はじめての方へ

私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。

P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。

p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。

P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)

P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)


2013年5月31日金曜日

言葉は汎用性のある道具だけど

語学はいろいろ手を出したけど、現在までのところ
ことごとく挫折した感じがする。

母国語を含めて、言葉は汎用性のある道具だ。
いろんなことに使える。買い物にも、読書にも、手紙にも
恋をすることにも使える。もちろん仕事にも。

でも、何にでも使えるがゆえに「何のために勉強したいのか?」
という学習目的を設定しないと中途で挫折しやすい。
まあ、私は挫折組だからあまりエラそうなことは書きたくない。

読書しながら、一方ではささやかだけど文章書き始めて
気づいたことがある。文章書くときに読んだ文章の断片を
思い出しながら書いていることだ。印象に残ったフレーズを
作文するときに使うことが多い。

ということは逆にいうと、多少なりとも自分が書きたいような
文章を書こうと思ったら、それなりの量と質の範囲の読書をし
ていたほうがいいということになる。広い範囲の読書は自分
なりの視点をもたらしてくれる。専門分野の外の人だから
持てる視点というのはあると思う。

しばらくの間、初歩的ではあるけど多言語話せる楽しさに
酔っていた時期もあるのだけど、文章を書くようになって
そういう楽しさに物足りなさを感じるようになった。

800語ぐらい知っていたら童話が読める、童話が読めるくらい
習熟したら言いたいことは何でも言える、そういう世界に住ん
でいたと思う。

日本語の作文を通して、ただ話せるという世界に満足できなく
なってしまった。もちろん、そこまで達した言語はほとんどない
のだけど。そして、それまできっと話していただろう、ブロークン
な英語などに恥ずかしさを覚えるようになった。

まあ、私の日本語の文章もブロークンな英語に毛の生えたよう
な日本語かもしれないけれど、それはそれとして少しずつ改善
していくしかないと思う。

挫折して放置状態の語学なのだけど、ある意味、やっとこの歳
になって言葉の面白さに少しづつ気づき始めたということなの
かもしれない。完成することはないのだろうけど、せっかく始めた
語学、勉強しなおしてみるのもいいかとも思っている。

今になってみるといろんな言葉に触れたことで日本語について
いろいろ考える材料は増えたかもしれないと思っている。

P.S 語学は下手の横好きでいろいろ手だけは出してみた。
CD買ってみただけというのも多い。恥ずかしながら挙げてみる
と、英語、中国語(北京語、上海語、広東語、台湾語)、
ドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語
ポルトガル語、オランダ語、ラテン語、ルーマニア語、朝鮮語、
モンゴル語、トルコ語、アラビア語、マレーシア語、フィリピン語。
もちろんこんなに覚えられるわけはないのだけど、言葉には
系統があるから近い言語はどんな感じなのかなという知的
好奇心の赴くまま気がつけばCD買っていたという感じだと
思う。

2013年5月25日土曜日

ニート的な環境下での成長について

今は働き始めている。といっても週に二日間、6時間に過ぎない
けども。ただし今まで経験した職場の中ではもっとも職場らしい
職場なのかもしれない。といっても、今やらせてもらっているの
は雑用的な仕事に過ぎないけども。

そういった中でも分かったことがある。ニート的な環境下では
成長のための栄養素がかなり欠けていること。

とはいえ、だから何をやってもだめだとは言わない。
なぜなら、本人の中では社会にでるのには壁があるのは知っている
からだ。もっとも、越えてしまえば大した壁でもないかもしれないのだ
けど。

ニート的な立場のもとで本を読んだり、考えたり、文章書いたりした
ことは全くの無駄だったか、それなりに意義あったかどうか今の私
にはまだ分からない。単なる頭でっかちであって、妙なプライドだけ
はもっていてという状態かもしれないからだ。いや、隠されたプライドは
しこたま持っていることを今は自覚している。

労働環境以外の場ではいかなる成長の可能性も見込めないとは
いえないと思う。成長しようという思いがあれば、様々な状況は成長
のための環境になりうると思う。与えられた環境の中で工夫すること、
知恵を絞ることには十分意味があると思う。

孤立した環境下で努力のためのモチベーションを維持するのは難しい。
孤立は自分でやるという独立心を強める効果もあるけども、袋小路に
入りやすい。他者からの風が吹いていたら解決策もみつかるということ
は多い。とっかかりのない壁のような障壁も答えが分かればなんという
ことがないというのはPCの設定でもよく経験することだ。孤立しながら
模索するのは回り道になりやすい。

停滞している時間はあとから考えると実にもったいない。越えてしまえば
なんでもない壁であるだけに、時間の経過が悔やまれる。

それも一つの貴重な経験である、ということは言えると思う。
時間は残酷だけど、時間の貴重さだけは今は身に染みている。
少なくともそのつもりはある。

有り余るたっぷりとした考える時間が持てたこと、本を読める時間がもて
たこと、その有難味はまだわからない。一年間くらい休日なしで働いていた
時期もあるから、考えることのできる時間はかけがえがないという実感は
まだ覚えている。考えることができるから知識の有用性も分かる。知識は
考える材料になる、たとえ役に立たないとされる知識の類ではあっても。

時間がありさえすれば、考えることができるとは限らない。むしろ空虚な
時間を埋めるべくつまらないコンテンツ消費に使いがちだ。たしかにその
時も考えているといえないことはないけど、コンテンツの栄養価ってある
はずだ。梱包材で埋めるような時間のつぶし方はしたくない。

2013年5月24日金曜日

夢の中の学園祭

夕べの夢の話です。


夢の中の今日は学内解放の日でした。
PCを使ったゲームの展示が多いようです。

学校のウラのほうでは
クスの樹の老木に着生して釣り下がった
風蘭の解説をやっています。
周囲には記者さんたち。

「、、、、樹木の上には風蘭の他、
ヒトツバ、、、ヒトツバ、、、
ああ名前が出てけへん。なんだったっけ?」
とT先生の声。

「サクラジマの溶岩上によく生えてるアレですね。
何だったかなあ、、、」
とワタシ。

・・・

解説が終わり、人がいなくなったあと
先生は嘆くような声で言った。

「ボッタクリ
 ボッタクリ
 メディアにボッタクられた。」

いつものごとく、私は質問した。

「学生さんたち、どうやったら
ボッタクらないですむようになるのでしょう?
学生さんたちが放送局などに取材に行って
ひと悶着起こしてくれたら
お互い様ということになるじゃないですか」

「それはね、普段から自己表現が好きになって
インターネットメディアなどでメディアの使い方を
学んでおくことですよ。メディアの怖さも含めてね。」

「メディアで痛い思いすることが何よりの学習なの
でしょうね。」

「小さなヤケドくらいで済めばいいけどね。」


目が覚めるともう朝だった。

P.S 

T先生は学生のときの指導教官。

「ボッタクリ ボッタクリ」という嘆きの声は
大学の先生たちがメディアの取材を受けた際の
不満の声を私にグチった時の記憶の断片かもしれない。
取材のヒトは専門分野のことを勉強していないとか
(ひとつひとつの専門分野のことを勉強する時間は
与えられないのでしょうけど)、編集によってインタビュー
は全く変えられて、自分がいいたかったこととは別物になって
しまう等々の不満です。


私の質問は、学生さんたちが逆に取材にいく立場に
なったときに気をつけることは何かみたいな
趣旨の質問だったと思う。

植物のハナシとメディアのハナシがごっちゃに
なっているところが夢の夢たるところかなと思いました。

今回の夢は割と現実に近い浅いところで発生した夢みたい
です。ドボンと深いところで見た夢はこっちのほうです。

http://epimbi-madrigal.blogspot.jp/2012/06/blog-post_06.html

2013年5月22日水曜日

内面を記載すること

記載という大仰な言葉を使う資格は私にはないと思う。
記載というと植物の図鑑の記載とか、新種の記載とか思い出してしまう。
プロから見るとアマチュアの人に記載のほうに手を出してもらうと後々
困るらしい。

ここで書いているのはもうちょっと気楽に計算用紙を書きなぐる感じで
内面と思うところのものを書き下している。

一言一言にそんなに繊細に気を使うことなく、単なるフィーリングで語句を
選択して書き出している。

まあ、マスコミの人からみると一般の人が喋ったり書いたりすることに
影響力というほどのものはなく、代わりに責任を追及されるということも
ないようだ。

それはそうとして、当事者の一人として他の当事者や一般の人の記載
した言葉そのものの言い回し等々参考になることがある。

それらはコピーしてevernoteなどに取り込み繰り返し読んだりする。
記載された言葉を手掛かりにしたり、自分にとっての一種の証拠として
あつかうことがある。そういう言葉が存在すること、それも事実の存在
と同じで証拠になることがある。

「練り上げられた言葉」等々は一種の知恵であって、それらは文章を
書いたり、自立訓練などで発言する際、面接で他の当事者と喋る
ピア的な場面などで使いまわされる。

それらは自分のPCにソフトをインストールして道具として使うのと似ている。
ソフトというよりもどこかからコードを拾ってきてプログラムを走らせるみたい
な感じかもしれない。自然言語で書かれたコードみたいな位置づけだ。

自分がせっせと文章作ってアップするのも、大量に書かれた言葉の
どこかの断片がコードとして使えないだろうかという考えもあるからだ。

そのままでは使えなくてもさらなる練り上げを加えることによって使える
かもしれないし、原石状態の中間加工品的なものも、さまざまな人に
よる別の切り口からのカッティングによって再利用できるのではないか
という予想がある。

思えば図書館に埋もれている本自体も完成品と呼べるかもしれない
けど、萌芽的な意味の貯蔵庫とも呼べるかもしれない。座談会風の
場面の一言などそんな感じがする。ネット上の文章などでも同じ印象
を受ける。

そんな感じのことを思うようになったのはひところ熱帯雨林の生物の
遺伝子を使って新薬を作るということが話題になっていたことだ。
カエルの毒をコードする遺伝子を使って薬を作るなどである。

その文脈でいえば生物種のゲノムは宝の山ということになる。
同じことは精神病者の保有するミームについてもいえないのだろうか
と考えたのだ。精神病者にかぎらず、たとえ名もない一般の人であって
もあれこれ考えたり見聞きしたりした結果というのは意外に意味がある
のではないかと思ったのだった。価値があるかどうかを判断するのは
利用者だ。生物種のゲノムにしてもスクリーニングといって条件にあう
遺伝子を探すための手続きがある。干し草の中から針を探すような
感じの作業だ。ミームでいえば干し草の中から針を探す手続きが
google検索であるような気がする。


当事者と会う機会は多いけど、内面まで踏み込んで当事者を理解できる
場面は少ない。表面的にしか知りえないことが多い。それは案外当事者を
支える立場の人でもそうなのではないかと薄々思っている。当事者自体
内面を表現するだけの言葉の力を持っているとは限らないし、日常の場面
では表面的な話題に終始して、内面を語る場面は少ない。深い話題はそれ
なりに心理的負荷を与えかねないし、語ることで気分が上下してよくない
影響を与えることもある。

多くの当事者と関われば関わるほど、当事者の理解が断片的、一側面的に
なりやすい。トータルな意味での当事者理解という風になならないことが多い。
一人の当事者がじっくりわかれば、ほかの当事者についての理解も深まると
は限らないかもしれないけど、共通点、相違点みたいな感じの理解の土台に
はなるかもしれない。分子生物学にモデル生物というのがあって、モデル生物
にされると分子の道具で切り刻まれて徹底理解ということになる。当事者として
は徹底理解というのは辛いものであって、そういう立場にはなりたくないものだ。

後々そういう心理的に痛い思いをするかもしれないのに、解剖台に載せるみたい
な行為をあえてやってみた動機は何だろう?そこまでして理解されたいのだろうか?
あるいは知られたいのだろうか?生きた証みたいなのを残したいという欲望なの
だろうか?それはとても見苦しい証だったり、粗大ごみにすぎない無駄な苦労かも
しれないのに。

ある時代、ある地域の当事者の顔が見てみたいというニーズがあるのではないか
と思ったことが一つ。一介の当事者という小さな窓を通して、地域全体とか時代背景
とかもっと大域的なことも見えることもあるのではないかと思ったことが一つ。
単独の私の文章だけでは無意味かもしれないけど、類例などを蓄積していくことに
よって何かが見えてくることもあるのではないかと思ったことが一つ。

様々な付随的な情報をはぎ取って、裸の文章として並べなおしてみたときに、
私の文章はどういう座標上に位置するのだろうか?と思ったときに必要となるのは
そのための資料だと思う。本当はいままでさんざん書いたことなど意識せずに、
自然な感じで文章を書いたほうが人工的な要素が少なくなるのはないか思う。
テレビカメラにピースしたり、飛び跳ねたりする子供は「映りたい子供」であって
地域の風景を撮りたいカメラマンの被写体にはならない。
でも子供の口の中にあるものを映したいのなら、子供は口を意識的に大きくあけない
といけない。こころの底にあるものでも同じだと思う。意識化しないと心の底にあるもの
というよりも、正確に書くと心の底にあると思っているものは言語化されることはない。

だから、内面と思うところのものに、サーチライトをあてると思うところの操作をして
輪郭のはっきりしないものにカタチを与えないといけない。もとよりそれらは仮の
カタチであって、言語化させることが適当なことなのかは定かではないけど、
沈黙では伝わらないので仕方なく仮のカタチで次善の策とするということになる。

2013年5月17日金曜日

座長感覚

いつの頃からか少人数集まる茶話会みたいな場では
それとなく多くの人に光があたるように発言が少ない人に
振ってみたりするようになっていた。一種の座長感覚で、
司会でない単なるその場のメンバーの一人である私が
そんなことやるのはどうかと思うこともあるのだけど、
最近は茶話会その他ではそんな感じが多い。

どうしてそうなったのだろう?
話は長くなるかもしれないけれど、しばしの時間おつきあい
ください。

小学校の頃など学級会ではよく手を挙げて意見を言うほう
だった。天真爛漫だったのかもしれない。

級が上がるごとに教室の風景は不良たちが支配する場と
なり、私もだんだんと内に籠るような雰囲気になっていった
のかもしれない。学校は休まずいっていたけど、いじめや
からかいの言葉を「へらへら」と柳に風と受け流し、本心を
心の奥に飲み込んでしまうような性向が育っていったような
気がする。

大学、大学院6年かけて、内向的になっていた自分を改造
でもするかのように、少しずつ変えていった。冒険めいた
一人旅を企画して自分で自分の限界を越えてみるような
作業をしたり、かくし芸など覚えて、他人を笑わせてみる
楽しみを覚えたりしながら。

でも、内向的だった時代もあるので、華やかな人の影に
隠れる寂しさみたいなものも理解できるような気がする。
そういう意味では内向的だった時期も大事だったのかも
しれない。

大学のときに決定的だったのはロジャーズのカウンセリング
の本に出会ったことだ。サークルの後輩相手に失恋相談の
ようなカウンセリングまがいのことをしたこともある。
「カウンセリングナイフ」というイメージ上の道具を作って
なにやかにややっていたような気がする。

天罰必中。興味本位で心理学に手を出した私は大学院
修了時から会社の研修時に精神病の急性状態を経験
してしまう。90年代のはじめ「ボーダーライン」「境界例」
について書かれた啓蒙書が流行っていた。指導教官と
うまくいかなかった私は大学院の研究もほどほどに、
「ボーダーライン」関連の本をボリボリ読みふけっていた。
もちろんボーダーラインとはなんぞやということなど分かって
いなかった。

精神病になってプロパーの心理職でも体験できない深い
世界を体験できたのだと思い込もうとした。でもそれは
無理だった。心が折れていたから。

陰性状態が落ち着くのとほぼ動機して心理学への興味
が復活した。90年代、ユング心理学が流行っていたので
図書館にあるその系統の本を読み漁っていた。発病する
までユングのユの字も知らなかったことは病気の体験に
本の影響はなく、純粋に自分の体験のように思えて好ましい
感じがした。

90年代の後半は大学のメディア論の自主ゼミに潜り込んだり
ユング派の先生に夢分析受けたりして過ごした。

ところでこの文章の表題は「座長感覚」だったので話題を
そっちのほうに移そう。

自分を取り戻していくとともに大小の社交的な場に出て行く
場面が多くなってきた。ひとときの間は自分が表現できる
ことを喜び、そんな自分に酔ってさえいたのかもしれない。

でも、しばらくしたところで会話の場のバランスを崩す存在
になりつつあることが自覚されるようになってきた。ちょっと
一人で目立ちすぎるのだった。

その頃から「座長感覚」が心に忍び込んできた。場を主宰
している人の中にはもっと嫌な奴に育ってきたようにも思える
かもしれない。まあ、それはよく分からないけど、私なりには
場のバランスを崩さないように、少し背景に引きながら、
場全体を観察し、出すべきときにはしっかりと目立つみたい
な感じになってきた。目立ちたいという欲望は欲望でしっかり
とあるのだった。

相変わらず内向的で華やかな場面では緊張したり、人を
束ねるような力はかけらほどもないという側面もあるので
今まで書いたことに全然リアリティを感じないという読み手
もいるかもしれない。その一方で私という人間が少し見えて
きたという人もいるかもしれない。

外からみた客観的な自分というのは分からないけど、
内側からみた自分の「座長感覚」について今日は書いてみた。

P.S 学校教育時代、将来のリーダー養成も兼ねて、そういう場
を踏ませてもらうという経験はなかった。教室の中心というより
は端っこの存在だったので、人を束ねるということは今でも一番
苦手な仕事だ。心理的な強さからいってもそういう姿は私から
一番遠い姿に違いない。

2013年5月12日日曜日

読むに堪えない文章の救いって

読むに堪えない文章だけどなんとか許せてしまう
状況ってあるのだろうか?

聞くに堪えない話をさんざん聞かされるという場面
はたまにある。他人の愚痴とか。

なんだか、他人の愚痴を聞いているうちにこっちの
ココロがゴミ袋みたいな感じになってくるけど、日ごろの
付き合いもあるものだからなんとか我慢する。

「ここ」も一種のゴミ捨て場なのかもしれないけど、
他人のゴミ箱の中は個人情報の宝庫らしい。私には
そんな趣味はないけれど。

話は飛ぶけど、「ここ」は国防上の最前線かもしれない。
何をトンマなことをいきなりと思うかもしれないけど、しばらく
付き合ってほしい。

中華人民共和国と最近あまり関係よろしくないけど、
私が当局の人間だとすると、中華人民共和国の悩みって
何だろうと考えると思う。

そうすると悩みは辺縁部に出てくることは明らかだから、
辺縁部から発信された情報は情報価値が高いという結論
になる。そこが弱みなので、言葉は悪いけどそこにつけこめば
いい。

元気のいい中心部の情報よりも、周辺部のほうが面白い。
そこに本音が出てるかもしれない。

「ここ」が国防上の最前線であるというリクツが分かっただろうか?

単なる妄想かもしれないけど、周辺部が元気ということは大事な
ような気がする。

情報戦の形態が「悩みを解決してくれる」とか「相談に乗ってくれる」
というカタチになれば世界は丸く収まるのではないだろうか。

競合が共生になり、それなりの幸せを多くの人が享受できる。

相手の都合も考えてくれる日本文化はその点いいと思うのだけど?

P.S 相手の都合も考えてくれるという文化もなんとなくだけど、
中国からのいただきものだと思う。そういう意味で借りがある。
西洋語の翻訳などで部分的には恩返しできてるけど、中国文明
への感謝の念というのは忘れてはいけないと思う。東アジアにおける
国家間の相克はヨーロッパと比べると例外的な時期に留まると思う。
日本と朝鮮では状況はかなり違うということは知ってはいるけれど。
そういう意味では平和が一番なのだけど、、、

ラフな文章のいいわけ

前の文章、読み手にとって典型的な読むに堪えない文章だった
かもしれず、そういう文章送り出してすみません。

ただ本人なりのいいわけなのですが、ラフな文章にはラフな文章
の命があるのではないかとも思って、ちょっと実験してみたという
具合なのです。

文章の世界ではどうかわからないのですが、絵の世界には
荒いタッチの絵というジャンルがありまして、なら文章でやると
どんな具合の雰囲気の文章に仕上がるのだろうなんて思って
みたのです。

百面相というか人間いろんな表情をもっていまして、
いろんな表情をもった多様な文章の顔みたいなものが
あるのかもしれないなあなどと思ってみたのです。

文章を読むというよりも、ヒトを読むという風情のブログにして
みたいのですが、アカの他人なんて読んでみても仕方ないですね。

アカの他人なのに気になるという風にもっていきたいという野望は
あるのですが、そのためには立ち去ろうとする読み手を引き留める
だけの魅力みたいなものをワタシがもっていなければならないの
ですが、ヒトの魅力ってどこから出てくるのでしょう。

そういえばアカの他人と出会う場ってありますよね。通勤のバスの
中とかね。アカの他人なんだけど、朝の同じ時間のバスには同じ
顔ぶれが乗っていまして、知らないなりになじんでくるものです。

限りなく接点が薄いなりの縁みたいなものがあるわけです。
もちろん声なんかかけないのだけど、極薄の共同体の空気みたい
なものがあるのかも。

隔たっているがゆえの良さみたいなものも最近感じます。

想像する楽しみもあるんです。

自意識過剰と自我の発見

このブログみてすぐ思うことは自意識過剰だなということに
違いない。

自分で自分のことを意識しすぎということらしい。

でも裏を返せば世間の人は自分のことをなおざりにしている
ということにはならないか?

このブログの大部分は特に有名でもない個人の内面の吐露
だ。99パーセントの人はそんなものに価値はないと考える。

有名人の内面なら価値があるけど、個人の内面に価値はない、
それは本当なのだろうか?

平凡人とレッテルつけてかけがえのない自分を貶めていないか?

かけがえがないのは自分にとってであって、世間一般の人にとって
はドラマの通行人と同じなんて思っていないだろうか?

リアルの通行人は一人ひとり物語を背負っている。だからリアルなの
だと思う。ドラマのように美しくつくられていない現実に与えられた輝きだと思う。

かけがえのない替えの聞かない人格だ。たとえ他人たちがその価値を認めなく
ても、自分が認めないでどうするのだろう。他人に先駆けて自分で価値を認める
べきである。価値があると信じて、自分で価値を探すべきである。

と強いことを書きながら、一方でこう考えるヒトもいるに違いない。

「そう書けるだけで、かなり救われた存在である。自分はそう思えないし、
自分のどこを探しても価値なんかみつからない。」

多分自信を失っているとき、自分の価値なんて信じられない。

自信は何かの理由で奪われたのかもしれないし、自信は回復しなければ
いけないのかもしれない。自然に無理のない形で自信を回復していく道は
ないのだろうか?

心の休養を確保しながら、本人にとって無理のない負荷をかけていく
のがいいのかもしれない。越えるべきハードルを自分で設定して
越えていくような。負荷をかけていくことで心の筋肉もついていくに違いない。

と抽象的なことを散々書き散らしてしまった。

自信というのは自己効力感とも書けるような感じがする。
自分の場合は安直で女々しいけど、文章を書くことが自分に課した
ハードルだったように思う。

簡単だけど、文章を書き続けるモチベーションを維持するのは意外に
難しい。

自分なりには自分が考えていることを言語化することができるようになり、
言語を使って感情や気分を幾分かは調節できるようになったような気がする。

話は飛ぶけど、「我思うゆえに我あり」という誰でも知っている言葉がある。
私が思うのは我ありの我はかなり異様な我なのではないかということ。

日常的な我という感覚ではなくて、意識化することによって発見された
個人意識みたいなものではないかということ。

個人意識、内面は記録として残すに足るだけの価値があるということに
目覚めること。

個人の内面にも発見の歴史があるし、それは個人をとりまく時間や空間に
裏で支えられたものであること。時代の空気感みたいなものを濃厚に
記録しているということ。

たとえそれが不十分であり、記録する力に足りないものがあったとしても、
記録しなかったら、何も残らないこと。最終的にはその日、その人の具体的
な痕跡も残らないかもしれないこと。

確かにその人のその状況の中でのみテーマになるような問題もあって、
その状況の中でこそ学べた学びを他の人と共有できないこと。

潜在的にありうる自分のテーマにたどりつけなくても、考えた過程だけでも
書いておけば誰かが読んでくれるかもしれないこと。萌芽的な何かが
そこにあるかもしれないこと。

とりとめもないけど、このへんで。

P.S 自分で発見したことというよりはどこかで読んだことのまとめみたいな
文章になってしまった。ただし、社会の辺縁にいる地方在住者が書いたと
いう意味では何かの記録になるのかもしれない。

2013年5月10日金曜日

待つことー時が満ちるまで

何かと待つことが多かったような気がする。
発病、保護入院、退院して療養というサイクルを巡っている
ときも、そうだった。

自分の中ではもうよくなったから働きたい、会社に復帰したい
と主治医に言ったときも、まだ本当にはよくなっていないから
待ちなさいと留められた。(当時はまだ形式上は会社に所属
していた。)

そんなことから始まって、何かと待てないことが多かった。
人間関係など、、、

のんびりすることを勧められる病気ではあったけど、
砂時計から命の時間がどんどん痛みを感じることもなく
落ちて行く、そして戻らない、そんなイメージに苦しめられた。

せいぜい読書するくらいの努力ではあったけど、
時間を無為に過ごしたくはなくて自分なりの努力をしてみた。
もちろん、その前には眠りと食べることだけが楽しみという時期も
しばらく続いていた。

努力してみたとしても、仕方が無いような気もうっすらとながら
していたし、自分ごときの努力など努力のうちにも入らないとも
やはりうっすらではあるけど分かっていた。

何かが結晶するには長い時間がかかる。
学校でならったように、食塩水を結晶させて塩の結晶を育てる
のにも時間をかけないといけない。ゆっくりとした時間の中で
結晶は育つ。

水晶などでも同じみたいだ。こっちは高温高圧化ではあるけど、
やはり気が遠くなる位の時間がかかって結晶が育つみたいだ。

病気になった後、唯一与えられるたっぷりとした時間の中で
考えた事、悩んだ事、迷った事など、それらも何かの形で結晶
となるのかもしれない。でも、もうちょっと焦らず、せっかくだから
待ってみよう。

欲を持ちすぎると辛くなるだけだから、淡々と、今のペースで
今やっている作業を続けよう。
「継続は力なり」という年配の方から頂いた言葉を心に留めながら。

2013年5月6日月曜日

アイデアが降りる 空中窒素固定

前にも書いたけど、モヤモヤをカタチにするのは
空中窒素の固定のようなものである。

http://epimbi-madrigal.blogspot.jp/2012/05/blog-post_17.html

アイデアが降りてくること。
一たび形象化されたアイデアは情報生態系の中で循環し
始める。

空中窒素の固定は人工環境下でやるときには触媒が鍵を握っている。
高温高圧下でやるそうである。

一方、細菌はそれを常温常圧下でやる。
ニトロゲナーゼという酵素が鍵を握っているが、活性中心と呼ばれる
領域があり、細菌群によってモリブデン、鉄、バナジウムなど金属が
存在するそうだ。

窒素が固定されるプロセスの中に電子伝達系と呼ばれるパートがある。
電子と書いているくらいなので電子がかかわっているのだけど、電子を
の供与先がモリブデンなどの金属だそうだ。

以上わけのわからない話が続く。80年代に大学で植物生理学を習ったときに
一番わけのわからない話は光合成の仕組みと窒素固定の仕組みだった。

で、本人にもあまりわかっていないそんな話をなぜここでやるのか?という
疑問がわくかもしれない。そして、またしても比喩なのか、、、と。


アイデアが降りてくることと、空中窒素の固定は普通は並列されない。

アイデアが降りてくるという書き方にもあるように神秘化されかねない含み
があって、それ以上のことを考えることを阻んでしまう。

空中窒素の固定に強引につなげるとみえないプロセスがイメージの上では
なんとなく可視化される。窒素固定の難解さが逆に魅力にさえ映る。

難解ではあっても、基本モノに関する仕組みなのでネットを検索すれば
資料は見つかる。わからないなりに重要な役割をしそうなキーワードは拾える。

以上のことを真面目に研究している人は錬金術でも見るかのように胡散臭く
みるかもしれない。

でも、仮設ではあってもモデルというのはないよりはあるほうがいいのだと思う。
これも受け取りかた次第では神秘がかってくるけど、黎明期の量子力学
では老荘思想の混沌について書かれている古典の文章が導きの糸口に
なったことは知られている。これは使えるものは何でも使うという精神で
あって疑似科学のように、科学の言葉と宗教の言葉を混ぜ合わせるという
営みとは違う。

アイデアの固定のプロセスの中で酵素に相当するものは何だろう?
酵素の中でも活性中心に相当するものは何だろう?という具合に
アイデアを練っていく。そういった試みもまったく見当違いで無駄かも
しれないけど、面白くはある。

ヒトが高温高圧(ハーバー・ボッシュ法 500度 200気圧)でやることを
細菌くんは常温常圧下でやる。

独創的なアイデアを量産する人も苦労してるように見えないこともある。
多分支えている仕組みがあるのだろう。

一般の人が大活躍


何気に思うところがあって”一般の人” ”大活躍”で検索したら、
出てきたのは次の記事だった。

http://katsuji.yomiuri.co.jp/kyouyo/entry/post_12.htm


>歴史上の人物は一生をかけて人生の成功例と失敗例を見せてくれています。
>とくに乱世の時代は、一般の人たちが大活躍して世の中を変えていくわけですから。
>それは面白い。


小日向えりさんという人のひとことだ。ちなみにテレビみないのでこの人がどんなひと
なのか私は知らない。


一般の人たちが大活躍と書いたのはプロの人で一般の人ではなかった。
一般人もっとしっかりしろ。

といってもちょっといいすぎかもしれない。 ”一般人” ”活躍” とかいろいろ語句を
変えてみたら出てきそうだ。

でも、今も乱世といえば乱世なのに、「一般人が大活躍する」というモチーフをもっている
のは一般人ではなくてプロの人というのはやけに悲しい。

私も一般の人の一人だから、高みから見下ろすような言い方はしたくない。

一番問題なのはマスメディアを通じてなんとなく「一般人」という言葉のもつイメージを
視聴者自らが内面化しているように思えるところだ。

マスコミが成功者を持てはやすのは若き視聴者に対して具体的な自己実現像を提供
するためだと思っている。将来の一つのモデルとして、部分的にでもいいから要素を
取り込んでもらいたいというのがもともとの趣旨のように思う。

でも、なんだか「逆立ちしても自分はなれっこない」として最初から諦め、
単なる崇拝の対象にしているようにも見える。そして、私自身そういう毒に染まっている。

もちろん努力なしにはどこにもたどり着けない。選択されないのを恐れてマスコミは
離乳食のような顎の負担にならないようなものばかり送り続けている。それも単なる
印象なのだけど。合わせ鏡のように堕落のサイクルを回し続けているようにも見える。


ネット上をうろうろすると実態としては一般の人は十分大活躍して、水面下で世の中を
確かに変えていっているような気がする。それも目立った主役がいるというよりも、
太古の地球で光合成を発明した植物が酸素出して地球の環境を変えていったような
感じの変動である。一般の人々は情報環境そのものを変えつつある。

それは決して小さなことではないかわりに、地球そのものが移動しているような地盤の
変化なので大きすぎて逆に意識できない。

みなさんに問いかけてみたいけど、80年代でも、90年代の初めのころでもいいから
メディアとの付き合い方という視点にたつと、見えている風景、呼吸している世界が
全然別世界だと思う。一般人の大活躍という概念は景色の変化、環境の変化として
認識される。

明治維新前後、戦前戦後の風景の違いに相当する大変動が起きているのが実感できる。
社会基盤そのものを作ったのは社会のリーダーたちかもしれないけど、生活の風景を
作ったのは一般の人々だと思う。どちらとも。

家がほしくて馬車馬のように働き、私の親たちの世代は私が生活の足場としているささやか
な家をつくった。馬車馬というよりは淡々と書き散らしながらネット上に自分の居場所を今
私はつくっている。

それはそれで自分の城なのである。

アイデアの発見者 原テクスト 影響関係

ネットの時代、アイデアの発見者は誰でもいいことになった。
極端にいえば世界を救う究極のアイデアの発見のいとぐち
を見つける資格は非常に広い範囲の人々に与えられて
いるのかもしれない。

世界を救う鍵を握る人物は何も有名人だったり、地位があった
りする人物でなくても構わないのだ。

重要人物とはようするに鍵になる重要な一言を呟いた人物だ。
すくなくとも物語の中ではそうである。

重要な一言は偉い人のみ思いつくとは限らない。
根本となるアイデアは意外と奇妙なところで発生するのかも
しれない。

今、多くの人に情報端末が与えられている、コンゴの森の中にも、
バングラディッシュのリキシャの運転手の中にも、ルブアルハリ砂漠で
ラクダに乗る人も、トゥルカナ湖付近でぶらぶらしている人々にも。

宝くじの券が配られるごとく、根本となるアイデアはどこから出てくるか
わからない。比喩的な価値を含めると何が鍵になる情報なのかわかった
ものではないからだ。

多くの人々に情報端末が与えられた潜在的な意味は集合知とかかわる
ような気がする。

そして、単なるおひとよしなカンなのだけど、googleをはじめとするアメリカ
の胴元的企業たちは大きな価値を生み出した小さな存在たちの権利を
守ってくれるような気がする。法律の力でアイデアを搾取する闇の面も
アメリカ企業は持っているけど、事実を明らかにしたいという理想ももって
いるように思う。その一点にだけ、アメリカという国の持っている理想を
私は信じたい。

と、かなり誇大妄想的な大風呂敷を広げているけど、何も私が世界を救う
救済者だなどと傲慢なことを考えているわけではない。どうせ一介の精神
病者が言葉に酔っぱらって書いただけの話だ。罪にはならない。笑えばいい。

あるアイデアが発見されると、原テクストが作成される。フレーズ単位のアイデア
なら盗用もばれないだろうけど、テクスト単位の模倣だとどうしても類似性が
出てくる。今の技術を使えば、どちらが親でどちらが子なのか分析可能だろう。

もちろん著作権はアイデアそのものを守ってくれない。ただ、事実としての
アイデアの発見者は誰なのか?ということについてはネット上の記録が証拠
としての担保能力をもっているのではないかと思う。

最後に影響関係。人々が何気なくネット上に書き込んだものが誰に読まれ、
どう使われ、結果として子供や孫に当たるテクストがネット上で発生するのか
今はよく分からない。でも、未来になればそういう影響関係も追跡できるよう
になるのではないか?同じ時代の空気の下で独立的に類似したアイデアが
発生したのか、それとも明らかな影響関係が示唆されるのかテクスト分析の
手法を使えば明らかになるのかもしれない。

多くの人はまだ眠りこけているような気がする。潜在的な自分たちの力に
気づいていない。権利放棄しているような気がする。

海底熱水鉱床みたいな感じにもっていけないか

以前このブログのコンセプトとして
「黒砂糖のような文章をかきたい」という文章を書いた。
http://epimbi-madrigal.blogspot.jp/2012/08/blog-post_9797.html

黒砂糖の中には糖分以外にもミネラル分などいろいろな栄養価値
のある要素が入っているらしい。一昔前の感覚では白い精製された
グラニュー糖みたいなものが美しく都会的とみなされていたけど、
最近では自然志向になり、一昔前なら田舎臭い感じのする黒砂糖も
見直されてきているようだ。文章を含むコンテンツにアナロジーとして
使えないだろうか?

最近になればなるほど、完成度が持てはやされている。日本では特に
その傾向は高い。奇妙に美しい野菜を消費者が選択し、虫に喰われた
ようなものは売れ残るのとどこか似ている。

もう古い話になってしまうのだけど、『料理の鉄人』の道場六三郎は
きとった感じのする料理屋の料理がキライなのだそうだ。むしろ、
家庭風料理を好む。田舎風の趣味が田舎の趣味と同義ではないこ
ととどこか繋がる話ではあるけどそれは置いておこう。

この話もコンテンツに関するアナロジーとして使えないだろうか?

というわけで話は海底熱水鉱床に移る。
海底熱水鉱床といっても専門用語なので知らない人は知らないかも
しれない。ところで私は専門用語を持ち出して人を驚かす趣味はない。
ちょうどいい比喩だったから使っただけの話。

海底熱水鉱床というのはマグマの活動によって熱水が噴き出す海底
にある鉱床だ。鉱床というのは資源となる鉱物が凝集している場所。
以上はwikipediaを参考。

チムニーとよばれる煙突状の構造物ができていてそこから煙のような
感じで熱水が放出されている。煙のような色がつくのはマグマによって
高温高圧状態で熱せられた水に周囲のさまざまな鉱物が溶け出して
結果として凝集するため。

海底熱水鉱床が注目されるワケは情報機器などに使われるレアメタル
の類や金銀などが高濃度で産出されるからだ。

以上の話をアナロジーとして使い、有用な要素、もしくは断片に満ちた
感じの文章にもっていけないだろうかという遠大な欲望である。

むしろ、読み手に興味あることは黒砂糖とか海底熱水鉱床とか道場六三郎
とか専門家の頭の中ではまず出会わないだろうキーワードがであい、
それらがアナロジーとして頭の中で乱舞しているという奇妙な言葉の
使い方のほうかもしれない。


アナロジー、単なる喩だ。人生の話を旅の話に置き換えて考えるという風
なたぐいの。

料理の方法は、言葉の使い方の話にも、発明の方法にも化けてしまう。
北海道の開拓史や台湾統治の後藤新平の話の中から仮想世界の開拓
に関するヒントになるキーワードをサルベージしようとする。

そんなことばかりやっている。せっかく病気はよくなったけど、よくなった状態
を利用しながら異端めいた図書館の使い方ばかりしている。

公共図書館は一般市民のための図書館であるので専門的な関心をもてば
もつほど利用できる図書の数は知れてくるし、無用の場所になってしまう。
アナロジーの素材探しであれば森羅万象全分野対象になるのだけど、
錬金術師的な妖しさを自分でも感じ、人からは胡散臭くみられるだろうなあと
思う。

P.S 海底熱水鉱床というキーワードも鹿児島ご当地のものでもある。
鹿児島湾に「たぎり」と呼ばれる海底から硫化水素の泡が噴き出している
領域があり、海底にはチムニーがある。「サツマハオリムシ」という奇妙な
生物がいて鹿児島水族館でボランティアしてた頃に来館者に解説してたり
して思い入れがある。

P.S 完成度否定論みたいになってしまって、確かにそう読まれても仕方の
ない書き方をしてしまっているのだけど。日本文化そのものを否定すること
になりかねないのであまり強いことは言いたくない。保身、保身。
ただ弱弱しくこういってみる。アイデア出しの重要性はネット上でも指摘されて
いるけど、企画、アイデアは著作権で守ってくれない。ゆえにそういう損な役
まわりをする人は少ない。パクッタもの勝ちの世界だ。評価ということに目を
つぶるならば競争者が少ない世界とも言える。パクラれてもネット上には
アイデアの発見者の記録、履歴は残っているかもしれない。歴史はちゃんと
骨くらいは拾ってくれそうな気もするのだけど、どうだろう。最後にこのP.Sは
かなりの程度パクリである。本人でアイデア出しした部分もある。いろいろ
検索してみられたい。

「時代の灯台守」に憧れる

「時代の灯台守」といっても2013.05.06の時点ではそんな言葉は
日本語圏のネット空間にはない。もしかしたら書庫のどこかに
埋もれている言葉かもしれない。

私の心のまなこで彼方に捉えた影を荒く言語化し送り出す。
そんな作業ばかりしている。もちろん影は影であって、蜃気楼
みたいな虚像に過ぎないにしても。

まあ、私はそんなに大きな存在でもないし社会を惑わす力は
ないような感じがする。だから安心して放り出せる。

世界は目標物のない霧のかかった大海原のようにも、妖しい
蜃気楼が時折ちらつく砂漠のようにも、森の中のようにも、
迷宮の中のようにも見える。どちらにしても現在地の手がかり
がつかめない。

小なるものも大なるものもそんな中を手探り状態でうろうろして
いるようにも見える。

自分もまた「どこ」にいるのやらさっぱりわからないのだけど、
こうやってごにょごにょ書き込むことによって、誰かのための、
何かの参考になるかもしれないという望みだけもって、あても
なくあれこれ書き散らしている。


時代の灯台守ーこの言葉の自分のイメージは遠くを見続けて
光を送る人。ネットの時代であれば、そんなに大きな出力を
もたなくても、光は遠くまで届くのかもしれない。一方、すぐに
流れ去るはかなさもこの時代の情報はもっていると思うのだ
けど。

まったく知らない誰かが書き込んだちょっとした言葉が意外な
ヒントになるのはよく経験することだ。その返事みたいな感じで
ごにょごにょ書いている。もちろん、本人に感想を送るほどの、
べたべたした関係でなく、乾いている。誰かのおかげで頂いた
酸素を誰かのための二酸化炭素で返すみたいな話だ。この
瞬間を支えてくれた、どこか遠くの植物に感謝。

2013年5月5日日曜日

弱さと情報力とーせめてウサギの強さをもちたい

昔からいろんな意味で弱い。
喧嘩も弱く、精神的にも弱く、意志的にも弱い。
オンナみたいだと子供の頃から苛められた。
言葉の上の虐待なら先生からも受けたことがある。
もちろん忘れられない。

一方で負けず嫌いなところがある。
負けてしまうのは仕方がないと諦めるというよりは
悔し泣きしてしまうほうだ。

「弱さに甘んじる」という言葉がある。
自分の人生、誰も責任とってくれるわけでもないし、
結局、自覚した弱さをなんらかの意味で克服していく
しかないのだ。

合気道でも習っとけばよかったと思うことがたまにある。


「兎の耳」こそ最高の”戦力”

『大本営参謀の情報戦記ー情報なき国家の悲劇』という本の
中で教えてもらったことだ。

情報力という程のものは持っていないのかもしれないけれど、
自分でできる数少ない弱さの克服の方法ではある。

精神病者は強すぎるアンテナをもっているとも言われる。
世にまだハッキリと現れていない微かな予兆を受信することができる
のかもしれない。もちろんゴーストであることも多かろうと思うけど。

匂いとか雰囲気とかどことはいえないような情報に関する
話もなんとなく多いような気がする、そういえば。

単なる水晶玉の世界にすぎぬかもしれないけれど、、、

P.S ゴーストという言葉を幽霊を見るとは受け取らないように。
レーダーなどに映る虚像のことで電波障害の一種。もちろん、
比喩として使っているわけだけども。

P.S 何らかの意味での強みをもっていると思えるだけまだ私は救われて
いてあるいは恵まれていて、もっともっと難しい問題に向き合っている人
もいることも知っている。そういう人々にどういう言葉を返せるだろう?
「ごめんなさい」としか言えないのだろうか?私はこういう状況での
「ごめんなさい」は掛けられるほうとしてとてもキライな言葉なのだけど。