あった祖父母の家。家の隣の私道はまだ舗装されてい
なくて、水を含んで黒くなった桜島の火山灰と土の混じっ
たような地面だった。鹿児島駅もすぐ近くであり、海岸線と
呼ばれる貨物線が港沿いにあった時期で、結構遅くまで、
蒸気機関車に牽引された貨物列車が海岸線を通って
いた。70年代の頃かな。
黒い地面に時間があれば汽車の絵を描いて遊ぶ子供
だった。前も書いたけど、広告の裏の白紙があれば、
汽車。マッチの軸があっても汽車。そんな子だった。
以上、幼稚園上がるか上がらない頃の話。
幼稚園の頃、親族が選挙に出るという話で、家族そろって
徳之島に選挙応援に行った。でも、それは大人にとっての話。
子どもの私はまったく関係ないのだけど、徳之島の景色
は心のどこかに焼き付いている。
私たちの家族が泊まり込んだ家は「飼育場」と呼ばれて
いた家で昔、蚕を飼育していた家だったそうだ。もちろん
そんなことは大きくなってから聞いたことだった。
「飼育場」は古ぼけていたけど、今考えてみると雰囲気
ある家だった。茅葺でこそないけれど、昔風の木造平屋の家。
100才ばあさんと呼ばれるおばあさんが住んでいた。
おばあさんは素朴な絵を描くのが好きなひとだった。
クレヨンでソテツに鶴とかそんな画を描いていた。
家の前には大きなガジュマルの木があり、その木ほどは
大きくないけど、ガジュマルの木が防風林になっていて
屋敷全体を覆っていた。母からはガジュマルに近づき
すぎるとハブが出るよと脅されていた。
夜は星降る夜空。あんな夜空はもう見た事ない。もちろん
感受性のほうも純だったためだと思うけど。そして、島の
生活では9時にはみんな寝てしまう。
ハブは見なかった。でも、「毒蛇」はみた。どこかへ行った
帰り道。そのどこかというのもちょっと意味深で、白い
服を着た怖いおばあさんに、連れられて会いにいった
という朧な記憶がある。もしかしたらユタか?と大人に
なって思うのだけど、母は否定しているし、偽記憶かも
しれない。で、その帰り道、サトウキビ畑の間を走って
いる小道の真ん中に赤っぽい色をした綺麗な蛇が
いるのを見た。母に聞くとおしりの所にとげがあって
そこには毒があるというのだけど(そんな毒蛇いるわけ
がない)、何という蛇だったのだろう。コブラ科のハイ
という蛇、それから無毒のアカマタという蛇いろいろ
考えているのだけど、なにせ幼児のときの記憶で
朧な記憶なのでどうしようもない。
海。最高の海。潮だまりの釣り。
親戚の人に連れられ、家族のみんなで海に遊びに
いった。といっても外海は危険なので、サンゴ礁の
潮だまりに釣りにいった。
いった。といっても外海は危険なので、サンゴ礁の
潮だまりに釣りにいった。
竿はそこらへんのササを切って。そして、エサは
サンゴ礁にうようよといるヤドカリの尾をちぎって。
大人になって知ったのだけど、「飼育場」の近く
の海はメランジェ海岸と呼ばれている特殊な
地形だった。
潮だまりは大きいのや小さいのがあって、
大きい潮だまりで釣った魚を小さい潮だまりに
逃がしてやって、あとでまた手づかみするのだ
った。
満潮の時には潮だまりは海面下になり、魚が
入ってきて、干潮になると、外海と切り離される。
天然のいけすになるのだった。
潮だまりの中にはチョウチョウウオの類、
スズメダイ、そしてメジナやクロダイの稚魚
などがいて、子供にとって手頃な大きさだった。
もちろんサンゴ礁なのでサンゴやガンガゼなどの
ウニ、クモヒトデ、イソギンチャクの類もいた。
母が小さなタコを採ってきた。そして、小さな
潮だまりにそれを放した。足をぷきゅん、ぷきゅん
と縮めたり伸びたりさせながら泳いでた。
それを私が手づかみすると、吸盤で指の間に
からみついた。その感触がまた面白かった。
0 件のコメント:
コメントを投稿