『イマココ――渡り鳥からグーグル・アースまで、空間認知の科学』
『ヴァーチャルという思想―力と惑わし』
この二つの本を平行してしばらく前から読んでいる。なんとなくなんだ
けど、見えない世界を探求するために読んでいる。
イマココのほうは空間認知の話でメンタルマップみたいな話は出て
は来るけど、基本的に目に見える世界のことについて書かれてある。
で、目に見える世界の応用問題として、目で見えない世界のことを
考えている。といっても神秘的だったり、宗教的だったりするのかは
分からない。単純に自分の中のイメージの世界の話だから。
イメージの世界であれば、物理学的イメージというように、科学の世界
でも欠かせない。脳の中の話とするならば、それで収まっている。
それはパソコンが情報の媒体であるのと同じく、まったく機械的な現象
として扱える。怪力乱神を持ち出さずとも済んでしまう。
脳という媒体に限らず、可能性の世界に元々それは存在していると
するならば、イデア論に近くなる。ボルヘスのバベルの図書館。
あるいはルールを構成して土俵をつくると、そこから戦略などがうまれる。
将棋であれ、野球であれ、そういうものだ。そこを深刻に考え始める
と眩暈がまたしてくる。
料理の世界、建築の世界、哲学の世界、文学の世界、、、
三千世界というのは本当にあるのかもしれない。人が住んでいる世界
だけでなく、分野、分野にまた独特の世界が存在していて、それら、
見えない世界はおそらく蜘蛛の巣のような形で結ばれている。
それぞれの世界や、その世界を構成している要素を一種の生き物
として、脳なのか可能性の世界なのかわからないがともかくも、
そこに住まう有機体として捉えることは可能だ。
そして、それらが写像される形で我々の住んでいる三次元空間が
成り立っている。そう考えると三次元空間自体も異界化してしまう。
そういうわけで、仮想世界に入るためにPCという道具は本当に必要
かどうかも不明瞭になり、意識を含め、なんらかの媒体があれば、
仮想世界は表現可能であり、生物圏も人間圏も情報圏も可能性の
世界が具現化され、実現された仮想世界なのではないか?という
考えがもたげてくる。そのあたりは単なる生涯学習の学びの世界
である。
で、やっぱり関心があるのは、自分の意識の中にどんな世界が
眠っているのか具現化したいという欲望だ。
そして、その前提として自分の住まう都市があり、都市の文化的
中心の一つとして、都市にある図書館が存在する。
で、それぞれの都市の図書館にある本の組み合わせは違い、
その違いの中から、図書館世界に潜ることによって、構成可能
なイメージの違いが出てくる。そして、それは自分の意識という
フィルターを通さずには出てはこないのだ。人力検索の世界。
出力されたものはありきたりでつまらないものかもしれない。
そうでないかもしれない。どちらにしてもいまここのわたしが
生み出したなんらかの結果である。
0 件のコメント:
コメントを投稿