最初に友達と会ったのはw君だった。今、冷静に考えると薬の副作用は強く、ひとめで精神疾患であるとわかっていたはずである。それでも、彼は何もいわなかった。でも、こちらもコミュニケーションの仕方を忘れていてほとんど何も話せなかった。そういう状態からやや復活しはじめたのは母のすすめで、MBC学園の話し方教室に入ったころだった。
このころ、近くに古いレンタルビデオやさんがあって、寅さんシリーズが全巻そろっていたのだった。全部見て、タンカバイのいくつかを覚えた。寅さんは話術の達人だなと思った。なんで寅さんだったかというと、広島大学での特別講義で鑪幹八郎先生の講義が1回だけあり、ラジカセを持ち込んで、寅さんのテーマを流し、寅さんへの鑪先生の思いを1コマ切々と語るというのがあり、とてもインパクトがあったのだった。臨床心理学の話なぞはひとこともおっしゃらなかった。それもよかった。
MBC学園の先生は小澤達雄先生だった。話とは言葉の絵筆で相手の胸に画を描いていくことであるという話だった。たとえば、釣りの話であれば、釣りの道具の話とか餌の話とか具体的に話していくとわかりやすいという話だった。非常に興味がもてて、発表もあり、だんだん自身がもててきた。2期目も受けたのだけれど、自己紹介と他己紹介の項目で逆に言葉の魔性にはまってしまい、いろいろ偶然も重なって、また入院してしまった。平成4年の2月くらいだったと思う。
MBC学園の先生は小澤達雄先生だった。話とは言葉の絵筆で相手の胸に画を描いていくことであるという話だった。たとえば、釣りの話であれば、釣りの道具の話とか餌の話とか具体的に話していくとわかりやすいという話だった。非常に興味がもてて、発表もあり、だんだん自身がもててきた。2期目も受けたのだけれど、自己紹介と他己紹介の項目で逆に言葉の魔性にはまってしまい、いろいろ偶然も重なって、また入院してしまった。平成4年の2月くらいだったと思う。
この話でひとつ、よい偶然があったとすれば、元号が変わる前後に父方の祖父母があいついで天寿を全うしたことだった。両方ともに90くらい。私が病気になるちょっと前だったことだ。だから、悲しませることはなく、送ることができた。
平成の頭のころはこんな感じだった。あれから三十年。
自分のことしか知らないけれど、似たような話はありふれていると思う。大学院とかで消耗して、会社にはいったり、博士課程に入ったりして、精神疾患になるという話。その中には自分なんかよりもずっと優秀であり、逆に優秀だったり、まじめだったりしたためなるが故に病気になってしまったというケースもあると思う。
私はちょっと勇気を出して、自分をさらした。「民主主義は声を出さないと機能しない」とある方から言われたからだ。「あなたは文章が書ける。だから、自分の体験を書きなさいと。それでこのブログ自体もはじまった。
「病気になった人がいかに生きるべきか?」みたいな大問題は私の人生ひとつなんかでとても何も言えはしないと思う。
自己表現そのものをするきっかけになったのは天文館にあったカフェ・ダールという
自分のことしか知らないけれど、似たような話はありふれていると思う。大学院とかで消耗して、会社にはいったり、博士課程に入ったりして、精神疾患になるという話。その中には自分なんかよりもずっと優秀であり、逆に優秀だったり、まじめだったりしたためなるが故に病気になってしまったというケースもあると思う。
私はちょっと勇気を出して、自分をさらした。「民主主義は声を出さないと機能しない」とある方から言われたからだ。「あなたは文章が書ける。だから、自分の体験を書きなさいと。それでこのブログ自体もはじまった。
「病気になった人がいかに生きるべきか?」みたいな大問題は私の人生ひとつなんかでとても何も言えはしないと思う。
自己表現そのものをするきっかけになったのは天文館にあったカフェ・ダールという
アート系の喫茶店に行き始めたことだった。「アートの扉を開く」というのがこの喫茶店の趣旨であったが、いくつか、画を購入し、何人ものアーティストを鹿児島に呼んでくれてイベントを開き、話をする機会をつくってくれた。そのアーティストの中には田中眠さんも入っている。
セカンドライフでのものづくりが深まるとともに足は遠のいてしまった。でもとても感謝している。ほかにもユング派のセラピストの先生とか感謝すべき人もいるし、ほかにもいろいろ感謝しなければならない人は多い。
考える患者シリーズに取り組んでいる間。中井久夫先生が神戸から寝台列車で鹿児島まで来てくださり、ラグーナ出版を訪問された。そのときの会で私は感きわまったのか号泣してしまった。おつやみたいな場になるかとおもいきや、Nさんが「うけるー」といって、場に笑いがおき、私も立ち直った。社長は「ラグーナの底力だ」と言っていた。
それで平成最後の大晦日。セカンドライフで借りていた土地も今日期限で返すことになる。
セカンドライフでのものづくりが深まるとともに足は遠のいてしまった。でもとても感謝している。ほかにもユング派のセラピストの先生とか感謝すべき人もいるし、ほかにもいろいろ感謝しなければならない人は多い。
考える患者シリーズに取り組んでいる間。中井久夫先生が神戸から寝台列車で鹿児島まで来てくださり、ラグーナ出版を訪問された。そのときの会で私は感きわまったのか号泣してしまった。おつやみたいな場になるかとおもいきや、Nさんが「うけるー」といって、場に笑いがおき、私も立ち直った。社長は「ラグーナの底力だ」と言っていた。
それで平成最後の大晦日。セカンドライフで借りていた土地も今日期限で返すことになる。