はじめての方へ

私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。

P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。

p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。

P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)

P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)


2014年2月28日金曜日

注意深く書かないと、、、

昨日の文章は後から読むと失言めいた表現がいっぱい
ある。

口をすべらせてとんでもないことを言ってしまう政治家
が新聞種になったりするけれど、あれは一体何なのだろう
っていつも思ってしまう。

一方言葉を慎重に選びすぎると建前の言葉になる、
本人がこころの底では思ってもいない言葉や信じてもいない
言葉がマスメディアの世界には載ることが多いような印象がある。

言葉の選択ミスということもある。いいまちがってしまった発話。
これが取り返しのつかぬミスにつながり、人間関係をぶちこわし
にしてしまうこともある。

思えば、家の文化として、ブログの表現について、親から教えられた
こともなければ、先輩からこういうことを習ったこともない。

すべては手探りで、ときどき痛い思いをしながら学んできた。
でも、過去の失敗に十分学べたかといえば、そうでもないような気が
する。

世間が狭いか広いかの問題もある。世間が十分広ければ、他人の
失敗を傍観して、ああはなるまいといった心構えができるかもしれない。
でも、そんなに世間が広いわけでもない。

せっかくだから、昨日の失言をいろいろ検証してみよう。


>一種のわけあり商品。『将棋は歩から』という名著
>もあるそうだけど、一見、無力な駒も有機的に組み合わせると思わぬ
>戦力になるらしい。

他人はともかくとして、自分のことに手を当てるとわけあり商品のような
気がやっぱりする。「無力な駒」という表現をみていやな気分になる人
は多いかもしれない。だいいち駒という表現がよくない。

「ひとり一人は主人公なのかねじなのか」という文章を前書いた。
なんだかそこで書いたことと矛盾しているような気もする。

自分の障がい観みたいなのが「無力な駒」という表現の中に滲み出して
きているような気がする。そう気づいたときどうすればいいのだろう?
表現を修正したり、文章自体を消してしまったりすることは簡単である。
情報そのものはどこかに残り続けるのであろうが、、、でも、書いたこと
は書いたことで、事実としてとっておき、その意味について考えたい。
自分の歴史を振り返る際にも大切なポイントのように思われる。

>ひとりひとりは言葉は悪い表現だけど、「あてにならない」存在だとしても、
>それらが多数組み合わさることで不具合のイベントは分散されて、システム
>はうまく回る、なんかそんな気がした。

周囲の患者仲間を観察してみると、それぞれ精一杯生きているような気が
する。「あてにならない」存在と断じてしまうのは無体なように思われる。
ここにも自分の障がい観みたいなのが出てきているような気がする。

そういう風な障がい観が形成されてしまった背景みたいなのもきっとある
のだろうけど、もう少しゆっくり考えてみよう。そして、もうちょっと違った見方
はできないものか、そういう見方はどういうところから育ってくるのか思案し
てみよう。まわりの人をよく観察し、学ばせてくれるものを大事にしよう。

2014年2月27日木曜日

またアタマが固まった

今日も仕事で文章のリライトみたいなことしてたら、
アタマが固まってしまった。

それでも、粘っているとオーバーヒート気味のパソコン
みたいな感じで能力が落ちてくる。

普段調子いいときはたまに自分の感じではいい感じの
文章を書けるときもあるのだけど、歯車ひとつ狂うとこの
調子だ。

だからこそ障がい者雇用で働いているといえるのだけど、
普段はこういう能力障がいは表面からは隠れているので
「この人、自分では精神障がいとかいっているけど、どこ
が一体悪いのだろう?」と他人目には見えるし、自分の中
でも、「何か困ったこと」が見当たらないので、障がい者だ
といってしまうのがなんだか申し訳ないような気持ちもして
しまう。

そういう風な状況のことを「どっちつかずの辛さ」という言葉
で表現する人もいるけれど、私は基本、生活の中で何か
楽しみを見つけられている状態であれば、その人はなんらか
の意味で幸せなのだろうと思う。できれば、その光の側面に
軸足をおきたい。自分が何か仮に能力があったとして、
「能力が生かされない辛さ」みたいなものがあったとしても、
それは贅沢な悩みといえる。

それに今の状況だからやりやすいこともいっぱいあろうかと
思う。時間的には余裕がある。忙しすぎて何もする余裕がない
というほどではない。だからその状況を自分なりに生かすべき
である。

「能力を駆使するならぬ、能力障がいを駆使する」そういう風な
フレーズを今日は思いついた。私のようなケースも探すとけっこう
あると思われる。一種のわけあり商品。『将棋は歩から』という名著
もあるそうだけど、一見、無力な駒も有機的に組み合わせると思わぬ
戦力になるらしい。状況、状況に応じて、駒を有機的に組み合わせる
センスの有無が将棋の上級者と初級者の違いなのかもしれないと
思った。これは兵法、その他いろんなところで出てくる現象なのかも
しれない。といっても私に思いつくのはそういう一般論どまりである。
これが思弁の悲しいところ。

なんとなくだけど、障がい者雇用という世界をシステムとして捉えると
福祉を超えた世界に行き着くような気がした。

不具合を抱えたPCを並列的に有機的なネットワークを組むことで
別々のタイミングで起こる個別のPCの不具合がほかのPCに助けられ
ながら、全体としては堅牢なシステムを維持できる、なんかそんな
イメージがひらめいた。

クラウドコンピュータってよくわからないけど、そんな感じに組まれている
のかもと思った。

ひとりひとりは言葉は悪い表現だけど、「あてにならない」存在だとしても、
それらが多数組み合わさることで不具合のイベントは分散されて、システム
はうまく回る、なんかそんな気がした。

精神障がいというのはひとつの周縁的な状況だと思う。そして、ほかにも
さまざまな周縁的状況は存在する。地理的な周縁、それから高齢者の問題。
結構、人間社会は勿体無いことをしているような気がする。人体であれば、
足の小指には小指の働きがある。野球投手みたいな状況を考えると、
足の小指の働きがあって踏ん張ってボールを投げられるらしい。そこを考えると、
人間社会は脳と心臓の間で血液が循環して、隅々まではあまりまわっていない
ような状況に似ている。

障がい者に光が当たるのは社会環境、地球環境ともに傷ついた状態にあるから
だと思う。それらをどう癒していくのか、そのすべはまだわからない。「もう手遅れ
かもしれない」という黙示録がかったささやき声さえ聞こえそうだ。それでも、
ベターな選択というのは状況、状況なりにありそうだ。その先に光はあるのかどう
か知らないが、あると信じていられるから前向きな努力をしてみようという気も
起こってくる。問題を問題と感じ、「何とかしよう」という取り組みが起こってくること
に未来への希望を感じる。

2014年2月26日水曜日

相手に押し付けあう環境、自分からやってくれる環境

精神病を抱えた人間が世間に出てとまどうのは
相手に押し付けあう環境だ。といっても、これじゃ
精神病者を美化しすぎだというかもしれない。
精神病者であっても露骨に押し付けあうことはない
けど、しりごみしあうことはある。

具体的な場は書きたくないのだけど、前、
ワークショップみたいなのがあって、出てみて
班活動みたいな感じになって、班ごとにリーダー
を決める、みたいなことがあった。

そこでは、みんな押し付けあっていた。いやなもの
だと思った。世間ってこんなものかと正直思った。
私は手を挙げた。めんどうではあるかもしれない
けど、何か学べる、貴重な経験ではあろう。そんな
感じがした。

でも、だめだった。人を束ねるなど、基本的に苦手
だった。どういう風に指示を出すと人はうまく動いて
くれるのかからっきしわからない。

大体そういう風に育てられた記憶もなかった。
小学校以来、クラスの端っこにいるような存在で、
学級委員長その他まとめ役みたいなことをした
経験はなかった。今、思えば、経験を積ませること
で将来のリーダーを養っているのだなと、今は
わかる。リーダーになれる器でもなかっただろうし、
自分でもなろうと思わなかった。

そんな私だったから、ちゃんと世間の人はそこを
抜け目なく嗅ぎ取って、ぜんぜん動いてくれなかった。
押し付けていたおばさんが裏で動かしはじめた。
裏のリーダー役、そんな感じだった。でも、別に
その人を憎んでいない。そういう役も必要なときは
あるものだ。

普段は症状は表面上は現れないけど、そういう
社会的場面で、うまくいかなくなると頭がカクカク
しはじめて、油の利かなくなった機械のように
動きが悪くなってしまった。

自社ぼめしても説得力はないかもしれないけど、
今の職場では、特に掃除の時間などがそうなの
だけど、みんな率先して自分からめんどくさそうな
仕事をやってくれる。面倒なことをお互いに
押し付けあうというのと逆のゲームが起きている。

なんだろう?これって思ってしまう。

世間の人の相手に押し付けあう行動パターンも
多分環境の中で学ばされた行動パターンだろう。
その人がもともとそういう素質をもっているという
こともあるかもしれないけれど、環境の中でそう
いう素質が育ってくる、引き出されてくるというこ
ともあるのではないだろうか。

ある程度攻撃的な人も穏やかさがグローバル
スタンダードである場に順応するには爪をある
程度ひっこめないと一人浮いてしまうだろう。

逆に本来穏やかな人も、荒っぽさが目立つ場
ではそれに合わせないと生き抜いていけない
ことだろう。

半々ぐらいの場だったらどうなるのだろう?
自分の行動が判例を作り出していき、その場
の風土の一部となっていくだろう。

そして、それらが積み重なって、穏やかな環境
にも荒々しい環境にもなっていくことだろう。

世の中うまい具合に隔離されていて、ある程度
場が区切られて隔離されることで、さまざまな
性質をもった環境の多様性が維持されている。

そして、完全な閉鎖系ではなく、外部とやりとり
が開放されたり、閉鎖的になったり変動しながら
場の歴史が積み重ねられている、なんだかそん
なことを考えてみた。

もちろん、具体的には実際にある、さまざまな場
を観察してみないとよくわからない。アタマの中だけ
で考えてみても仕方のないことだけど、それでも
その人、それぞれ限られた形ではあるけれど、
現場というものをもっている。フィールドワーカー
でもないから、その限られた場の中で観察して
みたりしないといけない。

2014年2月25日火曜日

千枚通しで背中をグリグリ

たまにあるパターンの入眠時幻覚。
夕べもあった。
ストーリーは忘れてしまったけど、
背中を先の丸まった千枚通しみたいなので
グリグリやられるというものである。

私にとって定番化した入眠時幻覚である。
痛さで起き上がってしまった。
触覚系の幻覚なのだった。

大学のとき、どこぞの下宿で
寝ていたら「足を引っ張られた」という
噂話が伝え伝わって私の元に届いた。
都市伝説というやつだ。

でも、今の私はそのくらいのことでは
なんともないくらい。寝入り鼻はいろんな
ことがたまにおきる。

若い頃よりは頻度は若干収まっては
いるが。

周囲には「幻聴さん」に悩まされている
人もいるので私の入眠時幻覚くらい
なんでもない話かもしれない。

精神科医もまともに入眠時幻覚のこと
はとりあってくれない。

病気の後にこういうことが起きるように
なったのだけど、最初はこういった
「霊現象」にやはり慣れるどころでは
なかった。今はもう記憶もおぼろだった
けど、異次元からの来訪者みたいな
感じに思ったり、「他言するといけない
体験」なのかもと思ったりした。

髪を引っ張られたり、時には首筋から
霊体みたいなのが体の中に入ってきたり
とか散々だった。

こういう精神現象に晒されて世界観おかしく
ならないのか?という疑問も自分であった。
私は一応、「生理的」に解釈する道を選んだ
けど、そういう現象の頻発する人は「霊的」
に解釈する人もいて、その人は拝み屋さん
のところに相談に行っていたみたいだ。

「キミのは生理的な入眠時幻覚だけど、
ワタシのは霊的現象だ」なんかそんなこと
を言われたこともある。

かといって、私がごりごりの機械論者、
医学的唯物論者でもないことはこのブログ、
Facebook等々を覗くとわかる。自分でも
整理できないまま、わからないものはわから
ないまま、矛盾してるものは矛盾してるまま
未整理な状態で心の中を保っている。
神秘と合理がせめぎあってるとでも書けば
カッコいいのだろうけど、ようするに態度を
決められない煮え切らない立場みたいだ。
キリスト教徒からみれば、まさに迷える羊。

バランスは一応保たれているけど、地盤が
ゆるいので何かコトがあれば、世界観は
またひっくり返るかもしれない。

一方「地震学者」のように地盤そのもの
には興味がある。だから、あしげく図書館
に通う。天文学の科学書など浮世離れし
た本をめくることもある。一輪の花が対象
なら銀河だって対象、銀河の腕はその部分
というわけだ。

それでもこの世界の成り立ちなんかわから
ない。断片的な事実の詳細な記録が図書館
にはあるだけだ。事実どうしのつながりや
その意味やはたまた全体としてどうあるのか
わからない。一生かかってもわからないだろう。

ただ、一輪の花に、テーブルや時計や椅子に
その全体の喩としてのありようを託すしかない
ように思う。きっとすべての対象は自分の比喩
であり人間の比喩なのだろう。あるいは古代人的な
発想法は認知のあり方として現在も裏で利いて
いて、すべてを擬人的に人間を尺度として
理解しているのかもしれない。

P.S 昔、どこかで会った子はクリアーな現実
そのものといった感じの夢をみるため、
そういう世界が異次元としてあるのだと思って
いた、何か多重人格も抱えているようだった。
その異次元はその子の歴史の一部となっている
ようにも見た。だから、あえて何か説得みたい
なことをすることはしなかった。そういう技術も
また私はもっていないから。

P.S 地球と卵をどこかで重ね合わせている
自分がいる。幼稚な原始人的センスかもしれ
ないが、その暗合を大事にしている。

2014年2月24日月曜日

ひとりひとりの物語

今日、職場の同僚から、ちょっとした相談を受けた。
まあ、それほど深刻な内容でもないから、書くことに
しよう。同人誌を作りたいという相談だった。

その相談を受ける、しばらく前、私の当事者仲間の
Oくんが、月一回集まっている、当事者集団の文学
の読書会(せいぜい多くて7人もあつまれはいいと
ところかもしれない)で同人誌作ろうという話になり、
その子が編集をして、記事を集め、私も記事と
表紙の絵を担当した。ちなみに表紙の絵はこの絵。




相談をした人を仮にXさんとでもしておこう。
Xさんは出来上がった同人誌をみて、何か
思うことがあったらしい。

Oくんを中心とした私のつどっている文学
関係の当事者集団がいるように、Xさんは
Xさんで身の回りのアートが好きな当事者を
集め、月一回くらい、ミーティングをしていた
らしい。「何かやりたいのだけど、どうすれば
いいのかわからない」、事情はOくん、私、
そしてXさんも似たり寄ったりらしい。

私にいつの日とはいえないけれど、Xさんを
中心に集まっている仲間のもとに足を運んで
同人誌のこと、その他いろんなことを話して
集団に刺激を与えてほしいと私に言った。

私はXさんとは職場の同僚なのでしょっちゅう
あっているのだけど、背景にそんな物語を
抱えているとは知らなかった。

そして、自分が普段、思っていることなど、
今日私と話し合ったことでもいいけど、そん
なことをメモでも文章でもいいから、何か
まとめて、周囲の人に自分というものを
知ってもらう努力をするといいよとアドバイス
した。人はとかく表面だけみてヒトを判断する
から、と。

なかなか普段あっている人も表面しか知らない
と言える。そして、それぞれの人の背景に
背負っている物語を知る機会はそれほど多く
ないものだ。ふだん、あれこれ話していても
とっかかりがないと私の知らない物語への
扉は開かれない。実の母でさえ、そういった
事情である。

そして、それぞれ複雑な物語を背景に背負って
いる人々が集って、職場なり、趣味の場なりを
構成している。ヒトの世界ってなかなか複雑な
ものである。

そんなことは私から言われるまでもなく、
みなさん了解のことである。

でも、ひとりひとりが物語を背負っているという
事実には重い意味があるのではないだろうか。
あまりにも豊かすぎて、そのひとつひとつに
かかずりあう時間など持てないことはネット上
でも普段の生活をちょっと反省するだけでも
わかる。だから縁あるものを選択している。
豊かすぎるものを抱えきれない自分に与えられた
有限の時間。その一切れを私のために割いて
くれた人に感謝。そのお返しとして、私もどこかに
いる誰かのために一切れの時間を割こうとまた
思う。

やっぱり生殺しのような感じがする

主観的にはリアルタイムでどこかの脳の領域があまり働いていない
ような感じで、でも、別の領域では平常運転という感じの様子を観察
しながら文字を打っている。全体的には回復モードだ。

どこから書けばいいのかあまり組み立てられないのだけど、
またしても生殺し現象がおきた。

私、普段、症状が外面的にも主観的にも出てこない日が多い。
そんな日が続くと、くどいように書くけど、自分は病気でもないのに
病気のふりをして世間を騙っているのではないかという気持ちが
もたげてくる。

でも、作業中に一つ歯車が狂うと、イレギュラーなことが起こったり
すると往々にしてそうなるのだけど、頭がカクカクして働かない感じ
がしてくる。考えるということができなくなるのだ。

今もどこかで働いていない。でも文章きちんと打てているではないか?
矛盾してる、というかもしれない。不思議な感覚だ。別腹という感じ
なのか。

で、今日の仕事は考えるような仕事で、でもなんだかうまくいかなくて、
カクカクしてきた。周囲の人はてきぱき仕事してる、無意識のうちに
自分で自分を追い詰めはじめる。

たとえでいうと2回くらいクラッシュさせてしまったパソコンが、それでも
普段は何事もなく表面上は動くけど、ささいなイベントが引き金で重く
なってみるまにほとんど動かなくなるという話とどこかで似ている。

精神錯乱、ほとんど脳のクラッシュといえる。それ以来あまり言いたく
ないような体の不具合も出てきている。過去の話は過去の話。
表面上は痕跡を残さず回復したかに見える。

節目、節目でそんなことにでくわす。とくに正念場、修羅場のときに
かぎってそうなってしまう。だから、究極のところたよりにならないと
いえる。

そんな感じなので「生殺し」だと自分では自分のことを思っている。
何か能力があったとしても、それは社会では生かされないのでは
ないかと半分くらいは思っている。

昔、働いていた職場では能力障害のためかばかにされたような
感じがする。「アタマはいいけど、知恵がない」とか「バカとはさみは
使いよう」とか。頭がかくかくしたときはほとんど人のいうことに
いいなりにされていたような感じがする。実にコントロールしやすい
やつだったといえる。

今の職場ではその種のことがないのが救いだ。今日も、何か
症状がでたら言ってほしいと言われた。調子の悪いときの苦しさ
が表面に出やすい人はわかるけど、あなたのように表に出さない
人はわかりにくい、だから言ってほしい、みたいなことを言われた。

心理的な苦しさはなかった。でも頭は回らなかった。そこでなぜ
と自分に問うた。「生殺し」でそのために「能力がたとえあっても
社会で生かされない」それは十分苦しいことではないか?考え
ようによっては。

病気になってからというものの、気持ちのバランスを取るのを
逆に無意識に訓練しているような環境ができてしまった。
竹馬を日常的に乗っているうちに、竹馬に乗りながら生活が
できてしまうような。書いている文章を読むとそうも言えないかも
しれないけれど。

バランスを取りにくい心理的環境が逆にバランスのとり方の
訓練環境にもなってしまうような逆説。その一方で容易に
脳はカクカクしてしまう。

自分の中で「受け入れるしかない」というのが一種の教義に
なってしまったのかもしれない。リウマチの発病を告知された
ときも、ほとんど心理的には無痛で受け入れた。まあ、かなり
初期の時点で発見されたからというのもあるかもしれない。
今も体のあちこち、全体にわたってなんとはない痛みがあるが
それも住めば都である。がんを宣告されても静かに受けれる
かもしれない、そんな気がなんとなくする。

P.S ただこうして記録を取ることは妙な楽しさがある。
もともと植物学で修士をとって、ある企業の中央研究所配属
だったので、自分の観察記録をつくるのも好きなのかもしれ
ない。ただ、学生のときは決して優等生ではなかったので、
記録の取り方はなってないかもしれない。そして、健康のため
には記録などとらずに、病気の存在を忘れるくらいがいいの
かもしれないし、せっかく記録をとっても、それは何の役に
もたたないガラクタにすぎないかもしれない。

P.S2 訓練できる圏内にいるというのは私の幸福かもしれない。
その一方で苦しみを見えなくさせる。それは苦しみを深くさせ
てしまうかもしれないが、同時に心を浄化する働きともなる。
静かに燃える苦しみの炎で汚れの成分を焼き切ってしまう。
そんなことを自分で書いているうちは十分汚れているのかも
しれないが、まあ、そういう幸せもあるということにしよう。


2014年2月22日土曜日

一ラグーナ社員の目に映った坂本ゼミ像

あんまり仕事の世界のことをここには持ち込みたくないの
ですが、今日は私の勤めているラグーナ出版に法政大学
の政策創造研究科というところにある坂本光司先生のゼ
ミの方々が見学にこられ、ゼミの方々、坂本先生、川畑社長、
森越会長、そして私を含む何人かの社員が座談会をしました。

それで、記憶が薄れないうちに、私の目に映りました、坂本ゼミ
の方々の印象を記録として書いておきたいと思います。

ここは公的な場所でないので、素直に率直に書きたいことを
書きたいと思います。

まず、坂本ゼミの方々の年齢構成が意外でした。いろんな年代
の人の混成であって、まず、そのことに不思議な印象を受けました。

私は今日の日を迎えるにあたって、図書館行って坂本先生の
お書きになられた著書を読める限り読んで準備しました。
それらの本を通してゼミについてのなんらかのイメージをつくりあげて
いました。

それは植物学分類学者のイメージでした。いろんな企業に見学に行かれて、
その結果は『日本で一番大切にしたい会社』などにまとめられています。

これらの本で書かれている会社の紹介と植物図鑑との違いは、無味乾燥
なデータとしての記載ではないことです。本当は植物図鑑の無味乾燥に
一見見える記載の裏にも植物への愛みたいなものが裏打ちされている
のかもしれませんが、そういう冷たい記述ではなく、かといっていいかげん
ではなく、正確さと同時に血の通った文章で書かれていることが印象的でした。

当日、実際に目の前にあらわれた人々はそれらの文字をそのまま人間の形
にした熱い血の通った集団のように見えました。

そして、その人々が一種の鏡のようなものとなって、普段意識しない私たち
ラグーナ出版という会社の姿みたいな像が一種の照り返しとして、私の目に
は映りました。それは満足いくものでした。こそばゆいほどでした。

日本人がなかなか日本人を知ることはできず、外からの訪問者の目を通して
自分たちのことを知ることになります。同じように、集団とはなかなか内側から
は自分たちのことが見えないものです。

それはもしかしたら、坂本ゼミにしてもそういうものなのではないか?と思い、
私の目に映ったその姿を今日の記録として残すことにしました。

役者みたいなキャラの立った人が多かったように思いました。まあ、それは
そうです。経営者の卵たちであり、そしてその中でも理想の共同体を創ろう
という熱い思いに溢れた人たちなのだから、きっとそうあるのです。そして
そのような人の元に魅力的な人々もまた寄せ集まってくるのだろうと思いました。

なんだか三国志の世界です。かつての国にあたるものが現在では様々な
共同体としての企業なのかもしれません。その中では物語も民主化されて
英雄豪傑や軍師みたいな人ばかりでなく、今では多くの人が三国志の中の
登場人物に相当する人になれるのではないかと思いました。

最後に坂本先生と立ち話ししたやりとりを思い出せるだけ書いておきます。
私は坂本先生の御著書の中でいろんな場面で坂本先生が涙を流される
記述があるのが印象的でした。そのことを言いました。坂本先生の本には
たくさんの数表がのっています。そして宮本常一みたいに全国を回られて
6500社ほどの会社を見学しているそうです。だから、深いところでいろんな
ことがわかられるのではないかと思ったのです。データの裏にあるものの
イメージが像を結ばれるのはもちろんきっとそうなのでしょうけど、単に頭
で分析的に分かられるだけではなく、心で捉えられるのでときに涙を流さ
れるのではないか?話を聞いたり、手紙を読んだりするだけで、裏にある
ものが実感としてわかるから涙を流されるのではいかと私は想像したの
です。坂本先生のお答えは、坂本先生ご自身がいろいろ実際に経験され
ているからわかるのだという風に答えられました。そして、私ども障がい者
についても、もしかしたら、自分が障がいを受けていたかもしれない。
まったく、同じ地平にいるのだといわれていました。謙虚にへりくだるとか
高みから降りてくるというのとちょっと違うニュアンスを私は読みました。

P.S (2014.02.23) 上の文章に少々重大な訂正があります。坂本先生と
の受け答えなのですが、正確には再現されておりません。たぶん、私
の言葉で書いております。「地平」という単語は先生は使っていません。
でも、大筋においてはこんな感じだったと思います。病気の後、記憶力
に自信がなくて、前の職場でも、自分の記憶力(特にエピソード記憶)の
弱さにはほとほと泣かされました。今は、編集の仕事ですが、今後その
要素がどう仕事に影響するのか若干不安であります。社長からは
「気にしなさんな」ともいわれているのですが。

私が「地平」という言葉を選んでしまったのはしばらく前から神谷美恵子
の著作を読んでいまして、なんだかちょっと重ね合わせてしまったのです。
らい病の人への対応などの部分などです。

2014年2月18日火曜日

類似思考 照応

類似思考、照応(コレスポンデンス)、それは原始的な発想法に
違いない。少なくとも論理実証主義の世界からは遠いといえる。

かの天外 伺朗氏も「仮説の上に仮説を重ねると何でも言えてしまう」
何かの本で書いていたように思う。

日頃、類似思考ばっかりで、世の中を見ていると、面白いことは
面白いのかもしれないけど、そのうちに、世界観的にほかの人と
かみ合わない部分もできてしまう。

たとえば、本は人間の比喩、世界の比喩、あるいは昔の仮想世界
みたいな発想法。陳腐といえば、陳腐でしかないけれど、その発想
をふつうに使い、座標系は世界であり、座標系上の点は人間でも
あり、線は旅でも物語でもある、みたいなことばかり日常的にやって
いるとうまく言えないけれど、世界そのものがなんだか違った風に
見えてきてしまう。

そんな見方では何でもある種の人間に、そして、ある種の仮想世界
にみえてしまう。汎メディア論、汎記号論というのもあるのなら、
汎仮想世界論というのもあっていいはずだ。これらは核心に生命と
う概念があるはずであり、ようするにアニミズムの進化型ということ
になるのだと思う。原子論としてのモナド論、そんなところを嚆矢とす
るのかもしれない。東洋的な表現でいえば生「気」論みたいな感じ
かな。

類似思考的にみれば、世界はそう見えるというわけで、世界はそう
できているなどというつもりはない。あくまでも物の見方、メガネの
世界である。世界は文化というメガネを通してでしかみえない。

自分のかけているメガネをいいものだと思い込み、みんなにかけて
もらうなどとは思わない。公開しているのだから、どこかでそんな気
もちもあるのかもしれないけど、こんなメガネをかけた世界もあると
何かの参考にしてもらえればいいと思っている。その人それぞれの
メガネをかけた世界の鏡として。

P.S いつものちら読みであるが、スゥェーデンボルグの著作を鹿大
でかじってみたことがある。『天界と地獄』だったかもしれないが、
天界全体はようするに人間の体のことだとか書いてあった。
想像の世界で書いたのではなく、現代風な解釈によるとするなら
そういうイメージ体験をしたのかもしれない。
照応(コレスポンデンス)という概念はスゥェーデンボルグ関連の
本から知った。ボードレール経由ではない。
ボードレールはまだ読んだことがない。
スゥェーデンボルグは「天界」旅行の果てに帰納的に天界は人間
だと「発見」したのか、それとも微分か積分かよくわからないが、
「天のものは地にある」みたいなテーマを先に知っていて、そんな
ことばかり考えていたから「後付け」でそう発見したのかは知らない。

2014年2月16日日曜日

言葉を与えられること

今日の話は二つの別ジャンルの話にまたがる

一つは非定型精神病がらみのこと。
といっても、現在の診断名は統合失調症なのだけど、
病名変更は何度もなされ、その中では非定型精神病となってた
時期が長いので一応そういう風にしてみる。

非定型精神病に関する情報は比較的少ない。
で、そのおかげで自分の病気について知る機会も少ない。
それだから、逆に自分の周辺の地図でもつくるような感じ
でブログその他の記録をつけている。でも、記録の仕方
など習ったことはないので、自己流である。逆に混乱をま
ねくかもしれない。

それでも、ネット上をうろつくと非定型精神病に関する
記述やら書き込みがあらわれる。もやもやと自覚しながら
はっきり認識していなかったことが文字化されて現れる。
やっぱりそうだったんだ、と自己発見をすることもある。

さあ、そのことは本人にとっていいことなのだろうか?
それともよくないことなのだろうか?

自己認識として、言葉で与えられるということはありがたい
ことである。でも、とらわれないほうがいいことにとらわれ
固定されたり、「神秘的なものとの親和性」なんて感じのが
書かれているとますますそっちのほうに邁進してしまう
ことになる。それらは結局どういうことにつながるのか。

記録することの価値を減じてしまうことになるのかも
しれない。人工的(アーティファクト)な側面が強まるから
である。ユング本の読者が曼荼羅の夢を見ましたと
喜んでいるような感じである。「それは本の影響でしょ?」と。

でも、現在は情報込みの自然である。隔離されたj秘境に
したくとも情報は入っていく。原初の自然や伝統的な文化
が失われると文明圏の人は嘆くけど、「秘境」に住む
住民には住民なりの言い分もある。たぶん情報に汚染
されつつ、その中での自然もあるし、それを受け入れなくて
はならないという部分もあるのだろう。

ここで、話はもう一つのジャンル奄美2世ということにうつります。
この言葉、私には非常になじみのない言葉である。
japaneseやら倭人と外からつけられたような感覚である。
でも、それに相当する概念を知らなかったし、また名づけ
られることによって意識しだした部分もあり、便利な言葉
ではある。

私の兄弟姉妹の中ではおそらく唯一奄美やら徳之島関連の
本をめくっている。ここの中でも、自分やら自分の家族に
ついての性質みたいなものに言葉を与えられるような感じ
のすることがある。

「きゅんがめら」今日は(直訳する今日を拝みましょう)
「うらたるがー」あなたはだれですか?
それくらいしか徳之島の方言は知らない。母は県外に
いる叔母とときどきコードスイッチングしながら、シマグチ
まじりのカライモ標準語で電話でしゃべる。
コードスイッチングとは言語学の用語で、二言語をまぜ
こぜにしながら話すことで、カライモ標準語というのは
鹿児島風標準語である。

私は99%くらいヤマトの人に私は同化されていると
思うのだけど、同化しきれない何かの性質もあるのだろう
かと奄美関係の本をめくってみるとなんとなくありそうな
感じもする。まだはっきりとは把握していないのだけど。

その話にも裏の側面がある。こっちもアーティファクトな
要素がありそうなのである。二次的に奄美を学んでしまう
という側面だ。奄美のことを観察、記述しているのは
鹿児島本土の人や中央の人が多い。だからこそ、
記述できているという側面もあるのかもしれないけれど、
それは異文化の目を通した奄美ということであり、
幻想やロマンも若干入っている。外国人の日本や東洋
に対するロマンチズムを類推するといいかもしれない。

だから、外国人の目を通した日本像というのが啓発的
であると同時に危険であるのと同じような性質があると
思う。それを二次的に学び、内面化すると何かが歪んで
しまうというものだ。

現在鹿児島弁の世界でその歪みのプロセスは起こっている
といえるかもしれないし、それは目をつぶらなければなら
ないという側面もあるかもしれない。

精神病関連に話を戻すと、「なにをするかわからない」
精神病者像のアンチとして「純粋で心のきれいすぎる」
精神病者像というもの少しずつできあがりつつあるの
かもしれない。それは精神病者自身を癒してくれるもの
でもある。だけど、それを二次的に内面化させてしまう
のはどうなのだろうという思いもある。なかなか複雑で
あるともいえるし、なるようになるのが自然であるとも
いえる。

ミラーハウスのように情報が乱反射を起こし、その
環境の中で自己形成を行っている。何も変える力は
もたぬかもしれないが、私なりに観察したことを記録
していきたい。

P.S 言葉を与えられていいことと思うことは失われたり
風化させてはいけない価値が顕在化することだと思う。
やはり二次的なものになっていくのかもしれないけど、
無意識のうちにそれらの要素には強化がかかっている
と思う。

P.S 一つ重大な誤解を与えるといけないので補足する
けど、もちろん、私の母はカライモ標準語を完璧に
話せる。ただ、電話上で感極まる場面になると
コードがシマグチにスイッチするように見える。
地の文に対する会話文みたいな感じ。
では、なぜすべてシマグチで叔母と話さないのか?
私はまだその理由を聞いたことがない。もしかしたら
本土での生活が長いのでシマグチも錆びついて
いるのかもしれない。なぜ、理由を聞かないのか?
それはたぶん、それを聞くと母に寂しい思いをさせて
しまうと私が思っているのだろうとなんとなく思う。

2014年2月15日土曜日

この世に光がなかったら

また、妙な話だけどしばらくおつきあいのほどを。
いろんな矛盾も出てきたりしますが、ご容赦のほどを。

この世に光がなかったらどうなのだろう?というちょっと
した想像です。

ま、太陽というものも多分なく、恒星がなければ、
惑星もありえないのですが、一種のおとぎ話として読んで
ください。

多分、光というものがなければ、
世の中の構造物は見ることはできません。

もしかしたら、コウモリのように音で空間定位するかも
しれませんね。光がないというよりも、視覚がないといった
ほうが話としては成り立ちやすいかもしれませんね。

話の目的として、なんでそんな話をやりだすのかというと
やはり情報の世界について考えたいからであります。

情報の世界は具現化することで目に見えるとすることが
できるけど、その裏側には見えない側の世界があるとも
いえる。意味の世界は見えないわけだし。具現化以前の
もやもやした世界もやっぱり見えない。

スピリチュアルな席をもうけようというのではなく、むしろ
プランニングの世界に近いです。本人的には。

カオス状態のもやもやをどう計画してカタチあるもの
にまとめあげるか、みたいな話。

そのために、この世の電気を消して暗黒にしてみる、
というよりはもっとてっとり早く、目をつむってみる。

ほとんど周囲のものもみえませんね。ものを取り出すの
も、出口に行くのも一苦労。

でも、それが情報の世界のような気がするのです。
言葉を織りあわせたり、曲想をまとめあげながら、
一つのカタチある世界を紡いでいく。

そういう世界で、その見えない世界で、多分みなさん
気づかないだけで遭難中で、でも、食糧とかは目に
見える世界で食べれるわけで命を失ったりするわけ
でもないのだけど、でも決してベストの選択に至ること
はなく、見えないジャングルの中をさまようわけです。

とまあ、ずいぶんと妙な雰囲気になってしまったので、
今日の話はこのへんで。別に私を心配する必要は
ありません。このくらいは安全圏です。

アタマの中のごたごたをごたごたしたまま並べてみた
だけです。

2014年2月12日水曜日

ヒトとヒトとのほどよい距離について

ネット時代になって神経つかうのは距離の問題である。
私は逆に神経使いすぎかもしれない。

昔と違って、面白いと思う人が現れてからもすぐには
アクセスしなくなった。

ほとんど糸が切れかけている人もいっぱいいる。
向こうから糸をつないでくる人もいれば、
あえて切れたままにしている人もいる。

「はからわない」という言葉が好きなので、
自然に任せている。

そんなことをしていると、どんどん孤独、孤立した
人間になってしまう。

孤立はあんまりよくない。孤立すると、残された
少ないつながりに多くの重心がいってしまう。
そういう重いつながりは一番負担がかかってしまう。

自分のこと、あるいは家族のことで忙しい他人には
そんな重い関係は支えられない。上手に分散し、
そして、自分でも何らかの意味で負担を負う側に
回るべきである。

負担というよりも、ほかの人に対して何らかの役割
があるということは生きがいの一つでもある。

ネットの関係は薄口、というのもある意味本当、
ある意味、嘘である。文字になって記された一行に
救われることは案外多い。耳から入ってきた言葉に
は音と表情の織り成す豊かな味わいがある。
でも悲しいことに年を取れば取るほど、記憶には
残らない。その一方、その重みや意味は若いとき
よりは段違いにわかる(つもりではある)。
若いころよりも世の中の複雑さとか裏とか
見えてきて、よけいわからなくなるという人もいる。
話がのびてしまって、脱線しつつあるが、
耳から入った言葉は消えてしまう一方、文字は
残る。何度も見直せる。だから厄介だともいえる。

「君子の交わりは淡きこと水の如し」

もとはといえば、この言葉にあこがれ、そうなって
しまったともいえる。だが、悲しいことに私は
徹頭徹尾、小人の側である。自分の器量に従った
小さな器をやりくりするしかないのだ。

どう考えても、所詮、イナカモノの私にはこういう
雅びな言葉は合わないといえる。
庶民の私は庶民の私らしく、もっと己の本能に
正直に、素直なコミュニケーションを図れば
いいのかもしれない。

2014年2月1日土曜日

精神内界の潜水漁法

自分がやっていることを大体書いてみると、精神内界の深み
に潜って、もやもやとしているものを形にして取り出すという
ことに尽きる。

それが、精神内界の海で獲れた浅海魚に相当するものなのか
深海魚に相当するものなのかは自分で判断すべきことではない。
そして、そのときどきの意識水準が利いていて、いつも深海魚
ばかりとはかぎらない(そんな生活はやってられないし)。

店頭に並んだものが深海魚ばかりだとお化け屋敷みたいな
雰囲気になって誰も近づかない。もう半分くらいお化け屋敷み
たいな雰囲気になってるかもしれないし、そう見せかけている
だけだ、それを売り物にしようとしているだけだ、とお客さんは
見るかもしれない。

それは、判断願うしかない。自分でいくら口を重ねてみても
説得力などないし、自己欺瞞というものさえ、あるので自分
で言葉にしてみたものの真実性というものも疑うべきである。

やめておけばいいのに、自分で潜ってしまうのである。
そして、稀にではあるけれど、浮上できなくなってしまうと
感じるときがある。潜ったままの水深で、浮き上がれなく
なるのだ。こういうときは恐怖を感じる。

でも、幸いなことに一晩か二晩、数日くらいか忘れたけど、
その時は日常世界に戻ってくることができた。

発病を避けるべき当事者がなんでそんなあぶなっかしい
ことをやるのかというと、そうやって取り出したカタチの中
にもこの世の真実はかけらくらいは埋め込まれているので
はないかと信じるからだ。

そんなことを信じつつ、自己流の独学を発病後、20年くらい
続けてきた。といっても、克己心はそれほど強くなく、自堕落
なものだから、語学などは挫折した。専門である植物学も
そんなに勉強してないと正直に書いておく。

その自己流の独学は、今、客観的に自分をつきはなして
みると、どうも、私の心のあり方をパラノイア的な方向に
近づけてしまったような気もする。

妄想体系というほど確固たる体系立った思想みたいなもの
はないけど、全体はおぼろげながらつながっているような
気がする。そして、それはサイエンスというよりは錬金術の
ようなものに近い。アナロジカルに世間では無関係にみら
れているようなものがつながりあってあるまとまりを成している。

そのアナロジカルにつながりあった精神内界の核心部、
もしくは見えない世界の中のある領域、それは実在すると
いえるほどに、案外具現化可能なものに未来はなっている
かもしれない、そういうものを、言語を使って、あるいは
画像のような手段でカタチにしようと思っている。

それはきっと危険だし、詮無い願いなのかもしれない。

話は飛ぶけど、ALTOというPCがある。Macの先駆に
あたるPCといえるかもしれない。私にはそれが、
モノで具現化された仮想世界のように見える。

ついでに言えば、原動機付き馬車というカタチで
記述された、自動車もモノを媒体とした仮想世界だった
のかもしれないと思っている。

そんな複雑なものに限らず、やかんであれ、箸であれ、
それに関する世界というものは発見という入口をもつ
仮想世界のように見える、それが、仏教でいうところの
三千世界という記述と響きあっているのではないかと
昔から思っている。裏を返せば、当時は当時なりの
情報化社会で技術的発明が相次ぎ、同時に時代の
流れ、栄枯盛衰も激しく、そんな中でさまざまなモノ
を媒体とした仮想世界みたいなものを見たのでは
ないかと妄想する。同じようなことはギリシャでも
あったのかもしれない。

サトリの世界を須弥山とたとえる。要するに山を
モデルにしたものであり、数学のモデルを使えば
ひっくり返した二次曲線みたいなものかもしれない。

上達といい、ヒエラルキー上の出世競争といい、
スポーツの記録といい、ある種の象徴であり、
ウエへの憧れのような感じがする。

そして、ウエの世界の境地、あるいは境位は
コトバや画像などの手段で具現化できる。
そして、見るものは具現化された、モノを観察
して、どのくらいの高さに相当するモノなのか
を批評したりする。まだまだ、わかっちゃいないな
と。

象徴の世界には宮殿のたとえが多い。原語は
知らないけれど、宝瓶宮、なんでかしらないけ
れど、宮殿だ。そして、夜摩天宮、他化自在天宮、
これらは華厳経の中にでてくる用語らしいけど、
やっぱり宮殿。宮沢賢治の作品の中で、
『ひかりの素足』の中にも宮殿の描写がでてくる。

今の人がゲームで遊ぶように、言葉は悪いけど、
当時の人も想像の世界で遊んでたのではないか
と思う。ゲームの世界で地下何層までいった?
みたいな感じで、天空の何層目の宮殿を訪れて
いるのか、そこの景色はどうだとか、そういうこと
を真剣に遊んでいたのではないかと勝手に想像
する。

まあ、いろいろ内にあるものを外に出してみた。
浅さを感じる人もいるかもしれないけれど、まあ
そんな感じだ。