暮れには大体、調子が崩れることが多い。
今年という列車が思い出をのせて、虚空に旅立っていくというイメージ
が重なってしまう。
銀河鉄道999の影響なのかどうか。
あくまでも、文学的、あるいは詩的な意味と限定したほうが安全かも
しれないが、出来事、あるいは時は活きているような気がする。
それは人間的要素に染まったイメージだからかもしれない。
紙の上の文字はインクの染みにすぎないかもしれないが、
心の中に納まった言葉は生きているといえるのかもしれないと思う。
心から心に移った言葉たちも生きているといえるのかもしれない。
それが相手にとって働きをもった言葉ならなおさらのことである。
そんなこと考えるから、いつかやってくるだろう自分の死というものを
そんなに恐怖することはない。美化もしないし、心が弱いほうだから、
いざ、そういう場面に遭遇したら、みっともない姿をさらすかもしれないが、
運しだいという感じだろう。
バクトリア王国。ロマンを誘う国だが、ミリンダ王の問いが残るくらいで、
文字資料はそんなに恵まれないらしい。余白が多いという意味合いでは
かえって史料の少なさがロマンをかきたてる要素にもなっているのかも
しれない。
現代は出版された本でさえ多くて書庫の無縁仏となり果てるケースが
ほとんどなのかもしれない。
逆に読者としての存在の価値が上がっていることは確かな気がする。
一人ひとりの読者が本を読むという習慣を支え、その人自身やその人
の周囲に読者界とでもいえるエコシステムをつくっていく。
本を読むことに価値があると思えるミームを広げていっているような
気がする。地理的だったり、社会的にだったり、周辺的であればあるほど
大事なような気がするし、もしかしたら、中心ー周縁といった固定観念すら
もほどいてくれるかもしれない。
私はきっと死ぬまで銀河鉄道999の存在を忘れることはないだろう。
私の存在をいつまでも覚えていてくれている遠くの存在っているのだろうか?
そんなに多くの数、別にいなくてもいいのだが。
誇大妄想な感じではないので、いつまでも読まれるだろうとは
あまり考えないのだが、そしてそういうことを想像することさえ
今の状況だと難しいのであるが、ただひとつだけ、遠くに届いてほしい
ことがある。
この文章が遠くに届いた程には、逆の方向からも届く望みが開かれている
ということ。若い時間を無為に過ごさなければなおさらである。
次の時代を静かに準備しよう。
もし、何か大きな世の中の動きがあったときも、あわてずに、
地域のコミュニティを硬く維持しながら、
次の時代を担う受け皿となれるよう、自分の言葉の道具を研いでおこう。
不穏な感じが進行し、国際情勢も、環境問題も深刻化していくけれど、
今まで歴史が続いた程度には、この世界には安定性があると信じる。
だから、結果はどうあれ望みを捨てずよく生きて、
自分なりの存在感を主張していこう。
その人の立場にたってみれば、その人を主役とした物語が成り立つはずだ。
その器に自分なりの中身を盛り付けていこう。
P.S しばらくブログ書いていなかったので、facebookふうのだらだら文章になり、
支離滅裂でまとまりの欠ける文章になってしまった。
別に革命思想を信奉するわけではないが、今は変動期とみている。
今の延長線上に未来の姿は思い描けないが、萌芽的な要素はかなりそろっている
と見ている。どの芽に時間を投資するか、選択眼が試されている。