自分なりのバランスを取りつつなるだけ水平飛行。ああ、難しい。
気分の上下に翻弄される自分には所詮無理な話ではある。
でも、自立訓練の相談員さんの話によると、それなりにバランスを
取るのは上手なんだそうだ。自己評価ではあるけれど、まあ、
症状も軽かったというのもあるかもしれないけれど、時々おこる
自我肥大に足元をすくわれず、谷の時もなんとか自分を支えるだけ
の余裕が持てたし、またそういう状況でもあったということが今の
平穏に導いてきたのだろうと思う。まあ、単に運がよかっただけ
なのかもしれないけれど。
世間で出会う、様々なものごと、それは人だったり、出来事だったり、
作品等だったりする、それらは十分、自分への脅威となりうる。
別に人は人、自分は自分と比べたりしなければいいのだろうけど、
やはりそこはただのニンゲンである。私もサル山のサルというところ
から超越できないわけで、ココロの中で自惚れたり、がっくりきたり
するものだ。
でも、それは読んでいる皆様だって、そうなのではないだろうか。
そう簡単にヒトは仙人みたいな存在にはなれない。誰だってその人
なりの未熟さというものを持っている。
先ほどから何か分かったようなこと、悟りすましたようなことを
くどくど述べている。たぶん借り物の知識を試してみただけのこと
だろう。真に受けず、そう読み流していただきたい。
まあ、何か書き物を具体的にしてみると、批判するなり、評価する
なりできるわけだと思う。「カウンターテクスト」という表現を見つけた。
また、手作りの思想を作るためのヒントみたいなものも見つけた。
みなさん、それぞれ、身近なところにやっつけるべき未熟なテクスト
を見つけ、それを批判することを通して、自分の考えみたいなのを
構築していただけたら幸いだ。カンペキなテクストは単に信奉者に
なるしかないわけで、それは越えられない父親みたいなものだ。
そんな感じで、アラの多い、テクストというのも存在価値はあるの
ではないかと思う。切磋琢磨というか、どうか自分の考えを晒す
ことを恐れないで、批判したり、されたりを通して、自分の世界と
いうのをでっちあげて欲しいと願う。
どうあがいても、自分は自分。虚勢を張っても仕方がないことだ。
淡々と記録を続ければ、たまにはまぐれ当たりも期待できる。
バッターボックスに立って、とりあえずバットを振ってみる。
みごと空振り。それもいいではないか、なんてカッコいいことを
言ってみる。田舎のオジサンのナルチシズムに過ぎないかも
しれないけれど。
P・S ちなみに「カウンターテクストを生み出すために」は
英文は読んでいません。読める部分だけを読んでいます。
読めない部分はざっと読み流しています。部分的に読めない
テクストでも、どこか読める部分にヒントになる文章をみつけたら
それでよしとする立場です。どっちかというとざーっと読み流し
ながら、面白いと思うところを拾っていくような読み方です。
ちなみにこの文章、相手の作品を距離をもって批判的に
読み、評価すべきところはキチンと評価もし、その作業を
通して自分の立場をつくり、できれば作品として、結果を
残すという風に読みました。ものすごい粗雑な読みでは
ありますが、具体的に何かものを作ることを通して、
それを乗り越えてくれる誰かを期待するという風に読み
ました。我が屍体を越えて往けみたいな感覚です。
P・S ちなみに「カウンターテクストを生み出すために」は
英文は読んでいません。読める部分だけを読んでいます。
読めない部分はざっと読み流しています。部分的に読めない
テクストでも、どこか読める部分にヒントになる文章をみつけたら
それでよしとする立場です。どっちかというとざーっと読み流し
ながら、面白いと思うところを拾っていくような読み方です。
ちなみにこの文章、相手の作品を距離をもって批判的に
読み、評価すべきところはキチンと評価もし、その作業を
通して自分の立場をつくり、できれば作品として、結果を
残すという風に読みました。ものすごい粗雑な読みでは
ありますが、具体的に何かものを作ることを通して、
それを乗り越えてくれる誰かを期待するという風に読み
ました。我が屍体を越えて往けみたいな感覚です。
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