はじめての方へ

私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。

P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。

p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。

P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)

P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)


2011年11月30日水曜日

言語機能を上げる

相談員との面談の際にも、
自分で問題に対処する際にも
基礎的なこととして、言語機能を上げることは
大事なことだと思います。

ところが、問題は言語機能を上げるにはどうすれば
いいのかよくわからないことです。

話し方教室や国語学の先生との面談を通して知ったこと
は、ことばを使うということは相当複雑怪奇なことを
しているということです。

それも知らないうちに。

病気のことについてと同じく、
生物学的、心理学的、社会学的
それぞれの側面ありますし、

言語学に限っても音韻論、統語論、意味論
いろいろあります。

学問的にみっちりやってみても、
ある狭い角度から眺めた景色しかわからず、
群盲、象を撫でるといった感じになります。

言葉の上での細かいテクニックを教えてもらっても
あまりに膨大すぎて、とても覚える気にもなれず、
どのように言語機能をあげるかわからずじまいです。

読書、たとえば朗読。
英語学習に「只管朗読」という言葉もあり、
朗読は効果あるかもしれません。

演劇の練習でおなじみの
「あえいおえおうお、、」式の
発声練習もたぶんいいのでしょう。

私のおきにいりは
「言葉を意識する」ということですが
抽象的で何を意味しているのか
ぜんぜん伝わりませんよね。

普段の会話の場とかを大事に
するということなのですが、
どう大事にするのかわかりにくいでしょう。

自分の言葉の問題という露頭から
掘り進んで、それこそ先ほど書いた
生物学、心理学、社会学の迷路を
遍歴することなのですが、一生仕事
間違いなしです。

おまけに結果はついてくると思いますが
問題が解決するのではなくて、高級化、
あるいは問題や矛盾が深くなるといった
こともあるでしょう。

このあたり、ユングのいう個性化を目指して
錬金術的な紆余曲折の迷路を進むみたいな
感じです。手っ取り早く何かしたいという方には
お勧めではないでしょう。

さらには言葉の魔性に触れて、再発という可能性
もないわけではなく、私がよく陥る言葉に酔ってしまう
という症状も出てきて、気分調整にもあんまり
よろしくない部分もあるかと思います。

そのあたりは自己責任の元にと
注意書きするしかありません。

現在の心理的負荷の許容量を意識するのが再発まぬがれるコツかも

人それぞれ、現在の心理的負荷の許容量がどの位かは
外からは見て取れないと思うのですが、そこを意識して
がんばりすぎないことが病気再発をまぬがれるコツなの
かもしれないと思い当たりました。

職場環境ではよっぽどよくできた職場でないかぎり、
当事者の人が働くとなんらかの無理をすると思います。

まあ、一方で仕事で出てくるさまざまなハードルを
乗り越えることによって、社会生活していくうえでの
経験値を稼ぐことも可能になるわけです。

経験値稼ぎながら、一方で許容量オーバーさせない、
危険水位を越えそうになったら、退却する勇気も
もつ。そんな感じだと思います。

私の場合、自分で辞めたいと切り出す勇気をもてなかった
ので卑怯だとは思ったのですが、主治医に頼み込んで
主治医から職場の人にそのときの状態を説明してもら
ったこともあります。

「たとえていえば火山爆発寸前なので、どうか辞めさせて
あげてください」みたいな感じで電話いれてもらった
記憶があります。

人間の精神的成長という面ではずるいやり方だと思うの
ですが、再発させてしまえばもともこもありません。

とにかく、危険水位手前でやりすごせたら、
病気との付き合いという面で貴重な経験値獲得できた
ことになるのかもしれません。

社会ではうまい具合に立ち回って、困難をやりすごさ
なければならないのですが、自分ひとりの力で
すべてが乗り越えられるかわかりません。

自分ひとりの力で乗り越えたほうが、経験値獲得の
面からみてもよいに決まっているのですが、がんばり
すぎてしまうこともあり、そのバランスの兼ね合いに
悩むことになります。

そういったことも含めて、過去に起こったことなどを
事例にして、何かの折に話し合ってみて、
周囲の知恵を借りてみるのもよいと思います。

2011年11月28日月曜日

言葉の問題なのか?思考の問題なのか?

私は大体ものを書いているうちに
気分が高揚してきて、言葉自体に
酔っぱらってきて、そのうち自分に
しかわからないようなことを書つけ
はじめて、ほかの人には意味不明
な文章になってしまいます。

昔からこの問題で悩んでます。
ネット上の人間関係がうまくいか
なくたったり、そもそも意思疎通が
できなかったりなのです。

チャットでは問題はあまり生じない
のです、その都度その都度通じている
か通じていないのか確認しながら
やりとりしますから。

私は比喩で考えることが多く、
相手も当然その比喩表現は理解
できるだろうと思って会話中に使ったり
するのですが、当然相手には通じません。
いつもしまったと思うのです。

ネット上では、行き違いの原因になりやすい
です。

自分では自分のことがさっぱりわからず、
言語の問題なのか、思考の問題なのか
頭を抱えているところです。

相手に通じていない文章に限って
自分からみたら「傑作だぜ」になって
しまうところが悲劇的なところですね。

昔から同じところにいつもかえって
いきます。同じ問題につきあたって
しまうのです。

でもまあ、それが私なのだから、
私の文章だからとあきらめるしか
ないのかもしれないのでしょうね。

2011年11月27日日曜日

ギフテッドの出口

"ギフテッド 非定型精神病"
"ギフテッド 双極性障碍"
で検索してみたらそれらしい
サイトがいくつか出てきた。

幼稚園にて保母さんたちを期待
させるギフテッドの出口が日本
ではそういう方面ならほろ苦い
話だなあってつくづく思う。

スポーツ系の少年少女たちには
手厚い保護がかかるのに対し、
理科少年、図鑑少年には
その手の救済なし。

むしろ、授業がなりたたくなる
場合もあって理科教師に潰され
かねない。

「君の知識は豆知識」
「できぶりっこ」
と理科教師から言われたのは
忘れられない。

小学校4年の私は
学者に死ぬほど会いたかった。
そして今の私は
小学校のころの私みたいな
少年少女に死ぬほど会いたい。

どうやら神さまはそういう子に
二つのプレゼントをくれるらしい。
発達障碍とキラリと光るなにかを。
ある意味平等ということなのでしょう。

ギフテッドの光の面だけでなく、
影の面に多くの人が思いをはせ、
影の人生ではなく、
光の人生を送れるよう、
心の隅でもそんな子供の
ことを覚えておいてくださいませ。

光の当たらないギフテッドの
人生に幸おおからんことを。
薄幸な人生から救済してくれる
誰かに出会えますように。

自分が発達障碍だったとしたら謎がとける

<風の強い日が好き>というブログに
発達障碍ベースの非定型精神病についての
記事があった。
http://ameblo.jp/iris-japonica/entry-10934689319.html
http://ameblo.jp/iris-japonica/entry-10987207405.html
http://ameblo.jp/iris-japonica/entry-10935689417.html

今の苦しみは曖昧な苦しみであるので、
自分自身で詐病じゃないかと疑っていたが
苦しみの正当性みたいなのが確かめられた
感じがした。

ちなみに私は発達障碍についてほとんど
何もしらない。

でも生活史を反省してみるとうなづくところ
ばかりだ。

そして、自分のもっていた障碍に気づくことなく、
「生活史のかなり早い段階でボタンのかけちがい
みたいなのがあった」
とか
「欠陥住宅の身体に住んでいる」
とか自分なりの言葉で理解していたが、
自分がいい加減なためだと結論していた。

だから、苦しみながら生きてきて、
しかも、その苦しみは自分の努力が
足らないからだと思い込んでいた。

でもその対価として受けてきた恵みも
自分で意識してきた。

また人生を最初から
やり直せるのなら、自分の身体を選択しようと
思っていた。いつも。たとえ、どんなにもっと
恵まれた人生があったとしても。
宿命のようにして起こった、精神の破綻を
また繰り返すことをわかっていたとしても。

「いい映画をみた。」と人生最後のときにつぶやいて
みたい。もし、今からでもそんな人生が生きられるのなら。

"非定型精神病 才能" で検索された皆様へ -私からいえそうなこと

私に才能について語る資格ありかどうか、
かなり疑わしいのですが、仮に非定型精神病
になられたかたで、心の慰めを得たい人に向けて
何か考えてみようと思います。

内に才能秘めてるって自分についてあきらめの
つかない人なのですが、その才能が宝になり、
毒にならないためには気分の微妙なバランスを
とることに工夫しないといけないような気がします。

内に秘めたイメージは往々にして気分を高揚させ、
これをどう飼い慣らすか知恵を絞らないと
いけないことになります。

「それは幻だ」と自分に言い聞かせ、炎を弱めて
いくわけですが、それがいいことなのかどうか
も私にはわかりません。打ち消すことで、
せっかくの若い時期に何も作り出さないで、
もっぱら受け手としての人生を送ってしまう
のも何か自分に対してかわいそうな感じもします。

私は自分を信じることができなかったので
若い時期を無為にすごしたか、かなり回り道
したかどちらかだと思います。

背中を押してくれた少数の人はいないこと
もなかったのですが、現実感わかなかったので
若いときの炎をカタチに残さずじまいでした。

つくったものもありますけど、それに価値がある
とは思えなかったためにどこにいったのやら
といったところです。

まあ、思い込みだったかもしれないし、
そのへん実に曖昧なのですが、
宝くじみたいなものなのでしょう。
夢を買ったとおもえばいいわけです。

ただ、自分の今までの人生反省して、
才能ありと認められた人に対して、
話し相手として、それなりに貢献して
きたのではないかという妄想があります。

世の中みんなつながっていて、よくも
悪くも歯車みたいなものです。
運良く、私の歯車はいろんなほかの
歯車とリンクしていたので、私の
歯車の回転のエネルギーは無駄に
なったとも思えません。

たぶんそれが私にとっての慰めです。
だから、"非定型精神病 才能"で検索
された皆様なのですが、まずは社会ネットワーク
上の位置取りに工夫してみられるといいのでは
ないでしょうか?

ただ、老婆心からいわせてもらいますと、
まあ、ぼちぼちと自分の身の回りにいる
人を大事にして、準備の整わないうちに
「遠くのひと」とつながろうとあせらないこと
だと思います。準備の整わない間は
それは決していい出会いにはなりません。

人には出会うべき時期があるのだと
思います。自分から無理な動きをせずとも
運命の力は出会いを運んでくるような
気もするのです。偶然の力が運んできた
出会いにふさわしい器となれるように
普段の話し合いの場面とか、
余暇時間の活用とか今の境遇で
可能な準備を進めてみるといいでしょう。

未来のあるあなた様が充実した人生を
贈れるよう、インターネットの片隅から
私は祈っていますよ。

2011年11月26日土曜日

ゼロからの独創ー空白地を探す

ゼロからの独創ということばを聞くと、
適応放散とか、一斉放散という言葉が
すぐに思いつく。

空白地を探すことだ。

熱帯雨林のような現行の情報環境で、
やりつくされた感のある世界にも
空白地はあるのではないだろうか?と
仮定してみる。

意外と樹幹のほうはがら空きで、
その後ラン科植物とかが着生蘭として
樹幹という空白地で一大世界を築いた
みたいなことはないのだろうか?

ある側面からみたら、隙間なし、
ある側面からみたら、がら空き
みたいな見え方というのは
今の世の中でも成り立つの
かもしれないとも思うのだけども。

空白地にいけるための条件って
何なのだろう?

みえない空白地。
システム化され、やりつくされた
と思われているこの世界の盲点。

P.S 褐虫藻との共生によって、
サンゴ礁という一大世界をつくり
だしたサンゴの仲間も何かの
ヒントになるのかもしれない。

潜在的に恵まれた条件でありながら
何かの要素が欠けているために、
荒れた環境になっている、そういう
フィールドってないだろうか?

欠けている要素を探すのはきっと
難しいけれど、ない、と表現すると
見えなくても、0と表現したら、
見え方が全然変わってくるような
話。まとまらない話になってしまった
けれども、素朴なたとえ話程度の
ものでも、馬鹿にもできないような
気もするのだけども。。。


迷い道で出会った野生蘭

登山道から外れたところで、という言葉
で思い出しました。

学生時代の思い出です。

南アルプスで甲斐駒ヶ岳を先輩に連れられて
昇っていたとき、遭難碑を過ぎたところで、
私たちのパーティも多分、同じ迷い道に
入ってしまったのです。

先輩は立派で慌てたところ見せず、
地図を見ながら、正しい方向を見つけて、
本道に無事戻ることができました。

その迷い道の道すがらイチヨウランという
花をみつけました。こんな花。
http://nekoppana.exblog.jp/6115245/

他の折にも、登山道からそれて、
迷い道に入ってしまったときに
蘭の花みつけるという
ことはありました。

自分にとっては何か象徴的なエピソード
でした。迷い道だからこそ、まだ荒らされていない
もの、発見されていないものがあるような
感じですね。

整備された登山道は多くの人が登るため、
その中に一人心無い人がいるだけで、
採られた花は戻ってこないこと。
まあ、少年時代まで考えると私にも
余罪はありますけども。

遭難のススメみたいになってしまっては
困るし、遭難にもいろんな意味で遭難が
あって、取り返しのつかない遭難だと
ますます困るのですが、
そんな状況下でも、よく辺りを見渡せば、
その状況下だから見たり、手に入れたり
できる宝もあるかもしれませんよ、という
お話でした。

この話も全体としてたとえ話で、
登山中の遭難というよりは、
人生の旅すがら、道を見失う
みたいな局面でのお話です。

電車賃使って丘の向こうへ 人生漂流中の目標の探し方

人生漂流中何が困るかといって、適切な目標がみつからない
ことです。
仕事に入っているときは組織とかが目標を作ってくれて、
その目標に従って生活していけばいいからいいのです。
でも、仕事から離れて、自由なときは自分で目標を探すことに
なります。

仕事。見つからない。だから。何もしない。
では毎日が無為に過ぎていくばかり。
だから、間接的な目標を探すことになります。

ましてはいきなり究極目的探してしまうと、
本当に一生使い果たしてしまうかもしれません。

そういうわけで、いくら考えてもらちがあかないので、
漂流中の問題を旅の問題に変換して、旅の問題と
して考えることにしてます。

生活上の目的は地理上の目的地にかわります。
問題となるのは世間に疎いので、どんな目的地が
ありうるのかまだ知らないことです。

あと、財布の中の問題。人は境遇によって与えられたも
のは様々です。才能やら家庭環境とか文字道理お金とか
そういったものをリソース、財布の中に入っている
お金でたとえてみます。

で、自分の現時点での財布の中身で到達可能な
目的地はどこだろうと考えを練っていきます。

丘を越えてみるだけで、風景はガラリと変わる
かもしれません。丘を越えるだけで、考えの
範囲内に入ってくる新な目的地もみつかるかも。

そういったたぐいのことを、ワープロで自問自答
しながら、漂流ライフを送り続けています。

地球の歩き方みたいなのが人生にあればいい
だろうし、懇切丁寧な世の中だから探せば
すぐ見つかるのかもしれませんが、
登山道から外れたところに荒らされていない
お花畑はあるだろうし、とも思ったりします。

2011年11月25日金曜日

サポートネットラグーナ 心の力の育て方

サポートネットラグーナの金曜日のプログラム
心の力の育て方を受講した。

内容は守秘義務が絡むかもしれないので
かけないのだけど、この会に参加して
なんとなく自分でわかったことは、
今まで読んだ本とかによって
育てられたイメージとかことばの力に
よって、発病後いろいろあったかもしれない
問題のハードルを自分なりに越えてきた
かもしれないということだった。

学校でいろいろ習ったけど、最近まで
それが何の役にたっているのか
よくわからなかった。

死蔵しているみたいにずっと思ってきた。
好きで読んでいる本とかたしかに、
何かの肥やしにはなっているのだろう
とは思っていたけど、どういう意味での
肥やしなのかははっきりとはわかって
いなかった。

図書館で読んでいる本は読みたいから
読んでいる本ばかりで、資格試験の
ためのお勉強とか(やればよかったの
かもしれないけど)全然やらなかった
から壮大なる時間つぶしかもしれぬ
とうすうす思っていた。

それも、読んでも記憶に残らないし、
読んでも読まなくてもあんまり関係
ないのじゃなかろうかとも思った。

でも何だろう?結局、自分で何か
問題にぶち当たった時、自分なりに
考えて、自分なりに対処するなり、
心の持ちようを考えるなりしなければ
ならない。

そういったもろもろのことに使う道具は
自分の中の言葉やイメージの中
からしか出てこない。

それは見えない宝なのかもしれない
けど、見えない宝が目に見える形
で作用するのは問題にぶつかった
ときなんだと、「心の力の育て方」
受講して、自分でもあれこれ発言
する中は初めて意識化された。

今日は出版記念会もあって、
http://ecowww.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/ihara/translation/translation-1.htm
「朗読によるクリスマスキャロル」という本を
買ってきたのですが、
現実を乗り越えるための
心の糧、楽しい読書という
感じがしましたね。
大事に読むことにしましょう。

そういふ者に自分もなりたひ

私はライト兄弟よりもむしろ、その前活躍?された人たちに
シンパシー感じる。奇怪なアイデアで大空に挑戦し、墜落し
ていった人たち、大馬鹿野郎ども。
http://www.youtube.com/watch?v=3VKg5Wlw94w&feature=related

夜明け前の仮想世界、海のものとも山のものとも世間の人
からは思われず、でも、何か純粋さを感じる古き良き時代の
今。

ある人は野心をもって、ある人は遊び場として、
またある人は真白い紙のようなものとして、
この世界に入ってきた。

今の世の中何が贅沢といって、
考える時間があることが最高の贅沢
かもしれないと個人的には思っている。

考える時間、表向きには何も生み出すことなく
時間は過ぎていく。効率性を大事にする今の世の中
能力があればあるほどそんな時間が意外ととれない
ように思う。

セカンドライフの中であれこれすることによって
現実世界の見え方も少しずつ変わってくる。

素材の集積場に思えてきたり、
なんと贅沢な世界なのだろうとためいきついたり。

仮想に触れることを通して、仮想と現実、双方に
ついて考えることが増える。

自分の立ち位置はマッドサイエンティストみたいな
感じなのかも。

非定型精神病を通して、ただでさえ、日常世界に
ついての素朴な疑問が増えた。いちいちつっかかる
ようになってしまった。自明性の喪失などという
恰好いい言葉は私には似合わないけれど。

そんな私が仮想世界と出会った。
もう鏡の世界だ。仮想と現実の合わせ鏡の
中に入り込んでしまって帰ってこれない。

キャラクターの個人使用、確かにある意味
最先端だと思う。コンテンツ化した自己が
経験値を重ねながら、データベースの上で
進化していく。

90年代、今でいう合成生物学にあこがれていた
私は、いつしか、アバターという体を獲得して、
マトリクスならぬデータベース上で自分でも
よくわかっていない何かをやらかしている。

いつか翼をもって、新世界のかなたへ。
まだみんな本当の姿をしらない、
新世界へ。

2011年11月24日木曜日

ラン科トンボソウのモチーフで

平面構成してみました。
なんとなく始めたのですが、
途中からラン科トンボソウ属のように
見えてきました
ちなみにトンボソウはこんな感じの花です
http://kumagaisou.blog.so-net.ne.jp/2011-07-02-1

2011年11月23日水曜日

ゼロからの独創

今日現在で”ゼロからの独創”検索して出てきたのは10件。
それも、巨人の肩に乗るべきだという話が多い。

数学的厳密さでゼロというのはそれこそ非ユークリッド幾何学
みたいなものしかないのかもしれないが、もうちょっと条件ゆる
くして考え直してみよう。

それはきっと空白地を埋めるようなものだ、海洋島でニッチを
ありえない種が埋めていく感じ。

それを個人の創造行為の中で再現するにはどうすればいいの
だろう。

プリミティブさ、原始的なことに我慢するというのはひとつのポイント
かもしれない。

文明の利器はそこでは使えない。使わない。
その環境の中に身を置いて、ありあわせの材料で器用仕事をする。

すべてにわたってゼロというのはさすがにできないかもしれない。
無人島で裸で放り出されて、生活できないのは恥じゃない。

だから、ひとつの妥協として、無人島生活で足りないものを
自作するという問題に移してみてはどうだろう。

それなりに使えそうな道具はポケットの中やらかばんの中に
入っている、とりあえず今の手持ちの道具でやりくりして
無人島ライフを成り立たせてみるわけだ。

ところで、今書いているのはたとえ話で、ゼロからの独創という
問題について自分なりに考えている。

かばんの中にもナイフやら領収書の裏とかペンとか貴重なもの
が入っているかもしれないけど、アタマの中にはもっと貴重な
ものが入っている。

学校教育で得た知識だ。ラマヌジャンという事務員は高校数学
の知識から、時代の最先端、あるいは未来世界まで数学の世界
を旅することができたのだから、普通の人のアタマの中に
ある道具だけで、きっと原理的には遠くにいける。

豊かなモノの時代、望まれているのは「私の無人島」ではなかろうか?
プログラム言語でも、画像編集ソフトでもその人独特の内なる無人島
を開拓できる。誰でも知っている不等式だって、挟み撃ちという方法で
円周率の近似値の精度を上げることができるくらいなので(この方法は
ついに東洋では発見できなかった)、みんなきっとすごいものを死蔵
させているのだと思う。

仮にタイムマシンとかでウル王朝に飛ばされて、話を簡単にするため
シュメール語ができたとして、算数ができるということで財政管理みたい
な部署に今の世の中の普通の人が雇われたとしたら、そういう環境に
身を置いたとしたら、ほとんどの人はかなり凄いことをやってのけるの
ではないか。

妄想全開になってきたので、そろそろ今日の話はお開きにします。
私の頭の中にある死蔵された知識のありったけを使って、一席
でっちあげてみました。言葉に酔わされて、頭は弱いのに
ドーパミンどばどばです。しばらく、頭冷やします。

内なる生態系におもいをはせる

最近、このぶろぐが自分をみつめる場に
なってます。毎日十数人の観覧者がいる
のでそうなっているのかもしれません。

私は文章の訓練もデザインの訓練も
系統的には受けていません。
それでも、今までの生活史を通して
私の心に流れ着いた漂流物みたいな
要素が絡み合って、内なる生態系を
つくっているように思います。

ただし、周辺的な孤立した生態系なので、
大事な要素が抜けてたり、異質な
要素が入り込んでいたりします。

本屋さんにいくときも、美術関係の棚は
ちょっとだけお邪魔して長居はしない
ようにしてます。

心理学とか社会学とか立ち寄ることが
多いです。
最近はブーム?のためか
井筒俊彦の本をよく読んでます。
こういう分野にブームとかあるのでしょうか。

イメージの世界と関係大いにあり
なので、大事にしてます。

きっとそのとき体が要求する
栄養素なのでしょう。
体の要求に従って本を選んでいる
感じです。

ただ、外から入れた知識は
あくまで道具なので、その知識を
使ってものを考えないといけません。

原則はそうなのですが、多くの知識は
死蔵され、忘れてしまったか、無意識の
底に沈んでいる感じです。

文章を書いたりすることで、心の中が
攪拌されて、昔読んだ本の断片が
浮かび上がることが多いです。

ところで必要な知識が抜けることは
地図をもたずに旅をするのと似ているの
かもしれません。

そういえば、地球の歩き方片手の旅で
なく、成り行きの地図をもたない旅に
あこがれて、韓国の全羅北道の全州に
遊びにいったことがあります。

前泊地の福岡の親戚の家で、せめて
地図だけでももっていけと、押し付けられる
ように、全州の地図を渡されたのですが、
現地に行ってみれば、まったくの命づな
でした。地図がなければ、北も東も
わからなかったからです。

でも、一枚の地図だけの旅は素敵な
旅になりました。未知の場所、未知の宿、
未知の人間。すべてが意外な出会いに
なりました。日本人のたまり場からたまり
場に移動した旅とは大違い。

文化的な要素、たとえば知識が抜けたり
存在したりすることはいろいろな効果を
もたらすはずです。そのことを意識して
自分の内なる生態系を育てながら
いろんなもの作ったり、文章書いたり
したいと思っています。

2011年11月22日火曜日

ひとのためにいきている

「ふつうの人は自分のために生きるものだが、
あなたはひとのために生きているように見える」

記憶も朧なのですが、学生時代、指導教官から
このようなことを言われたことがあります。

けっしてほめ言葉ではないのがみそです。
そのために人生ずいぶん損しているのではないか
というニュアンスです。

自我という言葉の意味は西洋から輸入された
ほかの言葉、たとえば、社会とか個人とかみたいな、
それ同様分かりづらいです。

「我が強い」、これは直感的にわかります。
無我、ほめことばとして扱われるときも
悪い意味で「自分がない」ということを指すとき
も使われます。

統合失調症の人その他、精神病の患者は
「純粋」だとか「優しい」とか言われることが
よくあります。

でも、それは自我の弱さとどこかでつながっている
のではないでしょうか?

我が強い人は「あくが強い」といわれることも
あり、押し合いへし合いしながら育ってきた
みたいなイメージです。

自我の弱そうな人には苦手な話です。
押し合いへし合いするくらいなら、
誰もいないところで、のんびりしたいのです。

自分を守っている自我の強さには
遺伝的背景や環境による学習など
が絡み合いながら、人それぞれの
その時のパラメータがあるような
感じがします。

その時の自我の強さで対応できないような
ライフイベントが起きてしまうと、
適当な確率で堤防決壊です。
自分が壊れてしまうのです。

自分の都合ではなく、他者の都合を
優先するのは美徳にもなりうる場合も
あるでしょうけど、抱え込むこと多いです。

ひとのためにいきている人で出来上がっている
社会があれば、社会が市場みたいになって
世の中がさぞ繁盛するでしょうけど、
たぶんそうではないので、
今のような世の中になっています。
お人よしばかりで成り立っている
世の中だったら、その中からずる賢い
人も進化してくるでしょうし、まあ妥当な
ところだと思います。

でも、ずる賢い人ばかりで出来上がっている
社会ならば社会自体が成り立たないでしょうし、
そんな中でお人よしから成る小さな集団があれば
その集団はさぞかし繁盛するでしょう。
たとえば近江商人のように。

2011年11月21日月曜日

重要な選択、しかし、次の潮目もまたあるさ

今までの分岐点、反省すると完璧からは程遠い
です。むしろ、完璧じゃなかったから今ここで
書いています。発病した後の選択ミスも多々
あるでしょう。

見送ったチャンスもいろいろきっとあります。
でも、多分うまい具合に次の潮目もまたやって
くると思うのです。

潮目に気づいたり、後から考えたら潮目だったり
いろいろなのですが、波が何度も訪れるように
それっきりという話もないと思うのです。

それっきりだったとしても、また別の話になるの
だと思います。

残酷といえば、残酷なのかもしれないし、
うまくできてるといえば、うまくできてるのかも
しれません。

結局その選択がどんな意味をもっているの
かは人生最後まで生きてみないとわからない
と思います。

さまざまな境遇の中でその人なりの、その
時のテーマというか課題みたいなものがあって
自分なりに解答するものだと思います。

ひとの問題はひとの問題で、自分の問題は
自分の問題。さしあたり解決不能の問題
もいっぱいあるとは思うのですけど、
なんとかかんとか今日まで歩いてきた
歴史にも意味はあると思うのですよ。

演繹と経験と裏打ちのはなし

私には病気について偉そうに語る資格なんかないと思います。
手にすることのできたデータはせいぜい自分のものと、
近くにいる人のものくらいなもの。
とてもとても一般化できるようなものではありません。

しかしまた、再発するリスクみたいなものは頭から離れること
はありませんから、限られたデータをもとに自分なりに帰納して
仮説めいたものをつくり、判断基準にしたり、行動の指針に
したりするわけです。

利用できそうな資料は利用します。使えるものは何でも使うという
方針です。

それでも、能力もたかが知れてるし、自分なりゆえの罠にも
はまっていることでしょう。

いわば、数学の問題の計算用紙みたいなものです。
自分なりに自分の問題を解いている過程をつらつら
書いている感じです。

最終的に合っているかどうかなんてわからないので
部分点期待です。

出てくる結果はこうすれば助かったではなくて、
こうすれば遭難するという結果なのかもしれません。

相変わらず、人生漂流中なのですが、流されるばかり
では能がないので、潮目には注意して、自分なりの判断と
ささやかな行動を決断することにしてます。

大それた行動をする勇気もないし、それだけの器でも
ないとも思うので、あくまでも自分で可能な範囲の
もう一歩です。

ささやかな一歩でも、潮目に注意して時期を間違わなければ
違う流れの海流に乗ることができます。

たぶんこれだけでもどこに連れて行かれるかという
シナリオは大変更でしょう。

2011年11月20日日曜日

頭の中をイメージで満たす

今日も検索しながらいろいろ考えていたのだけど、
何かの上で大事なのは基本要素を見つけることと、
繰り返すということなのではないだろうか?

私も飽きっぽいほうで、小さいころから熱中する
ものは遍歴を繰り返してきたのだけど、
その中で一筋続いてきたものは

頭の中をイメージで満たすということだった
と思う。その時折の好きなこと。

繰り返しの中でその人なりの行動と表現の
文法が獲得され、その文法は発達していく。

結局、教育と訓練の中で叩き込まれるのは
その専門の規範文法なので、
自分なりに愚直に繰り返しを行い、
その反省を行うことで
自分なりの文法ができあがっていくのだと思う。

ポイントになるのは自分なりの
構成原理を確立することなのかもしれない。

見てはいけない世界を見てしまったために

私は未だに自分が何者なのかわからないのだけど、
ただ、自分の人生の問題点があるとすれば、
「見てはいけない世界」を見てしまったことに
あるのだと思う。

宗教に濃密にハマリまくるという道筋は取らなかった
ものの、「あたりまえ」が崩れてしまったわけです。

日常世界の日常たるところ、退屈な日常みたい
に感じさせる安定性というか慣れ親しんだ世界の
「真実」みたいなのが「ちらり」と見えたわけで、
脳の故障を通して、何かの封印が解けてしまった
のです。

「ちらり」と見えたものに「あちら側」を感じる
ならば、宗教にはまりまくる世界と何も変わらない
かもしれません。

デフォルトの日常世界の裏側というか、
むしろ脳がつくっている日常世界の
裏というべきなのかわかりませんけども、
そういうものを一遍みてしまうと、
以後、それまでは通り過ぎていった
さまざまなことに、いちいち躓き
疑問点を感じてしまうのです。

ちょうど語学の入門者が
文法事項のいちいちに疑問を
感じ、なぜ冠詞に性があるのですかとか
doとはそもそも何なのですか?
とか、実用上素通りしてもいいような
ところを飛ばせないで先生を困らせて
しまうような感じににています。

私みたいな者が、疑問をかんじたところで
何の生産的な結果も生まないだろうという
ことは重々承知なのですが、
それでも、せっかくこの世に生まれてきた
のだから、自分のできる範囲で、
自分なりのやり口で問題考えてみた
いです。

考えるといっても方法論習ったわけでもないので
素手で戦うしか能はないですけれども。

ランニングした後のような感じのする日常世界

ここ最近、心が内に向かって、ほんの少しだけ
世界の見え方が違った風に受け取られている
感覚がする。

といっても、なんのことはない、ランニングした
後に誰でも経験する朦朧とした世界にそれは
似ている。

歩いている速度をゆっくりしていくと、足の裏が
地面につく感覚やら、体の内部の感覚が
感じられるようになる。

地面の風に吹かれて飛んでいく落ち葉の感じや
上から木の葉が落下してくるさまやそういったもの
が小道具になって、非日常感がかもし出される。

ガラスの移りこみ、濡れた地面の照り返し、
樹木の影の木漏れ日のちらちらする感じ。

なんのことはないいつもの街のいつもの風景
なのだけど、映画監督が撮ったそれのようにも
見えてきて、ゆっくり生きていると
日常背景の密度が何倍増しかになってくるの
かなあって思う。

「信号が赤に変わりました」とか街に流れている
声が違ったニュアンスを帯びて聞こえてくるのも
もうちょっとなのだけど、最初は恐怖したそういった
時間もだんだん曖昧になり、距離をおきながら
観察し、楽しめるようになってずいぶん久しくなった。

P.S 「左に曲がります。ご注意ください。」
「足元に注意。」「関係者以外立ち入り禁止」
いろいろニュアンスをもって聞こえたり、見えたりする
文句はあります。最初のころは「あちら側」からの
メッセージに見えてきて、いちいち恐怖したけど
だんだん距離が取れるようになりました。
いつもそう聞こえるわけでなく、そういう時間がある
のですね。催眠暗示のトリガーになったり
いろいろなのですが、年の功で慣れもあるのでしょう。
馴れ合いさえも。

2011年11月18日金曜日

weblogは記録になる点と振り回される点

個人的には私のような人間がweblog書くのはよかったり
わるかったり、半々ですね。

いい点はまさに、weblogという感じで日々の記録になる点。
日記書くタイプではないから、記録つけなかったら消えてしまう
ことを残せます。

わるい点は振り回されやすいということ、病気の人が
いろいろ公開するとわるい点はこれでしょう。

いろいろ危険あるのに気付かずに、あるいはよく考えれば
わかるのに自分を晒しつづけています。

自分のことを知ってもらいたいという気持ちが働いて
いるのか自分では知りません。

お立ち台なのだったら、知ってもらいたいなのかも
しれませんが、晒し場なのであまり、知られたくない
という気持ちも微妙に働いています。

晴れの舞台とかは苦手で、どちらかというと静かな
雰囲気が居心地がいいです。あわただしい毎日とかは
生理上合いません。まあ、そういう環境でもなかった
ですけどね。

矛盾する要素はさまざまで、叶えられなった野心
もあるでしょうし、引っ込み事案で目立ちたくない部分
もあるでしょうし、逆に目立ちたい欲望もたくさんもっている
わけです。

たぶんそういったさまざまな要素が私にこのブログを
書かせて、一方振り回されてもいます。

心の底に修羅がいるとまでは恰好いいことは書けませんが
子鬼の一匹や二匹はそりゃいるでしょうよとだけ書いておきます。

2011年11月17日木曜日

生きられた病 ー個人症候群

中井久夫の書いている個人症候群という言葉の意味が
ぜんぜんわかっていないのかもしれないけど、あえてこ
の言葉を持ち出してみる。

片一方で生きられた家という本があって、多木浩二という
ひとが書いている。建築のほうなので門外漢だ。

生きられた家という表現が許されるのなら、生きられた病
というのもありそうだ。

約1993年に病気が再発して、心因反応というどちらかというと
一時的な精神病というニュアンスの病名が非定型精神病という
病名に変わった。といっても、主治医の都合でつけられる病名
という認識があるので実態はどうなのかわからない。

以来非定型精神病というラベルを背負って生きてきた。
主観的には病気の波があり、その波をやりすごしてなんとか
2回目以降の再発は免れて現在に至った。

しかし、あくまで主観的であって、そもそもその病気の波って
あったのか、幻だったのかなんともいえない。

確かに主観的に見た症状はあったけど、微妙なところで
症状を引き寄せていたのではないとはいえない。

現在も微妙に病気の前とは違うような感じがするけれども、
脳の中調べるわけにもいかず、また調べてみたところで
異常として観察できるかどうかは定かでない。

すべてが幻で幻の病気と闘っていたというのはまったく
ブラックな話だ。詐病を続けてきたようにも見える。

主観的な物語を信じれば、本人と主治医の努力で
病気の波をやりすごしてきたという話になる。

病気にならなかったと考えれば幸いなのだけど、
病気なんてそもそもなかったという世界観にたてば
幸福感もひっくりかえる。難しい。

それでも、現在を含めて苦しんでいるわけだし、
奇声をあげたくなる心理はよくわかるし、
リストカットの心理もよくわかる。
ただし、これもあくまで主観的な物語に過ぎない
けれど、なんとかかんとか心理的なバランスと
とるように努力して乗り切ってきたような気がする。

これも、精神病独特の話だと思うけど、
病気に感謝している部分もある。
病気になって失われた部分もあるけれど、
反対給付のように恵みをうけた部分も
あるように思う。

そこは精神病になった人が成巫する
ケースがある事情とどこかで重なる部分
もあるとは思う。単に取り去られる
病気ではないような感じがする。

鹿児島に住み、家庭の事情で家の
中は奄美そのものの環境にありながら
私の人生は成巫するシナリオには
ならなかった。

もともと生物学専攻だったし、
熱烈に信仰生活に入るというタイプ
では今も昔もありえなかったと思う。

むしろそちらは表に出さない
内面の生活であって、
心の奥のほうに秘密の祭壇でも
つくって、誰かを拝んでいたのだろう。

魂の叫びみたいな何かを聞いてくれる
誰かを求め続けていたのかもしれない。

外来ホスピタリズムその他

ここしばらくいまいち調子がよくない。
公開することでいろんなことが思われてくる。
私は自分で病気と思い込んでいるだけなの
ではないか?病名を付けられたのが災いして
病名にこだわり、なくて済んだはずの症状に
苦しめられているのではないか?

再発予防のためとはいえ、病名のラベルを
つけられ、一生薬を飲むことの不利益って
何なのだろう?

外来ホスピタリズムという表現も中井久夫の
本読むとでてくる。そして、ネットにも出てこない
そういうマイナーな用語みつけるまで、医学書
読むというのもあんましよくないにちがいない。

そうはいいながらも、リウマチの人がリウマチ
という病気に詳しくなるのとはまた違う「面白さ」
がこの病気にはあるのは確かだ。

ネガティブ思考で自分を苦しめ、神経損傷を
与えつつ、また別のときにはドーパミンが
ドバドバ出るような感覚に身を任せながら、
神経が修復されていくようなイメージに
浸るのだ。観察者と実験動物を兼ねている
感覚か。

でも、これも病理というより、普通の範囲内の
出来事かもしれない。そうはいいながらも、
リストカットする人の気持ちがわかるくらい
発作に苦しむ時期もあったような気がする。
それも過去のことで、記憶は霞がかかった
ように朧になってしまう。

本当に内側から見ただけのことで、それは
正当なことかどうかはわからない。
私は「自分のことがそれだけ言語化できますね。
説明できますね。」って主治医からも相談員から
もいわれるけども、それにもかかわらず、
自分で自分のことがわからないのです。

自分のことがわかるにもいろんな深さがあって
症状のこと、その他自分に起こっていることが
説明できるということと、自分が根本的に
どういう状態にあるのか、どういう存在なのか
わかるということ、いろいろあるとおもう。

「汝自身を知る」のは永遠の問題みたいなもの
で凡なるわれわれには無理なのかもしれない
けれど、もっと条件ゆるめたぐらいのところで
自分で自分を苦しめずに済むくらいのところで
わかりたいような気がする。というかそれを
心底望んでいる。

P.S 自分で読み直してみて支離滅裂だと
思いました。文章が下手なのか、思考パターン
に何か問題ありか?自分ではやっぱり
わかりません。

2011年11月16日水曜日

サポートネットラグーナほぼ初日

中身は守秘義務事項に触れるので書かないことに
します。ただし、昨日初日のお題目は話し方、聴き方教室。
まあ、このくらいは書いてもいいのでしょう。

最近、袋小路感に捉われていて、やはり日本人
どこかに所属したほうがいいだろうと思って加入
したわけですけども、最初私「ここに居ていいの
だろうか?」という思いが少しありました。

非定型精神病は知っているひとは知っての通り、
表面上完全寛解に限りなく近いところまでよく
なります。私の近くの人も「どこが病気なの?」って
思う人ばかりだと思います。

しかし、私の場合は表面上でして、微細な記憶障害
もありそうな感じですし、判断力も若干。そして些細
なことで気分が不安定になることがあります。

たとえて言えば背骨が2回ばかり折れて、その後
養生がよかったためか、外目には平常に見える
のだけど、あんまり無理は利かない状態みたいな
感じなのです。本人から見た感じですけども。

それで、本題に移って、話し方、聴き方教室なの
ですけども、教室受講した後の感想は
自分で気づかなかったけども、見えない努力を
続けてきたのだなあという感想を自分に対して
持ちました。

大学の一年時は内向的な感じの性格で、
大学6年かけて、自分なりに「性格改造」を
試みました。大学3年のときに台湾旅行とか
シルクロード旅行とか一人旅で行ってみて
自分独力でやりとげられるかどうかの課題
をつくり、また旅先で、その後の人間形成の
モデルになるような面白い人たちにも出会いました。

広島に帰ってきたあとは「かくし芸」を覚えて
芸の力で笑いをとることができるようになって
人とコミュニケーションとることができるように
なりました。失恋がきっかけでロジャーズの
カウンセリングの本を読みだして、ちょっとした
素人カウンセリングのみたいなことも
しました。

卒論、修論ではいろいろキツくて、生物学への
興味が若干薄れ、カウンセリング関係の本を
ぼりぼり読んでました。自分を自分で支えるために。
ただし、ロジャーズだけで、ユングのユの字も
知りませんでした。

そういった背景で急性状態を迎えました。
ある意味、幸せだったのかもしれません。
後から考えるとですね。当事者でしか体験
できない体験をよくもわるくも味わいました。
そして、そう考えることが可能だったのは
その前に心理学関連の本読んでたからですね。

鹿児島かえってから最初の活動はMBC学園の
話し方教室受講ですね。小澤先生という方が
講師でした。陰性状態も若干残る時期に通い
ました。2期受けたのですが、2期目に自己紹介と
他己紹介の課題をやっているうちにことばの
奥深さというよりも魔性の部分に触れてしまい
再発しました。

ことばは誰でも使えますけど、底深いもので
精神療法とかでお金とっている人もいるわけ
ですよね。そういう意味でどこまでいっても
きりがなく、最後は魔性の部分までいってしまう
わけです。といってもどういう意味で魔性なのか
はもう思い出せません。

心理学関連の知識がさしあたり役にたったのは
桜島ユースホステル時代の「ミーティング」です。
日替わりでさまざまな地域、さまざまな専門、
さまざまな職業の方とお相手しました。
場所的に桜島の存在、そして南西諸島方面
への交通上のハブにあたるために情報の
吹き溜まり状態になりました。
キャラバンサライの主みたいな気分でやって
ましたから。

そのあともいろんな話が続くのですが、
サポートネットラグーナ初日の
話し方聴き方教室(講師はKTSの先生)
受けているうちにもろもろのことが思い出されて
きてホロリときてしまいました。

言葉の仕組みとか自分なりに勉強して
いたのですが、私って結構見えない苦労と
見えない努力をしていたのだなあって
過去のことを思い出したのですね。

2011年11月15日火曜日

非定型精神病と創造の病

大した創造をやっているわけでもない、私ごとき
がこんなことを書くのは気が引けるのですが、
私の場所からみた創造の病という言葉について
今日は書いてみたいと思います。

病人が病気のさ中に感じた「ついに実在に達した」
みたいな感じは幻なのか、真実なのかは一生を
終えるまで分からずじまいだと思います。

私もあえて、それにこだわりません。
ただし、生理的に天下り式に「世界の中心点」
が与えられたとしたとすると後の学習はスムーズ
に進みます。

これはちょうど北極星を発見した古代人が
天にも地にも秩序があるということを直感して
易という形で森羅万象に秩序を与えたのに
似ています。

病気という形であれ、生理的に「世界の中心点」
がその共同体にもたらされたとしたら、何かと
生存上都合のいいことはあるだろうと思うのです。

特に、「冬を越えること」「飢饉を越えること」これが
できるかどうかの境界線上にあるとき、世界に
秩序があるという直感はなによりの支えだと思うの
です。

中心があれば、そして、それが観念上のもので
なく、実感を伴っていれば、雑多なさまざまな
知識は中心を通してつなげられたり、つなげら
れなくても、いづれはつながるだろうという予測を
立てられたりしそうなものです。

使えるものはなんでも使うという方針だったと
思います。関係なさそうなものでも喩の材料
に使ったり、あるいは喩として浮かんできた
経験から逆になんでも関係があることを
直感したりです。

特に遠く離れた話題を喩の材料として使うこと
は何よりの醍醐味だったと思います。
世界の事物の背後には比喩からなる見えない
ネットワークが張り巡らされているのです。

人生を旅に喩えたり、春夏秋冬に喩えたり
することは今でこそ陳腐で喩自体も擦り切れて
ますけど、まだことばそのものがみずみずしかった
ころ、これらの比喩を考え付いたひとはどんな
感想をもったことでしょうか。

P.S「ついに実在に達した」という表現は中井久夫
の文章の中に出てきます。「分裂病の陥穽」という
文章と「最終講義」の中に。私の言葉でいえば
「世界を解いた」という感じかな。

2011年11月14日月曜日

軽躁状態と自我肥大

軽躁状態と自我肥大、私は混同しているのかも
しれませんが、気分の高揚という点では重なって
います。

「自分は天才だ」とか「悟った」とかこういう内なる
声が聞こえてきたら要注意です。といっても幻聴
の場合はまた別の話です。

確かに脳はそのとき活性化しているのかもしれま
せん。アイデアも沸いてくるのでしょう。神秘的な
洞察も生まれてくるかもしれません。

それは否定はしませんが、うまく脳をなだめること
です。それをたとえば書き付けてみて一晩寝かして
みるとがっかりすることは多いですよ。

人はほめてくれるかもしれません。認めてくれる
こともあることでしょう。そういった社会的証拠は
悪い場合にもつながることがあるかもしれません。
忘れましょうとまではいいませんが、増長しないで
謙虚な構えをしてたほうがいいと思います。

宇宙的な自我肥大、これはもう軽躁状態を越えていて
措置入院の世界です。でも、自分で精神科の
扉たたくことができたら、万が一そういう芸当が
できたとしたら、私はその人尊敬します。

予備知識があったなら、そんなケースも
ありうると思います。私に知識あたえてくれる
人がいたならば、初回の発病はぎりぎり
免れ、違った人生あるいていたかもしれません。
前駆期間みたいなのは確かにあったし、
そのときであったら、少々の薬でことは
済んだかもしれません。ただ、その可能性も
そんなには広い可能性ではないでしょう。

P.S  ここ最近毎日二つぐらい書いています。
調子はいいのですが、自分を抑えるのに
苦労するあの感じはないので、まあ、少し
気分はいいくらいなのでしょう。

2011年11月13日日曜日

自我肥大には耐性がつくような気がする

あくまでも主観的な話だし、私個人の点情報にすぎないため、
自分のケースで検証してみてください。

自我肥大といっても気分のコントロールが可能な範囲のもの
についてなのですが、自我肥大の波を何回かやりすごす
うちに耐性がついてくる場合もあるような気がします。

反対のケースは多いだろうと思います。軽躁状態を繰り返す
うちに、なりやすい体質になってしまうパターン。

気分のコントロールは訓練できうるものかどうか私には
わかりません。症状の軽いうちなら、できるような感じが
します。あるラインを越えると難しくなるような気がします。

自分を抑える感じにもっていきます。我慢ができるかどうか
それも人それぞれだと思います。最初から自分には我慢が
できないと居直らないほうがいいように思います。

でも、あるライン越えると我慢も難しくなるかもしれない
のでそのときは自分を責めないほうがいいと思います。

今まで書いてきたもろもろのことに関係する遺伝的
要素とか神経回路とかあるのでしょう。ブレーキの
効き具合とか人によって違いそうです。

謙虚という言葉は気分の高揚と関係あるように
思います。心のうちでは気分が高揚して高い位置
に揚がっているのですが、オレ様みたいな姿は
嫌いなために、自分の姿を低めているのです。
抑え付けると謙虚を越えて卑屈になります。
でも心の底は高揚しているので自分に言い聞かせて
いるのだと思います。見た目だけ、そう見せかけ
ているのではなく、謙虚であろうとそれなりに
必死なのです。でも謙虚な前景の背後から鼻持ち
ならない姿がちらちらすることがあります。

それらはあくまでも主観的な気分の問題です。
客観的な事実に基づいているとは限りません。
もっとも客観的証拠に支えられたらますます
やっかいなことになりそうです。

結局、こころのうちは俗物なのですが、
人間の哀れさを感じるところです。
気分を制御している物質その他に
翻弄されているわけですから。

救いは、これもある程度までの範囲で収まった
ならばの話ですが、学習意欲が亢進したり、
文章書きたくなったり、ものがつくりたくなったり
生産的に働きます。努力の成果はあとにも
残るのでこれはいいですね。
原子力の平和利用みたいな感じで
制御システムが鍵を握っています。

あと気分が高揚したとき、それに自分で
気づくかどうかも大事だと思います。
自分で気がつけば、引き返すなり、
ブレーキかけるなり、油を注がない
なり対策を打てそうです。

ナルシスな気分に身を任せ
アクセルを吹かしていったら
最後は滝つぼに落ちてしまう
かもしれません。

痛い思いを何回か体験して
みないと学習できないのかも
しれません。できればその回数を
少なくしたいです。

努力したことを振り返ってみて

精神病者には能動型と受動型っているそうです。
能動型は努力するタイプ、受動型はしないタイプ。
能動型のほうが予後が悪いという話もあります。

努力といっても正しい努力かどうかわかりません。
そのため報われなかったり、かえって悪い結果を
結んだり、複雑になったり、矛盾を抱えたりして
予後が悪くなることもあるそうです。

自分の場合は医学書、心理学関係読んだり、
語学あれこれ手だしたり、話し方教室通ったり、
図書館通いしたりしました。

その努力って報われたといえば、報われたし
報われなかったといえば報われなかったです。
具体的な成果としてカタチになったわけではない
のです。

さあ、それをどう受け止めるか?
努力する過程で各方面の人と膨大な対話を
しました。

贅沢な時間過ごしたといえば、そのとおりです。
目に見えないものをどう考えるか?
何をもって幸福と考えるかという話とつながります。

青い鳥は自宅の鳥かごの中にいたという話もあります。

努力する過程が生き生きしていたとしたら、
それで御の字なのかもしれないです。

結果は現実との兼ね合いです。現実感覚はものすごく
足りないことは納得いくことでしょう。

夢の時間を文字に閉じ込めたり、あるいは表現という
カタチで取り出せることができれば、たとえそれが
道楽のレベルではあったとしても、残りますよね。

誰かに届く手紙のカタチで自分があれこれ考えたり
したことが役立てれば、まあ、ちょっとした暇つぶし
にでもなればまあ、十分なのでしょう。

P.S  大事なことですが、努力する過程で自我肥大みたいな感じの波を
何回かやり過ごしてきました。自我肥大といっても抑えることの可能な
くらいの波です。自我肥大という言葉を知っているかどうかが分かれ目
かもしれないです。ユングの著書に詳しく書いていますのでネットで調べて
気になるひとは読んでみてください。

生殺し状態を受け止めること

非定型精神病は予後はよいと書いているけれど、
脳はダメージを受けているような感じが本人的には
します。判断力が落ちてきたようであったり、
記憶力もとくにエピソード記憶とかが自信ないです。

日常生活を送る分にはいいのですけど、
職場環境に入ると問題が表面化します。

とはいっても、怒られながら、あるいは
馬鹿にされながら、辞めないでは済む程度です。
まあ職種にもよるのかもしれませんね。

大昔の職場で「馬鹿とはさみは使いよう」と言われたこと
もあり、悲哀感じたものです。

まだら痴呆みたいな感じのイメージで、病気の前より
亢進したように思える部分、そのままの部分、
微妙な障碍を受けているように思える部分ありそうなのですが
自分でもよくわかりません。

そんなわけで何だか蛇の生殺しのような感じを自分に
もっているのです。

繰り返し自分でイメージするのは
半分の飲みかけのジュースです。
失われた半分に意識するか
残された半分に意識するかです。
十分、生活楽しめているので
脳に自分でダメージくわえないことです。

緊張感を解いて
力を抜き加減にするとか、
楽しめていることに意識の重心をもって
くるとかです。

とはいいながらやっぱり自分の脳に
ダメージ加えがちです。

たぶんそれも許したほうがいいです。
許すといっても許してダメージ加え続ける
のではなく、ダメージを加えてしまった
ことに関してです。

人間完璧にはなれませんから。

どうしても、自分のことばかり考える
けれど、振り返ってみると、
そこまで至っていない人もたくさん
いるはずです。

自分なりに恵まれていて、たまたま
そこで収まっているのだと思います。

自分の場所で知恵を出せることは
何なのだろう?そこにいたために
自分が学べたことで、共有したほうが
いいことって何なのだろう?って考えて
みるといいのかもしれません。

生活のうえでの工夫を考えることによって
それなりに、自分の場所なりのよりよい
カタチってありうるのかもしれないと思います。

P.S 非定型精神病はひとりひとりあまりにも条件が
違うので他人の姿それぞれからちょっとだけ参考にして
自分のケースは自分で考えてみたほうがいいです。
文字化された資料はあくまでも、そのケースです。
あんまり当てはめて考えないほうがいいです。
個人症候群という言葉もあるくらい、そのひとそれぞれなので、
点情報ではあっても、その人の記録って意味あると思います。
言語化することによって、整理はされやすくなるでしょうしね。

2011年11月12日土曜日

読み手のこと考えていたのだろうか?

お気楽にいろんなこと書いていたけど、
読み手のこと考えていたのだろうかって
反省してます。

調子が悪くなるかもしれない微妙なときって
本当に些細なことで悪くなるものだから、
取り返しのつかない罪を犯していたの
かもしれません。

気づかないままに無慈悲なことを書き付けて
いたこともあるかもしれません。

急性状態が落ち着いて、しばらくの間
精神病者を指すいくつかの言葉
そのものが怖かった時期があります。

病気になったこと自体受け止められなかった
です。

私が入院二回で済んだのは運命のめぐり
あわせに過ぎなかったのかもしれません。

いろんな偶然が重なって、たまたまそのときの
私のキャパシティを超える出来事が起こるのが
回避されたということなのでしょう。

精神病と一口にいってもその内容はさまざま。
自分でできることって何だろうって
しばらく考えてみることにします。

難易度もいろいろ、与えられたものもいろいろ

皆それぞれ、見える景色の違う自分の道を
歩いているのだと思います。
難易度もいろいろ、与えられたものもいろいろ。

コウモリの世界はコウモリにしかわかりません。
だから、傍目には楽そうに見えて、そうでもなかったり、
キツそうだけど、本人的には楽しんでる部分もあったり
します。

感情のコントロール能力も訓練のほかに遺伝的背景も
あったりするので、そうたやすく他人を裁けるものでは
ありません。精神のバランスのとりかたの上手さ、
不味さ、これもきっといろいろでしょう。

若いころにカウンセリングの本とかにたまたま出会って、
本人にも資質があったりして、精神のバランスが崩れやすい
状況にありながら、なかなか上手く自分と折り合っている
人もいるかもしれません。

反対に、不幸にして、何か出来事に遭ってしまい、
神経回路のスイッチが悪いほうに入ってしまうと
いうこともあるかもしれません。

本当に人の人生って、境遇だったり、遺伝的背景だったり、
単なる偶然だったり、いろんな要素が絡み合って、
それぞれの迷宮の中をさまよっているような感じですね。

もろもろの結果が今であって、受け入れるしか
ありません。これは重いことでもあり、貴重なことでも
あります。そこでしか学べない何かがあるからです。

それが自分の人生の意味だと思います。

P.S この文章は他人のことというよりも、自分の境遇のこと考えて
書きました。私自身の人生を通してしか学べないような
ご大層な何かってあるのやらわかりません。
小説を読んで学ぶのではなく、当事者として
学んだわけですけど、団体旅行ではなく、
自由旅行としての人生の面白さと厳しさ両方
あっただろうし、良くも悪くも”お楽しみはこれから”
なのかもしれません。もちろんブラックな意味も
含めてなのですけどね。

内なる差別意識

変なこと書くと後味悪いです。書いたものを後から
反省して、修正していきます。発信前にやればいい
のだけど、血のめぐり悪いです。

前日の「板前さんにでもやってた」というところと、
「下町生まれ、下町育ち」というところに私の中の
差別意識みたいなの感じます。

結論から言うと、「人間は皆平等だ。」という命題と
「人間には上下がある。」という命題と両立しそうに
もないことが頭の中で整理つかないままあるのだ
と思います。

学校時代に平等だと教え込まれ、一方社会の
空気の中で差別意識を刷り込まれ、なんだか
よくわからなくなっているのです。

人によっては機会の平等という人もいます。
結果は努力や才能によって変わってくると
いいます。

結果は努力の成果なので報われて当然と
いうことです。

それと、見下すということはどういうつながり
があるのでしょう。

私の前日の文章みてると、私は今、働いていないし
見下せる立場じゃないのに見下しているような
書き方してます。きっと心の中で見下していたの
でしょう。そして今、「見下せる立場」って書いてます。
たった今。

「見下す」という単語をめぐって根深い問題が
あるような気がします。

見下したり、見下されるまなざし、そして関係。
話はまったく飛びますけど、
輪廻転生する世界観の中で
ウエに生まれたり、シタに生まれたり
するサル山の世界から離脱することを
大昔考え付いたインド人は偉いと思います。

見下し、見下される心の内で行われるドラマは
根深いものでそれを超越するのは常人には
なかなか難しいように思います。常人には
と書いたところで、私は今その資格から外れました。

人類平等を説いた昔の思想家の理想にあこがれつつ
この先も、内なる差別意識に心を痛めつつ
無神経な言動を時折続けていくことでしょう。

2011年11月11日金曜日

背伸びして、背骨が折れた

私って、順当にいったら、どこかの料理屋さんかで板前さんでも
やってたと思います。運命のいたずらのはじめは多分ですねぇ。

祖母が信仰していた教えにしたがったのでしょうか、
私が汽車が好きだとわかると、鹿児島駅に連れて行って
くれたり、竜ヶ水まで汽車に乗るのに付き合ってくれたり
しました。小学校以前の話ですね。

小学校の隣が当時鹿児島県文化センターという施設で
地下に科学館があり、科学館の真ん中に交通ジオラマが
あったのです。鉄道模型が動くのをみるためによく
通いました。

その建物の4階にはプラネタリウムとアロザウルス、
カンプトザウルスという2体の骨格標本をメインにした
化石の展示がありました。

当時は贅沢な時代で、化石の展示には専属の解説員
が、プラネタリウムはコンピュータではなく、人の手で
毎回解説をする時代でした。その最後の時期に私が
通っていたのです。

そんなわけで、下町生まれ、下町育ちの私だったのですが、
科学館という環境に育まれて、理科少年に育ちました。

一方、いろんな理由で体は華奢で性格は女々しく、
小学校上がると同時にいじめがはじまりました。

小学校より中学校が中学校より高校がきつかったです。

運動音痴で、野球に加われず、校庭の隅の
温室やら花壇があるところで昼休みは
トカゲ殺して遊んでました。

大学、鹿児島県内で進学したら高校までの
人間関係引きずりそうで嫌でした。

もういちど人間関係0からはじめたかった
ことと、親戚、姉妹の力を借りたくなくて
自分の独力で人間関係立ち上げたくて
広島という都市を選びました。

高校1年の成績は悪く、クラスでも下から
三番目だったかビリだったときもあるので
すが、家庭教師2人つけてもらって、
がんばりぬきました。

1966年、丙午生まれの利得があって、
入学時の1985年だけ大学受験の競争率が下がり、
私が受験した植物学専攻の受験者も
少なく、いろんな要素が効いて
ほとんど奇跡みたいな感じで大学に
進学できました。

自分の生まれ育った境遇とか考えますと、
自分に与えられた宿命に歯向かい、
背伸びしすぎたのだと思います。
背伸びしすぎて、背骨が折れたのでしょう。
青年期中頃、自分の生活史に隠された
矛盾が噴出したのです。時限爆弾みたいに。

木村敏「直接性と生命/イントラ・フェストゥム論」図書館でちら読み

県図書で昨日ちら読みしました。あらためて、いつか感想かこうと
思いますが、昨日読んだぶんだけで、気になったところをメモ的
に書こうと思います。

読んで初めて気づいたことは、1992年に発病して、その後
非現実的な努力を続けてきたなあということ。無理といいますか。

よくもわるくも、「夢」に片足突っ込みながら、毎日を暮して
きたのかもしれません。世俗的な夢、幻想的な夢いろいろです。

とはいえ、実践的な努力ではなく、図書館で本読むとかの類です。
「グローバルな展開」を夢みて、いくつかの言語かじったこともあり
ます。「グローバルな展開」っていったいどんな誇大な夢を追っていた
ことでしょう。

祭りで噴き上げた熱は心の底に余熱のようにたまり、
後夜祭を約20年間続けてきたのかもしれません。

ここしばらく息切れがしてきて、今日から「サポートネットラグーナ」
というところで精神障碍者向けの自立支援をうけることになりました。
祝祭の熱が冷めてきて、やっと現実と向き合い、現実と擦りあわせる
準備が整ってきたのかもしれません。

20年もの間、精神内界でともし続けてきた祝祭の火って何なのでしょう。
年を経るごとにあちら側とはよくも悪くも遠くなり、
30代の頃までは頻繁に起こっていた不思議な類の精神現象とも
最近はご無沙汰です。

熱の力で集められた知識の類だけはそれなりに豊かには
なったようです。まあ、それも患者なりの知識なのですけども。

P.S 精神病理学知らない人には何も伝わらない文章かもしれませんね。
非定型精神病などで起こる、急性錯乱状態みたいなのを
祝祭のさなか(イントラ・フェストゥム)と表現する話があります。
外側から見ると急性錯乱なのですが、内側からみると当事者なりの
秩序があることはこのブログのはじめを読むとわかります。
http://epimbi-madrigal.blogspot.com/search/label/%E6%80%A5%E6%80%A7%E6%9C%9F%E3%81%AE%E4%BD%93%E9%A8%93

人生観がガラッと変わるかどうかはともかく、祝祭の熱はその後
も私の心の底に秘められた形で残り続けたのでしょう。
一種の二重生活かもしれないです。そのことと距離もとれていた
ためにオカしな言動はそんなに見せなかったかもしれませんが、
どこかオカしな印象は与え続けていたのかもしれません。

2011年11月9日水曜日

悪意なこと書いたときの後味の悪さ

魔が刺して、悪意なこと書いてしまった翌日です。
記憶の底にでも眠らせておけばよかったのですが
日の光の元に呼び出してしまいました。

呼び出した以上は責任があって、
どう始末をつけたものか考えているところです。

人を描写すると書き手の人間観の浅さが露呈
します。そのことを学ばせていただきました。

この世のことをもうちょっとよくわかったひとが
前日の文章読んだとしたらどうなのでしょう。

書き手の悪意のこもった文章の背後に違う
リアリティを見つけ出すのでないでしょうか。

しばらく前に、華厳経と下町的世界という文章
かきましたが、前日のおじいさんの背後にも
やはり荘厳された光みたいなのはあって、
昔も今も私は表面に現れた姿しかみえなかった
わけです。

どこかの企業で専務としての役割をこなし、
リタイアした後、青年を教育しようと思った
理想と、青年たちに映った姿のずれ、
私はそれを嗤うことはできるのでしょうか。

妻を寝取られる光景をどんな思いで
私に語ったのでしょう。

そういえばこんなことも言っていました。
妻を私は満足させてあげることはできな
かったから、これでいいのだと思ったと。

私にもまだまだ分からないことだらけで、
目に映った表面しかみていないのです。
自分の語ったり、書いたりした言葉の
意味もわかっていないし、
そのわかりもしない言葉をふりまわして
いるのです。子供が刃物であそぶように。

2011年11月8日火曜日

そういう人がいた

学生時代の話。
広島の皆実町という学生街をあるいていたら、
不思議なかんじのおじいさんと出会いました。
どういういきさつか忘れたのだけど、
飲み屋にいったと思います。

「青少年健全育成の会」

なんかそんな感じの名刺をくれました。
それで、そのおじいさんが育成した
いろんな青少年の写真をみせてくれました。

竹原という町の中小企業の専務さんだった
とか。で、写真みてたら、私の大学の友達の
顔があったわけです。

「知ってる。」というとその子の家にこれから
いこうっていいだしました。

皆実町から広電の線路ぞいに歩いていって
その子の家へ。

山岳部の子だったのですが、おじいさんの顔
見たとたんシラケた迷惑そうな顔になりました。

これからはそのおじいさんのことを
ブキミジジイと呼ぶことにします。

ブキミジジイはあちこちで青少年にこえかけて、
「オトモダチ」になり下宿に押しかけるわけです。
すべてを気づいたのは住所教えたあとでした。

朝駆けを何回したことでしょう。おいしくなさそうな
弁当をおみやげにもってきて、鍵をかけていない
私の下宿の部屋のガラス戸あけて入ってくるのです。

内容は覚えてませんがエネルギーが吸い取られる
ような話題だったと思います。

唯一覚えてるのは雇った家庭教師に奥さんを寝取られる
話。戸の隙間から布団がゆらゆらゆれるのを見てたの
だとか。

ブキミジジイが私に期待してたのは
「自分史」を書いてくれることでした。
「そういう人がいた」という本を作ってほしかった
そうです。

前のブログの文章の終わりが
「そういう石」だったので
つい「そういう人がいた」という別の話を
思い出したのですが、
死者に鞭打つ話であることはほぼ確実です。
天国でこれ読んでたら本当にすみません。
でもちゃんと書きましたから、、、





永遠の少年と星のカケラ

私は今まで二回しか精神病院に入院したことがない。
もっとも両方とも措置入院だったのだけど。
でも自分の内情考えるとよく二回で済んだものだと
自分をほめたくなる。一回目の体験の一部は
このブログの一番初めの文章に書いてある。

神と出会ったと思って、その体験にこだわって
しまったら、ずいぶん違った人生となっただろう
と思う。そうはならなかったけど、多かれ少なかれ
今の私のありかたに強い影響を及ぼしつづけて
いるのは確かだ。

それ以来つねに幻想を胸に抱き続けるものと
なった。蜃気楼のように「夢」が胸の奥にゆら
めく。自分が自分でもよくわからず、万能感
と無能感をいったりきたりする。

あらゆる可能性をもちながら結局何にも
なれない永遠の少年。何か美しいものを
見てしまったのかもしれないし、
胸の奥にあるのは星のカケラみたいな
何かキラキラしたもの。

カケラはカケラ。この世にあちら側の
影のような、カタチをもった何かを生み出す
のは才能をもった大人でなくてはならない。

現実というコトバ、実現というコトバが
重くのしかかる。

キラキラした星のカケラは胸の奥で
妖しくまたたく。私に栄光などではなく、
幻想と滅びをもたらしかねない魔性の光。

そいえば宝石鑑定士と話したことが
あったっけ。

「惜しいな。もう少しで宝石になれたのに」
って石みて時々思うんだとか。

そっと原石のまま標本庫にでも入れてあげ
ればいいんだよね。そういう石。

エルデシュモデル

ある夜の天文館。
交差点でジャングリングする方がいらっしゃいました。
そう、あの方。ピーターフランクルさん。

ひとしきりパフォーマンスされたあと、私はつかつかと
寄って行きました。じゃらじゃらと小銭をあげたあと、
私の質問。

「エルデシュ先生はどんな方だったのですか?」

「なんでも知ってらっしゃる先生でした。こんなこと
どこで知られたのだろうという感じの方。」

私の記憶もあいまいなので全然違う受け答えだった
かもしれません。でも、このとき、私もエルデシュ先生と
微かなつながりができたような感じがしてうれしかったの
です。もちろんフランクルさんとの束の間の出会いも
ですけども。


話はがらりと変わります。
私の会話のやり口の背景です。
いつもの話のやり口をエルデシュの伝記から
学んだのです。

自分とは全然違う天才にどう学ぶのかって?
規模は違うけど、原理はどこかつながるような
気がしてるのです。

あなたの脳は営業中かって、
あたりかまわず知的対話を敢行するやり方。

数学が使えなくてもこのやり方は有効です。
話はどこかでつながってくることと、
遠く離れた話でも抽象的なレベルで
相似な話は多々あること。

ただし幹は押さえられているというか
関心の中心は根源的なところにあること。
根源的なものとの関連でさまざまな話題
は意味をもってくること。

直接その場でわからなくても、
あとあとつながってくる場合もあるでしょうし。

2011年11月7日月曜日

華厳経と下町的世界

なんのことはない。前に読んだ華厳経の解説書のパクリみたいな
ものなのです。それもうろ覚え、曖昧な理解。

世の中の取るに足らないようなものの中にも仏がいるみたいな
イメージ。私自身が取るに足らないものの代表みたいな感じ
なのですが、一日あれば、いろんなことを考えたりするものです。

粗末な姿の背後にイエスを見るみたいな感じのことはキリスト教
の世界にもあるのでこういう見方は東西問わずあるのでしょう。

フラクタルな万華鏡の世界は下町の生活の細部にも、郊外の
建売住宅の中にも張り巡らされていて、光と影に彩られた
それぞれの人の人生という迷宮を荘厳しています。

生きるということは不自然なことで、人が生きるにも組織を維持
するにも苦労が伴います。当事者として生きる波のたゆたう世界
から少し離れて、視点を仮想的なカミかホトケの世界まであえて
もっていったとき、さざなみは消え去り、苦楽や汚辱に満ちたこの
世界も楽園に映るのではないでしょうか?人間の目に熱帯雨林
が生き物の生きる楽園のように映り、それぞれのプレイヤーたちの
生存をかけた闘いが見えないように。

対話を通して、華厳経を編集した人たちがそういうビジョンをあの
時代に見えてたというのが不思議です。不易と変易、道具立ては
ことなっても社会を構成する基本は同じだったし、基本がよりくっきり
とかえってみえてたのかもしれません。

社会の中心と周辺で物事の規模は異なっても、縮尺を変えれば
構造は同じということはあるのかもしれません。採算があわなければ
規模は大きくても赤字になってしまうように。社会的地位が上がれば
それだけ責任も重くなってしまうように。ロスチャイルド家には
ロスチャイルド家の悩みが、ソマリアの農民にはソマリアの農民の
楽しみがきっとあることでしょう。光があれば、影があるし、
影があれば光もある。なんといっても一番楽なのは生まれてこない
ことなのだから。

P.S 何かわかったようなこと書いたけど、何もわかっていないと思います。
書きながら考えてます。読み手が不快になるようなことも書いているのかも
しれません。文章自体に光と影があるのですが、影を含みこみながらも
全体としては悪意ではなく、誠意に基づいて書いてます。といっても
私なりの誠意なのですけども。

2011年11月6日日曜日

フリンジ(周辺)からのご返事ーUSK(アーバン・ステーション・カゴシマを振り返って

結局三日間USKの展示に通った。最終日は友達も連れて。
偏った記録かもしれないけど、何か記録を残すのは大事だ
と思ったので受け手側の記録を残します。

まず、思ったのは小さな試みだけど、面白い試みだと思った
ことです。逆に表現すれば小さな試みの面白さかもしれません。
点としては弱かったのかもしれません。コスト的にも大掛かりな
というわけでもありません。でも、反応点に鍼を刺したような試み
という印象をもちました。適切な場所に適切な刺激を与えること
でシステムを活性化する、ないしはそのための準備をするような
イメージです。

布石としては小さくても適切な場所に適切な時期に石をおけば、
あとあとその石は効いてきます。石が生きるわけです。

都市の文脈ということに関心をもちました。鹿児島がなぜか
東京で熱いと受け取られているというのが鹿児島にいると
いまひとつピンとこないのですが、フリンジ(周辺)というのは
何かと中心にとっては逆に気にかかる存在なのでしょう。

そして入れ子的に鹿児島の領域の中には中のフリンジ
(周辺)が存在します。場所的にそして人的に。
光が当たる部分と、影になる部分。ある意味、都市の
無意識の領域で何かがカタチにならないまま蠢いていて
カタチになること、日の光の元に出ることを求めたり、
求めなかったりして、生成しつつある何かが揺らめいて
部分。

煤けた木造建築も違った目で、違った文脈で解釈した
とき意味に満ちたものになります。普通に生きる、それぞれ
の人だって、キチンと文脈を押さえていけば、百科事典に
載るだけの意味はあるのかもしれません。百科事典が
電話帳にならないのは単にそれだけの目を私たちが
もっていないだけで、本当はビッグバンから始まる
宇宙の神秘の網の目は巷の人々の家族史やら個人史
まで連なっているのかもしれません。

その時、そこにその植物があったという記録である
植物標本の本当の意味がなかなか読み取れないよう
に個人に起こる瑣末に見える出来事の意味も深い
次元ではわかりません。そこに意味がないのではなく、
読み取る力がないのだと思います。

選別の目を持つとき、本来意味に満ちた、木造建築も
巷の人も、ごちゃごちゃした一角や有象無象の存在
になります。たぶんそのとき光が当たっているのは
中心であり、社会の表層です。そしてその中心は
周辺によって支えられています。

神の視点というか、仮想的な全ての情報を開示できる
ような視点にたったとき、織物としての本当の美しさ
を世界に対して観ることができるのでしょう。

労力的に、あるいは能力的に私たちができるのは
せいぜいのところ断片としての資料をあつめ隅を照らす
ことぐらいなことなのでしょう。でも、照らされた隅の絵柄は
決してこれからも描かれることのないだろう全体の美しさ
を、そしてその一部分である私たち自身の美しい秩序を
想像させるものになるでしょう。

まさに描かれたものは美しいけれども、描かれなかった
ものはもっと美しいのだと思います。

アーバンステーションカゴシマのwebpage
http://ud.t.u-tokyo.ac.jp/project/Kagoshima/HOME.html

P.S また身の丈こえたこと書いてしまいました。文字を書き始めると
気分が高揚してあらぬこと書いてしまうのは私の宿業です。
それでも何かに一票投じるつもりで残しておきます。ほかの一票を
誘うつもりも兼ねて。