星の子 見て帰ってくる。役柄の中で、「南隼人」とか「雄三おじさん」とか出てくるけれど、自分と括り付けたい気持ちを抑えて強く無視。患者ってそういう「偶然」をこじつけまくって引き付けて考え、自分に対するシークレット・サインだなんて考えがちであるから。その話はとにかく終わり。
主人公の「ちひろ」はその後の紆余曲折の数奇な運命の果てに777とスロットが揃うような感じで条件が成立し、「幹部」ではなく、「教祖」が歩んでいく道とどことなく雰囲気が似た道を歩んでいく可能性もちらつく。少なくとも想定内の中には入っている。青年期を迎えた「ちひろ」はそんなことにも悩み、ある程度守られた生活ではあっても、一人で考え抜かないといけない場面もあったりするのではないかと思った。難しい数学の問題でも解く感じで。
それでも一つ言えることがあると思った。「あなたがここにいるのは自分の意思とは関係ないのよ」と幹部の女性から言われるけれど、その状況、その状況の下で意識的、無意識的にこれまでも選んできたし、したがってこれからも選べる選択肢はあるのではないかと思った。右のドアに入るか左のドアに入るかみたいな選択肢。ささやかな選択ではあっても。運命も絡み合いながらも選択に次ぐ選択の結果もあって「今、そこにいる」のだと思った。だから自分の意志の力もある程度は反映されていて、したがってそこに責任もかかってくるのではないかと思った。
「ちひろ、世の中を惑わすなよ」などと、与次郎からのバスの中では書こうと思ったけれども、それは余計なお世話様だと思う。それは自分などの手から離れた他者の運命である。そこには何も自分などが言えることはない。
むしろ、他人ではなく、自分に対してこう思った。いろいろな状況の下で、私にも意識、無意識的に選べてきた選択肢があって、将来はわからないにしろ、今のところは「騙す側」でも「騙される側」でもなく、一介の唯の人間として地味ではあったとしても、それなりに自由な人生を傍から見てさえも謳歌しているといえる。
「普通の人」の感覚を系統的に勉強しない限り、普通の感覚がわからないというふうに離れた人だと思うけれども、そこから見える「普通」って何だろう?と思った。一つ角を曲がり損ねただけで、「騙し騙されうる人」。そういう脆弱な基盤の上に立ちつつも、それでも、与えられた役割をその人なりの必死さで生き抜いている、そういう人々(私も含めて)、どう見えるのだろう、と少し思った。
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