はじめての方へ

私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。

P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。

p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。

P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)

P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)


2012年3月31日土曜日

お互いに資料集を見せ合う光景

ずいぶん前に書いた文章で近未来の出会いの光景をイメージしてみた
ものがあった。
お互いの背中にジョジョのスタンドのごとく、アバターがちらつくという
光景だ。
http://epimbi-madrigal.blogspot.jp/2011/01/blog-post.html

そのイメージに追加して、出会ったときにお互いの資料集の
ファイルを見せ合うシーンについて書きたい。


漫画なんかそうだけど、昔は受け手専門だった人たちにも
技術は漏れ出してきて、大衆化は進み、制作らしきことする
人も多くなった。

しかし、一人だけではグルグル同じところを回ってしまって
あるところから先にはなかなか抜けられない。
そこで具体的に何かアウトプットすると他人と情報を共有できたり
フィードバックうけやすくなる。親鳥が卵をつつくとひなが
卵を割って外界に出られるような感じで断片的な感想でも
それまでの殻を打ち破ってくれる触媒になることはおおいにありうる。

そんなことを今日は友達とお互いしゃべっていた。
友達O氏はこんなこと言っていた。

「野球の話とか世間での雑談はその時は楽しいかもしれない
けれど、その場かぎりで消えてしまう。
おまけにお互い高めあうこともなく、まったくの気晴らしだ。
そういうのは僕は満足できない。

世界観を何かもっている同志がお互いの根源に
触れる何かを探り当てようとする共同作業のような
対話がしたい。」

そういいながら資料を見せてくれた。TRPGの資料。
民族資料の写真などをヒントに漫画絵に翻案した
自作の色鉛筆の画像。うまくかけてる。

友達などに書いてもらったTRPGのキャラクター設定表。
そういうので設定を組み立てながら、最終的に
小説の形でアウトプットする。県図書で次回発表する
資料なども見せてもらった。

見せてもらうだけでは芸がないので私もファイルをもって
きた。セカンドライフで作った初期の頃の作品集。
youtubeで採って来たエヴァのカオルの画像を五段活用
して原型とどめぬくらい料理してつくった新しい画像。
同じようなやり方でアフリカの仮面も五段活用してみた。
キュー植物園の画像を素材につかったもの、画塾で
最近つくったイラストレーターでのものや手書きのもの。


具体的にプレゼン用の資料をつくり、たまたま出会った
機会を生かすようにすれば、今の状態より前に進める
感じがなんとなくした。ブログなども仮想上での拠点と
して使えるかもしれない。拠点とはゲームで例えれば
城のようなもの。

店を拠点とする人もいるし、車を拠点とする人もいる。
パソコンで動く博物館をする人もいれば、ケータイで
似たようなことする人もいる。スーツケースひとつだって
城になるかもしれない。

「具体的に動く」という意味が自分なりに少し分かった
ような感じのした日だった。卵と鶏のサイクルをまわし
ながらそれが十分大きくなった人たちが世の中に
出ている人なのかなあと勝手に思う。

机に並べた本 (何の机かは秘密)

植物の生存戦略
「じっとしている知恵に学ぶ」

選んだわけ ちょっとしたバイオミメーシス
植物に生き方を学びたいという気持ちは
学生の頃から持ち続けている。


達人が採った鉄道黄金時代
九州を走った汽車・電車

選んだわけ わからなくなったら原点に戻ること
にしている。私の場合は幼稚園頃の汽車の趣味。
媒体さえあれば、汽車のイメージで全てを満たしていた。


驚くべき学びの世界
レッジョ・エミリアの幼児教育

選んだわけ 自由帳の世界は先日書いた
子供は自由だと思う。自分もそうだった。
大人になるに従って想像力は不自由になった。


キャンパスに咲く花
阪大吹田編
阪大豊中編

先日ツバメ文庫の帰りにサポートネットラグーナの
森越先生が植物に興味をもってるとのこと、
雑草の名前が分かる本探してるとのことを聞き、
探してみた本。写真がいいと思う。

グレートヒマラヤ花図巻
世界チョウ図鑑
日本の海水魚

選んだわけ 先日から小難しいことばっかり
考えすぎてちょっと調子崩しそうだったので
今日はあんまり考えないですむもの中心に
並べている。子供の頃は図鑑少年で時分時分で
興味あったものを並べてみた


映像クリエイターのためのグラフィックバイブル
CG&映像 しくみ事典

選んだわけ CGは覚えること多すぎて覚えきれないので
よく眺めている。永遠に正統な存在にはなれぬと思いながら


完全版 サンダーバード全記録集2

選んだわけ SLでものづくりするのに何かヒントになりそうな
ものがいっぱい詰まっている。rlのものづくりと比べて
バーチャルはつくづく楽だと思う。作っているものにもよるけども


賢治と鉱物
文型のための鉱物学入門

選んだわけ 結晶をスケッチしてSLでヒントになにかつくり
たかった。そのままはではできないので単純化してつくってみる
つもり。


熱河生物郡化石図譜
羽毛恐竜の時代

選んだわけ 鹿児島県文化センターで昔おこなわれていた
解説委員による説明に一番たくさん足を運んだうちの一人
だと思う。小学校3年の頃。時はめぐり何の因果か大塚先生
から化石展示の始まりの裏話を一杯聞かせてもらう機会に
めぐまれた。惜しいことにメモしてなかった。メモつける癖さえ
あれば、私の人生もずいぶん今とはちがっているかも。
当時を思い出すために眺めてみた

ダイナミック地球図鑑
天文

選んだわけ 同じく鹿児島県文化センターのプラネタリウムにも
一番熱心にあしげく通った。昔はもっていた歴代のパンフレット
類や特別にいただいた内部用の資料も時の流れの中で失われた。
アポロの時代はあんまり覚えていないけど、バイキングの火星探査
の頃はリアルタイムで文化センターの展示とかみていた。
あの頃がなつかしい。時はめぐり、放送大学学習センターの
面談室で西尾先生から天文の話をいろいろお聞きするのが
最近の愉しみのひとつだ。天文にはまっていたあの頃を思い出す
ために眺めてみた。

ある日のメモ


「そこ」に至る感じ

すべてのピッチが収まっていく感じ

歩るく人とすれちがうタイミングも

ケータイの音やせきばらい

木々のざわめき

世の中の全てが時計仕かけのように

心臓の鼓動と同期していく


そこに至れば人間の根源の欲望がどの
あたりにあるか分かる

全てを失ってもいい、人生を放擲してもいい
と思い、実際に失ってしまう快楽

また、去ってしまった

あんまり心配しなくてもいい

もう何べんも通り過ぎていったから
そういったたぐいのシーン

春先き、空気の澄んだ日に
対岸の街の灯が霧の中から
うっすら届く、そんな感じ


透明なる心の状態を得たい
他のほとんどのものについては妥協

2012年3月29日木曜日

出発点としての自由帳

SLでものづくりするにしろ、
文章書くにしろ、
出発点は自由帳だ。

わからなくなったときは
そこに帰ることにしている。

白い空間がある。
子供なら色鉛筆とかどこからか
持ち出してきて、勝手に好きなものを
描き始める。

そこには「何のために表現するのか?」という
自問自答はない。

とにかく目的もなく描き溜めていくと
それ自身が目的を定めてくれるに違いない。

生活の中でいちいち立ち止まって
「何のために生きているのだろう?」
と毎日自問自答しているだろうか。
自問自答以前にこの世界に投げ出されている。

そのようにして表現の世界にも投げ出されている。

航海日誌としてのブログ。
さまよえるオランダ人の航路の軌跡が
記録されている。

ある日は言葉に酔っての暴走運転
ある日は曇った気分の下で無理しながら
何かを書きつけている。

あさがおの観察日記のように
ひとりの人間の自然史ができあがる。

ちっぽけな世界の中でいろんなことを考える。
ちっぽけな人間の中にだっておおきな世界は存在することは
きっと可能なことに違いない。

その可動域を表現の中で確かめているに違いない。

2012年3月27日火曜日

回復患者としての立ち位置

私は病気っぽいものをつくることに興味を感じない。
なぜなら私は回復患者であって慢性患者ではないからだ。
現在病気は回復しており、たまに小さな波はあるけれど、
とくに妄想を抱えているわけでもなさそうだし、
陽性症状を抱えているわけでもないからだ。

気分の波は穏やかな範囲のものがあって、
気分の高いときにはたくさん書いたり作ったりするし、
気分の低いときには意欲がなくなったりする。

病気の前後で感性はしばらく変わったように思う。
気分の高いときに限定だけど、世間が新鮮に
感じられることや、あらゆるものに関心が向くように
なったこと。それでも、その感覚は当たり前になり、
加齢とともに穏やかなものになっている。

要はそのときそのときで自分が面白いと思った
ようなことを自然体で書いたり作ったりするのが
いいのだと思う。そのほうが内側の世界を忠実に
あらわしていると思う。自分を意識することで
どうしても作為は出てくると思うのだけど、
なるだけ誠実でありたいとも思っている。

病気のときを思い出しながら、病気っぽいものを
作り続けることはしたくない。

そんなことよりも、森が回復していくさまを
静かに記録しつづけたい。
その中でどんな要素が私の場合の個性なのかは
観察する人にゆだねたい。

非定型精神病になるような人って結局どんな人なのか
一生を終わってみて初めて判明すると思う。

最終的に幸せな人生に落ち着くのか
そうでもないのかわからないけど、
とにかく自分の道を探し続けるほかはないと思う。

2012年3月25日日曜日

脳の中の偶然

脳の中で投票みたいなのが行われて
ある判断が形成される。

必然もあるだろうけど、結構これって
偶然も絡んでいるのではなかろうか?

人生の中での必然と偶然について
考えていて、思ったこと。

脳の中で判断が形成されるそのプロセス
ってどんなだろうかと思う。思っても仕方ないこと
だけど。

鍵を握るニューロンとかニューロン組織みたいな
のはその時々あるのだろうか?

たぶん一秒のそのまた何十分の一か何百分の一
かわからないけど、そんな一瞬の時間の間に
大統領予備選にもにた壮大なスケールのドラマが
脳内で繰り広げられるのだ。一つ一つの判断について。

文字を選ぶその一瞬一瞬、まさに今なのだけど、
私の知らない世界、知らない組織、知らない当事者が
動いてひとつの文句を生み出している。

微妙なところで、たくさんの偶然がその選択を支配
しているにちがいない。

アタマの中で何かが思い浮かび、行動が選択されていく。
今日も小さな分岐点をいくつまたいだだろう。

毎日、変わりばえなく過ぎ行くけれども、
目に見えない阿弥陀くじを下へ下へと降りていく。

2012年3月23日金曜日

心の力の育て方 -森というお題で何か書いてみる

今日の「サポートネット・ラグーナ」は心の力の育て方というコマのある
日で、お題は「森」というテーマで画や文章を書くということだった。

で、私は森の画を書いたのだけど、せっかくだから「森」のテーマで
自由作文を書いてみようと思う。

「私の森」

子供のころ深山幽谷ということばを知った。
イメージとしては山深い渓谷の苔むした岸壁に
ミヤマウズラの花が咲いているイメージだ。

霧の深い山の中では
岸壁の苔の上だけでなく、
くすのきの老木の梢にも
フウランやらセッコク、カシノキランなど
かわいらしい着生蘭が借り暮らしをしている。

樹の上のほうばかりみてると
マムシを踏みつけたりするのでご注意を。

クヌギの木の洞には
ミヤマクワガタがたまにいるのだけど、
早起きをしないと捕まえられない。

雨上がりのふっくらとした土の上には
さまざまな色のキノコが並ぶけど
あいにくキノコの名前はあんまり
しらないので私はキノコ狩りを楽しんだ
ことはない。

よく見れば、落ち葉の上も微細な
生態系が広がっている。
粘菌の仲間や、ちっちゃなダニのたぐい。

ベンチがあるので腰を下ろそう。

森は何も外側ばかりにあるのではない。
ことばの森というのもある。
小さいころから溜め込んだ
記憶の中の小さな小人たち。

こころの中にいったいどのくらいの
住人が住んでいるのやら見当も
つかない。

外側にも自然があるのなら
内側にも自然があるはずだ。

おなじ名札をつけていても、
人それぞれの「自動車」「野球選手」「音楽」
「植物」、来歴がぜんぜんちがう。

それぞれ人、それぞれのユニークな
「自動車」「野球選手」「音楽」「植物」
なんだ。

それらは街をつくってる。自動車の街とか
植物の街とか。

それぞれの人、それぞれの世界をもっていて
同じ世界がこれまでもなかったし、
これからもないだろうとは
とっても不思議なことだ。




ミヤマウズラ
http://www.google.co.jp/imgres?start=154&hl=ja&biw=1088&bih=855&gbv=2&tbm=isch&tbnid=P2Ts9PslFB09qM:&imgrefurl=http://watdream.exblog.jp/16215807/&docid=Z0RLJKCceur3FM&imgurl=http://pds.exblog.jp/pds/1/201109/02/56/b0167256_722887.jpg&w=850&h=567&ei=UEBsT-3_N5GJmQWd36S8Bg&zoom=1&iact=hc&vpx=339&vpy=183&dur=79&hovh=183&hovw=275&tx=108&ty=107&sig=106841403728226347626&page=7&tbnh=151&tbnw=204&ndsp=25&ved=1t:429,r:21,s:154

なんでもいいから書いてみる

そのうちに気分が整理されてくる。

書いているうちにだんだんとおちついてくる。
おもったことを、とりとめもなく打ってみる。
こころの中にあるものを外にだしてみる。

こころの底には何が眠っているのだろうか?
静かに観察してみる

気分もいろいろ

つかれたときは
つかれたなりに打ってみる

なにもおもいうかばないときは
そのままで




たまに行う一人カウンセリングですね。
疲れたとき、落ち込んだ時
メモ帳相手によくやるのです。

それで、すっきりして気分がよくなるときも
あれば、さっぱりなときもある。

自己催眠みたいなノリで
神妙な気分になってくるときも、、、


2012年3月22日木曜日

言いたいことを言うこと

声って何だろうとふと思った。
言いたいことを言うこと。

言いたい放題というのとまた違う。
自分が思ったことを書くこと。
別に議論がしたいわけではないし、
弁がたつほうではないから、
ディベートしたらきっと負けてしまうだろう。

それでも、世の中にはこんなこと思っている
人もいるんだと思ってもらえばいいし、
気にいらないのなら無視すればいい。

生活背景それぞれ違うし、
みてきたものも違うのだから、
考え方も違うに決まってる。

そもそもこのブログはじめたのも
あなたは精神病の当事者で文字を書くだけの
能力ももっているのだから、声を伝えてほしい、
声がないと民主主義は機能しないから
とネット上で知り合った方から言われたからだ。

その方の思われたような伝え方になったか
どうかは判然としない。

ただ、自分で学んだことはいろいろある。
最初、公開しただけで随分気分も
動揺したし、最初のころは誰もみてくれなくて
書くモチベーションもあんまり維持できなかった。

でもそのうちに読む人もちらほら
現れて、それは書き続ける意味も
自分に感じさせるには十分だった。

自分でも書いているうちに整理ついてきたし、
書くことを通して、書くことの責任に
ついてほんのちょっとわかった。

ネット上で書きたいことを書くだけなのだけど
勇気もって踏み出せばちょっとだけ見える
景色も変わる。

たぶん得たもののうち一番大きなものは
「私はここにいる」という感覚だろう。
店舗もって通りに看板出す感覚に似てる。
とにかく何かやってたら何か結果がでてくる
というシミュレーションには十分なったのかも。

2012年3月21日水曜日

内向的から外向的へ -私の人格改造

18才から24才くらいまで、私が何をやっていたかといえば
人格改造に違いないです。

大学一年の頃は内向的でした。人にかまってもらってやっと
話ができるような感じ。もちろん女性と話すことばなんてもっていな
かったですね。

大学一年の頃のたまたま生物系のサークルに入ったのだけど、
最初の頃かまってくれた先輩方にはどんなに感謝しても
感謝が足りないということはないでしょう。

鹿児島からよそに出たのは「出エジプト」みたいな感じで
鹿児島で高校までのいじめの人間関係を引きずって
大学に進学したくないという気持ちもありました。

兄弟や親せきのいないまったくの天涯孤独な
環境でゼロから人間関係を築いていきたいという
無謀なことを考えてたのです。

たまたま、サークルに恵まれてそれは成功したのだけど
そうでなかったらどうなったろうと思うとぞっとします。

大学二年まで内向的だったと思うのですが、三年の時に
転機がやってきます。外国旅行です。

春に台湾、夏にシルクロードを旅したのですが、
自分の力で何かそれまでの限界を踏み越えた達成感
みたいなものがありました。また、旅先で生活圏の中
では会えないような人たちに会い刺激を受けました。

旅行から帰ってきて、秋になり大学祭の前後で
宴会芸を覚えました。ただ、鼻元に味付け海苔つけて
「ハイル・ヒットラー」って手あげてやったり、
口の中にトレペたらふく突っ込んで
「エクトプラズム」とかいって口からトレペ吐き出す
くだらない芸です。それが意外とウケたのです。

それからカラオケボックスで「学園天国」「リンダ・リンダ」とか
影で練習してた曲を披露して皆を楽しませることを
覚えました。

ただねぇ、この時代かわいそうなのは芸を離れて
語る言葉をもっていなかったことですね。芸を離れたら
相変わらずの内向的な感じでした。

恋に破れ、カウンセリングの本に出会いました。
「この傷ついたこころを癒してくれる職業があるんだ」
と思ったのですが、独学でカウンセリングのまねごと
みたいな話し方するようになりました。

カウンセリングは知っていても精神医学には無知
だったので青年期は精神病の好発期であることは
しりませんでした。

最終的には当事者として精神医学の深いところを
身をもって体験するわけですが、そのことが
よかったのか、悪かったのか、、、、

2012年3月20日火曜日

気分のなぞ

気分には波があって、その時、その時の気分がある。
非常に日常的なものなのだけど、その割には
気分って何なのか正体がつかめない。

私の場合、気分に若干問題があって、
気分をモニタリングしないといけなかったりする
ので、気分に意識的なのだろう。

気分は見えない。いつもこころになんらかの
気分が貼り付いている。

気分の変化はわかるときが多い。
うれしくなったとかかなしくなったとか。

こころの天気みたいなものなのだろうけど
気象と気候の違いみたいに
人それぞれの気分のありかたがあるのだろう。

飛行機の操縦席みたいに
こころのパラメータをあらわす
計器があったとしたら
どうなんだろう?

案外計器がないことで
平安が保たれているの
かもしれないと思ったりもする。
心のドキドキが目にみえてた
としたらもっとドキドキしちゃう
だろうから。

ランと出会った頃

小学校の頃の思い出、木市に行き始めた頃。

ランとの出会いは家にあった兄弟か誰かの
植物図鑑だった。特に意味もなくめくっていた。
知っている植物はせいぜいアサガオぐらいだった。
小学校一年のころのアサガオの観察でたぶん植物
に興味を持ち始めて、ルコウソウ、ユウガオと覚えて
いった。

近くにマツヲ種苗店という園芸品店があり、育てられ
もしないのにいろいろな種を買っていった。センナリ
ビョウタン、オモチャカボチャ、フウセンカズラ、、、

種はお小遣いで買えるので丁度よかったのかもしれない。

で、また家にあった植物図鑑だけど、めくっているの
繰り返すうちに花の中に複雑な花があるのを知った。
図鑑の後ろのほう。シンビジウム、デンドロビウム、
シプリベジウム。今の図鑑ならパフィオペディラムと
書いてあるのだけど、当時の図鑑にはシプリベジウムと
書いてあった。アツモリソウの類とパフィオがごっちゃに
なっているのだった。植物名ばかりでてきて読みにくくて
すみません。

で、鹿児島では春と秋とに植木市があるのです。いつの頃
からか行くようになりました。最初に父から買ってもらったのは
サギソウの偽球茎とタイリントキソウの偽球茎です。偽球茎と
いうのは球根みたいなものなのですが、ランの場合は偽球茎
と呼びます。

家で早速ミズゴケに入れて栽培しはじめたのですが、
すぐに根腐れを起こしてしまいました。ランを育てる人は
誰でも通る道です。

ちなみにサギソウの花はこんな花です。どのくらい知名度
あるかわかりませんが、、、、
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B5%E3%82%AE%E3%82%BD%E3%82%A6&hl=ja&prmd=imvns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=njJoT7H2EoKemQX5ksmFCQ&sqi=2&ved=0CDYQsAQ&biw=1440&bih=1066

2012年3月19日月曜日

ものとのつきあい 情報とのつきあい

新古書店が街にできたころ、職場の帰りになんとなく立ち寄り、
店内広く物色して、今日の一冊を探し出し、それが習慣になり、
知らない間に本は積もり積もって部屋が倉庫状態になってしまい
ました。

宝くじ買う感覚で本を買っていました。夢を買うというのか、一冊の
本が何かを変えてくれそうな気がしてですね。

宝くじは夢に終わるものですが、本は一冊一冊よくも悪くもたまって
いきます。ただねぇ、頭の中に入った知識を死蔵させてるってよく
思うのですよ。

場に恵まれないと、人も知識も生かされないかもしれませんし、
場は自分の力で探したり、創ったりするべきものかもしれませんよね。

こういうブログも一種の場であって、場を使って文章書いたり、画像
載せたりできます。

孫子が情報を集めるのに千金惜しむなみたいなこと残している
のですが、高校の頃、雑誌「プレジデント」で読んで、大事にしてる
ことです。ただし、話の前提として目的があって情報集めるのが
順序で、目的もなく情報集めても仕方がないと思います。

問題はその目的とやらです。何のためにというのが抜けてるのです。
いえ、いつもそのこと考えているのですが、考えているうちに
頭がこんがらがってくるのです。考えているうちに今日も一日が終わって、
眠る時間になるのの繰り返しなんですね。
よりよく生きたいと思ってはきたのですが、どちらのほうに向いて
歩こうかみたいなところでつまづいてます。どちらから歩いてきて
今どこにいるのか、過去をよく思い出して、自分の方向軸みたいな
ものをわかっていけばいいのかもしれないですね。

自分の歩く方向、そして目的がはっきりしていて、それに従って
自分の持ち物(情報も含めて)が組織されてるのが理想です。
会社を船にたとえるように自分も船にたとえていいのかもしれない
です。とりとめなくなったので、このへんで。

2012年3月18日日曜日

今日の我が家


仮想世界で肉体がもてるのはやはりうれしい。
と同時にブログに貼り付けることで、セカンドライフの
世界に閉じられなくて、ネット上に飛び出すこともできる。

ネット上での日々の生活、それはコンテンツを発信する
ことだ。コンテンツを発信するのを呼吸することや
食べることのように自然な形で行いたい。

コンテンツはその時々の自分の活動の切片みたいなもの。
すべてを通して、もうひとつの自分が魚拓のように
メディアに写し取られる。植物標本でもつくるように
自分の標本を作っているのかもしれない。

リウマチ疲れ

リウマチ疲れという言葉はまだないのだけど、
そのうちできると思います。だから勝手に使います。

リウマチってなんとなく疲れるのです。
ものづくりするときのモチベーションに
大変悪い効果を及ぼします。

なんとなくハンディを背負ってしまうのです。

でも、楽しいときは楽しいので、
何かに没頭することによって
疲れを忘れたり、吹き飛ばしたり
できるのかもしれません。

負荷がかかるという意味では
まんざらでもないのかも。

靴底にちょっとした錘を入れて
ランニングする感覚。

そういう風に考えることにします。

思えば、細かい不満はあるとはいえ、
発病して、激しい症状の収まった後の
約一年の間の陰性症状が出てた時期
に比べれば、今は天国みたいなものです。

あの頃は本も読めなかったし、
友達とどう話してよいのか
話し方を忘れてしまったかのように
何も話せませんでした。
あごの神経がちょっとおかしくて
咀嚼することができず、
母がつくるうどんを丸呑みにして
かぼちゃのスープやらなにやらの
流動食に頼る毎日でした。

移動の自由があって、
食事と眠ること以外にも
楽しみがあるのだから
十分幸せなのでしょう。

リウマチ疲れを少し忘れた
ところでまたものづくりです。
では。

2012年3月17日土曜日

かごしま自由大学 「鹿児島の安心をつくる」

思ったこと

自由の大事さ 私も閉鎖病棟一週間くらい居た経験があるので、
扉に鍵がかかっていることの意味が少しわかる。私の場合、
症状が激しくてすぐに発見されたため、治療はそんなに遅れた
わけではなかった。それと、家族の意思で、症状が少し落ち着いた
時点で退院できた。それまで一週間くらい。奈良で発病したのだ
けど、大阪の姉の家でしばらく療養してました。

その後一回入院して、4か月ぐらい開放病棟にいましたけど、
あとは自由の身です。生活に不満があるとき、いつも退院し
た時点に意識を戻すことにしています。

希望を失わないこと 私は22年にも及ぶ病棟生活って想像も
つきません。でも、発病した時代、家族その他の環境のちょっと
した違いにすぎません。まったく他人事とも思えないのです。
そんな中で希望を失わずに、できることを探した姿勢には
状況は違うけれど少し似たものを感じます。状況の受け入れ方
がちょっと工夫があるのです。私、思うのですが、病気の激しい
神経の症状の中で、単純に神経が損傷を受けただけでなく、
いろいろ不思議な遺伝子のスイッチも入っているのではないか
とも思うのです。症状、そして障碍の代償というか、反対給付
のようなものです。

それに年月が加わり、歴史が積み重ねられ、障碍の
部分と個性の部分が混じり合い始めるのです。

宿命と運命 東瀬戸さんは神様からいただき、変えられない
もの悩んでも仕方がないこと、受け入れるしかないものを
宿命と呼び、選択によって変えていくことのできるものを
運命と呼んでいらっしゃいます。東瀬戸さんのことばでいう
神様からいただいた、素因のようなもののために、
学校時代から生きづらさを感じ
ボタンの掛け違いが積もり積もって職業生活にはいったところ
で私の心ははじけてしまいました。病気は寛解しますが、
素因は残ります。そして、二回の発病で若干生きづらさは
増したような気もします。生活上では見えない障碍も職場環境
の中ではあぶり出しのように出てきます。

基本、すべてを受け入れるしかありません。そして受け入れ方
にも若干の工夫があるように思います。自分の短所に意識の
上での焦点を合わせるのではなく、せっかく持っている長所の
ほうに焦点を合わせるなどです。そして短所を持っている自分
を許してあげることです。

最後に気分の波と自己表現は何かつながっているように
思いました。谷間のときは何も浮かびません。でも穏やかな
感じで気分の高まったときにはすべてのものが鮮やかで
面白く、せっかくそんな気分になれたのだから、ものを書いたり
つくったりすることでエネルギーを発散するのがいいのかなあ
と思ったりします。誰も巻き込みませんしね。

書き散らす、書きなぐる

私、思うのだけど、私の文章はお題はまあ
よしとして、内容は書き散らしだと思う。
踏み込みが足りない。

最終的な製品というよりも、アルファ版の
倉庫みたいな感じがする。

書くべきところにまだ届いていない感じが
濃厚にする。露頭は発見したけど、鉱脈
の中核はまだ発見されていない感じ。

製品版は何かきちんとした形で別に
仕上げたいという野望もないでもない。
でも、それをし始めようとすると
相当苦しまないといけないだろうし、
また、それだけの能力は私には
あるのかなあと思ったりもする。

書きなぐりはその点気楽だ。
気楽だから、どんどん快適に進む。
風の吹くときに限られてはいるけれど。

私のtwitter観

言語観というものがある。語学の先生につくと
よくわかるのだけど、先生によって翻訳を大事に
する先生と会話を大事にする先生といたりする。

日本語の話し方教室などでも、たぶん先生ごとの
言語観ってあると思う。

言語に限らず、メディア全般に似たような考え方
は存在すると思うので、メディアを使って何か
表現する人は一度、自分のメディア観をおさらい
して意識化、できれば言語化するといいと思う。

twitterにはつながりのメンテナンスを主たる目的
として使う人、つぶやきを主体とする人、対話する
人、コンテンツを乗せるひと、広告、、、いろいろ
使い方がある。

140文字の広場だ。ちなみに俳句は5,7,5の17文字
短歌は+14文字で31文字。短歌の4倍強の容量
がある。

日本語では漢字を駆使すること、体言止めなどに
よって文字数を節約することができる。

そんな感じで、140文字の空間を使って結構な
ものを盛り付けることができる。

ただ、私のやりかたの反省なのだけど、盛り付け
すぎると逆に読みにくくなるのではないかという
気もする。緩急自在にしたいところ。

S/N比(情報/ノイズ)をあげることばかり考えて
いたのだけど、そればかりでは書くほうも、
読むほうも疲れてしまう。

ただし、全体をみたときにインパクトがあるかも
しれず、予想もしない方面からのフォローがくる
ときがある。

とりとめもない感じになってきたので、いったん
終了する。また考えてまとめたいと思う。

2012年3月16日金曜日

"欲は美しい”で検索してみたら、、、

あんまり、連投はよくないのだけど、書きたいという意欲を大事に
して、書けるときに書かないとまた書けなくなるので書いてみます。
本当に漁業やっている人たちの感覚。

”欲は美しい”で検索してみたのです。前前回の投稿で欲は醜いと
決め付けてしまったので、、、

そしたら、こんなのがありました。
http://big-bigburger.jugem.jp/?page=1&month=200810
「胃が痛いです」という文章の中に

『醜態ではない。感情があるから美しい。欲は美しい。』

とありました。

考えてみれば欲って人間臭いなあと思います。
人間臭さというよりも生き物らしさといっても
いいのかもしれませんが。

私は演劇の終わりに
役者が一人ずつ挨拶するシーンが好きなのです。
舞台での役割を離れて、役者として挨拶をする
あのシーン。
舞台の中で悪役は必要なのです。
欲は美しいという言葉の中に
世の中を舞台にたとえたときの
欲という役者の大切さを感じます。

こういう気持ちを自分の実人生の中で
どんなときでも持てる人間では
私はありませんが、そういう風に
世の中が成り立っているとしたら、
最後まで投げないで
実人生を歩ききってみよう
という気持ちがわいてくるのを感じます。

虚構は現実の模型かもしれず、
虚構が存在できる世の中って、
全体としてよくできた物語なのかもしれません。

アウトサイダーアートと散文詩

世の中には散文詩というのがあるらしい。
でもあんまし、私はそれを見たり、調べたりしないほうが
いいような気がする。
素心な気持ちで書きたいものを書き付けるのがいいと
思う。せっかく知らないのだから、そのままにしておく
ほうがよさそうだ。でも、もう意識してるから手遅れか。

そういえば、アウトサイダーアートというのはあるけど、
永遠にアウトサイダーアーティストにはなれそうもない。
なぜならその言葉をしっかりともう知っているから。

私にできることは邪念をなるだけ追い払い、
一心不乱に自分のこころの中にあるものを
写し取ることだけ。

人間だから邪念もあるし、欲もある。
所詮醜い人の世の中で
光を求めて這い上がろうとする
魑魅魍魎の一匹に過ぎないのかもしれない。

それも含めて
それはそれとして
淡々とその日その日の自分を
紙に写し取っていく。

美しい存在に憧れる

人って永遠に、美しい存在に憧れるのではないか?
というお題で今日ははじめてみる。

前提として人のもつ欲がある。
欲があるからこそ生きているのだけど、
欲って基本的に醜いものだと思う。

醜いものが美しいものになりたい、手に入れることで美しく
なりたいという歴史のはじめから存在する原罪のような欲。

考えてみれば、美しいものはそこかしこに溢れている。
キラキラした星から、
地上に咲き誇る花まで。

金持ちの気持ちはわからないけど
手に入れても手に入れても
もっと美しいものはこの世のどこかにあるに
違いない。
手に入れたとたんに輝きは消えうせ
指の隙間から美の女神は
零れ落ちる。

ひとにはあまり言えないか。
陳腐な言葉
陳腐な表現
私も美しい存在に憧れる
薄汚い一人にすぎないから。

2012年3月12日月曜日

ひとがいること ー隠れた役割について

社会と生態系を混ぜて考える傾向があるので、
共同体の中の個人と、生態系の中の種を平行に
考えてみることが多い。

大うつのひどい症状にはなったことないものの、
もっと小規模な抑うつでも消えてしまいたいと
思うことはたびたびある。

とはいっても症状はそれほどひどくないので、
具体的に自傷行為に及ぶことは私の場合には
ない。

ひとがいることについて考えてみる。
社会の中で人は役割をもっている。
脳出血でベッドの上の生活だった私の父に
してみても、生きていた、存在していたこと
そのものの中に役割があったと思う。

ひとがいる、ひとがにぎわうことで
街が生きる。街が役割を終えて
人がいなくなり、廃墟となった姿を
イメージしてみる。そこから逆算してみて
今、生きてる街を眺めたとき、
人々が生を営んでいるのを眺めたとき
どんなに街はいとおしくみえることだろう。

ばらばらだった人があつまり、会話が始まり、
少しずつ関係性が深まってくる。会話によって
知らなかった自分の一側面が引き出され、
自分も豊かになり、集まり自体も面白さが
ましてくる。

人の心、それ自体が大きな世界だから、
かけがえがない。替えがきかない。
ひとりひとりの心、本当ならそれぞれを
世界遺産に指定してもおかしくないほどの
貴重なものだと思う。少なくとも、どんな名監督も
小説家も詳細にわたってその人
の生き写しを作り出すことはできない。

平凡な人は消耗品にすぎないなんてとんでもない
発想に違いない。命が作り出せないように
心も作り出せないのだから。

だから、みんなそれぞれの命を、そして心を
大切に扱ってほしいと思う。世界、いや歴史
の上でたった一つの命と心を。

2012年3月10日土曜日

部屋を構成するように

全体を構成してみること
部屋を構成することに似ている。

図書館の喫茶コーナー
椅子があってゴミ箱があって
自販機がある。

0から作ることは難しいから
まずは既存のものを選択して
構成してみる。

0から作るまえに
プリコラージュして
自分を表現してみる。
最初から全部つくろうとすると
プリミティブなのしかできない
かもしれないので

そのうちプリコラージュでは
満足できなくなるかもしれないので
今度は要素に着目して
ゴミ箱を設計してみる

これで一つ創作の階層が落ちた


友達との会話の記録

県図書で友達と会話した。
TRPGの国の設定がテーマだった。

物語を受け手として読むのは楽しいけど
作り手側に立つといろんなこと知らないと
書けないので大変だ。

でも、そんなこと言っていても書けないので
まずは手持ちの材料で書いてみて、全体を
構成して、出来上がったものを観察し、欠けてる
部分を補充する。

以下同じ作業を繰り返し、
卵と鶏がぐるぐる回っているうちに
なかなかいいものも出来上がってくるのでは
ないかと出鱈目述べてみた。

資本の回転みたいなものなのだろうか、
アイスキャンデー自転車で売って
資本を運転してたら、いつの間にやら
丘の上にホテルが建っていたみたいな話。

私もでっち上げられたものをぐるぐると
廻しながら、システムのアップデートを
繰り返してみよう。

犬かきでも鹿児島湾横断できるように、
今いるところから対岸のどこかに
流れ着くかもしれないから。

2012年3月9日金曜日

株価指数やや高め

今日は気分が少し上がったので少し警戒してるところ。
自立訓練施設「サポートネットラグーナ」の金曜の
メニューは「心の力の育て方」で、今日は能勢健三
さんという方を招いて街あるきの話や、当事者から
街はどう見えるのかみたいな話を参加者みんなで
行った。

私はちょっとしゃべりすぎた。それで、今は自重して、
自己モニター中なのだけど、気づいたことがある。

それは躁になるためのガソリンを多量にもっている
らしいことだ。だから集まりでいろいろ発言して調子
に乗るといつも自己モニターの警報がなる。

自分で自分の頭を押さえつけているがゆえに今まで
再発免れてきたと信じてはいるのだけど、これは
単なるオマジナイかもしれない。

ボヤの段階で火を管理すると燃え上がらないで済む
ような気もするのだけどどうだろう。

これは自然な感情に反することなのだけど、
火が管理できると熱を生産的なことに利用する道も
開けてくるのかもしれない。

昨日まで曇りで今日は晴れ、世間ではモクレンの花も
咲いている。気分が上がる舞台装置にふさわしい。

2012年3月8日木曜日

充電と放電

私は書くときにはどんどん書けるけど、書けないときには
書けない。そして、書くサイクルが何かのきっかけで止まった
ときには波が崩れてモードが変わってしまう。

書くためにはゆるやかな躁の波がこないといけないの
かもしれない。エネルギーが切れている状態で無理やり
書くのはしんどい話だ。

いつも思うのだけど、気分っていったい何なのだろう?
意欲といってもいいのだけど。

おいしいものを食べて、ぐっすり眠っていたら
またそのうち気分は戻ってくるのかなあ。

まあ、うわついた気分のもとに訪れるのは
何らかの失敗かもしれないので、
特に鬱という程でもない今が案外
一番いい状態なのかもしれない。

それにしても、ハイテンションな気分を
知っているだけに、なんとなく世間は
灰色にくすんで見える。

2012年3月3日土曜日

言葉を研いでみる

書かないといよいよ書けなくなってしまうので、慣らし運転で書いてみる。
思えば気分の上下によって、書く頻度とか分量とか違うように思う。
気分の上下は睡眠時間とも連動している。
とはいっても、本格的な気分障害というほどの波は最近経験していない。

本格的な鬱はまだ体験したことがない。
躁のほうは宇宙的なものを体験した。
脳が焦げるような香りがした。
香りというわけではないけど、香ばしく焦げるような感覚があった。

躁の後は午前3時ごろに目が覚め、あとどのようにしても眠れなかった。
いつもの不眠の感じとは違って、脳が強制的に覚醒するような感じの不
眠。

しばらく、そんな感じの日々が続き、その後は陰性状態に転じた。

本格的な躁状態の徴は私の場合はこの脳の焦げる感じだ。

運よく、周期的にひどい躁がやってくるというシナリオにはならなかった
ので、イライラのほうも、ラビットサイクルとかも経験していない。

脳が焦げる感じの体験をしたのは全期間で2回ないし、3回くらい。

病歴が20年くらいあって、3回だから、例外的な現象ということになるかと
思う。

自分の記憶では(たいへん怪しいのだが)再発とそのあとの陰性状態の
あとは高原状のゆるやかな躁状態というか気分が若干上向きみたいな
時期が10年以上続き、最近5年くらい若干下向き基調で続いているような
感じがしてます。


言葉を研いでみるという題だったので以上は枕ということで、言葉と病気
との関わりを少し書いてみます。

最近は若干下向きと書いたように、発作的な抑うつとか来ることがあった
ので地元の精神障害者向けの地域支援センターに駆け込んで、相談員
さんのおせわになるのですが、そのたびになぜかほめられるのです。

「ご自分の力でなんとかかんとか精神のバランスをとろうとしておられる
ように見えます」

そんな感じでいわれるのです。相談員さんの話によると、相談にきたのに
何を相談すればいいのか言葉にできない人もいるとのことです。

主治医からも、自分の内部のことについてよくそれだけ言語化できるねぇ
といわれたことがあります。

看護の先生からは「ご自分を研究なさっているのですね」なんてことまで。

研究というご大層なものではないのですが、学生時代生物系だったので、
脳とか基本的に興味があるのです。脳の不具合を通して脳に詳しくなる道
はないものかと思ったこともあります。

脳という研究材料は万人がもっていて、いつでも、どこでも、どんな観点
からでもアプローチできるので、その人なりの脳科学ってありえるのだと
思います。

ただし問題は言語とか社会と同じであまりにも日常的なのでみえない
ことです。日常過ぎて、疑問が起きない、ひっかからないということは
ありそうです。

でも、脳のもうひとつのモード、すなわち病気の世界を体験すると日常の
ことにもひっかかるようになると思うのです。気分とはそもそも何なのだ
ろう?などの疑問です。

話が自慢めいてきて、読むほうも不快な感じになるといけないので話を
戻します。

言葉によって気持ちが整理されたり、分析されたりするのはいいのです
が、抑うつのスイッチを入れるのとも関係があるので、諸刃の刃かもしれ
ません。

「あれこれ深く考えない」ことも大事かと思います。

薬にもなって、毒にもなる言葉の力なのですが、
客観的なよい相談相手などがいると袋小路に陥らないで
済むような気がします。

今日は言葉の慣らし運転で、冗長になりすぎたのでこのへんで。