「あなただからできること
~“心の病”と生きる出版社~」
http://www.nhk.or.jp/kagoshima/program/kago_spi/2017/07/index.html
母と二人でみました。母はとっても喜んでいました。
大阪と埼玉の姉から電話もかかってきました。「どうだったね?」と。
母のお友達で私もお世話になっているTさんから電話がありました。
「今からの世の中は複雑になっていくから、こういう困りごとは増えるかも。
大事なことだと思うよ。」みたいなことを言っておられました。
その後、幼馴染の「船長さん」からも電話がありました。
「いい味だしてたよ。たぶん、いろいろ伝わったと思うよ。」と。
そんな感じのことを言っていました。
最後に私自身の感想を。
Oくんにも、先日言っていたけれども、
自分は晴れの舞台で立ちたいというよりも、
舞台の袖で見ていて
若い人が活躍していく姿を見届けたい。
そういうことを思っていたので
あのくらいの長さちょうどよかったような気がしました。
栫さんもこの時間、会社で勉強されていて、
私も図書館とか「ここ」で勉強しているので、
切磋琢磨できていいのではないかな、と思いました。
あと、夢ですが、今回編集部の人が目立ってしまいました。
ラグーナ全体が、そしてラグーナだけでなくいろんなところに
光が当てられればいいなと思います。舞台の広さがもっと広くなって
ほしいのです。
若干の勇気と、たぶん、若干の精進もいるかもしれませんが、
とりあえず、露払いみたいな感じで
当事者では栫さん、私、ねこさんが出てみたという感じに
なるのではないかと思いました。
NHKの記者さん、カメラマンの方
どうもありがとうございました。
そして、番組を見てくれた人もありがとうございます。
はじめての方へ
私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。
P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。
p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。
p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。
P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)
P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)
P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)
P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)
2017年7月27日木曜日
明日放送に出るみたいです。
NHKでラグーナ出版の特番が放送されるそうです。
あなただからできること
~“心の病”と生きる出版社~
http://www.nhk.or.jp/kagoshima/program/kago_spi/index.html
リンクページから入れる動画の中に私もちょっとだけ登場します。
あなただからできること
~“心の病”と生きる出版社~
http://www.nhk.or.jp/kagoshima/program/kago_spi/index.html
リンクページから入れる動画の中に私もちょっとだけ登場します。
金曜日は母とみることになりそうです。
2017年7月16日日曜日
大人物
facebookの過去の投稿をしばらく眺めているうちに、自分がもしかしたら
大人物なのではないかという幻想が起こり、あわててまた自分で否定しよう
とする。
これがいつもの蜃気楼である。昔からよくあった。
ニート的な感じで仕事もせず、親のすねを齧り、そのことを恥とも思わないで
図書館にこもったり、一日中、放送大学の学習センターで有名な先生のビデオ
講義を缶詰になって視聴したりする期間が長かった。
柄の悪いことに、ヨーロッパでは資産家は職につかず、好きなことをして暮らす
人もいることやら、中国の陶淵明など隠者の系譜についての豆知識、そういった
こともぶらぶらした生活を後押ししていた。
資産家というよりも、単に時代的に大昔よりやや豊かになり、仕事をしなくても
明日飢えるというわけではないだけである。
キリギリスのような優雅な生活。そういう人は多かろう。この日本では。
何の因果か、今の仕事の環境ではそういう怠惰な時代の遺産が不思議な具合
に活かされている。
ニート的な状態に余儀なくされる、ということは起こりうることで
その空いた時間をどう過ごすかというのは結構大事な話につながっている
ような気がする。働いている人は忙しいからということと、何かひょこっと
チャンスがやってきたときに、その現れた椅子に座れる受け皿にそのときの
自分がなっていることは死活的な重要性を帯びるということかもしれない。
大人物というよりも、単にどこかに拾われたキリギリスという表現のほうが
私にはふさわしいかもしれない。
運が悪かったようでもあるが、運がよかった局面もときどきあって、
おおいにそういう局面に助けられた。
大人物なのではないかという幻想が起こり、あわててまた自分で否定しよう
とする。
これがいつもの蜃気楼である。昔からよくあった。
ニート的な感じで仕事もせず、親のすねを齧り、そのことを恥とも思わないで
図書館にこもったり、一日中、放送大学の学習センターで有名な先生のビデオ
講義を缶詰になって視聴したりする期間が長かった。
柄の悪いことに、ヨーロッパでは資産家は職につかず、好きなことをして暮らす
人もいることやら、中国の陶淵明など隠者の系譜についての豆知識、そういった
こともぶらぶらした生活を後押ししていた。
資産家というよりも、単に時代的に大昔よりやや豊かになり、仕事をしなくても
明日飢えるというわけではないだけである。
キリギリスのような優雅な生活。そういう人は多かろう。この日本では。
何の因果か、今の仕事の環境ではそういう怠惰な時代の遺産が不思議な具合
に活かされている。
ニート的な状態に余儀なくされる、ということは起こりうることで
その空いた時間をどう過ごすかというのは結構大事な話につながっている
ような気がする。働いている人は忙しいからということと、何かひょこっと
チャンスがやってきたときに、その現れた椅子に座れる受け皿にそのときの
自分がなっていることは死活的な重要性を帯びるということかもしれない。
大人物というよりも、単にどこかに拾われたキリギリスという表現のほうが
私にはふさわしいかもしれない。
運が悪かったようでもあるが、運がよかった局面もときどきあって、
おおいにそういう局面に助けられた。
2017年5月28日日曜日
手作りのことば
中井久夫先生にしろ、霜山徳爾先生にしろ、手作りのことばという感じがする。
もちろん、先人はいるわけだけど、何かを手本にして自分のことばを構築したというよりも、いろんな広い分野から「使えるものは何でも使う」形式でことばを集めていた感がする。パイオニアゆえの苦しみだったのか、楽しみだったのか私は知らない。
銅鉄実験というのがある。どこか欧米とかで金でやった実験を今度は銅に変えて、あるいは鉄に変えて同じ形式でやるような手法の実験である。個人的にはあまり好きな感じではないが、そういう地道な作業をする人も必要なことも知っている。
何もないようなところから何か道を拓くような仕事にあこがれるが、時間がかかったり、成果がでなかったりして非効率であるし、どんどん成果を積み上げていく人を横目に見ながら成果が出せないのは本当に苦しい。
おまけに、何か成果が出たと自分で思ったとしても、周囲の人、ましてや世間の人がそれを認めてくれるのはまた別次元の話である。ある程度そういうことをこなすことができるのは政治的なセンスを持っている人なのかもしれない。
それでも、自分なりの手作りのことばを紡ぎ、そういうことばを背景にしてみて画像をつくってみたいという誘惑に駆られてしまっている。
こういうのは道に迷ってしまった人、と世間の人はみなすかもしれない。
もちろん、先人はいるわけだけど、何かを手本にして自分のことばを構築したというよりも、いろんな広い分野から「使えるものは何でも使う」形式でことばを集めていた感がする。パイオニアゆえの苦しみだったのか、楽しみだったのか私は知らない。
銅鉄実験というのがある。どこか欧米とかで金でやった実験を今度は銅に変えて、あるいは鉄に変えて同じ形式でやるような手法の実験である。個人的にはあまり好きな感じではないが、そういう地道な作業をする人も必要なことも知っている。
何もないようなところから何か道を拓くような仕事にあこがれるが、時間がかかったり、成果がでなかったりして非効率であるし、どんどん成果を積み上げていく人を横目に見ながら成果が出せないのは本当に苦しい。
おまけに、何か成果が出たと自分で思ったとしても、周囲の人、ましてや世間の人がそれを認めてくれるのはまた別次元の話である。ある程度そういうことをこなすことができるのは政治的なセンスを持っている人なのかもしれない。
それでも、自分なりの手作りのことばを紡ぎ、そういうことばを背景にしてみて画像をつくってみたいという誘惑に駆られてしまっている。
こういうのは道に迷ってしまった人、と世間の人はみなすかもしれない。
2017年5月3日水曜日
立位体前屈
立位体前屈というのは正式な名称である。私は正式な言い方を知らず、単に前屈と呼んでいた。身体能力測定のひとつの項目である。英語ではanteflexion in standingというらしい。立位体前屈もanteflexion in standingも今、検索で知ったばかりである。
さてと、なんでこんなことをテーマにするかというと、ほかの何でもない、私の一連の「作業」について関連があるからだ。
精神的な意味での前屈をすることによって、その時点でのテスティングができる。ある種の検定である。ただし、点を取ることが目的になり、選抜され、社会的地位の上昇を企てるという意味よりも、実験室などで、生き物相手の測定に似ている。競争と関係することよりも、その時点での正確なデータ取りである。
それはミクロな意味合いでは、私個人にとっての体調管理の一環という意味合いでもあるし、もうちょっとマクロな意味合いでは空間的、時間的、社会的なある種の属性を背負った一個人による、いろいろなことに関する、観察と考察の記録である。ああ、なんと暇な人なのだろう。もっと、肩の力を抜いて自然に行えばいいではないかとも思うし、また時間の経過とともにそんなスタイルに移り行くかもしれない。
とにかくその時々の精一杯のことをやってみる。ただそれだけである。
寺子屋で文字を覚えた江戸時代の農民が、誰かの役に立てればいいのではないかと、経験と先人から教えられた知識により、農作物の育て方、その他いろいろ知っていることを書き付ける。
それによって、後世の私は江戸時代の篤農家の自然の描写に感動を覚える。必要に迫られることによって人は必死になって、その与えられた環境の中で身につけられることを覚える。
今の世の中で、あるいは日本で、鹿児島市で50歳を生きるということはいったいどういうことだろう?
ある人は私の限られた世界の狭さを哀れに思うかもしれない。
ある人は今の日本にもこういう類型の人がまだいることを喜んでくれるかもしれない。
別に外国人に合わせた、古き良き日本の面影を表現しようと試みているわけではない。たぶん、そういうものは観光客向けに作られた伝統的生活のテーマパークみたいなもので、本物ではないので、そこを眼力のある人は見抜くだろう。そこを狙えば自然と邪心が芽生えるだろう。
もっとありのままの何かを写し取りたい。たぶん、ここで何かを書くことは、それ自体、純粋な目的とすべきであって、何かもっと別なことへの手段としないほうが賢明だろうと思う。たぶん、ほどほど食べていけるくらいで生活を維持し、あまり社会的な意味でのスポットライトも当たらず、したがって生活も静かな生活のままに推移して、そのかわり、誰にも邪魔されないような落ち着いた環境の中で、自然に観察し、自然に考察して、何かを書きつけ、表現し、周囲の人や遠くの人に何らかの意味で役立ててもらう。たぶん、そういう形が私にとっても、私の表現にとっても真の幸福であると思われる。
さてと、なんでこんなことをテーマにするかというと、ほかの何でもない、私の一連の「作業」について関連があるからだ。
精神的な意味での前屈をすることによって、その時点でのテスティングができる。ある種の検定である。ただし、点を取ることが目的になり、選抜され、社会的地位の上昇を企てるという意味よりも、実験室などで、生き物相手の測定に似ている。競争と関係することよりも、その時点での正確なデータ取りである。
それはミクロな意味合いでは、私個人にとっての体調管理の一環という意味合いでもあるし、もうちょっとマクロな意味合いでは空間的、時間的、社会的なある種の属性を背負った一個人による、いろいろなことに関する、観察と考察の記録である。ああ、なんと暇な人なのだろう。もっと、肩の力を抜いて自然に行えばいいではないかとも思うし、また時間の経過とともにそんなスタイルに移り行くかもしれない。
とにかくその時々の精一杯のことをやってみる。ただそれだけである。
寺子屋で文字を覚えた江戸時代の農民が、誰かの役に立てればいいのではないかと、経験と先人から教えられた知識により、農作物の育て方、その他いろいろ知っていることを書き付ける。
それによって、後世の私は江戸時代の篤農家の自然の描写に感動を覚える。必要に迫られることによって人は必死になって、その与えられた環境の中で身につけられることを覚える。
今の世の中で、あるいは日本で、鹿児島市で50歳を生きるということはいったいどういうことだろう?
ある人は私の限られた世界の狭さを哀れに思うかもしれない。
ある人は今の日本にもこういう類型の人がまだいることを喜んでくれるかもしれない。
別に外国人に合わせた、古き良き日本の面影を表現しようと試みているわけではない。たぶん、そういうものは観光客向けに作られた伝統的生活のテーマパークみたいなもので、本物ではないので、そこを眼力のある人は見抜くだろう。そこを狙えば自然と邪心が芽生えるだろう。
もっとありのままの何かを写し取りたい。たぶん、ここで何かを書くことは、それ自体、純粋な目的とすべきであって、何かもっと別なことへの手段としないほうが賢明だろうと思う。たぶん、ほどほど食べていけるくらいで生活を維持し、あまり社会的な意味でのスポットライトも当たらず、したがって生活も静かな生活のままに推移して、そのかわり、誰にも邪魔されないような落ち着いた環境の中で、自然に観察し、自然に考察して、何かを書きつけ、表現し、周囲の人や遠くの人に何らかの意味で役立ててもらう。たぶん、そういう形が私にとっても、私の表現にとっても真の幸福であると思われる。
2017年4月29日土曜日
フロイト 「植物学研究所の夢」について
今日の午前中、鹿児島県立図書館の書庫から、
『夢分析入門』鑪幹八郎(たたらみきはちろう)著
を借り出した。
鑪先生の講義は総合講義のとき、一度だけ大講義室で受講した。
そういう先生がいることさえも、広島大学当時知らなかった。
鑪先生は寅さんの大ファンらしく、テープレコーダー持ち込みで、講義で、「男はつらいよ」のテーマソングを流し、臨床心理の話などは一切なく、90分、ひたすら寅さんへの思いを語っていたような記憶がある。それまで、寅さんとか、無理やり連れて行かれる正月映画みたいな負のイメージしか私は持っていなかったのでものすごい印象を講義から受けた。先生が何をしゃべったのか記憶に言葉の断片さえも残っていないけど、とにかく、寅さんという存在は、鑪先生から見るとすごい存在なのである、という圧倒的印象だった。
時は移り、鹿児島へ帰ってきて、寅さん映画を全巻、ビデオショップで順番に借りた。タンカバイの口調や、寅さんの語りに引き込まれた。
『「芸能と差別」の深層―三国連太郎・沖浦和光対談』でまた別の寅さんというか渥美清像を見るのだが、それは後年で別の話である。すっかり脱線してしまったので戻る。
鑪先生の本そのものはあまり読んだことがなかった。だから、ちょっとちら読みすることにした。
『夢分析入門』をめくっていくと、「植物学研究所の夢」という話が出てきた。フロイトの著作集からの引用もあった。孫引きにはなるが、気になる人は著作集を当たってほしい。
「私はある植物に関する研究論文を著した。その本は、私の眼前にある。私は丁度、挿入された彩色のある図版のところをめくる。どの一冊にも、植物標本館からもってきたような、その植物の乾燥標本が綴り込まれている。」(著作集第二巻、一四四頁)
『夢分析入門』では115P
以下も『夢分析入門』からの引用、
次々にあらわれる連想をまとめたのが図7である。
「花の話をした婦人」→「私の妻の好きな花(シクラメン)、(ここでは、花の好きな奥さんに花をちっとも贈らないフロイト自身の反省も記述されていて興味深い)、など。
Epimbiメモ: 上の夢の話は初見であると最初思ったが「シクラメン」の話は何か新書で読み、それが記憶のどこかに残っているくらいの影響は受けたことになる。
たぶん、再発の後の時期であり、かつ植物標本室で働く前だろう。
『シナプスの笑い Vol.21』の「ラベルがべたべた貼られた標本」 というタイトルで書いた私の文章があるのだが、そこではシクラメンの話も影響をほとんど与えなかったと思いうし、フロイトの著作の中に植物標本館とか植物の乾燥標本というキーワードが出てくることは、知らなかったと断言できる。でも、一方で、「狼男の言語標本」というキーワードをたぶん、知っており、『樹をみつめて』の中の植物界の話は読んでいたと思う。そして、『徴候・記憶・外傷』の「世界における索引と徴候」の冒頭のキンモクセイの香りの話は鹿児島大学総合研究博物館、植物標本室で植物標本のラベル情報のデータベース入力をしていた頃、よく鹿大図書館で読んでいたような気がする。ラグーナ出版に入る前である。
この文章全体を通して、何が主張したいのだろうか? フロイトの「植物学研究所の夢」と私や私の文章をこじつけ的に結びつけたり、逆に、「植物学研究所の夢」を背景に文章を書いたということを否定しようとしているのだろうか。その解釈は私が書いても、主張はできても、立証できない。読み手にゆだねられる。恩師の「人形芝居のような人生はないよ」という言葉と、仮想世界でアバターを操っていて、画像を作っていることなど、あまりにもご都合主義的に出来ているところが私のライフストーリー中には散見できる、第三者がいろいろ詮索して、裏を取ろうと試みたとき、明らかな否定の証拠も挙がらなければ、明らかな肯定の証拠も挙がらない、という感じになると思われる。書いてしまっては全体の信頼度を下げてしまう恐れがあって、私にとっては面白いエピソードではあっても、書くことを控えていることも少しある。
かなりの労力を使って記録を綴っているので、全体の精度、信頼度が下がること自体は本人にとっても脅威である、ということだけは読者の方々の心のどこかに留めてほしい。記録自体が不整合などによって裏切ることもあるかもしれないが、そのときは多大な労苦が無に帰するわけである。
『夢分析入門』鑪幹八郎(たたらみきはちろう)著
を借り出した。
鑪先生の講義は総合講義のとき、一度だけ大講義室で受講した。
そういう先生がいることさえも、広島大学当時知らなかった。
鑪先生は寅さんの大ファンらしく、テープレコーダー持ち込みで、講義で、「男はつらいよ」のテーマソングを流し、臨床心理の話などは一切なく、90分、ひたすら寅さんへの思いを語っていたような記憶がある。それまで、寅さんとか、無理やり連れて行かれる正月映画みたいな負のイメージしか私は持っていなかったのでものすごい印象を講義から受けた。先生が何をしゃべったのか記憶に言葉の断片さえも残っていないけど、とにかく、寅さんという存在は、鑪先生から見るとすごい存在なのである、という圧倒的印象だった。
時は移り、鹿児島へ帰ってきて、寅さん映画を全巻、ビデオショップで順番に借りた。タンカバイの口調や、寅さんの語りに引き込まれた。
『「芸能と差別」の深層―三国連太郎・沖浦和光対談』でまた別の寅さんというか渥美清像を見るのだが、それは後年で別の話である。すっかり脱線してしまったので戻る。
鑪先生の本そのものはあまり読んだことがなかった。だから、ちょっとちら読みすることにした。
『夢分析入門』をめくっていくと、「植物学研究所の夢」という話が出てきた。フロイトの著作集からの引用もあった。孫引きにはなるが、気になる人は著作集を当たってほしい。
「私はある植物に関する研究論文を著した。その本は、私の眼前にある。私は丁度、挿入された彩色のある図版のところをめくる。どの一冊にも、植物標本館からもってきたような、その植物の乾燥標本が綴り込まれている。」(著作集第二巻、一四四頁)
『夢分析入門』では115P
以下も『夢分析入門』からの引用、
次々にあらわれる連想をまとめたのが図7である。
「花の話をした婦人」→「私の妻の好きな花(シクラメン)、(ここでは、花の好きな奥さんに花をちっとも贈らないフロイト自身の反省も記述されていて興味深い)、など。
Epimbiメモ: 上の夢の話は初見であると最初思ったが「シクラメン」の話は何か新書で読み、それが記憶のどこかに残っているくらいの影響は受けたことになる。
たぶん、再発の後の時期であり、かつ植物標本室で働く前だろう。
『シナプスの笑い Vol.21』の「ラベルがべたべた貼られた標本」 というタイトルで書いた私の文章があるのだが、そこではシクラメンの話も影響をほとんど与えなかったと思いうし、フロイトの著作の中に植物標本館とか植物の乾燥標本というキーワードが出てくることは、知らなかったと断言できる。でも、一方で、「狼男の言語標本」というキーワードをたぶん、知っており、『樹をみつめて』の中の植物界の話は読んでいたと思う。そして、『徴候・記憶・外傷』の「世界における索引と徴候」の冒頭のキンモクセイの香りの話は鹿児島大学総合研究博物館、植物標本室で植物標本のラベル情報のデータベース入力をしていた頃、よく鹿大図書館で読んでいたような気がする。ラグーナ出版に入る前である。
この文章全体を通して、何が主張したいのだろうか? フロイトの「植物学研究所の夢」と私や私の文章をこじつけ的に結びつけたり、逆に、「植物学研究所の夢」を背景に文章を書いたということを否定しようとしているのだろうか。その解釈は私が書いても、主張はできても、立証できない。読み手にゆだねられる。恩師の「人形芝居のような人生はないよ」という言葉と、仮想世界でアバターを操っていて、画像を作っていることなど、あまりにもご都合主義的に出来ているところが私のライフストーリー中には散見できる、第三者がいろいろ詮索して、裏を取ろうと試みたとき、明らかな否定の証拠も挙がらなければ、明らかな肯定の証拠も挙がらない、という感じになると思われる。書いてしまっては全体の信頼度を下げてしまう恐れがあって、私にとっては面白いエピソードではあっても、書くことを控えていることも少しある。
かなりの労力を使って記録を綴っているので、全体の精度、信頼度が下がること自体は本人にとっても脅威である、ということだけは読者の方々の心のどこかに留めてほしい。記録自体が不整合などによって裏切ることもあるかもしれないが、そのときは多大な労苦が無に帰するわけである。
2017年4月23日日曜日
夕べの夢 そういう状況になってわかった
夕べの夢
今日のはそんなに長くない。
クーデターか何かで追い詰められたどこか外国の最高権力者。
その側近か、何かしらないけど、近くに私もいる。
最高権力者が最後の演説をする。
さあ、飲んでください、みたいな感じで毒の入っている
錠剤を強制的に私の口に敵たちがいれようとする。
「死にますから、死にますから」といいつつ。
頑強に口をひらかない。
猛烈な恐怖。
ここで目が覚める。
日ごろは、生死に淡白である、などと自分では思いつつも
やはりそういう状況に追い込まれたら、死は怖く、
生きたいと必死になって思うのだなと思う。
書きながら、抵抗の言葉を吐きつつ、
頑強に口を開かないというのは話として
合わないな、と思いつつも、
そういう矛盾は私の文章には結構あるな、
と観念して書いてみる。
今日のはそんなに長くない。
クーデターか何かで追い詰められたどこか外国の最高権力者。
その側近か、何かしらないけど、近くに私もいる。
最高権力者が最後の演説をする。
さあ、飲んでください、みたいな感じで毒の入っている
錠剤を強制的に私の口に敵たちがいれようとする。
「死にますから、死にますから」といいつつ。
頑強に口をひらかない。
猛烈な恐怖。
ここで目が覚める。
日ごろは、生死に淡白である、などと自分では思いつつも
やはりそういう状況に追い込まれたら、死は怖く、
生きたいと必死になって思うのだなと思う。
書きながら、抵抗の言葉を吐きつつ、
頑強に口を開かないというのは話として
合わないな、と思いつつも、
そういう矛盾は私の文章には結構あるな、
と観念して書いてみる。
登録:
投稿 (Atom)