私が辞めたいと言ったとき、「人を作りたいんだ」と大将はおっしゃった。
大学生を集めて大将と呼ばせているのは小山の大将みたいにそのとき
は見えた。
個性の強い方だったので、今でも顔もどんな服装をしていたかまで思い出がわく。
個性の強い方だったので、今でも顔もどんな服装をしていたかまで思い出がわく。
娘さんがいらっしゃって、その娘さんから「星のお兄さん」と呼ばれていた。
フラムスチードの星図のコピーやら、鹿児島県文化センターのプラネタリウムの
フラムスチードの星図のコピーやら、鹿児島県文化センターのプラネタリウムの
昔のパンフレットのバッグナンバーかなり集めていたのだけど、全部あげてしま
ったような気がする。でも、思い違いかもしれない。
娘さんがパンフレットを捨てなくて、どこかキチンとしたところに寄贈したら、
娘さんがパンフレットを捨てなくて、どこかキチンとしたところに寄贈したら、
結構な資料になっていたようなモノだったかもしれないが、どうなっているのか
わからない。まあ、いい。
今考えてみると大将は確かに人を育てていたと思う。
そこの肉屋で働いていた先輩方は個性があり、魅力的な人が多かった。
就職率もよかったと聞いている。タイトーなどコンピュータ関連のところが
就職先だったらしい。
大将から習ったこと。
かごぬけ詐欺、というのが世の中に存在するらしいことを学んだ。
今、検索してそれはどんなものか初めて知った。
大将から「将来どんな人間になりたい?」と聞かれて、大学一年の私は
大将から「将来どんな人間になりたい?」と聞かれて、大学一年の私は
意味もわからず、「遊び人になりたい」と答えると、大笑いしていた。
大将の奥さんも存在感のある方だった。あるとき、
大将の奥さんも存在感のある方だった。あるとき、
ほかの人は大体何考えているかわかるが、あなただけは腹の底で何を
考えているのやらわからないと言われた。
いつも愛想笑いして、言葉を飲み込むタイプだったから。先輩方は
言いたいことが、言葉や表情に出てきて、すぐわかるらしかった。
私は学校教育時代にいじめを受けていたので、「柳に風、ぬかにくぎ」
みたいな感じで、表面はヘラヘラしていて面従腹背的なところが多かった。
大将は原爆で被災している。
大将は原爆で被災している。
すごく印象的な話をきいたのだが、取り出せない。
やっぱり記憶が残っているうちに書き残すべきは書き残すことだと思う。
ほかにもいろいろあるのだが書けないような話ばかりだ。
P・S 辞めたいという表情は最後まで出さず、辞めると言い出したら聞かなかった。
その後も何度か出会う海千山千のタイプであるが、平手打ちされても、
結局、引き下がらず、辞めることができた。
先輩からは「辞めることはできない」と何度も何度も言われたがそれにも耳を
貸さなかった。
大学一年生の時期に海千山千のタイプの人と遭遇し、対決というよりも、
胸を借りられたのが一番の教育的効果だったろう。
ほかにもいろいろあるのだが書けないような話ばかりだ。
P・S 辞めたいという表情は最後まで出さず、辞めると言い出したら聞かなかった。
その後も何度か出会う海千山千のタイプであるが、平手打ちされても、
結局、引き下がらず、辞めることができた。
先輩からは「辞めることはできない」と何度も何度も言われたがそれにも耳を
貸さなかった。
大学一年生の時期に海千山千のタイプの人と遭遇し、対決というよりも、
胸を借りられたのが一番の教育的効果だったろう。