最近はfacebookばかりで投稿して、こっちで投稿するのを怠っていました。さて、何書こうかな。
Twitterでの行動パターンもあるいはお店との関係でもそうなのですが、頻繁に接点もつときにはもつし、もたなくなるともたなくなる。不思議な性質をもっています。
はずみ車が回りだすと回りだすし、いったん停まってしまうと動かすのにものすごいエネルギーが必要になる。かといって、無理して回していても息切れがしてしまう。そんな感じなのです。
今はもうなくなってしまったのですが、昔あったカフェのマスターから、「岩井さんは気まぐれだから」と愚痴られていました。反省してます。
はじめての方へ
私が入院したのは1992年と93年のそれぞれ春です。入院期間は短く、現在も小さな症状があるくらいです。非定型精神病に典型ってあるのかどうかわかりませんが、今は精神病者と健常者の狭間にいるような感覚です。外来は最初から途絶えることなく続いてますし、服薬のほうは一生つづくでしょう。病気の理解の助けになるかどうか知りませんが、ある種の人間の理解の助けにはなるかもしれません。
P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。
p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
P.S 読んでいただいている奇特な少数の読者さまへ
おかげさまで、毎日読んでくださる人もいらっしゃるよう
になりました。当事者の方もいらっしゃるのでしょうか。
状況は異なれ、何か役立てられたら幸いです。急性状態を
体験されたことはさぞ大変だったことでしょう。でも、
まだ人生は終わっていません。その後の分岐点もさまざま
でしょうけど、希望の光、ともし続けてください。ゆらめく
ことはありましょうけど、大事に守ってあげてください。
p.s2 ブログの文章中には論証しようとか説得しようという
意図をもったものはありません。単に一個人からみたら
こう見えるというものにすぎません。仮設的な思考の計算
用紙、あるいは個人用のネタ帳といったところです。
P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)
P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)
P.S3 現在の診断は統合失調症です。内側から見た統合失調症と本来しなければならないのですが、まぎらわしいのですが、タイトルはそのままとし、概要のほうで調整することにしました。まあ、心因反応と最初につけられた後の病名が非定型精神病で、その時期が長く、主治医から見ると、非定型精神病寄りの統合失調症ということなのでしょう。(聞いたことはありません)(2015・05・08)
P。S4 あともう一点重要な修正があります。私が最初に精神病で入院したのは91年で再発したのは92年のようです。履歴書用の暦でしらべたら、そういうことになりました。85年に大学に現役で入学し、留年とかはせずに、大学院も修了し、会社の研修期間中に発病。その翌年に再発です。修正があるときには、上書き方式をとらず、コメントで調整しようと思います。修正の履歴が残ったほうがいいと考えるからです。(2015・05・08)
2014年4月25日金曜日
SLのコミュニティの縮小とボトルネック効果
まず、最初に誤解を与えてはいけないことは、私はSLの日本語圏
のコミュニテイが縮小したことを喜んでいるという立場ではないこと
だ。ここははっきりさせて、誤解がないようにしておきたいところだと思う。
ただ、「ピンチはチャンス」という言葉があるようにモノゴトには裏表
の眺め方があるように思う。
何かSL内でシゴトに関わっている人は以下のリンクを参照されたい。
https://www.sys-in.com/column/index.php?id=301
でも、私はそういう意味でのチャンスだからというつもりで、この文章
を書いていない。例によって妄想癖というかもうちょっと大きなスケール
で考えてみる。以下つきあってくれる人は次のリンクも読んでほしい。
ボトルネック効果
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%83%E3%82%AF%E5%8A%B9%E6%9E%9C
遺伝学の用語でボトルネック効果というものがある。これをアナロジーと
して使って、文化にたいしても適応させることはできないだろうか?
別になにやら自分の思想、アイデア、コンセプトの色でSL全体を染め上げ
たいとかそういう野心をもっているわけではない。むしろ、今SLに残っている
人の知恵をそれぞれの場で集めて、何かカタチに残したらちょっとした資産
になるのではないかと思うのだ。
技術は古くなる、でも、基本的考え方は移り変わる技術の流れの中で不易な
るものとして残るのではないかと思う。そういうものは偉い人、特にアメリカ人
に任せればいいという話でもないと思う。言語圏、あるいはクラスターと呼んでも
いいし、文化圏と呼んでもいいのだけど、そこのまとまり独特の事情というのが
あるかもしれないからだ。
SLに限らず、人数的な意味で小規模だからやりやすいこと、小規模なうちに
やっておかねばならない仕事みたいなものもあると思う。
私の舌足らずな説明は以上。ボトルネック効果という用語を理解してもらって、
それが今のSLのコミュニティのような文脈の元でどんなアナロジーとして機能
するかそれぞれ考えてもらえればいい。
そして、外国から種をもってくるというやり方はまあ、現状では仕方がないという
部分もあるかもしれないけど、同時に自前で種を育種するという努力も始めて
もいいのではないかと思う。日本語圏という文化的土壌に外国直輸入の種は
適合するかどうかは約束されないし、適合したとしても二番煎じに過ぎない。
何よりありあわせの頭の中のアイデアを交配させたりしながら、アイデアの種
をブリーディングする作業は楽しい。
のコミュニテイが縮小したことを喜んでいるという立場ではないこと
だ。ここははっきりさせて、誤解がないようにしておきたいところだと思う。
ただ、「ピンチはチャンス」という言葉があるようにモノゴトには裏表
の眺め方があるように思う。
何かSL内でシゴトに関わっている人は以下のリンクを参照されたい。
https://www.sys-in.com/column/index.php?id=301
でも、私はそういう意味でのチャンスだからというつもりで、この文章
を書いていない。例によって妄想癖というかもうちょっと大きなスケール
で考えてみる。以下つきあってくれる人は次のリンクも読んでほしい。
ボトルネック効果
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%83%E3%82%AF%E5%8A%B9%E6%9E%9C
遺伝学の用語でボトルネック効果というものがある。これをアナロジーと
して使って、文化にたいしても適応させることはできないだろうか?
別になにやら自分の思想、アイデア、コンセプトの色でSL全体を染め上げ
たいとかそういう野心をもっているわけではない。むしろ、今SLに残っている
人の知恵をそれぞれの場で集めて、何かカタチに残したらちょっとした資産
になるのではないかと思うのだ。
技術は古くなる、でも、基本的考え方は移り変わる技術の流れの中で不易な
るものとして残るのではないかと思う。そういうものは偉い人、特にアメリカ人
に任せればいいという話でもないと思う。言語圏、あるいはクラスターと呼んでも
いいし、文化圏と呼んでもいいのだけど、そこのまとまり独特の事情というのが
あるかもしれないからだ。
SLに限らず、人数的な意味で小規模だからやりやすいこと、小規模なうちに
やっておかねばならない仕事みたいなものもあると思う。
私の舌足らずな説明は以上。ボトルネック効果という用語を理解してもらって、
それが今のSLのコミュニティのような文脈の元でどんなアナロジーとして機能
するかそれぞれ考えてもらえればいい。
そして、外国から種をもってくるというやり方はまあ、現状では仕方がないという
部分もあるかもしれないけど、同時に自前で種を育種するという努力も始めて
もいいのではないかと思う。日本語圏という文化的土壌に外国直輸入の種は
適合するかどうかは約束されないし、適合したとしても二番煎じに過ぎない。
何よりありあわせの頭の中のアイデアを交配させたりしながら、アイデアの種
をブリーディングする作業は楽しい。
2014年4月11日金曜日
停滞中
最近、セカンドライフのものづくりのほうが停滞中だ。
ブログのほうも、そして、twitterも滞っている。
facebookのほうはそれなりに書き付けている。
自分の考えでは、自分の世界、イメージを探り当てたい
と思っている。いきなり、画像の世界をつくるのではなくて、
文字から入って、それを画像に膨らませるというのが
私のやり方かもしれない。
本は相変わらず、毎晩、読んでいる。本を置けるスペースが
あまりないので、どうしても仕事上買わないといけない本の
ほかには本もほとんど買っていない。
とまれ、今日は体がだるく、いいイメージもわいてこない。
このへんにしよう。
ブログのほうも、そして、twitterも滞っている。
facebookのほうはそれなりに書き付けている。
自分の考えでは、自分の世界、イメージを探り当てたい
と思っている。いきなり、画像の世界をつくるのではなくて、
文字から入って、それを画像に膨らませるというのが
私のやり方かもしれない。
本は相変わらず、毎晩、読んでいる。本を置けるスペースが
あまりないので、どうしても仕事上買わないといけない本の
ほかには本もほとんど買っていない。
とまれ、今日は体がだるく、いいイメージもわいてこない。
このへんにしよう。
2014年3月21日金曜日
内面表現のためのいいまわし
精神病者のための文学が必要じゃないか?なんとなく、そんなこと
を思う。自分の内面を語るためのいいまわし。
内面を語っても仕方のない場合もあるし、場合によってはパンドラ
の箱を開ける場合もあって有害なときさえあるけれど、それでも
内面を書き連ね、時と場所を越えて伝えたい場合がある。
精神病者には歴史がない。70年代の精神病者が胸のうちでどんな
ことを考えてたのかほとんど知ることができない。軽症化の時代にな
ったから胸の内を語ることができるようになったのかどうか知らない。
外国の精神病者の胸のうちもそれほど多く知ることはできない。
文化的な違いが症状にあるいは考えることにどのように影を落とすの
か関東と関西の違いですら、沖縄と東北の場合ですら、それほどはっきり
としたことを認識していない。あるいは資料にも基づきもしないでそんなも
のは情報化の時代あるわけがないとはっきり言えるのだろうか?
内面を語るためのいいまわし、心理学や精神病理学の世界にもそれにまつ
わる語彙やいいまわしはあるだろう。もちろん使えるものは何でも使うと
いう主義だから、それも参考にするかもしれない。でも、自分の言葉で
語りたい。自分の言葉といっても、既存の言葉を借り着したものかもしれ
ないけど、自分なりに着こなしたい。
を思う。自分の内面を語るためのいいまわし。
内面を語っても仕方のない場合もあるし、場合によってはパンドラ
の箱を開ける場合もあって有害なときさえあるけれど、それでも
内面を書き連ね、時と場所を越えて伝えたい場合がある。
精神病者には歴史がない。70年代の精神病者が胸のうちでどんな
ことを考えてたのかほとんど知ることができない。軽症化の時代にな
ったから胸の内を語ることができるようになったのかどうか知らない。
外国の精神病者の胸のうちもそれほど多く知ることはできない。
文化的な違いが症状にあるいは考えることにどのように影を落とすの
か関東と関西の違いですら、沖縄と東北の場合ですら、それほどはっきり
としたことを認識していない。あるいは資料にも基づきもしないでそんなも
のは情報化の時代あるわけがないとはっきり言えるのだろうか?
内面を語るためのいいまわし、心理学や精神病理学の世界にもそれにまつ
わる語彙やいいまわしはあるだろう。もちろん使えるものは何でも使うと
いう主義だから、それも参考にするかもしれない。でも、自分の言葉で
語りたい。自分の言葉といっても、既存の言葉を借り着したものかもしれ
ないけど、自分なりに着こなしたい。
2014年3月18日火曜日
ガミラス星の焼き直しかも
小さいときみた宇宙戦艦ヤマトで出てきたガミラス星
の風景にたぶん影響されてできた作品。
ガミラス星の風景とは似ても似つかないけど、天井があって下に空間があるという発想は同じ。
最初は信号機とか電柱とかモチーフにして書こうと思ったけど、書いてみると、やはり細胞の
表面みたいな感じになってしまった。アイデンティティなのかも
の風景にたぶん影響されてできた作品。
ガミラス星の風景とは似ても似つかないけど、天井があって下に空間があるという発想は同じ。
最初は信号機とか電柱とかモチーフにして書こうと思ったけど、書いてみると、やはり細胞の
表面みたいな感じになってしまった。アイデンティティなのかも
シャボン玉が割れる
うまく言語化できない。
自分のシャボン玉が割れてしまった。
わかったようなことを書く気力が失せてしまった。
キラキラ、ピカピカしたシャボン玉。
太陽の光を受けて、虹色に輝いている。
シャボン玉は割れ、現実に引き戻される。
そこにいるのはみすぼらしい、ちっぽけな自分。
陳腐な言葉でしか書き留めることさえできないような。
でも、これも、単なるいまここの気分の話であって、
また何日もしたら、悟り澄ましたような、なにかわかった
ようなことを、偉そうな態度で書き散らすのだろうなぁ。
その時々のことをとにかく書いていく。
何にもならないかもしれないけれど、
今できることはそういうことしかない。
実効性もなにもないカラの言葉で
虚しくマス目を埋めていく。
自分のシャボン玉が割れてしまった。
わかったようなことを書く気力が失せてしまった。
キラキラ、ピカピカしたシャボン玉。
太陽の光を受けて、虹色に輝いている。
シャボン玉は割れ、現実に引き戻される。
そこにいるのはみすぼらしい、ちっぽけな自分。
陳腐な言葉でしか書き留めることさえできないような。
でも、これも、単なるいまここの気分の話であって、
また何日もしたら、悟り澄ましたような、なにかわかった
ようなことを、偉そうな態度で書き散らすのだろうなぁ。
その時々のことをとにかく書いていく。
何にもならないかもしれないけれど、
今できることはそういうことしかない。
実効性もなにもないカラの言葉で
虚しくマス目を埋めていく。
2014年3月17日月曜日
メッセージ、あるいはコジツケ
具体的な日にち、そして、どんな文章かは差し障りがあるので
明示できないけれど、妙なことがあった。
文章読んでいる際に、その文章がカミサマか異界からのメッセージ
みたいに読めてくるのだった。
そういうのは前々から繰り返し体験することでたとえばテレビの
中に私、個人に対するメッセージが象徴的な言葉として、
あるいはしぐさとして現れるみたいな。
最初の頃は怖かった。この世界の外にかかわることであって、
公言してはいけない、みたいな気がして、誰にも相談できなかった。
そんな体験でも繰り返し体験するとだんだん文法みたいなのが
見えてきてしまう。
そして、自分でも受けみたいなのができてきて、半分くらい自分の
意思も混じりながらその「読み」の世界に入っていくのだった。
なんでかというと「あちらの世界」に不思議な懐かしさと憧れみたい
な感情が含まれているからだった。
同時に「あちらの世界」に引き込まれて帰ってこれなくなるという恐怖
感も身に覚えがあるので、その体験というか読みの世界とある程度
の距離をとって、ある浅さでとどめておくのだった。入り口をかすかに
覗く程度にして。
その読みの世界にも若干のコジツケもあるかもしれない。心霊写真が
コジツケから始まるように。あるいは天井の木目が化け物にみえてくる
ように。それでも、アタマをひねって無理やりコジツケなくても、自然に
異界からのメッセージとしての不思議な解釈が意識に昇ってくるのだった。
そして、その不思議な解釈の世界が広がり、不思議な気分がこころの中に
ひろがっていく。軽い催眠もかかってくるのかもしれない。
以上のようなことを先ほど主治医との診察で報告してきたのだけど、
はっきりとした体験でもないので自分でも半信半疑だった。
そんなことを言う患者、ほかにもいますか?と聞いてみた。
そしたら、数は多そうでもなかったけど、「いたと思いますよ」
みたいな返事が返ってきた。そんなものかとそのときは思ったけど、
さらに今は疑っている。
何しろ、私は患者仲間のうちでも、医学書沢山読んでいるほうだからだ。
読んだ医学書の影響を受け、症状をなぞっているのかもしれない。
詐欺をするほどの動機も、ずるがしこさも持ち合わせていないと思うけど、
結果的に症状を模倣するということも生じているかもしれない。
今日の「目玉」というほどではないけど、書きたかったことは
半分くらい自分の意思も混じりながらその「読み」の世界に入っていくと
書いたところだ。自分の行動を冷徹に観察したり、反省してみたりする
とそう書かざるをえない。
でも、それをさらに掘り下げて、どういう心理のもとでそんな行動が
生まれるのかあまり意識できない。観察したり、その結果を文章に
書いたりはできるけど、その背景は自分でもわからない部分が多い。
自分のためにならないようなことを何かに憑きうごかされるようでも
して書いてしまうことが多い。そして、それは自分のみならず、自分の
周囲の人たちの印象まで悪くしてしまわないかと心配している。
それでも書き明かすことで何かがわかる、わからないまでも糸口
が見えてくる、そんなこともあるのではないかという微かな希望が
そんな骨折りを続けさせている。最終的に本当にひどい目にあう
可能性さえ自分の中で見え隠れすることもあるけれど、それにも
かかわらず書き続けている。ご苦労なことである(笑)。
明示できないけれど、妙なことがあった。
文章読んでいる際に、その文章がカミサマか異界からのメッセージ
みたいに読めてくるのだった。
そういうのは前々から繰り返し体験することでたとえばテレビの
中に私、個人に対するメッセージが象徴的な言葉として、
あるいはしぐさとして現れるみたいな。
最初の頃は怖かった。この世界の外にかかわることであって、
公言してはいけない、みたいな気がして、誰にも相談できなかった。
そんな体験でも繰り返し体験するとだんだん文法みたいなのが
見えてきてしまう。
そして、自分でも受けみたいなのができてきて、半分くらい自分の
意思も混じりながらその「読み」の世界に入っていくのだった。
なんでかというと「あちらの世界」に不思議な懐かしさと憧れみたい
な感情が含まれているからだった。
同時に「あちらの世界」に引き込まれて帰ってこれなくなるという恐怖
感も身に覚えがあるので、その体験というか読みの世界とある程度
の距離をとって、ある浅さでとどめておくのだった。入り口をかすかに
覗く程度にして。
その読みの世界にも若干のコジツケもあるかもしれない。心霊写真が
コジツケから始まるように。あるいは天井の木目が化け物にみえてくる
ように。それでも、アタマをひねって無理やりコジツケなくても、自然に
異界からのメッセージとしての不思議な解釈が意識に昇ってくるのだった。
そして、その不思議な解釈の世界が広がり、不思議な気分がこころの中に
ひろがっていく。軽い催眠もかかってくるのかもしれない。
以上のようなことを先ほど主治医との診察で報告してきたのだけど、
はっきりとした体験でもないので自分でも半信半疑だった。
そんなことを言う患者、ほかにもいますか?と聞いてみた。
そしたら、数は多そうでもなかったけど、「いたと思いますよ」
みたいな返事が返ってきた。そんなものかとそのときは思ったけど、
さらに今は疑っている。
何しろ、私は患者仲間のうちでも、医学書沢山読んでいるほうだからだ。
読んだ医学書の影響を受け、症状をなぞっているのかもしれない。
詐欺をするほどの動機も、ずるがしこさも持ち合わせていないと思うけど、
結果的に症状を模倣するということも生じているかもしれない。
今日の「目玉」というほどではないけど、書きたかったことは
半分くらい自分の意思も混じりながらその「読み」の世界に入っていくと
書いたところだ。自分の行動を冷徹に観察したり、反省してみたりする
とそう書かざるをえない。
でも、それをさらに掘り下げて、どういう心理のもとでそんな行動が
生まれるのかあまり意識できない。観察したり、その結果を文章に
書いたりはできるけど、その背景は自分でもわからない部分が多い。
自分のためにならないようなことを何かに憑きうごかされるようでも
して書いてしまうことが多い。そして、それは自分のみならず、自分の
周囲の人たちの印象まで悪くしてしまわないかと心配している。
それでも書き明かすことで何かがわかる、わからないまでも糸口
が見えてくる、そんなこともあるのではないかという微かな希望が
そんな骨折りを続けさせている。最終的に本当にひどい目にあう
可能性さえ自分の中で見え隠れすることもあるけれど、それにも
かかわらず書き続けている。ご苦労なことである(笑)。
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