化する手立てを
考えるしかないのだと思うけど、中には俳優的才能を生かして技巧的に
自己を演出できる人もいるかもしれない。

P.S 多分私は他人の言葉から発散される臭いに敏感なのだと思う。
その裏返しで、自己臭恐怖めいた書き方をしているように感じる。
もうちょっと寛容になったほうがいいのかもしれない。他人にもそして
自分にも。そういうのを成熟といっていいのかもしれないけど、なかなか
そうした段階にはいきつけない。思考伝播めいた神経質さも気になる
ところ。そこまで他人は目を皿にして文章読んでいるわけではないし、
文章って伝えようと思っても伝わらないくらいだから、伝わりすぎると
心配しないでもいいのかもしれない。

自分の世界を育てること 里山のように

なんとなく思うのだけど、自分の世界って一括セットで購入する
ように持つものではなくて、庭やら里山のように育てていくもの
なのではないかとなんとなく思う。

今、自分でやっているやり方は可視化だと思う。
ここのブログなり、セカンドライフなりとりあえず目に見える形で
「自分の世界」とやらを外に出してみる。

あるいは自宅の自分の部屋の配置でもいい。
そうやって見える形に取り出して、眺めて考える。

さて、次は何を置いたらいいのだろうか?みたいな。

最初から全部作り出そうなどとは思わず、植生遷移のように
歴史の力を借りて、少しずつ変えていく、そんな感じだと思う。

植生遷移、生態系の移り変わりみたいなもの。
火山噴火などでできた、荒地にコケが生え、イタドリが生え、
ススキが生え、オオヤシャブシが育ち、、、みたいなもの。

パクリでもなんでもいいから、取りあえず何か好きなものを
生やしていくとそれを足場にして次の何かが生えてくる。
鳥の足についた種が落ちるようにして、偶然が次の種を
運んでくるかもしれない。

なんとなく最初に選んだ何かは縛りとして機能して、
自分の世界という森の骨格を作ってしまう。だから、選ばない
といけないという考えもあれば、それも一興という考えもある。

一つのオブジェクトだけ、素材から何から手作りしてみると
いうのもまた一興かもしれない。素材から何からというもの
の割合を増やしていくと、森、すなわち自分の世界全体としての
固有度も上がっていくだろう。

歴史の力を借りて、といういいまわしは歴史はねつ造できない
のではないかと思う考えによっている。もちろん、歴史の記録
などは都合よく書いたものでフィクションに近いのかもしれない。
それでも、その裏側にある歴史そのものは、時間が作り上げた
何かであって、いちどきに出来上がったものとは違う。
これは生活の匂いのする町並みをみてもわかると思う。

いままでの話、自分で考え付いたのかというと受け売りに近い。
ケビィン・ケリーの『複雑系を超えて』という本で書かれている
考え方によっている。肉付けは自分なりに他の本から読んだもの、
人から聞いたものさまざまだ。

そういうわけで骨格になる考え方自体も自分で生み出したもの
で必ずしもなくてもよいような気がする。自分で気にいった既成
の考え方があれば、それにこれまたどこかで読んだ本の話で
肉付けしていくというのもアリだと思う。

優れた骨格など、そうそう自分で生み出せるものでもない話だ。
むしろ出典を明かしたほうが誠実なような気がする。

生き物だってそうしてる。脊椎動物という系統は一回限りの進化
であり、以後の生物はそのシステムを継承している。だから、
とくに骨組みレベルの話では模倣することを躊躇する必要はない
と思う。何故なら骨組みレベルの話は全体としての体制に縛りを
かけて、その時点での選択自体があとあと響いてくるからだ。

もちろん、骨組みレベルで違えば、出来上がりは随分と違ったも
のとなり、ある意味オリジナリティ高いものにはなると
思いもまたするのだけど、、、

P.S ケビンケリーの『複雑系を超えて』の何を参考にしたかという
と「成長させるやり方」だ。曰く、地球規模の電話ネットワークをもう
一度構築するとするならば、最初から成長させるような感じで
構築するしかないだろう、みたいな話である。この本には壮大な
話が多かったように思うけど、自分サイズで使える話に作り直し
ていたのかもしれない。

2013年3月24日日曜日

名文・迷文ー逃げも隠れもできず、とほほ

前の文章書いているうちに、”名文迷文”というキーワードを
思いつき検索にかけたらちらほら引っかかった。

要するに文章というものは逃げも隠れもできず、その人を
あらわしてしまうらしい。

ある意味居直るしかないわけだ。どうしても自分なるものが
出てきてしまうから、文章を変えるというよりも、自分自身を変え
ねばならないらしい。

自分に気づくというアプローチはアリかもしれない。
書きつけているうちに気づきも多くなる。そういう部分を伸ばしたら、
という感じのヒントはみつかるような気がする。

言葉を文章上でこねくるだけのことだから、抽象的であって、
具体的なことは実生活の上で見出さないといけないという弱みは
もちろんあるだろう。

それにしても、ひとかけらのヒントがあるかないかは大きな違いだ。
前の文章の「奥が美しい文章」というものもその文字列がなければ、
思いつかない人だっているだろう。私にしても表現自体はさっき思い
ついただけで、ネット上でもまったく同じ表現にはまだ出会っていない
のだから。「名文迷文」というキーワードよりも言葉の世界の奥のほうに
眠っていたということになるのかもしれない。

そこでいうところの言葉の世界って何だろう?まだ世の中に飛び出して
いない言い回しの中にもネットの表面近くにあるものもあって、それら
は一ひねりしたら出てくる。あるいは出てくるのは時間の問題というもの
もある。一方で思いつき難いといういいまわしもあるのではないだろうか。

有用でないという意味で出てこないというものもあるだろうし、非常に
有用ないいまわしでありながらまだ誰も思いついていないというものも
あるだろう。

前も書いたけれど素数を見つけ出すのと何となくにている。前も書いた
ように手計算で素数が見つかる時代に相当しているのだろう。ネットの
進化もすすめば有用ないいまわしもだいたい見つけつくしてしまうという
こともあるのではなかろうか?

全然関係のない話に飛ぶのだけど、心理療法のあーでもないこーでもない
という対話も珠玉のひとことを見つけるために散々時間を潰しているのでは
ないか?その割にはクライエント側にはそれが珠玉の言葉であるという価値
判断ができないためにせっかく掘り出した言葉を忘れてしまうことも多いので
はないか?まあ、忘れてしまうくらいだからそう大した言葉でもなかったのかも
しれないけれど、「良賈は深く蔵して虚しきがごとし」という前回の文章に書いたことわざ、
ある時期の私にとっては宝物みたいな言葉だったけど、しらないうちに忘れてしまっていた。
人間とは意外とそんなものかもしれない。

自分にとっての珠玉の言葉を見つけ出したところで、生活史上の分水嶺を迎える。
もちろん何がその人にとっての珠玉の言葉なのかは人それぞれ。
たった一つの言葉が扉になって新世界へ招いてくれることもあるから言葉というもの
は疎かにはできない。言葉をこねくるのにも疲れてきたのでこのへんで。

P.S 迷文というのは「何をいっているのかわからない文章」らしい。一つの文章中に
いくつも主題を放り込むとそうなりやすい。そういう文章はこのブログ中には散見される。
まあ、とりとめのない雑談のようなブログなので容赦してもらいたい。ある文章全体という
よりも、文章中でひらめいたカケラに私は期待している。川底の砂利にエレクトラムと
呼ばれる砂金が混じるように、稀にそういうものも見つかるかもしれない。労多くて益少なし
というか私の文章読んでいても、珠玉のカケラなどわずかに見つかるだけかもしれない。
もともと川砂からの砂金堀りの歩留まりなんてそんなものである。

奥が美しい文章ってどうやったら書けるのだろう?

奥が美しい文章ってどうやったら書けるのだろう?

まずはそういう業の深そうな欲をもつこと自体をやめること。

美しい表現技巧を学ぶというよりも、心の裏を磨くこと
などといった平凡なことはすぐ思い浮かぶ。

奥が美しい文章にどうやったら見えるのだろうか?
みたいな発想もある。でもそんなことやればやるほど、
いやらしい文章になるのではないかと思う。

完璧な偽物をつくりたいという「技術者」もいるかもしれない。
そして、そういうことが可能な時代でももうすでにあるのかも
しれない。

「奥が美しい文章」なんて表現自体、検索の時代でなくては
思いつかなかった。それこそ、自分なりに検索を使い続けて
たどりついた文字列だ。

表面をわざと稚拙に書き、なるべく荒いタッチで書くようにして、
なおも自分のこころの「美しさ」が伝わるように書く。

自分で自分のこころが美しいなどと書くぐらいだから、
海千山千の妖怪に違いない。

それでもその先にあるもののことを自分なりに想像してみたい。

始まりのとっかかりは「月の兎」という仏教説話だ。
貧しいみなりをした仏様が兎たちの住んでいるところにやってくる
といった話だと思う。

ファッションで裏地に凝る人もいる。そういうことも頭の片隅に
おきながら、奥が美しいという事態について考えてみることにする。

「良賈は深く蔵して虚しきがごとし」、こういうことわざもある。
実はこの言葉忘れてたのだけど、あれこれ苦労して検索ワードを拾い出して
ネットの海の中から引っ張り上げた。検索に苦労してみてわかったのだけど、
言葉を覚えていたらすぐ引っ張りだせるものでも、忘れかけていたら、手がかり
になる検索ワードを思いつくのも一苦労ということ。

自分で苦労して見つけ出した文字列を「ネットの海に放出し」誰かの手柄に
なるなんて、ばかげた話かもしれないけど、それで、そういう文章もありうる
のではないかと何人かの人が思えば、それもいいのではないか。

リスペクトもなく、パクる人は鬼畜だと思う一方、発想の素材として釣り上げた
文章に対してはこっちもさほどリスペクトしていないわけだからお互い様
なのかもしれない。それでも、原テクストというものはありうるかもしれないし、
比較によってそれは明らかになるものだと勝手に思っている。

まあ、素材としての文章を踏み台にして高みに上がった文章ができあがった
としたらそれはそれでお祝いしてあげるべき文章かもしれない。いよいよ、
奥が美しい文章から遠ざかり、裏にある世俗的なぎらぎらした欲望臭ただ
ようといった風情になってきた。それもきっとニンゲンなのだと思う。

カンのいい人なら「奥が美しい文章ってどうやったら書けるのだろう?」という
表題だけで十分で、あとはこの文章に書かれた断片など利用しながら、
続きを考えてくださるだろう。ある意味、このブログは問題集的な要素も
多いかもしれない。

P.S 文章の表面にはなかなか表れていないが、奥には美しいものが
あって、何度も読んでいくうちにじわじわと伝わってくるような文章。
そういう文章に憧れたりするのだけど、そもそもそんな文章って伝わる
だろうか?というか探索してみたところで見つかるのだろうか?

今風でないということだけは言えそうだ。自分がそういうものを書こうと

いう欲望をもつよりも、そういう目で世間にあるものを見渡してみると
いいような気がする。御気の毒だけど、奥が美しいなんてことを意識
した途端、自然な感じではそういうものが表現できなくなる。むしろ、
世間には日の当たらないところで、そういう欲望などつゆほどももた
ないで自然な形でそういう感じのものを表現なさっている人もきっと
いるにちがいない。

P.S 「文章の奥」というキーワードをひっくりかえして奥が美しい文章

としたのだけど、あまりピンとこない表現になったのかもしれない。
奥ゆかしい人間はたぶん、そういったことについて自分からは触れない

ような気がする。極力そういうことを意識していないようなそぶりをみせる
ような気がする。ということは女性が化粧するように、それもきっと社会的
な仮面(ペルソナ)に違いない。聖職者でさえ、というか聖職者だからこそ、
家庭ではやっかいな問題が起こるそうな。人間は結局、動物臭の漂う
存在というところから越えられないような感じがする。無理してキタナイもの
を蓋していても、どこからか匂いは漏れてくる。

方向違いの努力

方向違いの努力、典型的なのは読書癖だと思う。

「自分は世間の常識を知らないから苦労しているのだ。」と
20代半ばの私は思った。それだから手当たり次第、周囲の
世界について説明している本に手を伸ばした。

その結果、自分で持っている本の冊数は増えていった。
「財源は?」と思うかもしれないけれど、世間にブックオフが
増えてくる過程の時期とも重なっていたし、そんなに
元手がなくても本はため込むことができた。

あと、働いていた時期も自動車、洋服などに関心はなく、
本だけに関心を絞っていたのでそこそこ高価な本も買えた。

発達障碍の人は片付けは苦手なものだ。だから持ち物は
増やさないのがベストなのだけど、たくさんの本を抱えて
しまった。母はいつも、ブーブー言っている。

頭の中もたぶんごちゃごちゃしているように思う。整理できて
いないと思う。そして、本を読み、語彙を増やしたことは悩み
も深めてしまった側面もあるように思うのだった。

あまり難しく考えないほうがいいことは世の中に多い。
悲観的な見方がどうしても多くなるし、深刻にことさら考え、
深みにはまってしまうこともある。

それに傲慢になりがちである。
どんなに謙虚にみせていても、ちらちら隠してあるプライドが
顔を覗かせる。

そして、その割にはアタマがいいというわけでもきっとないのだ。
少なくとも基礎工事が随分抜けている。基礎部分の偏りが
足をひっぱってもっともらしいことを書いたとしてもつっこみどころ
が多いのだ。使っている言葉を刃物でたとえれば中華包丁といった
ところだろうか。なんでもかんでも切ってしまうけど、どこか洗練した
趣とはかけ離れ、ぶった切っているような感じのもの。

野趣というかやはり、田舎の趣なのだと思う。私が書いたもの、
つくったもの。シルクロードの旅の折、砂漠のオアシスの食堂で
ラグマンなる香辛料たっぷりの焼うどんみたいなものを食べたの
だけど、あんな感じに違いない。いまだに目に浮かぶ。麺を両手で
伸ばし、赤や緑のピーマンが乗っている。トルコの雰囲気の帽子や
服装をしたおじさんがラグマン作っている。灼熱の中、香辛料の熱さ
はここちよい。また、脱線した。イメージの世界にはいってしまいました。

P.S 多分なんでいきなり、食べ物の話に脱線しちゃうのかわからない
人もいるかと思うけど、連想でどんどんつながっちゃうのです。
そして、連想先のたとえみたいな話でどんどん考えたり、イメージしたり
とかしてしまう。自分の書いたもの、つくったものが田舎くさいという
イメージがわいてきて、たとえばどんな感じなのかと思ったところで、
シルクロード旅行の記憶がよみがえってきてという感じのことなのだけど、
自分の中だけではわかるけど、なかなか人には伝えにくいのですよね。

発達障碍的な要素が微妙であること

発達障碍と自己診断を下しても、人間関係でそれほど差し障るという
こともない。ちなみに非定型精神病のほうは前の主治医が下した正式
な診断で、今の主治医の診断は統合失調感情障碍のほうだと思う。
この二つの診断名が指示している現象に差異はあるのかどうかは
わからないけど、概念は違っているみたいだ。微妙な差異であること
と私自身の感覚からすると非定型精神病のほうの説明のほうが
しっくりくるので相変わらず「内側から見た非定型精神病」というタイトル
を使い続けている。

ところで今日の話題は自分の中の発達障碍的な要素のこと。
運動協調障碍的な要素も幼少時から持ち続けていることだし、
おそらく99パーセントなんらかの発達障碍的な要素はあると
思う。

ただし、それほど強いものでもないと思う。対人関係でうまくいかない
ということが表面的には発生しないからだ。むしろ表面的には非常に
流暢に進む。自分でいうのも何だけど聞き上手の世界だ。

これは前も書いたように、自分の青年期いっぱいいっぱいかけて
人工的に構築したものだと思う。その前は風変りで孤立していて
一人遊びの世界だった。

そうはいうものの、完全な自閉とも違う。折々に現れた少数の友人とは深い
交流をしていたような気がする。たぶんそうした数は少ないつながり
が情緒面の発達を助けたようだ。

中でも、大学一年生の折に内気で自分からは外にむけてつながりを
もとめられないような私に手を差し伸べてくれたサークルの先輩諸氏
には言葉では言い尽くせないような感謝の念をもっている。そういう
差し伸べられた手がなければ、現時点での性格はずいぶん違ったもの
になっただろう。自分の世界自体はなんらかの意味で持ってただろう
とおもうけど、もっともっと内向的であって、外に向けて交わっていこう
という性格にはならなかったはずだ。

ほかにも心から感謝しなければならない人は節目、節目で現れるの
だけど、またそれについてはおいおい書くことにしよう。

微妙な発達障碍、過集中の恩恵でいくつかの分野についてはある程度
の知識をもつことができた。その一方関心のなかった領域については
幼児期の学習が疎かだ。読める漢字は多い一方、書けない漢字もまた
多い。恥ずかしいけど、ひらがなで書かねばならないことが多い。
百字の練習とか計算ドリルの類がほとんどできなかった。そういう基礎工事
の不備は未だに尾をひいているように思う。

百字の苦役などがあったので国語は苦手意識が多かった。同じく単純計算
の苦役のために算数、数学も苦手意識が多かった。でも、ことばの世界自体
がキライなのではく、また数学の問題を作ることや幾何学の証明問題などは
大好きだった。英語の楽しさを知ったのは旅行のときのサバイバル経験から
だった。歴史にifはないけど教育環境が違っていたなら、発達障碍向けの
細やかな教育環境だったならばと妄想するときがある。今の時代も同じような
人生をなぞり、芽吹くべき芽が伸びられないという悲劇は存在すると思っている。
過ぎ去ったことを嘆いても仕方がないし、まあ、私は私で恵まれた人生ではある
とも思っている。

発達障碍的な要素があって、なんだかよくわからないけど、独特な世界みたい
なものが出来上がってしまうと、周囲の人から異質性が増し、浮き上がった感じ
になってしまう。それを個性と見るか、疎外と見るかは微妙だ。他の人の文章
と比べてみてつくづく思うのは内面のことばかりに話が及んでいることだ。
なんだか暗い世界なのだ。魂の世界といってもいいし、精神世界といっても
いいのかもしれない。でも、本屋ではその手のコーナーに近づくことはほとんど
ない。その手の本のおいてあるコーナーから漂う雰囲気は苦手だ。

むしろ好きな文体は霜山徳璽の文体だ。あるいは井筒俊彦の文章。まあ、
こっちも薄暗い世界なのだけど、アメリカンな雰囲気でもなければ、線香の匂い
漂うという趣でもない。もっとも、Epiさん、それは背伸びだよ、と言われると
返す言葉をもっていない。閑話休題。

強い発達障碍、あるいは他罰的な傾向のあるという言葉を付け加えてもいい
のかもしれないけれど、そういう人よりは「自分は正しい」という感覚が希薄の
ように思う。それは周囲との摩擦を緩和してくれるけれども、自分の内側に
矛盾を抱え込み苦悩の念を強くするような気がする。「自分の何かがおかしい。」
「何かが欠けている。」「もっと努力せねば。」となってしまう。でもどういう努力
をすればいいのか自分で理解していないので得てして方向違いの努力を
重ねてしまうというハメに陥りやすい。


2013年3月21日木曜日

言葉を飲み込むこと

理不尽なことを言われたりしたとき、
当然こちらは何かを言うべきなのだけど、
そういったとき言葉を飲み込んでしまうという
わるい習慣がある。

これらは小中高といじめられたことと関係
するかもしれない。うすぼんやりとした記憶
だけど、年があがるにつれてそれだけいじめ
の環境が悪くなったような気がする。

といっても、今のいじめの基準でいえば、
いじめというよりもからかいというべきであり、
そういうゆるさもあってなんとかかんとか小中高
は皆勤できた。

ちなみになぜいじめられたのか、私は被害者の
側なので加害者の気持ちはわからない。でも、
高校のとき「クラスで浮いていた」と主犯格の子
に言われたような気がする。

で、何で浮くかというと変わっていたからだ。性格
も今より歪だったかもしれない。運動協調障碍
っぽいものもあって、運動音痴であって、スポーツ
系の遊びには加われず、一人で遊ぶタイプだった。
ヒステリーっぽい怒り方をすることもあった。

そういうわけで根切りされたような次第だ。根切り
というのは猿回しが猿を支配するために、始めの
ころに徹底的に虐待して恐怖を植え付けるやり方
だ。自分の場合も小中高のいじめの間に根切り
されて、言い返すべき言葉を失い、すべて飲み込む
ようになったのかもしれない。

そういう飲み込んだ言葉は心の底に澱のように
たまっていく。で、深酒して記憶を失うようなときに
「暴れだす」というようなカタチで噴き出すことがある。
翌日は本人は長年のうっぷんを晴らしたような感じ
がしてすっきりしているけど、周囲はシラケている、
そんな感じだ。ちなみにそういうことは学生時代の
ことで、修了後はお酒を飲む機会自体ほとんどない
ので、深酒で暴れるという失態もしていない。

社会に出ても言葉は飲み込みつづけた。職場で
あるいは、街の飲食店で。飲食店のマスターから
「言葉飲み込むのは良くないですよ。」と言われた。

どういう意味でよくないのかは最近知った。

リウマチにかかっているのだけど、リウマチになり
やすい性格の一つに「言葉を飲み込む」というのが
あるらしい。まあ、それだけでリウマチになるという
わけでもないだろうけど、因子の一つくらいには
なっているのかもしれない。

P.S 小中高、クラス全体が敵という状況がなかった
のが良かった。小中は不良っぽい子だけがいじめた
わけだし、高校のときはクラスの中の主流じゃない
ほうのグループがちょっとした居場所になった。そっち
ではいじめはうけなかった。一方、私の闇の部分として
小中学校の頃はさらに私より弱い子をいじめていた
こともちゃんと書かなくてはならない。背の高さが微妙
にいじめと関係していて、最初いじめていた子に背の
高さを抜かれると同期していじめられるといったことも
あった。そうなってくると、お互い様であって、被害者
づらだけするというわけにもいかなくなってしまう。

小学校の頃、どういう文脈でだったか忘れたけど、
いじめと関連して「あいつは身分が違う」という言葉
をどこかで聞いた。といっても部落差別などの話とは
あまり関係のない文脈で。「身分」という言葉が耳に
ついて今だに覚えている。クラスというのは大人の
社会のパロディのようなもので親を介して大人の
社会の歪みみたいなものが投影されるのだろうか
と思った。

2013年3月20日水曜日

民衆の科学

そういうわけで今や民衆の科学というものを考えることができる。
アウトサイダーアートなるものが可能なのなら、アウトサイダー
サイエンスというものも可能なのではないだろうか。

よく言われることだけど、輸入学問としての科学という言い方が
ある。あるいは切り花としての科学という言い方。

でも、当事者が0次情報なるものを吐き出しつつ、その過程で
得られた疑問点やら問題意識を自分なりの方法論によって
掘り進んでいくみたいな感じのものも今の世の中あっても
いいのではないだろうか?

それはきっと素朴な外見をもつものになる。最先端という見方
からするとはるか遠く、時には幼稚に、時には異端になるしか
ないだろう。でも自分の中から生成されたルールにしたがって
自分でやる遊びのようなゲームというものは魅力的だ。

必要とあれば、図書館いって本を読み、自分なりにそれを読み
込み、問題の露頭を掘り進める道具とすればいい。

学問分野の縄張りなども考えることもなく、図書館のすべての
領域からヒントになる言葉はみつかるだろう。

たとえばアウトサイダーアートに関する理解を小泉文夫の文章
から拾い出すように、そして大橋力の文章を通して民衆の科学
という概念につなげていくように。

「発表」してしまえば、学問という名目のもとでの搾取にもあわない
と思う。学問的成果には値しないかもしれないが、少なくとも著作権
は何かを守ってくれる。まあ、それもネット上でのパクリ合戦をみる
と甘い、甘い考えかもしれないけれど、それも続きを誰かが考えて
くれて、またその結果を使えばいいと思えばよし。

美術は児童画に文学は作文に科学は自由研究になる。そう。自由
に研究をするのだ。こんな素晴らしいことは世の中にあまりない。

P.S 小泉文夫の『おたまじゃくし無用論』その他の本の中に
アウトサイダーアートと対応する話が見つかる。美術教育に
よってある種の歪みが発生するように音楽教育によっても
ある種の歪みが発生する。それは西欧化によって江戸時代
の科学との繋がりを失ってしまった事情とも通底する。
各地の方言が失われ、根無し草の言葉をあやつりつつ今とも
どこか対応しているのかもしれない。まあ、これは西欧化の光
の面と影の面とでもいうべきで教育否定論でもないものだと
思う。平安時代の人が奈良時代に入れた中国文化を着こなし
ていくようなことがこれから始まっていくのかもしれない。

大橋力は『情報環境学』の中で一方では筑波病なる研究者の
自殺の現象に触れ、対極として「誰でも音楽家になれる」バリ
島やピグミーの世界を紹介している。この本の後半で地域の
水利システムのエンジニアという側面からみた神職者の話が
書かれている。暗に未来の話として、多くの人が科学者
みたいな存在になれる社会みたいなものが夢想されているの
ではないかと勝手に読んでみた。

話し言葉のような文章

すっぴんの文章という使用例もネット上には少数あるが、
話し言葉のような文章という表現も結構ある。

話し言葉のような文章ー書き手、受け手、共々いろいろ
価値観があるみたいだ。

練られてこその言葉という人もいれば、思考過程をみて
みたいという人もいる。要するにTPOをわきまえてという
ことなのかなあ。

話し言葉のような文章、それでも推敲している場合もある。
推敲しない場合はどうしても荒削りの文章、粗悪な文章と
いう評価を受ける。

一方で上手い下手を越えた文章という表現もある。
荒削りなりにそれも書き続ければ、継続の過程で荒削り
なりの文章の打ち方みたいなスキルも出てくるような気が
する。即興的ではあるけど、気にいらなかったら後戻りして
直すというやり方もあるし、私はそういう方法をとっている。

上手い下手を越えたという言い方を自分で使うというのも
どうかと思うし、これが自分の味といいたてるのも独りよがり
というものである。でも、そんな味の文章でも「店の営業」は
可能のような気がする。客がこなくても気にしさえしなければ
いいだけだ。

公刊されたテクストの世界は約束事が多すぎるような気がする。
売れないといけないという制約があるためにキレイな文章ばっか
りだ。でもなんとなく厚化粧の飾り窓みたいな感じもネットの世界
からは映る。こっちは普段着の日常のコミュニケーションの世界。
そういう世界があってもいいし、そういう世界を育てていくのは
楽しい。

昔の児童画はほとんど残っていないと本で読んだこともある。
同じような意味で普通の人が書いた文章も残っていないのかも
しれない。普通の人のそれもひとりの人のまとまった文章って
あんまりみたことがない。

普通の人が考えたことなど、知れている、興味がないという人
もいるだろうけど、そもそも普通の人って誰のことだろう。

このようにして話し言葉のような文章は主題からどんどんずれて
いく。そしてまた主題に帰ってくることもある。ま、それもその人の
ひととなりというものだ。あまり堅苦しいことは考えずに、何かの
偶然で瓢箪から駒みたいに新しい発見ができればいい。

私の父の話し言葉はほとんど残っていない。そこを考えると私の
言葉は腐るほど残っている。まあ、消すこともできるし、いずれは
消えていくだろうとも思ってはいるのだけど、少なくとも誰にも語ら
れることなく終わるストーリーという状況からは少しは改善されて
いる。今はインタビューアーを介さずとも当事者自らが自らの意思
で書つけ、公開することができる。不備はあったとしても、そっちの
ほうが民主的なような気がする。価値観という面からいっても、
インタビューアーにとっての価値観というよりも、当事者なりの価値観
に基づいた表現となっている。それが普遍的な価値をもつかどうかは
わからないけども、インタビューアーの価値観といえども時代やら状況
からくるものに支配されているわけだし、文脈が変わればインタビュー
アーが信じている価値観も移り変わる。

そういう点からいえば、当事者自身が書きつけた情報は0次情報という
ことになるのかもしれない。

知識のパッチワーク

知識のパッチワークに過ぎない御託はみるものを嫌悪
させる。でも、そこからしか始められない。

寄せ集められた知識や情報を道具にして何を考えられる
か?何を発見できるか?それだけが意味がある。

といってもそういうことも容易推考の範囲内だと思う。

またしても大風呂敷だけど、西欧の哲学者でさえ、
最初は翻訳されたテクストから摂取した知識のパッチワーク
みたいな状況からものを考えたのだろうと思う。

知識のパッチワークはみっともない、と誰かがどこかで
気づいたに違いない。その上でオリジナルな世界を目指した
のだろう。

図書館やらインターネットでふらふらすると知識だけは
ギャザリングされる。まあ、それはそれでいいではないか。

そういう知識を材料としてものを考え一庶民として何かを
つくりだす。アンパンもラーメンもカレーライスもそうやって
大衆化された知識を自分なりに使いこなすという作業の中
から生まれ出たに違いない。

私は自分の中にあると自分では思っている軽度の発達障碍
みたいなもの、あるいは非定型精神病を経て修飾された
心の中の矛盾をどうかしようともがく過程でためこんだ知識
を使っている。心のバランスの調整、感情、気分の制御、
希望をもつこと、自分を責めないこと等々にそれらは役に
立っていると思う。

病気の後にもハードルというか壁みたいなものはいくつか
あって、その中でも高い壁が病気の中で得たものを社会で
生かすというものだと思う。

汚い文章だと思う。推敲しさえすればもっと読みやすくなる
だろうし、もっと誰か読んでくれる人もひとりかふたりか位は
増えるのかもしれないだろうなあとは思う。

でも、一方なるだけ生の言葉を使いたいものだとも思うの
だ。しぼりたての牛乳、成分無調整の牛乳のような何か。
化粧をまったくしない、すっぴんの顔をあえてされすこと。
そういうことを考えること自体甘い見方なのだろうか?
私にとってはそっちのほうがより真実性が高いように思う
のだけど、そうはとってくれない人が大部分なのだろうか。
当然、不用意に書いてしまうこと、言葉を滑らせることも
多いだろう。そしてそういうことに日本社会はとても厳しい。
その結果、建前しか公的な場では語られない。

キレイな表現をするということはキタナイ本音を隠すという
ことと同義だと思う。でも露悪家になりたいとも思わない。
最低限の衣服を着る程度には生の自分を隠すのもいい
とは思うのだけど、なるだけ薄着でナチュラルなものにしたい。

今、はからずも述べたような書き方が知識のパッチワーク
状態から容易推考の範囲を越えた、自分なりの表現という
ことになるのではないかと思う。自画自賛したいところだけど
どうだろう。

昨今の情報環境下での問題の複雑化と自己治療の可能性

いきなり仰々しいお題になってしまった。
事実を書いているというよりも、一個人として単にそう見える
というだけの話だ。

問題の複雑化の話。ネットで書き込むことは状況を良くも悪くも
している。気分の高揚と文章を打ち込むことは自分の場合だと
深く関連しているように思える。それは他人を巻き込んだり、ある
いはスルーされたりといった経過をたどり、状態をいろいろ変化
させる。

友達の書き込みみていても、明らかに悪い方向に動かしているよ
うに見える場合もあるし、まあいつものことだで終わってしまい、状況
自体に慣れてしまうこともある。

「こんなことを書いてしまった。発信してしまった。取り返しがつかない。」
といったたぐいの気持ちのゆさぶりなども多い。あるいは今は問題が表面
化していないだけで、後々苦しむのかもしれない。何が起こるのやら、とい
った不安感はつきまとう。

一方、問題が明確化され、整理されるという効用もある。公開することで
近くの人に読んでもらえる場合、そして、感想をいってもらえる場合もある。

今、通っている自立訓練施設では、個別支援のプログラムのとき、ブログ用
の文章を書き、相談員に画面の前で感想を言ってもらうこともよくある。
私にとっても、PSW(精神保健福祉士)にとっても意味のある時間みたいだ。
PSWの方は勉強になるともおっしゃっていてそういう効用もあるの
かなあと思うのだった。

私個人にとっては、感想をもらうことで自分では気がつかないことがいろいろ
わかる。文章を書くことはあくまでも内側からの視点であり、外側からどう見える
のかというのはなかなかわからない場合が多い。特に、こういう病気になる人は
なんらかの発達障碍みたいなものを抱えていて、客観的な視点になかなか立て
ないものだ。

昨今の情報環境下で精神医学、心理学の知識、用語が大衆化することで、
患者自身で考えるための材料が手に入る。もちろん、それらは素朴な理解、
ひどいときには誤解に基づくものになるのかもしれない。

しかし、それらの知識、用語を自分なりに使いこなし、自己治療に役立てていく
といった光の側面はあるに違いない。

闇の面というと夕べテレビでこんなニュースが流れていた。

http://datazoo.jp/n/%E9%9D%92%E6%A3%AE%E2%80%9C%E9%A6%96%E8%BC%AA%E2%80%9D%E5%A5%B3%E6%80%A7%E7%9B%A3%E7%A6%81%E6%AD%BB%E3%81%AE%E9%97%87+%E5%91%AA%E7%B8%9B%E2%80%A6%E4%B8%BB%E7%8A%AF%E3%81%AE%E5%A5%B3%E3%81%8C%E6%93%8D%E3%82%8B%E3%80%8C%E5%BF%83%E3%80%8D/7039100

こういうニュースみるたびに巷では臨床心理の知識が悪用されているのだろうなと
思う次第だ。そういう面からみると私でさえ、同じような種類の闇を潜在的に抱えて
いるとはいえないだろうか?

良い人間、悪い人間という素朴な理解も可能だけど、
悪い状況は人間を変えてしまう。生き抜くためだけに
闇の世界に堕ちていくという状況もまたありうるのだろう。

それでなくても、欲というものは誰にでもあるし、欲望を掻き立てる
ような情報も知らぬ間にこころの隙間に入り込む。私とて、そういう
ものから無縁でないし、内心修羅の群れを心の中に閉じ込めている
そういう側面も大ありだ。多分、心の闇と書けばそれぞれの人にそれ
ぞれの人なりの心の闇というものがあるはずだと思う。そういう醜悪な
心の中に住む妖怪たちとどうつきあっていくのやらといった感じだ。


闇は闇できちんと自覚した上で光の面に重心を置きたい。性善説ばかり
でいくとたしかによくないし、戸締り的なしっかりした部分を大事にしつつ
も、性悪説的な世界観に立つと、協力が単なる取引になってしまう。
そういうニヒルな見方は日本人にそぐわない。異民族に蹂躙された歴史の
ないところから出てくるひとのよさを大事にしたい。オリコウサンを気取る
つもりはないけれど、少なくともこうありたいという自分はもっていても
いいだろう。そういう風なことを考えられるのも教育が普及して、先人の知恵
みたいなものが私のようなところにも流れてきているためだ。

それを「あたりまえ」と考えるのかどうか?

2013年3月17日日曜日

病気のエネルギーを制御して取り出すこと

アタマが冴えるときのエネルギーを制御して、取り出すことは
理論上可能なのかどうか?

なんともマッドな主題だと思う。でも、そんなことを思う患者も
いないこともないと思う。

主観的にアタマが冴えたようなときの状態、それは客観的
にはどんな感じなのだろう?単なる錯覚である、そういう場合
もあるだろう。そう言い聞かせて睡眠薬を飲みさっさと寝てしまう。
それが健全な病気との付き合い方だと思う。これは原則。

そう考える一方、軽躁状態のエネルギーに吐き出し口を与え、
仕事をさせるというのもいくらかのケースでは可能なのかも
しれない。

まずは、軽躁の波が制御可能な範囲内にあるのか?これは
自分では判断できないかもしれないから、周りの人か、自分に
巻き込まれない、ちょっと離れた位置にある人に聞いてみるのも
一つの手かもしれない。

病相を亢進させないというのも大事なポイントに違いない。
私はまだ、どのように病気は進んでいくかということについて
大した知識も経験ももっていない。たまたま、今、自分は今の状態
にあるということを知っているだけだ。だから、病気のエネルギーを
利用しようなどという虫のいいことを考えること自体にもリスクがある。

創作などの形でエネルギーを発散することはエネルギーを
使ってしまうという意味ではいい。一方、炎がどんどん大きくなるかも
しれないという意味では危険性もある。火の管理というのは何やら
技術がいるのかもしれない。

自分のケースではほどほどのところでクールダウンするということが
可能だった。よって、ケースバイケースということになる。

自分自身との距離の取り方、相対化、そんなものも必要かもしれない。
私自身、自分には甘いので自信はない。でも、距離をとるのが難しい
ひとは大勢いるだろう。距離をとっているつもりになっているだけかも
しれないし。

軽躁の波が制御可能な範囲なのなら、そもそも平常の範囲で病理性
はないと思う人もいるかもしれない。そこは私も多くの人のケースを知って
いるというわけではないからよくわからない。

それでも、病気の初期の状態であれば、制御しようという気持ちは大切の
ような気がする。高揚の気分に任せてアクセルをどんどんふかしていくという
態度は悪い履歴をつくっていくだけだと思う。

そういう悪い履歴が、轍のように固定化し、病相は進んでいくのではないか
と私には思える。

逆に言えば、制御しようと試みるというのも履歴であり、学習のように思われる。
睡眠時間の記録、あるいは私みたいに日記記録をつけると過去のパターンを
ある程度つかめるようになる。記録つける過程でものを考え、整理し、記録された
文字列をとっかかりにして、先のことを考える土台とすることもできる。

制御できるというものある時期までで臨界期越えると難しくなるのかもしれない。
どうしても制御できないという状況に至ったら、制御できない自分をあまり責めない
でまた次のことを考えていくなりするほうがいいのかもしれない。

制御できない自分とどう折り合うか?難しい課題だと思うけど、その人なりの道を
見出してほしい。外からの目も辛くなるかもしれないけど、そういう状況下をなんとか
しのいでいる、そういう誇りはもってもいいのかもしれない。

時間をなんとかやり過ごしている間に落ち着いてくる、そういう希望はあると思う。
待つことは大事だと思う。また脱線した。

卵が先か鶏が先か

自分の人生振り返ってわからなくなることがある。
前向きに生きられたから症状が軽かったのか?
症状が軽かったから前向きに生きられたのか?
ということだ。

急性錯乱、これ以上の屈辱なんてあんまりない
だろう。そういう体験をした後で、それをどう
受け止めるか。それはそれぞれの体験者に
課せられた課題だと思う。

失った人生に対する執着心、はたまた分岐して
別れたほかの人の人生に対する羨望みたいな
もの、そういったたぐいの人間臭いもの。

逆に病気のさなかで体験する「神秘的」なものに
対するこだわり。手放すのか、封印するのか、
それとも何か「活動」を始めるのか、その他。

私の場合でさえ、いろいろ折々のハードルは
あったと思う。

まあ、一応症状は落ち着き、病気の痕跡が表面
から消え去った後も、再発とかかわるハードルが
ある。

熱を帯びさせてしまうものとのつきあい。例えば
2010年代で説明すると反原発運動みたいな感じ
のもの。双極性障碍みたいな要素を抱える人に
とっては健常者とまったく違う文脈を帯びる。
熱を帯びるようなものに入れ込むと病気の相自体
が代わることがある。

病気の相が代わることで、内側で静かにしていた
双極性障碍的なものが表面近くに浮かび上がり、
本人の力ではコントロール不能のような感じの気分
の変動を繰り返すようになる。そのことによって周囲
の本人への態度もまったく変化してしまう。

大小の分岐点がある。そして、その分岐点をまたいで
しまったことはもう過ぎ去ったことで悔いても仕方がない。
また、よく見れば同情の余地なしといえないこともない
かもしれない。

双極性障碍の要素をもっていると、普通の人にとっては
よい出来事も悪い出来事に転化しやすい。
何かの成功、努力の結果の有能感、恋人ができただの
そういうことは躁状態を招きやすい。高揚した気分を
自分の内側に収められるかどうかは病気の相とも関わって
くる。気分の高揚感自体、自覚できる人もいればできない
人もいる。

そういった事情で非定型精神病は事後処理も結構いろいろ
問題がある。前向きに生きさえすれば再発を免れるかという
とそうでもないだろうと思う。私の場合は家族関係がラクだった
ように思う。

ものを考える力。これはいいほうにも悪いほうに転ぶので一概
にはいえない。語彙が少ないのは自分の問題を相談員などに
説明するのも難しくなるし、自分自身で理解することも困難にす
る。発想を変えるということも難しくなるが、複雑に考えないという
意味ではいい点もあるだろう。自我肥大みたいなものは言葉の
エネルギーを燃料にしているようにも私には思えるのでものを
考えられることは光と影の両面があると思う。

言葉を通して考えるということ

言葉を通して考えるということ自体はそんなに悪いこと
でもないような気がする。

でも、仏像に魂をいれるみたいな感じで、その言葉に
重みが感じられるようになるためには「痛み」を含め
経験が必要だと思う。

リアルタイムでリウマチの痛みが体のあちこちからする
のだけど、実際に痛みを味わってみないとその感じは
わからないと思う。多分、文字資料いくらみても、それは
料理のレシピを眺めているようなものにすぎない。

ただ、体験者の文章など見るとこの先にはもっと「痛い」
世界が広がっていて、またそこへ至ると言ったり書いたり
する内容も違ってくるかもしれない。そんなに余裕のある
ことも書けない心境になるような気もする。

これは想像力の世界だ。この先にはこんな世界が広がって
いるかもしれないという準備の話。旅行案内書とどこか
似ている。

そういう意味では急性精神病になり、退院した時点では
先の風景がまったく想像できなかった。お医者さんはまた
良くなりますよとおっしゃったけど、ピンとこなかった。
再発に関する話もアクセスできなかったので、どこをどう
注意すればいいかまったく分からない話だった。

奈良から届いた急性精神病発病の連絡を鹿児島で受けた
両親は、廃人となった私を奈良で世話しながら老後の生活を
送る、そういう想像をしたみたいだった。

90年代初頭、インターネットもまだ繋いでいなかったので
自分の先の風景はまったく想像することができなかった。

そういうことを考えると言葉で表現されたものを読み、想像を
巡らせるというものも悪くないように思う。

私もあれこれ書き連ねたけど、書き連ねた背後だったり、周囲
だったりにちょっとだけ違う誰かの世界が広がっている。ほかの人
の文章のかけらから拾って来たりした言葉も巡らせながら、自分の
ケースやら知りたいタイプのケースについて考えてみるということも
できるかもしれない。

ひとによっては私の文章など、まったくつまらない文章の羅列に
過ぎなくて、もっと知りたいタイプの人の文章などあるかもしれない。
そういう人に限って引っ込み思案だったりして表現の場には出てこない。

私の文章自体に価値はないのかもしれないとさえ思う。
本当に知るべきは私とは条件の違う人々で、そういう人の世界は
私の文章の外側にある。でも私が何か書くことで、沈黙している
本当に理解しなければならない人に対する想像力を養うという意味
だけはあるのかもしれない。といっても、条件が違えば世界は全く違い
理解のためというよりも、誤解させるために役に立っているだけに
過ぎないのかもしれないけれど。

前向きに生きられたということは

前向きに生きられたということはそれだけ人生ラクだった
ということなのかもしれない。

阪神大震災よりも、急性精神病のほうが患者にとっては
辛かったと何かで読んだのだけど、急性精神病はそんな
に長くは続かない。そして何度も初発と同じ強度で起こる
ものでもないらしい。まあ、それは短期間的にとても辛く
自分の感覚では原爆による都市の壊滅みたいな表現だ。
こういうとき言葉は無力だとつくづく思う。宇宙的破壊と
書いたところで何も伝わらないだろうし。

辛さ自慢とか、辛さ比べのつもりで書き始めたというわけ
ではなく、人生山あり谷ありと日常的にもいうけど、うまい
比喩だなあと思ったわけ。

大学一年の夏、先輩に騙されるようにして、南アルプス
に連れて行ってもらった。

「1000m登って、1000m降って。また1000m登ればいいのだよ。」
「1Km。宮島の弥山の500m二回分。そんなものだよ。」

この言葉の意味が新入生にはわからなかったのだった。

本当に1000m登って、せっかく登った1000mを降って、
また1000mも登らなければならなかった。そして、それは私の
人生の伏線でもあった。そのときは何も知らないだけだった。

最初に登った山が甲斐駒ヶ岳、通称甲斐駒という山だった。
標高2967m。2032mのところにある北沢峠というところまでバス
でアクセスして、そこから人力で上るのだった。

途中、遭難碑近くからけもの道に迷い込んだり危ない目にあい
ながらも、無事頂上までついた。頂上で別のグループの人たちと
会い、別の尾根からのルートについてちょっとだけ
話を聞いた。黒戸尾根と呼ばれるルートだった。

http://www.minamialps-net.jp/data/article/128.html

素朴な話だけど、同じ山、登るにしてもルートによって難易度
というかきつさが違うらしい。

中井久夫は病気山という表現で精神病治療という大仕事の
ことを譬えている。

私はサポートネットラグーナという精神障碍者向けの自立訓練
施設に通う日々だ。そこではいろんなタイプの人に出会う。
具体的に、というのは個人のプライバシーもあるから書けないの
だけど、それぞれ状況が違っていて、違う山、または違うルート
で問題と向き合っているように思う。

中井久夫の病気山という表現の中では下山の譬えとして語られる。
急性精神病の極期、患者は幻の山の頂上にいる。遭難した患者
とともに人々の暮らす里まで下山していく、というストーリーだ。

でも、それは別の角度から眺めると、人生という山を登っている
ようにも見える。人生という山の頂上には「サトリ」みたいなもの
があって、まさにそれは極期における山の頂上みたいなものだ
から、そこからは遠ざかり、安全なところに下山しなければ、
ならない。そういう意味では人生という山を登るだの、頑張るだの
といった言葉は禁忌で、患者には迷惑なのかもしれない。

それでもやっぱり山登りのようにも見えるのだ。下山という登山。
頑張らないように頑張る。なんだか頭がクラクラする表現も思い
うかぶ。でも、そんな言葉遊びはやめよう。今、この文章書いて
いるときも、文字通り苦しんでいる人もいるのだから。

ただ、苦しむことにも意味があるし、苦しみを抱えた人の人生も
意味ある人生だと思う。それぞれの人はそれぞれの人の内なる
山を登っているのだと思う。見晴しの開ける小高い丘もあれば、
樹海の中の迷い道もある。どこまでも延々と続く単調で変化のない
道もあれば、鎖場のようなところもある。

失敗した人生などと思わないで、困難なルートを探索していると
思うほうが生産的なのではないだろうか?そういう状況の中で
あなただからこそ、今の場所にいることができる誇りみたいなも
のも感じていい人もいるのではないだろうか。自分はダメ人間で
ダメ人生を歩んできたという人もいるかもしれないけど、そういう
境遇でもとぼとぼと歩けるというのもまたアリなのではないか。
いい加減だったからやっぱりダメだったという人もそんなに自分を
責めないで許してあげるのもいいのではないか。

P.S 人生なるものを山に譬えたり、道に譬えたりするのはひとには
陳腐そのものに見えるかもしれない。でも、「山があるから登るのサ」
的な山への憧れは「モデルとしての山」のような象徴性と深く関係して
いると思う。化石化した陳腐な譬えもよく考えていくとしみじみとその
良さみたいなものが感じられる。今は単に言葉の上でそう考えている
という部分もないではないけれど、もっともっといろいろ経験して、
本当の意味でしみじみと分かるような心境にいつかはなりたい。

2013年3月15日金曜日

人生の敢闘賞、非定型精神病に限らず

人生の敢闘賞、非定型精神病に限らず、というお題なの
だけど、まあ、今生きているからこれをそれぞれの人は
読んでいる。前向きに生きれない人も、生きれないといい
ながらも、ちゃんとこれを読んでいる。

それはそれで敢闘賞なのではないだろうか。自分の心は
自分でコントロールできる、プラス思考ができる、などと
思える人は幸せな人で、ネガティブな思考が渦巻いている
ときはどうしてもそういうことは思えないものだ。

その人のことは結局その人しか知りえない。犯罪者を弁護
するわけではないけど、めちゃくちゃなことをしてしまった人
でも、本人的には「仕方がない。自分は悪くない。」と思う人
もいるだろう。法ではもちろん裁かれるだろうし、被害者側
からみたら裁かれるべきであるかもしれない。でも、そういう
行動に及んでしまった当事者なりのめぐり合わせというもの
もあろうとは思う。

なんだかんだ言って生きている、とりあえず今日だけでも
生きてしまっているって凄いと思う。この世自体カルト宗教
みたいなものかもしれない。足抜けしにくいし、みんなが
どんどん出て行ったら世の中自体も維持できない。よくも
悪くもお互いに支えあっている。社会的に孤立しがちな精神
病者も支えあいの輪に巻き込まれることで、喜んだり悲しん
だりしながら日々生きていく力がついてくる。ほんのささやか
なつながりの中で日々生きている孤立している人もいる。
顔だけ知っている他人の中にいるだけで生きられる人も
いれば、ほんの挨拶程度のつながりに支えられている人も
いる。

100点満点はつけられないにしろ、その人なりにがんばって
いきている。人生にも部分点ってありだと思う。花を咲かせる
という言葉の裏は花は咲かなかったという言葉で、私にとって
は時につらい言葉だ。でもその人なりの花という言葉もあるの
ではないか?その人なりに輝けた一時期なり、ささやかな日々
の小さな楽しみなり、見つけようと思えば見つけられるように
思う。灰色のトンネルが続いている人も一縷の希望を信じて
日々生きている。希望を信じられる、そういうのも花だと思う。

人生の敢闘賞、人はあげてくれなくてもいつか自分に送ろうでは
ないか。ただ、待っていたら自分にあげようという心境になれる日
もくるかもしれないし。

P.S このブログ読んだから敢闘賞、なんて読み方はくれぐれも
されないよう。とりあえず、今日も生きている、生きてしまっている
という、それでもこの世というものにおつきあいしている人に差し上げ
たい。なんだかんだといって投げ出さずに生きている。マラソンで
棄権せずに走り通しつつあるひとということだ。でも、自死した人
を責める立場にはない。それはその人のめぐり合わせだ。人間は
まだコバエ一匹の生命、大腸菌一粒の生命さえ作れない。灰色の
人生であれ、今日もその命が続いていることは素晴らしいと思う。
命があって心が動いているというのは一種の祝祭だと思う。
トンネルが延々と続いている人でもまた晴れ間が広がってくるだろう。
受け入れないといけない条件はその人それぞれかもしれないけども、
小さな幸せなひと時というものはその人なりにきっとあると思う。

「寛解しました、めでたし、めでたし。」なのか?

このブログ読みながら、腹を立てているひとたちも中には
いるのではないか?と危惧している。

非定型精神病の予後は二極化し、二回とか三回で終わる
場合もあれば、8回以上とか続くときもある。中間で落ち着く
ケースは少ないのではないか?

初発のみという人もいるのかもしれないけど、そういう場合
は私の最初の診断のように心因反応とか別の病気の括り
になるのではないか?素人が考えているだけの話だけど。

初発だけで、再発のパターンが学習できるという人は本当
に稀だろう。一方再発を繰り返すと、再発のサインが読めて
も病勢を抑えることは難しいのではないか?なんかそんな
気もする。

それでも、よりよい方向に何かが動くということはありうるだろう。
少しでも前向きに考えることができればいいこともあるだろうし、
前向きにどうしても考えることができないという状況でも、なんらか
の姿勢のとりかたみたいなものもあるということもあるだろう。

それらはそれぞれの状況に応じて考えるしかなく、また残酷にも
どうしようもないという場合もあったりして、それも受け入れるしか
ないときもあるだろう。そして加齢によって、病気の勢いも収まって
また状況が変わるということもあるかもしれない。

いろんな経過があって、「めでたく」寛解となりました。めでたし、
めでたしといくのだろうか?何かそうじゃないような気がする。

症状は一応収まっても、病気の元になった要因の一つである、
性格的、あるいは気質的な問題は残る。発病に至らせた内側に
ある条件とは一生付き合わないといけないような気がするのだ。

環境というか状況により、幾分とも緩和されたりという逃げ方は
ある。人生訓的には逃げはよくないのだけど、私の場合は自分
が壊れてしまう前に職場から逃げ出したという前歴がある。

主治医に頼み込んで、職場を辞める交渉を代行してもらったの
だった。卑怯だとは思ったのだけど、再発と天秤をかけるのなら
それも致し方ないと今は思っている。直接私が交渉したら、いろ
いろ海千山千的な言い方でいいくるめられそうだったけど、
主治医の電話一本できっぱり辞めることができた。また脱線した。

寛解後の非定型精神病の患者のその後の生活史はあんまり
世間にはない。治療者は薄々、症状はなくなっても問題は何かしら
残ることをきっと知っている。治療者自身が日々の問題に格闘中な
ので、そういう人生をめぐる格闘から患者自身が解放されるとは
考えられないだろう。

患者の両親も年をとっていくし、患者本人も年をとっていき、何かしら
体にガタがくる。脳に受けたダメージは脳の老化とどう絡み合って
くるのだろうか?若気の至りの古傷が老年になって効いてくるという
話は健常者でもよくきくことだ。それの脳バージョン、きっと覚悟しなけ
ればならないだろう。と書くと暗くなるから、もっと前向きに。とりあえず
人生、投げ出さなかったので今ここにいる。それなりに健闘したので
はないか?敢闘賞というものもある。誰も贈ってくれないかもしれない
けれど、ささやかでもいいから周囲の人から貰うとうれしいものなので
はないだろうか?誰かこのアイデア実行すればいいのにと心から思う。

P.S 非定型精神病、再発4回とか5回という人も希望はもってほしい。
単に素人が言っているだけに過ぎないのだから。再発をなるだけ、
少なくするという目標ももてるかもしれないし、むしろ再発をやりすごす、
再発にめげないようにするという目標を立てるべきなのかもしれない。
あるいはいっさい計らわず、自然にまかせるのがいいのかもしれない。
もちろん薬とかちゃんと飲んだ上なのだけど。非定型精神病(統合失調
感情障碍)という診断がついても、条件が違うと外国のようにわからなく
なる。残酷だけど、そういう意味ではそれぞれの人がそれぞれの人なり
の課題なり、世界なり持っているのかもしれない。私は私の状況なりに
まずは自分のため、もしくは誰か当事者のためのささやかな情報共有
のために日々自分のことを打ち込んでいる。精神病を美化していると
思われたとしたら遺憾なことだ。半分人生を棒に振ったというのも客観的
には言えるのだから。

心の奥を覗きこんでも何もみえない

心の奥ばかり見るのもなんだか病理的な気がしてあんまり
よくないような気もするのだけど、もどかしいことがある。

それは心の奥を見る、といっても何も見えないことだ。

心の奥の見るという傾向は病気の前、きっと子供の頃から
あった。今はそんな芸当はできないけど、小学校一年生の
ころの学校からの帰り道、友達といっしょに帰りながら即席
でものがたりのようなおはなしをつくるということをしばらく
続けていたように思う。替え歌のおはなしバージョンという
感じである。たぶんばかばかしいたぐいのものだったと思う
のだけど、それでも友達はおもしろがって聞いていたように
思う。

心の奥へ奥へと潜って行ったら、友達の心のほうまで行き
つけるのではないかと思っていたころもある。想像上の友
達みたいなのがいて、その子と話し込んでいた時期も長か
った。でも、一人二役で話していたような感じで、統合失調
症に見られる幻聴とは性質が違うように思う。

病気の後、しばらくの間は就寝時、目をつむると黒地に茶色
のマンダラ様の複雑な模様が映っていた時期もある。マンダラ
が中心を軸にして回転しはじめると眠れなくなるのでやっかい
だった。マンダラ様といっても仏像みたいなのが見えるわけで
なく、円で構成された幾何学的な模様で錆びたバネがぐるぐる
輪になって巻いているような感じのものである。

と書いていくと、心の中にいろいろ見えているではないか?
自慢がしたいのか?みたいに見られるかもしれない。
そんな気分もほんのちょっとくらいはあるけれど、今日書きたい
のは別のことだ。

何だか心の奥のことを言語化するといっても、恣意的なもの
で「内的世界」みたいな感じでいいたてるのはうさん臭いよう
な気もするのだ。

例えば、画集とか眺めていて、モチーフをサンプリングしたり
して、コラージュしてみて構成してまあ何か出来上がるのかも
しれないけれど、なんだかイメージを一時保管しただけで、
それを並べて自分の世界です、、って言い立てるのもどうなの
か?みたいな感じなのだ。それは文字表現でも同じである。

このブログの中で書いたこととさんざん矛盾するような話でも
あるのだけど、自分で文章書きながらそういううさん臭さは
始終感じていて、そのために心理学などでは科学的な手法
になればなるほど、内観やらイメージなどは語るに足らずと
いうことになるのかもしれない。


でも、実際の場ではどうなのだろう?例えば生活の場面とか。
やっぱり、ほかの人が何を考えているのか?それも普段の日常
会話では表に出てこないような、ちょっと心の奥のほうで何を
考えているのか気になる。そういったことは案外家族の間でも
話されていないような気がする。友人同士でも、深刻な相談が
まれに持ち込まれるときに、そういう心の奥の事情がわずかに
垣間見れるだけだ。

心の奥の話なんて、だいたい薄暗い話だ。何だか悪い意味で
宗教がかっていて引いてしまう。そして、悪い意味での宗教と
似ていてなにやら胡散臭い。根拠もあやふやだし、見えないも
のを見える形にした時点で「偽」に決まっている。

そうはいうものの心の奥に巣食う象徴的なものに人々は支配
されているようにも見える。カネも性も象徴といえば象徴だし、
「社長の椅子」なんてまったく象徴だ。マイホームだって象徴。
唯物的に生きていると思っている人だって徹頭徹尾、象徴に
支配されて生きている。この支配から逃れるためには脳の外
にでも出るしかないと思う。

そういうわけで心の奥なるものをでっちあげながら書き連ね
ている。心の奥を覗きこんでも真っ暗闇で(この表現でさえ
比喩的なものであるのはご存じの通り)、言葉が浮かんで
くるといっても要するに自分の意思で選んだものである。
そこも事細かく見て行くと、コンピュータで模型でもつくって
みないと知りえない、心を観察してみても仕方のない仕組み
があるらしい。そのへんのことも読みかじりではあるけれど、
知ったうえであえて、自分の心の奥なるものを書き連ねて
いる。無駄だとは知りつつも、大量に書き続けて行くことで
何か見えてくるのかもしれないと思いつつも。


P.S 私は象徴なるものを神秘化して理解しているのかも
しれない。世界の中で普通名詞で言語化されるようなものは
科学の世界でも宗教の世界でもともに意味ある存在である。
単なる記号にすぎないもので、それはそこらへんの人工物
と似たようなもの、精神文化というべきものなのかもしれない。
そう思う一方割り切れないものは感じるものだし、そういった
傾きがヒトに自然に備わっているから病気も発生するのかも
しれない。

2013年3月14日木曜日

画塾のこと

昨日は画塾の日だった。月に一回か二回、もう一年以上通っている。
画塾については依然ちらりと書いた。

http://epimbi-madrigal.blogspot.jp/2013/03/blog-post_389.html

その中でちょっとナマイキそうなことを書いてある。

>そういうことを考えはじめたのは画塾に通い始めたことがきっかけ
>の一つかもしれない。

>自分の表現はそういうものではないと思いつつもアウトサイダー
>アートなるものは気にはなっていた。と同時にアウトサイダーアート
>なるものを模倣した、いかにも異様な表現だけはあんまりしたくない
>とも思っていた。

>自分の表現が模倣を基本としたものなのか、オリジナルなものなの
>か自分ではさっぱりわからない。

>といいながらもアイデンティティみたいなものには敏感で、画塾に入る
>ときに、技術を学ぶことで自分らしさが失われてしまうのではないかと
>危惧したりした。

>そういうわけで、画塾にはいりながら、自分のものと思われる何かは
>大事にして、覚えられる技術は適宜取り込むというちょっとした距離感
>みたいなものを保とうと思った。


その画塾から学ぶべきものはないのか?という風に捉えられかねないの
で舌足らずな部分をおぎなっておこうと思う。

そこの画塾とても雰囲気がいい。塾長先生もいい感じの先生だ。
働いている人も感じの悪い人はいないし、また学びにくる生徒さんたちか
らもなんとなくやる気が伝わってくる。

そういう雰囲気が気に入っている。今通っている自立訓練施設でも思うの
だけど、いい雰囲気ってなかなか作り出すこともできないし、それにもまして
難しいのはその状態を維持することだと思う。いつまでも変わらないでほし
いとこころから 願っている。

どこからそういう雰囲気が漂ってくるのか?書くのは難しい。ただ言えること
はその場でなされた小さな会話が、それだけでは点に過ぎないものかもしれ
ないけれど、いつしか線になり面になりという風に効いてくる。これは私にと
っては恐ろしい言葉だ。自分のふりを直さねばならない。

孤独は人の心を食んでしまう。それは自分もよく感じることだ。アウトサイダー
アートは孤独の状態で描かれる場合があるけど、そういうのは絵からも何と
なく伝わってくることもある。私には合わないような気がする。模倣するとか
雰囲気に染まってしまうという言葉とは別の話だ。

ちなみに昨日書いたのはこんな感じだ。アートというよりイラストかな。


この絵書いて、なんとなく、ポエジーな絵が書きたくなった。
詩もかけない人間がポエジーな絵といっても無理な相談かもしれないけど、
しんみりした気持ちになれるようなものを描いてみたい。かといって癒しと
いう言葉もまた使いたくないのだけど、、、

今、確かに心の中で何かが起こっているんだ

今、確かに心の中で何かが起こっている。
といっても、かならずしも私のことではなく、、、


今日は通っている自立訓練施設のプログラムで外出の日。
気分を変えて、外で形式ばらずに喫茶店など利用しながら
おしゃべりしましょうという趣旨だ。

で、まあ今日は隠れ家風のイギリス式風景庭園みたいな
庭のある喫茶店で精神科医の先生入れて5人くらいで
しゃべっていた。

映画の話、その他いろいろもりあがったのだけど、その中
でのこと。

私が団塊の世代やら昔の人は、今の人に比べて直接的
な経験が多い、一方、今の人は直接的な経験には恵まれて
いないけれど、一方でコンテンツなどを通して、間接的な
経験をいっぱいしている、などと言った。

それで、時代ごとの移り変わりによって、ひとびとの心の
中で何かが変化しつつあるのではないか?そういうことに
私は興味があると言った。

それに対して、昔の人も、今の人も基本は同じで、うれしい
ことはうれしいと思い、悲しいことは悲しいと思うから昔も
今もそう変わらないのじゃないのかなあ、みたいな話も
出たのだけど、精神科医の先生が強く反応した。


でも、臨床現場では、、、具体的なことは何もいえない
けれど、昔来ていた人と最近来ている人とは「何か」が
違うのよ。とおっしゃれた。(ここは正確な表現ではあり
ません。メモしたわけでもないので、、、)


本当は私はそのへんのことを根ほり葉ほり聞きたかった
のだけど、もちろん守秘義務もあることだし、何も聞かな
かったし先生もそれ以上詳しいことはおっしゃらなかった。

ただ何となくこう思うだけだ。事実に関する記録には意味は
あるけれど、一個人が内面で何を思っているか記録つけて
も意味がないような気もしたし、そう書いている本もあるの
だけど、外と切り離されたそれぞれの心の内側で何かが
起こりつつあるのではないかと。

コンテンツとしては、星の数ほど、世間にはあふれている
けれど、それらを受け取るそれぞれのひとの心の中で何
が起こりつつあるのかよくわからないし。アンケート調査
でも何かはわかるかもしれないけれど、そして、一人の
個人の心を見たところで一般化できないことは重々わか
っているつもりなのだけど、何か記録つけたくなるのである。

結果として意味のない、ごみのようなデータになる徒労で
それはあったとしても。

そんなことを意識しながら書いていくと人為的な歪みを
受けることはわかっている。でも、意識するからこそ、
言語化してみたり、心の隅々まで本人なりに探ってみたり
ということもある。

私は野外で植物標本を採るということはほどんどしないの
だけど、そのアナロジーで心の奥にあるものを言語化し
記録をつけたくなるのだ。植物標本と違って物的証拠で
はないし、何かの根拠になるだろう望みは薄いのだけど。

それでも、作業仮説をつくる一つのヒントくらいにはなる
のではないか?予備的調査というものがある。不十分で
あっても記録をつけると、その後の組織的な調査でどの
あたりに観察のポイントをつけるといいかの目安になる。
仮説的なモデルをつくることもやろうと思えばできるのか
もしれない。きちんとした学術的に意味があるものは
後できちんとつくればいいではないか。ノイズが多いかも
しれないとしても、何もないよりははるかにマシだ。

などと書いていくとどんどん望みが誇大な方面に向いて
しまう。少なくとも自分にとっては役に立つという身近な
ところに焦点を戻さなければならない。少なくとも自分に
とっては役に立つという観点に戻れば、それだけ誠実
にふるまえる。すくなくとも「みせる」ためのものから少し
でも遠ざかることができる。

私がここで何か書いたところで点データに過ぎない。
平均的な値というよりも、むしろ外れ値なのかもしれない。
個人情報を集めて、文章を解析しマーケッティングの材料
にするという話もネット上みるとちらつく。

技術はもろ刃の刃だ。人間のこと、日本人のことがどんどん
わかっていく、それはいいことなのかもしれないし、あまりに
も人間を性善説的に見ているのかもしれない。

むしろ未来はラポールその他心理学の知識が悪用され、
いたるところのコミュニケーションが情報戦、心理戦になって
いくのかもしれない。そして、私たちが年寄になったころは
今の年寄よりもさらにカモとしていいお客さん状態になって
いくのかもしれない。そういうことになるための材料をせっせ
と提供していくおバカなことをし続けているのかもしれない。

でも、一方でこんなことも考える。
非定型精神病は私のように2回くらいの再発で済む場合も
あれば、10回くらい再発する場合もある。症状は激烈、
何度も繰り返せば後遺症もひどくなる。

そういったときの運命の分かれ道ってどのへんにあるの
だろう。そして、まだ初発か2回目くらいで収まっている人
にそれ以上再発を繰り返さないために、治療に携わって
いる人でできることはあるのだろうか?そのためには
教科書レベル以上の詳しさで病気のこと、病気というより
も病気になる人の性格特性みたいなものを知らないと
いけないような気がする。そういう名目でこんな作業に
のめりこんでいる私もどうかしていると思うのだけど、
非定型精神病について書かれている本自体があまり
にも少なすぎるのだ。

非定型精神病、まあ、統合失調感情障碍という名前でも
いいのだけど、マイナーな病気である。

でも、中核群の統合失調症とも、中核群の双極性障碍
とも比較の対象にすることができ、比較することでそれ
ぞれの特性を深く理解することもできるのかもしれない。
これは症状だけでなく、病気になる人の特性についても
いえることかもしれない。

言葉としては、真面目と出ていたり、凝り性と出ていたり、
あるいは依存的性格とでていたりするのだけど、それが
具体的にどんな感じなのかは文章を参照したほうがわか
りやすいと思う。真面目にもいろんな種類の真面目があ
ろうし、依存的性格についても多様だろうしと思う。

それらは数字をみていても仕方がないのだから、ひとり
ひとりを観察していって、なんとなく心の中でパターン認識
像みたいなものを作るしかないのだと思う。

未熟な性格というもの

非定型精神病の医学書ちらちらとめくってみると、
症例報告の病前性格のところで目につくのは未熟、
依存的性格、そして凝り性、たまに、真面目というも
のである。

私にも身に覚えはあるのだけど、これって何なのだ
ろうか?

気質という用語もある。はっきりとは書かれていない
のだけど、遺伝と深く関係しているように思う。

一卵性双生児の場合、どちらがどちらなのか性格的
にもなかなか区別がつかない。同級生にいたので私
もそれはよくわかる。

そして、非定型精神病の場合は性格特性と発病、
そして再発は分かちがたく結ばれていると書かれてい
る本もある。一つの物事あるいは状況にのめりこんで
いって「一人相撲をとる」かのようにして発病にいたる
らしい。

そういえば私自身、担ぎ込まれた病院で「つくり病や」
「君は病気を育てて、作ったんだ」と言われたことを
おぼろげに覚えている。


未熟な性格というものは私の底のほうにある一貫した
悩みである。子どもっぽい考え方、いいほうに取れば、
柔軟性とも関係あるのかもしれないが、、、

それを自分に責任があると長年思い続けてきた。
でも、宿命的にそれは努力みたいなことをしてもとれ
なかった。努力といえるほどの系統的な何かを継続
していたわけではなかったが、未熟であるのは屈辱
だったし、自分でも治したい、治したい、そういう要素
を変えたいと一貫して思い続けていた。

だから、昔から、たまに自分に出来るかどうか分からない
ハードルを設定し、越えなければ自分で納得できないと
いう性質をもっていた。そのことによってダメな自分を
乗り越えたいと思っていたのだ。

小さいときから数え上げても、いじめられる傾向の中
での小中高の皆勤、もちろんおたふくかぜなどでは
休まされたのだけど。

高校のときは学年全体で最下位から何番目という成績
もとったけど、最後はまぐれで広島大学に通ったこと。

大学のときはシルクロードからパキスタン越えを、周り
の人に先駆けて一人旅したこと。

広島県三次市から福山市まで96キロ、ほぼ24時間かけ
てリタイヤせずに歩きとおしたこと。

まあ、他のひとからみたら些細なことかもしれないけれど、
自分の中では自分に課したハードルみたいなもので、
そういうものを越えないと自分で納得できなかったのだ。
何しろいじめられ、見下されることからくるルサンチマンみ
たいなものを年中かかえつづけていたので。

それでも、やっぱり未熟な人間は未熟みたいな感じだ。
それこそ宿命のように。父親の性格を引いたのだろうか
と内心思っていたこともある。父親は弁舌たくみで優しく
外づらはいいのだけど、外づらがいい人も何かしら問題
というものをもっているものである。私も何となく似ている。


未熟なのは遺伝からくるもので本人には責任がない、
その結果、他人や近くの人に迷惑かけても、仕方が無い、
そういう言い方は可能なわけがない。どうしたものだろう。

P.S とはいいながらなんとなく自分のことが未熟だと
思うわけで、具体的なエピソードはと問われてもすぐには
思いつかない。でも、全体的にどことなく未熟だと思う。

2013年3月11日月曜日

顔から火がでる

ちょっと古い文章を読んでみる。

哲学者の住む世界 精神病者の住む世界

などともっともらしいお題がついている。
http://epimbi-madrigal.blogspot.jp/2012/09/blog-post_23.html

顔から火がでてくる。ほとんど受け売りの文章の羅列。
まったくチープなものだ。

所詮私とはそういったたぐいの道化なのだろうと思う。
読むのも苦しいのだけど、一応書いた以上は責任がある。
どうとっていい責任なのか、責任とるだけの能力があるのか、
はたまた責任という言葉の意味を知っているのかどうかなんとやら。

もうちょっと我慢して読んでみる。

書くときには熱を帯びる、価値あることをさも書いているような
幻想に浸れる。文字化した後、しばらく忘れる。熱は冷める。

随分、時間的距離を経た後読んでみるとまったくスカスカなのだ。

図書館に籠る、ということの意味がほんのちょっとだけ分かってきた。
単に他人の言葉を寄せ集めていたに過ぎない。

言葉ののど自慢。
カラオケ文章。
自嘲的なことばがすぐに出てくる。

コラージュ表現もありとするならば、
きっと自分自身の自己表現なのだろう。
というかそこからしか出発しようがないのが頭が痛い。

自分ならではの何かにたどりつくために文章を書き散らしている。
ここはあくまでも計算用紙なのだ。

自分ならではの何かを求める
ということは裏を返せば
今の自分は他人の考えの寄せ集めでしかない
ということでもある。

本を読めば賢者になれると
昔の人はお気楽にいうけど、
そんなものはイミテーションでしかない。
そしてそれ以上のものになれなさそうな
ことはうすうすわかる。
イミテーションというよりもプラスチック製の
模造品といったたぐいのものである。

音楽はカヴァー曲から入る。
コピーから始めるのもわるくない。
そういう風でしかありえない。

新聞記事を材料にして床屋談義をする
みんなそうしているのだから、
あるいはブログといっても、
書評のような形でやるもので
種本なしにやるだけマシだと開き直れない
こともない。

かけ離れた分野由来のものがるつぼの上で
混ぜ合わされるという点では幾ばくかの
面白さがあるのかもしれない。

元をたどれば世界中から集まった何かで
贅沢にも一席こしらえあげているような豊かさは
あるのかもしれない。ちょうど単なるスーパーマーケットが
素材的には世界につながるように。

何を比較にするかで話は変わってくる。
プロの表現者を基準にするから苦しくなる。
もっと身近な人たちと比べればいいのに。

そこでやっと本音らしいものがひろいだされる。
要するに周囲からぬきんでたいのだ。
ただそれだけのために努力している。

周囲といっても、地域にもいるし、
ネット上にもいる。そして世界が狭くなるに
つれて思いっきり背伸びもしたくなる。

客観的な自己分析というもの その2

自己分析の記録の続き

哲学的な内省傾向。病気の前からそういう側面は
幾分かあったけど、病気の後拡大した。最近、
加齢のためか、リウマチのためかわからないけど
内省のためのパワーが落ちているような気がする。

内省傾向は病気のときの神秘的体験と何かしら
関係あるかもしれない。漠然と「世界がわからない」
「世界の成り立ちが知りたい」という気持ちが持続
している。とはいいながら私なぞにわかるわけがない
ということも承知はしているつもりである。でも、自分
なりにでいいから分かる範囲だけでも分かっておき
たいという気持ちがある。そういう気持ちが、よめも
しない数学、物理の本に向かわせる。

言語哲学的なこだわり。ことばというものが謎めいて
うつる。自分の考えていることが部分的ではあっても
人に伝えられるとか、言語化することでもやもやが
カタチになるということに原初的不思議さを感じる。

普通の国語辞典で、素朴なことばの意味を調べる。
だいたい循環的になってしまい。意味は最後はわか
らなくなってしまう。それでも感覚的にはわかっている。
たとえば「わかる」という言葉の意味、「すき」という
言葉の意味、その他いろいろひらがなで書けるこども
でも知っている数々のことば、でも実態はつかめない。

そういう子供でも知っているような素朴なこと。実は
やっかいだ。世界の根底に近く、「なぜ」を続けていったら
問い詰められるように素朴なことがらは厄介だ。

今まで書いたことは自己分析なのだろうか?
単なる聞きかじりの知識にすぎないのではないだろうか?
でも、それらを切り出してここに書き付けたことは意味
があるように思える。病気の人はみんながみんな
テツガクしているわけでもないのだと思うけど、急性期
の体験には根源的不思議さを感じるものだと思う。
その不思議さにこだわる人はいると思う。危険だから
そこから離れるのがいいのは重々わかってはいるの
だけど、「見てしまった以上はもう戻れない」という気分
もある。一方で私ごときに何がわかるかという気持ちは
年々強くなっている。

一つの妥協だけど、アウトプットなるものを学術の世界
ではなく、表現の世界に求めた。

苦しみは増したかもしれない。思いは強かったけど、
表現のカタチに落とし込むことができなかった。

見たもの、体験したものにはそれなりの強度があった
のかもしれないけど、そこから得られたものを作品化
するのには才能がいる。伝えるに十分な技術が必要
だ。それは私にはもてなかったものである。

ネット上でやったすべてのことは私の悪あがきにすぎない。
「やっぱり有名人になりたかったのだろ?」と人はいうかも
しれない。そしてその幻想、勘違いをあざ笑うかもしれない。
それに対して何もいうべきことばはもたない。

結局伝わってしまったものがすべてだと思う。
どういう風な印象をもたせたいか戦略的に考えられる
ほど都会人じゃない。自己欺瞞を含めたうえでの自分
そのものを魚拓のように愚直に映していくしかできなかった。
少なくとも主観的にはそうなのである。それが成功したのか
失敗したのか自分からはさっぱり見えない。

ただ、小賢しいことを越えて伝わるべきものは伝わって
いくのではないかと思っているだけだ。

「何を伝えたいのか?」
愚かなことに「裸の自分なるもの」だと思う。

「裸の自分なるもの」に興味をもつ人はいるか
どうかわからない。常識的にみるといないような
気がする。一方、裸の自分なるものをことこまかく
表現した人は少ないように思う。

大抵は立場だったり、肩書をもった人間のみ
が表現する。自分史を書いてみようという動機を
もつ人すらも功を遂げた人だと思う。そういう人
だけが自分の記念碑としてぶち建てたいのだと
思う。

自分の記念碑なるものに値する何ものも私は
もっていない。でも、そういう人にも一票の投票権が
与えられるように、表現と公開の機会は与えられている。

ただそれを行使しただけのことだ。
そして、そういうことに普通の人が目覚めた時代でもある。

なんでもない私と今書いておきながら、表看板は
「内側から見た非定型精神病」なるものである。
資料の少なさから何かを狙ったのではないか?
と問い詰められると困る。

出だしとしては狙った部分も正直にいえばある。
継続の動機はそれだけでは十分ではない。

よく見ると矛盾に満ちたことばかり書いている
けど、それを含めてという感じで書いてある。

書いたことが原因になって、暴かれるという恐れは
あるけども、もしかしたら理解されるかもしれないと
いう微かな願いもある。

ひたすら理解されたいというそれだけの思いで
書き連ねているのかもしれない。

自己開示、「わかってもらえた」という思いに至りたくて
わかりようもないことを長々と書いているような気がする。

客観的な自己分析というもの

客観的な自己分析というものは望み薄なことはよく知っている。
自画像なるものの存在を考えるとよーくわかる。
大抵の自画像なるもの、だいたい現実を幾分か理想化したもの
である。
他者による似顔絵は本人がコンプレックスをもっていそうな特徴を
誇張して描いているのと対照的だ。

私も自分自身がコンプレックスをもちそうな部分を拡大し、メスで
解剖するという芸当はできそうにない。

でも、たとえば自宅の中のスケッチという課題に置き換えていくと、
ラフスケッチを繰り返して言ったら、カネの隠し場所も、エロ本の
隠し場所も絞られてくる。

そういう意味ではあえて個人情報を垂れ流すということにまつわる
リスクを払っている。ただしそのことの意味はまだよくわからない。

ネット上をうろうろすると、看護婦さんの実習で精神科病棟にいか
される場合、自己分析記録と、患者さんの観察記録を書かされる
ということがわかった。

そして、患者さんの記録で書きにくい部分は内面に関わる事柄
らしい。そもそも、皆が皆、内面を言語化できるともかぎらない。
能力的にあるいは状況的に。

私も発病後一年くらいの間は少なくとも内面の記録を採ることは
無理だったろう。「キチガイ」という言葉すら聞くことが怖かったく
らいなので。

また、患者仲間みてみても、病気に関わる内面の事柄はなかなか
聞く気にもなれない。そういうデリケートなものであるし、そのため
整理がなかなかできない部分も多い。

発病、再発から時間が経っているからこそ、私の場合は病気の
ことも書けるし、いろんな内面にまつわることも書ける。

また、一時期は本を出せば有名になれるんじゃなかろうかなどと、
いう娑婆っ気というか幻想みたいなものをもっていた部分もある
けれど、一応そういう気分も落ち着いてきた。こころの中を正直
に見渡すと、娑婆っ気から完全に自由になっているというのも
ちょっと美化しすぎの感はあるけれど、少なくともそれほど強い
ものでもないだろう。

思うのだけど、日本人って心理系などの自己観察記録をつけ
るのにいろいろな意味で向いているのではなかろうか。
控え目な性格、誠実さ、生真面目さ、それらが記録としての
価値を高めてくれる。自己言及だ(笑)。

おまけに日本語の存在。論理性には若干難があるけど、
心理描写や感情描写に優れている。語尾を変化させる
ことで微妙なニュアンスを書きわけることもできる。

そして、こういうことは大都市の人間よりも、田舎の人間が
やるほうがいいのではないかと思うのだ。プライバシーにたい
するこだわりが少ない。表現することにまつわる俗っぽい欲望
からもある程度自由なのではないかとも思う。

同時に言語化するという意味では、まったくの田舎よりは
地方都市ぐらいのサイズの地域が恵まれているのではないか。
田舎に対する偏見かもしれないけれど、言語化する訓練という
意味合いでは環境的には地方都市くらいの文化環境がいいの
かもしれない。今まで書いたことは全くの主観的なことなので
異論反論も多分あるとは思う。

自己分析の記録といっても、まったくの虚偽に近いものから、
ある程度の客観性を読み取れるものまで、さまざまだろう。
嘘臭さはどういうところから立ち昇り、リアリティというものは
どういうところから感じられるものなのだろう。どう管理しよう
ともちらちらしてくるものはあるようだ。

最後に、もっともな疑問として、どこが患者さんなのだろう?
という疑問は起こってくるかもしれない。健常者と区別ができ
ないではないか?そういうたぐいの疑問だ。

リアルタイムでリウマチの痛みは別として、精神障害から
くる苦しみらしきものはまったく感じない。少なくとも本人の
中では健常者と区別可能な指標らしきものはないような
気がする。これは病識がないのと違うような気がする。
気分の上昇であれ、統合失調症的な要素であれ、
異変はあるのである。気分の上下はモニタリングすれば
分かるし、統合失調症的な要素も慣れてくれば検知できる。
そういういわゆる病理的な要素は今現在ないと思う。

ただ、それは表面的なものであって、安定の土壌は薄い。
何かがあると病理のスイッチが入ってしまうし、周囲の出来事
などにも影響されやすい。多分もうないとは思うのだけど、
ライフイベント的なもので病気の相が変わってしまい、
たとえば躁鬱を短期的に繰り返すラビットサイクラーになる
というようなこともありえないわけではない。

むしろ私が記録をつけたいのは、気質的な側面のことだ。
健常者の中にいるときと、精神障碍者の中にいるときと、
どっちがしっくりくるかというと精神障碍者の中にいるときだ。
健常者が生き抜くためにもっている心の牙やツメを生得的
につけていないように思う。社会の中の生存競争の中を
渡っていく能力に欠けるような気がする。一方、精神障碍者
のことはメンタル的な内面のことまでわかるような気がする。

といっても統合失調症の人の持つある種の硬さみたいなも
のはわからない。もしかしたら、急性期が終わったころの
陰性症状に苦しんでいた頃にそういった硬さみたいなもの
を私自身もっていたかもしれないけれど、非定型精神病と
統合失調症の陰性状態は性質が違うのかもしれない。

統合失調症の人の人格上の脆さみたいな印象は私は多分
もたない。でも、類推可能な範囲の近さみたいな距離感で
はある。ラビットサイクラーの抑えきれない躁状態、イライラ
感は私には分からない。急性期のときには抑えきれない
かったというよりもむしろ病識じたいがなかった。
大うつのお風呂にはいる元気もでないという気持ちもわから
ない。わたしのは抑うつや憂鬱の発作がひどいタイプなの
だけど、うまく言語化できない。クヨクヨ悩むときの気分に
近いのかもしれない。

そういう風に病気の条件がちょっと違うだけで、外国のように
わからない部分も多いのだけど、それにもかかわらず、精神
障碍者の集団から立ち上る何かは共有しているような気が
する。精神障碍者の集団といっても、世間で流通している
イメージと随分実態は違うような気もするけれど。

2013年3月10日日曜日

一枚の標本と生えている環境と時代

一枚の植物標本、それはその植物を表現したものでもあるけど、
同時に周囲の環境をも表現したものであるかもしれない。

そして、環境が変わってしまい、今ではそこでは見られなくなった
という意味では時代をも表現しているのかもしれない。

それはこのブログの文章に対する比喩でもある。
有名人でも専門家でもない、なんでもない個人の文章。
そして、集計されたものでなく、単なる点としてのデータ。

でも、それらは文脈としての環境、および時代をも映しこんでいると
勝手に思っている。

環境と時代、でも平均としての環境と時代というよりも、潜在性、
あるいは可能性としての環境と時代を表現したい。

一点でも、観察されたデータがあれば、その周囲には表現されない
沈黙のデータがあるかもしれないという目論見がある。

そういう意味では一点というのは貴重なデータなのである。
それは少なくとも存在したという意味があるからだ。

文字情報というものも、データというカタチでの存在だ。

自分の心というものを森のようなものと勝手に想像している。
今の人は膨大な情報を心にインプットし続けている。

その割にはこころの中を知る手立てが少ない。
周りの人をみていてもそうだ。つねに断片的にしかその人自身のこと
を知ることができない。その人のこころの森の隅々まで歩き回るという
機会はほとんど訪れない。ましては記録を残すなんて金輪際ない。
それだけの価値があるともみなされない。

そんな感じで一生は過ぎ去り、脳もろともインプットされた情報は
朽ちてしまう。祖父母に父親、生前はくっきりとしていた輪郭も
日々曖昧になる。輪郭といっても写真の輪郭ではなく、言葉と
しての輪郭だ。ビデオカメラで、話しているところを写したわけでも
ないから日々曖昧になる。近親者でさえそのなのだ。

付き合いのなくなった人々の輪郭も日々曖昧になる。曖昧になる
からこそいいのだというのもわからないわけではない。

なんとなく思うのだけど、自分や周囲のことをわかったつもりに
なって一生終わるのではないかと思うのだ。年長者は年を食えば
人生のことがわかる、などと見晴しのよさそうな場所から、若年者
に向かっていうことがあるけど私はかなり疑わしくおもっている。
見晴しのよさそうな場所は実は小高い丘にすぎないのではない
だろうか。

不十分ではあるけれど、言語化すればなんらかのものが残る。
繰り返し参照可能なものを観察することによって、よりきっちりと
自分や他人のことを把握する。そういうところから、より遠くの対象
やら自分をとりまくより大きな対象というものも把握しようと努力する
のが筋なのではないだろうか。

データ取得のコストやら取得可能な情報量は自分自身のことが
一番有利である。それは、太陽よりも、火星のことが詳細にわかり、
火星よりも地球のことが詳細にわかることと似ている。自分のこと
から他人のことに対象が移ることにより、理解の深さの次元が
変わる。他者だから分かるということは差し引いたとしても、
自分だからこそ分かっているという要素もあると思う。

そういう人々は膨大にいる。その膨大な人々の中にいるなんてこと
のないありふれた一人にすぎないとおもうかもしれない。

でも、周りにいた亡くなってしまった人がかけがえのない人であった
ように、それぞれの人は本来替えがきかない。

命はなによりも重いと建前上はいわれていても、ほんとうのところは
ないがしろにされているのではないだろうか。一般ピープルと蔑称され
る以前に、自分から自分の生み出したものなどに価値はないと思いこ
んでいるのではないだろうか?ある意味それは抑え込まれたものの
ように見える。そう思い込まされているだけのような気がする。

文字や知識は自分を取り戻すための武器のように思われる。
言葉や表現を奪われている人々が何かを取り戻すための武器に
違いない。

意識の流れ 内省 現代日本人 地方都市

意識の流れというものがどういうものなのかよくわからない。
小説に出てくる用語で、ヴァージニアウルフなどが使う手法
みたいなのだけど、どこがそうなのかよくわからない。

内省的なヒトによくみられたりするみたいなのだけど、内省的
でない人のこころの中を覗いたことがないのでよくわからない。

現代日本人の意識の流れってどういう風になっているのだろう?
日本的霊性なる外国人にロマンを抱かせる用語もあるけど、
そういう要素は現代の日本人のこころにも流れているものなの
だろうか?

東京人と地方人とそれは違うのだろうか?世代の違い、性別
その他によってもことなるのだろうか?

逆に東京人にこだわるところが地方人的なのだろうか?
東京ー地方という比較はなんとなく不毛な感じがする。
方言周圏論みたいな感じの言葉の秩序はそれはそれで面白い
のだけど。

沈黙

間欠泉のように言葉がおもいつく。あるいはお筆書きのように。
こういう文章の書き方はあんまりよくないのかもしれない。
むしろメモ書きなどを元にしながら構築的に、構成的に文章
はかくべきなのかもしれない。

何を書きたいのか、はっきり目的をつかむことなしに、
出たとこ勝負でもの書いている。そういう筆の進み方につき
あわされる読者のことも考えることもなく。

即興的なやり方がうまくいくときもある。次から次にいいたい
ことがあふれてくるような日ならば。でも今日はそうでもない。


沈黙、思考はとまっている。


脈をとるように、意識の中を覗き見ている。でもそういう風な
意識的な態度がいちばんよろしくない。今、考えていること
は何だろう?などと考えると言葉は引っ込む。海底のチン
アナゴが巣に引っ込んでしまうように言葉は繊細なのだ。

意識は完全に止まってしまった。
現代日本人の意識の流れってどうなってるのだろう?
自分であれこれ書くのやめて、ネット上をうろうろして
みようか。

P.S 自分の中に論証しようとか説得しようという気持ちがあんまりなく、
むしろこれこれの文脈の中にいる自分はこれこれをどう思うみたいな
ことを資料として書きたいのだと思う。
「われわれ」ではなく、私からの視点だけど、一匹のゴキブリの背後には、
という論法にしたがえばある類型の人ということになるのかもしれない。

自分の言語資料

内なるものを外化したもの。
自分の言語資料なるものは99パーセント自分にしか意味を
もたないといえる。

でも本当にそうだろうか?
私には自分史なる資料はある種断片的だと思う。
読む分には楽だけど、十分な分量ではないように思う。
作家の全集くらいの分量があってはじめて意味をもつように
思う。

そして、ひとたびそれだけのまとまった量のものをつくると、
他の人の自分史などの文章と比べることができる。
そのへんまでは今までに書いたことの繰り返しだ。

少なくとも自分にとっては意味をもつ、というところもポイントだろう。
質的データをつくるための訓練を受けたわけでもないし、書かれた
ことの信頼性を担保するものもない。

自分にとっての意味って何なのだろう?
一つは自分というものもまた移ろいゆくということもあるのではな
かろうか?自分の中の若さの感覚なども移ろいゆく。でも、文章の
中には時期おりおりの自分なるものの一部を留めおくことができる。
スナップ写真で若いときの自分の写真を写すように文章によって
こころのいくばくかを映しこむことも可能だ。

それは自分ばかりでなく、自分を包み込む空間軸、時間軸もまた
映しこむ。それだけでもまとまった分量の言語資料を作成する意義
があるのではないか?

そういうことを思いついたのは綴り方運動にまつわる文章やら、
サークル村関連の文章を読んだ折だ。そして、紙媒体なので仕方が
ないけど、もっとその人が知りたいというもどかしさも残ったのだった。

永久性という意味でははなはだ心もとないけど、少なくとも一時的
な意味合いでは情報を保管し、公開ができる。今はいい時代なのだ。

さらに自分にとっての意味を大きくもたせるにはどうすればいい
のだろう?

それは読むことだ。筆算でもするように、書かれたものを土台にして
考えたことを積み上げていくという使い方もできるし、何かの偶然で
飛び出した、思考の断片を掘り下げていくという使い方もできる。

文字列を検索してみて、あまり使用例がないものであったら、取りあえず
考える価値があるものごとである。露天掘りのようにそこここに掘り下げる
べき露頭があるのかもしれない。

そもそもものを考えるという習慣もそんなに一般的というわけでもない
ことがわかる。情報発信メディアの一般的な使い方というわけでもない
ような気がする。

理屈をもてあそび、言葉をこねくり回しているだけなのかもしれない。
空理空論、砂上の楼閣という言葉が指すもののように。

でも、それは外向的な傾きをもっている人の考え方のような気がする。
外向的な人が外に目を向けるように、内向的な人は内側に目を向ける。
内向的な人にとっては内側にも世界はある。内側の世界を言語化し、
さらに底のほうへ掘り進めていくことに情熱を傾けるたぐいの人はたま
にいる。ほりあげたものに大して価値はないのかもしれないけど、
時代の深層とどこか関係したものという意味も出てくるかもしれない。
決して計量化できるようなものごととも思えないけれども。

他の人が持っていない感覚を探すにはどうすればいいのだろう?

他の人が持っていない感覚、もうすでに文章の中に現れているはずである。
そういう要素を探し出すためにさんざん書き散らしてきた。

洗いざらい自分なるものを外化してその中から使えそうなものをよりわける。
自白調書みたいなものを作っているわけだけど、より誠実に書けば黙秘して
いる部分もしっかりある。

光があれば影もある。そして、隠したつもりでも、言葉尻に影の姿もまた
ちらつくものだ。そういう意味では長々と書き続けること自体がある種の誠実
といえなくもない。

嫌でも基本となる考え方はあぶりだされる。そこまで人間、自分の吐き出すも
のを管理できないと思う。

自分では自分に気づくことはできない。距離が近すぎる。ゆえに客観視が難しい。
それでも、言語化し固定したものは自分の身から若干でも引き離される。
時間的にも吐き出した時点からどんどん遠くなる。一貫性のある人間なのか、
軸がぐらついているのか嫌でもあぶりだされる。

外から取り入れるのならまだしも、自分の内側からそうそう軸なるものが簡単に
見いだせられるのものなのだろうか?それならば、誰もが哲学者ということにな
る。手を動かさず考えつづけることが軽視される日本の社会ではありそうもない
ことだ。

はじめに軸を設定するというよりも、何度も何度もスケッチして、重なる部分を軸
としたいと思っている。生活の中で繰り返される考え方のパターン。

考える時間をもつことは非生産的で目にみえる成果を生み出さない。ある意味
贅沢な時間ともいえる。そういう時間をたっぷりもつことができたわけだけど、
何か結果を出せたかどうかわからない。本もたっぷり、読みたい本を純粋に
楽しみのためだけに読むという贅沢もしたけど、これといって記憶に残っていない。
むしろ、その時考えたということが繰り返された。その繰り返しは何らかの意味を
もつはずだと思うけど、そのこともよくわからない。単に漫然と読み続けただけなの
かもしれない。

情報取得コストを考えると野外に出るより、図書館に籠ったほうが効率がいい。
ただ、そういう楽をしようとしたというよりも、単にカネがなかったとか、健康に問題
ありといった制約からそうなってしまったのだと思う。図書館に籠るほうが確かに
効率はいいのかもしれないけど、文字の連なりにすぎないものを深く心に刻みつけ
るのは難儀なことだと思う。両手から砂がこぼれていくように読んだ言葉はこぼれ
落ちていく。そして虚しくなる。

ネット上をうろつくのはさらに、ブロイラー感が増すように思える。狭い鶏舎で配合
飼料を食べている家禽たち。丸々太った体は屠られ、誰かの肉体の一部となる。
ネットで吸収した情報も、食物連鎖上の上位者のほうへ流れていくだけなのだろう
か。それも自然の営みというわけなのだろうか。人力人工知能のような感じで、
誰かがやるべき思考を代わりに行い、結果を出力しているだけなのか?そういえば
私自身、ネットをそういう感じで検索している。文字列のコーパス、あるいは思考の
コーパスとして使っている。そういう使い方からすると素人による文字表現はおおい
に意味がある。また話題がずれた。

他の人が持っていない感覚を探すにはとにかく、多量の自分の言語資料なるものを
作成するのが一番のような気がする。ゴミの山なのか宝の山なのかわからないけれ
ども。盗まれるという恐れなどよりも、他の人からの感想のありがたさを感じることの
ほうが多い。ネット上の人から感想もらうのはほとんどないけど、現実世界の自分の
まわりの人から感想もらう機会は結構ある。

2013年3月7日木曜日

長屋の生活

私の子供の頃の家はマーケットと呼ばれる個人商店の
の集まった市場の一角にあった。

木造二階建てで、二階の区画はまるまる自分の家だった
けど、一階の区画は散髪屋さんと母の洋裁店ではんぶんこ、
という感じだった。

奇怪なのは二階からの自分の家の階段を下ると散髪屋さん
の店の中に出て、一度、よその店の中をくぐらないと外に
出られないという形になっていた。二階から直接は洋裁店
には降りられない仕組みになっていた。

散髪やさんをよその店と一応書いたけど、今日の感覚では
まったくそういう感じではなかった。

小学校いくかいかないか位の私が降りると、散髪屋の息子
というか兄さんが待ち構えていて、コブラツイストかけられた
りするのだった。コブラツイストというプロレス技、今の人に
通用するだろうか?

散髪屋さんのおばちゃんは士族ことばといわれる上品な
昔の鹿児島弁をしゃべるおばちゃんだった。そのおばちゃん
になぜか銭湯に連れて行ってもらって頭をごしごし洗って
もらった記憶がある。それも一回だけじゃないような気も
する。

同じマーケットの食堂だけど、カレーライスがうまかった。
同時期に戦隊もののゴレンジャーをやっていたけど、
ゴレンジャーの中に出てくるカレーとなんでかしらない
けども、長屋の食堂のカレーライスを結びつけていた。

食堂のおばちゃんとも単にお客と店の人という関係では
なかったと思う。長らく自転車に乗れなかった私がちゃん
と自転車に乗れるようになったのはこのおばちゃんの
骨折りだ。根気よく、世話して乗れるようになったのだ
けど、つきあってくれた時間は昼間の営業時間中だった
と思う。のんびりした時代だったのかもしれない。


すべては幻のような時間で、遺跡のようになってしまった
市場もついには地上げの対象になり、原っぱのような
感じになってしまった。原っぱの一角で母は今も洋裁店
を細々とやっている。母はこの土地の最初からの歴史
を知っている生き証人みたいなものだ。

P.S マーケットの構造はセメントで固めた小路をはさん
で商店が並び、道の天井には屋根がついていた。
戦災復興時にできた木造の繁華街で中には洋裁店、
散髪屋さん、ふとんやさん、魚屋さん、缶詰ものの店
味噌が売っている店、精肉店、米屋さん、和菓子が
売っている店、店頭で天然ウナギをぱたぱた炭焼き
してる三軒くらいの魚やさん、店頭にテレビゲームを
置いていた野菜やさん、食堂、めんどうみのいい
ガキ大将のすんでいた衣服やさん。そんな感じだった。

2013年3月5日火曜日

日本文化の主体性

「内側から出てきた問い」という文章からいきなり大風呂敷に
なってしまうのだけど、日本文化は模倣文化というけども
意外と主体性のあるオリジナルな文化なのではないだろうか?

そうでなければ、過去において少なくとも文化的植民地状態に
陥っていたはずだと思う。

島嶼という枠で区切られ、大陸から適度な距離にあったので、
必要により文化を取り込むということが可能になった。

必要によりという表現が味噌だ。必要としないものまで染め上げ
られるということにはならなかった。

そういうことを考えはじめたのは画塾に通い始めたことがきっかけ
の一つかもしれない。

自分の表現はそういうものではないと思いつつもアウトサイダー
アートなるものは気にはなっていた。と同時にアウトサイダーアート
なるものを模倣した、いかにも異様な表現だけはあんまりしたくない
とも思っていた。

自分の表現が模倣を基本としたものなのか、オリジナルなものなの
か自分ではさっぱりわからない。

といいながらもアイデンティティみたいなものには敏感で、画塾に入る
ときに、技術を学ぶことで自分らしさが失われてしまうのではないかと
危惧したりした。

そういうわけで、画塾にはいりながら、自分のものと思われる何かは
大事にして、覚えられる技術は適宜取り込むというちょっとした距離感
みたいなものを保とうと思った。

文章のときもそうだ。文章上の基本的な約束事なり、基本的スキルみた
いなものが存在することは知っている。

それはそれとして、自分の考えに則って、とりあえず大量に書き出してみて
再帰的に自分の表現というものを知っていこうという風な感じでかいている。

おかげで結構読みにくい文体になっているのかもしれないけど、それも
繰り返しているうちに自分の味みたいになっていくのではないかという甘い
期待もある。

思うのだけど、北国よりも南国のほうが、そして南国になればなるほど
規範意識はよわいのではないだろうか。時間についての約束もそうだ。

それは人間そのものに染みつき、ある意味でルーズだったり、管理が
苦手な人間を生み出す一方、多様な癖、行動パターンを生み出し、
ときには画期的な考え方みたいなものも生み出すのではなかろうか。

現に歴史の舞台では西日本は妙に存在感がある。

日本は南北に細長く、ラテン系みたいな県民性もあれば、ゲルマン系の
ような県民性もあり、それらは中央においていいとこどりされるのかも
しれない。

P.S 私の文章は説得性にかける。思いつきで書いているのだから仕方が
ない。でも、言語化されるということは意味があるのではなかろうか。
言語化された上で吟味がなされ、検証あるいは棄却される。
そして言語化は誰にでもできるとは限らない。たまたま何かのきっかけで
思いつくということもありそうだ。そういう思いつきをネタ帳にメモしておく
人は多い。そのメモ帳を公開しているような感じでブログを書いている。

内側から出てきた問い

内側から出てきた問いを大事にしたい。
今日なんとなく思ったことだ。

地方だったり、日本だったりするのだけど、
外側からその世界に参入するというパターンが多い。

学問をするにも芸道をするにも東京なり西欧に規範と
なる中心があって、外側からその世界に入っていくとい
う風なイメージのものが多い。

その結果、教え込みの世界になってしまいなかなか
オリジナルな世界にたどりつけない。

逆に、文章でもビジュアルでもなんでもいいのだけど、
とりあえず難しいことは考えずに自分でやりたいように
じゃんじゃん吐き出していって、その中から自分なりの
ルールが出てくるようにすればどうだろう。

あるいはそういった出てきたものの中から自分の気に
いったパターンを拾い出してきて、そだててみるのは
どうだろう。

そこで大事なことはそういう営みの中から出てきた
内側からの問いを大事にするということではないだろうか。

いろいろやってきたら嫌でも疑問がわく。
そういう生活の中から出てきたものを大事にしたい。

たぶんそういった生活の中から出てきた問いは自分を
自分だけの世界に連れて行ってくれるだろう。

そしてその世界は自分にしか通用しない世界ではなくて、
他のひとからも興味深い、ある普遍性をもったものに
ちがいない。

少なくとも模倣からうまれた月並みなものではないこと
だけは確かだろう。

そういう生活の中で出てきた学びをまとめあげていったら
生きた学問ができあがるのだろう。

自分という土壌の中からうまれたかけがえのない
生きた学問が。

2013年3月3日日曜日

世界は日々考えたことから成り立っている。



まだ、自分が何が表現したいのかよくわかっていない。作ったものを置いていて、
いろいろ考えるのが好きだ。地理学者がフィールドで考えるのが好きなように。

帰納的というか再帰的というか、そんな風にして少しずつ自分の世界とやらが
わかってくる。

別々の場から集まった種たちから、場が構成され、集まった種たちの中から
新たな種が生まれる。そんな感じで新しいものを生み出してみたい。

丁度、劇団の中から、新たな役者さんたちが生まれてくるように。

おなじみの役者さんたちも、別の物語、別の文脈では違ったペルソナが現れる
かもしれない。そんな効果もできれば楽しみたい。

おせっかいとホスピタリティ

最近意識して引き気味にしていることが多い。
余計なことはあえてせずに、それとなく見守っている感じ。

どこまでやるのがバランス上いいのだろう?
他人としてどこまで関わるのが適当なのだろう?

そんな神経をよく使う。
でもここぞというときは一歩踏み込む。
普通の人はそこまではしないかもしれないとは
思いつつも。

人がいいということなのかもしれない。
いい人とはニュアンスが若干ちがい苦味がある。

どうせ田舎者だから、田舎者らしく、心を凍らせたくはない。
ピエロにみえることさえあるけれど、まあそれも人となりなの
だろう。

都会の人に学びたいのはマナーだ。
大体外国人に嫌悪感を催されるのはマナーがらみのときが
多い。裏を返せば、私もいろいろやらかしているのだろう。

どう頑張ったところで垢抜けた感じにはなりようがない。
もともとそんな感じで生きてこなかったし、生きてこようとも
思いもしなかったのだから。

また話がずれた、というかおせっかいとホスピタリティという
お題だったっけ。

善意の押し売りではなくて、受け取る側のことにも思いやる
ということだろう。善意なんて仰々しくしないほうがいいよう
な気がする。細やかな心遣いというような高等なことはでき
ないにしても、ほんのちょっとしたことが相手にとっては意味
をもつこともありえる。

ほんのちょっとしたこと、塵もつもればというけれど、
社会の表情を左右しているのは、そこここにあるほんのちょっと
したことかもしれない。

また、そういう。そこここにある空気のようなものは意外と簡単に
は構築できないものなのかもしれない。

点が線になり、線が面になる。小さな小道具はほかの小道具と
結びついてこそ意味をなす。それは徴候であり、背景を指し示す
ものである。

対人距離の調節

兄をみていてなんとなく思うのだけど、
優しくて、素朴で、いい人なんだけど、どこか鬱陶しい
そんな感じがすることがある。

家族みんながみんなおせっかいな部分があるような気
がする。これも奄美的パーソナリティということなのだろう
か。

コートをかけてくれるのはありがたいけど、放っておいて
くれないで、無理やりコートをかけてくるような鬱陶しさを
ときおり感じることがある。

ホスピタリティ溢れるという言葉はいい面に着目すると
そうなのだけど、度が過ぎると鬱陶しくなる。

私なども、放置しておくと、どんどん濃密なコミュニケーション
になりがちだ。カウンセリングの本でラポールやら共感的
理解やらの概念習ってしまったのが事態を悪化させている。

だから、対人距離をかなり意識して調整している。自然な
感情には反していることなのだけど、こういうことをやらない
と絆だらけでがんじがらめになってしまう。

その結果、濃密な部分と冷血な部分の混合になってしまう。
多分、私に意外な冷血さを感じる人はいると思う。

心の中に熱い血液が流れている部分と冷たい血液が
流れている部分があるような気がする。それでもって何かが
破たんすることをやりすごしているのかもしれない。

私はそうなのだけど、私に関わりをもったひとはどうだった
のだろう?心の深いところを傷つけているのではないだろうか?

私はいつもの私であったとしても、相手にとってはかけがえのない
出会いであり、かけがえのない存在だったのかもしれない。
本土の人が奄美の環境で癒されるように。

ひとたびそういう感じの関係になったからこそ、振り切るようにして
離れてしまうことも多い。それが本土という文脈での不具合の一つ
なのかもしれない。

リウマチとエネルギー、そして表現すること

リウマチななんとなく進んできた。体の節々がいたい。
なんだかエネルギーが奪われる。そして、何にしろ表現するの
にはエネルギーがいる。

出撃してもいないのに、退却戦をしないといけないような感じ
になってきた。なんとなく。

どんな状況でもそれなりの対処の仕方はあるものだと本には
書いている。実践の中でそれを検証しなければならない。

幸運なのは媒体としてコンピュータを使うことだ。目は疲れるけども、
体への負担はそれなりに低い。

絵描きの人は若いときには大作をつくるけど、加齢ともに絵は小さく
なり、晩年の頃は小さな花瓶に一輪挿しみたいな絵を描いていると
いうイメージがある。それでも、数ある職業の中で絵描きの人が一番
晩年まで現役でいられると読んだこともある。

まだ、肉体を舞台でさらすよりはましなのかもしれない。母は年老いた
歌い手がテレビに出てくるとチャンネルを変えてしまう。見ていられない
のだそうだ。

私は何でもない。ただのアマチュアで道楽で描いたり、書いたりしている
に過ぎない。されどひとりの人間の記録としては十分なのではないだろう
か。

記録するに値する人間とか値しない人間とかはない。
ただ、上手に伝えられるかどうかの違いでしかないと思う。

もっとも、カメラの向きを自分やら、自分の心の中だけに向けるのではなしに、
周囲のものや記憶に映った過去の情景などに向ける時間も作るべきだった
ような気がする。せっかく記録する力をもっているのならそういう力の使い方
をしたほうが有意義だったのかもしれぬ。

記録する力は十分ではないにしろ、まったく記録が残らないよりははるかに
ましだ。

自分とは一体何者なのだろう?
アイデンティティがまったくはっきりしない。ニートであるからもっともな話
だけど、平穏期の非定型精神病、奄美二世、それぞれのラベル。
ラベルがあるから悩むだけではあるのかもしれないけど、それだけでも
ないような気がする。

平穏期の非定型精神病。まったく健常者と変わることはないのだろうか?
それならなぜ過激な仕方で再発することもあるのだろうか?そもそも、
発症などもしたのだろうか?

脳に微細な欠陥があって、それが表面化しないまま、青年期までやってきて
恋愛だの就職だの波乱の場面に出されると破たんしてしまう。なんだか
そんなモデルを読みかじりの本の断片から作っていた。主治医は大体そんな
感じなのではないかと頷いた。

表面化しないのなら、水面下ではどうなのか?私がブログ書き続ける理由の
一つだ。

奄美二世のほうはどうだろう。鹿児島生まれ、鹿児島育ち。でも、パーソナリティ
的には本土的なのか奄美的なのか最近よく考える。対人距離のありかたみたい
なものが微妙に違うのではないかと思う。奄美は多分、本土よりも社会的な意味
での対人距離が近いのではないかと思う。逆にそれが本土という文脈の中では
不具合を生み出す要因になっていることもあるのではないか?そんなことを思う
こともある。

またすっかり、お題とずれてしまった。考え方の筋道のあり方とか論理的にものを
考える習慣が育つ環境だったのかどうかとかいろいろ考えてしまう。

そのへんのことは奄美というキーワードをもちださなくても、西洋的な文化要素と
東洋的な文化要素と衝突し、すりあわせを無意識のうちにやっているに違いない
現代日本人共通の問題ではある。すりあわせというよりは矛盾をはらんだ並立
だとも思うのだが、、、

2013年3月1日金曜日

どろりん

どろりんは鶴丸城のお堀に住む巨大な謎の生物だった。

お堀の周囲は今の整然とした感じではまったくなく、
子供たちの好きな藪めいた雰囲気の場所だった。

県図書も、黎明館もできるまえの話。

当時、小学校低学年だった。

今も昔もお堀からたちこめるハスのにおいは変わらない。
ただ、周囲の雰囲気がちがうので、ぜんぜん違う感じが
する。

当然、今、お堀の周囲を囲む柵なんてものはなく、
おそるおそるという感じでお堀のわきの踏み分け道
みたいな小さな路を行ったり来たりするものだった。

「どろりん」
大きな水の動く音がして、謎の生物は消えてしまう。

なかなかどろりんは見ることができなかった。
それでもたまにみることができた。

ハスの葉の間の水中に佇む
茶色い不気味ないかつい感じの魚。

カッチンとかニンカンとか当時の子供仲間がいたけど
神聖なる存在とまではどろりんはいかないにしても、
何やら象徴めいたいきものだった。

子供たちの間ではお堀は底なし沼として知られており、
当時石灯籠があったあたりではお堀に降りることもで
きて、泥だらけになって遊んでいた。アメリカザリガニ
か何か捕っていたと思う。

城山側に近いどちらかというと湿地に近いような場所
にも降りることができた。春になるとムラサキケマンが
咲き、実を結ぶと、手で触るとぱちぱち実が飛んで
おもちゃ代わりになった。そのあたりでシロマダラという
珍しい蛇をつかまえた。

すべてはある日を境に変わってしまった。
お堀でのルアー釣りが一時解禁されたのだ。

お堀のわきにカエルやら何やらの形をした疑似餌を
持ち込んだ釣り人がびっしり座り込み、あっという間
にどろりんはいなくなってしまった。

どろりん、私にとっての「少年の日の思い出」のひとつ。

ライギョという正式な名前を知ったのはもっと後の
ことだった。