はじめての方へ

私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。

P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。

p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。

P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)

P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)


2013年11月28日木曜日

見えない世界 といっても神秘的かどうかは分からない

『イマココ――渡り鳥からグーグル・アースまで、空間認知の科学』

『ヴァーチャルという思想―力と惑わし』

この二つの本を平行してしばらく前から読んでいる。なんとなくなんだ
けど、見えない世界を探求するために読んでいる。

イマココのほうは空間認知の話でメンタルマップみたいな話は出て
は来るけど、基本的に目に見える世界のことについて書かれてある。

で、目に見える世界の応用問題として、目で見えない世界のことを
考えている。といっても神秘的だったり、宗教的だったりするのかは
分からない。単純に自分の中のイメージの世界の話だから。

イメージの世界であれば、物理学的イメージというように、科学の世界
でも欠かせない。脳の中の話とするならば、それで収まっている。
それはパソコンが情報の媒体であるのと同じく、まったく機械的な現象
として扱える。怪力乱神を持ち出さずとも済んでしまう。

脳という媒体に限らず、可能性の世界に元々それは存在していると
するならば、イデア論に近くなる。ボルヘスのバベルの図書館。
あるいはルールを構成して土俵をつくると、そこから戦略などがうまれる。
将棋であれ、野球であれ、そういうものだ。そこを深刻に考え始める
と眩暈がまたしてくる。

料理の世界、建築の世界、哲学の世界、文学の世界、、、
三千世界というのは本当にあるのかもしれない。人が住んでいる世界
だけでなく、分野、分野にまた独特の世界が存在していて、それら、
見えない世界はおそらく蜘蛛の巣のような形で結ばれている。

それぞれの世界や、その世界を構成している要素を一種の生き物
として、脳なのか可能性の世界なのかわからないがともかくも、
そこに住まう有機体として捉えることは可能だ。

そして、それらが写像される形で我々の住んでいる三次元空間が
成り立っている。そう考えると三次元空間自体も異界化してしまう。
そういうわけで、仮想世界に入るためにPCという道具は本当に必要
かどうかも不明瞭になり、意識を含め、なんらかの媒体があれば、
仮想世界は表現可能であり、生物圏も人間圏も情報圏も可能性の
世界が具現化され、実現された仮想世界なのではないか?という
考えがもたげてくる。そのあたりは単なる生涯学習の学びの世界
である。

で、やっぱり関心があるのは、自分の意識の中にどんな世界が
眠っているのか具現化したいという欲望だ。

そして、その前提として自分の住まう都市があり、都市の文化的
中心の一つとして、都市にある図書館が存在する。

で、それぞれの都市の図書館にある本の組み合わせは違い、
その違いの中から、図書館世界に潜ることによって、構成可能
なイメージの違いが出てくる。そして、それは自分の意識という
フィルターを通さずには出てはこないのだ。人力検索の世界。

出力されたものはありきたりでつまらないものかもしれない。
そうでないかもしれない。どちらにしてもいまここのわたしが
生み出したなんらかの結果である。

2013年11月26日火曜日

大衆化された知識を使いこなすこと

”大衆化された知識”、あまりいいニュアンスはない。
専門家集団から拡散された、使い方が少々間違っている専門用語たち。

でも、それを言うのなら、すでに漢語の段階でも、翻訳語の段階でも、
元の集団と使い方は微妙にずれているのではないだろうか?おそらく。

元々は専門用語だったものが今は普通の言葉になっている、イメージ
とか、システム、情報に記号、思想に哲学に本質。言葉の出所を探り
始めると咎を誰だって免れない。元々の意味からずれていない真正の
言葉をしゃべっていますなんていう人はいるのだろうか?

むしろ、罪深さを自覚している人々のほうが罪深さを自覚しているだけ
マシなのではないか?

私は家に辞書をいくつも置いていて、疑問が出るたびに引いてます
という作家みたいな人もいるかもしれない。その努力には頭が下がる。
でも、辞書的な意味は出発点に過ぎなくて、意味は多層的で、本当の
意味を知っている人などいない。私もそういう人に過ぎないのかも
しれないけれど、なんらかの意味で多くの人は言葉を振り回している
のかもしれない。自分が書いている(つもりの)言葉がどういう意味を
意味しているのかよくわかっていない。聞きかじりの知識を振り回して
いる、まさにその知識が「大衆化された知識」というわけなのだ。

でも、そういうことは道徳用語が大衆化された際にも繰り返された
ことなのではないか?別にインターネットの時代だからというわけもなく。

愛の本質はわからぬまま、愛という言葉はそれぞれの抱く愛のイメージ
とともに社会に流通している。東洋的な愛、西欧的な愛、日本古来から
あった対応するもの、それぞれ混じり合いながら、今の人は使っている。

家に使っている様々な家財道具、そして、今、パソコン上で使っている
道具類、ありきたりな使い方しているかもしれないし、かなり風変りな
使い方しているかもしれない。そして、アタマの中にかき集められたもの
どもも大同小異なのかもしれない。

それはそれぞれの人の事情というものだ。たとえ、使い方が間違って
いようとも、すこしズレていようとも、それはその人の状況の中での
ある種の自然なことなのかもしれない。それは日本という、知識のある
種のふきだまりでの状況と瓜二つに違いない。

紳士でもない人が紳士服を着ていても、ピザにイカが入っていても、
もはやとやかく言われる筋合いはないのと同じく、個人が使う知識や
言葉がもともとの意味とずれていたとしても、それもある種の自然な
営みに違いない。言葉や知識とは元々そういうものなのかもしれない。

どう転んでも、摩耗した言葉の織り成す生態系でしか、自分の心は
ありえない。元々の生息地から離れ、元々の生息地での振る舞いから
するとかけ離れたような奇怪な生態を帯び始めた外来生物の園なのだ。
自分の心はそういうものでしかありえないことを肯定するしかない。
日本という世界をエキゾチックの園と楽しむような外国人たちまなざし
のような感じで自分の心、自分の文章をとらえなおすしかない。

ある種の文化的るつぼには違いないから、店おりおりのカレーの
味を楽しむような感じで試食してもらうしかない。

慣用句というもの

慣用句というものを知った、というか知らなかった。あるいは意識しなかった。
意識はしていたけど、慣用句という言葉を忘れていた。

国語か英語かの授業で習ったっきり、心の棚の奥深くに眠り込んでいた
言葉。

慣用句という言葉は忘れていたけれど、慣用句的なものに意識しながら
文章は綴っていた。できうれば、自分独特のいいまわしを作り出そうと
悪戦苦闘しながら。

当然それは文化として共有されたものではなく、自分の内側から
出てきたものに過ぎないので、他者には読み取りにくい。自分さえも
どういうニュアンスで使ったのかは時間を経るごとに解読困難になって
しまう。

ラングとして共有されたものではなく、パロール、個人語のような世界に
こだわるのはなぜだろう。そんなことしても、コミュニケーションがしにくく
なるだけで、全然トクにはならないはずなのに。

自分独特の世界を生み出したところで、継承する人がいなければ、
一代限りのものになる。生体の遺伝子とて、文化遺伝子とて事情は
同じだ。そして、その独特とやらのモノに魅力や、優れた特性がなけ
れば、継承する人もいないだろう。

それでも、そういう独特のものを生み出そうと孤軍奮闘するのは、
「鹿児島で生み出されるものは、所詮、東京の二番煎じ、三番煎じ。」
と東京から来た人に言われたことがいまだに頭に残っているからかも
しれない。

そして、鹿児島から生み出されるモノはホンモノの文化ではなく、
ニセモノの文化に過ぎないと信じている人もいる。この言葉にはいろん
な意味が含まれていると思う。先の、模倣か亜流に過ぎないという
ニュアンスと、もし、何か変わったモノが出てきたところでそれは一種の
訛りみたいなものであり、普遍性はないから、影響を残さないという
意味合いもあろう。

そういう見方に対する一つのプロテストとして、何かゴシゴシ自分で
作り出そうともがいているような気がする。それは一種の郷土愛なのか、
古代から続く「まつろわぬ民」たちの記憶がそうさせているのか。
話がそれた。慣用句だった。

他人の文章の慣用句的な用法を注意してみていくと、文章の影響関係
がわかるときがある。慣用句的な用法といっても、自分で思いつけるか
どうか怪しい。たとえば「夢にさえ思い描くことができなかった」とか
「永遠的なもの」と書かれていたときに、文章の影響関係を見てしまう。

日本では西欧をはじめ、世界中の文学が翻訳されているので、知らず
知らずのうちに、各個人の言葉の中に世界中からの慣用表現がまぎれ
こんでいるのかもしれない。毎日の食卓の食材が世界中からやってくる
のにも似て、そのごった煮としての文章はある種、壮観である。

路傍の雑草が世界中からきた帰化植物から成り立ち、詳しく知ろうと
すれば、世界中の植物相のことを知らないといけないハメになるという
意味で専門家がしりごみしてしまうのとどこかしら平行する風景だ。

私も十分、路傍の植物みたいな、そこらへんにいる人間の一人かも
しれないけれど、考えたものごと、書いたものごとについては、
それ、どこから来たの?とやりだしたら、大変難しいことになって
しまうかもしれない。現代人の頭の中ってそんなものだ。

それをカラオケ文章と卑下していたけれど、ひっくり返してみれば凄い
ことなのでもあるかもしれない。

そして、私は悩む人間だ、何かしら問題を抱えているのかもしれない。
そして、その悩みに回答しようとして、回答できなくても、悩みのあり
かを記述しようとして、かき集められた知識を自分なりの文脈で使おう
とする。実存という言葉が使えるかどうかはわからないけれど、単なる
知的好奇心ではなく、自分の苦しみと何かしら関連する形で自分の
学びは成り立っているように思う。

自分の悩み、贅沢な悩み、娯楽とさえ言えるかもしれない、優雅な悩み、
だって、悩むことは生きがいとさえいえるかもしれないだけの魅惑さえ
もつようなものだから。もしかしたら、飼い慣らされた悩みにもう、なって
いるのかもしれない。教養は受け取り方を変える。逆説というものを知っ
ている。状況を楽しむ余裕を与えてくれる。もちろん、余裕が発生する
くらいの強度の状況なのだろうけど。

まったく個人的な文章だけど、類概念としては似たような状況にいる
人はいるだろう。もしかしたら、同類はウラジオストク市に住んでいるかも
しれないし、アンカレッジ市に住んでいるかもしれない。あるいは鹿児島の
裏側にある、ポルト・アレグレ市に彼/彼女は住んでいるのかもしれない。
あるいはちょっと時間軸がずれたところに同類は住んでいるのかもしれない。
また、話が別方向に飛んでしまった。

P.S 教養という言葉は自分で使うべき言葉じゃないのかもしれないけれど、
受け取り方の違いという意味で再発回数を減らすことに寄与したのでは
ないかと思ったことと、自我肥大という言葉を知っていたことで、気分の
高揚を収めることもできたのではないかと思ったこと。もちろん、そんな
簡単にはいかないだろうということは知っているけれど、でも、私のケース
ではたまたまうまくいったかもしれないこと。これも、単純に軽症だったに
過ぎないということにもなるかもしれないけれど。

2013年11月23日土曜日

画像 意味の多層性

今日、画塾で描いた絵。


意味の多層性みたいなものをモチーフにしてみた。井筒俊彦の本の影響が
強い。

白い線みたいなものは紙を表していて、青色の領域が現実、そして、茶色の
領域が意味の世界を表している。

意味の世界は地層のような構造をしていて、深層にいくほど無意識の領域
となり暗くなる。でも、また別世界からの光指す領域もところどころある。

みにくいのだけど、紙を貫いている構造物は文字であり、具体的には
「象は鼻が長がい。」(送り仮名の使い方を間違ってしまったのはご愛嬌。)
という言語学でたまに出てくる例文を使っている。

で、漢字の部分は四角く、助詞、助動詞など大和ことばの部分は丸をベース
にしている。長いというのは全部が本当は大和ことばなのだけど、長を漢字
と解釈してしまった。単なる訓読なのだけど。

やまとごとばと漢語は違う種族の生き物であって、生態が違うという風に
表現してみた。大体において、堂々巡りなどもしながら、意味は表層に
留まり、かすかに中層をかするみたいな感じにしてみた。

文末は助詞、助動詞を自在に変えられ、微妙なニュアンスを醸し出される
日本語の性質を重く見て、別世界の光の領域まで達することができるのでは
ないかと思って表現してみた。

以上、説明チックで、全然アートという感じじゃないかもしれないけれど、
基本的に自分の内側のもやもやを具現化してみたいというのが根底にあって、
それがアートと呼ばれるかどうかは他人の評価の問題だと思っている。

ちょっと説明しすぎで、黙っていたら、他人はいろいろ自分に引き付けて
解釈してくれるかもしれないけれど、一応、書かないと忘れてしまうので
自分の意図みたいなものもメモしてみた。

あと、画像による表現で最近、思っていること。

時間、空間に、枠を与えられたその時の自分の内面の記録をつけたい
というのがもともとのこのblogの趣旨である。

時間というのは1966年に生まれ、21世紀10年代を今、生きているということで、
空間というのは台湾と徳之島からやってきた両親の元で鹿児島市で生まれ
育ち、今も在住しているという空間的な枠である。

その足元を少し掘り下げ、その足元の意味するところを少し意識化したい
と思うようになった。

鹿児島といえば、鹿児島弁である。鹿児島弁の特徴の一つは言葉が全体的
に短くなること。行こうというのが行っが。ですよねがじゃっど。言葉が詰まる
感じだ。もっと正確な表現の仕方もあると思うけど、自分の言葉でいうとこんな
感じになる。

それと関係あるかどうかわからないけど、伝統的なものは簡素なものが多い
らしい。あるいは簡素化されている。これは火山灰土壌で歴史を通して貧乏
だったこととどこかで関係しているかもしれない。たとえば、示現流。練習は
束にした枝をたたくというやり方らしい。ほかにもカライモ(サツマイモ)を代用
食として食べていた時期が長いとか、簡素化の例はいくつかある。

その簡素化というのを簡素な表現としてCGでは自分の流儀にしている。
もともとの積み木的もしくは記号的な要素のある、CGの性質を生かす方向に
行こうと思った。もちろん私が技術力に貧しいこともある。

簡素だと、普通は引き算の美学となり、タイトな表現になるけれど、それは
合わないので、南国的な大らかさを旨としている。いい意味でのてげてげを
目指している。単なる堕落というよりも、「細かいことを言い出せばきりがない
けど考え方は大筋としては合っている」みたいな感じにしたいと思っている。

これは父親の性質の影響もあるかもしれない。父は台湾生まれで20ぐらいまで
台湾で育ち、技術を持っていたので戦後も何年か台湾に留め置かれた後、
引き揚げた。日本の土を踏んだとき、一種のカルチャーショックを感じたという
「なんてせせこましい人々なんだ」と。引き揚げ後も「大陸的」な感覚を大事に
していた。鷹揚に構え、細かいところにはこだわらないような感じだ。その感覚
は私も大事にしたい、引き継ぎたいと思うようになった。

アラが多い、突っ込みどころが多いことの単なるいいわけであり、そんな表現
は伝わらないと思う人は思うかもしれないけれどこれで通せるところまでは
通したいと思うのが素直な気持ちだ。

大らかな表現というのは朝鮮の民画の影響もある。私の表現が俗悪と思われて
もいいと思う。庶民である自分の生活感から生まれたものだから、背伸びせず、
気負わず、自分から出てくるものが素直に出てくればいいと思っている。

2013年11月21日木曜日

痛い文章が多い。どこかで嗤っている人もいるかもしれない。

過去の文章読み直すと、痛い文章が多い。
中二病的な匂いがプンプンする。
たぶんそういう人間なのだと思う。
自分の体臭だと思って受け入れるしかない。

そんな私の文章読んで、嗤っている人もどこかに
いるかもしれない。そういう目で読み始めたら
面白い文章の宝庫だ。

語るに落ちるといい方がある。養老先生の
『ヒトの見方』という本の最初のほうに書いてある。

内容の当否を考えず、とりあえず意見として受け入れる。
受け入れた上でその人の立場を考えるよすがとする、
みたいな話だ。

そういう意味で、ある種の「標本」として書き散らした
私の文章はそのまま「ヒトの博物学」だ。

ところで、今日は一人称研究というキーワードがある
ことをfacebook上のある先生の書き込みから知った。

当事者研究というキーワードにはかなり影響を受けている
ものの、私の営みが一人称研究であると言い立てるだけの
力があるかどうかわからない。

ただ、私の周囲には私の書き込みを「研究」とみなしている
人もいる。恵まれた環境にいる人だけでなく、市井の場に
いる人々の営みも大事だし、むしろそういうものから力を
与えられるとも。

これは私に責任というものを思い起こさせる。私が字面だけ
は知りながら、なかなか意味を実感することのできない、言葉
だ。でも、周囲を巻き込みながら、すこしずつその言葉の重さ
を私なりに感じつつあるところだと思う。

恥ずかしいことを書き続けている。でも、それが「恥を知る」
ことにつながればそれもいいかと思う。でも、ここでも言葉は
空回りしてしまう。一般論レベルでしかものを考えることのできない
私が精一杯のこととして、その言葉の意味を捉えようとする。

意味は多層的であり、物事には裏の見方がある。逆説。
状況をひっくり返す裏返した見方があればこそ、宗教みたいな
ものが成り立つのだと思う。裏返された言葉にすがることで、
なんとか苦しい人生をわたっていける、そんな時代も、そんな
人も世の中には多かろう。

「障碍を得て良かった。」という人もいる。精神障碍のみでなく、
障碍一般に適用できる言葉だろう。

でも、その言葉を受容できない人もいる。この言葉自体が一種の
逆説だからだ。宗教の言葉が、社会通念に反する逆説であり、
社会から異端視、迫害されることが多いように、
「障碍を得て良かった」という言葉も批判されうる。

生に相対する言葉は死。有に対する無。1に対する0に相当する。
それにまつわる常識をひっくり返すところから、宗教は始まったと
なんとなく思う。とはいえ、言葉で書くのは簡単だけど、その意味を
理解するのは難儀な話だ。

痛い文章。もちろん自分ひとりで思いつけるわけもなく、その日の
検索ツアーで得た考え方も散りばめられている。検索しながらの
思考の世界を加速世界とも以前書いた。
http://epimbi-madrigal.blogspot.jp/2012/05/blog-post_14.html

主治医から、私は睡眠の調節など、自分の症状をマネジメント
しているという言葉をもらった。マネジメントのための強力な道具
がネット上の記録であり、そして、自分のための記録にするだけ
でなく、共有することによって何がしかの生きた証としようという
野心さえもそこには含みこまれている。

もちろん、自分の生活の深い部分を見せてもいいと思えるだけ
の幸運なケースだからこそ実現していると思う。そして、私の記録
単独ではそんなに意味はなく、何人もの人の記録を比較検討し
ながら、ものを考える手がかりになればいい、と潔さも必要だと
思う。書かれたものを見て、どんな人が何を感じ、何を考えるか
人それぞれ。共通するものや、ヒントになるものを見つけるひと。
あるいは逆に混乱してしまう人。「どこが病気なの?」と思う人。

精神障碍は奥の深い障碍であり、どこに困っているかは本人に
しかわからない場合もあり、本人にもわからない場合もある。
私すら、長い間、自分を観察していて、どこに問題を抱えているの
かちょっとだけ見えてきたという塩梅だ。

それに対しても、「誰でもそんな部分はあるよ」という見方もあり、
事実、問題を抱えていない人はいないように思われる。でも、
精神科に通わざるをえない事情というのは厳然と存在し、その事情
があるために、おそらく長い間には深刻な副作用が発生するのを
薄々知りながら、精神薬を飲み続けているという選択をしてきた
という事情がある。そういう選択自体も時代の流れの中で変化しつつ
あるみたいだけど、いろいろな意味で変化しつつある、精神病周囲の
ことを記録する一つの生きた証言にはなりうるだろう。

P.S 一人称研究。たとえば、こんなもの。
https://kaigi.org/jsai/webprogram/2013/pdf/752.pdf
分野も手法もかけ離れているけど、案外根底にあるのは
似ているのかもしれない。

具体的なことが書かれていない。一般論のみ。

過去のログ読むと、具体的なことが書いていない。
一般論のみ。一般論が悪いわけではない。

これも単なる一般論だけど、自分の体験経験の中から
抽象してきた一般論ならそれでもいい。

でも、そんなはずがない。自分の体験経験なんて貧しい。
とすると、やっぱりどこか過去の偉い人の書いたことの受け
売りか、受け売りの受け売りか、さらにその受け売りかに
違いない。いわゆる劣化コピーというやつだ。

以上も、すべて一般論であり、受け売りの、、、というやつ。

結局、読書の世界にしか生きてこなかった私はそういう世界
から出れないということなのか?

最近の願いは、読書の世界の外というよりも、読書の世界の
奥にいってみたいという願いが頭の大部分を占めていた。

書かれているものの奥にはまだ書かれていない重要な事柄
が隠れているに違いないと思ったのだ。

最近時々読んでいるのはウォレスの『マレー諸島』という本の
ちくま学芸文庫版。

これはウォレスがマレー諸島を標本あつめに回った旅行記み
たいな本なのだけど、私はこの本をとても変な読み方してます。

ウォレスが探索したのはマレー諸島、リアルな世界なのですが、
私はこれを自分の中の世界、ヴァーチャルというよりも、端的
に見えないイメージの世界ですね、そういう世界を探索する
ときのモチーフに使いました。

自分の心の奥底をまさぐり、それをなんとか文字などの形
で書きとめ、見える形にするといういつもの作業なのですが、
それの、モチーフとして、地理的な探索の話を使いました。

自分の行ったことのない世界は驚異の世界でありまして、
19世紀に生きたウォレスの旅の記録を読むと、なんだか
今、現代流される”秘境”の映像では味わえないような
エキゾチックなものを感じます。

そして、そういうもののイメージを借りながら、自分の心の
奥地へと探検していくのであります。

自分の心の奥地への探検などと書くと仰々しいものですが、
ようするに、イメージしたものを手繰っていくというような作業
のことです。内にあるものを外に出す、ただそれだけの作業
なのです。

ヴァーチャルなもの、それも、誰かがつくったものを見る立場
なのか、つくる立場なのかで意味は変わってきます。

そして、つくったものを見る立場でも、どう見たのか、明らか
にしたい欲望を多くの人は抱えつつあるように思います。

社会的に承認される欲求から、己の奥にあるものをこの目
で見てみたいという欲求へのシフトといいますか。

それも含めての受け売りともいえないこともないと思いますが、、、
表題と全然違う話になってしまいました。

2013年11月13日水曜日

自分なりに淡々と

淡々と生きることは難しいらしい。成功に溺れず、逆境にめげず、
自分なりのバランスを取りつつなるだけ水平飛行。ああ、難しい。

気分の上下に翻弄される自分には所詮無理な話ではある。
でも、自立訓練の相談員さんの話によると、それなりにバランスを
取るのは上手なんだそうだ。自己評価ではあるけれど、まあ、
症状も軽かったというのもあるかもしれないけれど、時々おこる
自我肥大に足元をすくわれず、谷の時もなんとか自分を支えるだけ
の余裕が持てたし、またそういう状況でもあったということが今の
平穏に導いてきたのだろうと思う。まあ、単に運がよかっただけ
なのかもしれないけれど。

世間で出会う、様々なものごと、それは人だったり、出来事だったり、
作品等だったりする、それらは十分、自分への脅威となりうる。

別に人は人、自分は自分と比べたりしなければいいのだろうけど、
やはりそこはただのニンゲンである。私もサル山のサルというところ
から超越できないわけで、ココロの中で自惚れたり、がっくりきたり
するものだ。

でも、それは読んでいる皆様だって、そうなのではないだろうか。
そう簡単にヒトは仙人みたいな存在にはなれない。誰だってその人
なりの未熟さというものを持っている。

先ほどから何か分かったようなこと、悟りすましたようなことを
くどくど述べている。たぶん借り物の知識を試してみただけのこと
だろう。真に受けず、そう読み流していただきたい。

まあ、何か書き物を具体的にしてみると、批判するなり、評価する
なりできるわけだと思う。「カウンターテクスト」という表現を見つけた。

また、手作りの思想を作るためのヒントみたいなものも見つけた。

みなさん、それぞれ、身近なところにやっつけるべき未熟なテクスト
を見つけ、それを批判することを通して、自分の考えみたいなのを
構築していただけたら幸いだ。カンペキなテクストは単に信奉者に
なるしかないわけで、それは越えられない父親みたいなものだ。

そんな感じで、アラの多い、テクストというのも存在価値はあるの
ではないかと思う。切磋琢磨というか、どうか自分の考えを晒す
ことを恐れないで、批判したり、されたりを通して、自分の世界と
いうのをでっちあげて欲しいと願う。

どうあがいても、自分は自分。虚勢を張っても仕方がないことだ。
淡々と記録を続ければ、たまにはまぐれ当たりも期待できる。
バッターボックスに立って、とりあえずバットを振ってみる。
みごと空振り。それもいいではないか、なんてカッコいいことを
言ってみる。田舎のオジサンのナルチシズムに過ぎないかも
しれないけれど。

P・S ちなみに「カウンターテクストを生み出すために」は
英文は読んでいません。読める部分だけを読んでいます。
読めない部分はざっと読み流しています。部分的に読めない
テクストでも、どこか読める部分にヒントになる文章をみつけたら
それでよしとする立場です。どっちかというとざーっと読み流し
ながら、面白いと思うところを拾っていくような読み方です。

ちなみにこの文章、相手の作品を距離をもって批判的に
読み、評価すべきところはキチンと評価もし、その作業を
通して自分の立場をつくり、できれば作品として、結果を
残すという風に読みました。ものすごい粗雑な読みでは
ありますが、具体的に何かものを作ることを通して、
それを乗り越えてくれる誰かを期待するという風に読み
ました。我が屍体を越えて往けみたいな感覚です。

2013年11月10日日曜日

仮想世界観における自然主義

バーチャルな空間の特質を「本物そっくり」という側面から
入る立場はあると思う。それを仮想世界観における自然主義
と呼んでおく。

でも、私はこの取り方をとらず、「イメージの中に入る」という
側面に軸足を置いている。

イメージそのものは抽象化されている。リアリズムにこだわらない
(というか技術的にできない)のはどこか位相幾何学(トポロジー)
の発想をヒントにもしている。

イメージの中に入る、それも他人の作ったイメージの中に入る
のではなく、自分のイメージの中に入りたい、探検したいという
欲望を抱えている。

その前提となるのは自分の世界というのを知ることだと思う。
自分の考え方、内側にある記憶などを具体的に洗い出すため
に言語化という手順を踏んでいる。

とりあえずカタログのように並んだら、そこから面白いという
要素を抽出して、画像の世界を作る土台としたいという戦略だ。

自然主義とはずいぶん離れた考え方だと思う。

短歌の世界でたとえると「アタマの中で作った短歌」に相当
すると思う。短歌の世界における自然主義の立場に立つ人
には好まないやり方かもしれない。人間の想像力など、たかが
知れている、それよりは世界の豊かさを取り入れようという
立場かもしれない。

読者の中には私は外の世界に関心をもたず、ひたすら
精神世界(インナーワールド)に沈潜している、そんな印象
を受ける人もいるかもしれない。背を向けていると思う人も
中にはいるかもしれない。

でも、外の世界を構成している一つ一つのものは元々から
あったものではなく、人の想像の世界から生み出されたもの
もあるかもしれない。生物の盲目的な遺伝子レベルでの
試行錯誤の中から生まれ出たものもあるかもしれない。
物理法則のようなものでさえ、ほかの形式の宇宙もあった
かもしれず、たまたまこの宇宙のこの時代に暮らしている
そういうことかもしれない。そんな感じで、すべては可能性
の見えない世界から生まれ出たものが実現したものと
私はとらえている。

だから、とりあえず、どういう形でもいいから、(言語でも
画像でも)、可能性の世界から、目に見える世界に移す
ことを重視したいと思っている。人によってはパンドラの
蓋をあける結果になる人もいるかもしれないけれど、
それは運命のいたずらというべきものである。

P.S ここの話のベースになる話は阿部謹也の
『自分の中に歴史を読む』という本の影響もかなり受けて
いるかもしれない。自分の中から問題を見つけるという
価値観は私の中から出てきたものといえるかどうか
わからない。でも、その考え方を選択したということは
自分にはしっくりくる考え方でもあるということなのだろう。

まあ、時流と絡み合わないかもしれず、損な生き方でも
あるのだろう。一方、時流そのものかもしれず、そういう
のをよしとする生き方も流行しているのかもしれない。

2013年11月8日金曜日

アイデアは使いまわせること

記録をつけている理由というよりも、意味の一つは
ひとたびアイデア出ししたアイデアは使い回しが利くという
ことです。

今日の自立訓練の場でも、かつてアイデア出しした言葉
をかなり使いました。「ここ」がいわば情報倉庫みたいな
あるいはアイデア倉庫みたいな感じになっているのです。

で、ここがネタ帳だったとしたら、パクられるのは怖くない
のか?といった疑問が当然わくと思います。

でも、ここで表現されているのは記号であって、意味では
ありません。ひとそれぞれ読み取る意味は違うのです。
そして、そのアイデアが出てきた状況、経緯を知っている
本人の読みにはなかなか他者というのは叶わないもの
だと思います。

一方、本人には気づかない、外から観察したほうがよく
見えることもあるかと思います。そういうものもアイデアを
秘匿していたら活用されずじまいです。

料理でたとえると郷土料理は現地で食べるに越したこと
はないのです。そこにはその料理を生み出した環境なり
歴史的背景があります。

そして、料理を食べながらきっとそういう背景をも味わって
いるのだと思います。

だから、料理だけ取り出して他の地方に持って行っても
根付かせることは案外難しく、その土地で根付くにしても
移出先の歴史を必要とするわけです。

各地に郷土料理があり、それは各地で採れる食材、
そして、その食材を気候などを含め、各地の環境で生かす
ために練り上げられた知恵、そういったものが混然一体
となりながら、郷土料理は成り立っていると思うのです。

そして、それは各個人レベルに落とすこともできて、
個人もまた、いろんな状況下で毎日を過ごし、その状況
下から練りあがってきた、その人なりの知恵というものを
もっているのではないでしょうか。

P.S 郷土料理についての知識は安藤百福の本に学び
ました。それを、当事者の状況からくる生活の知恵み
たいな話に応用したわけです。まさに「使えるものは
何でも使う」というやり方をとっています。「使えるもの
は何でも使う」というモットーは主治医の言葉に学び
ました。

自立訓練のまとめ

自立訓練の文章書きの時間は今日が最後となった。
ブログ自体は終わらないけど、後ろで見てもらえて、
感想言ってもらったりするのは今日が最後だ。

自立訓練はいろいろなプログラムはあるのだけど、
心理とか言葉に関するプログラムを中心に受けた。

やっぱり、記憶に関する障碍があるのか、どんな
ことを言われたのか、曖昧になって思い出せない
のだけど、(だったらきちんとメモをとっていれば
いいのだが)全体としてみれば大事な時期だった
と思う。

昔、放送大学の学習センターに根を詰めて通って
いた時期があり、相談室で客員教授方と面談の
折にいろいろな話をうかがったのだけど、そのひと
つひとつも忘れてしまった。

そして、その昔、桜島ユースホステルで、毎晩の
ように様々な職業、専門、あるいは国籍をもった
人たちと話し込み、そこでもいろいろな話を伺った
のだけど、覚えているのも覚えていないものもある。

そういうわけで、残念ながら病気の後、記憶に自信
がなくて、具体的な一つ一つのことは記憶の中から
取り出しにくい。(でも取り出せるものもあるから、
言い立てるべきものかどうかわからない。)

でも、今までの傾向からいくと、前やったものを土台
にして次の場が積みあがるような感じで、人生送って
きたような気がする。ひとつひとつのことは忘れて
しまったとしても、そこで習ったことが次の場に行くため
の基礎になってきたように思えるのだ。

そして、覚えられなかったとしても、その場、その場では
わりと熱心に聞き入っていたり、突っ込んだ質問をして
いたりしていたので、記憶にアクセスしにくいだけで、
無意識下には残り、なんらかの機会があれば意識の
表面に浮かびあがってくるのかもしれない。

無意識をかき混ぜ、過去の記憶を蘇らせる
媒体としても文章を書くことは私にとって意味があった
のかもしれない。

あと、一日、明日の製本教室と、PC教室で自立訓練は
私は卒業だ。

2年間付き合ってくれたみなさん、ありがとうございました。

2013年11月7日木曜日

自立訓練もあと今週末まで。

自立訓練の個別支援の枠で、文章を書き、
それを相談員に読んでもらって、感想言ってもらえるのも
今日を入れて残り、二回となってしまった。

でも、不眠傾向が相変わらず続き、夕べも睡眠薬を飲み、
それでも眠れないので頓服の精神薬も飲んだ。想定どうり
今朝はドロドロだ。思考力がない。

それにしても、もう残り少ないので、何か書きたいところ。
できれば、二年間のまとめなり、PSW(精神保健福祉士)
さんへの感謝の気持ちなども伝えたいところだけど、それ
にしても、コンディションはよくなく、あまり気の利いたこと
は書けそうもない。

私はネットの散策中、自立訓練施設のホーム
ページを覗いたのがきっかけで、即断即決できめました。
節目、節目の決断は自分で決めてきたのが自分の中で
は誇りです。それが自立訓練施設との出会いです。

さて、この二年間の主な問題、自分の中での問題は
丁度、似たような体験談を『統合失調症のひろば創刊号』
の小林和彦さんの「告発される側の論理」という文章中に
載っていたので引用します。

「母は死んだ、仕事は辛い、人間関係はうまくいかない、
そういう世界、そういう現実を変えるにはどすればいいのか。
あの頃私は多分毎日悩んでいたと思う。そうしたら或る日
突然、光がパーッと差し込んだように、何もかもうまく行く
解決策が思いついた。現実を変えればいいんだ、と。
正に言葉通りのことだ。言葉が真実を示してくれていた。
その辺までは覚えているのだが、その後約一週間の間、
不眠不休で何を考えていたのかは一割くらいしか覚えて
いない。様は現実に対する考え方を変えたのだろう。
その結果、発狂した。」

最初の病気のとき、なんなく色合いの似たような体験を
しています。まあ、発病の背景そのものは人それぞれ
なのですが、そこに至るストーリーがパターン的に似て
いる部分があるのです。

そして、その後は一度は再発し、その次から、は不眠が
続く時点で危険を悟るようになり、頓服の薬飲んだりして
未然に抑えるようなことが幸運なことに出来ています。
でも、その方法で抑えきることができるかどうかもまた
ケースバイケースだとなんとなく思っています。

そして、いつのころからか文章を綴るようになり、
自立訓練施設の個別支援(私の文章では
主に木曜、金曜の文書の一部がそうです。)の時間
に文章も書き、後ろでPSWの感想をもらうような感じ
になっていました。文章療法とかのプログラムという
わけではないのですが、まあ、個別支援でやってもら
たいことは文章の感想を言ってもらうという感じだった
のでそういう感じになりました。

上で小林さんの文章見ることで、頭が冴えて、眠れ
なくなって、みたいな病気発生のパターンをほかの
人の記述から再確認できるようになって、やっぱり
文章書くことは他の人にとってなんらかの意味は
あるのではないかと思うようになりました。

そして、PSWの人に励まされて、書くことに若干の
意味を感じることができるようになりました。もちろん
ネット上の友達やリアルの友人のアドバイスもため
になりました。書き出し最初のころはあまり読んでくれる
人もいなくて、挫折しかけたことも何度かあります。

さて、先にも書きましたように、薬の影響で今日は
ドロドロなのでこれにてにさせていただきます。
うまくまとまったかどうかわかりませんが、ご容赦を。

2013年11月6日水曜日

内省能力 自分だけの世界

当事者のブログを読んでいて「自分だけの世界」という表現があるのを
知った。http://blogs.yahoo.co.jp/a_peace_of_pepper5555/25377714.html

一方、「自身の心的な活動に気づくことができる能力(内省能力)」という表現にも出くわした。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007505097

それは能力ととらえることもできるというのはあまり知らなかった。
外向的、内向的という用語は知っていたけど、内面を言語化することの個人差
についてはあまり考えることはなかった。

ただ、漠然と、内面を語る文書の少なさにはなんとなく気づいていた。そして、
周囲とは違うという意味で孤独感を感じることも多々あった。

一方で、「個人に目覚めた」のだと誇りを感じることもあった。

自分の心的な活動に気づくことができる、と確かに上の文章には書いてある。
でも、その正当性ははなはだ疑わしい。ゆえに内観的なものは従来、心理学では
重視されなかったことも知識として知っていた。

たとえ、それを知っていたとしても、記録がないよりはあったほうがマシという思い
が記録することを支えていた。

近年、ナラティブなものが重視されるようになっているという情報はもちろん、私の
もとにも届いている。そして、そういうものが後押しとなってブログを継続していること
は事実である。

でも、一方、そういった類のものに関する、訓練は受けていない。だから、よきにつけ
悪しきにつけ、アウトサイダーな立場に立つことになる。

アウトサイダーな立場、別の言葉でいえば野生の立場、野良猫的な立場である。
それは記録をゴミにするリスクも、戦略的に「アウトサイダー」ゆえに基礎が抜けている
ことを利用できる両義的な意味を持っていることも知っている。もちろん、そこには美術
の世界での「アウトサイダーアート」という用語やレヴィ・ストロースの「野生の思考」という
用語なども絡んでくる。

言い立てることが許されるのなら、百姓という言葉が指すように、当事者である自分という
存在を軸にして百般の分野に開かれているということになるのかもしれない。

それは別に当事者というのは誰でも当事者でいいのだ。何らかの意味における何らかの
当事者。自分の住んでいるローカルな場を中心にして世界座標をつくる作業に似ている。

むしろ、これまで、ローカルな位置に心理的に押し込まれてきたことがわかる。ある意味、
声を奪われてきたのだ。そして、今も、多くの人は自分で「声を与える価値がない」と思い
こんでいる人が多い。私は逆説的ではあるが、精神病の当事者という枠に気がつき、
私なりに世間に吠えはじめた。「弱い犬ほどよく吠える」とはよく言ったものである。

自己顕示欲みたいな欲望は隠すことはできないが、さりとて、誰でも時代の証言者として
発言する一票を与えられている。一票は一票。その影響力はないに等しい。でも、どこか
らでも検索できるということの潜在的意味合いは大きいと思う。そして、逆にそこから来る
リスクと責任はある、そして、そのために多くの人は沈黙している。

でも、テレビに出る人はさんざん恥をさらしてきたではないか。そして、フロー情報であるが
ゆえに、「とりかえしのつかないこと」では決してなかったではないか。もちろんメディア発信
も火遊びだ。山火事になるリスクはあり、山火事になってしまったら、個人の力では消火は
できず、自然沈火するのを待つしかないというのも一応は知っている。

「意識の流れ」のような感じで時一刻、いろんなものが心の河を流れている。そして、それは
時代の河でもある。流れ去っていって、あとには残らないものを惜しく思い、そのうちのいく
らかのものを拾い上げてみただけである。

壮大な歴史の流れの中で、いったいどれ程の「語るべき事柄」が闇の中に押し込まれてきた
のかとくと想像してもらいたい。そして、今もなおその歴史が継続中なことも。

私のいる場では何が問題になるか

人それぞれの人生というものがあり、それぞれの人生の中で
何が問題になるかは違う。

精神病といってもケースバイケースであり、それぞれのケース
で何が問題になるか違う。

私の場合はリウマチは初期の状態をずっと維持し、薬は朝夕
一錠飲むだけで済んでいる。まあ、痛みは全くないわけでは
ないけど、たぶんこういうのは痛みに入らないということも可能
なくらいの痛みだ。

精神病についても、似ている。数日不眠傾向だったけど、、
夕べ(2013.11.05)の夜のテレビで丸岡いずみさんのうつ病の
闘病生活の様子が番組で放送されていたけれど、動画として
うつ病の様子を見たのは初めてで、「本当に大変だなあ」と
思った。ときどき現れる私の抑うつの症状とは比べものに
ならないように感じた。

そういう意味では、急性精神病状態のときや、その後に続く
陰性状態のときは別として、平穏期のときは病気のうちに
入らないとさえ、いえるかもしれない。まあ、これは私の場合
であって、人それぞれケースバイケースである。

記録を採ることは気持ちを整理すること、気持ちのメンテナンス
の要素もある。でも、楽しめてやれるくらいの範囲内に落ち着いて
いて、人によっては、とてもではないけれど、そういうことは出来ない
という風な状態もまたありうる。

まあ、うまくいっているからこそ他人に見せることができるのである。
そこのところは自分で自分というものをわかっておかないといけない。
そして、「何も語りたくない」と現在思い、もしかしたら、私の文章を
読むだけで痛みを感じている人もどこかにいるかもしれないことも
心のどこかに留めておかなくてはいけないと思う。私は今のところ、
うまくいったケース、恵まれたケースに過ぎないのかもしれない。

何をもってうまくいったかどうかは書くのは難しいけれど、いろいろ
なものごとを左右するのは微妙なことかもしれないし、それは日々
の積み重ねかもしれないし、人生の分岐点における判断かもしれ
ない。この先、私の人生に何が待ち受けていたとしても、書き続ける
ことを選択できるかどうかもわからない。めぐり合わせの結果、
たまたま「ここ」にいるとしか言えない。

私より今恵まれた境遇にいる人、もしくは、なんらかの意味でより
難しい境遇に遇している人、でも、それはたまたま、であって、
何かちょっとしたことで、その立場は入れ替わっていたかもしれない。

でも、私はたまたま「ここ」にいて、自分のことを書いてみようという
気持ちを起こさせている。

話はちょっとだけ飛んで、植物採集の話をたとえとして使う。ちなみ
にリウマチの具合で山歩きはしない、ので植物採集会のお誘いは
月に一遍くるのだけど、行っていない。植物の世界にほとんど貢献
していない私があんまり植物の世界のことを書くことはよくないの
かもしれない。でも、私の中ではこのブログを書くにあたっての重要
な補助線になっているのである。

人それぞれ、遺伝的背景やら、境遇やらあって、それぞれのその時
の環境、もしくは世界というものを作っている。

ましては今は情報革命もしくはメディア革命と呼ばれる変動期にあっ
て、百年単位、千年単位(そういう時代がもしあったとしたら)でも重要
な時期だと思う。そんな中でそれぞれの人々は生き証人としての証言
の機会と手段を与えられているのだと思う。

わかりやすい過去の例でみれば、世界大戦時、もしくは大学紛争時、
それぞれの当事者の遇した世界は記録に残す意味はあるというのは
わかりやすい。今は同時代だから見えにくいけれど、この情報革命の
さなかの様子も記録するに足るし、記録しておかなければ、再構成と
いうのは無理なのだ。私、自身はバブル時代は体験したけど、もうそ
のころのことをどう再構成しようとも、厳密な意味では再構成できない。

そして、表面的な意味でのその時代というのは新聞、テレビその他
マスメディアというものがあるから潤沢に記録は残されるに違いない。
でも、深層であればあるほど、記録は少なくなると思う。大体、時代の
深層というか、各個人の心の底で何が起こっているか?起こりつつ
あるかというのは内省してみて言語化しないことにはわからない。
もちろん、内省なんてあてにならないというのも知ってはいるけれど、
記録が何にもないよりははるかにマシだと思う。何にしろ各時代時代
で一番記録に残りにくいのは心の中のことなのだから。

そういうわけで、フィールドを植物採集するがごとく、時々心の中に
潜って、そこにあるものを採集しているような感じなのだ。そして、
何を採り、何を採らないかは採集者に任されている。たぶん記録
しているということは何らかの意味で採集者にとってはそれが
価値あるものとおもっていたということの記録でもある。

その時の自分にとっては価値があるから採ってみた。でも他の人に
とってそれが価値あるものかどうかはわからない。でも、一般に
新種に相当するもの、ある種の発見であるものは価値あるものと
されるかもしれない。世界の中での発見、日本国内での発見、
地域での発見いろいろレベルはあるだろう。植物では南限、北限と
いうものもある。ある境界を表す指標。その境界を越えると現れなく
なる要素みたいなものだ。それから多様性。その他、隔離分布とい
ってかけ離れたところに同じ要素が見つかるようなこと。抽象的に
なってしまった。でも、以上のことを通して、植物採集のような感覚
でブログを書いていることがわかると思う。

そして、採集地に初めて入るというというような出来事もある。
西洋から派遣されて、日本というフィールドに初めて足を運び、
植物を採集して、報告するというようなことである。日本というのは
地理的な領域であるけれど、それは必ずしも地理的とは限らず、
もっと抽象的な領域かもしれない。これこれの条件下、状況下の
人々でもいいはずなのだ。

西洋では文書館として、過去の文書が保管されて、歴史を調べる
際の基礎となっている。西洋ほどではないけれど、日本でも神社
仏閣に文書は残されている。ちなみに鹿児島は歴史の継続性が
長く、戦乱などで荒らされていないので文書類は豊富で、
『入来文書』など、鹿児島の地域史ではなく、封建時代そのものを
調べる際の基礎史料になるものがある。他にも『島津家文書』と
いうものもあり、歴史を調べる際の土台になっている。

そういったことも私が記録を残す補助線となっている。メディアが
大衆化されたということで、これからは個人が記録を残す時代に
なるのではいかと思うのだ。歴史は決してえらい人、優れた人だ
けのものではなく、個人は観客としてではなく、役者としても、歴史
という舞台に立てるのだと学んだ。メディア革命は意識革命でも
あって、これからは個人も歴史意識というものを持つようになる
のだろう。

歴史意識に目覚めること

歴史意識という言葉を学んだのは主に阿部謹也と色川大吉の著作
からだった。両方に著作に書いていることは偉い人だけではなく、
普通の庶民にも歴史というのはありうる。歴史の当事者でありうる
という話だった。ネットであれこれ散策するうちに歴史学者としての
当事者という視点さえありうるということを知るに至った。

一方で普通の人などに歴史はない、極端に言い出すと普通の人は
経済の道具に過ぎないと思っている人もいるかもしれない。

そして、普通の人を歴史学者と持ち上げることで、またネット上に
ノイズやらゴミやらが溜まっていく、そう眉をひそめる人もいるかも
しれない。

ひところ流行った自分史も読み手はそんなにいるはずもなく、
図書館も献呈図書の扱いに困っているという話も聞く。
江戸時代に出版された有象無象の出版物ですら、その扱いに
困っているのだ。

やがては総量としての数の一つになっていくのだろうか。
それをいうなら現在、商業出版されている図書たちもやがて
書庫の底に沈み、図書館としてはお荷物同然のものになってしまう。

原理的に言えば万人の歴史意識というものがあっていいはずだ。
少なくともその記録のための道具はそろったのだから。

粘土板を蓄積することを思いついたこと、メディアってそういうもの
だと思う。それが現代の文脈で庶民の元に届いた。歴史上何度も
そういうことは繰り返されたはずだ。

2013年11月4日月曜日

何が売れるか 何を売りたいか

表現を発信するということは「売る」行為とどこか似ている
と思う。

読み手の時間と交換に表現を売る行為と意味づけること
が可能だ。

そこでキーフレーズになるのは「何が売れるか」ということ
と「何を売りたいか」ということだと思う。

「何が売れるか」、つまり読者が読みたいと思うもの、実は
これはよく知らない。私が発信するもので読者にとって
価値があるとされうるもの、さっぱりわからない。

でも、それはいいことでもある。読み手側の欲望に影響を
あまり受けていないということでもある。

読み手側の欲望におもねることがいいことなのか悪いこと
なのかわからない。短期的、長期的、両方の観点が必要
かもしれない。といっても、現代において発信される情報の
大部分は長期的な観点において意味を持ちえず、埋もれて
しまう宿命にある。どちらかというとフローとしての情報という
側面が大きい。

読み手側が読みたいものを知らないと、客観的な価値が
ないものを延々と垂れ流してしまうことになりかねない。
そういうものは迷惑でしかないだろう。でも、そこでいう
客観的価値とは誰にとってのどんな価値なのだろう。
さっぱりわからない。

私が発信するものは読み手にとって、どうでもいい、
街の環境音楽的あるいは、テレビにおける広告のよう
なノイズみたいなものなのだろうか?

それとも、何らかの有意味なものなのだろうか?
精神病者が日々何を考えながら生きているのだろうか?
という興味はきわめてせまいながら存在していると思う。

急性精神病体験を経た人がその後どう生き、その体験は
その人の人生においてどんな意味合いを持ち、その人の
現在にどのように影響しているのか?という問いは存在
すると思う。事実、私が長々と日々記録をつけている理由
の一つだと思う。

そして、そういうものが記録されている資料も私は見たこと
がない。だから、といって今までに記録したデータがそういう
資料ですと言い立てるだけの資格はあるのだろうか?

ある意味、人工的な資料だと思う。いい意味でも悪い意味
でも意識過剰である。もちろん、意識化しないことには浮かび
あがらないこともあるだろうから、全く価値がないとはいえない。

でも、その浮かび上がったとされるものは正当性はあるのだ
ろうか。極端な場合、でたらめ放題書けるのである。

読み手には批判的な目をもって、疑いつつ読んでもらわない
といけない。全面的な信頼を置けるかというと、私はそれなり
に誠実な気持ちで書いているつもりだけど、いろんな面で
不備はあるだろう。

長々と書いたので「何を売りたいか」に移る。何を売りたいか
つまり、書き手にとって価値あるもの、伝えたいものである。

それはまさに先ほど書いた、日々何を考えながら暮らしている
のだろう?ということだ。

表題というのはその日に思いついたテーマである。
いわば浜に上がったばかりの魚みたいなものだ。

その日の魚屋さんに並んだものが日々の文章なのである。
身辺雑記みたいなものではあるけれど、最近読んでいる本、
聞いた話、思ったことなどに強く影響されている。もろもろの
影響の結果、問題となって浮上したのがその日のお題だと
思う。

魚は無意識下にいろいろほかの魚もうろちょろしていたこと
であろうが、そちらは釣り上げず、出てきた魚が釣り上った。
これも何かの縁ではあろう。

そして、ひとたび「現実化」した文章はそれ以後、消去しない
かぎり存在しつづけ、私をある面、拘束してしまうことだろう。
文章は書けば書くほど、書かれたものによって規定され、
固められてしまうように思われる。

そして、それらが地層のように積みあがったものが発信された
ものの総体なのだ。

そこに今という時代を感じる。一昔前であれば、せいぜい文集
の数頁を飾るといった範囲でしか発信できなかっただろう。
一介の患者が、分厚い記述を生み出せる機会は与えられなか
ったはずだ。そして、ひとたび生み出せたとしたら、そこを足場
にして次なるものごともありえるかもしれない、そういうことだ。

もちろん、批判されるかもしれないし、無視されるかもしれない。
でも、批判が可能になるのもデータとしての存在が前提になる
だろう。沈黙している限り、批判もできないのだから。

何人かの患者が発信するのに刺激を受けて、自分の記録も
公開しようとしはじめた人々もネット上ではちらほら見かける。
それらを比較参照することで、お互い欠を補いながら、それ
ぞれの記録は生きてくるのだろうと思う。

まとまった資料があればこそ、断片的な資料も生きる。
少なくともないよりはあったほうがいいのではないかと思うのだった。

精神病の履歴の刻印

よくもわるくも、私の書いたり考えたりすることの中には精神病の履歴
の刻印が深く刻み込まれていると思う。

よくもというのを怪訝に読まれる方もいるかもしれないけれど、精神病
の体験にはもちろん恐怖体験もあるけれど、魅惑的な要素もあるから
だ。精神病を通して何かこの世界の深層にかかわるものが垣間見れた
という風な印象から離れることはできなかった。

脳の故障と割り切ることがついに出来なかったのだった。だから、世界
の成り立ちを少しでも理解するために読書生活が始まった。でも、以上
のような動機に基づいているので、必ずしも健康な読書とはいえなかった。

物事を深く掘り下げようという傾きはついに治らなかった。そして、その
ことは世間の人から関心ごとその他において異質性みたいなものを
育んでしまった。

異質性を個性と捉え、あるいは世間の人と差異化したいという欲望を
持っているのだろうか。ある種の知的エリートとして、あるいは知識人
として自分を規定しているのだろうか?

心の底の底までたどっていくとそういった鼻持ちならない要素はある
と思う。事実、検索するキーワードとか思い出してみるにつけ、その
感を強くする。でも、自分の心を裸にして、裸の自分と向き合ってみる
と多かれ少なかれ人の心には醜悪な部分があるのではないかと思う。
せめて、無理のない範囲で、その醜悪な部分とも向き合おうと思う。
でも、そう書きながら、そう書くことによって誠実さを担保しようとする
自分もいる。なかなか厄介だ。

精神病自体の症状らしきものは、特に非日常的な異常体験に類する
部分はまれにしか体験せず、日常的に体験するのは気分の高揚とか
抑うつなどに関することだ。

二次的に乱読の結果、おそらく、風変わりな人格が出来上がって
しまった。病気の前からある意味、風変わりなところはいつの時代でも
あったから、さらにそれを強調する結果となった。

他者とは時に濃密に語り合うことがあるし、少数の他者とはいつも
深い話題で話し込むことが多いのだけど、どことなく孤独感を感じている。
濃密に話し込んでも、相手にとってみれば、相変わらず謎の存在、
そんな感じなのだ。

長々とものを書いているのは少しでも自分のことを理解してもらいたい
という願望もどこかにはあると思うけれど、結果としてわからない部分を
増やしているような感じである。でも、それも読書したりとか自分で選んだ
結果だと思う。

わかりにくい私の文章ならびに画像などの表現につきあってみて、
読者としては何か得るものはあるだろうか?

一般化できない、点データとしての個人の記録である。おまけに、
典型的な患者かというとなんとなくそうでもないと思う。

でも、周囲には比較してみると面白い考察を得られそうな当事者は
何人もいるし、それはこれをお読みの読者の周囲にもそういう方は
いらっしゃるかもしれないし、そういう意味では労苦をもって資料化
してみていることにも何らかの意味はあるかもしれない。

たとえば、精神科医の思想性について考えることのできる資料は
図書館いけばすぐ見つかる。では患者のほうの思想性については?
患者の思想などに価値を認めない人のほうが多いと思う。

かえって患者の人生を複雑なものにしてしまう可能性のほうを読み
取るひとのほうが多かろう。

でも、思想性のある患者というのは方々を探せば一定数いるだろうし、
プリミティブではあろうけど、その実存性という意味では真摯な探究者
という側面は疑えないだろう。

哲学的訓練を受けたわけでもなんでもない、患者の思想など、ゴミ同然
とさえ言い渡すことも可能だ。でも、そこにさえ何らかの歴史的意味は
ありはしないだろうか。超ミクロかつローカルな歴史ではあっても、
患者の全エネルギーをかけた真正の思想をそこに読み取ることはでき
ないのだろうか。

2013年11月3日日曜日

スルメを観察して生命を読むー固定という概念

『スルメを見て、イカがわかるか!』という本がある。
養老孟司と茂木健一郎の対談集らしい。
まだ読んでない。

でも、「スルメを見て、イカがわかるか!」という発言の表面的な
ところだけはなんとなくわかる。

ところで私の場合は全くの逆発想だと思う。
大学の時、染色体の観察実習の折に固定という手順を習った。
ホルマリンを主体とした固定液に細胞を含んだ根の先端を
浸してしまうのだ。それによって、タンパク質が変性し、生命の
動きは停止してしまう。

以上のような操作と類似のことを生物の観察一般で広く行われている。
押し葉標本はぺしゃんこになった乾燥した植物の遺体だし、標本という
もの一般がそういうものだ。そして、そういう操作によってはじめて繰り
返し同じものを観察するということが可能になる。

話がまた難しくなったので、昨日のお絵かきを。



主題は「固定された染色体」だ。

書き方が悪くて、話が見えなくなってしまった人もいるかと思うのだけど、
大体において、私の表現したものは「自分の標本を採る」という発想で
今のところ組み立てられている。そんな難しい言葉を使わないで自分史
といってみたほうがわかりやすいかもしれない。

表現という形で内側のもやもやを固定し、外化する、そのことによって
繰り返しの観察が可能になる、という原理だ。

画にはいろいろ不満なところもある。染色体6本というのは学生のとき、
扱っていたクレピスという属のキク科植物の染色体が6本なのにちなんだ。
染色体6本というのは植物の中でも最も少ない部類にはいる。それは
いいのだけど、6本全部同じというのはおかしい。細かく言い出すと
きりがないのだけど、解剖学的に正しいことを目指したわけではないの
でご容赦を。

どっちかというとイメージメモという感じだ。メモというには作成に2時間
以上かかっているので、そう気軽にというわけではないけど、自分史の
ビジュアル版という感覚も入っている。

「誰でも画がかける」かどうかはわからないけれど、PCは技術を大衆化
し、多くの背景を持つ人がこういう世界に入っていくことを可能にしている
側面はあると思う。

その場所、その時で、考えたことの記録としては十分だと思う。

そして、極私的ではあるけど、それは世相の一部である。表現として
表面に浮かび上がったことを通して、その深層について考えることを
可能にする。こういう考え方は中野収『戦後の世相を読む』に学んだ。


微視の史学 アタマの中で起こった出来事をどう評価するか?

日本は世界の中でもブログ人口が最も多い国の一つらしいけれど、
歴史的にそうなる土壌があるんだなあというのが最近の感想。

月並みだけど、王朝日記文学から始まり、綴り方運動、
『ふだん記』などの自分史運動などを経て、ブログの時代へという
流れがある。

通時的に自分のブログを位置づけるという座標軸さえ持つことの
できる恵まれた環境といえる。

あれこれのいつもの検索散策の中で今日は「微視の史学」という
用語を拾った。同名のタイトルの本もあるそうだけど、県図書の
書庫に眠っているかどうか。

巨視の史学に対応する概念として微視の史学というものがある
らしい。鳥の目に対する虫の目。

類似の視点を植物生態学の本の中で習った。同じく、ものの見方
には微視的な視点と巨視的な視点があるということなのだけど。
一平方メートルの枠に生えている植物をプロットしていく、というも
のから九州全体の植物相を大まかに区分するようなものという
感じの縮尺によって何が主題になるかというのが変わってくると
いう話。ただし、価値的には巨視的、微視的どっちがどうだとは
いえない、と思う。

さて、フィールドを身近にもってきて、私のような感じの精神科に
通っているような当事者と設定した場合、わたし的には微視的
はさらにローカルになって、「アタマの中で起こった出来事」まで
及んでくると思う。まあ、もちろん、意識の流れみたいなものを
いちいち記録することに意味があるかどうかは不明だとおもう。

「アタマの中で起こった出来事」も表現することによって、取り出し、
発信してしまえば、アタマの中を越えてしまう。

まあ、私のブログとかと比べてみても仕方のないことだけど、
「色即是空」みたいな重要な概念がアタマの中で、あるいは対話の
中で生まれた瞬間みたいなのが記録されていたとしたら、十分重要
なことなのではないだろうか?

私のヤマカンなのだけど、『大般若経』の中には「色即是空」が生まれ
るまでの歴史的経緯が記録されているのではないだろうか?そうだから
こそとても読み切れるものではないとされる長大なテクストを玄奘三蔵は
生涯をかけて翻訳したのではないだろうか?それに至るプロセスを知り、
伝えたい一心で。まあ、あてずっぽうのヤマカンなのでそこのところ、
よろしく。

その人の中からしか生まれ出ないなんらかの言葉がある。あるいは
表現がある。有名無名に関わらず。そういう事実が私の書く意欲を
支えている。もしかしたら全くの徒労に等しいことかもしれないことを
長々と続けている理由である。

2013年11月1日金曜日

物質的にそれなりに豊かな生活と精神的に精一杯の豊かな生活を目指して

別に豊かな精神生活像を描きたいという野心があるわけ
ではない。でも、本音を書くとそうもいいきれない。

ネットを散策すると、縄文人は、あるいは古代人は
意外に豊かな精神生活を送っていたかもしれないとある。
精神文化を彩る遺物からそう映るのだろう。

物質的にはそれなりの豊かさが広く行き渡っている。
コカコーラは誰が飲んでもコカコーラであり、
コンビニに行けばおいしいお菓子を買うことができる。
時間軸をさかのぼっていくとそれらのことは決して
「あたりまえ」というわけでもなさそうだ。
月並みだけど、大量生産、大量消費の恩恵ということか。

衣食住がそれなりに維持されているとすれば、
あとは精神生活ということなのかもしれない。
精神生活という言葉が精神世界を連想させ、嫌だ
というのなら、文化生活とでも呼んでおこう。

唐突にだけど、話は19世紀のイギリスに飛ぶ。
この時代のイギリス、労働者階級も巻き込みながら
博物学が流行したそうだ。
博物学、もうちょっと易しく書くと標本集め。

カネをもっていなくても、野外を動き回れば標本が集まる。
標本は所有欲を満足させ、標本を通して学びの機会を得る
ことになる、というわけで、労働者階級対策みたいなのにも
都合のいい媒体だったことが分かる。

博物学は東洋では本草学と呼ばれ、日本でも時期を同じく
して流行した。

そういう現象と今の普通の人による情報発信みたいなもの
が異なる時代での相似現象みたいに見る人もいるらしい。

江戸時代、化政文化と呼ばれるくくりの元、本草学だけで
なく、寺子屋などを通じて読み書きは庶民レベルまで広がり、
それらの成果は写本や、地方(じかた)文書として現代に
残されている。

写本のほうは数が多すぎるので未だ調査の進んでいない
ものも多い。写本の一つの類型は読み書きを学んだ人々
が学んだ成果を生かし、周囲の風物、読んだものの抜き
書き、エッセイ等なども含まれる。自費出版に感覚として
は似ているのかもしれない。そういうものも面白ければ、
誰かの手によって書き写され、複製され、写本となった。

地方(じかた)文書というのは豪農の土倉などに残された
手書きの文書のこと。江戸時代の民衆の具体的な生活
像が分かるために研究者にとっては宝の山とされるそうだ。
その地方文書を通して、歴史の書き換えが進んでいる。
時代劇で描かれる類型的な庶民像、農民像を越えて、
具体的なその時代を生きた人々の顔(格好だけでなく、
日々何を感じ、何を考えてたまで)が描かれるように
そのうちなるかもしれない。

翻って、後世、この時代の人々はどう描かれるようになる
のだろう?日々、膨大に生み出されるネット上の情報も
貴重な史料には違いないだろう。でも、江戸時代の写本
と同じく、あまりにも数が多いために、ほとんど密林状態
で調査も進みにくいかもしれない。

むしろ、「精神福祉史」とか「精神医療史」その他細分化
された領域内で歴史が語られるのかもしれない。

昔、中国ではある層の人々は後世、歴史の史料になることを
意識しながら、文書を書き残した。もちろん、意識的に
自分(達)に都合のいいことを書き残すということもあった
だろう。後世、顕彰されることでも夢みながら。逆に後世の
人から攻撃されることを備えて、ある種の証拠として、
あるいは弁明として書き残した人もいるらしい。

歴史といってもそんなに大仰なことを考えなくてもいい
かもしれない。家族レベル、小範囲な地域レベルで過去
を振り返り、過去から学ぶ素材として成り立てばいいの
かもしれない。

遺されたものを読んで、何を学ぶかは人それぞれ。
反面教師であってもいいじゃないかと思う。何かを遺した
からこそ、そこから何かがくみ取れるわけであって、
遺さなかったら、何も考える材料は得られない。

太古、国のようなレベルで、情報を遺すということの
重要性が意識されるようになった。ある種の歴史意識
みたいなもの。

そういうものがきっと下々のレベルまで降りてきて、
今、自分の主題のひとつになっているのかもしれない
と思う。

過去の反省から何を学ぶか、何を生かすかは人
それぞれ。

P・S 前半はよかったけど、後半は???
難しかったという感想をもらった。まあ、書いている
うちにこうなってしまったという文章。興がのってくる
と何を書きだすかわからない。それも含めてまた一興。