はじめての方へ

私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。

P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。

p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。

P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)

P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)


2011年10月30日日曜日

読書会「柄谷行人『隠喩としての建築』を読む。三回目(最終日) 主宰:井原慶一郎(鹿児島大学准教授)。

読書会の感想です。記憶力には自信がなくて、
読書会の後、お酒も少し入ったために、記憶も
あいまいです。記憶に微かに残ったものをたよりに、
それがきっかけになって引き出されたもの
を書いてみます。


私の建築 

みみっちい話かもしれませんが、読書会の感想を書
いたこの文章は私の文章です。
読書会の誠実な議事録みたいなものを書いたほうが、
(万が一検索してくれる人にとっては)よかったのかも
しれませんが、私が主体になって読書会を受けて引き
出されたものを書いています。でも、一方読書会で話題に
なったことも反映されています。
オリジナルのコンテンツに依存しているという意味では
ブログでよくある書評に似ています。

引用なども上手にもちいながら、書評を越えて、オリジナル
としての読みを表現するにはどうすればいいのだろうかと
いう疑問があります。オリジナルの読みの手本として、
たとえば井筒俊彦のデリダの読みみたいなものを考えると、
読むことができるのも天才の特権であって、われわれには
字面をなぞることしかできないのか?なぞるどころか眺める
だけしかできないのかといった絶望的な気分になります。

ただし、読者として天才だけがあるのなら出版なんて
意味ないし、読みにもヘッドに相当する部分と
ロングテールに相当する部分があるのだろうと考える
ことが冷静な態度だと思います。
そこで私は層の厚さの裾野の部分を主に担うこととします。

売ること教えること

私は今までの読書の結果、人物と商品と植物と言葉、
オブジェクトと表現してもいいのですが役者のように
捉えることを学びました。この考え方は主に清水博の
本を読むうちにみについたやり方です。

もともと植物学専攻なのですが、大学院終了後
精神病にかかって、帰郷し、自分の中では
鹿児島で植物学を生かす道はないだろうと早合点
して植物学の学習を中断してしまいました。
ただ、生物学は忘れがたく、生物学の学習の代替の
ような形でことばの学習をはじめました。
有機体としてのことばに関心があったのです。
植物に水をやるような感覚で語学のテープかけたり、
外国語会話を試みたりしました。

不思議な縁で鹿児島大学総合研究博物館の
植物標本室でデータベース入力することになり、
植物標本室という場所を知りました。
うまくいえないのですが、植物標本室が図書館のようにも
百科事典のようにも、百貨店のようにもみえたことがありました。
一点一点の植物標本は百貨店に並ぶ商品のようにも、
図書館の本のようにも見えました。

私のアタマの中では群落の中での植物、
市場の中での商品、アタマの中の知識こういったものが
ごちゃごちゃになって相互交流してました。
たぶんこれは複雑系関係の本を読んだ影響が大きい
です。

命がけの飛躍

複雑な世界はコントロールできないような気がします。
人が作ったものにもかかわらず、都市もインターネットも
コントロールを越えた生態系のようなものです。

ただし、プレイヤーとしての個人にも選択権があります。
選択を通して複雑な世界の未来に対して
わずかなりといえども意思を伝達することができます。
書き手なら、出版するという選択を通して。
読み手なら購買するという選択を通して。
購買することは一種の投票であり、票が集まることにより
商品が市場に残ることが可能になります。

複雑系の本の影響なのですが、インターネット上だったり、
街中だったり、雪崩がおきやすい場所というのがあるような
気がします。雪崩というのはアナロジーで、ちょとした刺激
で起こる周りへの影響を雪崩にたとえました。
個々人の行う選択は大部分はロングテールな
変化にかかわり、ローカルなものだったり、
一時期的なものだったりするだろうと思うのですが、
それにもかかわらず雪崩が起きそうな場所はあると思うのです。
鍼灸の用語を借りれば反応点です。単につぶやくと
いった個々人でもできそうな選択であるにもかかわらず、
システムに強い影響を与えるような領域です。
もっとも、システムに影響を与えることはいいか
どうかわかりません。大通りで通り魔殺人
やらかしたら確実に世の中全体が悪くなり、
お住まいのマンションにも不審者がどうたらといった
張り紙が張られるようになるのは知ってのとおりです。

最後に、
隠喩としての建築という表題で私が思い浮かべるのは
建築物の設計図と生き物の設計図のアナロジーです。
昔働いていた桜島ユースホステルでも設計家の人も
こられたので設計の話をしてもらったのですが、
私は片一方で生き物の設計のことをずっと考えていました。
電話交換システムをつくっている方もこられました。
話した内容はほとんど忘れているのですが、
私の肥やしにはなっているような気がします。
プログラマーの方からは「幹と枝葉」の関係に
ついて教えてもらいました。プログラムにおける
幹と枝葉のアナロジーは概念的なものですが、
私は植物標本を通した、種ごとのさまざまな幹と枝葉の
バリエーションに思いをはせました。ただし、
視覚的イメージみたいなものはあったとしても、
それから何かを概念化することまではいたらず、
いつも歯がゆい気分にさせられるのです。

幹と枝葉といえば、精神病が落ち着いたあと、
南島のユタにあこがれた時期があったのです。
精神科のもとに行ったので精神病者になったが、
もしユタのもとにいけて、それなりに修行でも
すればユタになれたのでは、、、と。今にしてみれば、
そういう環境でなくて、ユタという大変困難な職業
になる道を免れてほっとしているところなのですけども。
そういう環境になかったのですが、
理念的ユタみたいなのを模索した時期があるのです。
古代社会のシャマンがさまざまな職業の知識を
総合する中で世界の幹と枝葉にいたったような。
猟師の知識、旅人の知識、植物の知識、、、
古代社会とはいえ、雑多な知識の聞き手を
続けているうちに今と同じで分野横断的に知識は
つながっていったのではないか?
その中でも本質的なものとして幹と枝葉という構造に至ったの
ではないかという私なりの妄想です。
桜島のユースホステルでさまざまな情報を運んでくる
お客様の話を集積化しながら分野横断的に
話がつながっていくのを楽しんでいました。

くだらない話でした。

2011年10月27日木曜日

その人なりの世界

私、人それぞれその人なりの世界あると思うのです。
その人なりの持ち味。そしてそれをうまく表現に乗せ
られることができるとその人なりの表現ができてくる。
家への帰り道、はなうた即興でつくりながら、そう思う
ことが多いです。私のはなうたは、今風でなくて、
どちらかというと田舎くさく、のんびりしてます。
それでいいのだと思います。

ただ、その人だけでは足りないので、ほかの人の経験
にも学ばせてもらっています。
相手が許してくれる範囲で私は相手のライフストーリー
を聞かせてもらうことが多いです。
なぜかというと、私自身、社会経験が貧困で、
相手の話を聞くことによって、疑似体験
しないと経験が足らないような気がするからです。

その人それぞれ、通ってきた道があって、私とは当然
世代も違えば境遇も違います。
その人それぞれ、どこか学ばせてもらう貴重な
経験をしています。
皆、生きていく道すがら覚えてきた生活の知恵
みたいなのがあって、それは参考になるし、
また、自分にもそういう知恵があったんだなあって
再確認するときでもあります。

具体例書かないと抽象論になってしまうのですが、
ではヒントだけ。
ナンパの話です。といっても私べつにナンパしたい
わけではありません。
桜島ユースホステル時代、近くの運動場の工事に
きていたお兄さんと雑談中に話題がなぜかナンパの
話になったのですが、ナンパは数学に似ていると
いうのです。オンナの人に声をかけていって
当然断られるのですが、その場合どう出ればいい
のかみたいなのが数学の場合わけみたいな感じで、
ああ言ったらこういう、こう言ったら
ああゆうという具合に高度にアタマを使うのだそうです。
ナンパといっても窮めていくと奥が広いのでしょうね。
当然私にはそういう才能はありません。
外国語会話が目的の外人ハントはたまにしますけども。

2011年10月26日水曜日

イメージの堆積

たぶんなのですけど、普通にテレビみて、普通に音楽きいたり、
ときどき本を読んでいるだけで、十分イメージは堆積しているの
ではないかと思うのです。試しに鼻歌で、遊びの感じで作曲して
みると結構いけるじゃありませんか?ノートに落書きしてみても
いろんなのがすらすら描ける。それって当り前のことなのでしょうか?
つまらないことなのでしょうか?

必要に迫られて、アウトプットする環境になかったから急には
出てこないだけで、しばらく、アウトプットする努力を続けてみると、
多くの人はそれなりにいろんなものを表現できるのではない
でしょうか?日常いろんなものをインプットしてますから組み合わせ
次第できっと面白いのも出てくるのではないかと思うのです。

アタマの中に浮かんだ単なる記憶を再生して、本の断片でも、
マンガのキャラクターの下手な落書きでも、それを変形して
いったらオリジナルのできあがり。たとえ今すぐには凡庸なもの
しかできなくても、その延長上にはなにかその人なりの世界がある
と思うのです。

考えてみてください。同じ体験をして、同じ番組をみて、
同じ本を読んでみたいな人っていないでしょ。
ある範囲のバリエーションの外に出られないというのなら、
ちょっと毛色の変わったものをインプットしてみてください。
誰も読まない漢文とか、楔形文字のデザインとか、音楽としての
お経とか、、、

誰も読まないものが隠し味になることもあります。
出汁昆布のように。普段検索しないキーワード
を検索するだけで未知の世界が広がってきます。
異次元の出会いもあるかもしれません。

2011年10月25日火曜日

知識の大衆化

知識の入り口はインターネット検索です。とっかかりにあたる
知識を検索で仕入れてあらためて大学図書館とかでじっくり
調べます。本に対するアクセスは制限されてませんが、本はキチンと
読めているのでしょうか?とくに難しい本とかは一人で読むことには
限界があり、読書会とかであーでもないこーでもないといっているう
ちに読むいとぐちがほどけてきたりします。そういった読書会を何回
もこなす経験が背景になってやっと読めるようになってくる種類の本
もあります。

ひとつの言葉の背景にある意味も何層もあり、奥の奥までは窮める
ことができません。たとえば、ひとつのキーワードが本の背表紙にな
っていることも多いじゃありませんか。そういうものの堆積のうえに
文明は成り立っていて、いつの時代もその文明を知り尽くすには一生は
あまりにも短かったのではないでしょうか。

お米のこともなにもしらないし、というかお米こそなにもしらないのです。
しょうゆもパンもなにもかもです。とはいいながら今まで書いたことを
一般人である私が知っているような時代に生きています。とっても複雑な
時代。テレビみてる人ならけっこういろんなこと知っています。断片的な
知識というなかれ。たぶん大衆って蔑視的な表現で名指されているよりは
賢い存在だと思います。テレビに影響されすぎなところはちょっとあるので
すけどね。イメージは十分溜め込んでいるのだけど、うまくそれを表現にま
わす回路がまだできていないのだと思います。

2011年10月24日月曜日

peer pressureと世間 そして道化

peer pressureというのは社会的圧力のことで、日本人が信心深い
わけでもないのに、倫理を守っていることやら、いいたいことが
言えなかったりするのと関係があり、世間と呼ばれる日本人の
社会的小集団のもつ強い属性だと思う。

よけいなことを言ったために、世間から白い眼で見られること
をみんな恐れている。抑圧の時代が長かったために、
メディアという道具を与えられても、なかなか自己表現できない
し、また、そのための表現技術も育っていない。

そんな中で後先考えずに、何か表現してしまう人は変わっている
し、そういう猫に鈴をつけるような人は一種の道化に違いない。
討ち死にしてしまう宿命の突撃部隊なのかもしれず、
そういうおバカな人が失敗をし、恥をかき、白眼視され、
そういう時代を潜り抜けてやっといいたいことがいえる時代が
くるのかもしれない。

P.S 私の感覚は古いのかもしれない。ネットでは十分みな
いいたいこと言っているのではないかと。でも、ネットで発信
するのはマジョリティではない。マジョリティはいまだに
ものを言わない。発信ボタンを押した途端「取り返しの
つかないことをしてしまった。」と思うことは多いし、
rlでは私も結構びくびくしている。

物言えば 唇寒し 秋の風

昔から声を奪われているような気がするのです。
匿名になった途端言いたい放題になるのは
きっとその裏返しです。

方や声が出せない状態、方や声の抑制が効かない
状態。ウエから押さえつけられていて、世間は息苦しく、
圧をシタに解放するような感じで、立場の弱いものに
辛く当たる。

特に誰かを指しているわけではありません。私は小さい
頃から気が弱く、場所が変わっても、同じような役柄の
人にいつも出会ってきたのです。

マスコミから聞こえてくるのもタテマエばかりです。
ホンネとタテマエが矛盾してしまうのは、声が
抑圧されていて、ホンネが言えないからです。

どうしましょう?

勇気をもって、思ったこと、感じたことを
文字にするのも大事だと思います。
失敗はいっぱいあります。
結果として誰かを傷つけてしまうことも
起こるでしょう。

車をぶつけながら、交通規則を覚えている
ような感じです。

でも、文字化することはひとつの土壌になります。
いいたいことがいえる土壌。
きっと風通しはよくなるはずです。

民の声が集まって政治が行われるのが
民主化だとしたら、そのサイクルをつくりだす
ためにも、勇気をもって声を出すことが大事だと
思います。

2011年10月23日日曜日

出来事が消えてしまうことと、出来事が歪んでしまうこと

個人が発信した記録は、幕末に日本を訪れた
外国人の旅行記みたいなものです。
幕末の旅行記がそうであるように、歪んでいます。
ひとそれぞれ、歪んだめがねをかけてますから。
でも、今となっては外国人の書いた旅行記は
貴重な記録になってます。

そこ考えると私のめがねは歪みまくっているので、
世界の記録ではなく、私のような
人間から見た世界の記録なのかもしれないです。

私の目に映った世界にどんな意味があるというのでしょう?
私の目は曇っているとはあんまり自分では思っていないのですが、
正確にものを記述する仕事には向いているとは思いません。
研究者の道に進まなくて正解だったと思います。

正確にものが見えていないかわりに、人の見えてないところが
見えているとしたら、幸いです。まあ、それは幻かもしれないと
自分にいいきかせることも大事なのですけれども。

それに、田舎に住んでいる井の中の蛙であることは
免れ得ないので謙虚に身の程をしることも大切なの
でしょう。全国各地にある百葉箱のひとつみたいな
感じで淡々と心に映った事物を記録していくのが
いいのかもしれません。

むしろ星の数ほどの百葉箱のひとつとして
天の川の中に埋もれていくことを望んでいます。
責任も負わなくていいし、世の中を惑わす
心配もありません。

2011 鹿児島 青木野枝展「ふりそそぐもの」アートトーク&プレオープンパーティ観覧記

言葉とメディアを与えられたから表現することは権利だと思う一方、
表現につきまとう責任がのしかかるのを最近感じているところです。

さてと、青木野枝展「ふりそそくもの」アートトークとプレオープンバー
ティの観覧の感想なのですが、気になったことはが「誠実さ」という
キーワードです。「鉄に対する誠実さ」といってもいいのかもしれません。

鉄は自分を超えた存在で、鉄に誠実に向き合わないといけないとい
うようなことを言っておられました。展覧会の準備、作品の製作、etc、、、
現場はすごい熱だし、忙しいし、まあ大変なのだけど、その世界が好きだ。
その世界に戻りたくなるというようなことも言っておられました。

バーナーの炎と白熱した鉄によって、人間として誰でももっている邪念、
そういった不純なものが炎で飛ばされてしまい浄化される。
話し合いの中でみつけた言葉が私には印象的でした。
そして、そこにまた鉱脈の露頭があるのではないだろうかとも思いました。

野枝さんはアーティストとしてのお仕事で新潟に行かれたり、
瀬戸内に行かれたり、そして鹿児島にやってこられたりします。
単なる想像なのですが、日本列島その他北へいったり、南にいったりしなが
ら、各地で何か拾っていかれるのかもしれません。
少しおおげさな言い方をすると「神秘のかけら」みたいなものを。

太古の昔にこの列島を龍脈にみたててあっちこっち動いた風水師の姿と
少しだぶってみえるのです。地の力の満ちるところに、何か象徴的なもの
をおいていく、そんな感じです。

今の世の中、歴史によってせっかく積み上げてきたものを、
「カネにならないから」あるいは「カネがかかるから」と無残に壊してしまい、
土地の力を弱らせ、魅力のなくなった土地から人が流出していくのを押し
とどめることがなかなかできません。

計量できないものの典型は意味ですが、土地から意味が流出し、
土地に支えられた私たち人間からも意味が流出していく流れです。

今の世の中、自分の担っている意味、自分がこの世に出てこなければ
ならなかった理由をどれだけの人が言葉にできるのでしょう。
逆に神話がかったそういうことにかかずりあわないことが
ニヒルなこの世のトレンドです。

土地にとっての神話、神話という言葉が宗教臭いのなら物語、
自分を支えてくれるストーリーを求めているのかもしれません。
会社の成長物語という夢を共に追っかけていけた世代は幸せだったの
かもしれません。今の人は自前で物語をつくったり、
編集したりしなければならないのが、
苦しみでもあり、楽しみでもあるように見えます。

20世紀という舞台は終わり、21世紀という舞台が幕をあけ、ストーリーの
流れはつかめず、役者は舞台上で右往左往しています。21世紀人、
そういう単語もあるのでしょうが、意味の欄はまだ空白のように思えます。
感想からずいぶん脱線してしまいましたね。

ファスト風土のような、精神的に荒廃した景観に意味を取り戻すことが
アーティストに期待されていることのひとつのようにも思います。
個人レベルでは「自分はどこに向かっているのか」という目的地探しの
ひとつのヒントとしてアートが存在しているようにも見えます。
アートそのものというよりもアートが触媒になって、無意識の底から
引き出される何かです。アーティストにはアーティストの迷宮探索があり、
個々人には個々人の人生の旅があります。メッセージとしてのアートが
扉を開ける秘密の鍵になるのかもしれません。

2011年10月19日水曜日

個人がカフェをもつ時代

夕べの自宅カフェにはコリンさんがきてくれた。
rlでは自宅にカフェを開くとなると何百万かかるかどうかわからないが、
slでは月700円もしくは1500円で実現してしまう。

個人が気軽にブログやホームページでメディア発信するようにな
感覚で、slではカフェを開くことができる。カフェというよりももっと
正確に表現すると自己表現の媒体としての3D空間だ。

slでは建築のような構造物も個人を装う衣装のようなものの拡張
として捉えることができる。そして、衣装も選択して購入するという
やり方とは限らず、自己表現するキャンバスのようなものとして
捉えることも可能だ。

全体としては個人のコンテンツ化を軸に自己表現を中心とした
世の中がくるのではないか?100年前にユングが個性化と呼び、
太古の昔、釈迦が人格の完成と呼んだもの。

人生の究極目的を自分を発見することあるいは、自分が自分に
なることと捉まえると、ソーシャルメディアで展開していることはそ
の流れに沿っているのではないだろうか?

そこには自己愛とか自己中心性みたいな影の面もあったりする
だろう。みんな鏡をみながら自分にうっとりするなって気持ち悪い。
実のところ鏡にうつった自分みながらげんなりするのではないか?
自分、自分と自意識過剰になっていくのもそれはそれで問題である。

集団に埋没して、民衆が民草とよばれ、支配層にだけ光があたり、
支えるほうはたた、ただ忍従するもの。あるいは上にはものがいえ
なくて、下に辛く当たることでストレス発散するみたいな世界よりは
今の世の中はずいぶんと風通しはいいのではないか?

ただし、そういったルサンチマンみたいなものは昇華して、整理して、
ドロドロをサラサラに換えたいものだ。その掃出し口としてパーソナル
メディアが機能してるのかもしれない。ちょうど太古の昔に祭が庶民の
ガス抜きとして機能したみたいに。

2011年10月18日火曜日

鹿児島 前回(2008)の青木野枝展 復習

また、週末にはMizuhoOshiroギャラリーに青木野枝さんがやってくる。

前回の展覧会思い出しながら(といっても記憶はかなり曖昧ながら)
自分にとっての印象みたいなのをまとめてみる。

展覧会の前に、鉄の世界史みたいなのを図書館でおさらいしてみた記憶がある。
ヒッタイトに始まり、たたら製鉄、鉄砲、反射炉、とどちらかというと男による戦争のための媒体として歴史を動かしてきた鉄であるけど、女性からみたら鉄も違う顔をみせるのではないか?みたいな質問をしたような気がする。

鹿児島では古墳時代の墓から鉄ていとよばれる鉄の延べ板が出土している。当時鉄は日本では作ることができず、朝鮮から交易によって入手していて、金と同じように貴重なものだったと習った。鹿児島大学総合研究博物館の企画展の展示で鉄ていの展示をみていたりして、野枝さんの作品の素材である鉄と頭の中で連想がつながっていた。

ほかに当時連想がつながっていた素材にやはり博物館の展示品のストロマトライトの化石とオーストラリアの鉄鉱石がある。ストロマトライトは先カンブリア時代に栄えた藍藻類で、光合成により酸素を出すことで、地球の大気の酸素濃度をガラリと変えてしまった。と同時に海中で酸素を出すことで海水に溶け込んでいた鉄成分を酸化、沈殿させて鉄鉱床をつくった。当時作られた鉄鉱石はオーストラリアより日本に輸入され、私たちの使う鉄の原料となっている。

そんな風な話が自分のアタマの中では結びつきながら、野枝さんの作品眺めていたような気がする。ローカルで変な受け取り方だと思う。おのおのの場所の展示品がノードとなりながらアタマの中で結び合わされる。地域により、個人により受け取り方のコンテクストが違うのだけど、今回は言語化することを覚えた。書き付けたことは残るから、責任重大なのだけど、書き付けないと出来事として残らないという側面もある。同じものみてもひとそれぞれ受け取り方違うし、違ってもいいのだと思う。

パーソナルなメディアがあることで、能動的なみかたができる。批評ぶるつもりはないけれど、自分のことばで、どう受け取ったかを記録化、意識化してみたい。

2011年10月17日月曜日

読書会「柄谷行人『隠喩としての建築』を読む 主宰:井原慶一郎(鹿児島大学准教授)。

読書会の感想なのですが、実は少々強迫観念を抱きながら書いてます。せっかく読書会受けても、感想書かないと出来事自体がなくなってしまうような感じの強迫観念です。でも、一方感想書けば筆の災いをまねくかもしれません。

10月15日 「月の船」という最近できた文学サロンで行われたのですが、ノートとらなかったのですでに記憶もあいまいです。

読書会を通して「何を受け取ったのか」言語化しておきたいのです。

自然言語、自然数、自然都市、、、
人間が作ったものでありながら、out of controlでそれ自身の論理に従って自己生成していきます。
夜のフライトで眼下の都市を見下ろすとき、街路の光の連なりは生き物のようにも見えます。

「コトバ」の生き物性に目覚めるとき、実は逢魔が刻なのかもしれません。事実、私は1993年に「話し方教室」に通っていたのですが、「自己紹介」「他己紹介」の課題をきっかけにして精神病を再発させてしまいました。ふとした弾みに「コトバ」の魔性の部分をみてしまったのです。

メディアに刻印された文字列は単なるインクの塊にすぎないのかもしれませんが、アタマの中に入った文字列は何なのでしょう。身の回りにあるモノは単なる物質の塊ですが、モノを生み出すためのアイデアの生成自体は何なのでしょう。モノに媒介されたアタマの中にある何かが宇宙人みたいにみえてきてオカしくなったのです。「宇宙人は無意識の彼方から侵略してくる」こんな感じでした。

自己生成する複雑なシステムをある種の人工生命と考えれば、片はつくのかもしれません。私はそこに「言霊」のようなものを感じたのでしょう。

プログラミングをする人が、あるいは将棋の神様が思考停止し、引き返す場所です。バベルの図書館のように不可視の論理的宇宙がルールを設定することで生成する、あるいはもともとあるのかもしれません。しかしこの風景にも私たちは慣れ、その先に進もうとしています。

E=MC^2で頭を剃りあげる人もいれば、e^πi +1=0で頭を剃りあげる人もいます。でも、いちいち剃りあげてたらやっていられないので、その世界に慣れていくことをプロの人たちは学んでいくみたいです。

DNAという物質があることで脱神秘化できると信じる人もいれば、DNAという物質が存在することは神秘的なことに違いないと考える人もいます。要するにからくりの存在どっちにも解釈できるのです。以上のことは時計、テレビ、コンピュータで成り立ちます。機械が可能なことにこの世の神秘を感じるわけです。

たぶんそれは三角形の内角の和が二直角だったり、円周角が等しい事実を知ったときの驚きなのかもしれません。つじつまは合うもののどこか割り切れないものを感じるようなニュアンスです。

思えば森羅万象、そのような驚異に満ちてます。でもいちいち驚いていたら生活できないので、鉄が錆びていくように、感性は順応し、退屈な日常空間になっていくのです。新製品、あるいは新発見のつかの間の間、事物のアウラを感じ、そして錆びていきます。日常化し錆びてしまった事物が還元されるときが、成巫のときであり、かつ発病のときでもあるのでしょう。

ちょっとした鍵(ただし妄想あるいはこじつけ)

いつものように図書館で読書していた。 残雪「魂の城 カフカ解読」をめくっていたのだけど、なぜか私にとっては先日の例の「とおくてよくみえない」の入り口付近のビデオアート理解の糸口になりそうな文章に感じた。それは以下の文章。


では城はKに何をせよというのか?「死ね」というのだ。しかし、その死は決して肉体を消滅させる死ではない。肉体を消滅させてしまえば、Kは精神を生み出すことができない。それゆえ城が要求するのは生きながら死を体験せよということなのだ。生きながらということが前提であれば、恥をさらし、面目をつぶし、唾棄され、剥奪され、絶望的にもがき、恥ずべき惨敗を喫するといった一切が必要になる。このめちゃくちゃな世俗の肉体生活こそ、純粋な境地を生み出し、城式の新たなタイプの人格を形成する土壌なのである。城の上空からあのほの暗い白い光が射してきたからこそ世俗の汚辱にまったく新たな意味が与えられたのである。

9P  残雪「魂の城 カフカ解読」

たぶんビデオアートとの直接の関係性はないだろう。でも、上の文章を下敷きにすると、理解不能だったビデオアートに「まったく新たな意味が与えられる」。

受け手の都合でどう読むかはまったく自由である。

「ゴミになり得るアート」。ただし、受け手次第では「ゴミの身にやつしたアート」とも捉えることは可能だ。問題は残る。「ブランド」という枠がなかったらそこまで一生懸命受け取ろうとしただろうかという疑問。街中で「ゴミの身にやつしたアート」で出会っても、作品と出会えるだろうか?

そんなことを考えているうちに何年か前、田中泯の場踊りみた記憶が思い出された。
「ブランド」という枠がなくても、踊りが機能するかを見極めるために、種子島まで、あるいは海外へ行脚されるという話が印象的だった。

ブランディングの構造含めてアートなのか?アートからブランドという枠を分離してもアートとして成り立つのか?アートとは不換紙幣のように皆がアートだと信じているからアートなのか?不換紙幣を支えている構造のように作品の権威を支える構造含めてのアートなのか?わからないことは山ほどだ。

あるいはもしかしたら、一精神病者が成巫する過程と同じなのかもしれない。とりあえず、最初に信じてくれる誰かがいて、少しずつその輪が広がっていくような。最終的にはその循環が一人歩きするにせよ、最初のサイクルを作り出すためには、作品自体に力がなくてはならない。誰かに届くだけの力をもたなければならない。

2011年10月13日木曜日

鹿児島で受け取ること

ちょっとwebの中をお散歩して、「とおくでよくみえない」の紹介をさがしてみた。


たとえば、

高嶺格は、平面や立体、映像作品だけでなく、メディア横断的なインスタレーションやパフォーマンスなど多彩な表現形態で、常にインパクトある作品を発表し続けている作家だ。現代社会における不条理性を製作の糸口に、人間の行為に潜む矛盾や非合理な側面を批評的かつユーモアあふれる作品として提示している。http://www.cinra.net/news/2010/12/23/21412.php


引用ここまで。

たぶん、以上の紹介の文章みて、展覧会見に行ったら全然違う感想をもっただろう。そして、全然違う感想を書くことにあるいはなったかもしれない。

でも、それはよくありがちな読みのひとつのバリエーションかもしれない。鹿児島で読む、あるいは作品を受け取る意味について考えてみたい。たとえば首都圏ならば、身近に作家名や作品についてくわしい人がいて、いろんな集まりの中で自然に耳にはいってきて、受け取り方まで自然に耳に入ってくるに違いない。

評価のプロセス、読みの定型がどんなダイナミズムで出来上がっていくか知らない。ある集まりには力をもった人がいて、その人の読みが集団に模倣されて、あるいは偉い人の読みが歴史の連鎖を作っていって読みが定まっていくのかもしれない。

果たしてその読みは絶対的に正しいのだろうか?正当な評価なのだろうか?歴史の影に、歴史というデータベースの底のほうに世渡りが”拙”だったために埋もれてしまった魂というのも結構いるのではないか?

鹿児島は幸いというか、情報が隔離されている部分もあるので、先入観というのがないのかもしれない。もしかしたら、新しい読みができたり、新しい読みのことばをもつこともできるのかもしれない。

インフォメーションフリーで他者の読みに染まっていない処女地としての鹿児島。

私というかこの地に住む大部分の人は情報から隔離され、東京や京都の集まりに出ていたら当然入ってくる情報が入ってこなかったりして、あるいは集まりの中で交わされる対話に参加できなて、遅れていくことを短所と考えている。だからいつも目が東京や京都に向いていて、そことの繋がりが切れないことを心から望んでいる。そして、時にそことの繋がりを背中にちらつかせて在地の人を見下すことさえある。都落ちした人々に時々見られる型だ。

でも、鹿児島というか薩摩は人吉のある相良とともに日本でもっとも歴史が継続し、その結果、歴史的文献が残っている地域だ。いわばことばの根っこが日本の底の底まで根を下ろしている。そして、南には日本の原型の面影を残した南島が広がっている。そういう大地にささえられたことばは借り物ではない何かをもっているのではないだろうか?

昨日は鹿児島大学中央図書館で、東洋文庫のザビエルの書簡を読んでいた。「大書簡」と呼ばれる日本で最初に書かれた、日本を紹介した文章を読んでいた。たぶん同じ文章をゴッホもシーボルトも読んでいたのかもしれないと思うと胸が熱くなってくる。ここで絶賛されている日本人とはミヤコの人々ではなく、鹿児島の人々だ。庶民がボンズとよばれていた知識人よりも立派だと書かれている部分も興味深い。

こういったことばが歴史を超えて、この地に住む人々のことばを支えていく。自分の祖先は奄美、徳之島の犬田布という集落の出自で両親は戦後に鹿児島に渡ってきた。まあ、私は奄美2世ということになるだろう。鹿児島にある程度根っこは下ろしているけど、西南戦争を我が家の歴史としてはみることはできないような感じの薩摩との距離感はあるかもしれない。

そういった文脈でわたしは作品を読んでいる。作品の背後に作家がいて、作家は来歴を背負っている、受けてのほうも来歴を背負っている。そして作品と受け手は出会い。子供としてのテクストが生み出される。






















2011年10月11日火曜日

ほかの鹿児島人がどう受け止めたのか知りたい

「高嶺格」 「とおくてよくみえない」 「霧島」で検索してみた。
ほとんど感想がみえない。

ほかの鹿児島人はあの作品たちをどう受け止めたのだろう?

「鹿児島エスペラント」はともかくとして、とくに初期の作品について
言語化するのは難しい。

でも県内にも美術に関係した人は星の数ほどいるはずだから、
どう受け止めたのかをみてみたい。

ほんとうに「とおくてよくみえない」のは作り手から見た
受け手の姿かもしれない。

考えてみたら私もいままでいろんなものを受け取ってきたけど
受け取った結果を言語化するのはあまりなかった。

いまどきそこまで作品につきあう人も珍しいのかもしれない。

でもあのときどう受け止めたかというのは自分にとっても
貴重な記録である。そのとき言語化しなければ、印象は
忘却に消えてしまうだろう。

それにたとえ拙いことばであっても、言語化された言葉を
手がかりにして、理解していく他者という存在もいるだろう。
地域や時代それぞれの「読み」は集団的な作業なのかもしれない。

2011年10月8日土曜日

まとまらないメモ(つづき)

あたりまえの話かもしれないけども
映像作品について
こういう風に受け取ってほしいというメッセージは
一切なかった。
受け手主体でどう受け取ってもいいんだ。
どう受け取ると一番オモシロイのだろう。
今度はこっちにボールが受け渡される。
先回りして考えると
観客が受け取って返したボールを
表現者が受け取ってきた
その歴史の繰り返しなのだろう。
そして、そのゲームに気がついた人が、
郵便の受取人となる。
メッセージの解読。
映像表現ゲームとして考えると
どんなルールになっているのだろう。
表現とはある種の拷問であり、
自分とのタタカイである。
表現から逃げるか逃げないか。
何にしろ自分にはあんな
表現をする勇気がない。
表現とは自分をハダカにして自分と向き合うことだ
特に光ではなく、カゲになっている部分と、、、
言うは易し、行うは難し


文字、文化、コトバがキーワードになってた。
とおくてよくみえない、
「何が」かが書いていない。
だから受け手主体でうめてみよう。
鹿児島という文脈で見たときに思うのは
見えないのは表現であり、メッセージだ。
ブランドの影に隠れてよくみえない。
あこがれてはいても、そのものをよくみていない。
鹿児島のお茶の間からは
とにかく、画面の向こうはよくみえない。
ブランドの向こうでよくみえない。
でも、向こうからも受け手の姿は
よく見えないのではないか
手紙はちゃんと伝わっているのだろうか?
ブランドではなくメッセージを
ちゃんと受け止めているのだろうか?
自分の伝えたい何かを本当に受け取って
くれる誰かはいるのだろうか?



メディアは人と人を近づけているのだろうか?

2011年10月7日金曜日

鹿児島、霧島アートの森「高嶺格:とおくてよくみえない」初日、まとまらないメモ、まとまらないままに、、、

夕べよみさしの本の中でビデオアートという単語を知った。
うっすらと覚えているナムジュンパイクと いう人の名前も思い出した。
その昔、ビデオ機材をもっていたら、誰にもアーティストへの道が
開けているという時代があったらしい、今でいうセカンドライフに
相当する媒体がビデオだったのか。
ビデオアートの歴史という文脈を知らなかったら、
高嶺格の初期の頃の作品はやはり理解不能
だったろう。でも、情報が隔離されている鹿児島という文脈で
インフォメーションフリーの状態で
暗号解読するという楽しみもまたあるのかもしれない。以下夕べ考えたメモ。



ナザレに帰郷したイエス(のようだと本人がセレモニーで言っていた。)
美術館全体が現代アートだった。
どういう風に受け止めたか。
それぞれの人がアクター。
受け入れる。反発する。理解不能。腹の底では理解不能だけど、
ブランドもあるのだからと お茶を濁す態度。
横浜ではああいうのがインパクトあると面白がられるかもしれないけど、
なんとなく反発心が起こってくるのは保守的な鹿児島の風土に染まっているからなのか?
ああゆうのもありだよねと受け入れるまとまった層もいるのかもしれないけど、
どういうコンテクストで受け入れられているのかよくわからない。
(検索すれば、一瞬だけど、 まだ検索したくない。)
検索して一通りの予備知識仕入れたうえでさも解ったように
反応することだけはやめたい。
なんで鹿児島の土壌からああゆう表現が生まれたのか知りたい。
もしかして、鹿児島の保守的な土壌が、学校での制服強制、禿強制、
管理教育等々、 自由のなかった教育風土だったからこそ、
自由を求めて、表現する自由を求めて、
ああいう過激な表現をするようになったのではなかろうか?

「鹿児島エスペラント」について
リアルの世界とバーチャルの世界をどう統合するかと
考えたときにもっともリアルな表現の
素材として、土臭い土を選び、光の媒体でバーチャルを表現した。
リアルとバーチャルをどう統合するかという話の一つの
答えなのではないかと思った。
理想をはらみながら滅んでいく共通語と、ある種の人格のありかた
とともに滅んでいく地方語。
そして、地方語を担ってきた人たち、
地方語を忘れていく人たちが暗闇の中で佇んでいる。
(初日の会場にいないと意味不明かも。)

また初期の作品に戻って、
映像としてみたとき、確かにインパクトのある映像である。
しかし、そこまで表現するの? という気持ちになり、
そこがある意味の面白さなのかもと思ってしまう。

受け止める、受け止めない。 メッセージが伝わる、伝わらない。
世界的に有名なアーティストということで教育目的で
小学生が引率されてくる。 表現することの責任。

映像としてのインパクトがなければ、歴史の中で残らない。
でも、インパクトがあれば、歴史の中で残ってしまう。「郷土の宝」として存在し続ける。

自分が当事者だったとすると、やはり、影に隠れて、解説しそうだ。
針のむしろの上に座らされた表現者の気持ちが伝わってくる。
表現するという種をまいた結果を刈り取っているのだと思う。
ある意味郷土との対決だし、郷土との対決の向こうにしか
その先はないのだという気も伝わってくる。
郷土との対決としての表現という行為を通して、鹿児島の土壌に
何かを撒いた。その結果はどのように芽を出し、どのように育っていくのだろう。