はじめての方へ

私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。

P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。

p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。

P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)

P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)


2013年10月31日木曜日

本物の独創性への入り口

借り物競争的な言葉、カラオケ文章的な言葉、
そういうものから脱却するのは難しい。

自分の中から探すだの
自分の足元を掘るだの

その言葉自体はやっぱり借り物に過ぎない。
でも私自身にとっては大事な言葉で、
いわばホームセンターで購入したシャベルみたいなもの。

手に入れた既成品のシャベルで、
自分の足元を掘っていくのだ。
うまい掘り方などあるかもしれないけど、
あまりよく知らない。

埋蔵金探しの愚かさはあるかも
しれないけど、何か自分の心の底
に埋もれているという薄弱な
信念の元に土方仕事のように
言葉の山をつくっている。

「カツン」と何かにぶち当てる
のを密かに願いながら。

「カツン」とぶつかる何かが
自分の主題につながる手がかりであって、
本物?の独創性への入り口だと思ってる。

その泥臭さは
ノーベル賞をもらうような学者さんたちの
エレガントさには程遠く、
町工場のおやじさんたちの
ようにとにかく自分の土俵を
才能とも環境とも関係なく
運鈍根で
掘り進めていく土方仕事。

私には土方仕事続けられる
おじさんたちの筋力も
職人仕事続けられる
おじいさんたちの技術も
ないけれど、
自分の与えられた境遇なりの
工夫は続けようという
前向きな気持ちだけは幸運な
ことに持てている。

そして、自分では気づかないけれど、
そういう環境と対峙することから
出てきた生活上の知恵みたいなのも
きっとどこかにはあるのだ。

そういう自信を持つことができるように
なったのも、周囲の温かい目をもった
人々のおかげだ。

感謝感謝。

P.S 本物の独創性とか大仰な看板を飾っておいて
本文は陳腐で下らないことにすぎないと読まれると
思っている。でも、その平凡なことを愚直に続ける
ことなのだと思う。才能という神秘化された言葉な
どではなく。

不眠、薬で言葉を散らすこと

睡眠薬夕べのんで、しばらく前までドロドロだった。
facebookのほうでしばらく前まで、ハイテンションで
書き散らし、一応落ち着いたみたいなのだけど、
相変わらず不眠が続く。

その都度に、主治医からもらった睡眠薬の頓服を
飲み、落ち着かせる。

でも、そんなの繰り返すたびに、睡眠薬飲まないと
寝れない体質になってしまうのではないかと恐れ、
先日は我慢した。

明け方にようやくうとうとして、しばし睡眠らしきもの
を取り、その日は仕事。

夕べもまた、不眠っぽくて、4時くらいに睡眠薬飲んで
でも、8時ちょっとくらいに起きた。眠いような眠れない
ような中途半端な状態。

不眠は、大体考え事が回って、頭が冴えてくるという
傾向が多い。5分位で寝入ってしまうという人が羨ましく
て仕方がない。

世界の謎を考え込んでいるというのは大げさな話なの
だけど、大体考えることは浮世離れしたこと。そして、
だんだん考え事の内容の言葉はまとまってくる。

それはあんまりいい傾向ではないので、秩序がかって
きたら、精神薬の頓服飲むなり、睡眠薬飲むなりする。

すると、アタマは働かなくなり、言葉は散らされえる。
で、大体そういう考え事もしばらくの間は考えなくなる。

でも、消え去ったわけではなく、しばらくするとまた、
言葉が集まってくる。そして、頭が冴える。

私思うに、脳の故障の問題という見方もあるけど、
言葉の問題という面もある。

考え事にまつわる言葉が今では胸の内に結構溜まって
いて、ハイテンションになるとかき混ぜられ、意識の
表面に上がってくる。

不眠ののちに「発見」をして病気に突入みたいな目には
もう遭いたくない。されど、「根源の探究」もやめられない。

「根源の探究」なんて書いたのを読んで、嗤いたいひとは
嗤えばいい。トンデモな人だと思いたい人はそう思えば
いい。

でも、人間の深層、世界の深層について興味を持っている
のは心理士とか精神科医ばかりではないし、そういった
以外の人も自分なりに考える自由は持っている。

考えたところで仕方がないということもつくづく知っては
いるのだけど、、、

2013年10月30日水曜日

イレギュラーな出来事に弱いこと

普段、症状らしい症状は見えない(と本人は思う。)。

けども、イレギュラーな出来事には弱く、
イレギュラーな出来事が起こるとアタマがカクカクして
回らなくなることがある(ただしケースバイケース)。

仕事中、普段はサクサク進むことが多いのだけど、
仕事内容なので具体的なことは書けないのだけど、
ちょっとしたイレギュラーなことが起こり、固まって
しまった。

本当にパソコンがイレギュラーな出来事に弱いのと
瓜二つである。

なんとなく、こういうことについてこう思う。

健常者のアタマは堅牢に出来ている。何か小さな
イレギュラーな出来事が起こっても、神経の迂回
ルートみたいなのが作用して、問題は表面化しない
のではないだろうか?

でも、急性精神病状態などの、大きなトラブル、
PCでいえばクラッシュみたいなもの、が起こって
しまうと、神経の迂回ルートのいくつかが使えなく
なってしまい、堅牢性が低下するのではないか?
と思うのだ。

PCのOSにほころびが出てきて、だんだん不具合
が出てくるのとどこか似ている。ただアタマの場合
は神経修復機能も整っていると思う。

遺伝的素質などによって、神経の堅牢性の個体差
は大きいと思う。後天的なことによっても、堅牢性
が増して行ったり、低下していったりみたいな変化
はあると思う。

堅牢性の増加の伸びしろみたいなのにも遺伝的
素質は絡み、もともと素質の低い人が頑張って
みても、訓練しだいで粘土のようにいかようにも
なるという訳にはいかないような気がする。

まあ、私みたいなひとがこういうことを語っても
仕方がないのであるけれど、ある当事者の遺伝観
みたいな感じで読んでもらえればいい。

遺伝的素因には文化差、地域差みたいなのも
あるのではないだろうか?単純に厳冬期のストレス
に繰り返しさらされる地域と、温暖でそういう因子が
ない地域だと何かが条件が変わり、それに体のほう
も対応してしまうのではなかろうか。

まあ、そのへんのところももっと人間のことがよく
わかってこないとわからないのかもしれない。
調べれば何か資料は見つかるかもしれないけど、
私は読んだことがない。

2013年10月28日月曜日

精神病と疎外

精神病と疎外というのは深く関わっていると思う。
私自身に強い疎外感を感じているというわけではないが、
あからさまに疎外されている人、周囲は疎外している
つもりはなくても、本人は主観的には疎外されていると
思っているような人、そしてそのような状況。
そういう状況に遭遇するたびに、強く心は痛み、
なんとかならないのだろうかと思ってしまう。

周囲の全員でなくともいい、ほんの少数でいいから、
そういう状況に早めに気がつき、手を差し伸べること
ができればいいのにと思う。

そして、ささやかであれ、自分では何かできることは
ないか?未然に悪い結果を防ぐことはできないか?
と思ってしまう。

私はかつて疎外されたと思っていた時期があるから、
そういう痛みには敏感である。今は、保護的な環境
に救われ、私自身は落ち着いている。

ちょっとした想像力と、ちょっとした勇気。
そういうものが社会に、あるいは共同体ごとに
あれば、ならなくてもいい悲劇は未然に防がれる
と思われる。

2013年10月20日日曜日

珍しく、自分の文章の広告です。

おそい紹介なのですが、今期発売の『シナプスの笑いVol.21』に
病気になる前から、病気になった後の私の生活史についての体験談
を結構まとまった量書きました。以下のリンクに私による簡単な
解説文も載っています。どうぞ、リンクを押していただいて、
判断の上で、一人でも、二人でも買っていただける方は
買ってください。よろしくお願いいたします。

P.S 自分で書くのもなんですが、結構数奇な人生です。

そして、体験記なので、岩井雄次という本名のほうで
書いています。
http://www.lagunapublishing.co.jp/books/synapse21.html



2013年10月18日金曜日

鏡としての人物像

他人というのは自分というものの鏡みたいなものである
らしい。いわば、他人というものがスクリーンになり、自分
の像みたいなのが裏返しとして、他人の上に投影される
ようなものらしい。

私は長いこと、自分のことを、細かいことに至るまで、
書き過ぎる位書いてきた。

そして、読む人にとっては、相違点と共通点を通して、
裏返しとしての読み手自身というものを考える手がかり
になれば、とちょっとだけ思いながら書き続けてきた。

理想を言えば、ロールシャッハテストか、占い師の
使う水晶球のように、それを覗きこむことによって、
その中にいろんなものが見えてくることを望んでいた。

不定形であり、年齢によって、その時の気分によって
いろいろなものが見えてくるような感じのもの。
多分そこまでのものにはほど遠いとは思うけど。

文章を読むというのは他人との対話であり、一種のあわせ
鏡であり、しっかり読みさえすれば、読みの空間は結構な
拡がりをもつものだと思う。まあ、それだけの読むに値する
何かに恵まれればの話だけど。

そこを考えると、世間では沢山本は出ているけども、
一冊一冊はそこまで読み込まれていないのではないかと
危惧してしまう。本が多すぎるためかもしれないけれど、
本当はいろんなものが詰め込められ、ゆえに取り出せる
はずの本がそれほど精読されていない。単にひと時、楽しん
だり、情報を手に入れるために読まれているような気がして
ならない。脇道に入ったので戻ろう。

他人の文章を読むことによって、他人の人物像が浮かび
あがり、そして、他人の生きている世界も垣間見えてくる。
そして、それは裏返しとして、自分を見ることでもあり、
自分の住んでいる世界を見ることでもある。

そして、それは読み手にもまた、何らかの表現を勧める
文章になるのかもしれない。自分を書き、自分の世界を
書く。必ずしも、それは直接のものとは限らなくて、風景
を描いたり、自分ではない主人公の物語を描いたとして
も間接的には自分の世界を描いているのだと思う。何に
しろ、自分から出てくるものであるから。

自分を表現するということが原点であり、終着点でもある
ように思うこともある。家庭を作りながら、仕事を成しながら、
別の角度から見るとそれは自己表現であると思う。そういう
意識は当事者にはないかもしれないけど、そういう行いを
通して、この世界の中にその人の活躍する舞台を作っている
のだと思う。そして、その舞台は別に家庭でなくても、病院
のベッドの上でもいいのだと思う。とにかくその人が何らか
の意味でこの世界にいる限り、表現しているとも思う。

今日の文章も抽象的になってしまった。経験が足りていない
からどうしてもそうなってしまう。乏しい経験の中で、ものだけ
はあれこれ考えている、その大部分は受け売りだったとしても。
そんな感じが一筆書きで書いてみた自己像だと思う。

2013年10月17日木曜日

テレビの世界

私はテレビの世界が抜けている。
だから逆にテレビの世界を意識する。
テレビの世界って何?とおっしゃる方もいるかも
しれないけど、テレビ視聴者はテレビの世界みたい
なものを持っていらっしゃると思う。

私はテレビを見ない生活が長いので、頭の中から
テレビの番組表が抜けている。

せいぜいあるのは金曜土曜のBS11のアニメの時間と
日曜夕方の笑点以下三番組の時間帯くらいだ。
ちなみに笑点以下は別にみているわけでなく、脇で
映っていたりして、「ああ、もう週末も終わりだなあ。」
みたいな気分に浸る時間なのだ。それはいいとして、
テレビ見ないので、テレビに出てくる人物事典も
頭の中から抜けている。

私はテレビ見ないけど、隣の部屋は母が、そして
自分の部屋で兄がテレビを視聴している。ずーっと
見ている。大体毎週同じ番組を見ている。
だからなんとなく、その番組の雰囲気くらいは入って
くる。

それはそうとテレビの世界、だった。

前、働いていた職場の中に中卒の女の人がいた。
その人はテレビを集中して長時間みるタイプの人
だったらしい。私がいろいろ話をすると、
「それテレビで出てましたよ。」というのがパターン
だった。悔しいくらいに。大体どんな話題してみて
も、「テレビで出てましたよ。」だった。
それで思ったのだけど、どうやらテレビは今の世
の中で知るに値することは網羅されるように放送
されているらしい、ということだった。たとえ、それ
が分かりやすいように編集された、ある意味表面
的なものだったとしてもすごいことだと思った。

その人に限らず、今の人は大体において豊かな
情報を持っていると思う。「へーこんなことも知って
いるのか?」と内心驚くことが多い。

テレビの原体験。昔、何かで見たのだけど、
大昔、どこか山深い地方で、テレビが初めて
放映されるようになって、家族で、東京の音楽会を
視聴しているという映像があった。それまでは旅行
に出た人しか見ることのできなかった光景をお茶
の間でみることができる。それは原初的なテレビ
の意味みたいなものを感じさせて、印象に残った。

それは確かに直接的な体験経験ではないかも
しれないけれど、大部分の人が、一生行かないかも
しれない地域についての映像的なイメージや、
一生会えないかもしれない人の映像的なイメージを
思い浮かべられることはすごいことだと思う。
そして、そういうのが前提になって、結構いろんな
人がfacebookなどではそこそこの写真をupしている。
知らないうちにセンスを鍛えられているのかもしれない。

私がテレビの世界を一番感じるのは、友人、知人同士が
テレビの会話をしているときだ。私は全然ついていけない
けど、その時が一番テレビの世界というものがあるという
ことを感じる。テレビを通して、いろんな人を知り、その
人についての印象をもち、それらがまた、世間の人、
身近な人についての印象へ影響したりする。

奥行のあるテレビの世界。おまけにテレビの世界には
歴史があり、年長者は年少者に、生まれる前のテレビの
世界の風景を語ったりする。

一人ひとり微妙に違う、テレビの世界。ちょっと意識化
したりして、自分にとってのテレビ、あるいは自分だけの
テレビという視点で皆、何か書けばいいのにとつくづく
思う。

P・S えぴさん、アンタ自身はどうなんだ?特別なのか?
みたいな感想を持つ人もいるかもしれない。確かに読み直す
とちょっと鼻につくような部分もあるような気がする。意外と
本性みたいなのも出てるかもしれないとも思う。
お高く止まっていたとしても、せいぜい井の中の蛙に過ぎない
わけで、そういうところで許してもらいたい。

2013年10月12日土曜日

受け渡されること

見ることによって、ほかの人とか、昔の人が考えたり、
記録したりしたことが自分の中に入ってくる。

そして、なんらかのことを考えたりして、書き出し、
それがまた次の人に渡っていく。

そのことの意味は何なのだろう?
自分のものと思っていることの多くはほかの人が、
きっと昔の偉いひとが思いついたことで、
ある意味、自分の心の中には人類の壮大な歴史
が詰まっている。

それは特に本を読んだからとかそういうわけでも
なく、多くの人に言えると思う。

なぜ、いろんなことを考えることができるのか?
不思議に思ったことはないだろうか。

何世代か遡ってみたときに、それは思いつくの
だろうか?もちろん家族レベルの話だけど。

今の人はけっこう多くの人が、なんらかの意味で
情報を豊かに持っている。

私からみたら「テレビの世界」を持っていると思える
人もいる。

自分にとっての「テレビの世界」って何なのか?
自分固有のテレビの見方、テレビ観はないのか
みたいな形で掘り下げていったら、それぞれの
人は何か大事な記録を残せると私から見たら思う
のだけど、多くの人はそういうことをしていない。
なんだかもったいないような気がする。

それらは情報の海みたいなものである。
地域と時代によって枠付けられたその人によって
選び取られ、解釈された情報の海。

ソシュールの言語学にラングという概念とパロール
という概念がある。

ラングは社会で共有される総体としての言語であり、
パロールは個人によって分有される言語だ。

情報でもほぼ同じことがなりたつ。というか情報を
言語で代表させることもできると思う。

ラングに相当する情報宇宙の片隅に個人によって
切り取られた個人の情報宇宙が存在する。

情報の海とでもしておこう。

自分によって切り取られた情報の海の地誌でも
書いてみるのも有益のような気がする。

それらは書くことによって初めてこの世に存在
したことになる。まず、形を与えられるし、
何かに定着し、伝えることが可能になる。

形を与えられてこそ、その海の奥のほうまで
潜りこむことも可能になると思う。
私はその海の底にどんな魚が隠れているか
その魚を捕まえて魚拓を取りたい。

平素は情報は受け取られるだけで、曖昧模糊
とした状態で放置され、たぶん、表面ちかくを
うろうろすることしかできない。

文書化することによって、書き出したものの
その奥はどうなっているのだろう?といった
疑問がわくようになると思う。

自分が思いついたことでも、そのことの深い
意味、そのことの向こうに隠れている意味は
把握できない。単にその思いついたことを
組み立てたにすぎない。実に表面的にしか
把握していない。

そして、ことによると、組み立てることが、
その人にとっては精一杯なのかもしれない。
そういうわけで、言葉は次の人に託される。

自分が考えた言葉はほかの人によって
違った角度から光を当てられる。

組み立てた言葉は単なるインクの染みみたい
なもので、本人が思っているようには思いを
尽くすことはできない。でも、おかげで違う
ことを考える自由を保障しているのかもしれない。

その言葉からどういう印象を受けるかは
次の人に託されているから。

以上書いたことは別に何ということでもない、
たぶんどこかの本にはきっと書いているような
ことを書いたに過ぎない。特許では容易推考と
いって、前提を与えられていたら、誰でも思いつく
範囲のことをこういう風に言う。
もちろん新規性は認められない。

一応、私を知るという意味では以上書いたこと
も意味あるかもしれないので残しておこう。
私を知ったところでどうといったこともないが。

2013年10月11日金曜日

図書館との付き合いの始めの頃

話したことはないまでも、図書館の「住人」の顔を覚えている
くらいの意味では図書館の主かもしれない。でも、一昔前の
ほうが、より生活に図書館は密着していた。

図書館との出会いの始めはいつごろだろう?

鹿児島県立図書館は子どもの頃には今の鹿児島県立博物館
の建物にあった。

そして、子供たちは「自動的」に児童文化室に案内される仕組み
になっていた。

多分、小学校3年か4年くらいで、星の世界に熱中していた。
家にも1冊か2冊くらいの読み物はもっていたが、なんにせよ
そんなに沢山本が買ってもらえるという家でもなかったし、
また、時代でもなかった。

そういうことから多分、図書館に行き始めたのだろう。
でも、児童文化室の本は不満だった。

子ども臭かったのだった。背伸びしたかった。
そういうわけで、司書の人に頼み込んで、大人の方の
図書室を使わせてもらえるようにしてもらった。

初めて踏み入れた、大人の図書の世界、本の世界。
その日のことは漠然とではあるけど、今も覚えている。

何を読んだかとか詳細なことは覚えていないけれど、
多分、散開星雲とか渦巻星雲、そして球状星団など
が写った大人向けの写真集でも食い入るように眺めて
いたのだろう。

肉眼では写真集のようには星雲は見えず、せいぜい
たばこの煙のようにしか望遠鏡を覗いてみても見えない
というのをしったときが星の世界との縁の切れ目だった。
写真集の星雲の鮮やかな写真は露光時間をたくさん
使った一種の写真のマジックだったのだった。

その頃から、蘭の世界に興味が移り、多分図書館でも
植物図鑑を始め、蘭の図画を繰り返し、繰り返し眺めて
いただろう。主婦が通販のカタログでも眺めるように、
繰り返し、繰り返し。

P.S 大人の図書室で最初に何を読んだか?なんとなく
だけど外国の蝶の図鑑を眺めていたような記憶が微か
にある。モルフォチョウとかトリバネアゲハの類。

今の子供たちはデパートに行けば最初から
アトラスオオカブトである。それがいいのかどうか分から
ない。欲望、願望はすぐ叶ってしまう。見たいけど、
現物がない、だから想像するというステップがない。

2013年10月10日木曜日

注意深く読み、注意深く考え、注意深く書くこと

注意深く読み、注意深く考え、注意深く書くこと

今、一番できていないことだと思う。
できていないだけでなく、その意味すら分かっていない。

ブッダの考えに、正しく見て、正しく考えて、、、
とあるけど、ああゆうのは無理だと思う。
正しいってそもそもどういうことなのか考えれば考えるほど
わからなくなる。常識を効かせてという話なら分かるかも
しれないけれど。

あんまり考え詰めるとそれまで分かっていたと思っていた
ことさえゆらゆらしてくる。だから、考え詰めるのはやめよう。

ひとからものを突き詰めすぎるとよく言われる。
大体、あんまり調子のよくないときに、ものを突き詰める。
無意識がそうさせているのかもしれない。

その日の調子は書いてみないとわからない。
そして、書くことによって、また調子も変わってくる。

一応、お題にまた戻ることにします。

最近の私は、勢いで読み、勢いで考え、勢いで書くという
感じだったからその反省なのです。きっと。

だから、ちょっと立ち止まってみたかったのだと思います。
ちょっと立ち止まって、もう一度眺めてみようみたいな
感じです。

「注意深く読む」という言葉にはその方法を含め、もうちょっと
深い意味やらニュアンスが含まれると思うのですが、私には
せいぜい、立ち止まってもう一度眺めてみるくらいの意味し
か捕まえることができません。

だ、である調の言葉と、ですます調の言葉すら統一できて
いない文章をしばしば書く私です。本人なりには頑張っている
つもりかもしれないけど、まあ、その程度なのです。

もしかしたら、自分に課すハードルの高さ設定自体が間違って
いて、今の自分とはかけ離れた夢みたいな世界をひたすら
追いかけているのかもしれません。

子どもっぽい夢。なんかそういう感じに他人の目には
映るのかなあ、そんな気がします。

「夢」の世界から還ってきて、みなのいる日常の現実に戻る。
そういう時間なのかもしれません。

P・S ちょっと今日は調子もあんまりよくないのか、自分からみても
ひとに伝わらないなあという文章を書いてしまいました。
貴重な時間を奪ってしまってすみません。

「順序を踏んで」たまに、他人対して使う言葉なのですが、今、
自分に語りかける言葉かもしれません。順序を踏んで、今の
自分にふさわしい適切な課題を設定する、はしごは一段づつ
昇ること。そんな感じかな。

2013年10月6日日曜日

自分なりの世界像

いくら本を読んでも総体としての世界のイメージがさっぱりつかめない。
せいぜいなんらかのヒントになるのはgooglemapだったり、古代人の
マクロコスモス、ミクロコスモスという象徴的な世界像だったり、ある
いはフラクタル図形の動画だったりする。

要するになんらかの入れ子状態であって、縮尺は変わっても価値的
には一定というような世界観だ。まかり間違っても総理大臣や
事務次官の魂の重さのほうが一般庶民の魂の重さより重いとは考え
ない立場。たとえ、保険で支払われる金額に違いがあったとしてもね。
そして、それは細胞の仕組みが個体の仕組みより簡略なわけでもな
いし、水素原子を支配している力学が現代行われている政治の力学
よりも簡単だとはいえないのと同じこと。階層は違えど、神秘は神秘
という立場なのね。

それが集約されているのが、平凡な毎日の家庭における日常生活。
退屈な日常などと、作家さんたちは書いて、平凡な生活を軽蔑する
人もいるかもしれないけれど、日常を構成している一つ一つの要素
は一歩踏み込むとどんどん専門的になって、そのうち未知の世界に
つながるわけ。家政科の教科書をめくるとわかることなのだけど。

洗濯と関わる天気でも、洗剤の科学でも、料理における化学反応
でもなんでも。裁縫にも歴史があるし、歯磨きにも起源がある。

たぶん日常生活のほとんどは「利用者」として表面だけを知り、
わずかに「仕事の世界」を通してバックヤードをそれも部分的に
垣間見るだけ、そんな感じがします。

それで、病気した後、よくも悪くも社会から外れて、時間がありあ
る時期があったため、図書館に篭りました。所詮、お書物を通した
単なる情報だとしても、図書館に篭ることで全体像としての世界
みたいなのがイメージできるのではないか?と思って。

放送大学の学習センターでビデオ漬けになった一時期もあります。
記憶力がいいどころか病気の後、なんとなく記憶障害があるような
感じもして、ほとんど記憶に残っていないのですが、まあ無意識下
には痕跡が残っていることでしょう。

博識になって自慢がしたいの?知識を見せびらかしたいの?
と思われる方もいるのかもしれないのですが、あんまりそういう風
な欲はもちません。「アイツと私とではどっちが知識がウエ」かとか、
「アイツには負けたくない」というような情念はわいてこないのです。
どちらかというと一人遊びの世界で、「図書館ゲームの謎」とは
一体何だろう。自分が仮に図書館ゲームと名付けたこのゲーム
の実体とは一体何なのだろう?といったような、自分にとってだ
け意味のあるゲームを一人で設定して、一人で遊んでいるような
感覚です。だから、世間の人は何で私がそんなに一生懸命勉強
している目的がわかりません。勉強して身を立てようとかあんまり
考えないのです。(結果としてカネを生んで、生活がラクになったら
それに越したことはないのですが。)閑話休題。

今は、ぜんぜん実現できていないのですが、雑学的に諸分野のこと
を勉強して、それをあまり整理とか統合とかせずにアタマの中に
ぶち込んで、かけ離れた分野の事物の構成要素を組み替えて何か
創作物ができないかなあと思っています。

食べ物の分野であれ、風俗産業みたいな分野であれ、日本人とい
うのは職人的に一生懸命、仕事に励んでいる人は励んでいて、
いろんな分野で、他の分野に持っていっても役に立ちそうな金言
というものは見つかるものです。

「明日になれば、 今日の非常識は常識になっている」

これはカップラーメンの発明者、日清製粉の創業者
安藤百福という人の言葉なのですが、どの分野に持っていっても
通用する言葉でしょう?

自分なりの世界像というお題だったのですが、あまり説明
できずに終わってしまいました。

2013年10月4日金曜日

夕べの夢 ハコフグ

夕べも夢をみた。

隅田川。実際の隅田川はあまりキレイな川とは言えないかも
しれないが夢の中の隅田川は水質は悪くないようだった。
そして、周囲の景色もなぜだか下町風の風景だった。

隅田川に潜る。あれこれと人工のゴミもあちらこちらの
川底に散らかっているのだけど、水は澄んでいて、
なぜだか海の生き物が泳いでいる。

ハコフグ。プカプカ泳いでいる。茶色いハコフグ。
茶色の縁に白の鱗が自己主張している。
でも心なしか海の生き物のような感じではない。
なんとなく、空の生き物。夢の中だからか水の質感は
なく、川の中なのに空を泳いでいるような感じ。

イソギンチャクかサンゴのような大型の生き物もいる。
どうやら私はそれを見に来たみたいだ。
赤くて、漏斗のような体を幾つも重ねたような先に
黄色く光る触手を伸ばしている。そんなのがいくつも
群れをなして片隅に陣取っている。

川の支流に入る。なぜだか急階段のような下りで
滝のように激しい水流のはずなのだけど、空気の
ゆるやかな流れのような感じで圧迫したりはしない。

見晴しはよく眼下の景色が広がる。でも、私は引き返した。
帰りの途中で川底に防空頭巾と茶色い古ぼけた鞄をいっしょ
にみつけた。どうも時代も微妙に違うらしい。

次の夢に移った。



夢についてもメモ

ハコフグといえば、少年の頃、どうしても釣りたかった
魚だ。魚釣りといっても、昔の子供の遊びみたいな
釣りだった。道具は糸とおもりと針などを港の近くの釣り具
屋さんでお小遣いで買って、鹿児島港まで、徒歩で
そのまま歩いて行く、という形式が多かった。まったく
の素人の楽しみだった。

一人でいくことはあまりなく、近所の友達などと一緒に
いった。「釣り場での仲間」はいなかった。あくまでも
同じ小学校の子が仲間であり、それ以外の人々は
別の世界に属する人、みたいな感覚があった。
ちなみに小学校は一学年2クラスでだいたい顔は知っ
ていた。

魚はクラカケトラギス、ボラ、サヨリ、チヌやらメジナ
の稚魚の類がつれた。あと俗に「キンギョ」とみんな
呼んでいた魚もつれた。ハズレみたいな魚で、ネン
ブツダイの仲間。

稚魚の類を釣る子供の遊びみたいな世界だったけど、
港の浮桟橋の下のほうで悠々と泳いでいるのが
ハコフグだった。子どもの世界では大きな魚で、
釣ろう釣ろうとしてたけど、どうしても釣れなかった。
どうやったら釣れるのか子供の世界ではわからなか
った。

イソギンチャクはついに触手を伸ばしたものは水族館
の中でしか見ることはなかった。子供の頃のイソギンチャク
といえば、直径3cmくらいのもので、干潮のときに見る
ものだった。石垣状の階段みたいな水路のところ
にいる、緑とオレンジのシマシマの生き物だった。
種類は今もって不明。

2013年10月3日木曜日

どうやら充電モードに入ったのかなあ

しばらく前まで、facebookを舞台に書き過ぎていた。
制御不能のハイテンションというところまではいって
いなかったけれど、書きたいことが溢れてくるという
感じで書いていた。

そういうから騒ぎは終息した。今はそんなに着想が
浮かばない。といっても、ちょっとした一時休止かも
しれないが、、、

ああ、書けない。でも、これが正常なのだとも思う。
書く内容が浮かばない。

何度も何度も繰り返す、いつものパターン。
しばらく休息ののち、またまた元気になる。

・・・沈黙・・・

電池切れで、何もかもやる元気がないという
程ではない、日常生活も何不自由なくできるレベル。
ただ単に書く内容が浮かばないだけのこと。

好意的にみれば波の起伏が比較的なだらかな
のだと思う。現在の調子を維持できれば、まあまあ
生活は楽しめるし、年齢からいっても、だんだん年
を食ってきたので病気するエネルギーも落ちてきた
とは最近思っている。

ただ、アタマの中のおもちゃの問題。けっこう異質
な知識みたいなのがアタマの中で同居しているので
たまに化学反応みたいなのを起こして、オモシロイ??
というか奇妙な着想が浮かんでくる。

訂正不能というまでに頑強に信じ込んで問題を
起こすというよりは単に空想で楽しんでいるレベル
である。これもまあ問題はないと思う。

まあ、今日はこのへんで。